「アルコール依存症」の版間の差分

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<font size="+1">湯本 洋介、樋口 進</font><br>
<font size="+1">湯本 洋介*、樋口 進</font><br>
''独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター''<br>
''独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年3月25日 原稿完成日:2016年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年3月25日 原稿完成日:2016年4月12日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
 *corresponding author
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英:alcoholism 独:Alkoholkrankheit 仏:alcoolisme
英:alcoholism 独:Alkoholkrankheit 仏:alcoolisme


{{box|text= アルコール依存症は、飲酒の制御困難を本質的部分とする。身体面への影響、抑うつや自殺リスクを上げるなどの精神面への影響、家族関係など周囲の人々への影響、飲酒運転等の社会への影響など、多岐にわたる問題に繋がる。診断はICD-10またはDSM-5にてなされる。DSM-5では「アルコール依存症」という分類はなくなり、基準となる症状の項目数により「アルコール使用障害」の診断の中で重症度を判定する仕組みとなっている。アルコール依存症の成因については、遺伝要因と環境要因の相互作用が考えられ、アルコール依存症の中間表現型を規定する遺伝子が検索されている。また、脳内報酬系等のアロステリックな変化が、物質使用障害における使用制御の困難を生み出す基盤と考えられている。治療は断酒を目標とした集団療法や様々な個人療法が認められているが、一方であくまで断酒を最終目標としながらも治療への参加を促すため、減酒を当初の目標とすることもある。}}
{{box|text= アルコール依存症は、飲酒の制御困難を本質的部分とする。身体面への影響、抑うつや自殺リスクを上げるなどの精神面への影響、家族関係など周囲の人々への影響、飲酒運転等の社会への影響など、多岐にわたる問題に繋がる。診断はICD-10またはDSM-5にてなされる。DSM-5では「アルコール依存症」という分類はなくなり、基準となる症状の項目数により「アルコール使用障害」の診断の中で重症度を判定する仕組みとなっている。アルコール依存症の成因については、遺伝要因と環境要因の相互作用が考えられ、アルコール依存症の中間表現型を規定する遺伝子が検索されている。また、脳内報酬系等の神経回路の変化が、物質使用障害における使用制御の困難を生み出す基盤と考えられている。治療は断酒を目標とした集団療法や様々な個人療法が認められているが、一方であくまで断酒を最終目標としながらも治療への参加を促すため、減酒を当初の目標とすることもある。}}


==物質依存、概念の歴史==
==物質依存、概念の歴史==
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 古代には、主に[[wj:ビール|ビール]]、[[wj:ワイン|ワイン]]などの[[wj:醸造酒|醸造酒]]のみしか普及しておらず、そのアルコール濃度の上限は約十数%程度であった。しかし、中性〜近代にかけて[[wj:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]諸国を中心に、よりアルコール濃度が高く携帯性、保存性の優れる[[wj:ラム酒|ラム酒]]や[[wj:ジン|ジン]]・[[wj:ウイスキー|ウイスキー]]などの[[wj:蒸留酒|蒸留酒]]が普及すると、[[アルコール乱用]]・依存がさらに社会問題化してくるようになった<ref>'''中山秀紀、樋口進'''<br>依存症・衝動制御障害の治療「物質依存の概念」<br>''中山書店''、東京、p2–13</ref>。
 古代には、主に[[wj:ビール|ビール]]、[[wj:ワイン|ワイン]]などの[[wj:醸造酒|醸造酒]]のみしか普及しておらず、そのアルコール濃度の上限は約十数%程度であった。しかし、中性〜近代にかけて[[wj:ヨーロッパ|ヨーロッパ]]諸国を中心に、よりアルコール濃度が高く携帯性、保存性の優れる[[wj:ラム酒|ラム酒]]や[[wj:ジン|ジン]]・[[wj:ウイスキー|ウイスキー]]などの[[wj:蒸留酒|蒸留酒]]が普及すると、[[アルコール乱用]]・依存がさらに社会問題化してくるようになった<ref>'''中山秀紀、樋口進'''<br>依存症・衝動制御障害の治療「物質依存の概念」<br>''中山書店''、東京、p2–13</ref>。


