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フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)が最初に提唱した概念で、後の精神分析家らにより発展した。フロイトは、人のこころは3つの要素から構成されると考えた。すなわち、人間が根源的に抱いている本能的欲動であるイド(またはエス)、イドを制止する超自我(スーパーエゴ)、そして両者の間で懸命に適切な道を探る自我(エゴ)である。イドはそれ自体、本人にとっても認めがたいものであるため、自我はそれを意識に上らないように様々なかたちで抵抗する。 | |||
防衛機制とは、自我がイドに対して抵抗するために用いる手段をいう。 | 防衛機制とは、自我がイドに対して抵抗するために用いる手段をいう。 | ||
== フロイトによる防衛機制 == | == フロイトによる防衛機制 == | ||
===抑圧=== | ===抑圧 (repression)=== | ||
受け入れがたい本能的衝動が著しい苦痛や不快感を引き起こすとき、これを意識から締め出し隔離することで、自我を守ろうとする試み。たとえば、幼少期のトラウマ体験の記憶は、抑圧され意識されないだけでなく、修正されることも癒されることもないまま、幼少期の強烈さをそのままに心の奥深くに押し込められてしまう。 | |||
===反動形成 (reaction formation)=== | |||
===反動形成=== | |||
自我にとって受け入れがたい本能衝動の意識化を防ぐために、その衝動とは反対方向の態度を過度に強調する機制のことである。たとえば、心の奥底では強い憎しみを抱いている相手に対し、敢えて親切に振る舞うことなどである。 | 自我にとって受け入れがたい本能衝動の意識化を防ぐために、その衝動とは反対方向の態度を過度に強調する機制のことである。たとえば、心の奥底では強い憎しみを抱いている相手に対し、敢えて親切に振る舞うことなどである。 | ||
=== | ===退行(regression)=== | ||
自我が衝動や葛藤についての不安から自らを守るために、現在の状態より以前の状態へ、あるいはより未発達な段階や逆戻りすることである。一般的に発達の観点からみた「子ども返り」と呼ばれる現象である。以前の行動様式に退却・避難することで、衝動や葛藤を感じないようにする。たとえば、弟あるいは妹が産まれ、母親がその赤子の世話をするのをみて、先に産まれた子どもが不安や脅威を感じ、赤ちゃん返りする場合などがある。 | 自我が衝動や葛藤についての不安から自らを守るために、現在の状態より以前の状態へ、あるいはより未発達な段階や逆戻りすることである。一般的に発達の観点からみた「子ども返り」と呼ばれる現象である。以前の行動様式に退却・避難することで、衝動や葛藤を感じないようにする。たとえば、弟あるいは妹が産まれ、母親がその赤子の世話をするのをみて、先に産まれた子どもが不安や脅威を感じ、赤ちゃん返りする場合などがある。 | ||
=== | ===隔離(分離)(isolation)=== | ||
受け入れがたい感情や衝動と、思考や行為、意識内容、観念などを切り離すことをいう。たとえば、何度も施錠など確認行為を繰り返したり衝動的に誰かを殺してしまうのではないかと考えて頭から離れなかったりする強迫性障害では、その特有の強迫的・反復的な行為や観念により、受け入れがたい感情を切り離しているとされる。 | 受け入れがたい感情や衝動と、思考や行為、意識内容、観念などを切り離すことをいう。たとえば、何度も施錠など確認行為を繰り返したり衝動的に誰かを殺してしまうのではないかと考えて頭から離れなかったりする強迫性障害では、その特有の強迫的・反復的な行為や観念により、受け入れがたい感情を切り離しているとされる。 | ||
=== | ===打ち消し(undoing)=== | ||
過去の思考・行為に伴う罪悪感や恥の感情を、それとは反対の意味を持つ思考ないしは行動によって打ち消そうとすることである。たとえば、相手を非難したあとで、しきりに褒めたり機嫌をとったりするような場合である。 | 過去の思考・行為に伴う罪悪感や恥の感情を、それとは反対の意味を持つ思考ないしは行動によって打ち消そうとすることである。たとえば、相手を非難したあとで、しきりに褒めたり機嫌をとったりするような場合である。 | ||
===投影=== | ===投影 (projection)=== | ||
自分のなかにある受け入れがたい不快な感情や性格を他者が持っているかのように知覚することである。たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者に投影して逆に他者が自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である。 | 自分のなかにある受け入れがたい不快な感情や性格を他者が持っているかのように知覚することである。たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者に投影して逆に他者が自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である。 | ||
