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<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0002217 市川 眞澄]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0002217 市川 眞澄]</font><br>
'' 公益財団法人東京都医学総合研究所 ''<br>
'' 公益財団法人東京都医学総合研究所 ''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年7月11日 原稿完成日:2015年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2015年7月11日 原稿完成日:2015年8月1日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br></div>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/ichirofujita 藤田 一郎](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br></div>


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 副嗅覚系は、受容器である鋤鼻器にはじまり、副嗅球を経て、扁桃体内側部に至り、さらに視床下部に到達する神経路である(図1)。
 副嗅覚系は、受容器である鋤鼻器にはじまり、副嗅球を経て、扁桃体内側部に至り、さらに視床下部に到達する神経路である(図1)。


 鋤鼻器は、1813年に[[wikipedia:Ludwig Lewin Jacobson|ヤコブソン]]により発見され、発見者にちなんで[[wikipedia:ja:ヤコブソン器官|ヤコブソンの器官]]とも呼ばれている<ref name=ref1><pubmed> 9915121 </pubmed></ref>。発見当初は、その働きは不明のままで、多くの研究者は分泌器官と思っていた。1970年代になって、鋤鼻器が脳とつながって[[感覚系]]神経路を形成していることがわかり、さらに[[フェロモン]]を受容することで注目を浴びた。特に、鋤鼻器の機能を解明する端緒となったのは,1977年に発表されたウイナンスたちの実験である。彼らは雄[[ハムスター]]の鋤鼻器を壊して,[[性行動]]に影響を及ぼすことを見いだした<ref name=ref2><pubmed> 861723 </pubmed></ref>。
 鋤鼻器は、1813年に[[wikipedia:Ludwig Lewin Jacobson|ヤコブソン]]により発見され、発見者にちなんで[[wikipedia:ja:ヤコブソン器官|ヤコブソンの器官]]とも呼ばれている<ref name=ref1><pubmed> 9915121 </pubmed></ref>。発見当初は、その働きは不明のままで、多くの研究者は分泌器官と思っていた。1970年代になって、鋤鼻器が脳とつながって[[感覚系]]神経路を形成していることがわかり、さらに[[フェロモン]]を受容することで注目を浴びた<ref name=ref02><pubmed>4434195</pubmed></ref> <ref name=ref03><pubmed>1145182</pubmed></ref> <ref name=ref04><pubmed>1133226</pubmed></ref>。特に、鋤鼻器の機能を解明する端緒となったのは,1977年に発表されたウイナンスたちの実験である。彼らは雄[[ハムスター]]の鋤鼻器を壊して,[[性行動]]に影響を及ぼすことを見いだした<ref name=ref2><pubmed> 861723 </pubmed></ref>。


 研究が進展するにつれて、嗅覚系のもう一つの系である[[主嗅覚系]]と機能が大きく異なることが明らかになった。すなわち、主嗅覚系は、受容器である嗅覚器内の[[嗅細胞]]がいわゆる一般の匂い物質を受容し、[[主嗅球]]、[[梨状皮質]]等[[大脳辺縁系]]の外側部が関わり、[[大脳皮質]]において匂い物質の[[知覚]]・[[認知]]がおこなわれ、匂いで餌を探したり外敵の危険から逃避することなどの役割を演じている。すなわち、個体自身の生存に重要な系である。
 研究が進展するにつれて、嗅覚系のもう一つの系である[[主嗅覚系]]と機能が大きく異なることが明らかになった。すなわち、主嗅覚系は、受容器である嗅覚器内の[[嗅細胞]]がいわゆる一般の匂い物質を受容し、[[主嗅球]]、[[梨状皮質]]等[[大脳辺縁系]]の外側部が関わり、[[大脳皮質]]において匂い物質の[[知覚]]・[[認知]]がおこなわれ、匂いで餌を探したり外敵の危険から逃避することなどの役割を演じている。すなわち、個体自身の生存に重要な系である。
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=== 構造と機能 ===
=== 構造と機能 ===
 鋤鼻器は、[[wikipedia:ja:系統発生学|系統発生学]]的には[[カエル]]・[[イモリ]]などの[[両生類]]以上の[[脊椎動物]]に見られ、[[ヘビ]]・[[トカゲ]]・[[カメ]]など [[爬虫類]]で良く発達し、多くの[[哺乳類]]に認められる。しかし、[[鳥類]]と一部の[[霊長類]]( [[旧世界サル]])には存在しない。
 鋤鼻器は、[[wikipedia:ja:系統発生学|系統発生学]]的には[[カエル]]・[[イモリ]]などの[[両生類]]以上の[[脊椎動物]]に見られ、[[ヘビ]]・[[トカゲ]]・[[カメ]]など [[爬虫類]]で良く発達し、多くの[[哺乳類]]に認められる。しかし、[[鳥類]]と一部の[[霊長類]]( [[旧世界サル]])には存在しない。ヒトにおいては、鋤鼻器は胎児期には存在するが、成長に伴って退化し、存在しても痕跡である。


