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英語名:Asperger Syndrome
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<font size="+1">桑原 斉</font><br>
''東京大学 大学院医学系研究科 脳神経医学専攻統合脳医学講座''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年4月6日 原稿完成日:2012年4月27日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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同義語:アスペルガー障害:アスペルガー症候群;高機能自閉症;高機能広汎性発達障害;高機能自閉症スペクトラム障害<br>
英語名:Asperger syndrome 独:Asperger-Syndrom 仏:syndrome d'Asperger
    自閉性障害:自閉症<br>
    広汎性発達障害:自閉症スペクトラム障害


類義語:アスペルガー障害


 アスペルガー症候群は、自閉症と同様の三つの主症状(社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害およびそれに基づく行動の障害)を持つ、神経発達障害である。自閉症と比べてコミュニケーションの障害が軽微であるグループであるとされ、言語発達の遅れは少なく、知的には正常な者が多い。自閉症と同様の生来の社会性の障害をもつが、積極的に他者と関わろうとする傾向を持つ者が多い。また、興味の著しい偏りやファンタジーへの没頭があり、時には儀式行為をもつ。不器用な者が多いことも特徴であるとされている1。知的な遅れのない自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder; ASD)の者を記述する用語として臨床上は有用な概念であるが、長年にわたる疾病分類(nosology)の問題があり、臨床上あるいは一般社会での高い認知度と、研究領域における存在感の乏しさに解離が大きい疾患概念である。
関連語:高機能自閉症、広汎性発達障害、自閉症スペクトラム障害、自閉性障害、自閉症
 
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 アスペルガー症候群は、[[自閉症]]と同様の三つの主症状(社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害およびそれに基づく行動の障害)を持つ、[[神経発達障害]]である。自閉症と比べてコミュニケーションの障害が軽微であるグループであるとされ、[[言語]]発達の遅れは少なく、知的には正常な者が多い。研究領域においては、[[DSM-IV]]を用いてアスペルガー障害を診断することが困難であることと、アスペルガー症候群の疾患としての独立性に疑義が持たれているために、アスペルガー障害/アスペルガー症候群を対象とした研究は自閉性障害/自閉症を対象とした研究に比べて少ない。その概念、定義には議論があり、十分なコンセンサスには至っていなかったが、2013年刊行予定の[[DSM-5]]では自閉症スペクトラム障害の中に統合される見込みである。
}}
 
==アスペルガー症候群とは==
 
 アスペルガー症候群は、自閉症と同様の三つの主症状(社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害およびそれに基づく行動の障害)を持つ、神経発達障害である。自閉症と比べてコミュニケーションの障害が軽微であるグループであるとされ、言語発達の遅れは少なく、知的には正常な者が多い。自閉症と同様の生来の社会性の障害をもつが、積極的に他者と関わろうとする傾向を持つ者が多い。また、興味の著しい偏りやファンタジーへの没頭があり、時には儀式行為をもつ。不器用な者が多いことも特徴であるとされている<ref name=ref1><pubmed>18563474</pubmed></ref>。知的な遅れのない自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder; ASD)の者を記述する用語として臨床上は有用な概念であるが、長年にわたる[[wikipedia:JA:疾病分類|疾病分類]](nosology)の問題があり、臨床上あるいは一般社会での高い認知度と、研究領域における存在感の乏しさに解離が大きい疾患概念である。


== 疾病分類の歴史 ==
== 疾病分類の歴史 ==


 1944年に、オーストリアの小児科医Aspergerが友人との関係に問題を抱えている4例の子どもを「自閉的精神病質」として紹介した2。この報告は、ドイツ語でなされたためか、紹介後数十年、国際的な認知を得ることはなかったが、1981年にイギリスの自閉症専門家Wingが、自身が記述した同様の特徴を持つ34例の子どもを「アスペルガー症候群」として英語で記述し世界的に知られるようになった3。
 1944年に、オーストリアの小児科医[[wikipedia:JA:ハンス・アスペルガー|Asperger]]が友人との関係に問題を抱えている4例の子どもを「自閉的精神病質」として紹介した<ref name=ref2>'''H. Asperger'''<br>Die ”Autistischen Psychopathen" im Kindesalter<br>''Archiv für Psychiatrie und Nervenkrankheiten'': 1944, 117; 76–136 [http://voyanetwork.de/wp-content/uploads/2012/07/Asperger_Hans.pdf PDF file]</ref>。この報告は、ドイツ語でなされたためか、紹介後数十年、国際的な認知を得ることはなかったが、1981年にイギリスの自閉症専門家Wingが、自身が記述した同様の特徴を持つ34例の子どもを「アスペルガー症候群」として英語で記述し世界的に知られるようになった<ref name=ref3><pubmed>7208735</pubmed></ref>。