===取り入れ === | ===取り入れ (introjection)=== | ||
一定の対象、その属性を心理的に自己の内部に取り入れることをいう。ある対象(他者)との結びつきを求める欲動が、何らかの困難に遭遇してあきらめざるを得ないとき、その他者を模倣し、その人と同じように考え、感じ、ふるまうことによって、その人を内に取り込む。この取り込みによって、その他者との結びつきを果たそうとするのである(これは、同一視 identification と呼ばれる)。たとえば、自分に自信のない人が、芸能人など憧れの人を模倣し、その人と同じような格好をしたり話し方を真似たりする場合である。なお、取り入れには、同一視の他、口唇による「体内化」(incorporation)も含まれる。 | |||
===衝動の自己への向き換え (turning the impulse against the self)=== | |||
===衝動の自己への向き換え | |||
turning the impulse against the self | |||
特定の対象に対する強い衝動(怒りであることが多い)を自分自身に対して向き換えること。自我はこの怒りの感情が意識に上ることを恐れているのであり、真面目な人が隠された怒りを自分自身に向け、抑うつ的・自虐的に陥ることが多い。 | 特定の対象に対する強い衝動(怒りであることが多い)を自分自身に対して向き換えること。自我はこの怒りの感情が意識に上ることを恐れているのであり、真面目な人が隠された怒りを自分自身に向け、抑うつ的・自虐的に陥ることが多い。 | ||
===転倒 === | ===転倒 (reversal into opposite) === | ||
特定の対象に対する感情が正反対の感情に置き換わること。たとえば、ある女性と深い関係になることを強く欲しているが、そうした自身の欲動を恐れている男性がいる。男性は、相手の女性が自分と友人以上の関係を望んでいないことを感じ、女性に対して強い怒りや恨み感情を抱くようになったというような場合である | 特定の対象に対する感情が正反対の感情に置き換わること。たとえば、ある女性と深い関係になることを強く欲しているが、そうした自身の欲動を恐れている男性がいる。男性は、相手の女性が自分と友人以上の関係を望んでいないことを感じ、女性に対して強い怒りや恨み感情を抱くようになったというような場合である | ||
フロイトは、防衛機制と精神症状の間には、緊密な関係があると考えた。たとえば、器質的病変の認められない機能障害であるヒステリー(例:医学的に異常がないにも関わらず、麻痺や感覚消失などの身体症状を生じる。現在の診断基準では、転換性障害や解離性障害として分類される)では抑圧が、また上述の強迫性障害では、退行および反動形成、隔離、打消しなどの機制が働き、さらに特定の対象を必要以上に脅威としてみなす恐怖症や妄想性障害では、これらの機制に加えて投影が、うつ病では取り入れ(同一視)といった防衛機制が、症状形成や固着に大きく関与すると考えた。 | |||
== フロイト以後の防衛機制論 == | == フロイト以後の防衛機制論 == | ||
その後、フロイトの娘であるアンナ・フロイト (Anna Freud, 1895-1982) は、フロイトの防衛機制論を発展させ、昇華 (sublimation) を新たに加えた10種類の防衛機制を提唱している。この他、学説によってさまざまな分類が可能だが、グリート・ビブリング (Grete L. Bibring (1899-1977) による分類も有名である。 | |||
sublimation | ===昇華 (sublimation)=== | ||
受け入れがたい衝動を社会的に価値のある行動、特に創造的な活動に変化させることである。たとえば、父親に対する強い怒りを抱いている人が、勉学に励み、外科医になることなどがこれに当たる。 | 受け入れがたい衝動を社会的に価値のある行動、特に創造的な活動に変化させることである。たとえば、父親に対する強い怒りを抱いている人が、勉学に励み、外科医になることなどがこれに当たる。 | ||
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== 防衛機制と脳科学 == | == 防衛機制と脳科学 == | ||
防衛機制の概念を初めて提唱し、精神分析療法の創始者でもあるフロイトその人は、もともとは神経科学者であった。それにも関わらず、1985年に「Project for a scientific psychology」という本のなかで行った神経科学と精神分析における諸概念を統合する試みを最後に、その後の生涯で、神経科学について言及することは無かった。フロイトがなぜ神経科学を捨てたのかに関しては諸論があるものの、当時の神経科学技術はこころという現象に迫るうえで十分に発達していなかったということが最も大きな理由とされる <ref name=ref6><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref9><pubmed></pubmed></ref>。 | |||
