「中央実行系」の版間の差分

提供:脳科学辞典
ナビゲーションに移動 検索に移動
編集の要約なし
編集の要約なし
(3人の利用者による、間の11版が非表示)
1行目: 1行目:
<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/daisuke_matsuyoshi 松吉 大輔]</font><br>
''東京大学 先端科学技術研究センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年7月10日 原稿完成日:2012年7月17日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構 生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>
</div>
英語名:central executive
英語名:central executive


{{box|text=
'''中央実行系''' (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974) の提唱した[[ワーキングメモリ]]モデルにおける中心的な構成概念であり、従属する記憶貯蔵庫(視空間スケッチパッド・[[音韻ループ]])と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。
 中央実行系 (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974)<ref>'''A D Baddeley, G J Hitch'''<br>Working memory<br>''G A Bower (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1974</ref> の提唱した[[ワーキングメモリー]]モデルにおける中心的な構成概念であり、下位システムの[[記憶貯蔵庫]]([[視空間スケッチパッド]][[音韻ループ]])と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。


 現在の課題要求に応じて、[[注意]]の[[スイッチング]]や、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む[[実行機能]] (executive function) の元となった概念である。
単純な記憶とは異なり、現在の課題要求に応じて、課題ルールのスイッチングや、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む[[実行機能]] (executive function) の元となった概念である。
}}


==Baddeleyのモデル==
==Baddeleyのモデル==
 中央実行系の基本的な機能は、目標に応じて下位の認知・記憶システムを制御することであるが、必ずしもモデル提唱当初からその機能は明示されておらず、明確化されたのは比較的近年の事である。基本的には、2つの課題を同時に行う二重課題法 (dual task) により検討がされており、単一課題の加算では説明できない成分が中央実行系の寄与という形で説明される事が多い。
Baddeleyのワーキングメモリモデルにおける中央実行系は、1974年のモデル提唱以来、徐々に変化し続けている。
 
===第1世代:3要素モデル===
===第1世代:3要素モデル===
====1974年:3要素モデルの提唱====
====1974年====
 Baddeley & Hitch のワーキングメモリーモデルが登場した背景は、Atkinson & Shiffrin (1968)<ref>'''R C Atkinson, R M Shiffrin'''<br>Human memory: a proposed system and its control processes<br>''K W Spence, J T Spence (Eds) "The Psychology of Learning and Motivation: Advances in Research and Theory" Academic Press (New York)'':1968</ref> による[[短期記憶]]と[[長期記憶]]からなる記憶の[[二重貯蔵モデル]]により、うまく説明できない実験結果が存在していたためである。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどは、短期記憶が長期記憶の前段階である事を仮定する二重貯蔵モデルとは矛盾する。
Baddeley & Hitchのワーキングメモリモデルが登場した背景には、Attkinson & Shiffrin (1968) による短期記憶と長期記憶からなる記憶の二重貯蔵モデルにより、うまく説明できない実験結果の存在が挙げられる。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどである。


 彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。このような実験結果は、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと彼らは考え、彼らは記憶保持を行う2つの記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系という3要素からなるワーキングメモリーモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|'''図.Baddeleyのワーキングメモリーモデル'''<br>第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2G図中、グレーは内容の流動性は低いが構造上の安定性が高い結晶システム (crystalised system)、その他の色はワーキングメモリー本体であり、内容の流動性の高い流動システム (fluid system) とされる。視空間スケッチパッドと音韻ループは感覚入力を受け取るが、エピソディック・バッファについては不明。]]
彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。彼らはこの結果を、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと考えた。このような実験から、彼らは記憶保持を行う記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系とを分離したワーキングメモリモデルを提唱した。[[ファイル:BaddeleyModels v2.jpg|300px|thumb|Baddeleyのワーキングメモリモデル。第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2Gの白はワーキングメモリモデル本体であり流動システム (fluid system)とされ、グレーは結晶システム (crystallised system) とされる。]]


