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東京大学大学院医学系研究科 村上 誠 | 東京大学大学院医学系研究科 村上 誠 | ||
{{box|text= ホスホリパーゼA2 (PLA2) は、グリセロリン脂質(以下、リン脂質)のグリセロール骨格の2位のエステル結合を加水分解し、脂肪酸と1- | {{box|text= ホスホリパーゼA2 (PLA2) は、グリセロリン脂質(以下、リン脂質)のグリセロール骨格の2位のエステル結合を加水分解し、脂肪酸と1-リゾリン脂質を生成する酵素である。広義には、構造上PLA2ファミリーに分類される酵素を指し、この中にはPLA2活性とは異なる酵素活性を持つものもある。ヒトのゲノムには広義のPLA2が50種類以上コードされており、細胞質型(cPLA2)、Ca<sup>2+</sup>非依存性(iPLA2)、分泌性(sPLA2)、ほかいくつかのサブグループに分類される。細胞質PLA2のうちαサブタイプは細胞質のCa<sup>2+</sup>濃度が上昇すると膜リン脂質からアラキドン酸を切り出す。切り出されたアラキドン酸はプロスタグランジン、ロイコトリエンなどの脂質メディエーターに変換され、細胞間情報伝達に関わる。}} | ||
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==歴史的経緯== | ==歴史的経緯== | ||
1980年代後半に、ヘビ毒に含まれるPLA2と構造の類似した低分子量PLA2が哺乳類の膵液とリウマチ関節炎滲出液から精製され、それぞれI型、II型PLA2と呼ばれた。1990年代初頭に、ヒト単球の細胞質から全く別の構造をもつ高分子量PLA2が同定され、低分子量PLA2を分泌性PLA2(sPLA2; secreted PLA2)、高分子量PLA2を細胞質型PLA2(cPLA2; cytosolic | 1980年代後半に、ヘビ毒に含まれるPLA2と構造の類似した低分子量PLA2が哺乳類の膵液とリウマチ関節炎滲出液から精製され、それぞれI型、II型PLA2と呼ばれた。1990年代初頭に、ヒト単球の細胞質から全く別の構造をもつ高分子量PLA2が同定され、低分子量PLA2を分泌性PLA2(sPLA2; secreted PLA2)、高分子量PLA2を細胞質型PLA2(cPLA2; cytosolic PLA2)と呼ぶ習慣が定着した。その後1990年代半ばに、細胞質から別の高分子量PLA2が精製されたが、cPLA2とは異なり酵素活性にCa<sup>2+</sup>を必要としないことから、Ca<sup>2+</sup>非依存性PLA2(iPLA2)と呼ばれた。その後、2000年代半ばまでに、ヒトやマウスの全ゲノム構造が明らかになるにつれて、構造的にcPLA2、iPLA2、sPLA2の特徴をそれぞれ有するアイソフォームや、このいずれにも属さない新しいタイプのPLA2が次々と同定された(サブファミリーの項目参照)。 | ||
1980〜1990年代は、プロスタグランジン(PG)やロイコトリエン(LT)などの脂質メディエーターの生合成に関わる酵素や、そのシグナル伝達に関わる受容体が次々と同定された時期でもあり、PLA2はこれらの脂質メディエーターの共通の前駆体であるアラキドン酸を膜リン脂質から遊離するシグナル酵素(アラキドン酸代謝の初発律速酵素)として注目された。現在では、プロスタグランジン、ロイコトリエンの生合成に最も密接に関わるPLA2は細胞質型PLA2のαサブタイプ(cPLA2α)であることがわかっているが、iPLA2やsPLA2、さらには中性脂質を分解するリパーゼも、状況に応じてアラキドン酸代謝に関わる('''図1''')。 | |||
==サブファミリー== | ==サブファミリー== | ||
PLA2の分類は、分子として同定された歴史的順番に沿ってI、II、III….と番号をつけ、さらに近縁の酵素にA、B、C…のアルファベット大文字を添える命名法(提唱者にちなんでDennis分類と呼ばれる)と、各酵素の構造と性質の類似性からサブファミリー別に分類する命名法がある。PLA2の遺伝子名は概ねDennis分類に基づくが (例;PLA2G2A、PLA2 group IIA)、この命名法はPLA2ファミリーの全ての酵素をカバーできていない上に、どのサブファミリーに属するかを識別できず、さらに哺乳動物には存在しないPLA2にも番号が振り分けられているため、最近はサブグループを識別できるcPLA2、iPLA2、sPLA2などの名称が使われる場合が多い。ただし、sPLA2ファミリーに関しては、伝統的にDennis分類に基づく番号が各酵素に付けられている。 | |||
