「コネクトーム」の版間の差分

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[[ファイル:Cajalhippocampus.jpg|サムネイル|250px|'''図2.Santiago Rámon y Cajalによって描写されたゴルジ染色された海馬(1911年)'''<br>脳の組織が神経細胞から成立し、神経回路を作っていることを認識された。]]
[[ファイル:Cajalhippocampus.jpg|サムネイル|250px|'''図2.Santiago Rámon y Cajalによって描写されたゴルジ染色された海馬(1911年)'''<br>脳の組織が神経細胞から成立し、神経回路を作っていることを認識された。]]


 歴史的には、簡素な解剖用具などを用いて神経線維を観察することから、目と脳など神経組織同士を接続している構造が存在することは想像されていた(例:デカルト、1677年、図1)。19世紀末になると、[[Santiago Rámon y Cajal]](1852-1934)が、個々の神経細胞の形態を明確に染め出すことを可能にした[[Golgi染色]]と光学顕微鏡を用いることで、脳が多数の神経細胞とそれらの結合によって成り立っていることを提唱した(図2)。以後、神経細胞の間の結合を記述する研究は盛んに行われてきた<ref><pubmed>21782932</pubmed></ref><ref>'''Larry Swanson, Jeffrey W. Lichtman''': From Cajal to Connectome and Beyond (2016) Annual Reveiw of Neuroscience, in press</ref>。Golgi染色やNissl染色などを施した連続切片を観察する時代を経て、20世紀中頃になると脳損傷後の変性神経線維をNauta法などで染色することで、神経回路の存在を確認する時代になった。1970年ごろになると、放射性アミノ酸や、酵素(HRP)などの軸索輸送を利用することで、神経回路の観察が簡便に行われるようになった。更に、1980年代には、脂溶性carbocyanine蛍光色素などの生体結合特性を持った蛍光色素(DiIなど)、植物レクチン(WGA、PHA-Lなど)、ビオチン誘導体(Biocytin, Neurobiotinなど)、軸索を効率的に移動するコレラ毒素サブユニット等の高感度トレーサーが開発され、多くの研究者に汎用されるようになった。そして、1990年代になると、蛍光顕微鏡に加えて、共焦点レーザー顕微鏡が普及し始め、デジタル画像として大規模なデータの保存と解析が扱えるようになってきた。コネクトーム研究の観点から、このような組織学的解剖と染色によって得られた知見をまとめた重要な研究が、1991年、FellemanとDavid van Essenらによるマカクサルの視覚系の結合性マッピングの概念の提出であった<ref><pubmed>1822724</pubmed></ref><ref><pubmed>1734518</pubmed></ref>。
 歴史的には、簡素な解剖用具などを用いて[[神経線維]]を観察することから、[[]]と[[脳]]など神経組織同士を接続している構造が存在することは想像されていた(例:[[wj:ルネ・デカルト|デカルト]]、1677年、[[図1]])。


 このような研究手法は、Allen Brain InstituteのAllen Mouse Brain Connectivity Atlas<ref>http://connectivity.brain-map.org/</ref>、Mouse Connectome Project (南カリフォルニア大学)<ref>http://www.mouseconnectome.org/</ref>、マカクサルのCoCoMac(ドイツ)<ref>http://cocomac.g-node.org/</ref>などで、まとめられているようなコネクトーム収集プロジェクトにつながっている。これらは、神経系の解剖学的知見と組織学的研究を組み合わせたものであり、解像度的にはマイクロメーター からサブマイクロメーターレベルの'''「メソスケール Mesoscale」'''のコネクトームの情報となっている。このレベルのコネクトーム構築のもう一つのアプローチとしては、このような形態学的なアプローチとともに、電気生理学的アプローチ、更に[[光遺伝学]]、神経活動を間接的あるいは直接的に観察する細胞、組織レベルのアプローチ(カルシウム、活動電位、血流変化など)もある。しかし、現時点では、これらの方法論の多くは、大規模アプローチとしては適さず、局所的な回路に焦点を当てているか、あくまで予備的な解釈に用いられているのが現状である。
 19世紀末になると、[[[[wj:サンティアゴ・ラモン・イ・カハール|Santiago Rámon y Cajal]]]](1852-1934)が、個々の神経細胞の形態を明確に染め出すことを可能にした[[ゴルジ染色|Golgi染色]]と[[光学顕微鏡]]を用いることで、脳が多数の神経細胞とそれらの結合によって成り立っていることを提唱した(図2)。以後、神経細胞の間の結合を記述する研究は盛んに行われてきた<ref><pubmed>21782932</pubmed></ref><ref>'''Larry Swanson, Jeffrey W. Lichtman'''<br>From Cajal to Connectome and Beyond<br>''Annual Reveiw of Neuroscience'', in press</ref>。Golgi染色や[[ニッスル染色|Nissl染色]]などを施した連続切片を観察する時代を経て、20世紀中頃になると脳損傷後の変性神経線維をNauta法などで染色することで、神経回路の存在を確認する時代になった。