 現在の物質依存に相当する医学用語は、1820年頃から[[アヘン]]に[[poisoning]](中毒)が用いられるようになり、その後[[コカイン]]やアルコールにも用いられるようになった。1880年頃からhabit(習慣)、〜ism(症)が、1920年頃から[[addiction]]([[嗜癖]])へと変遷していった。世界的な診断基準としては、1957年には[[wj:世界保健機関|世界保健機関]](World Health Organization: WHO)は、addiction(嗜癖)と[[habituation]]([[習慣性]])を学術用語として定義した。Addictionは「著明な[[身体依存]]」「薬物摂取の渇望」「大きな社会的弊害」の3条件を満たす薬物の使用とされ、habituationはこれより程度の軽い薬物の習慣的使用とされた。しかし、身体依存がなくとも[[精神依存]]により薬物摂取への欲求、渇望が起こりうることが判明し、1964年にWHOによってそれまでのaddictionやhabituationに代わって、dependence(依存)の用語が提唱され、現在に至る<ref>'''柳田知司'''<br>動物における薬物依存研究のあゆみ<br>''脳と精神の医学'' 7(2).137–142.1996</ref>。
 現在の物質依存に相当する医学用語は、1820年頃から[[アヘン]]に[[poisoning]](中毒)が用いられるようになり、その後[[コカイン]]やアルコールにも用いられるようになった。1880年頃からhabit([[習慣]])、〜ism(症)が、1920年頃から[[addiction]]([[嗜癖]])へと変遷していった。世界的な診断基準としては、1957年には[[wj:世界保健機関|世界保健機関]](World Health Organization: WHO)は、addiction(嗜癖)と[[habituation]]([[習慣性]])を学術用語として定義した。Addictionは「著明な[[身体依存]]」「薬物摂取の渇望」「大きな社会的弊害」の3条件を満たす薬物の使用とされ、habituationはこれより程度の軽い薬物の習慣的使用とされた。しかし、身体依存がなくとも[[精神依存]]により薬物摂取への欲求、渇望が起こりうることが判明し、1964年にWHOによってそれまでのaddictionやhabituationに代わって、dependence(依存)の用語が提唱され、現在に至る<ref>'''柳田知司'''<br>動物における薬物依存研究のあゆみ<br>''脳と精神の医学'' 7(2).137–142.1996</ref>。


==症状==
==症状==
 アルコールは[[感覚]]、[[知能]]、[[wj:循環器|循環]]、[[消化管|消化]]、[[wj:代謝|代謝]]、[[運動]]にかかわる器官のほぼ全てに影響を与える。そのため、飲酒の制御困難による大量飲酒は、様々な機能障害を起こす。WHOによれば、アルコールは60以上もの疾患の原因になると言われている。代表的なものを挙げると、[[肝臓障害]]、[[膵炎]]、[[糖尿病]]、[[痛風]]、[[消化管出血]]、[[癌]]、[[脳萎縮]]、[[wj:骨粗鬆症|骨粗鬆症]]、[[wj:大腿骨頭壊死|大腿骨頭壊死]]など多くの臓器に渡ってその影響が出る。
 アルコールは[[感覚]]、[[知能]]、[[wj:循環器|循環]]、[[消化管|消化]]、[[wj:代謝|代謝]]、[[運動]]にかかわる器官のほぼ全てに影響を与える。そのため、飲酒の制御困難による大量飲酒は、様々な機能障害を起こす。WHOによれば、アルコールは60以上もの疾患の原因になると言われている。代表的なものを挙げると、[[肝臓障害]]、[[膵炎]]、[[糖尿病]]、[[痛風]]、[[消化管出血]]、[[癌]]、[[脳萎縮]]、[[wj:骨粗鬆症|骨粗鬆症]]、[[wj:大腿骨頭壊死|大腿骨頭壊死]]など多くの臓器に渡ってその影響が出る。