 その後、1994年発行のDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th edition(DSM-Ⅳ)ではアスペルガー障害という診断名で広汎性発達障害(Pervasive Developmental Disorders; PDD)の下位分類として位置付けられた4。しかしながら、DSM-Ⅳで規定されたアスペルガー障害は、①社会性の障害の程度を自閉性障害と同じ基準にしている、②コミュニケーションの障害を診断基準に含めていない、③認知機能と言語の遅れを除外基準としている、という診断基準の問題を持ち、実際にアスペルガー症候群と臨床的に診断されていた者に、DSM-Ⅳの診断基準を適用すると多くは自閉性障害と操作的に診断される。このため、PDDの中でアスペルガー障害と診断できる者はごく少数であるとされ、DSM-Ⅳで規定されたアスペルガー障害の、下位分類としての有用性には疑問が持たれている5。またDSM-Ⅳの自閉性障害の診断に関しても、各症状の有無を判定する基準が曖昧であり、研究領域で厳密に対象を選択するときには、ADI-R(Autism Diagnostic Interview-Revised)6という養育者に対する構造的診断面接とADOS(Autism Diagnostic Observation Schedule)7という本人に対する構造的診断面接を実施して診断を確定することが多いが、これらの構造的診断面接の診断アルゴリズムにはアスペルガー障害は含まれていない。
 その後、1994年発行の[[Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th edition]](DSM-Ⅳ)ではアスペルガー障害という診断名で[[広汎性発達障害]](Pervasive Developmental Disorders; PDD)の下位分類として位置付けられた<ref name=ref4>American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th edition DSM-Ⅳ.<br>Washington, DC: American Psychiatric Association; 1994.</ref>。しかしながら、DSM-Ⅳで規定されたアスペルガー障害は、①社会性の障害の程度を自閉性障害と同じ基準にしている、②コミュニケーションの障害を診断基準に含めていない、③[[認知機能]]と言語の遅れを除外基準としている、という診断基準の問題を持ち、実際にアスペルガー症候群と臨床的に診断されていた者に、DSM-Ⅳの診断基準を適用すると多くは自閉性障害と操作的に診断される。このため、PDDの中でアスペルガー障害と診断できる者はごく少数であるとされ、DSM-Ⅳで規定されたアスペルガー障害の、下位分類としての有用性には疑問が持たれている<ref name=ref5><pubmed>11411788</pubmed></ref>。


 DSM-Ⅳ以外にも複数の診断基準がアスペルガー症候群8, 9を規定しているが、いずれも明確に高機能自閉性障害(精神遅滞を合併しない自閉性障害)との差異を見出すことは出来なかった。現在では多くの研究者がこれらをASDと一つのカテゴリーで捉える考え方に同調し10、2013年を目指して出版の準備が進められているDSM-Ⅴではアスペルガー障害の分類がなくなり、自閉性障害、特定不能の広汎性発達障害とともにASDの診断にまとめる方向で検討が進んでいる11。
 またDSM-Ⅳの自閉性障害の診断に関しても、各症状の有無を判定する基準が曖昧であり、研究領域で厳密に対象を選択するときには、[[Autism Diagnostic Interview-Revised]](ADI-R)<ref name=ref6><pubmed>7814313</pubmed></ref>という養育者に対する構造的診断面接と[[Autism Diagnostic Observation Schedule]](ADOS)<ref name=ref7><pubmed>2745388</pubmed></ref>という本人に対する構造的診断面接を実施して診断を確定することが多いが、これらの構造的診断面接の診断アルゴリズムにはアスペルガー障害は含まれていない。
 
 DSM-Ⅳ以外にも複数の診断基準がアスペルガー症候群<ref name=ref8><pubmed>2680690</pubmed></ref><ref name=ref9><pubmed>8543538</pubmed></ref>を規定しているが、いずれも明確に[[高機能自閉性障害]](精神遅滞を合併しない自閉性障害)との差異を見出すことは出来なかった。現在では多くの研究者がこれらをASDと一つのカテゴリーで捉える考え方に同調し<ref name=ref10><pubmed>8819774</pubmed></ref>、2013年を目指して出版の準備が進められているDSM-Ⅴではアスペルガー障害の分類がなくなり、自閉性障害、特定不能の広汎性発達障害とともにASDの診断にまとめる方向で検討が進んでいる<ref name=ref11><pubmed>21621137</pubmed></ref>。


== 研究 ==
== 研究 ==
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 研究領域において、精神疾患の診断に最も汎用されているDSM-Ⅳを用いてアスペルガー障害を診断することが困難であることと、アスペルガー症候群の疾患としての独立性に疑義が持たれているために、アスペルガー障害/アスペルガー症候群を対象とした研究は自閉性障害/自閉症を対象とした研究に比べて少ない。
 研究領域において、精神疾患の診断に最も汎用されているDSM-Ⅳを用いてアスペルガー障害を診断することが困難であることと、アスペルガー症候群の疾患としての独立性に疑義が持たれているために、アスペルガー障害/アスペルガー症候群を対象とした研究は自閉性障害/自閉症を対象とした研究に比べて少ない。


