「IPS細胞」の版間の差分

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== 初期化因子の探索  ==
== 初期化因子の探索  ==


 上述の背景のもと、山中伸弥博士(当時、奈良先端科学技術大学院大学)はES細胞の分化多能性維持機構の解明を第一の目的とし、ES細胞で特異的に発現する遺伝子群の同定を行った。公共のデータベースを利用したin silicoのスクリーニングによってES細胞特異的な遺伝子群が同定され、ECAT(ES cell associated transcript)と命名された<ref name="ref4"><pubmed> 12787504 </pubmed></ref>。ECATの中にはEsg1/ECAT2/Dppa5やOct4等の既知のES細胞マーカー遺伝子のほか、ECAT1やTdrd12/ECAT8等の新規遺伝子も含まれていた。「ES細胞で特異的に発現している遺伝子≒ES細胞において機能的に重要な遺伝子」との仮説から各ECATのノックアウトや強制発現実験が試みられ、ホメオボックス転写因子であるNanog/ECAT4は多能性ネットワークの構築と維持における中心であること、恒常活性化型Rasタンパク質であるERas/ECAT5は増殖と造腫瘍性を担うこと等が示された。 また、iPS細胞を選択するために最初に利用されたFbx15/ECAT3も、このスクリーニングによって同定された遺伝子の一つである。&nbsp;  
 上述の背景のもと、山中伸弥博士(当時、奈良先端科学技術大学院大学)はES細胞の分化多能性維持機構の解明を第一の目的とし、ES細胞で特異的に発現する遺伝子群の同定を行った。公共のデータベースを利用したin silicoのスクリーニングによってES細胞特異的な遺伝子群が同定され、ECAT(ES cell associated transcript)と命名された<ref name="ref4"><pubmed> 12787504 </pubmed></ref>。ECATの中にはEsg1/ECAT2/Dppa5やOct4等の既知のES細胞マーカー遺伝子のほか、ECAT1やTdrd12/ECAT8等の新規遺伝子も含まれていた。「ES細胞で特異的に発現している遺伝子≒ES細胞において機能的に重要な遺伝子」との仮説から各ECATのノックアウトや強制発現実験が試みられ、ホメオボックス転写因子であるNanog/ECAT4は多能性ネットワークの構築と維持における中心であること、恒常活性化型Rasタンパク質であるERas/ECAT5は増殖と造腫瘍性を担うこと等が示された。 また、iPS細胞を選択するために最初に利用されたFbx15/ECAT3も、このスクリーニングによって同定された遺伝子の一つである。&nbsp;  


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== iPS細胞の利点  ==
== iPS細胞の利点  ==


 iPS細胞に先んじてSCNTやES細胞培養が確立されていたにも関わらずヒトiPS細胞の作成が求められた背景には、ヒト初期胚の研究利用をとりまく様々な課題や制限の存在があった。まず、ヒトES細胞の樹立には「生命の萌芽」と位置付けられるヒト受精卵の破壊が伴うことから、倫理的な問題となっていた。また、細胞移植治療への応用を鑑みた際、ES細胞はレシピエントとは他人の細胞であることから、そのままでは免疫拒絶反応が惹起されてしまう。一方、SCNT研究の場面においては、ヒト卵の入手と使用に関わる数的・倫理的制限に加えて胚操作上の技術的困難が挙げられた。これに対し、iPS細胞は初期胚ではなく体細胞起源であることから、ヒト胚の利用に関する倫理的問題の範疇には当てはまらず、細胞ソースの調達における数的制限もない。また、技術的にも非常に容易である。さらに、ES細胞が未だ樹立されていない動物種のiPS細胞も樹立可能であることから、母体への侵襲や胚操作の実施が難しい動物種からでも多能性幹細胞が得られる利点も大きい。基礎生物学的な観点からみると、特定の起源細胞と初期化因子を出発点に研究を開始することができることから、iPS細胞誘導は体細胞初期化の分子機構を解明するためのシステムとして簡便かつ強力な実験系であるといえる。
 iPS細胞に先んじてSCNTやES細胞培養が確立されていたにも関わらずヒトiPS細胞の作成が求められた背景には、ヒト初期胚の研究利用をとりまく様々な課題や制限の存在があった。まず、ヒトES細胞の樹立には「生命の萌芽」と位置付けられるヒト受精卵の破壊が伴うことから、倫理的な問題となっていた。また、細胞移植治療への応用を鑑みた際、ES細胞はレシピエントとは他人の細胞であることから、そのままでは免疫拒絶反応が惹起されてしまう。一方、SCNT研究の場面においては、ヒト卵の入手と使用に関わる数的・倫理的制限に加えて胚操作上の技術的困難が挙げられた。これに対し、体細胞起源であるiPS細胞はヒト胚の利用に関する倫理的問題には該当せず、細胞ソースの調達における数的制限もない。また、技術的にも非常に容易であることに加え、母体への侵襲や胚操作の実施が困難な動物種にも適用できる利点も大きい。さらに、基礎生物学的な観点からみると、特定の起源細胞と因子を出発点に体細胞初期化についてアプローチできることから、iPS細胞の誘導は初期化をもたらす分子機構を解明するための強力かつ簡便な実験系であるといえる。