 記憶貯蔵庫は音韻ループ (phonological loop) と視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) の2つがあり、前者は音声言語情報、後者は[[視覚]]・[[空間情報]]を保持する貯蔵庫である。そして、それらを制御する認知システムが中央実行系 (central executive) である。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルを、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリー」モデルへと拡張し、読解や学習、推論など、より広範な認知課題をも説明しようとした事にある。しかし、中央実行系の機能については、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」と表現するほど、モデル提案がなされた当初においては詳しい説明がなされておらず、一般的な目的のための処理システムといった程度の位置づけであり、2つの従属システムが行わない「全ての賢い事」を中央実行系が担わされる形となっていた<ref><pubmed>21961947</pubmed></ref>。また、後のモデルでは破棄されることとなる中央実行系自身が貯蔵機能を持つという仮定も置かれていた。
オリジナルの第1世代ワーキングメモリモデルで、彼らは、注意制御と一時的な記憶貯蔵庫2つの合計3要素からなるモデルを提唱した。音韻ループ (phonological loop) は音声言語情報を保持する貯蔵庫、視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) は視覚・空間情報を保持する貯蔵庫であり、それらを制御する系として中央実行系 (central executive) を置いた。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルに対し、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリ」モデルとし、読解や学習、推論などより広範な認知課題にも関与するモデルを提唱した事にある。


====1986年:SASモデルとの関連====
しかし、この第1世代のモデルにおいては、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」(Baddeley, 2012) と表現するほど、中央実行系の機能についての詳しい説明はなされておらず、2つのサブシステムが行わない「全ての賢い事」、たとえば注意のフォーカスや、意思決定などに関与する、脳の中の小人 (homunculus) とでも言うべき位置付けがなされていた。しかし、Baddeleyは「小人」は解ではなく、問題の存在する領域を示すものであり、まず、どのようなプロセスが小人に割り当てられるかを特定した上で、その説明・検討を行えばよいとした。
 中央実行系の機能は、1986年に出版された著書<ref>'''A D Baddeley'''<br>Working Memory<br>''Oxford University Press'':1986</ref> において、Norman & Shallice (1980)<ref>'''D A Norman, T Shalice'''<br>Attention to action: Willed and automatic control of behavior<br>''University of California San Diego CHIP Report 99'':1980</ref> によるsupervisory attentional system (SAS) のコンセプトを組み入れる形で、ようやく説明が試みられることとなった。SASモデルでは、通常の習慣的な状況では、スキーマと呼ばれる刺激と反応とが定式化された自動的な系によってほとんどの行為が行われると仮定するが、何かしら通常とは異なる状況が生じた場合には、SASが意識的にスキーマの調整を行う事で、非習慣的な状況に対処するというものである。Baddeleyはこのような(特に、非習慣的な状況における)意図的な制御を行う系としてのSASを、中央実行系にほぼ等しいものと考えていたようであり、本書において、読み・児童におけるワーキングメモリーの発達・加齢との関連について述べている。


====1990年代後半:中央実行系機能の明示====
====1986年====
 Baddeley (1996)<ref>'''A D Baddeley'''<br>Exploring the central executive<br>''Quarterly Journal of Experimental Psychology A, 49(1),  5-28'':1996</ref> は中央実行系の機能を細分化し、
この点について、1986年に出版された著書 "Working Memory" において、Norman & Shallice (1980) によるsupervisory attentional system (SAS) のコンセプトを組み入れる形で、読み、児童におけるワーキングメモリの発達、加齢影響などについて、中央実行系の関与が説明されるようになった。Norman & ShalliceによるSASモデルは、主としてスキーマ (schema) とSASという2つの認知システムから、刺激から反応に至る過程をモデル化した。彼らのモデルにおいては、習慣的な状況であれば、スキーマと呼ばれる刺激と反応とが定式化された自動的な系によってほとんどの行為が行われるが、何かしらの外乱や不規則な事態が生じるなど、スキーマ間での葛藤が起こった場合には、SASによって意識的に一方のスキーマを活性化させるなどの調整を行う事で、非習慣的な状況に対処するというものである。Baddeleyはこのような意図的な制御を行う系としてのSASを、中央実行系にほぼ等しいものと考えていたようである。特に、中央実行系の機能の一つとして、二つ以上の課題を同時に行わなければならない時の、時間的な資源処理のスケジューリングを挙げた他、前頭前野損傷により中央実行系の機能が損害される可能性について言及している。
*注意の焦点化
*注意の分割
*課題のスイッチング
*長期記憶とのインタフェース
の4点を挙げた。