 以上のような身体面への影響だけではない。以下に精神面への影響について述べる。健常者に対する飲酒実験によると、10名の健常者を対象に、2時間ごとに飲酒を行う(24時間で最大25ドリンクまでの上限)実験を連日続けた結果、全員が[[抑うつ症状]]を認め、4名が最初の1週間で[[希死念慮]]を認めたため実験が中止になり、飲酒を中止したところ、抑うつ症状は改善したとの報告がある<ref><pubmed>19909688</pubmed></ref>。したがって大量飲酒は一過性の抑うつ症状を引き起こすことがあり、連続飲酒に陥っているアルコール依存症者は抑うつ症状を伴うことがしばしばある。またアルコール依存症の既往がある者では、ない者に比べて、[[大うつ病性障害]]を発症する危険性は4倍高いとする報告があり<ref><pubmed>2232018</pubmed></ref>、アルコール依存症は、将来の[[うつ病]]発症リスクに関連する可能性がある。
 以上のような身体面への影響だけではない。以下に精神面への影響について述べる。健常者に対する飲酒実験によると、10名の健常者を対象に、2時間ごとに飲酒を行う(24時間で最大25ドリンクまでの上限)実験を連日続けた結果、全員が[[抑うつ症状]]を認め、4名が最初の1週間で[[希死念慮]]を認めたため実験が中止になり、飲酒を中止したところ、抑うつ症状は改善したとの報告がある<ref><pubmed>14372008</pubmed></ref>。したがって大量飲酒は一過性の抑うつ症状を引き起こすことがあり、連続飲酒に陥っているアルコール依存症者は抑うつ症状を伴うことがしばしばある。またアルコール依存症の既往がある者では、ない者に比べて、[[大うつ病性障害]]を発症する危険性は4倍高いとする報告があり<ref><pubmed>2232018</pubmed></ref>、アルコール依存症は、将来の[[うつ病]]発症リスクに関連する可能性がある。


 アルコール依存症が[[自殺]]や[[自殺企図]]のリスク因子であることも多くの研究から確認されている。アルコール依存症、[[気分障害]]、[[統合失調症]]で自殺の生涯リスクを比較した研究によるとアルコール依存症で7%、気分障害で6%、[[統合失調症]]で4%と推計されており、アルコール依存症は気分障害より自殺のリスクが高いとされる<ref><pubmed>9534829</pubmed></ref>。また、入院治療を受けたアルコール依存症の国内調査では、アルコール依存症群は一般人口に比べて男性で約9倍、女性で35倍高い自殺の危険があるという研究結果がある<ref><pubmed>3435274</pubmed></ref>。
 アルコール依存症が[[自殺]]や[[自殺企図]]のリスク因子であることも多くの研究から確認されている。アルコール依存症、[[気分障害]]、[[統合失調症]]で自殺の生涯リスクを比較した研究によるとアルコール依存症で7%、気分障害で6%、[[統合失調症]]で4%と推計されており、アルコール依存症は気分障害より自殺のリスクが高いとされる<ref><pubmed>9534829</pubmed></ref>。また、入院治療を受けたアルコール依存症の国内調査では、アルコール依存症群は一般人口に比べて男性で約9倍、女性で35倍高い自殺の危険があるという研究結果がある<ref><pubmed>3435274</pubmed></ref>。
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==診断==
==診断==
 現在、世界的に見て、アルコール依存症は2通りの診断体系、ICD-10とDSM-5を用いて同定され得る。それぞれ異なる診断基準を提示している。
 現在、世界的に見て、アルコール依存症は2通りの診断体系、[[ICD-10]]と[[DSM-5]]を用いて同定され得る。それぞれ異なる診断基準を提示している。


=== 国際疾病分類第10版 ===
=== 国際疾病分類第10版 ===
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=== 精神障害の診断と統計マニュアル第5版 ===
=== 精神障害の診断と統計マニュアル第5版 ===
 一方、アメリカ精神医学会の[[精神障害の診断と統計マニュアル]]第5版([[DSM-5]])では、依存という名称が無くなり、前版の[[DSM-Ⅳ–TR]]までで定義されていたアルコール依存症という概念は「アルコール使用障害」のカテゴリーに含められることとなった。診断基準11項目('''表2''')のうち2〜3項目が該当すれば軽症、4〜5項目が該当すれば中等症、6項目以上が該当すれば重症とするアルコール使用障害の程度の重み付けがあるのみであり、依存症という診断概念そのものは定義していない<ref>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders<br>''[[DSM-5]]-Alcohol Related Disorders''. APA. Washington DC, 2013, p490-503</ref>。
 一方、アメリカ精神医学会の[[精神障害の診断と統計マニュアル第5版]][[DSM-5]])では、依存という名称が無くなり、前版の[[DSM-Ⅳ–TR]]までで定義されていたアルコール依存症という概念は「アルコール使用障害」のカテゴリーに含められることとなった。診断基準11項目('''表2''')のうち2〜3項目が該当すれば軽症、4〜5項目が該当すれば中等症、6項目以上が該当すれば重症とするアルコール使用障害の程度の重み付けがあるのみであり、依存症という診断概念そのものは定義していない<ref>'''American Psychiatric Association'''<br>Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders<br>''DSM-5-Alcohol Related Disorders''. APA. Washington DC, 2013, p490-503</ref>。