===細胞質型PLA2ファミリー=== | ===細胞質型PLA2ファミリー=== | ||
細胞質PLA2(cPLA2; cytosolic | 細胞質PLA2(cPLA2; cytosolic PLA2)は脊椎動物にのみ存在し、哺乳動物にはα―ζ(Dennis分類ではIVA―F)の6種類が存在する(図2A)<ref name=Murakami2023><pubmed>36918102</pubmed></ref>[1]。cPLA2群は、N末端側にCa<sup>2+</sup>依存的に膜に結合するC2ドメイン、C末端側にSer-Aspを活性中心とする触媒ドメインを持つが、例外的にcPLA2γにはC2ドメインがない。 | ||
プロトタイプであるcPLA2αは最もよく研究されているPLA2であり、ほぼ全ての組織に普遍的に分布している。細胞が活性化して細胞質のCa<sup>2+</sup>濃度がµMレベルに上昇すると、cPLA2αはC2ドメインを介して細胞質から核周縁膜(ゴルジ体、小胞体)に移行するとともに、MAPキナーゼによるリン酸化を受けて活性化し、膜リン脂質から不飽和脂肪酸の一種であるアラキドン酸を選択的に切り出す<ref name=Lin1993><pubmed>8381049</pubmed></ref>[2]。この性質は、アラキドン酸代謝による脂質メディエーター(プロスタグランジン、ロイコトリエンなど)の産生に極めて重要である(図2B)。 | |||
cPLA2εはPLA2活性ではなくN-アシルトランスフェラーゼ活性(リン脂質の1位の脂肪酸をホスファチジルエタノールアミンのアミノ基に転移する反応)を触媒し、別のクラスの脂質メディエーターであるN-アシルエタノールアミン(NAE)の生合成に関わる<ref name=Ogura2016><pubmed>27399000</pubmed></ref>[3]。 | |||
他のcPLA2アイソザイムの機能は不明であるが、少なくともin | 他のcPLA2アイソザイムの機能は不明であるが、少なくともin vitroにおいては、cPLA2γはPLA2反応に加えてリン脂質の2位の脂肪酸を別のリン脂質に直接転移するトランスアシラーゼ反応、cPLA2δはリン脂質の1位を切るPLA1反応、cPLA2ζは脂肪酸を非選択的に切り出すPLA2反応を触媒する。 | ||
=== | ===Ca<sup>2+</sup>非依存性PLA2ファミリー=== | ||
Ca<sup>2+</sup>非依存性PLA2(iPLA2; Ca<sup>2+</sup>-independent PLA2)は、酵素活性にCa<sup>2+</sup>を必要とせず、動物のみならず植物から微生物まで生物界に広く分布する。植物のリパーゼであるpatatinと相同性が高い触媒ドメイン(patatinドメインと呼ばれる)を持つことから、PNPLA (patatin-like phospholipase)とも呼ばれ、ヒトのゲノムには9種類の酵素がコードされている(図3)<ref name=Murakami2023 /> [1]。 | |||
分子進化的には上述のcPLA2に近縁で、脊椎動物の出現に伴いiPLA2からcPLA2が分岐したと考えられている。発見当初はpatatinをiPLA2αと呼び、哺乳動物の酵素には発見順にiPLA2β、γ、δ…(Dennis分類ではVIA、B、C…)と呼ばれていたが、必ずしも全ての酵素がPLA2反応を触媒するとは限らないため、最近ではiPLA2よりもPNPLAの名称で呼ばれることが多く、ここでは両名称を併記する。 | |||
哺乳動物のiPLA2として最初に同定されたPNPLA9/ | 哺乳動物のiPLA2として最初に同定されたPNPLA9/iPLA2βは主にPLA2として働く。PNPLA8/iPLA2γはリン脂質の種類により1位または2位を分解するPLA1/2活性、PNPLA7/iPLA2θはリゾリン脂質を分解するリゾホスホリパーゼ活性、PNPLA6/iPLA2δはホスホリパーゼB(PLA1/2+リゾホスホリパーゼ)活性を持つ。PNPLA9/iPLA2βは細胞質、PNPLA8/iPLA2γはミトコンドリアとペルオキシソーム、PNPLA6/iPLA2δとPNPLA7/iPLA2θは小胞体に局在する。PNPLA1―5はリン脂質ではなく中性脂質を基質とするリパーゼまたはトランスアシラーゼであり、脂肪滴に局在する。 | ||
