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=== PDの典型例 === | === PDの典型例 === | ||
[[Image:図1:パニック障害の典型例. | [[Image:図1:パニック障害の典型例.jpg|thumb|300px|'''図1.パニック障害の典型例''']] | ||
図1にPDの典型例を示す。その主な病像は、まず、動悸、窒息感、発汗、めまい、手足のしびれ感等の身体症状、そして死の恐怖やコントロール不能感に代表される精神症状が、何の前触れもなく、急に襲ってくる不安発作(=パニック発作、Panic Attack: PA)である。そのため、多くの患者は「これはきっと体の病気に違いない」と思い込み、救急外来を受診する。また、PAは、“青天の霹靂”と言われるように、全く突然に生じ、症状は急速に出現し、その強さのピークは10分以内である。通常、20から30分で発作は消失するが、患者は「1時間くらいは症状が続いた」と訴えることが多い。これは発作後もしびれ感等は少し残ることや発作が起こったことによる不安によって身体症状(軽い、頻脈や呼吸困難感等)が生じているからかもしれない。 | 図1にPDの典型例を示す。その主な病像は、まず、動悸、窒息感、発汗、めまい、手足のしびれ感等の身体症状、そして死の恐怖やコントロール不能感に代表される精神症状が、何の前触れもなく、急に襲ってくる不安発作(=パニック発作、Panic Attack: PA)である。そのため、多くの患者は「これはきっと体の病気に違いない」と思い込み、救急外来を受診する。また、PAは、“青天の霹靂”と言われるように、全く突然に生じ、症状は急速に出現し、その強さのピークは10分以内である。通常、20から30分で発作は消失するが、患者は「1時間くらいは症状が続いた」と訴えることが多い。これは発作後もしびれ感等は少し残ることや発作が起こったことによる不安によって身体症状(軽い、頻脈や呼吸困難感等)が生じているからかもしれない。 | ||
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=== PDの病名の変遷 === | === PDの病名の変遷 === | ||
図2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後精神疾患との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、フロイドの「不安神経症」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name=ref1>American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは三還系抗うつ薬(Tricyclic antidepressant:TCA)であるimipramineがPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“) | 図2に示したように、「パニック障害」という病名そのものは新しいものであるが、実は、同様の症状を呈する疾患の記述は19世紀まで遡る。当初は内科医の報告ばかりであるが、その後精神疾患との解釈がなされ、様々な病名がつけられた。有名なところでは、フロイドの「不安神経症」もPDを含む概念である。図をみるとわかるように、特に、戦時中にPAを呈する兵士が続発したことから、戦時中に数々の病名が生まれた経緯がある。そして、1980年になり、PDが本格的に世に出たわけであるが<ref name=ref1>American Psychiatric Association: Quick Reference to the Diagnostic Criteria form DSM-Ⅲ<br>''American Psychiatric Association, Washington D.C.,''1980<br>(高橋三郎,花田耕一,藤縄昭訳.DSM-Ⅲ精神障害の分類と診断の手引.医学書院,東京,1982)</ref>、それは、1960年代に出された2つの論文によるところが大きい。つまり、まず1964年にKleinは三還系抗うつ薬(Tricyclic antidepressant:TCA)であるimipramineがPAを抑制したと報告した<ref><pubmed>14194683</pubmed></ref>。そしてその3年後の1967年には、PittsとMcClureによって、PD患者(当時は、“不安神経症“)では乳酸静注によってPAが生じるが、正常者ではそのようなことは起こらないことがわかったのである<ref><pubmed>6081131</pubmed></ref>。したがって、PDは、フロイドが言うように内的不安が蓄積・爆発して生じるのではなく、生物学的な異常を基礎として生じているものであり、不安神経症とは独立した疾患概念であるとの見解に至った。 | ||
== PDの病態仮説<ref name=ref15>'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011. == | == PDの病態仮説<ref name=ref15>'''塩入俊樹'''<br>パニック障害の生物学的病態:Stress-induced fear circuitry disordersの概念から.<br>''Bulletin of Depression and Anxiety disorders'' 8:6-8, 2011.</ref> == | ||
動物は、危険を予測する学習によって自らを様々な害から守り、生命を維持することが可能である。不安は、おそらく危険信号への反応として発生したものが、長い進化の歴史の結果、危険を回避するという一連の反応傾向を形成するに至ったと考えられる<ref name=ref16>'''Darwin C'''<br>The Expression of Emotion in Man and Animals<br>Chicago University Press, Chicago,1965/1872.16)</ref> | 動物は、危険を予測する学習によって自らを様々な害から守り、生命を維持することが可能である。不安は、おそらく危険信号への反応として発生したものが、長い進化の歴史の結果、危険を回避するという一連の反応傾向を形成するに至ったと考えられる<ref name=ref16>'''Darwin C'''<br>The Expression of Emotion in Man and Animals<br>Chicago University Press, Chicago,1965/1872.16)</ref>。そして発達段階において適応性が向上するにつれ、様々な恐怖反応が出現したものと思われる。つまり、不安‐回避の連鎖である。もちろん、より複雑で高等なヒトでは条件反応に感情、認知、運動の要素が絡んで不安反応となる。不安障害は、進化に基づく誤警報により概念化が可能と言われている<ref name=ref17>'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。PDでは、進化論的起源が窒息警報とされているが<ref><pubmed>8466392</pubmed></ref>、その生物学的病態について、“Stress-induced fear circuitry disorders”という概念を通じて、述べる。 | ||