近年の神経科学技術の飛躍的発展を受けて神経科学と精神分析の融合を推進する動きもある一方で、人のこころを客観的に量的に評価することで生きた主観体験がないがしろにされてしまうという批判もある<ref name=ref5><pubmed> | 近年の神経科学技術の飛躍的発展を受けて神経科学と精神分析の融合を推進する動きもある一方で、人のこころを客観的に量的に評価することで生きた主観体験がないがしろにされてしまうという批判もある<ref name=ref5><pubmed></pubmed></ref>。とりわけ防衛機制は本人にも意識されない心的働きを含むため、測定が難しい。しかし、「カロリンスカ心理力動プロフィール」(Karolinska psychodynamic profile) <ref name=ref21><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref22><pubmed></pubmed></ref>や「防衛機制評価尺度」(Defense Mechanism Rating Scales)<ref name=ref14><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed></pubmed></ref>、「防衛スタイル質問票」(Defense Style Questionnaire 40) <ref name=ref1><pubmed></pubmed></ref>などによって測定することは不可能ではないとも言われる<ref name=ref11><pubmed></pubmed></ref>。 | ||
とはいえ、精神分析の諸概念に対する実証的研究は非常に限られているうえに、その神経科学的機序についてはほとんど検証されていない。一定の可能性が示唆される抑圧と退行について取り上げる。 | とはいえ、精神分析の諸概念に対する実証的研究は非常に限られているうえに、その神経科学的機序についてはほとんど検証されていない。一定の可能性が示唆される抑圧と退行について取り上げる。 | ||
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===抑圧=== | ===抑圧=== | ||
一言に抑圧といっても、含まれる心的働きは幅広い。たとえば、上述のヒステリー症状や、意識・記憶・パーソナリティの不連続性を示す解離性症状 (dissociative symptoms) は、もともとは抑圧から生じた精神症状であるとフロイトは記述している<ref name=ref2><pubmed></pubmed></ref>[注:アーネスト・ヒルガード (Ernest R. Hilgard, 1904- 2001) は、解離を抑圧とは異なる機制として位置付けている<ref name=ref4><pubmed></pubmed></ref>。 | |||
たとえば解離症状は、トラウマ体験の記憶を抑圧し、こころの奥深くにしまい込む心的外傷後ストレス障害(PTSD)においても認められる。解離症状が優勢なPTSD患者では、トラウマ体験想起時に、扁桃体活動や島で活動の低下がみられるのに対し、内側前頭前皮質(mPFC)や前帯状皮質 (ACC) の吻側部(rACC)では活動の増加がみとめられるという<ref name=ref7><pubmed></pubmed></ref>。一般的に、交感神経系の活動亢進がみとめられる不安障害では、情動刺激処理時には、扁桃体や島の活動は増加しており、mPFCやrACCの活動は低下している<ref name=ref16><pubmed></pubmed></ref>。これは、通常mPFCやrACCは情動中枢である扁桃体や身体感覚への気づきを司る島の働きを制御しているが、不安障害ではその機能が低下して、扁桃体や島の過剰活動を制御できなくなっているためと考えられている<ref name=ref15><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref16 />。しかし、解離症状主体のPTSDは、これとは真逆のパターンを示すのである。このことから、解離において過剰に働いているのはむしろmPFCやrACCで、扁桃体や島は本来あるべき機能を果たすことができない状態に陥っているという可能性が指摘されている<ref name=ref7 />。 | |||