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|+ 表2.DSM5によるアルコール使用障害の診断基準
|+ 表2.DSM-5によるアルコール使用障害の診断基準
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! 内容
! 内容
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 治療目標の設定は、断酒を原則とすることが通常である。米国APA(American Psychiatric Association)の治療ガイドラインによれば、断酒継続が最も長期間の良好なアウトカムを示すと記述されている。一方でコントロール使用を希望する患者が多くいるのも事実であるが、物質使用障害の患者がコントロール使用を選択するのは非現実的であり、治療者はアルコールを摂取し続けることの悪い結果を患者と共有し、長期間の断酒がもっともよい治療の選択肢であるという認識を共有していくべきであるとされている<ref>'''American Psychiatric Association'''<br>Practice guideline for the Treatment of Patients with Substance Use Disorders<br>Second Edition. 2006. US [http://psychiatryonline.org/pb/assets/raw/sitewide/practice_guidelines/guidelines/substanceuse.pdf PDF]</ref>。
 治療目標の設定は、断酒を原則とすることが通常である。米国APA(American Psychiatric Association)の治療ガイドラインによれば、断酒継続が最も長期間の良好なアウトカムを示すと記述されている。一方でコントロール使用を希望する患者が多くいるのも事実であるが、物質使用障害の患者がコントロール使用を選択するのは非現実的であり、治療者はアルコールを摂取し続けることの悪い結果を患者と共有し、長期間の断酒がもっともよい治療の選択肢であるという認識を共有していくべきであるとされている<ref>'''American Psychiatric Association'''<br>Practice guideline for the Treatment of Patients with Substance Use Disorders<br>Second Edition. 2006. US [http://psychiatryonline.org/pb/assets/raw/sitewide/practice_guidelines/guidelines/substanceuse.pdf PDF]</ref>。


 また、英国国立医療技術評価機構NICE(National institute for Health and Care Excellence)の治療ガイドラインでは、アルコール依存、または何らかの精神的あるいは身体的合併症のあるアルコール使用障害には断酒をすすめるべきであるとされている。患者が節酒を望む場合には断酒が最も適切な目標であることを強くすすめる。しかし、断酒をゴールとしないからと言って治療を拒んではならない。断酒を目標に考えていない患者には、ひとまず<u>ハームリダクション(酩酊や飲酒による有害事象を減少させること)の考えに基づき、飲酒によって被る害を減らすことに注目したケアを行ってもよい。しかし、それは断酒を見据えてのものでなければならないとされている<ref>'''National Institute for Health and Care Excellence'''<br>Alcohol Use Disorders<br>Diagnosis and Assessment and Management of Harmful Drinking and Alcohol Dependence<br>2011. UK [https://www.nice.org.uk/guidance/cg115 URL]</ref>。
 また、英国国立医療技術評価機構NICE(National institute for Health and Care Excellence)の治療ガイドラインでは、アルコール依存、または何らかの精神的あるいは身体的合併症のあるアルコール使用障害には断酒をすすめるべきであるとされている。患者が節酒を望む場合には断酒が最も適切な目標であることを強くすすめる。しかし、断酒をゴールとしないからと言って治療を拒んではならない。断酒を目標に考えていない患者には、ひとまず減酒を提案するなど、飲酒によって被る害を減らすことに注目したケアを行ってもよい。しかし、それは断酒を見据えてのものでなければならないとされている<ref>'''National Institute for Health and Care Excellence'''<br>Alcohol Use Disorders<br>Diagnosis and Assessment and Management of Harmful Drinking and Alcohol Dependence<br>2011. UK [https://www.nice.org.uk/guidance/cg115 URL]</ref>。


=== 離脱症状のコントロール ===
=== 離脱症状のコントロール ===