「視覚運動性眼振」の版間の差分

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Optokinetic nystagmus
<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0023042 永雄 総一]</font><br>
''のぞみ病院''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年7月3日 原稿完成日:2016年5月10日 一部改訂:2021年9月10日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/keijitanaka 田中 啓治](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>


要約
英語名:optokinetic nystagmus 独:optokinetischer Nystagmus 仏:nystagmus optocinétique
外界が大きく動く時、例えば、電車中でぼんやりと車窓から景色を眺めている時には、眼球は流れていく風景を追うように動き、やがてリセットの速い眼球運動(急速相)で元に戻るという眼球運動が繰り返される。これを視(覚)運動性眼振(Optokinetic nystagmus)と呼ぶ。視運動性眼振のうち風景を追うように動く緩徐相の眼球運動は、周辺視による視機性眼球反応(optokinetic response, OKR)と呼ばれる反射性眼球運動に起因する。視機性眼球反応は前庭動眼反射とともに、動物が動いた時に網膜上の像がブレないように作用し、姿勢保持に重要な役割を演じている。霊長類では、網膜の中心窩に対象を捉えてものを固視する(中心視)のための滑動性追跡眼球運動(smooth pursuit eye movement)が発達している。ヒトやサルの視運動性眼振の一部はこの滑動性追跡眼球運動にも起因する。


1. 視機性眼球反応(OKR)の神経回路と動特性
同義語:視運動性眼振
視機性眼球反応(以下、OKR)は、動物自身もしくは動物のまわり視野の大きな動きによって網膜に写る像がブレることを防ぐ反射の眼球運動であり、すべての動物種に見られる。運動をおこす刺激となるのは、網膜上に像の滑り(retinal slip)が生じることである。反射によって眼球運動により誘発され、この結果retinal slipはキャンセルされるかもしくは減少することになるので、OKRはネガテイブフィードバックの制御を受ける反射ということになる。
実験的にOKRを誘発するには、動物の眼前に、コントラストが明瞭な縦縞もしくはチェック模様のドラム状の大きなスクリーンをおき、それを一方向もしくは正弦波状に回転させる。周辺視しかない単眼視の動物種(魚類、鳥類、マウス、ラットやウサギ)では、スクリーンをゆっくりと動かした時に、それを追従するような反射性の眼球であるOKRが誘発される。ところが両眼視で中心視の発達しているサルやヒトなどの霊長類では、固視の機能があるので、ただ単に単純な模様のスクリーンを廻してもOKRはほとんど誘発されない。霊長類でこのような方法でOKRが観察されるのは、固視機能があまり発達していない幼弱期か、あるいは特定の視標に注視していない時、例えば電車に乗ってぼんやりと外を眺めている時である。
OKRを起こす刺激となる外界の大きな動きは網膜の視細胞に感知され、その情報は視神経により対側の視蓋前域にある視索路核(nucleus of optic tract)に伝わる。視索路核は脳幹の橋被蓋網様核(nucleus reticularis tegmenti pontis、NRTP)に投射し、NRTPは対側(従って刺激された眼球とは同側)の前庭神経核の前庭動眼反射を中継する神経細胞群に投射する。 明るいところで頭を回転したとき、前庭動眼反射により、頭の回転を補正する方向に眼が動くが、前庭動眼反射だけでは、頭の回転を完全に補償することができないので、retinal slipが生じる。するとそのretinal slipを打ち消すようにOKRが働き、結果として頭の動きを完全に補償だけ眼が動き視野はぶれずにすむ。このようにOKRと前庭動眼反射は機能的に強く関連しているが、これに対して脳幹や小脳の神経回路を共有する。NOTやNRTPの神経細胞は対側の眼球上で、スクリーンが鼻から耳の方向(naso-temporal)に動く時には反応するが、逆の方向(temporo-nasal)に動く時はあまり反応しない。従ってOKRにも方向選択性があり、単眼にスクリーンの回転刺激を提示した時に、鼻―耳方向に誘発されるOKRに比べて、耳―鼻方向に誘発されるOKRははるかに小さい。動物は前方に向かって歩くが、後方には歩かないことと対応する。垂直方向のOKRはウサギで報告されているが水平方向のOKRと大きさは変らず、水平性のOKRで見られるような方向選択性はない。
 OKR の動特性を調べるには、縞もしくがパターン模様のスクリーンを眼前におき、それを正弦波状に動かし、誘発される眼球運動をテレビカメラもしくはサーチコイルで記録する(図1A)。OKRによって誘発された眼球運動の位置もしくは速度のトレースを平均加算で算出し、スクリーンの動きと比較することで利得(ゲイン)と位相差を算出する(図1B)。図1Cにマウスと黒眼のウサギのOKRのゲインと位相差を示す。通常比較的遅い周波数のスクリーンの回転に対してはゲインほぼ一定であり、周波数が大きくなるとゲインは低下する。位相差はゲインが一定のところではほぼ0oであるが、ゲインが下がるにつれて遅れが増加する。これらは、閉ループのOKRの動特性であるが、開ループのOKRの特性を求めることが実験的に可能である。一側の外眼筋を支配する神経を局所麻酔し眼球を不動化させるか、あるいは一側性の外眼筋麻痺の患者を用いて、不動化した眼に視覚刺激を提示し、カバーをして視覚刺激を遮断した対側の眼球で誘発されるOKRを記録するか、通常の方法でOKRを誘発しながら、眼の動きを高速で記録しretinal slipが実質0となるようにスクリーンの動きを調節する(stabilized retinal image)することが試みられている。このようなやり方で求められたOKRの開ループゲインは、ヒトやウサギでは100程度である。