一方、ヒステリー症状を呈する転換性障害でも、上述と類似する脳領域で機能異常が認められている。たとえば左腕麻痺を示す転換性障害患者に対し、右腕を刺激した際には感覚運動野の活動が認められるが、麻痺している左腕を刺激しても、感覚運動野の活動は生じない。しかし代わりに、前頭眼窩皮質 (OFC) とACC (特にその脳梁膝周囲部) の賦活がみられることが報告されている<ref name=ref3><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref8><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref20><pubmed></pubmed></ref>。特に、ACCは部位によって複数の機能に関与するが、これらの部位の働きは互い拮抗し合うとされる。たとえば、尾側部のACCは意志により発動される運動を司るが、脳梁膝周囲部は情動処理に関与する。脳梁膝周囲部が強い情動を処理している間は、尾側部の活動は抑制されてしまう<ref name=ref18><pubmed></pubmed></ref>。このように転換は、意識的制御とは独立して防衛的に働く原始的反射メカニズムであり、特定の機能的領域が拮抗的に相互作用した結果として生じる一病態と考えられている<ref name=ref19><pubmed></pubmed></ref>。 | |||
===退行=== | ===退行=== | ||
カタトニア (catatonia, 緊張性昏迷強硬症) は統合失調症にみられ、激しい精神運動性の興奮状態と昏迷状態を繰り返し顕わす病態である。ハリー・サリヴァン (Harry S. Sullivan,1892-1949) は、強力な不安の影響下で自己体系がその統一を失う事態を統合失調症と捉え、カタトニアは未熟で小児的な体験様式が蘇ってくるために出現すると考えた。このため精神分析的立場では、カタトニアは感覚運動性の退行として捉えられる。 | |||
無動性カタトニアを持つ統合失調症患者では、無動性カタトニアを持たない統合失調症患者や健常者と比べて、情動刺激処理時、内側OFCからmPFC、運動前野および運動野に対する機能的連結性 (functional connectivity) が有意に減少していたことが報告されている<ref name=ref13><pubmed></pubmed></ref>。このため、内側OFCやmPFCといった大脳皮質正中内側部構造(Cortical Midline Structures)は、カタトニア患者における自己関連づけや同時発生的動作 (concurrent behavior) の破綻に関与し、感覚運動性の退行と関連する可能性が指摘されている<ref name=ref10><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref11 /> <ref name=ref12><pubmed></pubmed></ref>。しかしながら、この他に退行について検証した神経科学研究は乏しく、退行の神経機序に迫るためには様々な対象者における多面的検証が必要である。 | |||
== 参考文献 == | == 参考文献 == | ||
<references /> | <references /> | ||
(執筆者:袴田優子、下山晴彦 担当編集委員:加藤忠史) |
2013年3月8日 (金) 13:36時点における版
フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)が最初に提唱した概念で、後の精神分析家らにより発展した。フロイトは、人のこころは3つの要素から構成されると考えた。すなわち、人間が根源的に抱いている本能的欲動であるイド(またはエス)、イドを制止する超自我(スーパーエゴ)、そして両者の間で懸命に適切な道を探る自我(エゴ)である。イドはそれ自体、本人にとっても認めがたいものであるため、自我はそれを意識に上らないように様々なかたちで抵抗する。 防衛機制とは、自我がイドに対して抵抗するために用いる手段をいう。
フロイトによる防衛機制
抑圧 (repression)
受け入れがたい本能的衝動が著しい苦痛や不快感を引き起こすとき、これを意識から締め出し隔離することで、自我を守ろうとする試み。たとえば、幼少期のトラウマ体験の記憶は、抑圧され意識されないだけでなく、修正されることも癒されることもないまま、幼少期の強烈さをそのままに心の奥深くに押し込められてしまう。
反動形成 (reaction formation)
自我にとって受け入れがたい本能衝動の意識化を防ぐために、その衝動とは反対方向の態度を過度に強調する機制のことである。たとえば、心の奥底では強い憎しみを抱いている相手に対し、敢えて親切に振る舞うことなどである。
退行(regression)
自我が衝動や葛藤についての不安から自らを守るために、現在の状態より以前の状態へ、あるいはより未発達な段階や逆戻りすることである。一般的に発達の観点からみた「子ども返り」と呼ばれる現象である。以前の行動様式に退却・避難することで、衝動や葛藤を感じないようにする。たとえば、弟あるいは妹が産まれ、母親がその赤子の世話をするのをみて、先に産まれた子どもが不安や脅威を感じ、赤ちゃん返りする場合などがある。
隔離(分離)(isolation)
