高次運動野
虫明 元、松坂 義哉、中島 敏
東北大学 医学系研究科
DOI:10.14931/bsd.856 原稿受付日:2012年3月29日 原稿完成日:2015年月日
担当編集委員:田中 啓治(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
英語名: higher-order motor related areas
高次運動野とは大脳皮質運動野のうち、一次運動野以外の皮質運動野の総称である。高次運動野は一次運動野と同様に脳幹・脊髄に投射し、また電気刺激によって運動を惹起する。高次運動野の損傷は一次運動野とは異なり明確な麻痺を生じない一方、状況に応じた適切な運動を遂行できない観念運動失行 ideomotor apraxiaと呼ばれる症状を引き起こす。更に脳機能研究の結果、高次運動野は運動の実行自体よりも、運動の随意的な選択・準備・切り替え、複数の運動の組み合わせなどに関与していることが判明した。これらの所見から、高次運動野の主な役割は運動を目的を持って状況適応的に発現させる、つまり運動に必要な筋活動自体の制御よりも高次なレベルでの運動制御であると考えられている。
歴史的背景-複数の皮質運動野の発見
大脳皮質前頭葉と運動の関係が注目されたのは1870年に遡る。この年、ドイツの解剖学者HitzigとFritschによって、イヌの大脳の一部に微弱な電気刺激によって運動を誘発できる領野(motor strip)がある事が発見された[1]。後にDavid Ferrierによってこの領野は霊長類(マカクザル)では中心前回(Brodmann分類の4野)に該当することが判明し、この領野は中心前回運動野precentral motor cortex、後に一次運動野primary motor cortexと命名された。
ところが、その後の研究によって一次運動野よりも前方の大脳皮質においても、①.電気刺激によって運動を誘発できる、②.一次運動野に比べれば不明瞭であるものの誘発運動の体部位再現がみられる、③.脊髄に投射するニューロンの集団が存在する、等が判明した[2][3]
[4][5][6]。こうした発見によって、前頭葉には一次運動野だけでなく、それ以外にも多数の皮質運動野(非一次運動野non-primary motor areas)が存在することが明らかになった。更に一次運動野と非一次運動野の破壊症状は重要な点で異なる事が判明した。まず、片側大脳半球の一次運動野を傷害すると、反対側の体に著明な麻痺を生じる。ところが、非一次運動野の破壊によっては軽度の麻痺を生じるのみで速やかに回復する。即ち、運動自体を遂行する能力には重大な障害を引き起こさない。その一方で、非一次運動野の破壊の結果、自発的な運動や発語が極度に減少する、又は逆に意図しない運動の発現を引き起こす、複数の運動を正しい順序で遂行できなくなる、様々な感覚入力に応じて適切な運動を使い分けることが出来なくなる、等の失行と呼ばれる症状が出現する。こうした観察結果から、非一次運動野は筋活動自体の制御よりも、状況に応じた適切な運動の発現というより高次なレベルでの制御に関わっている事が伺われ、高次運動野と呼ばれるに至った[7]。
高次運動野の機能
高次運動野の研究は霊長類(ヒト、サル)を中心に進められてきた。高次運動野の機能については、初期にはその破壊症状からの推測に留まっていたが、20世紀後半からのエバーツに始まる行動中のサル運動野のニューロン活動を観察する手法の導入、およびヒトの脳活動計測技術の進歩が詳細な機能解剖学を可能にし、高次運動野は一次運動野と異なる運動野群として確立された。現在までに高次運動野の機能として以下の働きが知られている。
行動の認知的制御
認知的行動制御とは状況に応じて適切な刺激や反応を選択したり,その環境的文脈を維持・監視したりしながら,目標志向的な行動を生み出す能力をいう[8]。高次運動野の活動は運動出力自体よりも、状況・文脈に依存した運動の選択・準備・遂行に強く関連しており、また、前述のように高次運動野の損傷は目標志向的な運動の生成に障害をもたらす。
脊髄・一次運動野の損傷時における機能の代償
高次運動野は、一次運動野や脊髄の損傷による運動障害からの回復期に活動が増大することが報告されている[9][10]。前述のように高次運動野からは脊髄や脳幹への投射があることが知られており、こうした経路を通して随意的な筋活動の制御を代償していると考えられている。
運動学習
高度に習熟した運動の遂行には、一次運動野や小脳の働きが主体である。しかし、新しい順序運動を学習するときには、一次運動野だけでなく高次運動野・前頭前野などを含む広範な神経回路網が活性化することが報告されている[11][12][13]。更に運動学習初期の高次運動野へのGABAa受容体作動薬投与は学習に顕著な障害をもたらす一方、すでに獲得したmotor skillの遂行には影響を及ぼさない。
様々な動物における高次運動野の研究の現状
霊長類(ヒト、サル)
現時点(2015年12月)では、以下の領野が知られている。なお、各領野の詳細についてはそれぞれの項目を参照すること。
運動前野