 鼻腔内の鼻中隔腹側基部で[[wikipedia:ja:鋤骨|鋤骨]]に沿って前後に細長く、鼻中隔をはさんで左右対称に横たわる1対の器官である(図1)。鋤鼻器の前端は、鼻腔に直接あるいは[[wikipedia:ja:切歯管|切歯管]]([[wikipedia:ja:鼻腔|鼻腔]]と[[wikipedia:ja:口腔|口腔]]を結ぶ管)に開口するなど種によって異なり(爬虫類のヘビなどでは口腔に開口する)、後端は後背方に伸びて鼻中隔基部の鼻腔を覆う粘膜に盲嚢として終わる。
 鼻腔内の鼻中隔腹側基部で[[wikipedia:ja:鋤骨|鋤骨]]に沿って前後に細長く、鼻中隔をはさんで左右対称に横たわる1対の器官である(図1)。鋤鼻器の前端は、鼻腔に直接あるいは[[wikipedia:ja:切歯管|切歯管]]([[wikipedia:ja:鼻腔|鼻腔]]と[[wikipedia:ja:口腔|口腔]]を結ぶ管)に開口するなど種によって異なり(爬虫類のヘビなどでは口腔に開口する)、後端は後背方に伸びて鼻中隔基部の鼻腔を覆う粘膜に盲嚢として終わる。


 図2左はラットの鋤鼻器の横断面概略図である。内側(鼻中隔側)に位置し細胞層の厚い感覚上皮と、外側(鼻腔側)に位置し細胞層が薄く、血管に接するように存在する非感覚上皮がはっきり区別され、両者により鋤鼻腔を形成している。フェロモンを受容するじょび受容細胞は感覚上皮に存在する。
 図2左はラットの鋤鼻器の横断面概略図である。内側(鼻中隔側)に位置し細胞層の厚い感覚上皮と、外側(鼻腔側)に位置し細胞層が薄く、血管に接するように存在する非感覚上皮がはっきり区別され、両者により鋤鼻腔を形成している。フェロモンを受容する鋤鼻受容細胞は感覚上皮に存在する。


 他に分泌腺([[鋤鼻腺]])と<u>[[自律神経系]]の有髄線維</u>(編集部コメント:自律神経の特に節後繊維は無髄のものが一般的ですが、この場合有髄で正しいかご確認ください)が存在する。自律神経は[[wikipedia:ja:血管|血管]]の脈動や分泌腺からの分泌を制御し、血管の周囲には[[wikipedia:ja:筋|筋]]組織があり、血管の収縮を制御する。[[wikipedia:ja:齧歯類|齧歯類]]などではこの血管がフェロモンを受容するのに重要な役割をしている。血管が脈動により拡大・縮小するのにともない鋤鼻腔も拡大・縮小を繰り返すといわれている。つまり、閉じた状態から拡大するときに鋤鼻腔内が陰圧になる(鋤鼻腔は盲管で尾端が閉じている)、この陰圧を利用して鋤鼻腔の中にフェロモン物質が侵入しやすくしている。いわゆる“鋤鼻ポンプ”と呼ばれている現象で、興奮して血管の脈動がより激しくなるとフェロモンは鋤鼻腔に入りやすくなる。
 他に分泌腺([[鋤鼻腺]])と[[自律神経系]]の線維が存在する。自律神経は[[wikipedia:ja:血管|血管]]の脈動や分泌腺からの分泌を制御し、血管の周囲には[[wikipedia:ja:筋|筋]]組織があり、血管の収縮を制御する。[[wikipedia:ja:齧歯類|齧歯類]]などではこの血管がフェロモンを受容するのに重要な役割をしている。血管が脈動により拡大・縮小するのにともない鋤鼻腔も拡大・縮小を繰り返すといわれている。つまり、閉じた状態から拡大するときに鋤鼻腔内が陰圧になる(鋤鼻腔は盲管で尾端が閉じている)、この陰圧を利用して鋤鼻腔の中にフェロモン物質が侵入しやすくしている。いわゆる“鋤鼻ポンプ”と呼ばれている現象で、興奮して血管の脈動がより激しくなるとフェロモンは鋤鼻腔に入りやすくなる<ref name=ref06><pubmed>7355286</pubmed></ref>。