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== 細胞種  ==
== 細胞種  ==


 最初のマウスiPS細胞の樹立には胎仔の繊維芽細胞および成体の尾繊維芽細胞が、最初のヒトiPS細胞の樹立には胎児、新生児、成人の繊維芽細胞が用いられた。その後、胃上皮細胞、肝実質細胞、ケラチノサイト、毛乳頭細胞、色素細胞、血管内皮細胞、血液細胞、羊膜細胞、神経幹細胞、歯髄幹細胞、脂肪幹細胞、間葉系幹細胞等からの樹立が相次いで報告されている。
 最初のマウスiPS細胞の樹立には胎仔の繊維芽細胞および成体の尾繊維芽細胞が、最初のヒトiPS細胞の樹立には胎児、新生児、成人の繊維芽細胞が用いられた。その後、胃上皮細胞、肝実質細胞、ケラチノサイト、毛乳頭細胞、色素細胞、血管内皮細胞、血液細胞、羊膜細胞、神経幹細胞、歯髄幹細胞、脂肪幹細胞、間葉系幹細胞等、多様な細胞種からの樹立が相次いで報告されている。


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== 遺伝子導入方法  ==
== 遺伝子導入方法  ==


 当初、遺伝子導入のベクターとしてはレトロウイルスやレンチウイルスが利用された。しかし、どちらのウイルスも導入細胞のゲノムDNAに組み込まれることから、挿入変異や近傍の遺伝子の発現に及ぼす影響といった予期しない異常が生じる危険性を包含している。また、レトロウイルスベクターは多能性幹細胞において強力なサイレンシングを受けるが、初期化レベルが低いiPS細胞では発現が持続していることや、分化後においても導入遺伝子の活性化が起こりうることから、腫瘍形成等のリスクが伴う。そこで、iPS細胞樹立後に導入遺伝子を除去する手法として、Cre-loxPシステムの利用やトランスポゾンの特性を利用したピギーバック(piggyBac)が開発された。一方、はじめからゲノムに組み込まれないベクターとして、アデノウイルスやセンダイウイルス、プラスミドDNAを用いた誘導法も利用されている。さらに、ベクターを介さずに直接、組換えタンパク質や合成RNA、miRNAを導入してiPS細胞を作成する方法についても報告がなされている。
 当初、遺伝子導入のベクターとしてレトロウイルスやレンチウイルスが利用された。しかし、どちらのウイルスも導入細胞のゲノムDNAに組み込まれることから、挿入変異や近傍の遺伝子の発現に及ぼす影響等、予期しない異常が生じる危険性を包含している。また、レトロウイルスベクターは通常、多能性幹細胞において強力な発現抑制(サイレンシング)を受けるが、初期化レベルが低いiPS細胞では発現が持続していることや分化後も導入遺伝子の活性化が起こりうることから、細胞移植への応用には腫瘍形成といったリスクが伴う。そこで、iPS細胞樹立後に導入遺伝子を除去する手法として、Cre-loxPシステムの利用やトランスポゾンの特性を利用したピギーバック(piggyBac)が開発された。一方、そもそもゲノムに組み込まれないベクターとして、アデノウイルスやセンダイウイルス、プラスミドDNAを用いた誘導法も利用されている。さらに、ベクターを介さずに直接、組換えタンパク質や合成RNA、miRNAを導入するiPS細胞の作成についても報告がなされている。