=== Stress-induced fear circuitry disorders(SIFCD)とは === | === Stress-induced fear circuitry disorders(SIFCD)とは === | ||
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図4は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や前部帯状回や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込み、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じる。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑性)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまう。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない前頭前野あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図5、参照)。 | 図4は、今まで述べてきた、“stress-induced fear circuit”の模式図である。先ほどから述べているように、感覚情報、例えばPD患者であればパニック発作時の動悸や発汗、息切れ等の身体感覚、SADであれば“人前でのスピーチ(public speaking)”の最中の緊張状態における身体感覚が、まず視床に入る。そして前述した2つのパターンで、一部はすぐに扁桃体に伝わり、他方は海馬や前部帯状回や前部帯状回を通り高次機能での分析が行われてから、扁桃体に投射する。この経路(青の点線)は抑制系なので、視床からの入力(=アクセル)によって扁桃体が過活動状態になるのにブレーキをかける。その結果、アクセルとブレーキの兼ね合いで扁桃体中心核から出力系が調整されるが、不安障害ではブレーキの効きが悪いために、前述したような視床下部、青斑核(LC)、結合腕傍核といった脳部位を病的に活性化してしまい、様々な身体症状(心拍数の増加、血圧上昇、過呼吸等)を出現させる。そしてまたこの身体症状を新たな感覚情報として取り込み、再びこの神経回路が働いてしまうという、負のスパイラルが生じる。そうなると、意識に調節(=前頭前野等の高次機能による抑性)はできなくなり、どんどん悪い方向へ向かってしまう。このように“stress-induced fear circuitry disorders”というのは、扁桃体が病的に過活動になってしまう、そして本来それを抑制しなければならない前頭前野あるいは前部帯状回等の機能が低下している病気、と言えるかもしれない(図5、参照)。 | ||
また、背側縫線核(DRN)から起こるセロトニン神経系の投射は、一般にLCを抑制するのに対し、LCから起こる投射はDRNのセロトニンニューロンを刺激し、正中縫線核ニューロンを抑制する。さらに、DRNからの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、ノルアドレナリンの活性低下、コルチコトロピン放出因子の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name=ref17> | また、背側縫線核(DRN)から起こるセロトニン神経系の投射は、一般にLCを抑制するのに対し、LCから起こる投射はDRNのセロトニンニューロンを刺激し、正中縫線核ニューロンを抑制する。さらに、DRNからの投射は、前頭前野、扁桃体、視床下部、中脳水道周囲灰白質等へ伸びている。そのため、セロトニン神経系を調節することによって、「恐怖条件づけ」の神経回路の主要な領域に影響を与えられる可能性があり、ノルアドレナリンの活性低下、コルチコトロピン放出因子の放出低下、防衛と逃避行動の修正等が可能となる<ref name=ref17>'''Stein D J'''<br>Cognitive-Affective Neuroscience of Depression and Anxiety Disorders<br>Martin Dunitz, London, 2003.<br>(田島治,荒井まゆみ訳:不安とうつの脳と心のメカニズム:感情と認知のニューロサイエンス,星和書店,東京,2007)</ref>。また、前頭前野(あるいは前部帯状回)の働きにより恐怖条件づけが消去されることがわかっている<ref><pubmed>18668096</pubmed></ref>。これは認知行動療法(CBT)による治療の際に行われているものと推定されている(図5、参照)。 | ||
== PDの治療 == | == PDの治療 == | ||
2009年に改定されたアメリカ精神医学会(American Psychiatric Association:APA) | 2009年に改定されたアメリカ精神医学会(American Psychiatric Association:APA)の治療ガイドライン<ref name=ref21>American Psychiatric Association:Practice guideline for the treatment of patient with panic disorder. Second Edition, 2009. //www.psychiatryonline.com/pracGuide/pracGuideChapToc_9.aspx AmJ.Psychiatry,155[suppl.5]</ref>を始め、世界生物学的医学会(2002)<ref name=ref22><pubmed>12516310</pubmed></ref>、オーストラリア・ニュージーランドの精神医学会ガイドライン(2003)<ref name=ref23><pubmed>14636376</pubmed></ref>、イギリス精神薬理学会(British Association for Psychopharmacology:BAP)(2005)<ref name=ref24><pubmed>16272179</pubmed></ref>等、PDに関する各国の主な治療ガイドラインでは、薬物療法とCBTのいずれも有効で、両者とも治療の第一選択として挙げられている。CBTのメリットとしては、薬物療法に比し再発率が低いことであるが<ref><pubmed>17253502</pubmed></ref>、そもそも我が国ではうつ病以外CBTの保険適応がないこと、そのためコスト面での問題があること、さらに現時点では習熟した治療者が不足していること等、実臨床として本格的にCBTを活用するには、残念ながら課題は山積していると言わざるを得ない。一方、薬物療法については、その概念の確立時期よりすでに有効性が示されており、現在も治療の中心的な役割を担っている。以下に、薬物療法について少し述べる。 | ||
=== 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI) === | === 選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective serotonin reuptake inhibitor:SSRI) === |