 Baddeley & Logie (1999)<ref>'''A D Baddeley, R H Logie '''<br>Working memory: The multi-component model<br>''A Miyake, P Shah (Eds) "Models of Working Memory: Mechanisms of Active Manitenance and Executive Control" Cambridge University Press'':1999</ref> は、二つの隷属システムの調整、注意の焦点化とスイッチング、長期記憶内表象の活性化が中央実行系の基本的な機能であり、読解・推論・計算などの高次認知機能に関与し、新しい知識の獲得や問題解決に貢献して目標志向的な行動を支えているとした。中央実行系の基本的な概念は、1990年代後半のこれらの研究によって形成されたと考えられる。
====1999年====
中央実行系の機能を細分化して明示的に示したのは、Baddeley & Logie (1999) の"Working memory: The multicomponent model"である。中央実行系は、ワーキングメモリシステムの制御と調節に関与しており、二つの隷属システムの調整、注意の焦点化とスイッチング、長期記憶内表象の活性化を行う一方、貯蔵そのものには関与しないとした。今日、中央実行系として呼ばれる概念の基本的な概念は、この研究に負うところが大きい。


===第2世代:4要素モデル===
===第2世代:4要素モデル(エピソディック・バッファ)===
====2000年:エピソディック・バッファと意識====
====2000年====
 3要素からなる第1世代のワーキングメモリーモデルでは「短期的な」記憶のみしか扱ってこなかったため、長期記憶がどのように現在の課題に役立てられているか、また、長期記憶がどうやって形成されるかについては不明のままであった。そこで、Baddeley (2000)<ref><pubmed>11058819</pubmed></ref> は、[[エピソディック・バッファ]] (episodic buffer) と呼ばれる新たな構成要素をモデルに導入し、中央実行系が、このエピソディック・バッファを通じて長期記憶との相互作用を行っていると主張した。
3要素からなる第1世代のワーキングメモリモデルでは「短期的な」記憶のみしか扱ってこなかったため、長期記憶がどのように現在の課題に役立てられているか、また、長期記憶がどうやって形成されるかについては謎のままであった。そこで、Baddeley (2000) は、ワーキングメモリモデルの4つめの要素として、エピソディック・バッファ (episodic buffer) を追加するとともに、中央実行系が、このエピソディック・バッファを通じて長期記憶との相互作用を行うモデルを新たに構築した。


 エピソードとは、複数のソースからの情報が時空間的に統合されたまとまり (chunck) を意味する。エピソディック・バッファは、容量制約のある記憶貯蔵庫の一種であり、中央実行系により様々なソースからの情報を統合・操作する「場」となっており、長期記憶とのインタフェースとして働いているのだという。また、中央実行系とバッファとの相互作用は意識を伴うものであるとした。
エピソディック・バッファは、容量制約を持ち、様々なソースからの情報を統合する役目を担っているとされる。エピソディック・バッファ上の情報は、中央実行系により意識的に操作・調整されており、長期記憶とのインタフェースとして働いているのだという。なお、エピソードという名前は、情報が時空間的に統合された「エピソード」が、このバッファに保持されているという仮定から名付けられている。


