「グルタミン酸仮説」の版間の差分

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==歴史、根拠==
==歴史、根拠==
 [[統合失調症]]での[[グルタミン酸]][[神経伝達]]の異常を最初に提唱したのは、[[wj:ウルム大学|Ulm大学]]のKimらで1980年のことである<ref name=ref1><pubmed>6108541</pubmed></ref>。Kimらは、20例の統合失調症と44例の対照を調べ、[[髄液]]のグルタミン酸濃度が患者で対照のおよそ1/2まで減少していることを報告した。彼らは、統合失調症ではグルタミン酸神経系に機能不全があってグルタミン酸の遊出が低下していると考察し、グルタミン酸仮説を提唱した。しかしその後の研究では、同様の髄液所見は再現されなかった<ref name=ref2><pubmed>6123303</pubmed></ref> <ref name=ref3><pubmed>6121307</pubmed></ref>。
 [[統合失調症]]での[[グルタミン酸]][[神経伝達]]の異常を最初に提唱したのは、[[wj:ウルム大学|Ulm大学]]のKimらで1980年のことである<ref name=ref1><pubmed>6108541</pubmed></ref>。Kimらは、20例の統合失調症と44例の対照者を調べ、[[髄液]]のグルタミン酸濃度が患者で対照のおよそ1/2まで減少していることを報告した。彼らは、統合失調症ではグルタミン酸神経系に機能不全があってグルタミン酸の遊出が低下していると考察し、グルタミン酸仮説を提唱した。しかしその後の研究では、同様の髄液所見は再現されなかった<ref name=ref2><pubmed>6123303</pubmed></ref> <ref name=ref3><pubmed>6121307</pubmed></ref>。


 現在のグルタミン酸仮説の中心的根拠は、[[フェンサイクリジン]]が統合失調症様の精神症状を惹起する点に置かれている。
 現在のグルタミン酸仮説の中心的根拠は、[[フェンサイクリジン]]が統合失調症様の精神症状を惹起する点に置かれている。
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 その後、フェンサイクリジンとグルタミン酸の関連が次々と報告され、1987年にJavittがそれらを「統合失調症のフェンサイクリジンモデル」としてまとめた<ref name=ref5 />。フェンサイクリジンがグルタミン酸受容体のひとつであるNMDA型グルタミン酸受容体を阻害してグルタミン酸神経の機能低下を起こすが、これと類似の病態が統合失調症でおこっているという仮説である。
 その後、フェンサイクリジンとグルタミン酸の関連が次々と報告され、1987年にJavittがそれらを「統合失調症のフェンサイクリジンモデル」としてまとめた<ref name=ref5 />。フェンサイクリジンがグルタミン酸受容体のひとつであるNMDA型グルタミン酸受容体を阻害してグルタミン酸神経の機能低下を起こすが、これと類似の病態が統合失調症でおこっているという仮説である。


 グルタミン酸仮説は神経生理学的にも支持されており、その根拠として統合失調症における[[プレパルス・インヒビション]] ([[prepulse inhibition]], [[PPI]])の減弱があげられている。PPIとは、大きな音を聞かせたときの[[驚愕反応]]が、音刺激直前 (50-500 ms) に小さい音を先行させることで抑制される現象のことである。1978年にBraffらが、12例の統合失調症が20例の対照よりPPIが小さいことを報告し<ref name=ref7><pubmed>693742</pubmed></ref>、統合失調症の情報処理障害・認知障害を反映していると考察した。
 グルタミン酸仮説は神経生理学的にも支持されており、その根拠として統合失調症における[[プレパルス・インヒビション]] ([[prepulse inhibition]], [[PPI]])の減弱があげられている。PPIとは、大きな音を聞かせたときの[[驚愕反応]]が、音刺激直前 (50-500 ms) に小さい音を先行させることで抑制される現象のことである。1978年にBraffらが、12例の統合失調症が20例の対照者よりPPIが小さいことを報告し<ref name=ref7><pubmed>693742</pubmed></ref>、統合失調症の情報処理障害・認知障害を反映していると考察した。


 PPIの障害は、その後多くの報告で再現され、[[統合失調型人格障害]]<ref name=ref8><pubmed>8238643</pubmed></ref>、患者の第1度近親者<ref name=ref9><pubmed>11007721</pubmed></ref>でも認められることから、脳内の病態が臨床症状として表現される以前の、より原因の近くに位置する神経機能障害を反映すると考えられている。つまり、PPIの減弱は統合失調症における[[エンドフェノタイプ]] ([[endophenotype]])([[中間表現型]])とされている。
 PPIの障害は、その後多くの報告で再現され、[[統合失調型パーソナリティ障害]]<ref name=ref8><pubmed>8238643</pubmed></ref>、患者の第1度近親者<ref name=ref9><pubmed>11007721</pubmed></ref>でも認められることから、脳内の病態が臨床症状として表現される以前の、より原因の近くに位置する神経機能障害を反映すると考えられている。つまり、PPIの減弱は統合失調症における[[エンドフェノタイプ]] ([[endophenotype]])([[中間表現型]])とされている。


