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<font size="+1">[https://researchmap.jp/yyz 荒木 功人]</font><br> | |||
''岩手大学 農学部''<br> | |||
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2025年6月23日 原稿完成日:2025年9月26日<br> | |||
担当編集委員:[https://researchmap.jp/yamagatm 山形 方人](ハーバード大学・脳科学センター)<br> | |||
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英略称:En | |||
{{box|text= Engrailed(En)遺伝子は、動物界で広く見られるホメオドメインタンパク質Enをコードする。Enは、転写因子としての機能を持つほか、古典的なシグナルペプチドを持たないにも拘わらずその一部は細胞外に分泌され、更に細胞外から他の細胞内へ移行できるという細胞間シグナル分子としての性質も有する。加えて、eIF4Eに結合し翻訳を促進するという翻訳調節因子としての側面も持つ。脊椎動物は、Engrailed-1(En1)およびEngrailed-2(En2)の2つのパラログを有しており、これらは中脳—後脳境界の形成、小脳および中脳の発生、神経回路の構築、神経細胞の分化や生存維持において重要な役割を果たす。EN2は自閉スペクトラム症(ASD)との関連が示されている一方、En1ヘテロ接合性マウスはパーキンソン病に特徴的なドーパミンニューロン減少と運動制御異常を示す。}} | {{box|text= Engrailed(En)遺伝子は、動物界で広く見られるホメオドメインタンパク質Enをコードする。Enは、転写因子としての機能を持つほか、古典的なシグナルペプチドを持たないにも拘わらずその一部は細胞外に分泌され、更に細胞外から他の細胞内へ移行できるという細胞間シグナル分子としての性質も有する。加えて、eIF4Eに結合し翻訳を促進するという翻訳調節因子としての側面も持つ。脊椎動物は、Engrailed-1(En1)およびEngrailed-2(En2)の2つのパラログを有しており、これらは中脳—後脳境界の形成、小脳および中脳の発生、神経回路の構築、神経細胞の分化や生存維持において重要な役割を果たす。EN2は自閉スペクトラム症(ASD)との関連が示されている一方、En1ヘテロ接合性マウスはパーキンソン病に特徴的なドーパミンニューロン減少と運動制御異常を示す。}} | ||
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=== 遺伝子およびmRNA === | === 遺伝子およびmRNA === | ||
代表的な脊椎動物種のEn1およびEn2の多くは、2つのエキソンと1つのイントロンから成る<ref name=Logan1992><pubmed>1363401</pubmed></ref>[16]。 | 代表的な脊椎動物種のEn1およびEn2の多くは、2つのエキソンと1つのイントロンから成る<ref name=Logan1992><pubmed>1363401</pubmed></ref>[16]。 | ||
En1 mRNAの3'UTRには細胞質ポリアデニル化配列(CPE)が存在することから、その樹状突起への局在はCPE結合タンパク質により調節される可能性がある<ref name=DiNardo2007><pubmed>17399993</pubmed></ref>[17]。in vitroにおけるEn1 mRNAの翻訳は、ポリアデニル化に依存して脱分極により増加し、この翻訳はラパマイシンにより阻害される。またEn2はmiR-212の標的である<ref name=Zhou2017><pubmed>28713997</pubmed></ref>[18]。 | En1 mRNAの3'UTRには細胞質ポリアデニル化配列(CPE)が存在することから、その樹状突起への局在はCPE結合タンパク質により調節される可能性がある<ref name=DiNardo2007><pubmed>17399993</pubmed></ref>[17]。in vitroにおけるEn1 mRNAの翻訳は、ポリアデニル化に依存して脱分極により増加し、この翻訳はラパマイシンにより阻害される。またEn2はmiR-212の標的である<ref name=Zhou2017><pubmed>28713997</pubmed></ref>[18]。 | ||
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=== 中脳後脳関連遺伝子間の初期胚における発現相互依存性 === | === 中脳後脳関連遺伝子間の初期胚における発現相互依存性 === | ||
脊椎動物初期胚の中脳後脳領域においてEn1と相前後して発現を開始し、協調して中脳、後脳の発生に関わる遺伝子として、Wnt1、Pax2、Fgf8が存在する。初期胚の脳において、Wnt1、Pax2、Fgf8の異所的発現あるいは機能喪失は、En1の発現の変化を引き起こす<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Reifers1998><pubmed>9609821</pubmed></ref>[56]<ref name=Lun1998><pubmed>9671579</pubmed></ref>[57]<ref name= | 脊椎動物初期胚の中脳後脳領域においてEn1と相前後して発現を開始し、協調して中脳、後脳の発生に関わる遺伝子として、Wnt1、Pax2、Fgf8が存在する。