中央実行系

2012年6月27日 (水) 00:06時点におけるDaisukematsuyoshi (トーク | 投稿記録)による版

英語名:central executive

中央実行系 (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974) の提唱したワーキングメモリモデルにおける中心的な構成概念であり、従属する記憶貯蔵庫(視空間スケッチパッド・音韻ループ)と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。

単純な記憶とは異なり、現在の課題要求に応じて、課題ルールのスイッチングや、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む実行機能 (executive function) の元となった概念である。

Baddeleyのモデル

Baddeleyのワーキングメモリモデルにおける中央実行系は、1974年のモデル提唱以来、徐々に変化し続けている。

第1世代:3要素モデル

1974年

Baddeley & Hitchのワーキングメモリモデルが登場した背景には、Attkinson & Shiffrin (1968) による短期記憶と長期記憶からなる記憶の二重貯蔵モデルにより、うまく説明できない実験結果の存在が挙げられる。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどである。

彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。彼らはこの結果を、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと考えた。このような実験から、彼らは記憶保持を行う記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系とを分離したワーキングメモリモデルを提唱した。

 
Baddeleyのワーキングメモリモデル。第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2Gの白はワーキングメモリモデル本体であり流動システム (fluid system)とされ、グレーは結晶システム (crystallised system) とされる。

オリジナルの第1世代ワーキングメモリモデルで、彼らは、注意制御と一時的な記憶貯蔵庫2つの合計3要素からなるモデルを提唱した。音韻ループ (phonological loop) は音声言語情報を保持する貯蔵庫、視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) は視覚・空間情報を保持する貯蔵庫であり、それらを制御する系として中央実行系 (central executive) を置いた。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルに対し、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリ」モデルとし、読解や学習、推論などより広範な認知課題にも関与するモデルを提唱した事にある。

しかし、この第1世代のモデルにおいては、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」(Baddeley, 2012) と表現するほど、中央実行系の機能についての詳しい説明はなされておらず、2つのサブシステムが行わない「全ての賢い事」、たとえば注意のフォーカスや、意思決定などに関与する、脳の中の小人 (homunculus) とでも言うべき位置付けがなされていた。しかし、Baddeleyは「小人」は解ではなく、問題の存在する領域を示すものであり、まず、どのようなプロセスが小人に割り当てられるかを特定した上で、その説明・検討を行えばよいとした。

1986年

この点について、1986年に出版された著書 "Working Memory" において、Norman & Shallice (1980) によるsupervisory attentional system (SAS) のコンセプトを組み入れる形で、読み、児童におけるワーキングメモリの発達、加齢影響などについて、中央実行系の関与が説明されるようになった。Norman & ShalliceによるSASモデルは、主としてスキーマ (schema) とSASという2つの認知システムから、刺激から反応に至る過程をモデル化した。彼らのモデルにおいては、習慣的な状況であれば、スキーマと呼ばれる刺激と反応とが定式化された自動的な系によってほとんどの行為が行われるが、何かしらの外乱や不規則な事態が生じるなど、スキーマ間での葛藤が起こった場合には、SASによって意識的に一方のスキーマを活性化させるなどの調整を行う事で、非習慣的な状況に対処するというものである。Baddeleyはこのような意図的な制御を行う系としてのSASを、中央実行系にほぼ等しいものと考えていたようである。特に、中央実行系の機能の一つとして、二つ以上の課題を同時に行わなければならない時の、時間的な資源処理のスケジューリングを挙げた他、前頭前野損傷により中央実行系の機能が損害される可能性について言及している。

1999年

中央実行系の機能を細分化して明示的に示したのは、Baddeley & Logie (1999) の"Working memory: The multicomponent model"である。中央実行系は、ワーキングメモリシステムの制御と調節に関与しており、二つの隷属システムの調整、注意の焦点化とスイッチング、長期記憶内表象の活性化を行う一方、貯蔵そのものには関与しないとした。今日、中央実行系として呼ばれる概念の基本的な概念は、この研究に負うところが大きい。

第2世代:4要素モデル(エピソディック・バッファ)

2000年

3要素からなる第1世代のワーキングメモリモデルでは「短期的な」記憶のみしか扱ってこなかったため、長期記憶がどのように現在の課題に役立てられているか、また、長期記憶がどうやって形成されるかについては謎のままであった。そこで、Baddeley (2000) は、ワーキングメモリモデルの4つめの要素として、エピソディック・バッファ (episodic buffer) を追加するとともに、中央実行系が、このエピソディック・バッファを通じて長期記憶との相互作用を行うモデルを新たに構築した。

エピソディック・バッファは、容量制約を持ち、様々なソースからの情報を統合する役目を担っているとされる。エピソディック・バッファ上の情報は、中央実行系により意識的に操作・調整されており、長期記憶とのインタフェースとして働いているのだという。なお、エピソードという名前は、情報が時空間的に統合された「エピソード」が、このバッファに保持されているという仮定から名付けられている。

最近の状況

近年、この中央実行系という概念は、ワーキングメモリ研究以外の分野にも浸透し、それらにおいては実行機能と呼ばれている。用語は微妙に異なるものの、想定されている認知機能に大差はない。ただし、中央実行系がワーキングメモリ研究内でも、特にBaddeleyのモデルにおける用語であるのに対し、実行機能はワーキングメモリのみならず、認知発達や障害など幅広い研究分野においても用いられる用語となっている。実際、PubMedにおける検索では、central executiveをタイトルもしくはアブストラクトに含む論文件数は459であるのに対し、executive functionの論文件数は4649であり、大幅に上回る。

中央実行系、実行機能ともに、注意制御とどのように異なるかについての明確な理論・区分はなされていないが、おおよそ中央実行系・実行機能は前頭葉に存在するモダリティに依存しない制御系であるのに対し、注意は頭頂葉に存在する比較的モダリティ依存な制御系であると見なされる傾向が強いが、議論の分かれるところである。

神経基盤

詳細は実行機能を参照

中央実行系の神経機構を調べた初期の研究として、D'Esposito et al (1995) が挙げられる。彼らは、言語課題と空間課題とを別々に行う場合と、両課題を同時に行う場合とを比較し、後者のみに前頭前野と前部帯状皮質の活動が確認されることから、これらの領域が中央実行系を担っているとした。これ以降の研究の多くが前頭前野と前部帯状皮質の関与を指摘しているが、近年は実行機能の名の下に神経機構が検討される事が多い。