=== 鋤鼻受容細胞 ===
=== 鋤鼻受容細胞 ===
 感覚上皮内のフェロモンを受容する細胞である[[鋤鼻受容細胞]]の形態は双極型を示している(図2右)。一方の突起は上皮の表面に達し、鋤鼻腔にむかって数十から数百本にもおよぶ[[wikipedia:ja:微絨毛|微絨毛]]を発している(図3)。[[細胞体]]からは[[軸索]]が基底部にむかって伸び、さらに[[基底膜]]を貫いて、上皮組織に接している支持組織の粘膜固有層で、束を形成し副嗅球に向かう。この束を形成する軸索を[[鋤鼻神経]]とよぶ。感覚上皮内には他に支持細胞が存在する。名前の通り鋤鼻受容細胞を取り囲むことで構造を保持している。感覚上皮表面は、鋤鼻受容細胞と支持細胞から突出する微絨毛に覆われている。
 感覚上皮内のフェロモンを受容する細胞である[[鋤鼻受容細胞]]の形態は双極型を示している(図2右)。一方の突起は上皮の表面に達し、鋤鼻腔にむかって数十から数百本にもおよぶ[[wikipedia:ja:微絨毛|微絨毛]]を発している(図3)。[[細胞体]]からは[[軸索]]が基底部にむかって伸び、さらに[[基底膜]]を貫いて、上皮組織に接している支持組織の粘膜固有層で、束を形成し副嗅球に向かう。この束を形成する軸索を[[鋤鼻神経]]とよぶ。感覚上皮内には他に支持細胞が存在する。名前の通り鋤鼻受容細胞を取り囲むことで構造を保持している。感覚上皮表面は、鋤鼻受容細胞と支持細胞から突出する微絨毛に覆われている<ref name=ref07>'''谷口和之、谷口和美'''<br>鋤鼻器の構造<br>匂いと香りの科学(渋谷、市川編集)33-41 朝倉書店、2007</ref>。


 両者の微絨毛には形態的に差がある。鋤鼻受容細胞のものは、細くて短く表面から放射状に突出している。一方、支持細胞のものは、太くて長く表面から垂直に突出しており、先端は多少太くなり、表面がけば立っている。鋤鼻腔に侵入したフェロモンは鋤鼻受容細胞の微絨毛上に存在する[[受容体]]に結合する。動物の種によって微絨毛の数量はさまざまである。細胞当たりの数の多少がフェロモン受容能を表していると考えられる。鋤鼻腔に面した微絨毛の基部に[[中心体]]と呼ばれる構造があり、微絨毛の形成に関わっていると言われている。また、細胞体から鋤鼻腔に向かって伸びる突起内には、[[微小管]]が縦列している。ニューロンの樹状突起によく似ている。
 両者の微絨毛には形態的に差がある。鋤鼻受容細胞のものは、細くて短く表面から放射状に突出している。一方、支持細胞のものは、太くて長く表面から垂直に突出しており、先端は多少太くなり、表面がけば立っている。鋤鼻腔に侵入したフェロモンは鋤鼻受容細胞の微絨毛上に存在する[[受容体]]に結合する。動物の種によって微絨毛の数量はさまざまである。細胞当たりの数の多少がフェロモン受容能を表していると考えられる。鋤鼻腔に面した微絨毛の基部に[[中心体]]と呼ばれる構造があり、微絨毛の形成に関わっていると言われている。また、細胞体から鋤鼻腔に向かって伸びる突起内には、[[微小管]]が縦列している。ニューロンの樹状突起によく似ている<ref name=ref07 />。