 PPIは[[動物]]でも観察され、フェンサイクリジン、[[MK801]]などのNMDA型グルタミン酸受容体阻害薬で障害されることから<ref name=ref10><pubmed>1834231</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>2692589</pubmed></ref>、統合失調症におけるPPIの障害もグルタミン酸仮説を支持する根拠と考えられている。  
 PPIは[[動物]]でも観察され、フェンサイクリジン、[[MK801]]などのNMDA型グルタミン酸受容体阻害薬で障害されることから<ref name=ref10><pubmed>1834231</pubmed></ref> <ref name=ref11><pubmed>2692589</pubmed></ref>、統合失調症におけるPPIの障害もグルタミン酸仮説を支持する根拠と考えられている。  
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 グルタミン酸受容体は大きく2つに分類される。
 グルタミン酸受容体は大きく2つに分類される。


 1つは、多量体を構成して陽[[イオンチャネル]]を形成する[[イオンチャネル型]]であり、もうひとつはGタンパク質<ref group="注">'''[[Gタンパク質]]''':[[GTP]]([[グアノシン三燐酸]])結合タンパク質のことで、受容体にはGタンパク質と共役するタイプとしないタイプがある。神経伝達物質が[[Gタンパク質共役型受容体]]と結合すると、Gタンパク質と共役してGTPの結合に伴った細胞内シグナル伝達機能が変化する。</ref>と共役する代謝調節型である。
 1つは、多量体を構成して陽[[イオンチャネル]]を形成する[[イオンチャネル型]]であり、もうひとつはGタンパク質<ref group="注">'''[[Gタンパク質]]''':[[GTP]]([[グアノシン3リン酸]])結合タンパク質のことで、受容体にはGタンパク質と共役するタイプとしないタイプがある。神経伝達物質が[[Gタンパク質共役型受容体]]と結合すると、Gタンパク質と共役してGTPの結合に伴った細胞内シグナル伝達機能が変化する。</ref>と共役する代謝調節型である。


 イオンチャネル型は、さらにアゴニストの種類によって、[[AMPA型グルタミン酸受容体|AMPA]](α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid)型、[[カイニン酸型グルタミン酸受容体|カイニン酸型]]、[[NMDA型グルタミン酸受容体|NMDA型]]の3つに分けられる。グルタミン酸受容体を候補遺伝子とした関連研究が多数行われ、有意な関連を示す[[SNP]]も報告された。
 イオンチャネル型は、さらにアゴニストの種類によって、[[AMPA型グルタミン酸受容体|AMPA]](α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazolepropionic acid)型、[[カイニン酸型グルタミン酸受容体|カイニン酸型]]、[[NMDA型グルタミン酸受容体|NMDA型]]の3つに分けられる。グルタミン酸受容体を候補遺伝子とした関連研究が多数行われ、有意な関連を示す[[SNP]]も報告された。
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 Stefanssonらは、110例の患者を含む33家系を用いて連鎖解析を行い、8p12-21にLOD値<ref group="注">'''LOD値''':遺伝子領域が疾患に連鎖している確率の指標で、logarithm of the oddsの略。連鎖解析において、遺伝子間の組み換え推定値を関数として算出される。LOD値が-2より小さいとき、その領域は疾患との連鎖が否定される。3より大きいとき95%の確率で連鎖していると結論づける。</ref>2.53を得た<ref name=ref16><pubmed>12145742</pubmed></ref>)。その領域(5cM)から[[マイクロサテライトマーカー]]を75kb<ref group="注">'''kb, Mb''': ゲノムは塩基の連なりであり、1000塩基対の長さを1Kb(kilo-base),100万塩基対を1Mb (mega-base)と表示する。</ref>間隔で選び、さらに感受性領域を絞り込んだ。その結果、600 kbにわたる2つのハプロタイプが複数の家系で共有されていた。その領域にコードされていた遺伝子が[[ニューレグリン-1]] ([[neuregulin-1]], [[NRG1]])であった<ref name=ref16 />。彼らはNRG1上に同定された181の一塩基置換(single nucleotide polymorphism: SNP)について、394例の患者と478例の対照をタイピングしたが、いくつかのSNPで弱い有意差がみられたものの、どれもアミノ酸置換を伴わないものやスプライスサイトからはずれたものであった。しかし、ハプロタイプ解析では5’端の12のSNPと4つのマイクロサテライトマーカーからなるハプロタイプに有意差が見られ、これを統合失調症のリスクハプロタイプ(オッズ比2.2)であると報告した。
 Stefanssonらは、110例の患者を含む33家系を用いて連鎖解析を行い、8p12-21にLOD値<ref group="注">'''LOD値''':遺伝子領域が疾患に連鎖している確率の指標で、logarithm of the oddsの略。連鎖解析において、遺伝子間の組み換え推定値を関数として算出される。LOD値が-2より小さいとき、その領域は疾患との連鎖が否定される。3より大きいとき95%の確率で連鎖していると結論づける。</ref>2.53を得た<ref name=ref16><pubmed>12145742</pubmed></ref>)。その領域(5cM)から[[マイクロサテライトマーカー]]を75kb<ref group="注">'''kb, Mb''': ゲノムは塩基の連なりであり、1000塩基対の長さを1Kb(kilo-base),100万塩基対を1Mb (mega-base)と表示する。</ref>間隔で選び、さらに感受性領域を絞り込んだ。その結果、600 kbにわたる2つのハプロタイプが複数の家系で共有されていた。その領域にコードされていた遺伝子が[[ニューレグリン-1]] ([[neuregulin-1]], [[NRG1]])であった<ref name=ref16 />。彼らはNRG1上に同定された181の一塩基置換(single nucleotide polymorphism: SNP)について、394例の患者と478例の対照をタイピングしたが、いくつかのSNPで弱い有意差がみられたものの、どれもアミノ酸置換を伴わないものやスプライスサイトからはずれたものであった。しかし、ハプロタイプ解析では5’端の12のSNPと4つのマイクロサテライトマーカーからなるハプロタイプに有意差が見られ、これを統合失調症のリスクハプロタイプ(オッズ比2.2)であると報告した。


