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== 要約 == | |||
接近行動に重要な役割を果たしている快刺激について、快感情と動機づけの側面を概説する。まず初めに、内側前脳束を中心とした脳部位への電気刺激は強い報酬であることが示され、“欲すること”と“好きなこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。しかし、“欲すること”と“好きなこと”を司る機構が別々に脳内に存在するという恒常性説が提唱されており、それらの脳部位への自己刺激実験(intracranial self-stimulation: ICSS)の現象をうまく説明できることを述べる。また、ドーパミン系の神経細胞を選択的に破壊した研究により、 “欲すること”が障害されるが“好きなこと”かどうかを弁別できることを示唆した実験を概説する。後半では、行動変容と快・不快刺激の出現・消失の関係性に関するオペラント条件づけの手続きを概説する。この関係性は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きから構成される。 | |||
== 快・不快 == | |||
動物は快をもたらす刺激を獲得しようと接近するが、不快をもたらす刺激からは回避したり、不快な状態を維持する刺激からは逃避、もしくは、不快な状態を解消するような刺激を得ようと行動する。これらの接近・回避・逃避行動は環境に適応し、生存確率を高めるための基本的な行動の原理である。 | |||
== 快感情と動機づけ行動の違い == | == 快感情と動機づけ行動の違い == | ||
心理学において、快をもたらす刺激や不快な状態を解消するような刺激に対して行動が生じることを誘因動機づけと定義している。言い換えると、これらの刺激を“欲すること”が“誘因に対して動機づけられている状態”である。通常、何かを“欲すること”は快感情(“好きなこと”)と関連していると考えられる。Oldsが発見した内側前脳束を中心とした脳部位への電気刺激は強い報酬であることが示され、それらの脳部位への自己刺激実験(intracranial self-stimulation: ICSS)では、刺激をもたらす行動を持続させることが示された。このことから、それらの脳部位を「快感中枢」と呼び、脳内刺激そのものが快いために欲されると考えられてきた。このように、“欲すること”と“好きなこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。 | |||
しかし、“欲すること”と“好きなこと”は区別されるものであるという考え方が一般的になりつつある。たとえば、空腹状態の時にバナナを食べるという状況を考えたとき、快感情は誘因刺激であるバナナを食べているときに経験されるものであり、食べることを欲しているときに経験される感情ではない。また、最近の研究では、“欲すること”と“好きなこと”を司る機構が別々に脳内に存在するという恒常性説が提唱されている。この恒常性説によれば、脳内には“欲すること”である動因機構と“好きなこと”をもたらす強化機構がある。前者の機構の役割は、生理的均衡状態が保たれなくなると、食べ物や水などへの動因が生じ、行動を賦活することである。一方、後者の機構の役割は、動因に基づき適切な報酬が随伴する(好きなことをもたらす)行動を選択することである。ICSSはこの両方の機構を同時に賦活する。そして、強化機構ではICSSによる報酬効果と自然報酬の効果は同じように働くが、動因機構では自然報酬は動因を低減させるにもかかわらず、ICSSの場合は動因が増大することになる。そのため、いつまでもICSSをもたらす行動が維持され、飽和(saturation)がないことや、いったんICSSが与えられなくなるとすぐに動因の賦活が減衰するために行動の消去が早いなどの現象が生じる。 | |||
また、ドーパミン系の神経細胞を選択的に破壊したマウスは食事や水などの報酬を獲得しようとしなくなり、強制的に食事を与えないと餓死してしまうことが示された。これらの結果は、ドーパミン系神経細胞の破壊によってこのマウスの“欲すること”が障害されたことを示す。しかしながら、この破壊マウスは甘い味や苦い味を口に注入されると健常マウスと同じ行動を示した。これらの結果は、このマウスが“好きなこと”かどうかを弁別できることを示唆する。ドーパミン系神経経路は“欲すること”に関係し、“好きなこと”には関係しないと考えられる。 | |||
== 行動変容と快・不快刺激の出現・消失(あるいは省略)の関係性 == | == 行動変容と快・不快刺激の出現・消失(あるいは省略)の関係性 == | ||
[[Image:快不快1.png|thumb|300px|'''図1. 行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容の組み合わせ'''(<ref>'''Mazur, J.E.'''<br> Leaninig and Behavior. 5th ed. <br>New Jersey.: Prentice Hall (2002)</ref>を改変)]] | [[Image:快不快1.png|thumb|300px|'''図1. 行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容の組み合わせ'''<br>(<ref>'''Mazur, J.E.'''<br> Leaninig and Behavior. 5th ed. <br>New Jersey.: Prentice Hall (2002)</ref>を改変)]] | ||