 また、細胞体には、[[滑面小胞体]]が多量に分布しており、[[カルシウム]]の貯蔵庫としての役割を有している。これらの特徴以外、[[ミトコンドリア]]、[[ゴルジ装置]]、[[粗面小胞体]]、[[リボゾーム]]、[[リソゾーム]]など多くの[[細胞内小器官]]が見いだされる。鋤鼻腔直下では、支持細胞との間で、上皮組織の特徴である[[接着複合体]]が築かれている。
 また、細胞体には、[[滑面小胞体]]が多量に分布しており、[[カルシウム]]の貯蔵庫としての役割を有している。これらの特徴以外、[[ミトコンドリア]]、[[ゴルジ装置]]、[[粗面小胞体]]、[[リボゾーム]]、[[リソゾーム]]など多くの[[細胞内小器官]]が見いだされる。鋤鼻腔直下では、支持細胞との間で、上皮組織の特徴である[[接着複合体]]が築かれている<ref name=ref07 />。


 フェロモンの受容体は鋤鼻受容細胞に存在する。[[フェロモン受容体]]は[[I型フェロモン受容体|I型]]および[[II型フェロモン受容体|II型]](V1RとV2R)に分けられる。両者とも、[[7回膜貫通型受容体]]であるが、それぞれ全く相同性がない。これらフェロモン受容体は[[Gタンパク質共役型受容体]]のうち、I 型に[[Gi2]]がII型に[[Go]]が共役している(フェロモンの受容体の詳細ついては[[フェロモン受容体]]の項目を参照)。また、I型受容体を有する細胞は感覚上皮の浅層に、II型受容体を有する細胞は深層に分布する。すなわち、鋤鼻受容細胞は、I型フェロモン受容体を有しGタンパク質Gi2を共有し浅層に位置するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)の2種類が存在する。
 フェロモンの受容体は鋤鼻受容細胞に存在する。[[フェロモン受容体]]は[[I型フェロモン受容体|I型]]および[[II型フェロモン受容体|II型]](V1RとV2R)に分けられる。両者とも、[[7回膜貫通型受容体]]であるが、それぞれ全く相同性がない。これらフェロモン受容体は[[Gタンパク質共役型受容体]]のうち、I 型に[[Gi2]]がII型に[[Go]]が共役している(フェロモンの受容体の詳細ついては[[フェロモン受容体]]の項目を参照)。また、I型受容体を有する細胞は感覚上皮の浅層に、II型受容体を有する細胞は深層に分布する。すなわち、鋤鼻受容細胞は、I型フェロモン受容体を有しGタンパク質Gi2を共有し浅層に位置するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)の2種類が存在する<ref name=ref08><pubmed>7585937</pubmed></ref> <ref name=ref09><pubmed>9288755</pubmed></ref> <ref name=ref010><pubmed>9288756</pubmed></ref> <ref name=ref011><pubmed>9292726</pubmed></ref>。


 鋤鼻受容細胞は、嗅器官の匂い受容細胞である嗅細胞同様、みずから軸索を有し、脳内(副嗅球)に投射しており、このことから、感覚受容細胞であると同時にニューロンでもある。したがって、これらは鋤鼻ニューロンとも呼ばれる。さらに、この鋤鼻受容細胞は嗅細胞同様上皮細胞としての特性をもつ。したがって、動物が成熟した後にも[[幹細胞]]から再生産する。このことにより、鋤鼻受容細胞はニューロンの発生および再生の研究に役立っている。鋤鼻受容細胞は、嗅細胞と同様、感覚細胞であり、上皮細胞であり、さらにニューロン(神経細胞)であるという3種の細胞種の特徴を有する希有な細胞である。
 鋤鼻受容細胞は、嗅器官の匂い受容細胞である嗅細胞同様、みずから軸索を有し、脳内(副嗅球)に投射しており、このことから、感覚受容細胞であると同時にニューロンでもある。したがって、これらは鋤鼻ニューロンとも呼ばれる。さらに、この鋤鼻受容細胞は嗅細胞同様上皮細胞としての特性をもつ。したがって、動物が成熟した後にも[[幹細胞]]から再生産する。このことにより、鋤鼻受容細胞はニューロンの発生および再生の研究に役立っている。鋤鼻受容細胞は、嗅細胞と同様、感覚細胞であり、上皮細胞であり、さらにニューロン(神経細胞)であるという3種の細胞種の特徴を有する希有な細胞である。
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 さて、鋤鼻器の形態や機能がかなり明らかになった。しかしその基となっている動物はほとんどが実験室で飼育されている齧歯類の[[ラット]]や[[マウス]]のものである。他の哺乳類もネズミと同じなのか?  
 さて、鋤鼻器の形態や機能がかなり明らかになった。しかしその基となっている動物はほとんどが実験室で飼育されている齧歯類の[[ラット]]や[[マウス]]のものである。他の哺乳類もネズミと同じなのか?  