===最近の状況===
===最近の状況===
 近年、この中央実行系という概念は、ワーキングメモリー研究以外の分野にも浸透し、それらにおいては実行機能 (executive function) や実行制御 (executive control) と呼ばれている <ref>'''P Rabbit (Eds)'''<br>Methodology of Frontal and Executive Function<br>''Psychology Press (Hove)'':1997</ref>。用語は微妙に異なるものの、想定されている認知機能に大差はなく、概念間で相互に影響しあっている。ただし、ワーキングメモリー研究であれば必ず中央実行系と呼ばれるわけではなく、Baddeley以外のモデルでは、実行機能や実行制御と呼ばれており<ref name=ref1><pubmed>10945922</pubmed></ref>、むしろ近年では「実行機能のことをBaddeleyは中央実行系と呼んでいる」とさえ表現できるかもしれない。PubMedにおける検索では、central executiveをタイトルもしくはアブストラクトに含む論文件数は459であるのに対し、executive functionの論文件数は4649であり、大幅に上回る(2012年6月26日現在)。
近年、この中央実行系という概念は、ワーキングメモリ研究以外の分野にも浸透し、それらにおいては実行機能と呼ばれている。用語は微妙に異なるものの、想定されている認知機能に大差はない。ただし、中央実行系がワーキングメモリ研究内でも、特にBaddeleyのモデルにおける用語であるのに対し、実行機能はワーキングメモリのみならず、認知発達や障害など幅広い研究分野においても用いられる用語となっている。実際、PubMedにおける検索では、central executiveをタイトルもしくはアブストラクトに含む論文件数は459であるのに対し、executive functionの論文件数は4649であり、大幅に上回る。


 中央実行系、実行機能ともに、類似概念である注意とどのように異なるかについての明確な理論・区分はなされていないが、おおよそ中央実行系・実行機能の場合には前頭前野の関与が強調されるのに対し、注意の場合は頭頂葉の関与が強調される傾向がある<ref name=ref1 /><ref><pubmed>15040547</pubmed></ref>。ただし、必ずしも二分化できるものではなく、研究者により見解が異なるところである。
中央実行系、実行機能ともに、注意制御とどのように異なるかについての明確な理論・区分はなされていないが、おおよそ中央実行系・実行機能は前頭葉に存在するモダリティに依存しない制御系であるのに対し、注意は頭頂葉に存在する比較的モダリティ依存な制御系であると見なされる傾向が強いが、議論の分かれるところである。


==神経基盤==
==神経基盤==
 ''詳細は[[実行機能]]を参照''
''詳細は[[実行機能]]を参照''
 
 D'Esposito et al (1995)<ref><pubmed>7477346</pubmed></ref> は、[[言語]]課題と空間課題とを別々に行う場合と、両課題を同時に行う場合とを比較し、後者のみに[[前頭前野]] (prefrontal cortex) と[[前帯状皮質]] (anterior cingulate cortex) の活動が確認されることから、これらの領域が中央実行系を担っているとした。これ以降の研究の多くがこの二領域の関与を指摘しているが、近年は実行機能の名の下に神経機構が検討される事が多い。
 
==関連項目==
 
*[[行動の抑制]]
*[[実行機能]]
*[[前頭葉]]
*[[前頭前野]]
*[[ワーキングメモリー]]
 
== 参考文献  ==


<references />
中央実行系の神経機構を調べた初期の研究として、D'Esposito et al (1995) が挙げられる。彼らは、言語課題と空間課題とを別々に行う場合と、両課題を同時に行う場合とを比較し、後者のみに前頭前野と前部帯状皮質の活動が確認されることから、これらの領域が中央実行系を担っているとした。これ以降の研究の多くが前頭前野と前部帯状皮質の関与を指摘しているが、近年は[[実行機能]]の名の下に神経機構が検討される事が多い。