2.小脳片葉によるOKRゲインの適応調節
{{box|text= 外界が大きく動く時、例えば電車中でぼんやりと車窓から景色を眺めている時には、流れていく風景を追うよう遅い眼球運動(緩徐相)と、リセットのための緩徐相とは逆向きの速い眼球運動(急速相)が繰り返される。これを視覚運動性眼振(optokinetic nystagmus, OKN)と呼ぶ。マウスやウサギの視覚運動性眼振の緩徐相は、周辺視による視機性眼球反応(optokinetic response, OKR)に起因する。視機性眼球反応は、網膜上の像が外界の動きによってブレないように作用する眼球反射であり、前庭動眼反射とともに姿勢保持に重要な役割を演じている。視機性眼球反応では前庭動眼反射の場合と同様に、小脳片葉では長期抑圧により反射の効率を最適にするような運動学習が生じる。霊長類では、網膜の中心窩に対象を捉えてものを固視する(中心視)ための滑動性追跡眼球運動(smooth pursuit eye movement)が発達しており、ヒトやサルの視覚運動性眼振の緩徐相の大部分は滑動性追跡眼球運動に起因する。}}
 OKRは開ループの前向き制御を受ける前庭動眼反射と違って、閉ループのネガテイブフイードバックの制御を受け、反射の結果がretinal slipがどれくらいに減ったかが視覚で感知されるにもかかわらず、前庭動眼反射の場合と同様に、小脳により学習制御されている。図1で盛られるように、高速度(最高速度; マウスでは5o/s;ウサギでは2~35o/s)でスクリーンを動かしたときは、ゲインはかなり低くなり、生じたretinal slipをネガテイブフイードバックの機構で十分に補正することができないので、小脳による前向き制御のメカニズムが必要となる。図2Aはマウスの例であるが、高速度で正弦波状に水平面で振動させことを1時間程度持続的に行うと、水平性のOKRゲインが増加する。同様なOKRのこのゲインの増加は、魚、鳥やウサギでも報告されている。このような1時間のトレーニングで生じるゲインの増加は通常24時間で回復するので短期の適応である。さらに、毎日1時間のOKRの訓練を1週間続けると、各日の訓練前のOKRゲインが徐々に上昇する。この長期間の訓練によるゲインの増加は、訓練終了後も2週間程度持続するので長期の適応である。
小脳片葉が短期の適応に不可欠であることが、前庭動眼反射と同様にOKRでも様々な実験結果により確認されている(図2B)。片葉のH-ゾーンと呼ばれる領域のプルキンエ細胞には、平行線維を介して視覚の信号が伝えられる。また適応が起きるのに必要な外界のぶれ(retinal slip)の情報は、登上線維を介して下オリーブ核(正中副オリーブ)背側帽(dorsal cap)から、H-ゾーンのプルキンエ細胞に伝えられる。一方、H-ゾーンのプルキンエ細胞は前庭動眼反射の中継する前庭神経核の神経細胞を直接抑制する。長期抑圧とは、平行線維―プルキンエ細胞のシナプスの伝達効率が同じプルキンエ細胞に入力する登上線維の信号によって長期間にわたり減弱されるという可塑性であり、伊藤正男(東京大学名誉教授、理化学研究所特別顧問)らによって1982年に発見された。この長期抑圧が原因となって片葉による前庭動眼反射とOKRのゲインの適応が生じるという片葉仮説が提案されている。この仮説は、片葉や下オリーブ核の破壊実験、長期抑圧を阻害する薬物による薬理学の実験、遺伝子ノックアウトマウスを用いた実験、片葉の神経活動の記録実験や計算論によるシミュレーションの研究により支持されている。
ところで、適応のような運動学習の結果は、脳の記憶としてある程度保持され利用されるはずである。記憶のもとになる神経の変化を記憶痕跡(memory trace)と呼ぶ。このOKRの適応の記憶痕跡が脳のどの部位に保持されているかが、神経組織の活動を局所麻酔剤で遮断する方法により調べられている。もし神経活動が遮断された脳部位に記憶痕跡が存在するならば、遮断により記憶が消され、適応は直ちに消去されるはずである。実験の結果は、前庭動眼反射の場合と同様に、数時間のトレーニングで生じた短期の適応の記憶の痕跡は片葉に保持されているのに対して、数日間の長期の適応の記憶の痕跡は片葉の出力先の前庭神経核に保持されていることを示唆する(図2B)。このようにトレーニングを繰り返し行うことで、OKRの適応の記憶痕跡がプルキンエ細胞からシナプスを越えて前庭神経核に移動することになるが、これがどのようなメカニズムによるものかはよく知られていない。


3.視運動性眼振(OKN)とOKR
== 視機性眼球反応の神経回路と動特性  ==
前庭や視覚の検査としてにOKNは用いられるが、通常、定方向に定加速度でまわるドラム状の縞模様のスクリーンを眼で追跡させることで観察される。1820年に、小脳のプルキンエ細胞の命名者であるJ. E. Purkinje (1787-1869) が最初にOKNを記載している。図3AにウサギとヒトのOKNの例を示す。OKNでは、遅い眼球運動と速い眼球運動が規則的に繰り返される。遅い眼球運動は、OKRと同じくスクリーンの回転と同方向に生じ、緩徐相(slow phase)と呼ばれる。スクリーンの回転と逆方向に生じる速い眼球運動は急速相(fast phase)と呼ばれる。ウサギでは、スクリーンの回転開始からかなり遅れて緩徐相が出現し、やがて一定速度に達する。その速度はスクリーンの速度に比べてかなり小さい。ヒトやサルでは、緩徐相はスクリーンが回転を始めると急速に上昇した後、数秒かけて徐々に増加しやがてスクリーンの回転速度に達する。一方、OKNが十分に生じた段階でスクリーンの回転を止めてまっ暗にすると、ウサギでは数秒間にわたり, 後視運動性眼振(optokinetic after nystagmus, OKAN) が生じやがて眼振は止まる。これを対し、ヒトやサルではスクリーンの回転の停止により誘発されるOKANの速度とその減衰の時間経過は、ウサギのOKANに似ている (図3B)。このように、ウサギで観察されるOKNには、サルやヒトで見られる速く上がる成分はなく、OKANと同じような遅い成分しかない。そこで、ヒトやサルのOKNのうち、数秒の時間経過で立ち上がる遅い部分、あるいは遅い時間経過で消えていくOKANがOKRによるものと考えられている。一方、ヒトやサルで見られるOKNの速い成分は、OKRではなく、むしろに随意運動の滑動性追跡眼球運動に由来すると考えられる(図3C)。サルでは両側の前庭器官を破壊すると、OKANが完全に消失し、ヒトでも両側の迷路障害でOKANが障害されることが報告されている。ヒトで網膜の中心部の損傷により滑動性追跡眼球運動が障害されても、遅い成分のOKNは誘発される。これらの所見は、ヒトやサルの立ち上がりの遅いOKN = ウサギ(サル)OKAN = OKRという考え方と矛盾しない。
ヒトのサルでは、眼前に提示した比較的大きなパターンをステップランプ状に動かす時に、サッケード眼球運動に引き続いてランプ状のパターンの動きに依存したドリフト状の遅い眼球運動が誘発される。この眼球運動は追従性眼球運動反応(ocular following response, OFR)と呼ばれる。OFRは前述の立ち上がりの速いOKNに相当するようであるが、その発現には大脳皮質視覚連合野MT野や橋核、小脳腹側傍片葉が関与する。滑動性追跡眼球運動には大脳皮質の前頭眼野や頭頂連合野に由来するものがあり、OFRはそのうちの頭頂連合野に由来するものと考えられる。