 我々の研究で明らかになったのは、他の哺乳類の鋤鼻器はラットやマウスの齧歯類のものと大変に異なることである<ref name=ref3>'''Ichikawa M, Shin T, Kang MS'''<br>Fine structure of vomronasal sensory epithelium of Korean goat.<br>''Reproduction Decelopment:'' 1999, 45; 81-89</ref>。よく調べられている[[ヤギ]]を例に述べる。ラットやマウスと比べて、ヤギでは細い血管がいくつも散在しており、鋤鼻腔が拡大している。この特徴から、まず想像できるのは、ヤギに鋤鼻ポンプ機能はないということである。盲管構造は同じなので、他の生理機能でフェロモンを取り込んでいると想像される。ウマ・ヒツジの鋤鼻器もヤギとほとんど同じ形態である。[[ウマ]]・[[ヒツジ]]・ヤギなどに特徴的に現れる[[wikipedia:ja:フレーメン|フレーメン]]がこの機能を担っているという説がある。
 我々の研究で明らかになったのは、他の哺乳類の鋤鼻器はラットやマウスの齧歯類のものと大変に異なることである<ref name=ref3>'''Ichikawa M, Shin T, Kang MS'''<br>Fine structure of vomronasal sensory epithelium of Korean goat.<br>''Reproduction Decelopment:'' 1999, 45; 81-89</ref>。よく調べられている[[ヤギ]]を例に述べる。ラットやマウスと比べて、ヤギでは細い血管がいくつも散在しており、鋤鼻腔が拡大している。この特徴から、まず想像できるのは、ヤギに鋤鼻ポンプ機能はないということである。盲管構造は同じなので、他の生理機能でフェロモンを取り込んでいると想像される。ウマ・ヒツジの鋤鼻器もヤギとほとんど同じ形態である。[[ウマ]]・[[ヒツジ]]・ヤギなどに特徴的に現れる[[wikipedia:ja:フレーメン|フレーメン]]がこの機能を担っているという説がある<ref name=ref013><pubmed>4095186</pubmed></ref>。


 ラット・マウスの感覚上皮は鋤鼻受容細胞が何重にもなって存在しているのにくらべて、ヤギでは、その数が少ない。従って感覚上皮の厚さが薄く、非感覚上皮との区別がつけにくい。しかしながら、一つ一つの細胞の形態には両者の間では大きな差はなく、ヤギの鋤鼻受容細胞も双極型をしており鋤鼻腔に接した面にたくさんの微絨毛を持っている。
 ラット・マウスの感覚上皮は鋤鼻受容細胞が何重にもなって存在しているのにくらべて、ヤギでは、その数が少ない。従って感覚上皮の厚さが薄く、非感覚上皮との区別がつけにくい。しかしながら、一つ一つの細胞の形態にはラット・マウスとヤギの間では大きな差はなく、ヤギの鋤鼻受容細胞も双極型をしており鋤鼻腔に接した面にたくさんの微絨毛を持っている。