受け入れがたい感情や衝動と、思考や行為、意識内容、観念などを切り離すことをいう。たとえば、何度も施錠など確認行為を繰り返したり衝動的に誰かを殺してしまうのではないかと考えて頭から離れなかったりする強迫性障害では、その特有の強迫的・反復的な行為や観念により、受け入れがたい感情を切り離しているとされる。
打ち消し(undoing)
過去の思考・行為に伴う罪悪感や恥の感情を、それとは反対の意味を持つ思考ないしは行動によって打ち消そうとすることである。たとえば、相手を非難したあとで、しきりに褒めたり機嫌をとったりするような場合である。
投影 (projection)
自分のなかにある受け入れがたい不快な感情や性格を他者が持っているかのように知覚することである。たとえば、怒りっぽい人が、自らの怒りの感情を受け入れず、それを他者に投影して逆に他者が自分に対して怒っているのだと決めつけるような場合である。
取り入れ (introjection)
一定の対象、その属性を心理的に自己の内部に取り入れることをいう。ある対象(他者)との結びつきを求める欲動が、何らかの困難に遭遇してあきらめざるを得ないとき、その他者を模倣し、その人と同じように考え、感じ、ふるまうことによって、その人を内に取り込む。この取り込みによって、その他者との結びつきを果たそうとするのである(これは、同一視 identification と呼ばれる)。たとえば、自分に自信のない人が、芸能人など憧れの人を模倣し、その人と同じような格好をしたり話し方を真似たりする場合である。なお、取り入れには、同一視の他、口唇による「体内化」(incorporation)も含まれる。
衝動の自己への向き換え (turning the impulse against the self)
特定の対象に対する強い衝動(怒りであることが多い)を自分自身に対して向き換えること。自我はこの怒りの感情が意識に上ることを恐れているのであり、真面目な人が隠された怒りを自分自身に向け、抑うつ的・自虐的に陥ることが多い。
転倒 (reversal into opposite)
特定の対象に対する感情が正反対の感情に置き換わること。たとえば、ある女性と深い関係になることを強く欲しているが、そうした自身の欲動を恐れている男性がいる。男性は、相手の女性が自分と友人以上の関係を望んでいないことを感じ、女性に対して強い怒りや恨み感情を抱くようになったというような場合である
フロイトは、防衛機制と精神症状の間には、緊密な関係があると考えた。たとえば、器質的病変の認められない機能障害であるヒステリー(例:医学的に異常がないにも関わらず、麻痺や感覚消失などの身体症状を生じる。現在の診断基準では、転換性障害や解離性障害として分類される)では抑圧が、また上述の強迫性障害では、退行および反動形成、隔離、打消しなどの機制が働き、さらに特定の対象を必要以上に脅威としてみなす恐怖症や妄想性障害では、これらの機制に加えて投影が、うつ病では取り入れ(同一視)といった防衛機制が、症状形成や固着に大きく関与すると考えた。
フロイト以後の防衛機制論
その後、フロイトの娘であるアンナ・フロイト (Anna Freud, 1895-1982) は、フロイトの防衛機制論を発展させ、昇華 (sublimation) を新たに加えた10種類の防衛機制を提唱している。この他、学説によってさまざまな分類が可能だが、グリート・ビブリング (Grete L. Bibring (1899-1977) による分類も有名である。
昇華 (sublimation)
受け入れがたい衝動を社会的に価値のある行動、特に創造的な活動に変化させることである。たとえば、父親に対する強い怒りを抱いている人が、勉学に励み、外科医になることなどがこれに当たる。
防衛機制と脳科学
防衛機制の概念を初めて提唱し、精神分析療法の創始者でもあるフロイトその人は、もともとは神経科学者であった。それにも関わらず、1985年に「Project for a scientific psychology」という本のなかで行った神経科学と精神分析における諸概念を統合する試みを最後に、その後の生涯で、神経科学について言及することは無かった。フロイトがなぜ神経科学を捨てたのかに関しては諸論があるものの、当時の神経科学技術はこころという現象に迫るうえで十分に発達していなかったということが最も大きな理由とされる [1] [2]。
近年の神経科学技術の飛躍的発展を受けて神経科学と精神分析の融合を推進する動きもある一方で、人のこころを客観的に量的に評価することで生きた主観体験がないがしろにされてしまうという批判もある[3]。とりわけ防衛機制は本人にも意識されない心的働きを含むため、測定が難しい。しかし、「カロリンスカ心理力動プロフィール」(Karolinska psychodynamic profile) [4] [5]や「防衛機制評価尺度」(Defense Mechanism Rating Scales)[6] [7]、「防衛スタイル質問票」(Defense Style Questionnaire 40) [8]などによって測定することは不可能ではないとも言われる[9]。