初期胚の脳において、Wnt1、Pax2、Fgf8の異所的発現あるいは機能喪失は、En1の発現の変化を引き起こす<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Reifers1998><pubmed>9609821</pubmed></ref>[56]<ref name=Lun1998><pubmed>9671579</pubmed></ref>[57]<ref name=McMahon1992><pubmed>1534034</pubmed></ref>[62]<ref name=Danielian1996><pubmed>8848044</pubmed></ref>[63]<ref name=Lekven2003><pubmed>12591239</pubmed></ref>[64]<ref name=Ye2001><pubmed>11704761</pubmed></ref>[65]<ref name=Ye1998><pubmed>9630220</pubmed></ref>[66]<ref name=Liu1999><pubmed>10518499</pubmed></ref>[67]<ref name=Liu2003><pubmed>14602678</pubmed></ref>[68]。同様にEn1の異所的発現あるいは機能喪失は、Wnt1、Pax2、Fgf8の発現の変化を引き起こす<ref name=Logan1996><pubmed>8805331</pubmed></ref>[22]<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Ye2001><pubmed>11704761</pubmed></ref>[65]<ref name=Liu2001><pubmed>11124114</pubmed></ref>[69]<ref name=Picker2002><pubmed>12070097</pubmed></ref>[70]。したがって、初期胚の中脳・後脳領域において、En1、Wnt1、Pax2、Fgf8は互いの発現維持に相互依存している。一方で、それぞれの発現開始には関与しないことが示されている<ref name=McMahon1992><pubmed>1534034</pubmed></ref>[62]<ref name=Ye2001><pubmed>11704761</pubmed></ref>[65]<ref name=Liu2001><pubmed>11124114</pubmed></ref>[69]<ref name=Chi2003><pubmed>12736208</pubmed></ref>[71]。ニワトリでは脊索で発現するFgf4が中脳後脳領域におけるEn1の発現を誘導することが提唱されているが、マウスやゼブラフィッシュの脊索におけるFgf4の発現は報告されていない<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Rhinn2001><pubmed>11179870</pubmed></ref>[58])。 | ||
Wnt1、Pax2、Fgf8はEn2 mRNAおよびEn2タンパク質の発現維持にも関与する<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Reifers1998><pubmed>9609821</pubmed></ref>[56]<ref name= | Wnt1、Pax2、Fgf8はEn2 mRNAおよびEn2タンパク質の発現維持にも関与する<ref name=Shamim1999><pubmed>9927596</pubmed></ref>[55]<ref name=Reifers1998><pubmed>9609821</pubmed></ref>[56]<ref name=Liu1999><pubmed>10518499</pubmed></ref>[67]<ref name=Sugiyama1998><pubmed>9572358</pubmed></ref>[72]<ref name=Okafuji1999><pubmed>10446345</pubmed></ref>[73]<ref name=Crossley1996><pubmed>8598907</pubmed></ref>[74]<ref name=Shimamura1997><pubmed>9226442</pubmed></ref>[75]<ref name=Sato2001><pubmed>11493563</pubmed></ref>[76]。また、Wnt1およびPax2ノックアウトマウスではEn2が発現しないことが、Pax2変異ゼブラフィッシュではEn1が発現しないことが報告されており、これはEn2(ゼブラフィッシュの場合はEn1)の発現開始がそれらの遺伝子に依存することを示唆する<ref name=Lun1998><pubmed>9671579</pubmed></ref>[57]<ref name=McMahon1992><pubmed>1534034</pubmed></ref>[62]<ref name=Schwarz1999><pubmed>10354469</pubmed></ref>[77]。 | ||
なお、EnによるWnt1、Pax2、Fgf8の誘導や、Fgf8によるEnの誘導は間接的であると考えられている<ref name=Logan1996><pubmed>8805331</pubmed></ref>[22]<ref name= | なお、EnによるWnt1、Pax2、Fgf8の誘導や、Fgf8によるEnの誘導は間接的であると考えられている<ref name=Logan1996><pubmed>8805331</pubmed></ref>[22]<ref name=Liu2003><pubmed>14602678</pubmed></ref>[68]。 | ||
=== 中期発生以降の神経系における発現 === | === 中期発生以降の神経系における発現 === | ||