 いろんな哺乳類で鋤鼻器を調べた結果、ほとんどの哺乳類([[ウシ]]:[[偶蹄目]]、ウマ:[[奇蹄目]]、イヌ・ネコ:[[食肉目]]、[[コウモリ]]:[[翼手目]]、[[スンクス]]:[[食虫目]]、[[マーモセット]]:[[霊長目]])はヤギのものと似ていた<ref name=ref4>'''瀧上周、森裕司、市川眞澄'''<br>哺乳類のフェロモン受容・情報処理機構に関する比較形態学的研究<br>''日本味と匂学会誌'' 2002, 9; 3-17</ref>。これまで、鋤鼻器の形態は実験動物のラット・マウスで調べられていた。したがって、鋤鼻器はラット・マウスのものが一般的だと思われていたが、逆にこれらが特殊であることが明らかになった。
 いろんな哺乳類で鋤鼻器を調べた結果、ほとんどの哺乳類([[ウシ]]:[[偶蹄目]]、ウマ:[[奇蹄目]]、イヌ・ネコ:[[食肉目]]、[[コウモリ]]:[[翼手目]]、[[スンクス]]:[[食虫目]]、[[マーモセット]]:[[霊長目]])はヤギのものと似ていた<ref name=ref4>'''瀧上周、森裕司、市川眞澄'''<br>哺乳類のフェロモン受容・情報処理機構に関する比較形態学的研究<br>''日本味と匂学会誌'' 2002, 9; 3-17</ref>。これまで、鋤鼻器の形態は実験動物のラット・マウスで調べられていた。したがって、鋤鼻器はラット・マウスのものが一般的だと思われていたが、逆にこれらが特殊であることが明らかになった。
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 ラット・マウスの鋤鼻器と他の哺乳類の鋤鼻器との間で、形態や鋤鼻受容細胞におけるフェロモン受容体の発現パターンが異なることが明らかになった。しかし、機能が“大きく”異なるのかは不明である、さきに、鋤鼻ポンプとフレーメンの相違を述べたが、フェロモンの受容機能で大きな差があるのかどうか?まだ不確かな点が多い。
 ラット・マウスの鋤鼻器と他の哺乳類の鋤鼻器との間で、形態や鋤鼻受容細胞におけるフェロモン受容体の発現パターンが異なることが明らかになった。しかし、機能が“大きく”異なるのかは不明である、さきに、鋤鼻ポンプとフレーメンの相違を述べたが、フェロモンの受容機能で大きな差があるのかどうか?まだ不確かな点が多い。


 分類上重要で、調べてないのが[[海獣目]]の[[アザラシ]]や[[オットセイ]]などと、[[有袋類]]の[[カンガルー]]などである。[[鯨目]]([[クジラ]]や[[イルカ]])は嗅覚器がないと言われているが、本当なのかどうかも確認する必要がある。
 分類上重要で、調べてないのが[[海獣目]]の[[アザラシ]]や[[オットセイ]]などと、[[有袋類]]の[[カンガルー]]などである。[[鯨目]]([[クジラ]]や[[イルカ]])は鋤鼻器だけでなく嗅覚器もないと言われているが、本当なのかどうかも確認する必要がある。


== 副嗅球 ==
== 副嗅球 ==
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 ラット・マウスにおいて、鋤鼻受容細胞は鋤鼻感覚上皮の浅層に位置しI型フェロモン受容体を有しGタンパク質αサブユニットGi2を共有するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)が存在する。これらが、副嗅球の異なる部位に終止している。すなわち、V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞が副嗅球の吻側に、V2R-Go型鋤鼻受容細胞が尾側に終止する(図4左)。このように分割して投射することが機能的には何を意味するのかまだわからない。おそらく、特定の機能に関わる部位、いわゆる[[機能局在]]があるのだろう。
 ラット・マウスにおいて、鋤鼻受容細胞は鋤鼻感覚上皮の浅層に位置しI型フェロモン受容体を有しGタンパク質αサブユニットGi2を共有するもの(V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞)と深層に位置しII型受容体とGoを共有するもの(V2R-Go型鋤鼻受容細胞)が存在する。これらが、副嗅球の異なる部位に終止している。すなわち、V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞が副嗅球の吻側に、V2R-Go型鋤鼻受容細胞が尾側に終止する(図4左)。このように分割して投射することが機能的には何を意味するのかまだわからない。おそらく、特定の機能に関わる部位、いわゆる[[機能局在]]があるのだろう。


