「ニューロン新生」の版間の差分

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== 歴史的背景==
== 歴史的背景==


 1960年代から、アルトマンらによるトリチウム化チミジン(H<sup>3</sup>-Thymidine)を使用した[[wikipedia:ja:|哺乳動物]]([[マウス]]や[[wikipedia:ja:|ラット]]など)の研究で、成体脳でもニューロンが生み出されていることが報告された[1][2]。また1980年代に入ると、ノッテボームらはカナリアを用いた実験により、新たに生み出されたニューロンが古いニューロンと入れ替わる事を示し、このニューロン置き換えが、新しく歌を覚えるという学習と関係している事を明らかにした[3]。一方、ヒトの脳でニューロンが新生しているとは長らく認知されることがなかった。しかし、1998年[[wikipedia:ja:|スウェーデン]]の[[wikipedia:ja:|エーテボリ]]にある[[wikipedia:ja:|サールグレンスカ大学病院]]のエリクソンと[[wikipedia:ja:|米国ソーク生物学研究所]]の[[wikipedia:ja:|ゲージ]]らは、[[抗がん剤]]([[wikipedia:ja:|ブロモデオキシウリジン]])を服用したがん患者の協力を得て、その患者が死亡した後に、脳組織標本を詳しく調べることにより、大人の脳の中でも、少なくとも、海馬の歯状回で、ニューロンが新生していることを見出した[4]。
 1960年代から、アルトマンらによるトリチウム化チミジン(H<sup>3</sup>-Thymidine)を使用した[[wikipedia:ja:哺乳動物|哺乳動物]]([[マウス]]や[[wikipedia:ja:ラット|ラット]]など)の研究で、成体脳でもニューロンが生み出されていることが報告された[1][2]。また1980年代に入ると、ノッテボームらはカナリアを用いた実験により、新たに生み出されたニューロンが古いニューロンと入れ替わる事を示し、このニューロン置き換えが、新しく歌を覚えるという学習と関係している事を明らかにした[3]。一方、ヒトの脳でニューロンが新生しているとは長らく認知されることがなかった。しかし、1998年[[wikipedia:ja:スウェーデン|スウェーデン]]の[[wikipedia:ja:エーテボリ|エーテボリ]]にある[[wikipedia:ja:サールグレンスカ大学病院|サールグレンスカ大学病院]]のエリクソンと[[wikipedia:ja:米国ソーク生物学研究所|米国ソーク生物学研究所]]の[[wikipedia:ja:ゲージ|ゲージ]]らは、[[抗がん剤]]([[wikipedia:ja:ブロモデオキシウリジン|ブロモデオキシウリジン]])を服用したがん患者の協力を得て、その患者が死亡した後に、脳組織標本を詳しく調べることにより、大人の脳の中でも、少なくとも、海馬の歯状回で、ニューロンが新生していることを見出した[4]。


 エリクソンとゲージらの研究に触発され、大型の[[wikipedia:ja:|サル]]([[wikipedia:ja:|マカクザル]])でも、成体海馬でニューロン新生が起こっていることが立証された。これらの研究により哺乳類の脳において、成体の海馬でニューロン新生が起こっていることが確実に立証された[5][6]。また、海馬歯状回でのニューロン新生に加え、他の脳部位におけるニューロン新生に関しても、非常に精力的な研究が進められている。動物モデルを用いた研究では、[[におい]]感覚を伝達する嗅球において、[[GABA]]陽性の[[介在性ニューロン]]が新生していることが立証されている[7]。また、[[前頭連合野]]においてもニューロン新生があるとする報告もある [8]。しかし、ヒトにおいては、動物と同じメカニズムでは、嗅球のニューロン新生が起こっていないことがわかっており[9]、今後の更なる研究が待たれている。また、ヒトの大脳新皮質のニューロン新生については、1960年代の水爆実験で放出された大気中<sup>14</sup>Cをトレーサーとして使用した研究により、大脳新皮質のニューロン新生は、仮に起こっていたとしてもその数は非常に限定的であるとするデータも得られている[10]。
 エリクソンとゲージらの研究に触発され、大型の[[wikipedia:ja:サル|サル]]([[wikipedia:ja:マカクザル|マカクザル]])でも、成体海馬でニューロン新生が起こっていることが立証された。これらの研究により哺乳類の脳において、成体の海馬でニューロン新生が起こっていることが確実に立証された[5][6]。また、海馬歯状回でのニューロン新生に加え、他の脳部位におけるニューロン新生に関しても、非常に精力的な研究が進められている。動物モデルを用いた研究では、[[におい]]感覚を伝達する嗅球において、[[GABA]]陽性の[[介在性ニューロン]]が新生していることが立証されている[7]。また、[[前頭連合野]]においてもニューロン新生があるとする報告もある [8]。しかし、ヒトにおいては、動物と同じメカニズムでは、嗅球のニューロン新生が起こっていないことがわかっており[9]、今後の更なる研究が待たれている。また、ヒトの大脳新皮質のニューロン新生については、1960年代の水爆実験で放出された大気中<sup>14</sup>Cをトレーサーとして使用した研究により、大脳新皮質のニューロン新生は、仮に起こっていたとしてもその数は非常に限定的であるとするデータも得られている[10]。