参考文献
[[Image:図1 OKN.jpg|thumb|250px|'''図1.マウスを対象とした視機性眼球反応(視機性眼球反応)の誘発と赤外線カメラを用いた測定システム'''<br>(A)マウスを円筒状の縞模様(ドットパターン)スクリーンの中に置き、頭を固定する。スクリーンを正弦波状に回転させたときに誘発される眼球運動を赤外線テレビカメラで記録し、瞳孔の中心の位置を計測する。<br>(B)視機性眼球反応のゲインと位相差の算出法。計測された眼球運動とスクリーンの動きとを比較し、ゲインと位相差(時間、もしくは1周期360度として角度に換算)を算出する。<br>(C)マウスの水平性視機性眼球反応の位相差とゲイン。<ref name=ref2 />を改変。<br>(D)黒眼ウサギの水平性視機性眼球反応の位相差とゲイン。<ref name=ref1 />を改変。]]
永雄総一. 小脳による眼球運動の適応.神経研究の進歩 44:748-758,2000.
永雄総一, 北澤宏理. 小脳による運動記憶の形成機構. Brain and Nerve 60:783-790, 2008.
Nagao S. Effects of vestibulocerebellar lesions upon dynamic characteristics and adaptation of vestibulo-ocular and optokinetic eye movements in pigmented rabbits. Exp Brain Res 53: 36-46, 1983.
Shutoh F, Katoh A, Kitazawa H et al. Loss of adaptability of horizontal optokinetic response eye movements in mGluR1 mutant mice. Neurosci Res 42: 141-145, 2002.
Shutoh F, Ohki M, Kitazawa H, et al. Memory trace of motor learning shifts transsynaptically from cerebellar cortex to nuclei for consolidation. Neuroscience 139: 767-777, 2006.
Ito M, The cerebellum and neural control. Raven, New York, 1984.
Ito M, The cerebellum: Brain for an implicit self. FT Press, New York, 2011.
Collewijn H. The oculomotor system of the rabbit and plasticity. Springer, Berlin Heidelberg New York, 1981.
時田喬. 眼振の生理と検査. 金原出版, 東京, 1973.
篠田義一. 視運動性眼振の動特性と神経機構。眼球運動の生理学(小松崎、篠田、丸尾編)医学書院,東京、1985.


(永雄総一、理研・脳センター・運動学習制御研究チーム)
 視機性眼球反応(視機性眼球反応)とは、動物のまわりの視野が動く時に、[[網膜]]に写る外界の像がブレないように眼が動く反射である。視機性眼球反応を誘発するのは、網膜上に像の滑り(retinal slip)が生じることが必要であり、眼が動くことによってretinal slipは減少する。従って、視機性眼球反応はネガテイブフィードバック制御の反射である。視機性眼球反応はすべての動物種に見られる。実験的に視機性眼球反応を誘発するには、動物の眼前に、コントラストが明瞭な縦縞もしくはチェック模様のドラム状の大きなスクリーンをおき、それを一方向もしくは[[wj:正弦波|正弦波]]状に回転させる<ref name="ref1"><pubmed>6609085</pubmed></ref> <ref name="ref2"><pubmed>11849733</pubmed></ref>。周辺視しかない単眼視の動物種([[wj:魚類|魚類]]、[[wj:鳥類|鳥類]]、[[wj:マウス|マウス]]、[[wj:ラット|ラット]]や[[wj:ウサギ|ウサギ]])では、スクリーンをゆっくりと動かすと、あたかもそれを追従するように視機性眼球反応が誘発される。ところが[[両眼視]]で中心視の発達しているサルやヒトなどの霊長類では、[[固視]]の機能があるので、ただ単に単純な模様のスクリーンを廻しても視機性眼球反応はほとんど誘発されない。ヒトやサルでこのような方法で視機性眼球反応が観察されるのは、固視機能があまり発達していない幼弱期か、あるいは特定の視標に注視していない時、例えば電車に乗ってぼんやりと外を眺めている時である。
 