===分泌性PLA2ファミリー=== | ===分泌性PLA2ファミリー=== | ||
分泌性PLA2 (sPLA2; secreted PLA2) はN末端にシグナル配列を持ち、細胞外に分泌される低分子量(14-18 | 分泌性PLA2 (sPLA2; secreted PLA2) はN末端にシグナル配列を持ち、細胞外に分泌される低分子量(14-18 kDa)のPLA2の一群であり、動物だけでなく植物、真菌、さらには一部のウイルスまで広く分布している。哺乳動物のゲノムにはIB、IIA、IIC、IID、IIE、IIF、III、V、X、XIIA、XIIBの合計11種類のsPLA2がコードされている(図4)<ref name=Murakami2016><pubmed>27769509</pubmed></ref>[4]。酵素活性に必要なHis-Asp活性中心とCa<sup>2+</sup>結合配列はアイソザイム間でよく保存されており、分子内ジスルフィド結合の数と位置関係に基づき細かく分類されている。 | ||
sPLA2は酵素活性にmM濃度のCa<sup>2+</sup>を必要とし、Ca<sup>2+</sup>が十分量存在する細胞外環境において、細胞外に存在するリン脂質(細胞外小胞、リポタンパク質、サーファクタント、微生物膜、食事成分など)を分解する。 | |||
一般に、動物細胞の細胞膜はsPLA2に対する感受性が低いが、活性化した細胞や損傷を受けた細胞の膜はsPLA2の標的基質となり得る。各sPLA2の酵素活性は同一ではなく、リン脂質の2位の脂肪酸と3位の極性基に応じて異なる基質選択性を示す。また、各sPLA2は異なる組織に分布しており、刺激に対する発現誘導パターンも異なる。このため、各sPLA2の生体内での機能は同一ではなく、それぞれが固有の生命応答に関与すると考えられている。 | 一般に、動物細胞の細胞膜はsPLA2に対する感受性が低いが、活性化した細胞や損傷を受けた細胞の膜はsPLA2の標的基質となり得る。各sPLA2の酵素活性は同一ではなく、リン脂質の2位の脂肪酸と3位の極性基に応じて異なる基質選択性を示す。また、各sPLA2は異なる組織に分布しており、刺激に対する発現誘導パターンも異なる。このため、各sPLA2の生体内での機能は同一ではなく、それぞれが固有の生命応答に関与すると考えられている。 | ||
===その他のPLA2ファミリー=== | ===その他のPLA2ファミリー=== | ||
cPLA2、iPLA2、sPLA2の三大ファミリー以外にPLA2活性もしくは類縁の脂質代謝活性を持つ酵素群として、PAF-AHファミリー(4種類)、PLAATファミリー(5種類)、リソソーム型PLA2(2種類)、ABHDファミリー(20種以上)などが同定されている。 | |||
==生体内機能および疾患との関わり== | ==生体内機能および疾患との関わり== | ||
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====cPLA2ε==== | ====cPLA2ε==== | ||
普遍的に分布しているcPLA2αとは異なり、皮膚、筋肉、胃、脳など限られた組織に発現している。皮膚においては抗炎症性脂質であるNAEの産生を介して乾癬を抑える<ref name=Liang2022><pubmed>35478358</pubmed></ref>[16]。脳虚血やアルツハイマー病においては、NAEの産生を介して神経保護に関わると考えられる<ref name=Rahman2022><pubmed>35988872</pubmed></ref>[17]。 | |||
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====sPLA2-X==== | ====sPLA2-X==== | ||