快をもたらす刺激の動機づけの側面を上述したが、この快刺激の動機づけの機能は行動変容に重要な役割を果たしている。たとえば、空腹状態にある時に、ある行動を行うと食物を得ることができた場合、その行動の生起頻度が上昇する。この手続きを正の強化といい、食物などの刺激を強化子という。Skinnerは強化を通じてある行動が強められる手続きをオペラント条件づけ(operant conditioning)もしくは道具的条件づけ(instrumental conditioning)という用語を使用したが、この正の強化は行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容を組み合わせた4つの手続きのうちの1つにすぎない。図1は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きを示したものである。負の強化は、ある行動を行うと不快な刺激が消失した場合、その行動の生起頻度が上昇するという手続きである。日常的な例としては、歯痛で苦しい状態にある時に、鎮痛薬を服用し痛みが治まったときに該当する。すなわち、歯痛による不快な状態を薬の服用行動によってなくすことができたので、今後歯痛による不快な状態になったときに鎮痛薬の服用行動が生起する頻度が増加する。正の強化では快をもたらす刺激の出現が含まれ、負の強化では不快をもたらす刺激の消失が含まれるが、いずれにおいても行動の生起頻度を高めることが示されてきた。 | |||
一方、罰はある行動を行うと不快な刺激が出現した場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。日常的な例としては、スピード違反をすると違反切符が送られてくるなどが該当する。負の罰は、ある行動を行うと快な刺激が消失したり、与えられずに省略されたりした場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。たとえば、アイスホッケーの試合において、反則を犯すとその選手はペナルティボックスに入り、一定の時間プレイすることができないというのが該当する。また、夜遅くまで友人と遊んでいて門限を破り、晩ご飯を親から食べさせてもらえなかったという例は、晩ご飯という快刺激が与えられずに省略された例に該当する。 | |||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
<references /> | <references /> | ||
Smith, E.E., Nolen-Hoeksema, S., Fredrickson, B.L., & Loftus, G.R. (2003). Atkinson & Hilgard's Introduction to Psychology. 14th ed. Belmont, C.A.: Thomson Wadsworth. (スミスE.E. ノーレンホーセクマ S. フレデリックソン B.L. ロフタス G.R. 内田一成 (監訳)(2005) ヒルガードの心理学 ブレーン出版) | |||
Buck, R. (1988). Human motivation and emotion. 2nd ed. New York.: Wiley.(バックR. 畑山俊輝・畑山みさ子・松岡和生・中村弘子・中村真・山口浩(訳)(2002). 感情の社会生理心理学 金子書房) | |||
(執筆者:田積徹、西条寿夫 担当編集委員:藤田一郎) |
2012年12月11日 (火) 12:56時点における版
要約
接近行動に重要な役割を果たしている快刺激について、快感情と動機づけの側面を概説する。まず初めに、内側前脳束を中心とした脳部位への電気刺激は強い報酬であることが示され、“欲すること”と“好きなこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。しかし、“欲すること”と“好きなこと”を司る機構が別々に脳内に存在するという恒常性説が提唱されており、それらの脳部位への自己刺激実験(intracranial self-stimulation: ICSS)の現象をうまく説明できることを述べる。また、ドーパミン系の神経細胞を選択的に破壊した研究により、 “欲すること”が障害されるが“好きなこと”かどうかを弁別できることを示唆した実験を概説する。後半では、行動変容と快・不快刺激の出現・消失の関係性に関するオペラント条件づけの手続きを概説する。この関係性は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きから構成される。
快・不快
動物は快をもたらす刺激を獲得しようと接近するが、不快をもたらす刺激からは回避したり、不快な状態を維持する刺激からは逃避、もしくは、不快な状態を解消するような刺激を得ようと行動する。これらの接近・回避・逃避行動は環境に適応し、生存確率を高めるための基本的な行動の原理である。
快感情と動機づけ行動の違い
心理学において、快をもたらす刺激や不快な状態を解消するような刺激に対して行動が生じることを誘因動機づけと定義している。言い換えると、これらの刺激を“欲すること”が“誘因に対して動機づけられている状態”である。通常、何かを“欲すること”は快感情(“好きなこと”)と関連していると考えられる。Oldsが発見した内側前脳束を中心とした脳部位への電気刺激は強い報酬であることが示され、それらの脳部位への自己刺激実験(intracranial self-stimulation: ICSS)では、刺激をもたらす行動を持続させることが示された。このことから、それらの脳部位を「快感中枢」と呼び、脳内刺激そのものが快いために欲されると考えられてきた。このように、“欲すること”と“好きなこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。