発生初期の脳の領域化以降も、主として中脳や小脳においてEnの発現が見られる。マウスにおいて、En1およびEn2がmDAニューロンにおいて、またEn1が上オリーブ核のグリシン作動性、コリン作動性およびGABA作動性ニューロンにおいて、胚発生期から成体まで発現する<ref name=Simon2001><pubmed> | 発生初期の脳の領域化以降も、主として中脳や小脳においてEnの発現が見られる。マウスにおいて、En1およびEn2がmDAニューロンにおいて、またEn1が上オリーブ核のグリシン作動性、コリン作動性およびGABA作動性ニューロンにおいて、胚発生期から成体まで発現する<ref name=Simon2001><pubmed>11312297</pubmed></ref>[78]<ref name=Altieri2015><pubmed>26542008</pubmed></ref>[79]。また、縫線核ではEn1およびEn2が5-HTニューロンで胚発生期に発現し、En1の発現は出生後も継続する<ref name=Fox2012><pubmed>22674259</pubmed></ref>[80]。胚発生15.5日目(E15.5)〜出生後0日目(P0)のマウス胚小脳では、苔状線維と登上線維の神経支配と合致したEn2の縞状の発現が見られる<ref name=Millen1995><pubmed>8575294</pubmed></ref>[81]。 | ||
マウス海馬ではE16以降、En1およびEn2が低レベルで発現し、シナプス形成が盛んに起こる出生時および生後1週間の間に、En2の発現は激減する<ref name= | マウス海馬ではE16以降、En1およびEn2が低レベルで発現し、シナプス形成が盛んに起こる出生時および生後1週間の間に、En2の発現は激減する<ref name=Soltani2017><pubmed>28809922</pubmed></ref>[82]。 | ||
ニワトリでは、孵卵開始10日目の中脳視蓋において浅灰白線維層(SGFS)のg〜j層と脳室帯でEn2の発現が見られ、特にSGFS のi層で発現が高い<ref name= | ニワトリでは、孵卵開始10日目の中脳視蓋において浅灰白線維層(SGFS)のg〜j層と脳室帯でEn2の発現が見られ、特にSGFS のi層で発現が高い<ref name=Omi2014><pubmed>24803658</pubmed></ref>[83]。また、この時期でも中脳視蓋後方から前方にかけての発現勾配が見られる。 | ||
== 機能 == | == 機能 == | ||
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=== 中脳および後脳の初期発生 === | === 中脳および後脳の初期発生 === | ||
初期胚において、En1とEn2は、中脳後脳境界(MHB)オーガナイザーの維持や、中脳間脳境界(DMB)の確立と維持を通じて、発生中の脳の領域化に寄与する<ref name=Joyner1991><pubmed>1672471</pubmed></ref>[15]<ref name= | 初期胚において、En1とEn2は、中脳後脳境界(MHB)オーガナイザーの維持や、中脳間脳境界(DMB)の確立と維持を通じて、発生中の脳の領域化に寄与する<ref name=Joyner1991><pubmed>1672471</pubmed></ref>[15]<ref name=Araki1999><pubmed>10529429</pubmed></ref>[22]<ref name=Wurst1994><pubmed>7925010</pubmed></ref>[89]<ref name=Joyner1996><pubmed>8741855</pubmed></ref>[90]<ref name=Matsunaga2000><pubmed>10804178</pubmed></ref>[91]<ref name=Scholpp2003><pubmed>12917294</pubmed></ref>[92]。脳の領域化においてEnは専ら転写因子として機能し、細胞間シグナル分子としての役割は小さい、とする報告がある一方<ref name=Lesaffre2007><pubmed>17229313</pubmed></ref>[93]、DMBの確立にはEnが分泌されることが必要であることも示されている<ref name=Rampon2015><pubmed>25926358</pubmed></ref>[26]。また、DMBとMHBの確立にはPbxとの協調も必要である<ref name=Erickson2007><pubmed>16959235</pubmed></ref>[25]。前述の通り、En1とEn2は機能的に冗長ではあるが<ref name=Hanks1998><pubmed>9778510</pubmed></ref>[12]、En1は小脳と上丘の発生にE9より前のみ必要であり<ref name=Sgaier2007><pubmed>17537797</pubmed></ref>[14]、En1の欠失によりE9.5までにMHB近傍で細胞死が増加する(Chi et al., 2003)。一方で、En1は下丘の、En2は小脳の発生において、より長期にわたり機能が要求される<ref name=Sgaier2007><pubmed>17537797</pubmed></ref>[14]。さらに、脳の領域化後においても、Enは中脳後脳領域内での勾配的または局所的な発現を通じて、領域内のパターン形成に寄与する。この機能は、神経回路形成、特定のニューロンの発生、および中脳後脳内における微細構造の形成に関与する<ref name=Logan1996><pubmed>8805331</pubmed></ref>[50]<ref name=Itasaki1991><pubmed>1811932</pubmed></ref>[59]<ref name=Millen1995><pubmed>8575294</pubmed></ref>[81]<ref name=Omi2014><pubmed>24803658</pubmed></ref>[83]。 | ||
=== 神経回路形成 === | === 神経回路形成 === | ||