 NRG1は、中枢神経を含む多くの臓器で発現しており、胎生期には[[神経移動]] (migration) <ref group="注">'''migration''': [[大脳皮質]]の神経細胞は、[[脳室帯]]という[[脳室]]に面した部位で誕生する。最終分裂を終えた神経細胞は、[[胎生期]]11-17日頃に表層へ向かって移動し皮質に6層構造を形成する。この神経細胞の移動がmigrationである。統合失調症では、migrationの障害を示唆する証拠がかねてから報告されており、神経発達障害仮説の根拠の一部とされている。</ref>に影響を与える。成人の神経系では、NMDA型グルタミン酸受容体を含む神経伝達物質受容体の発現や活性化に影響している<ref name=ref17><pubmed>9414162</pubmed></ref>。Stefanssonらは、さらにNRG1と[[NRG1受容体]]遺伝子である[[Erb4]]の[[ノックアウトマウス]]<ref group="注">'''Erb4の[[ノックアウトマウス]]''':[[マウス]]のNRG1受容体遺伝子にあたるErb4を、遺伝子操作によって発現できなくしたのがノックアウトマウスである。遺伝子は両方の親から一つずつ1対持っているが、両方ともノックアウトしたマウス(ホモ接合体)は生存できず死産してしまうため、片親からの遺伝子のみノックアウトしたマウス(ヘテロ接合体)が実験に用いられた。</ref>のヘテロ接合体を調べ、[[自発運動量]]の亢進やPPIの障害を報告した<ref name=ref16 />。さらに、NRG1のヘテロ接合体ではNMDA型グルタミン酸受容体密度が16%低下していることを確認した。
 NRG1は、中枢神経を含む多くの臓器で発現しており、胎生期には[[神経移動]] (migration) <ref group="注">'''migration''': [[大脳皮質]]の神経細胞は、[[脳室帯]]という[[脳室]]に面した部位で誕生する。最終分裂を終えた神経細胞は、[[胎生期]]11-17日頃に表層へ向かって移動し皮質に6層構造を形成する。この神経細胞の移動がmigrationである。統合失調症では、migrationの障害を示唆する証拠がかねてから報告されており、神経発達障害仮説の根拠の一部とされている。</ref>に影響を与える。成人の神経系では、NMDA型グルタミン酸受容体を含む神経伝達物質受容体の発現や活性化に影響している<ref name=ref17><pubmed>9414162</pubmed></ref>。Stefanssonらは、さらにNRG1と[[NRG1受容体]]遺伝子である[[ErbB4]]の[[ノックアウトマウス]]<ref group="注">'''ErbB4の[[ノックアウトマウス]]''':[[マウス]]のNRG1受容体遺伝子にあたるErb4を、遺伝子操作によって発現できなくしたのがノックアウトマウスである。遺伝子は両方の親から一つずつ1対持っているが、両方ともノックアウトしたマウス(ホモ接合体)は生存できず死産してしまうため、片親からの遺伝子のみノックアウトしたマウス(ヘテロ接合体)が実験に用いられた。</ref>のヘテロ接合体を調べ、[[自発運動量]]の亢進やPPIの障害を報告した<ref name=ref16 />。さらに、NRG1のヘテロ接合体ではNMDA型グルタミン酸受容体密度が16%低下していることを確認した。


=== 染色体6p ===
=== 染色体6p ===

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