「中央実行系」の版間の差分

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英語名:central executive 独:exekutive Funktionen
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<font size="+1">[http://researchmap.jp/daisuke_matsuyoshi 松吉 大輔]</font><br>
''東京大学 先端科学技術研究センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年7月10日 原稿完成日:2012年7月17日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構 生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
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 '''中央実行系''' (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974)<ref>'''A D Baddeley, G J Hitch'''<br>Working memory<br>''G A Bower (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1974</ref> の提唱した[[ワーキングメモリー]]モデルにおける中心的な構成概念であり、下位システムの[[記憶貯蔵庫]]([[視空間スケッチパッド]]・[[音韻ループ]])と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。
英語名:central executive
 
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 中央実行系 (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974)<ref>'''A D Baddeley, G J Hitch'''<br>Working memory<br>''G A Bower (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1974</ref> の提唱した[[ワーキングメモリー]]モデルにおける中心的な構成概念であり、下位システムの[[記憶貯蔵庫]]([[視空間スケッチパッド]]・[[音韻ループ]])と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。


 現在の課題要求に応じて、[[注意]]の[[スイッチング]]や、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む[[実行機能]] (executive function) の元となった概念である。
 現在の課題要求に応じて、[[注意]]の[[スイッチング]]や、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む[[実行機能]] (executive function) の元となった概念である。
}}


==Baddeleyのモデル==
==Baddeleyのモデル==
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 Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)<ref>'''R C Atkinson, R M Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes<br>''K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1968</ref> による[[短期記憶]]と[[長期記憶]]からなる記憶の[[二重貯蔵モデル]]により、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。
 Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)<ref>'''R C Atkinson, R M Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes<br>''K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1968</ref> による[[短期記憶]]と[[長期記憶]]からなる記憶の[[二重貯蔵モデル]]により、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。


 彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|'''図.Baddeleyのワーキングメモリーモデル'''<br>第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2Gの白はワーキングメモリーモデル本体であり、内容の流動性の高い流動システム (fluid system)、グレーは内容の流動性の低い結晶システム (crystalised system) とされる。]]
 彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|'''図.Baddeleyのワーキングメモリーモデル'''<br>第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2G図中、グレーは内容の流動性は低いが構造上の安定性が高い結晶システム (crystalised system)、その他の色はワーキングメモリー本体であり、内容の流動性の高い流動システム (fluid system) とされる。視空間スケッチパッドと音韻ループは感覚入力を受け取るが、エピソディック・バッファについては不明。]]


 記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は[[視覚]]・[[空間情報]]を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた<ref><pubmed>21961947</pubmed></ref>。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。
 記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は[[視覚]]・[[空間情報]]を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた<ref><pubmed>21961947</pubmed></ref>。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。
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== 参考文献  ==
== 参考文献  ==


<references />  
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(執筆者:松吉大輔 担当編集委員:定藤規弘)