2012年6月27日 (水) 00:06時点における版

英語名:central executive

中央実行系 (ちゅうおうじっこうけい)とは、Baddeley & Hitch (1974) の提唱したワーキングメモリモデルにおける中心的な構成概念であり、従属する記憶貯蔵庫(視空間スケッチパッド・音韻ループ)と相互作用して、それらの制御と情報処理を行う認知システムである。

単純な記憶とは異なり、現在の課題要求に応じて、課題ルールのスイッチングや、必要な情報の更新などの認知制御を行い、目標志向的行動を支えていると考えられている。近年、研究が進む実行機能 (executive function) の元となった概念である。

Baddeleyのモデル

Baddeleyのワーキングメモリモデルにおける中央実行系は、1974年のモデル提唱以来、徐々に変化し続けている。

第1世代:3要素モデル

1974年

Baddeley & Hitchのワーキングメモリモデルが登場した背景には、Attkinson & Shiffrin (1968) による短期記憶と長期記憶からなる記憶の二重貯蔵モデルにより、うまく説明できない実験結果の存在が挙げられる。例えば、短期記憶障害を持つ脳損傷患者であっても、長期記憶の形成が可能であることなどである。

彼らのモデル提唱の直接的な契機となった実験は、彼ら自身の二重課題法による実験である。一次課題として文章の正誤判断課題を遂行する一方で、二次課題として発話された数字の記憶課題を課せられる場合、記憶する必要のある数字の増加に伴い短期記憶容量が消費される。二重貯蔵モデルによれば、二次課題により短期記憶は数字で満たされているため、一次課題に割り当てられる短期記憶容量ほとんどもしくはまったく存在しないため、成績は著しく悪化ないし遂行不可能になるはずである。しかし、最も重い記憶負荷であっても、課題成績はある程度保たれる他、エラーレートは軽記憶負荷とさほど変わらないなど、影響は限定的であった。彼らはこの結果を、短期記憶という単に受動的に情報を貯蔵する記憶モデルでは説明できず、記憶の保持と課題の処理とが別個のシステムによって担われている可能性を示すものと考えた。このような実験から、彼らは記憶保持を行う記憶貯蔵庫と、課題処理を行う注意制御系とを分離したワーキングメモリモデルを提唱した。

Baddeleyのワーキングメモリモデル。第1世代モデル (1G) と第2世代モデル (2G)。2Gの白はワーキングメモリモデル本体であり流動システム (fluid system)とされ、グレーは結晶システム (crystallised system) とされる。

オリジナルの第1世代ワーキングメモリモデルで、彼らは、注意制御と一時的な記憶貯蔵庫2つの合計3要素からなるモデルを提唱した。音韻ループ (phonological loop) は音声言語情報を保持する貯蔵庫、視空間スケッチパッド (visuospatial sketchpad) は視覚・空間情報を保持する貯蔵庫であり、それらを制御する系として中央実行系 (central executive) を置いた。彼らのモデルの特徴は、従来は単純な記憶保持機能のみが想定されていた「短期記憶」のモデルに対し、情報保持機能と情報処理機能とを区分した「ワーキングメモリ」モデルとし、読解や学習、推論などより広範な認知課題にも関与するモデルを提唱した事にある。

しかし、この第1世代のモデルにおいては、提唱者のBaddeley自身が後に「王子のいないハムレット」(Baddeley, 2012) と表現するほど、中央実行系の機能についての詳しい説明はなされておらず、2つのサブシステムが行わない「全ての賢い事」、たとえば注意のフォーカスや、意思決定などに関与する、脳の中の小人 (homunculus) とでも言うべき位置付けがなされていた。しかし、Baddeleyは「小人」は解ではなく、問題の存在する領域を示すものであり、まず、どのようなプロセスが小人に割り当てられるかを特定した上で、その説明・検討を行えばよいとした。

