16,039
回編集
細編集の要約なし |
細編集の要約なし |
||
15行目: | 15行目: | ||
この二つの流れの中で、[[wikipedia:JA:自己決定権|自己決定権]](とそれに基づく[[wikipedia:JA:インフォームド・コンセント|インフォームド・コンセント]])が生命倫理の重要な概念として定着していく。 | この二つの流れの中で、[[wikipedia:JA:自己決定権|自己決定権]](とそれに基づく[[wikipedia:JA:インフォームド・コンセント|インフォームド・コンセント]])が生命倫理の重要な概念として定着していく。 | ||
さらに、医学及び医療技術の進歩も生命倫理という分野の台頭に大きな役割を果たしていく。かつては、多くの場合、生命をできるだけ長く伸ばすことが医療の目的だったと言って過言ではない。平均余命が短かったのである。しかし、医学や医療技術の大きな進歩が状況を変えていく。検査器具や検査技術の発達、新しい[[wikipedia:JA:薬|薬]]や新しい[[wikipedia:JA:手術|手術]]の開発、新しい[[wikipedia:JA:治療法|治療法]]の開発、[[wikipedia:JA:遺伝子|遺伝子]]関連技術の発達、[[wikipedia:JA:臓器移植|臓器移植]]の技術の進歩、[[wikipedia:JA:人工臓器|人工臓器]]の発達、[[wikipedia:JA:クローン|クローン]]関連の技術、[[ES細胞]]や[[iPS細胞]]の研究の進展等々が、保険制度の整備や栄養状況の改善等々と相まって平均余命を飛躍的に伸ばすとともに、人生の様々な場面で今までにない新たな選択に人々を直面させ、新しい考察を人々に強いることになっていった。 | |||
このような発展からは、[[wikipedia:JA:自己決定権|自己決定権]]の必要性が意識されるだけでなく、自己決定権に対する疑念も生まれてきている。少なくとも、自己決定権は万能ではなく、自己決定権がどこまで通用するのか、あるいは自己決定権をどこまで認めるべきかを吟味すべきだという考え方も出てきている。例えば、きょうだいの一方が重篤な[[wikipedia:JA:遺伝病|遺伝病]]の有無を調べるために[[wikipedia:JA:遺伝子診断|遺伝子診断]]を受けようとするが、もう一方がそのようなことは知りたくないのでそれに反対するということが考えられる。きょうだいの一方が遺伝子診断をしてしまえば、かなり似ている遺伝子をもつもう一方も、自分の遺伝子のことを知りたくなくても知ってしまうからである。このような場合、一方の自己決定ですべてを決めることができるかどうかは微妙な問題であろう。 | このような発展からは、[[wikipedia:JA:自己決定権|自己決定権]]の必要性が意識されるだけでなく、自己決定権に対する疑念も生まれてきている。少なくとも、自己決定権は万能ではなく、自己決定権がどこまで通用するのか、あるいは自己決定権をどこまで認めるべきかを吟味すべきだという考え方も出てきている。例えば、きょうだいの一方が重篤な[[wikipedia:JA:遺伝病|遺伝病]]の有無を調べるために[[wikipedia:JA:遺伝子診断|遺伝子診断]]を受けようとするが、もう一方がそのようなことは知りたくないのでそれに反対するということが考えられる。きょうだいの一方が遺伝子診断をしてしまえば、かなり似ている遺伝子をもつもう一方も、自分の遺伝子のことを知りたくなくても知ってしまうからである。このような場合、一方の自己決定ですべてを決めることができるかどうかは微妙な問題であろう。 |