 視機性眼球反応を起こす刺激となる外界の大きな動きは網膜の[[視細胞]]に感知され、その情報は視神経により対側の[[視蓋前域]]にある[[視索路核]](nucleus of optic tract)に伝わる。視索路核は[[脳幹]]の[[橋被蓋網様核]](nucleus reticularis tegmenti pontis、NRTP)に投射し、NRTPは対側(従って刺激された眼球とは同側)の[[前庭神経核]]の前庭動眼反射を中継する神経細胞群に投射する。明るいところで頭を回転したときは、前庭動眼反射により頭の回転を補正する方向に眼が動くが、前庭動眼反射だけでは頭の回転を完全に補償することができないので、retinal slipが生じる。するとそのretinal slipを打ち消すように視機性眼球反応が働き、結果として頭の動きを完全に補償だけ眼が動き視野はぶれずにすむ。このように視機性眼球反応と前庭動眼反射は機能的に密接な関係を持ち、脳幹と小脳の神経回路を共有する<ref name="ref3">'''Ito M'''<br>The cerebellum and neural control.<br>Raven, New York, 1984.</ref> <ref name="ref4">'''Ito M'''<br>The cerebellum: Brain for an implicit self.<br>FT Press, New York, 2011. </ref><ref name="ref5">'''Collewijn H'''<br>The oculomotor system of the rabbit and plasticity.<br>''Springer'', Berlin Heidelberg New York, 1981 </ref>。
 
 NOTやNRTPの神経細胞は対側の眼球上で、スクリーンが鼻から耳の方向に動く時には反応するが、耳から鼻の方向に動く時はあまり反応しない。これに対応して視機性眼球反応にも方向選択性があり、単眼にスクリーンの回転刺激を提示した時に、鼻―耳方向に誘発される視機性眼球反応に比べて、耳―鼻方向に誘発される視機性眼球反応ははるかに小さい。一方、垂直方向の視機性眼球反応には、水平性の視機性眼球反応で見られるような方向選択性はない<ref name="ref5" />。
 
 視機性眼球反応の動特性を調べるには、縞もしくがパターン模様のスクリーンを眼前におき、それを正弦波状に動かす。誘誘発される眼球運動を数十周期程度、テレビカメラもしくは[[w:Search coil|サーチコイル]]で記録する方法を用いる('''図1A''')。記録したデータから眼球運動の位置もしくは速度のトレースを算出し、スクリーンの動きと比較することで、視機性眼球反応の利得(ゲイン)と位相差を算出する('''図1B''')。'''図1C'''と'''図1D'''にそれぞれマウスと黒眼のウサギの視機性眼球反応のゲインと位相差を示す。通常比較的遅いスクリーンの回転に対してゲインはほぼ一定であり、スクリーンの回転が速くなるとゲインは低下する。位相差は、ゲインが一定のところではほぼ0度であるが、ゲインが下がるにつれて遅れが増加する。これらは、閉ループの視機性眼球反応の動特性である。
 
 開ループの視機性眼球反応ゲインは次のように測定する。一側の[[wj:外眼筋|外眼筋]]を支配する神経を[[局所麻酔]]し眼球を不動化する。次に不動化した眼にのみ視覚刺激を提示し、視覚刺激を遮断した対側の眼球で誘発される視機性眼球反応を記録する。あるいは視機性眼球反応を高速で測定しながら、retinal slipが実質0(stabilized retinal image)となるようにスクリーンの動きを調節する。視機性眼球反応の開ループゲインは100程度である<ref name="ref5" />。
 
== 小脳片葉による視機性眼球反応ゲインの適応調節   ==
[[Image:図2 OKN.jpg|thumb|250px|'''図2.視機性眼球反応のゲインの適応'''<br>(A)視機性眼球反応の短期と長期のゲインの適応。マウスに1日1時間の周期0.16Hz、振幅15度の正弦波状スクリーンの回転によるトレーニングを連続して5日間行ったときの視機性眼球反応のゲインの変化。○は毎日のトレーニングの前のゲイン、●は1時間のトレーニング後のゲイン。トレーニング時以外はマウスを暗所飼育した。5日間のトレーニング後、マウスを通常の飼育(明、12時間;暗、12時間)に戻し、視機性眼球反応のゲインの回復を2週間ほど調べた。右は、同じマウスの1日目と3, 4、6日目の視機性眼球反応の平均とレース。**, P &lt; 0.01; *, P &lt;0.1(paired t-test).<br>(B)小脳片葉による視機性眼球反応の適応制御機構。適応の短期の記憶痕跡は小脳片葉に形成されるが、長期の記憶は前庭神経核に保持される。<ref name=ref7 />を改変。]]
 
  外界がゆっくりと動く時には視機性眼球反応のゲインが高く外界の動きに眼は十分追従できるが、外界が速く動く時にはゲインが低いので、眼は追従できずretinal slipが生じてしまう。そのような場合が続くと、視機性眼球反応のゲインを高めるような小脳による運動学習がおこる。これを視機性眼球反応の適応と呼ぶ。
 
 '''図2A'''はマウスの例であるが、高速度で正弦波状に動くスクリーンを眼前に提示することを1時間持続的に行うと、視機性眼球反応に適応が生じゲインが増加する。視機性眼球反応の適応は、コイ(金魚)、ニワトリやウサギなどの動物種で見られる。このような1時間のトレーニングで生じるゲインの増加は通常24時間で消失するので短期の適応である。さらに、毎日1時間の視機性眼球反応のトレーニングを1週間続けると、各日のトレーニング前の視機性眼球反応ゲインが徐々に上昇する。この長期間のトレーニングによるゲインの増加は、訓練終了後も2週間程度持続するので長期の適応である。
 
 [[小脳片葉]]が短期の適応に不可欠であることが、前庭動眼反射と同様に様々な実験結果により確認されている('''図2B''')。片葉のH-ゾーンと呼ばれる領域の[[プルキンエ細胞]]には、[[平行線維]]を介して視機性眼球反応を引き起こすのに必要な視覚情報が伝えられる。また適応に必要なretinal slipの情報は、登上線維を介して下オリーブ核(正中副オリーブ)背側帽(dorsal cap)から、H-ゾーンのプルキンエ細胞に伝えられる。一方、H-ゾーンのプルキンエ細胞は前庭動眼反射を中継する前庭神経核の神経細胞に投射する。従ってこのH-ゾーンのプルキンエ細胞が変化すると視機性眼球反応の特性(ゲイン)も変化することになる。
 