1986年

この点について、1986年に出版された著書 "Working Memory" において、Norman & Shallice (1980) によるsupervisory attentional system (SAS) のコンセプトを組み入れる形で、読み、児童におけるワーキングメモリの発達、加齢影響などについて、中央実行系の関与が説明されるようになった。Norman & ShalliceによるSASモデルは、主としてスキーマ (schema) とSASという2つの認知システムから、刺激から反応に至る過程をモデル化した。彼らのモデルにおいては、習慣的な状況であれば、スキーマと呼ばれる刺激と反応とが定式化された自動的な系によってほとんどの行為が行われるが、何かしらの外乱や不規則な事態が生じるなど、スキーマ間での葛藤が起こった場合には、SASによって意識的に一方のスキーマを活性化させるなどの調整を行う事で、非習慣的な状況に対処するというものである。Baddeleyはこのような意図的な制御を行う系としてのSASを、中央実行系にほぼ等しいものと考えていたようである。特に、中央実行系の機能の一つとして、二つ以上の課題を同時に行わなければならない時の、時間的な資源処理のスケジューリングを挙げた他、前頭前野損傷により中央実行系の機能が損害される可能性について言及している。

1999年

中央実行系の機能を細分化して明示的に示したのは、Baddeley & Logie (1999) の"Working memory: The multicomponent model"である。中央実行系は、ワーキングメモリシステムの制御と調節に関与しており、二つの隷属システムの調整、注意の焦点化とスイッチング、長期記憶内表象の活性化を行う一方、貯蔵そのものには関与しないとした。今日、中央実行系として呼ばれる概念の基本的な概念は、この研究に負うところが大きい。

第2世代:4要素モデル(エピソディック・バッファ)

2000年

3要素からなる第1世代のワーキングメモリモデルでは「短期的な」記憶のみしか扱ってこなかったため、長期記憶がどのように現在の課題に役立てられているか、また、長期記憶がどうやって形成されるかについては謎のままであった。そこで、Baddeley (2000) は、ワーキングメモリモデルの4つめの要素として、エピソディック・バッファ (episodic buffer) を追加するとともに、中央実行系が、このエピソディック・バッファを通じて長期記憶との相互作用を行うモデルを新たに構築した。

エピソディック・バッファは、容量制約を持ち、様々なソースからの情報を統合する役目を担っているとされる。エピソディック・バッファ上の情報は、中央実行系により意識的に操作・調整されており、長期記憶とのインタフェースとして働いているのだという。なお、エピソードという名前は、情報が時空間的に統合された「エピソード」が、このバッファに保持されているという仮定から名付けられている。

最近の状況

近年、この中央実行系という概念は、ワーキングメモリ研究以外の分野にも浸透し、それらにおいては実行機能と呼ばれている。用語は微妙に異なるものの、想定されている認知機能に大差はない。ただし、中央実行系がワーキングメモリ研究内でも、特にBaddeleyのモデルにおける用語であるのに対し、実行機能はワーキングメモリのみならず、認知発達や障害など幅広い研究分野においても用いられる用語となっている。実際、PubMedにおける検索では、central executiveをタイトルもしくはアブストラクトに含む論文件数は459であるのに対し、executive functionの論文件数は4649であり、大幅に上回る。

中央実行系、実行機能ともに、注意制御とどのように異なるかについての明確な理論・区分はなされていないが、おおよそ中央実行系・実行機能は前頭葉に存在するモダリティに依存しない制御系であるのに対し、注意は頭頂葉に存在する比較的モダリティ依存な制御系であると見なされる傾向が強いが、議論の分かれるところである。

神経基盤

詳細は実行機能を参照

中央実行系の神経機構を調べた初期の研究として、D'Esposito et al (1995) が挙げられる。彼らは、言語課題と空間課題とを別々に行う場合と、両課題を同時に行う場合とを比較し、後者のみに前頭前野と前部帯状皮質の活動が確認されることから、これらの領域が中央実行系を担っているとした。これ以降の研究の多くが前頭前野と前部帯状皮質の関与を指摘しているが、近年は実行機能の名の下に神経機構が検討される事が多い。