Brodmannの6野外側部を占める皮質運動野であり、Fultonによってはじめてその概念が確立された[14]。感覚情報に基づく運動の選択・実行に中心的な役割を果たしており、この領域の傷害の結果、与えられた手がかり刺激による適切な運動の選択(感覚運動連関)に著しい困難をきたす[15][16]。
運動前野は細胞構築や線維連絡の違いから腹側運動前野(ventral premotor area, PMv)、並びに背側運動前野(dorsal premotor area, PMd)に分類されるが、これらの領域の感覚運動連関における役割は異なると考えられる。例えば、背側運動前野へのムシモール(GABAa受容体作動薬)注入による機能障害は条件運動課題(例、赤い発光ダイオードが点灯した時には手首を伸展し、緑色が点灯した時には屈曲するなど)に著しい支障をきたす一方、腹側運動前野へのムシモール注入はそうした症状を引き起こさない。従って感覚情報による適切な運動の選択には背側運動前野が主に関与していると考えられる。一方、腹側運動前野へのムシモール注入はプリズム適応に障害をもたらすことから、腹側運動前野は視覚情報による運動の空間的制御に関与すると考えられる。対照的に背側運動前野の不活性化はプリズム適応に障害をきたさない。
なお、各運動前野は吻側部と尾側部に分けられており、特に腹側運動前野吻側部はミラーニューロンが発見されたことで有名である。
補足運動野・前補足運動野
6野内側部を占める皮質運動領野であり、Penfieldらによって発見された[2]。その後、6野内側部前方部と後方部は解剖学的にも生理学的にも異なる性質を持つことが明らかになり、現在では前方領域を前補足運動野、後方領域を(狭義の)補足運動野として区別する。
補足運動野は運動前野とは対照的に記憶など内的な情報による運動の制御に関与しており、この領域の損傷によって自発的な発語・運動が著しく困難になる無動性無言症akinetic mutismが生じる他、覚えた手順に従った動作の実行が困難になるなどの運動障害が出現する。一方、前補足運動野はルーチン化した動作の切り換えや新しい動作手順の習得など運動の適応的な制御に寄与している。
帯状皮質運動野
帯状溝の内部に存在する皮質運動野である。辺縁系と密接な神経連絡を持ち、報酬情報による運動の制御に関与する。
霊長類以外
霊長類以外の哺乳類のうち、ラットやマウス、ネコについては複数の皮質運動野が存在することが知られている。しかし、現時点では、それらの領域が運動の発現において筋活動の制御以外の役割を果たしているかどうかはデータが不十分である。従って、これらの領域が霊長類の高次運動野に相当するかどうかは今後の研究課題である。
ラット・マウス
ラットの大脳皮質で初めて運動野の存在が報告されたのは1982年に遡る。この年にDonoghue & Wiseによって、ラット前頭葉外側部の無顆粒皮質(lateral agranular cortex)への微小電流刺激によって運動を誘発できることが報告され、この領域が一次運動野に相当すると考えられた[17]。ところが同じ年にNeafsey & Stevertによって、ラット大脳皮質には電気刺激によって前肢の運動を誘発できる領域が前後に各々1つずつ存在することが判明し、それぞれ吻側前肢領域rostral forelimb area (RFA)、尾側前肢領域caudal forelimb areas (CFA)と命名された[18]。その後、マウスでもラットCFA, RFAに対応する領域の存在が判明している[19]。
ネコ
ネコ大脳皮質ではcruciate sulcus(十字溝)の入口部を取り囲むように存在する4γ野が霊長類でいう一次運動野に相当すると見なされている[20]。これに対して高次運動野と考えられる領域は複数存在し、このうち4δ野(十字溝背側壁で4γ野のすぐ後方の領域)、6aα野(十字溝腹側壁で4γ野のすぐ内側)、6aγ野(presylvian sulcus外側壁に位置する領域)には皮質脊髄路ニューロンが分布しており、微小電気刺激で反対側の体部位の運動が誘発される[21]。6aβ野(6aα野の更に内側)、6iffu野(6aα野の後方)には皮質脊髄路ニューロンがほとんど存在せず、微小電気刺激で運動を誘発することは難しいが[21]、この2領域及び前出の6aα、6aγ野においては橋延髄網様体(姿勢・歩行制御に関与)に投射するニューロンが証明されている[21]。このように組織学的、および電気刺激による知見から、高次運動野と思しきところは複数あるものの、ネコを行動生理学研究に用いた例は少なく、現在のところ、ネコ大脳皮質の高次運動野についての知見は限定的である
関連項目
引用文献
- ↑ Eduard Hitzig & Gustav Fritsch
Über die elektrische Erregbarkeit des Grosshirns
Archiv für Anatomie, Physiologie und Wissenschaftliche Medicin, Leipzig, 37:300-32, 1870 - ↑ 2.0 2.1
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