 [[長期抑圧]]とは、平行線維―プルキンエ細胞間のシナプス伝達が同じプルキンエ細胞に入力する登上線維の信号によって長期間にわたり減弱されるという可塑性であり、[[wj:伊藤正男|伊藤正男]]らによって1982年に発見された。この長期抑圧がH-ゾーンのプルキンエ細胞に生じると前庭動眼反射と視機性眼球反応のゲインに適応が生じるという仮説があり、[[片葉仮説]]と呼ばれている。片葉仮説は、片葉や[[下オリーブ核]]の破壊実験、長期抑圧の阻害剤を用いた薬理学の実験、多くの[[遺伝子変異マウス]]を用いた実験、片葉の神経活動の記録実験や計算論によるシミュレーションの研究により支持されている<ref name="ref3" /> <ref name="ref4" /><ref name="ref6">'''永雄総一'''<br>神経研究の進歩 44:748-758, 2000.</ref>。
 
 適応をはじめとするような脳による運動学習の結果は、記憶としてある程度保持され利用される。記憶のもとになる神経の変化を[[記憶痕跡]](memory trace)と呼ぶ。この視機性眼球反応の適応の記憶痕跡が脳のどの部位に保持されているかが、神経組織の活動を[[局所麻酔剤]]で遮断する方法により調べられている。もし神経活動が遮断された脳部位に記憶痕跡が存在するならば、遮断により記憶が消され、適応は直ちに消去されるはずである。実験の結果は、前庭動眼反射の場合と同様に、数時間のトレーニングで生じた短期の適応の記憶の痕跡が片葉に保持されているのに対して、数日間の長期の適応の記憶の痕跡は片葉の出力先の前庭神経核に保持されていることを示唆する('''図2B''')。つまりトレーニングを繰り返し行うことで、視機性眼球反応の適応の記憶痕跡がプルキンエ細胞からシナプスを越えて前庭神経核に移動することになる。前庭核のシナプスでは長期増強が起こることが示されており、それが長期適応の記憶痕跡の元になると推定されている<ref name="ref7"><pubmed>16458438</pubmed></ref> <ref name="ref8">'''永雄総一'''<br>生体の科学 63: 34-41, 2012.</ref>。
 
== 視覚運動性眼振と視機性眼球反応  ==
[[Image:図3 OKN rev.jpg|thumb|250px|'''図3.視運動性眼振(視覚運動性眼振)の特徴'''<br>(A)ウサギの周りのドラム状のスクリーンを左方向に一定速度(30°/s)で回転させると、ウサギの左眼には、回転と同じ方向の緩徐相と、逆の方向の急速相が生じる。緩徐相が一定の速度に達するには時間がかかり、かつその最高速度はスクリーンの回転速度に比べて小さい。<br>(B)Aと同様の実験をヒトで行なったときに観察される視覚運動性眼振。ただしドラムの回転速度を一定の加速度(2°/s2)で増加させた。ウサギの時に比べて、視覚運動性眼振はすぐに立ち上がり、そのあとやや遅れてスクリーンの速度と同じ速度に達する。▲でその時点でのスクリーンの回転速度を示す。<br>(C)視覚運動性眼振とOKANの緩徐相の速度(ドラムの速度に対するパーセント比率)の時間経過をヒト、サル、ネコ,ウサギで比べたもの。AとBは<ref name=ref10 />を改変。Cは<ref name=ref9>'''篠田義一'''<br>視運動性眼振の動特性と神経機構. 眼球運動の生理学(小松崎, 篠田,丸尾編)<br>''医学書院'',東京, 1985.</ref>を改変。]]
 
 臨床医学の前庭や視覚の機能の検査に、ドラム状の縞模様のスクリーンを定加速度かつ定方向にまわすことで誘発される視覚運動性眼振(視覚運動性眼振)が用いられる。視覚運動性眼振は、1820年に、小脳のプルキンエ細胞の命名者である[[w:jn Evangelista Purkyně|J. E. Purkinje]](1787-1869)によって初めて記載された。'''図3A'''と'''図3B'''にウサギとヒトの視覚運動性眼振の例をそれぞれ示す。
 
 視覚運動性眼振は、遅い眼球運動と速い眼球運動が規則的に繰り返されることによって生じる。遅い眼球運動は、視機性眼球反応と同じくスクリーンの回転と同方向に生じ、緩徐相(slow phase)と呼ばれる。一方、スクリーンの回転と逆方向に生じる速い眼球運動は、急速相(fast phase)と呼ばれる。ウサギでは、スクリーンの回転開始からかなり遅れて視覚運動性眼振の緩徐相が出現し、やがて一定速度に達する。その速度はスクリーンの速度に比べてかなり小さい。一方、ヒトやサルでは、緩徐相はスクリーンが回転を始めると急速に立ち上がり、そのあと数秒かけて徐々に増加し、やがてスクリーンの回転速度にほぼ等しくなる。
 
 視覚運動性眼振の緩徐相がスクリーンの回転速度に達した段階で、スクリーンの回転を止めてまっ暗にすると、視(覚)運動性後眼振(optokinetic after nystagmus, OKAN)が生じる。視(覚)運動性後眼振にも緩徐相と急速相がある。ヒトやサルの視(覚)運動性後眼振の緩徐相の速度とその減衰の時間経過は、ウサギの視(覚)運動性後眼振の緩徐相の速度とその立ち上がりの時間経過に似ている。一方、ウサギの視覚運動性眼振の緩徐相には、サルやヒトで見られる速い立ち上がりの成分はなく、視(覚)運動性後眼振の緩徐相と同じような遅い成分しかない('''図3C''')。そこで、ヒトやサルの視覚運動性眼振と視(覚)運動性後眼振の緩徐相のうち、視覚運動性眼振緩徐相の立ち上がりの遅い成分と視(覚)運動性後眼振緩徐相が視機性眼球反応に由来するが、視覚運動性眼振緩徐相の立ち上がりの速い成分は霊長類でよく発達している滑動性追跡眼球運動に由来すると考えられている。サルでは両側の前庭器官を破壊すると視(覚)運動性後眼振が完全に消失し、ヒトでも両側の[[前庭器官]]が障害されると視(覚)運動性後眼振が出なくなることがある。また、ヒトで網膜の中心部の損傷により滑動性追跡眼球運動が障害されても、遅い成分の視覚運動性眼振は誘発される。これらの所見は、ヒトやサルの立ち上がりの遅い視覚運動性眼振の緩徐相 = 視(覚)運動性後眼振の緩徐相 = 視機性眼球反応という考え方を支持する<ref name="ref10">'''時田喬'''<br>眼振の生理と検査<br>''金原出版'', 東京, 1973.</ref>。
 