 メソスケールのコネクトーム情報は、神経線維の走行や終末部位についての情報を大雑把に収集したものであり、シナプスレベルでの'''「ミクロスケール Microscale」'''の神経細胞間の結合性を記述したものではない。化学シナプスおよび電気シナプスを形態的に観察するためには、ナノメーターレベルの解像度がある電子顕微鏡が必要である。電子顕微鏡レベルで、ほぼ完全なコネクトーム解読に成功したのは、Sydney Brennerの大学院生であったJohn Whiteらによるセンチュウ''Caenohabditis elegans''の神経系である(1986年)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref>。センチュウの場合、体のサイズが小型で、神経細胞の数が少なく(雌雄同体で302個)、その結合性も個体差が少なくステレオタイプである(75%再現性があると言われる)ので、コネクトームの構築が可能であった。一方、神経系のサイズが大きく、非常に多くの細胞と、その結合性に多様性がある脊椎動物の神経系のコネクトームの構築は極めて困難である。ミクロスケールなコネクトーム構築には、電子顕微鏡で観察するための多数の連続切片を失うことなく作製し、撮影し、その画像を保存し、結合性を解析していくための技術開発が行われてきている(後述)。その結果、マウス網膜、ショウジョウバエ視覚系、マウス大脳視覚野の部分的なコネクトームなどが構築された。これらの情報を総合的に収集しているのは、Open Connectome project<ref>http://www.openconnectomeproject.org/</ref>である。
 1970年ごろになると、放射性[[wj:アミノ酸|アミノ酸]]や、[[wj:酵素|酵素]](西洋ワサビペロキシダーゼ (horseradish peroxidase; HRP))などの[[軸索輸送]]を利用することで、神経回路の観察が簡便に行われるようになった。更に、1980年代には、脂溶性carbocyanine[[蛍光色素]]などの生体結合特性を持った蛍光色素([[DiI]]など)、[[wj:植物レクチン|植物レクチン]]([[w:wheat germ agglutinin|wheat germ agglutinin]] ([[w:wheat germ agglutinin|WGA]])、[[w:phytohaemagglutinin|phytohaemagglutinin]] ([[w:PHA-L|PHA-L]])など)、[[ビオチン]]誘導体 ([[biocytin]], [[Neurobiotin]]など)、軸索を効率的に移動する[[コレラ毒素]]サブユニット等の高感度トレーサーが開発され、多くの研究者に汎用されるようになった。
 
 そして、1990年代になると、[[蛍光顕微鏡]]に加えて、[[共焦点レーザー顕微鏡]]が普及し始め、デジタル画像として大規模なデータの保存と解析が扱えるようになってきた。コネクトーム研究の観点から、このような組織学的解剖と染色によって得られた知見をまとめた重要な研究が、1991年、FellemanとDavid van Essenらによる[[マカクサル]]の[[視覚系]]の結合性マッピングの概念の提出であった<ref><pubmed>1822724</pubmed></ref><ref><pubmed>1734518</pubmed></ref>。
 
 このような研究手法は、[[wj:アレン脳科学研究所|Allen Brain Institute]]の[[w:Allen_Institute_for_Brain_Science#Allen_Mouse_Brain_Connectivity_Atlas|Allen Mouse Brain Connectivity Atlas]]、[http://www.mouseconnectome.org/ Mouse Connectome Project] ([[南カリフォルニア大学]])、マカクサルの[http://cocomac.g-node.org/ CoCoMac](ドイツ)などで、まとめられているようなコネクトーム収集プロジェクトにつながっている。これらは、神経系の解剖学的知見と組織学的研究を組み合わせたものであり、解像度的には&micro;mからサブ&micro;mレベルの'''「メソスケール Mesoscale」'''のコネクトームの情報となっている。このレベルのコネクトーム構築のもう一つのアプローチとしては、このような形態学的なアプローチとともに、電気生理学的アプローチ、更に[[光遺伝学]]、神経活動を間接的あるいは直接的に観察する細胞、組織レベルのアプローチ([[カルシウム]]、[[活動電位]]、血流変化など)もある。しかし、現時点では、これらの方法論の多くは、大規模アプローチとしては適さず、局所的な回路に焦点を当てているか、あくまで予備的な解釈に用いられているのが現状である。
 
 メソスケールのコネクトーム情報は、神経線維の走行や終末部位についての情報を大雑把に収集したものであり、[[シナプス]]レベルでの'''「ミクロスケール Microscale」'''の神経細胞間の結合性を記述したものではない。化学シナプスおよび電気シナプスを形態的に観察するためには、ナノメーターレベルの解像度がある[[電子顕微鏡]]が必要である。
 
 電子顕微鏡レベルで、ほぼ完全なコネクトーム解読に成功したのは、[[wj:シドニー・ブレンナー|Sydney Brenner]]の大学院生であったJohn Whiteらによる線虫''Caenorhabditis elegans''の神経系である(1986年)<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref>。線虫の場合、体のサイズが小型で、神経細胞の数が少なく(雌雄同体で302個)、その結合性も個体差が少なくステレオタイプである(75%再現性があると言われる)ので、コネクトームの構築が可能であった。一方、神経系のサイズが大きく、非常に多くの細胞と、その結合性に多様性がある脊椎動物の神経系のコネクトームの構築は極めて困難である。
 