しかし、“欲すること”と“好きなこと”は区別されるものであるという考え方が一般的になりつつある。たとえば、空腹状態の時にバナナを食べるという状況を考えたとき、快感情は誘因刺激であるバナナを食べているときに経験されるものであり、食べることを欲しているときに経験される感情ではない。また、最近の研究では、“欲すること”と“好きなこと”を司る機構が別々に脳内に存在するという恒常性説が提唱されている。この恒常性説によれば、脳内には“欲すること”である動因機構と“好きなこと”をもたらす強化機構がある。前者の機構の役割は、生理的均衡状態が保たれなくなると、食べ物や水などへの動因が生じ、行動を賦活することである。一方、後者の機構の役割は、動因に基づき適切な報酬が随伴する(好きなことをもたらす)行動を選択することである。ICSSはこの両方の機構を同時に賦活する。そして、強化機構ではICSSによる報酬効果と自然報酬の効果は同じように働くが、動因機構では自然報酬は動因を低減させるにもかかわらず、ICSSの場合は動因が増大することになる。そのため、いつまでもICSSをもたらす行動が維持され、飽和(saturation)がないことや、いったんICSSが与えられなくなるとすぐに動因の賦活が減衰するために行動の消去が早いなどの現象が生じる。
また、ドーパミン系の神経細胞を選択的に破壊したマウスは食事や水などの報酬を獲得しようとしなくなり、強制的に食事を与えないと餓死してしまうことが示された。これらの結果は、ドーパミン系神経細胞の破壊によってこのマウスの“欲すること”が障害されたことを示す。しかしながら、この破壊マウスは甘い味や苦い味を口に注入されると健常マウスと同じ行動を示した。これらの結果は、このマウスが“好きなこと”かどうかを弁別できることを示唆する。ドーパミン系神経経路は“欲すること”に関係し、“好きなこと”には関係しないと考えられる。
行動変容と快・不快刺激の出現・消失(あるいは省略)の関係性
快をもたらす刺激の動機づけの側面を上述したが、この快刺激の動機づけの機能は行動変容に重要な役割を果たしている。たとえば、空腹状態にある時に、ある行動を行うと食物を得ることができた場合、その行動の生起頻度が上昇する。この手続きを正の強化といい、食物などの刺激を強化子という。Skinnerは強化を通じてある行動が強められる手続きをオペラント条件づけ(operant conditioning)もしくは道具的条件づけ(instrumental conditioning)という用語を使用したが、この正の強化は行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容を組み合わせた4つの手続きのうちの1つにすぎない。図1は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きを示したものである。負の強化は、ある行動を行うと不快な刺激が消失した場合、その行動の生起頻度が上昇するという手続きである。日常的な例としては、歯痛で苦しい状態にある時に、鎮痛薬を服用し痛みが治まったときに該当する。すなわち、歯痛による不快な状態を薬の服用行動によってなくすことができたので、今後歯痛による不快な状態になったときに鎮痛薬の服用行動が生起する頻度が増加する。正の強化では快をもたらす刺激の出現が含まれ、負の強化では不快をもたらす刺激の消失が含まれるが、いずれにおいても行動の生起頻度を高めることが示されてきた。
一方、罰はある行動を行うと不快な刺激が出現した場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。日常的な例としては、スピード違反をすると違反切符が送られてくるなどが該当する。負の罰は、ある行動を行うと快な刺激が消失したり、与えられずに省略されたりした場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。たとえば、アイスホッケーの試合において、反則を犯すとその選手はペナルティボックスに入り、一定の時間プレイすることができないというのが該当する。また、夜遅くまで友人と遊んでいて門限を破り、晩ご飯を親から食べさせてもらえなかったという例は、晩ご飯という快刺激が与えられずに省略された例に該当する。
参考文献
- ↑ Mazur, J.E.
Leaninig and Behavior. 5th ed.
New Jersey.: Prentice Hall (2002)
Smith, E.E., Nolen-Hoeksema, S., Fredrickson, B.L., & Loftus, G.R. (2003). Atkinson & Hilgard's Introduction to Psychology. 14th ed. Belmont, C.A.: Thomson Wadsworth. (スミスE.E. ノーレンホーセクマ S. フレデリックソン B.L. ロフタス G.R. 内田一成 (監訳)(2005) ヒルガードの心理学 ブレーン出版)
Buck, R. (1988). Human motivation and emotion. 2nd ed. New York.: Wiley.(バックR. 畑山俊輝・畑山みさ子・松岡和生・中村弘子・中村真・山口浩(訳)(2002). 感情の社会生理心理学 金子書房)
(執筆者:田積徹、西条寿夫 担当編集委員:藤田一郎)