 ヒトのサルでは、眼前に提示した比較的大きなパターンをステップランプ状に動かす時に、サッケード眼球運動に引き続いてランプ状のパターンの動きに依存したドリフト状の遅い眼球運動が誘発される。この眼球運動は[[追従性眼球運動反応]](ocular following response, OFR)と呼ばれる。追従性眼球運動反応の発現には[[大脳皮質]][[視覚連合野]][[MT野]]や[[橋核]]、小脳腹側傍片葉が関与する。滑動性追跡眼球運動には大脳皮質の[[前頭眼野]]に由来するものと[[頭頂連合野]]に由来するものがあるが、追従性眼球運動反応はそのうちの頭頂連合野に由来するものと考えられる。ヒトやサルの視覚運動性眼振の緩徐相の立ち上がりの速い成分は滑動性追跡眼球運動に起因するのは確かであるが、この立ち上がりの速い成分に追従性眼球運動反応がどの程度寄与しているかは定量的には分かっていない。
 
== 関連項目  ==
*[[小脳]]
*[[小脳の神経回路]]
*[[小脳によるタイミング制御]]
*[[瞬膜反射の条件づけ]]
 
== 外部リンク  ==
*[http://cerebellum.neuroinf.jp/ 小脳プラットフォーム]
 
== 参考文献  ==
 
<references />

2021年9月10日 (金) 15:30時点における最新版

永雄 総一
のぞみ病院
DOI:10.14931/bsd.1729 原稿受付日:2012年7月3日 原稿完成日:2016年5月10日 一部改訂:2021年9月10日
担当編集委員:田中 啓治(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)

英語名:optokinetic nystagmus 独:optokinetischer Nystagmus 仏:nystagmus optocinétique

同義語:視運動性眼振

 外界が大きく動く時、例えば電車中でぼんやりと車窓から景色を眺めている時には、流れていく風景を追うよう遅い眼球運動(緩徐相)と、リセットのための緩徐相とは逆向きの速い眼球運動(急速相)が繰り返される。これを視覚運動性眼振(optokinetic nystagmus, OKN)と呼ぶ。マウスやウサギの視覚運動性眼振の緩徐相は、周辺視による視機性眼球反応(optokinetic response, OKR)に起因する。視機性眼球反応は、網膜上の像が外界の動きによってブレないように作用する眼球反射であり、前庭動眼反射とともに姿勢保持に重要な役割を演じている。視機性眼球反応では前庭動眼反射の場合と同様に、小脳片葉では長期抑圧により反射の効率を最適にするような運動学習が生じる。霊長類では、網膜の中心窩に対象を捉えてものを固視する(中心視)ための滑動性追跡眼球運動(smooth pursuit eye movement)が発達しており、ヒトやサルの視覚運動性眼振の緩徐相の大部分は滑動性追跡眼球運動に起因する。

視機性眼球反応の神経回路と動特性

図1.マウスを対象とした視機性眼球反応(視機性眼球反応)の誘発と赤外線カメラを用いた測定システム
(A)マウスを円筒状の縞模様(ドットパターン)スクリーンの中に置き、頭を固定する。スクリーンを正弦波状に回転させたときに誘発される眼球運動を赤外線テレビカメラで記録し、瞳孔の中心の位置を計測する。
(B)視機性眼球反応のゲインと位相差の算出法。計測された眼球運動とスクリーンの動きとを比較し、ゲインと位相差(時間、もしくは1周期360度として角度に換算)を算出する。
(C)マウスの水平性視機性眼球反応の位相差とゲイン。[1]を改変。
(D)黒眼ウサギの水平性視機性眼球反応の位相差とゲイン。[2]を改変。

 視機性眼球反応(視機性眼球反応)とは、動物のまわりの視野が動く時に、網膜に写る外界の像がブレないように眼が動く反射である。視機性眼球反応を誘発するのは、網膜上に像の滑り(retinal slip)が生じることが必要であり、眼が動くことによってretinal slipは減少する。従って、視機性眼球反応はネガテイブフィードバック制御の反射である。視機性眼球反応はすべての動物種に見られる。実験的に視機性眼球反応を誘発するには、動物の眼前に、コントラストが明瞭な縦縞もしくはチェック模様のドラム状の大きなスクリーンをおき、それを一方向もしくは正弦波状に回転させる[2] [1]。周辺視しかない単眼視の動物種(魚類鳥類マウスラットウサギ)では、スクリーンをゆっくりと動かすと、あたかもそれを追従するように視機性眼球反応が誘発される。ところが両眼視で中心視の発達しているサルやヒトなどの霊長類では、固視の機能があるので、ただ単に単純な模様のスクリーンを廻しても視機性眼球反応はほとんど誘発されない。ヒトやサルでこのような方法で視機性眼球反応が観察されるのは、固視機能があまり発達していない幼弱期か、あるいは特定の視標に注視していない時、例えば電車に乗ってぼんやりと外を眺めている時である。