 疫学研究の結果は複数報告され、例えば、Gillberg and Gillbergの診断基準を用いた疫学研究ではアスペルガー症候群の有病率が7.1 / 1,000と報告されている12一方で、DSM-Ⅳによるアスペルガー障害の有病率は1.1/ 1,000と報告されている13。独自の診断基準に基づくアスペルガー症候群を対象にした臨床研究では、心の理論課題施行時の前頭前野機能の異常14、ゲノムワイド連鎖解析による1q21-22、3p14-24、13q31-33領域における高いLOD値15などが報告されているが、疫学研究の結果ともども、診断の妥当性が問題になり研究結果の解釈を困難にしている。
 疫学研究の結果は複数報告され、例えば、Gillberg and Gillbergの診断基準を用いた疫学研究ではアスペルガー症候群の[[wikipedia:JA:有病率|有病率]]が7.1 / 1,000と報告されている<ref name=ref12><pubmed>8294522</pubmed></ref>一方で、DSM-Ⅳによるアスペルガー障害の有病率は1.1/ 1,000と報告されている<ref name=ref13><pubmed>15930062</pubmed></ref>。独自の診断基準に基づくアスペルガー症候群を対象にした臨床研究では、心の理論課題施行時の[[前頭前野]]機能の異常<ref name=ref14><pubmed>9051780</pubmed></ref>、[[ゲノムワイド連鎖解析]]による1q21-22、3p14-24、13q31-33領域における高い[[LOD値]]<ref name=ref15><pubmed>14966474</pubmed></ref>などが報告されているが、疫学研究の結果ともども、診断の妥当性が問題になり研究結果の解釈を困難にしている。


== 参考文献 ==


1. Woodbury-Smith MR, Volkmar FR. Asperger syndrome. Eur Child Adolesc Psychiatry. Jan 2009;18(1):2-11.
== 関連項目 ==
2. Asperger H. Die "autistischen Psychopathen". Kindesalter Archives fur Psychiatri und Nervenkrankheiten. 1944;117:76-136.
 
3. Wing L. Asperger's syndrome: a clinical account. Psychol Med. Feb 1981;11(1):115-129.
*[[自閉症障害]]
4. American Psychiatric Association. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 4th edition DSM-Ⅳ. Washington, DC: American Psychiatric Association; 1994.
5. Mayes SD, Calhoun SL, Crites DL. Does DSM-IV Asperger's disorder exist? J Abnorm Child Psychol. Jun 2001;29(3):263-271.
6. Lord C, Rutter M, Le Couteur A. Autism Diagnostic Interview-Revised: a revised version of a diagnostic interview for caregivers of individuals with possible pervasive developmental disorders. J Autism Dev Disord. Oct 1994;24(5):659-685.
7. Lord C, Rutter M, Goode S, et al. Autism diagnostic observation schedule: a standardized observation of communicative and social behavior. J Autism Dev Disord. Jun 1989;19(2):185-212.
8. Gillberg C. Asperger syndrome in 23 Swedish children. Dev Med Child Neurol. Aug 1989;31(4):520-531.
9. Szatmari P, Archer L, Fisman S, Streiner DL, Wilson F. Asperger's syndrome and autism: differences in behavior, cognition, and adaptive functioning. J Am Acad Child Adolesc Psychiatry. Dec 1995;34(12):1662-1671.
10. Schopler E. Are autism and Asperger syndrome (AS) different labels or different disabilities? J Autism Dev Disord. Feb 1996;26(1):109-110.
11. Happe F. Criteria, categories, and continua: autism and related disorders in DSM-5. J Am Acad Child Adolesc Psychiatry. Jun 2011;50(6):540-542.
12. Ehlers S, Gillberg C. The epidemiology of Asperger syndrome. A total population study. J Child Psychol Psychiatry. Nov 1993;34(8):1327-1350.
13. Chakrabarti S, Fombonne E. Pervasive developmental disorders in preschool children: confirmation of high prevalence. Am J Psychiatry. Jun 2005;162(6):1133-1141.
14. Happe F, Ehlers S, Fletcher P, et al. 'Theory of mind' in the brain. Evidence from a PET scan study of Asperger syndrome. Neuroreport. Dec 20 1996;8(1):197-201.
15. Ylisaukko-oja T, Nieminen-von Wendt T, Kempas E, et al. Genome-wide scan for loci of Asperger syndrome. Mol Psychiatry. Feb 2004;9(2):161-168.


== 参考文献 ==


(執筆者:桑原斉  担当編集委員:加藤忠文)
<references/>