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== iPS細胞を誘導する因子  ==
== iPS細胞を誘導する因子  ==


 前述の通り、最初のiPS細胞はOct4、Sox2、Klf4、c-Mycの4種類の遺伝子(山中4因子)を導入することによって作成されたが、間もなく、誘導効率は低下するもののc-Mycを除いたOct4、Sox2、Klf4のみ(山中3因子)によってもiPS細胞が樹立可能であることが示された。ヒトの場合もマウスと同じ遺伝子セットでiPS細胞の誘導が可能であるが<ref name="ref2" />、山中博士らとほぼ同時にヒトiPS細胞について報告したJames Thomson博士らはOCT4、SOX2、NANOG、LIN28の組合せを用いている<ref name="ref3" />。最も広範に用いられている遺伝子セットはプロトタイプである山中4因子であるが、神経幹細胞の場合はOct4単独の導入によってiPS細胞が誘導しうるように、細胞種によっては少ない因子・異なる組合せでのiPS細胞誘導も可能である。iPS細胞の誘導効率や初期化レベルを向上させる要素として、Esrrb、Nr5a2、Tbx3、L-Myc、Glis1等の因子やmiRNA-290クラスターの導入、Ink4/Arf、p53、p21、Baxの抑制が報告されている。
 前述の通り、最初のiPS細胞はOct4、Sox2、Klf4、c-Mycの4種類の遺伝子(山中4因子)を導入することによって作成されたが、間もなく、誘導効率は低下するもののc-Mycを除いたOct4、Sox2、Klf4のみ(山中3因子)によってもiPS細胞が樹立できることが示された。ヒトの場合もマウスと同じ遺伝子セットでiPS細胞の誘導が可能であるが<ref name="ref2" />、山中博士らとほぼ同時にヒトiPS細胞について報告したJames Thomson博士らはOCT4、SOX2、NANOG、LIN28の組合せを用いている<ref name="ref3" />。最も広く用いられている遺伝子セットはプロトタイプである山中4因子であるが、神経幹細胞の場合はOct4単独の導入によってiPS細胞が誘導しうるように、細胞種によっては少ない因子・異なる組合せでのiPS細胞誘導も可能である。また、iPS細胞の誘導効率や初期化レベルを向上させる要素として、Esrrb、Nr5a2、Tbx3、L-Myc、Glis1等の因子やmiRNA-290クラスターの導入、Ink4/Arf、p53、p21、Baxの抑制等が報告されている。一方、遺伝子導入ではなく低分子化合物を併用したiPS細胞誘導についても多数の報告がある。ES細胞の自己複製を亢進・維持する低分子化合物としてFGF受容体阻害剤(SU5402)、MEK阻害剤(PD1843352またはPD0325901)、GSK3阻害剤(CHIR99021)が知られており、3種の混合は「3i」、後者2種の混合は「2i」と俗称される。これらの阻害剤やTGFβ受容体阻害剤(SB431542)の添加によって。また、エピジェネティック変化を促す化合物として、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤(バルプロ酸や酪酸)、G9a阻害剤(BIX01294)、DNAメチル化阻害剤(5-アザシチジンやRG108)等がiPS細胞誘導を促進するとの報告例もある。
 