 ViR-Gi2型鋤鼻受容細胞およびV2R-Go型鋤鼻受容細胞に発現するフェロモン受容体のそれぞれがどのようなフェロモンを受容するのかが明らかになれば、それぞれの機能が明らかになり、分割して投射する意味はわかってくるだろう。この鋤鼻受容細胞の副嗅球への分割投射は、実験動物としてよく用いられるラットやマウスの齧歯類の他、有胎類の[[オポッサム]]で明らかにされている。
 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞およびV2R-Go型鋤鼻受容細胞に発現するフェロモン受容体のそれぞれがどのようなフェロモンを受容するのかが明らかになれば、それぞれの機能が明らかになり、分割して投射する意味はわかってくるだろう。この鋤鼻受容細胞の副嗅球への分割投射は、実験動物としてよく用いられるラットやマウスの齧歯類の他、有胎類の[[オポッサム]]で明らかにされている。


 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞のみを有する動物の投射様式は、軸索もV1R-Gi2型タイプのもののみであり、副嗅球ではこの[[軸索終末]]で副嗅球全体を覆われていて吻側尾側の分割パターンを示さないのである(図4右)。この結果は、哺乳類は非分割型投射パターンが一般的であり、分割投射を示すラットやマウスの方が特殊である<ref name=ref6 />。分割、非分割の投射パターンが機能的に何を意味するのかいまだ不明であるが、フェロモン受容体を2タイプ有するか1タイプのみ持っているのかの相違も含めて、動物の生活行動パターンあるいは動物の進化などと関わりがあると推察される。
 V1R-Gi2型鋤鼻受容細胞のみを有する動物の投射様式は、軸索もV1R-Gi2型タイプのもののみであり、副嗅球ではこの[[軸索終末]]で副嗅球全体を覆われていて吻側尾側の分割パターンを示さないのである(図4右)。この結果は、哺乳類は非分割型投射パターンが一般的であり、分割投射を示すラットやマウスの方が特殊である<ref name=ref6 />。分割、非分割の投射パターンが機能的に何を意味するのかいまだ不明であるが、フェロモン受容体を2タイプ有するか1タイプのみ持っているのかの相違も含めて、動物の生活行動パターンあるいは動物の進化などと関わりがあると推察される。


[[ファイル:副嗅覚系5.jpg|サムネイル|350px|右|'''図5.副嗅球の組織図および神経回路'''<br>(左)嗅球の矢状断面図 副嗅球(AOB)は嗅球の後背部に位置する。(中)副嗅球の組織像。層構造が確認できる。表層から、鋤鼻神経層(VNL)糸球体層(GL)、僧帽房飾細胞層(MTL)、[[有髄神経]]層(LOT)、顆粒細胞層(GRL)。(右)副嗅球の神経回路図。鋤鼻受容細胞の軸索である鋤鼻神経(VN)は、副嗅球へ進入し糸球体(glomerulus)で僧帽房飾細胞(MTC)とシナプスを形成し、高次中枢(Higher CNS)に軸索を投射している。またその樹状突起は顆粒細胞(gc)の樹状突起と相反性シナプス(Reciprocal synapse)を形成する。pgc:糸球体周辺細胞、CF:遠心性線維]]
[[ファイル:副嗅覚系5.jpg|サムネイル|350px|右|'''図5.副嗅球の組織図および神経回路'''<br>(左)嗅球の矢状断面図 副嗅球(AOB)は嗅球の後背部に位置する。MOB:主嗅球、CC:大脳皮質<br>(中)副嗅球の組織像。層構造が確認できる。表層から、鋤鼻神経層(VNL)糸球体層(GL)、僧帽房飾細胞層(MTL)、[[有髄神経]]層(LOT)、顆粒細胞層(GRL)。<br>(右)副嗅球の神経回路図。鋤鼻受容細胞の軸索である鋤鼻神経(VN)は、副嗅球へ進入し糸球体(glomerulus)で僧帽房飾細胞(MTC)とシナプスを形成し、高次中枢(Higher CNS)に軸索を投射している。またその樹状突起は顆粒細胞(gc)の樹状突起と相反性シナプス(Reciprocal synapse)を形成する。pgc:糸球体周辺細胞、CF:遠心性線維]]
 