精子と大腸上皮細胞に高発現しており、高度不飽和脂肪酸を遊離して精子の活性化と大腸粘膜の保護に関わる<ref name=Escoffier2010><pubmed>20424324</pubmed></ref><ref name=Murase2016><pubmed>26828067</pubmed></ref>[51,52]。肺では喘息の増悪に関わる<ref name=Henderson2007><pubmed>17403936</pubmed></ref>[53]。 | 精子と大腸上皮細胞に高発現しており、高度不飽和脂肪酸を遊離して精子の活性化と大腸粘膜の保護に関わる<ref name=Escoffier2010><pubmed>20424324</pubmed></ref><ref name=Murase2016><pubmed>26828067</pubmed></ref>[51,52]。肺では喘息の増悪に関わる<ref name=Henderson2007><pubmed>17403936</pubmed></ref>[53]。 | ||
===その他のPLA2ファミリー=== | ===その他のPLA2ファミリー=== | ||
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==関連項目== | ==関連項目== | ||
[[アラキドン酸]] | * [[アラキドン酸]] | ||
[[プロスタグランジン]] | * [[プロスタグランジン]] | ||
[[エンドカナビノイド]] | * [[エンドカナビノイド]] | ||
[[ホスホリパーゼC]] | * [[ホスホリパーゼC]] | ||
==参考文献== | ==参考文献== | ||
<references /> | <references /> | ||
'''図1. PLA2によるアラキドン酸の遊離と脂質メディエーターの産生'''<br> | |||
多くの組織や細胞において、リン脂質からアラキドン酸(AA)を選択的に切り出し脂質メディエーター(エイコサノイド)の産生に関わる主要な酵素はcPLA2αである。組織や細胞に応じて、iPLA2、sPLA2、リパーゼ(MGL、DGL、ATGL)もアラキドン酸遊離に関与し得る。 | 多くの組織や細胞において、リン脂質からアラキドン酸(AA)を選択的に切り出し脂質メディエーター(エイコサノイド)の産生に関わる主要な酵素はcPLA2αである。組織や細胞に応じて、iPLA2、sPLA2、リパーゼ(MGL、DGL、ATGL)もアラキドン酸遊離に関与し得る。 | ||
'''図2. cPLA2ファミリーの構造(左)とcPLA2αの活性化機構(右)'''<br> | |||
cPLA2には6種のサブタイプ(α-δ)が存在する。プロトタイプであるcPLA2αは、細胞質Ca<sup>2+</sup>濃度の上昇に応じてゴルジ体などの膜に移行し、MAPKによるリン酸化を受けて活性化する。cPLA2αにより遊離されたアラキドン酸は下流の酵素により脂質メディエーター(PG、LT)に変換され、リゾホスファチジルコリン(LPC)は血小板活性化因子(PAF)に変換される。cPLA2αは、ホスファチジルコリン(PC)に加えて、C1P(ceramide-1-phosphate)やPIP2(phosphatidylinositol-4.5-bisphosphate)を含む膜に親和性が高い。 | |||
'''図3. PNPLA/iPLA2ファミリーの構造'''<br> | |||
N末側に長いドメインを持つリン脂質作用型(PNPLA6-9)、N末側ドメインを持たない中性脂質作用型(PNPLA1~5)に大別される。単一の酵素が複数の名称で呼ばれているので、代表的な名称を列挙した。 | N末側に長いドメインを持つリン脂質作用型(PNPLA6-9)、N末側ドメインを持たない中性脂質作用型(PNPLA1~5)に大別される。単一の酵素が複数の名称で呼ばれているので、代表的な名称を列挙した。 | ||
'''図4. sPLA2ファミリーの構造'''<br> | |||
3つのサブグループ(Group I/II/V/X、III、XII)に分類される。このうちGroup I/II/V/Xは、古くから知られるヘビ毒sPLA2と共通の構造を持ち、Classical sPLA2と呼ばれる。Group IIIとGroup XIIは、他のいずれのsPLA2とも相同性が低いため、Atypical sPLA2と呼ばれる。 | 3つのサブグループ(Group I/II/V/X、III、XII)に分類される。このうちGroup I/II/V/Xは、古くから知られるヘビ毒sPLA2と共通の構造を持ち、Classical sPLA2と呼ばれる。Group IIIとGroup XIIは、他のいずれのsPLA2とも相同性が低いため、Atypical sPLA2と呼ばれる。 |