 視機性眼球反応を起こす刺激となる外界の大きな動きは網膜の視細胞に感知され、その情報は視神経により対側の視蓋前域にある視索路核(nucleus of optic tract)に伝わる。視索路核は脳幹橋被蓋網様核(nucleus reticularis tegmenti pontis、NRTP)に投射し、NRTPは対側(従って刺激された眼球とは同側)の前庭神経核の前庭動眼反射を中継する神経細胞群に投射する。明るいところで頭を回転したときは、前庭動眼反射により頭の回転を補正する方向に眼が動くが、前庭動眼反射だけでは頭の回転を完全に補償することができないので、retinal slipが生じる。するとそのretinal slipを打ち消すように視機性眼球反応が働き、結果として頭の動きを完全に補償だけ眼が動き視野はぶれずにすむ。このように視機性眼球反応と前庭動眼反射は機能的に密接な関係を持ち、脳幹と小脳の神経回路を共有する[3] [4][5]

 NOTやNRTPの神経細胞は対側の眼球上で、スクリーンが鼻から耳の方向に動く時には反応するが、耳から鼻の方向に動く時はあまり反応しない。これに対応して視機性眼球反応にも方向選択性があり、単眼にスクリーンの回転刺激を提示した時に、鼻―耳方向に誘発される視機性眼球反応に比べて、耳―鼻方向に誘発される視機性眼球反応ははるかに小さい。一方、垂直方向の視機性眼球反応には、水平性の視機性眼球反応で見られるような方向選択性はない[5]

 視機性眼球反応の動特性を調べるには、縞もしくがパターン模様のスクリーンを眼前におき、それを正弦波状に動かす。誘誘発される眼球運動を数十周期程度、テレビカメラもしくはサーチコイルで記録する方法を用いる(図1A)。記録したデータから眼球運動の位置もしくは速度のトレースを算出し、スクリーンの動きと比較することで、視機性眼球反応の利得(ゲイン)と位相差を算出する(図1B)。図1C図1Dにそれぞれマウスと黒眼のウサギの視機性眼球反応のゲインと位相差を示す。通常比較的遅いスクリーンの回転に対してゲインはほぼ一定であり、スクリーンの回転が速くなるとゲインは低下する。位相差は、ゲインが一定のところではほぼ0度であるが、ゲインが下がるにつれて遅れが増加する。これらは、閉ループの視機性眼球反応の動特性である。

 開ループの視機性眼球反応ゲインは次のように測定する。一側の外眼筋を支配する神経を局所麻酔し眼球を不動化する。次に不動化した眼にのみ視覚刺激を提示し、視覚刺激を遮断した対側の眼球で誘発される視機性眼球反応を記録する。あるいは視機性眼球反応を高速で測定しながら、retinal slipが実質0(stabilized retinal image)となるようにスクリーンの動きを調節する。視機性眼球反応の開ループゲインは100程度である[5]

小脳片葉による視機性眼球反応ゲインの適応調節 

図2.視機性眼球反応のゲインの適応
(A)視機性眼球反応の短期と長期のゲインの適応。マウスに1日1時間の周期0.16Hz、振幅15度の正弦波状スクリーンの回転によるトレーニングを連続して5日間行ったときの視機性眼球反応のゲインの変化。○は毎日のトレーニングの前のゲイン、●は1時間のトレーニング後のゲイン。トレーニング時以外はマウスを暗所飼育した。5日間のトレーニング後、マウスを通常の飼育(明、12時間;暗、12時間)に戻し、視機性眼球反応のゲインの回復を2週間ほど調べた。右は、同じマウスの1日目と3, 4、6日目の視機性眼球反応の平均とレース。**, P < 0.01; *, P <0.1(paired t-test).
(B)小脳片葉による視機性眼球反応の適応制御機構。適応の短期の記憶痕跡は小脳片葉に形成されるが、長期の記憶は前庭神経核に保持される。[6]を改変。

  外界がゆっくりと動く時には視機性眼球反応のゲインが高く外界の動きに眼は十分追従できるが、外界が速く動く時にはゲインが低いので、眼は追従できずretinal slipが生じてしまう。そのような場合が続くと、視機性眼球反応のゲインを高めるような小脳による運動学習がおこる。これを視機性眼球反応の適応と呼ぶ。

 図2Aはマウスの例であるが、高速度で正弦波状に動くスクリーンを眼前に提示することを1時間持続的に行うと、視機性眼球反応に適応が生じゲインが増加する。視機性眼球反応の適応は、コイ(金魚)、ニワトリやウサギなどの動物種で見られる。このような1時間のトレーニングで生じるゲインの増加は通常24時間で消失するので短期の適応である。さらに、毎日1時間の視機性眼球反応のトレーニングを1週間続けると、各日のトレーニング前の視機性眼球反応ゲインが徐々に上昇する。この長期間のトレーニングによるゲインの増加は、訓練終了後も2週間程度持続するので長期の適応である。

 小脳片葉が短期の適応に不可欠であることが、前庭動眼反射と同様に様々な実験結果により確認されている(図2B)。片葉のH-ゾーンと呼ばれる領域のプルキンエ細胞には、平行線維を介して視機性眼球反応を引き起こすのに必要な視覚情報が伝えられる。また適応に必要なretinal slipの情報は、登上線維を介して下オリーブ核(正中副オリーブ)背側帽(dorsal cap)から、H-ゾーンのプルキンエ細胞に伝えられる。一方、H-ゾーンのプルキンエ細胞は前庭動眼反射を中継する前庭神経核の神経細胞に投射する。従ってこのH-ゾーンのプルキンエ細胞が変化すると視機性眼球反応の特性(ゲイン)も変化することになる。

 長期抑圧とは、平行線維―プルキンエ細胞間のシナプス伝達が同じプルキンエ細胞に入力する登上線維の信号によって長期間にわたり減弱されるという可塑性であり、伊藤正男らによって1982年に発見された。この長期抑圧がH-ゾーンのプルキンエ細胞に生じると前庭動眼反射と視機性眼球反応のゲインに適応が生じるという仮説があり、片葉仮説と呼ばれている。片葉仮説は、片葉や下オリーブ核の破壊実験、長期抑圧の阻害剤を用いた薬理学の実験、多くの遺伝子変異マウスを用いた実験、片葉の神経活動の記録実験や計算論によるシミュレーションの研究により支持されている[3] [4][7]