 一方、遺伝子導入ではなく低分子化合物を併用したiPS細胞誘導についても多数の報告がある。ES細胞の自己複製を亢進・維持する低分子化合物としてFGF受容体阻害剤(SU5402)、MEK阻害剤(PD1843352またはPD0325901)、GSK3阻害剤(CHIR99021)が知られており、3種の混合は「3i」、後者2種の混合は「2i」と俗称される。これらの阻害剤やTGFβ受容体阻害剤(SB431542)の添加によって。また、エピジェネティック変化を促すものとして、ヒストン脱アセチル化酵素阻害剤(バルプロ酸や酪酸)、G9a阻害剤(BIX01294)、DNAメチル化阻害剤(5-アザシチジンやRG108)等の効果についても。


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== iPS細胞の安全性  ==
== iPS細胞の安全性  ==


 ヒトiPS細胞の移植医療への応用を目指すに際し、品質管理と安全性の確保は急務かつ重要事項である。実際、iPS細胞の治療応用には克服すべき様々な懸念材料がある。ヒトES細胞と共通のリスクとして、移植の際に残存する未分化細胞、とりわけ「分化抵抗性」細胞に起因するテラトーマ形成がある。慶應義塾大学の三浦恭子博士らは、様々なマウスiPS細胞から分化誘導した神経幹細胞(Neurosphere)を免疫不全マウス成体脳へと移植し、腫瘍形成の有無について検証を行った<ref><pubmed> 19590502 </pubmed></ref>。その結果、iPS細胞由来の神経幹細胞移植における造腫瘍性は、iPS細胞樹立過程におけるc-Mycの導入や薬剤選択の有無ではなく、樹立されたiPS細胞の起源と相関(胎仔由来では低頻度、成体由来では高頻度)することを明らかにしている。また、iPS細胞特有のリスクとして初期化不全や導入因子による影響も考えられる。c-Mycを導入したiPS細胞は、キメラマウスおよびその子孫において高頻度にがんを誘発した。また、原因は不明であるが、成体の肝実質細胞由来のiPS細胞から作出したキメラマウスは周産期の死亡率が高いということも報告されている。  
 ヒトiPS細胞の移植医療への応用に際し、安全性の確保と品質管理は急務かつ重要事項である。実際、iPS細胞の治療応用には克服すべき様々な懸念材料がある。ヒトES細胞と共通のリスクとして、移植の際に残存する未分化細胞、とりわけ「分化抵抗性」細胞に起因するテラトーマ形成がある。慶應義塾大学の三浦恭子博士らは、様々なマウスiPS細胞から分化誘導した神経幹細胞(Neurosphere)を免疫不全マウス成体脳へと移植し、腫瘍形成の有無について検証を行った<ref><pubmed> 19590502 </pubmed></ref>。その結果、iPS細胞由来の神経幹細胞移植における造腫瘍性は、iPS細胞樹立過程におけるc-Mycの導入や薬剤選択の有無ではなく、樹立されたiPS細胞の起源と相関(胎仔由来では低頻度、成体由来では高頻度)することを明らかにしている。また、iPS細胞特有のリスクとして初期化不全や導入因子による影響も考えられる。c-Mycを導入したiPS細胞は、キメラマウスおよびその子孫において高頻度にがんを誘発した。また、原因は不明であるが、成体の肝実質細胞由来のiPS細胞から作出したキメラマウスは周産期の死亡率が高いということも報告されている。  


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同義語:人工多能性幹細胞、iPS細胞  
同義語:人工多能性幹細胞、iPS細胞  


関連用語:ES細胞、胚性幹細胞、分化多能性、ダイレクトリプログラミング
関連用語:ES細胞、胚性幹細胞、分化多能性、初期化、ダイレクトリプログラミング


(執筆者:今村公紀、中島龍介、岡野栄之、担当編集委員:岡野栄之)
(執筆者:今村公紀、中島龍介、岡野栄之、担当編集委員:岡野栄之)
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