 ミクロスケールなコネクトーム構築には、電子顕微鏡で観察するための多数の連続切片を失うことなく作製し、撮影し、その画像を保存し、結合性を解析していくための技術開発が行われてきている(後述)。その結果、[[マウス]][[網膜]]、[[ショウジョウバエ]]視覚系、マウス[[大脳]][[視覚野]]の部分的なコネクトームなどが構築された。これらの情報を総合的に収集しているのは、[http://www.openconnectomeproject.org/ Open Connectome project]である。


 一方、Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するためにヒトの脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更にスケールの大きな'''「マクロスケール Macroscale」'''のコネクトームである<ref>'''Olaf Sporns''': Discovering the Human Connectome (2012, MIT Press)  [https://www.amazon.com/Discovering-Human-Connectome-MIT-Press/dp/0262017903/ ISBN-10: 0262017903]</ref><ref>'''Henry Kennedy, David C. Van Essen, Yves Christen (eds.)''' Micro-, Meso- and Macro-Connectomics of the Brain  (2016, Springer) [http://link.springer.com/book/10.1007%2F978-3-319-27777-6 [OpenAccess<nowiki>]</nowiki>]</ref>。これは小型の動物ではなく、ヒト、サルなど比較的大型の動物での脳の活動部位から推定されるコネクトームである。ヒトを中心にこの情報を収集しているのは、Human Connectome Project<ref>http://www.neuroscienceblueprint.nih.gov/connectome/</ref>である。これには、非侵襲な[[テンソルMRI]]などを中心に用い神経線維の走行など解剖学的な側面に注目しているThe Harvard/MGH-UCLA Project<ref>http://www.humanconnectomeproject.org/</ref>、および脳における[[fMRI]]による活動領域の検出やゲノム情報など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクトThe WU-Minn Project <ref>http://humanconnectome.org/</ref>がある。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。
 一方、Olaf Spornsによるヒト・コネクトームの提唱以来、脳の機能と病態を理解するためにヒトの脳で研究されているのは、メソレベルのコネクトームより更にスケールの大きな'''「マクロスケール Macroscale」'''のコネクトームである<ref>'''Olaf Sporns''': Discovering the Human Connectome (2012, MIT Press)  [https://www.amazon.com/Discovering-Human-Connectome-MIT-Press/dp/0262017903/ ISBN-10: 0262017903]</ref><ref>'''Henry Kennedy, David C. Van Essen, Yves Christen (eds.)''' Micro-, Meso- and Macro-Connectomics of the Brain  (2016, Springer) [http://link.springer.com/book/10.1007%2F978-3-319-27777-6 [OpenAccess<nowiki>]</nowiki>]</ref>。これは小型の動物ではなく、ヒト、サルなど比較的大型の動物での脳の活動部位から推定されるコネクトームである。ヒトを中心にこの情報を収集しているのは、Human Connectome Project<ref>http://www.neuroscienceblueprint.nih.gov/connectome/</ref>である。これには、非侵襲な[[テンソルMRI]]などを中心に用い神経線維の走行など解剖学的な側面に注目しているThe Harvard/MGH-UCLA Project<ref>http://www.humanconnectomeproject.org/</ref>、および脳における[[fMRI]]による活動領域の検出やゲノム情報など機能的な側面に重点を置く国際プロジェクトThe WU-Minn Project <ref>http://humanconnectome.org/</ref>がある。いずれも、解像度が上がれば、メソスケールのコネクトームにも近づくが、非侵襲で得られる解像度は、最大でもミリメートル程度であり、侵襲的な方法で得られる解像度とは違いがある。


 以上、肉眼、光学顕微鏡のレベルである「メソスケール」、電子顕微鏡レベルである「ミクロスケール」、そして非侵襲で観察される脳の構造や活動を観察する「マクロスケール」の3つの階層での断絶が、コネクトームの研究では認識されているのが現状である。しかし、例えば、深度のある組織の観察を可能にする[[多光子励起顕微鏡]]、広い範囲を高速で観察できる[[光シート顕微鏡]]、光学顕微鏡の解像度を著しく向上させる[[ナノスコピー]](PALM, STORMなど)<ref><pubmed>23063602</pubmed></ref>、が改良されれば、これらのスケールの間の断絶を埋めることができる。
 以上、肉眼、光学顕微鏡のレベルである「メソスケール」、電子顕微鏡レベルである「ミクロスケール」、そして非侵襲で観察される脳の構造や活動を観察する「マクロスケール」の3つの階層での断絶が、コネクトームの研究では認識されているのが現状である。しかし、例えば、深度のある組織の観察を可能にする[[多光子励起顕微鏡]]、広い範囲を高速で観察できる[[光シート顕微鏡]]、光学顕微鏡の解像度を著しく向上させる[[超高解像度顕微鏡]]([[PALM]], [[STORM]]など)<ref><pubmed>23063602</pubmed></ref>、が改良されれば、これらのスケールの間の断絶を埋めることができる。


==細胞レベルのコネクトームとコネクトミクス==
==細胞レベルのコネクトームとコネクトミクス==

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