 適応をはじめとするような脳による運動学習の結果は、記憶としてある程度保持され利用される。記憶のもとになる神経の変化を記憶痕跡(memory trace)と呼ぶ。この視機性眼球反応の適応の記憶痕跡が脳のどの部位に保持されているかが、神経組織の活動を局所麻酔剤で遮断する方法により調べられている。もし神経活動が遮断された脳部位に記憶痕跡が存在するならば、遮断により記憶が消され、適応は直ちに消去されるはずである。実験の結果は、前庭動眼反射の場合と同様に、数時間のトレーニングで生じた短期の適応の記憶の痕跡が片葉に保持されているのに対して、数日間の長期の適応の記憶の痕跡は片葉の出力先の前庭神経核に保持されていることを示唆する(図2B)。つまりトレーニングを繰り返し行うことで、視機性眼球反応の適応の記憶痕跡がプルキンエ細胞からシナプスを越えて前庭神経核に移動することになる。前庭核のシナプスでは長期増強が起こることが示されており、それが長期適応の記憶痕跡の元になると推定されている[6] [8]

視覚運動性眼振と視機性眼球反応

図3.視運動性眼振(視覚運動性眼振)の特徴
(A)ウサギの周りのドラム状のスクリーンを左方向に一定速度(30°/s)で回転させると、ウサギの左眼には、回転と同じ方向の緩徐相と、逆の方向の急速相が生じる。緩徐相が一定の速度に達するには時間がかかり、かつその最高速度はスクリーンの回転速度に比べて小さい。
(B)Aと同様の実験をヒトで行なったときに観察される視覚運動性眼振。ただしドラムの回転速度を一定の加速度(2°/s2)で増加させた。ウサギの時に比べて、視覚運動性眼振はすぐに立ち上がり、そのあとやや遅れてスクリーンの速度と同じ速度に達する。▲でその時点でのスクリーンの回転速度を示す。
(C)視覚運動性眼振とOKANの緩徐相の速度(ドラムの速度に対するパーセント比率)の時間経過をヒト、サル、ネコ,ウサギで比べたもの。AとBは[9]を改変。Cは[10]を改変。

 臨床医学の前庭や視覚の機能の検査に、ドラム状の縞模様のスクリーンを定加速度かつ定方向にまわすことで誘発される視覚運動性眼振(視覚運動性眼振)が用いられる。視覚運動性眼振は、1820年に、小脳のプルキンエ細胞の命名者であるJ. E. Purkinje(1787-1869)によって初めて記載された。図3A図3Bにウサギとヒトの視覚運動性眼振の例をそれぞれ示す。

 視覚運動性眼振は、遅い眼球運動と速い眼球運動が規則的に繰り返されることによって生じる。遅い眼球運動は、視機性眼球反応と同じくスクリーンの回転と同方向に生じ、緩徐相(slow phase)と呼ばれる。一方、スクリーンの回転と逆方向に生じる速い眼球運動は、急速相(fast phase)と呼ばれる。ウサギでは、スクリーンの回転開始からかなり遅れて視覚運動性眼振の緩徐相が出現し、やがて一定速度に達する。その速度はスクリーンの速度に比べてかなり小さい。一方、ヒトやサルでは、緩徐相はスクリーンが回転を始めると急速に立ち上がり、そのあと数秒かけて徐々に増加し、やがてスクリーンの回転速度にほぼ等しくなる。

 視覚運動性眼振の緩徐相がスクリーンの回転速度に達した段階で、スクリーンの回転を止めてまっ暗にすると、視(覚)運動性後眼振(optokinetic after nystagmus, OKAN)が生じる。視(覚)運動性後眼振にも緩徐相と急速相がある。ヒトやサルの視(覚)運動性後眼振の緩徐相の速度とその減衰の時間経過は、ウサギの視(覚)運動性後眼振の緩徐相の速度とその立ち上がりの時間経過に似ている。一方、ウサギの視覚運動性眼振の緩徐相には、サルやヒトで見られる速い立ち上がりの成分はなく、視(覚)運動性後眼振の緩徐相と同じような遅い成分しかない(図3C)。そこで、ヒトやサルの視覚運動性眼振と視(覚)運動性後眼振の緩徐相のうち、視覚運動性眼振緩徐相の立ち上がりの遅い成分と視(覚)運動性後眼振緩徐相が視機性眼球反応に由来するが、視覚運動性眼振緩徐相の立ち上がりの速い成分は霊長類でよく発達している滑動性追跡眼球運動に由来すると考えられている。サルでは両側の前庭器官を破壊すると視(覚)運動性後眼振が完全に消失し、ヒトでも両側の前庭器官が障害されると視(覚)運動性後眼振が出なくなることがある。また、ヒトで網膜の中心部の損傷により滑動性追跡眼球運動が障害されても、遅い成分の視覚運動性眼振は誘発される。これらの所見は、ヒトやサルの立ち上がりの遅い視覚運動性眼振の緩徐相 = 視(覚)運動性後眼振の緩徐相 = 視機性眼球反応という考え方を支持する[9]

 ヒトのサルでは、眼前に提示した比較的大きなパターンをステップランプ状に動かす時に、サッケード眼球運動に引き続いてランプ状のパターンの動きに依存したドリフト状の遅い眼球運動が誘発される。この眼球運動は追従性眼球運動反応(ocular following response, OFR)と呼ばれる。追従性眼球運動反応の発現には大脳皮質視覚連合野MT野橋核、小脳腹側傍片葉が関与する。滑動性追跡眼球運動には大脳皮質の前頭眼野に由来するものと頭頂連合野に由来するものがあるが、追従性眼球運動反応はそのうちの頭頂連合野に由来するものと考えられる。ヒトやサルの視覚運動性眼振の緩徐相の立ち上がりの速い成分は滑動性追跡眼球運動に起因するのは確かであるが、この立ち上がりの速い成分に追従性眼球運動反応がどの程度寄与しているかは定量的には分かっていない。

関連項目

外部リンク

参考文献

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  7. 永雄総一
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