 こうした新生ニューロンは[[神経幹細胞]]と呼ばれる細胞がニューロンに分化する事で生じる。神経幹細胞は、分裂して同じ細胞を作る機能(自己増殖能)と、[[分化]]してニューロンや、[[アストロサイト]]、[[wikipedia:ja:|オリゴデンドロサイト]]などを作る機能(多分化能)をあわせ持つ細胞である。この神経幹細胞が、成体脳においても、海馬歯状回など、ニューロン新生が起きている部位には存在しており、新生ニューロンを供給している。本項目では、海馬歯状回のニューロン新生を中心に説明を行う。  
 こうした新生ニューロンは[[神経幹細胞]]と呼ばれる細胞がニューロンに分化する事で生じる。神経幹細胞は、分裂して同じ細胞を作る機能(自己増殖能)と、[[分化]]してニューロンや、[[アストロサイト]]、[[wikipedia:ja:オリゴデンドロサイト|オリゴデンドロサイト]]などを作る機能(多分化能)をあわせ持つ細胞である。この神経幹細胞が、成体脳においても、海馬歯状回など、ニューロン新生が起きている部位には存在しており、新生ニューロンを供給している。本項目では、海馬歯状回のニューロン新生を中心に説明を行う。  




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==機能==
==機能==


 海馬新生ニューロンは、歯状回の顆粒細胞として機能する。しかし、その機能は周囲にある成熟した顆粒細胞とは大きく異なり、むしろ発達期に存在する幼若タイプのニューロンに近く、発火しやすく神経[[可塑性]]に富む[16][17]。一般に顆粒細胞は[[wikipedia:ja:|嗅内野]]皮質からの投射([[貫通線維]])を受け神経情報を受容し、[[苔状線維]]を[[CA3]]領域に伸ばし、CA3[[錐体細胞]]との間に[[シナプス]]結合を形成する。新生ニューロンは、[[NMDA型グルタミン酸受容体]]を介した神経可塑性に富んでおり[16]、加えて顆粒細胞にしては珍しくGABA神経による強い興奮抑制がない[18]。そのため、歯状回部位における神経信号のゲート機構を担っていることが推測されている。
 海馬新生ニューロンは、歯状回の顆粒細胞として機能する。しかし、その機能は周囲にある成熟した顆粒細胞とは大きく異なり、むしろ発達期に存在する幼若タイプのニューロンに近く、発火しやすく神経[[可塑性]]に富む[16][17]。一般に顆粒細胞は[[嗅内野]]皮質からの投射([[貫通線維]])を受け神経情報を受容し、[[苔状線維]]を[[CA3]]領域に伸ばし、CA3[[錐体細胞]]との間に[[シナプス]]結合を形成する。新生ニューロンは、[[NMDA型グルタミン酸受容体]]を介した神経可塑性に富んでおり[16]、加えて顆粒細胞にしては珍しくGABA神経による強い興奮抑制がない[18]。そのため、歯状回部位における神経信号のゲート機構を担っていることが推測されている。


 また歯状回部位は、空間記憶における[[パターン分離]]を司っているが[19]、この作用は主に新生ニューロンにより司られていることが判ってきた[20][21][22]。加えて、新生ニューロンには、記憶をアップデートする機能や[23]、過去の記憶を整理し[[ストレス応答]]を緩和する働きがあることもわかってきた[24][25]。成体脳で新生ニューロンが存在しているのは極めて限られた部位であるが、新生ニューロンは周辺ニューロンとは極めて異なる機能特性を持っており、この特殊なニューロンが海馬回路に機能的に組み込まれることによって、記憶の[[形成]]・[[維持]]・[[消去]]や、さらには[[感情]]のコントロールへと至る様々な脳機能に対して、中核的な働きを示しているのである[23][24][25]。海馬体からの出力は、[[海馬采]]を経て[[脳弓]]へと至る経路と、嗅内野皮質を経て大脳新皮質の各領域と連結する経路がある[26]。
 また歯状回部位は、空間記憶における[[パターン分離]]を司っているが[19]、この作用は主に新生ニューロンにより司られていることが判ってきた[20][21][22]。加えて、新生ニューロンには、記憶をアップデートする機能や[23]、過去の記憶を整理し[[ストレス応答]]を緩和する働きがあることもわかってきた[24][25]。成体脳で新生ニューロンが存在しているのは極めて限られた部位であるが、新生ニューロンは周辺ニューロンとは極めて異なる機能特性を持っており、この特殊なニューロンが海馬回路に機能的に組み込まれることによって、記憶の[[形成]]・[[維持]]・[[消去]]や、さらには[[感情]]のコントロールへと至る様々な脳機能に対して、中核的な働きを示しているのである[23][24][25]。海馬体からの出力は、[[海馬采]]を経て[[脳弓]]へと至る経路と、嗅内野皮質を経て大脳新皮質の各領域と連結する経路がある[26]。
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===疾病下での変化===
===疾病下での変化===