[[ファイル:副嗅覚系6.jpg|サムネイル|250px|右|'''図6.相反性シナプスの概念図'''<br>僧帽房飾(MT)細胞の樹状突起から顆粒細胞樹状突起の方向性を有しグルタミン酸(glutamate)を伝達物質とするシナプスと顆粒細胞から僧帽房飾細胞への方向性を有しGABAを伝達物質とするシナプスが隣接して存在している。]]
[[ファイル:副嗅覚系6.jpg|サムネイル|250px|右|'''図6.相反性シナプスの概念図'''<br>僧帽房飾(MT)細胞の樹状突起から顆粒細胞樹状突起の方向性を有しグルタミン酸(glutamate)を伝達物質とするシナプスと顆粒細胞から僧帽房飾細胞への方向性を有しGABAを伝達物質とするシナプスが隣接して存在している。]]


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 鋤鼻器に存在する鋤鼻受容細胞が投射する副嗅球は大脳皮質や[[小脳皮質]]と同様層構造を示す。また、存在する主なニューロンは3種類である。
 鋤鼻器に存在する鋤鼻受容細胞が投射する副嗅球は大脳皮質や[[小脳皮質]]と同様層構造を示す。また、存在する主なニューロンは3種類である。
==== 層構造 ====
==== 層構造 ====
 図5左はラット脳の矢状断組織像の嗅球部位を示す。嗅覚器からの軸索が投射する主嗅球(MOB)の後背側にじょび器から軸索が投射する副嗅球(AOB)が位置する。図5中央の副嗅球組織像で表層からやや白く見える部分、ここは鋤鼻受容細胞の軸索が副嗅球に侵入して、表面を走行している部位である。鋤鼻受容細胞の軸索を鋤鼻神経と呼ぶことから、この層を鋤鼻神経層と呼ぶ。
 図5左はラット脳の矢状断組織像の嗅球部位を示す。嗅覚器からの軸索が投射する主嗅球(MOB)の後背側に鋤鼻器から軸索が投射する副嗅球(AOB)が位置する。図5中央の副嗅球組織像で表層からやや白く見える部分、ここは鋤鼻受容細胞の軸索が副嗅球に侵入して、表面を走行している部位である。鋤鼻受容細胞の軸索を鋤鼻神経と呼ぶことから、この層を鋤鼻神経層と呼ぶ。


 鋤鼻受容細胞からの情報をうけ、さらに高次中枢にその情報を送る投射ニューロンとしての役目をする比較的大型の[[僧帽房飾細胞]]は、表面から比較的深い3番目の層に存在する。この層を、局在するニューロンの名前から僧帽房飾細胞層と呼ぶ。鋤鼻受容細胞から僧帽房飾細胞の樹状突起が情報を受けるため[[シナプス]]を形成する部位が[[糸球体]](glomerulus)と呼ばれる構造で、鋤鼻神経層と僧帽房飾細胞層の間にあり、この部分を[[糸球体層]]と呼ぶ。僧帽房飾細胞はさらに高次の中枢に軸索を送るとともに、自身の樹状突起と顆粒細胞の樹状突起との間でシナプスを形成する(図5右)。顆粒細胞は小型で[[介在ニューロン]]としての役目をする。細胞体はもっとも深い位置にあり、この部位を[[顆粒細胞層]]と呼ぶ。
 鋤鼻受容細胞からの情報をうけ、さらに高次中枢にその情報を送る投射ニューロンとしての役目をする比較的大型の[[僧帽房飾細胞]]は、表面から比較的深い3番目の層に存在する。この層を、局在するニューロンの名前から僧帽房飾細胞層と呼ぶ。鋤鼻受容細胞から僧帽房飾細胞の樹状突起が情報を受けるため[[シナプス]]を形成する部位が[[糸球体]](glomerulus)と呼ばれる構造で、鋤鼻神経層と僧帽房飾細胞層の間にあり、この部分を[[糸球体層]]と呼ぶ。僧帽房飾細胞はさらに高次の中枢に軸索を送るとともに、自身の樹状突起と顆粒細胞の樹状突起との間でシナプスを形成する(図5右)。顆粒細胞は小型で[[介在ニューロン]]としての役目をする。細胞体はもっとも深い位置にあり、この部位を[[顆粒細胞層]]と呼ぶ。