とはいえ、精神分析の諸概念に対する実証的研究は非常に限られているうえに、その神経科学的機序についてはほとんど検証されていない。一定の可能性が示唆される抑圧と退行について取り上げる。
抑圧
一言に抑圧といっても、含まれる心的働きは幅広い。たとえば、上述のヒステリー症状や、意識・記憶・パーソナリティの不連続性を示す解離性症状 (dissociative symptoms) は、もともとは抑圧から生じた精神症状であるとフロイトは記述している[10][注:アーネスト・ヒルガード (Ernest R. Hilgard, 1904- 2001) は、解離を抑圧とは異なる機制として位置付けている[11]。
たとえば解離症状は、トラウマ体験の記憶を抑圧し、こころの奥深くにしまい込む心的外傷後ストレス障害(PTSD)においても認められる。解離症状が優勢なPTSD患者では、トラウマ体験想起時に、扁桃体活動や島で活動の低下がみられるのに対し、内側前頭前皮質(mPFC)や前帯状皮質 (ACC) の吻側部(rACC)では活動の増加がみとめられるという[12]。一般的に、交感神経系の活動亢進がみとめられる不安障害では、情動刺激処理時には、扁桃体や島の活動は増加しており、mPFCやrACCの活動は低下している[13]。これは、通常mPFCやrACCは情動中枢である扁桃体や身体感覚への気づきを司る島の働きを制御しているが、不安障害ではその機能が低下して、扁桃体や島の過剰活動を制御できなくなっているためと考えられている[14] [13]。しかし、解離症状主体のPTSDは、これとは真逆のパターンを示すのである。このことから、解離において過剰に働いているのはむしろmPFCやrACCで、扁桃体や島は本来あるべき機能を果たすことができない状態に陥っているという可能性が指摘されている[12]。
一方、ヒステリー症状を呈する転換性障害でも、上述と類似する脳領域で機能異常が認められている。たとえば左腕麻痺を示す転換性障害患者に対し、右腕を刺激した際には感覚運動野の活動が認められるが、麻痺している左腕を刺激しても、感覚運動野の活動は生じない。しかし代わりに、前頭眼窩皮質 (OFC) とACC (特にその脳梁膝周囲部) の賦活がみられることが報告されている[15] [16] [17]。特に、ACCは部位によって複数の機能に関与するが、これらの部位の働きは互い拮抗し合うとされる。たとえば、尾側部のACCは意志により発動される運動を司るが、脳梁膝周囲部は情動処理に関与する。脳梁膝周囲部が強い情動を処理している間は、尾側部の活動は抑制されてしまう[18]。このように転換は、意識的制御とは独立して防衛的に働く原始的反射メカニズムであり、特定の機能的領域が拮抗的に相互作用した結果として生じる一病態と考えられている[19]。
退行
カタトニア (catatonia, 緊張性昏迷強硬症) は統合失調症にみられ、激しい精神運動性の興奮状態と昏迷状態を繰り返し顕わす病態である。ハリー・サリヴァン (Harry S. Sullivan,1892-1949) は、強力な不安の影響下で自己体系がその統一を失う事態を統合失調症と捉え、カタトニアは未熟で小児的な体験様式が蘇ってくるために出現すると考えた。このため精神分析的立場では、カタトニアは感覚運動性の退行として捉えられる。
無動性カタトニアを持つ統合失調症患者では、無動性カタトニアを持たない統合失調症患者や健常者と比べて、情動刺激処理時、内側OFCからmPFC、運動前野および運動野に対する機能的連結性 (functional connectivity) が有意に減少していたことが報告されている[20]。このため、内側OFCやmPFCといった大脳皮質正中内側部構造(Cortical Midline Structures)は、カタトニア患者における自己関連づけや同時発生的動作 (concurrent behavior) の破綻に関与し、感覚運動性の退行と関連する可能性が指摘されている[21] [9] [22]。しかしながら、この他に退行について検証した神経科学研究は乏しく、退行の神経機序に迫るためには様々な対象者における多面的検証が必要である。
参考文献
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
- ↑ Resource not found in PubMed.
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- ↑ 9.0 9.1 Resource not found in PubMed.
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- ↑ 12.0 12.1 Resource not found in PubMed.
- ↑ 13.0 13.1 Resource not found in PubMed.
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(執筆者:袴田優子、下山晴彦 担当編集委員:加藤忠史)