 認知症や精神疾患においても、新生ニューロンの数やはたらきが低下している[5][29]。アルツハイマー病モデルマウスを用いてこれまでに多くの研究が実施され、老人斑の蓄積に応じて新生ニューロンの数が減少し、そのはたらきも低下している[30]。アルツハイマー病のリスク遺伝子としてApoE4があるが、ApoE4を遺伝子導入したマウスでは、海馬のGABA回路のはたらきが低下し、新生ニューロン数も減少することがわかった[31]。このマウスにGABA回路のはたらきを高めるフェノバルビタールを投与すると新生ニューロン数の減少が抑えられることも明らかにされた[31]。また、家族性アルツハイマー病の原因遺伝子であるアミロイド前駆体タンパク質を導入したマウスでは、海馬GABA回路のアンバランスがおこり、新生ニューロンのはたらきが低下することが認められている[32]。このように、アルツハイマー病モデルマウスにおいて、海馬新生ニューロンのはたらきを低下させる仕組みもわかってきた。
 [[認知症]]や[[精神疾患]]においても、新生ニューロンの数やはたらきが低下している[5][29]。[[アルツハイマー病]]モデルマウスを用いてこれまでに多くの研究が実施され、[[老人斑]]の蓄積に応じて新生ニューロンの数が減少し、そのはたらきも低下している[30]。アルツハイマー病のリスク遺伝子として[[ApoE4]]があるが、ApoE4を遺伝子導入したマウスでは、海馬のGABA回路のはたらきが低下し、新生ニューロン数も減少することがわかった[31]。このマウスにGABA回路のはたらきを高める[[フェノバルビタール]]を投与すると新生ニューロン数の減少が抑えられることも明らかにされた[31]。また、[[家族性アルツハイマー病]]の原因遺伝子である[[アミロイド前駆体タンパク質]]を導入したマウスでは、海馬GABA回路のアンバランスがおこり、新生ニューロンのはたらきが低下することが認められている[32]。このように、アルツハイマー病モデルマウスにおいて、海馬新生ニューロンのはたらきを低下させる仕組みもわかってきた。


== 調節 ==
== 調節 ==


 成体海馬において、新生ニューロンの数を増加させるための諸条件について、特に小動物を用いて非常に精力的に研究が展開されている。運動や学習行動など、生活習慣の改善により新生ニューロン数が増加する点が注目されている。また、各種の神経伝達物質受容体に対する薬剤も同様の作用を持つことから、海馬回路の活動が直接的あるいは間接的にニューロン新生の過程にはたらきかけていることが推測される。事実、海馬回路の活動が高まると新生ニューロンの数が増加することが知られている。この一つの仕組みとして、海馬回路から放出されたGABAによりニューロン前駆細胞が刺激され、ニューロン分化が促進することが明らかになり、GABA回路のはたらきを高める薬剤(フェノバルビタール)を投与することで海馬の新生ニューロンの数が増加することも見出された[33]。
 成体海馬において、新生ニューロンの数を増加させるための諸条件について、特に小動物を用いて非常に精力的に研究が展開されている。[[運動]]や[[学習行動]]など、[[wikipedia:ja:生活習慣|生活習慣]]の改善により新生ニューロン数が増加する点が注目されている。また、各種の[[神経伝達物質受容体]]に対する薬剤も同様の作用を持つことから、海馬回路の活動が直接的あるいは間接的にニューロン新生の過程にはたらきかけていることが推測される。事実、海馬回路の活動が高まると新生ニューロンの数が増加することが知られている。この一つの仕組みとして、海馬回路から放出されたGABAによりニューロン前駆細胞が刺激され、ニューロン分化が促進することが明らかになり、GABA回路のはたらきを高める薬剤(フェノバルビタール)を投与することで海馬の新生ニューロンの数が増加することも見出された[33]。


== 終わりに ==
== 終わりに ==