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== 臨床場面でみられる分離脳 == | == 臨床場面でみられる分離脳 == | ||
[[抗てんかん薬]]の増加や治療法の進歩により、[[てんかん外科]]における脳梁離断術の適用はかなり限定的になっており、また副作用である離断症状を出さない手技が検討されている。ガザニカも患者の高齢化による研究の継続を危ぶんでいる。1980年代以降の分離脳研究の進展は主に一般の脳神経内科・外科の臨床で遭遇する患者を対象にした研究に拠っている。最も多いのは脳梁付近の[[脳梗塞]]に起因する部分的な離断である。脳梁の前半から中間部までの損傷は前大脳動脈もしくはそこから分かれる脳梁周囲動脈の閉塞で、脳梁膨大の損傷は後大脳動脈あるいはその分枝の閉塞で生じる。しかし、損傷の程度は様々であり、また閉塞した血管の左右によって左脳もしくは右脳の皮質損傷を伴うことが多く、脳梁そのもの損傷による症状なのか、皮質の損傷を含めた症状なのかが判別しにくいという問題もある。また、皮質損傷による麻痺や感覚障害、失語症などがあるとそれによって症状が隠ぺいされてしまう場合もある<ref name=馬場2005>馬原孝彦, 朝長正徳, 吉村正博, 山之内博, 勝沼英宇. (2005)<br>虚血性脳血管障害例における脳梁の病理. 脳卒中, 12(2), 97-105. [DOI: 10.3995/jstroke.12.97] </ref> | [[抗てんかん薬]]の増加や治療法の進歩により、[[てんかん外科]]における脳梁離断術の適用はかなり限定的になっており、また副作用である離断症状を出さない手技が検討されている。ガザニカも患者の高齢化による研究の継続を危ぶんでいる。1980年代以降の分離脳研究の進展は主に一般の脳神経内科・外科の臨床で遭遇する患者を対象にした研究に拠っている。最も多いのは脳梁付近の[[脳梗塞]]に起因する部分的な離断である。脳梁の前半から中間部までの損傷は前大脳動脈もしくはそこから分かれる脳梁周囲動脈の閉塞で、脳梁膨大の損傷は後大脳動脈あるいはその分枝の閉塞で生じる。しかし、損傷の程度は様々であり、また閉塞した血管の左右によって左脳もしくは右脳の皮質損傷を伴うことが多く、脳梁そのもの損傷による症状なのか、皮質の損傷を含めた症状なのかが判別しにくいという問題もある。また、皮質損傷による麻痺や感覚障害、失語症などがあるとそれによって症状が隠ぺいされてしまう場合もある<ref name=馬場2005>馬原孝彦, 朝長正徳, 吉村正博, 山之内博, 勝沼英宇. (2005)<br>虚血性脳血管障害例における脳梁の病理. 脳卒中, 12(2), 97-105. [DOI: 10.3995/jstroke.12.97] </ref>。 | ||
Marchiafava-Bignami病は主にアルコール多飲者に生じ、脳梁の脱髄壊死を病理学的な特徴とする疾患である。一般に急性期には意識障害、痙攣、前頭葉症状を呈し,意識清明となった後に脳梁病変に伴う多彩な半球離断症候と構音障害を呈することが知られている<ref name=石川2008>'''石川直将, 高橋伸佳, 河村満, 塩田純一, 荒木重夫 (2008).'''<br>Marchiafava-Bignami病の臨床的検討. 昭和医学会雑誌, 68(4), 232-237. [DOI: 10.14930/jsma1939.68.232] </ref>。 | Marchiafava-Bignami病は主にアルコール多飲者に生じ、脳梁の脱髄壊死を病理学的な特徴とする疾患である。一般に急性期には意識障害、痙攣、前頭葉症状を呈し,意識清明となった後に脳梁病変に伴う多彩な半球離断症候と構音障害を呈することが知られている<ref name=石川2008>'''石川直将, 高橋伸佳, 河村満, 塩田純一, 荒木重夫 (2008).'''<br>Marchiafava-Bignami病の臨床的検討. 昭和医学会雑誌, 68(4), 232-237. [DOI: 10.14930/jsma1939.68.232] </ref>。 | ||
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分離脳研究における最大の関心事は、脳を分割すると意識も分割されるかという問題である。つまり、分離脳患者には意識の主体が一つだけ存在するのか、二つ存在するのかということである。この分離脳患者における意識の分離と統合については、動物を使った神経生理学的研究、科学哲学、精神分析学、計算機科学や人工知能(AI)研究などの領域でも活発な議論が続いている。また、分離脳では各半球に独立した意識主体が存在し、特に右脳には左脳にはない特別な能力を持ちながらも、言語能力を持たないためにその感情、思考、意思を表明できない意識が閉じ込められているという発想は、SFなどの文学やエンターテイメントの世界においても想像力の源泉であり続けている。その一方で、離断手術の直後や特殊な実験的な場面を除くと、日常生活における離脳患者の意識の主観的葛藤の報告や、行動の異常の観察は少ない。この問題についてガザニガは、左右の両半球に限らず脳の情報処理では異なる領域やモジュールが自動的・同時的に働いており、それぞれが意識を持っているというダイナミック・システムを想定している。それにもかかわらず意識の統一性が保たれているのは、左脳のインタープリター・モジュールがそれらの情報を統合し、意味づけて説明しているからであり、意識の統一という機能に関してはインタープリター・モジュールが決定的な役割を果たしていると考えている。 | 分離脳研究における最大の関心事は、脳を分割すると意識も分割されるかという問題である。つまり、分離脳患者には意識の主体が一つだけ存在するのか、二つ存在するのかということである。この分離脳患者における意識の分離と統合については、動物を使った神経生理学的研究、科学哲学、精神分析学、計算機科学や人工知能(AI)研究などの領域でも活発な議論が続いている。また、分離脳では各半球に独立した意識主体が存在し、特に右脳には左脳にはない特別な能力を持ちながらも、言語能力を持たないためにその感情、思考、意思を表明できない意識が閉じ込められているという発想は、SFなどの文学やエンターテイメントの世界においても想像力の源泉であり続けている。その一方で、離断手術の直後や特殊な実験的な場面を除くと、日常生活における離脳患者の意識の主観的葛藤の報告や、行動の異常の観察は少ない。この問題についてガザニガは、左右の両半球に限らず脳の情報処理では異なる領域やモジュールが自動的・同時的に働いており、それぞれが意識を持っているというダイナミック・システムを想定している。それにもかかわらず意識の統一性が保たれているのは、左脳のインタープリター・モジュールがそれらの情報を統合し、意味づけて説明しているからであり、意識の統一という機能に関してはインタープリター・モジュールが決定的な役割を果たしていると考えている。 | ||
現在の分離脳研究の代表的な研究者グループによる最近のレビュー論文では、最近の意識をめぐる脳科学的研究で最も有力な二つの理論である、[[グローバル・ニューロナル・ワークスぺース理論]](GNW理論)と、[[統合情報処理理論]](integrated information theory)の分離脳に関する説明について考察している<ref name=deHaan2020><pubmed>32399946</pubmed></ref> | 現在の分離脳研究の代表的な研究者グループによる最近のレビュー論文では、最近の意識をめぐる脳科学的研究で最も有力な二つの理論である、[[グローバル・ニューロナル・ワークスぺース理論]](GNW理論)と、[[統合情報処理理論]](integrated information theory)の分離脳に関する説明について考察している<ref name=deHaan2020><pubmed>32399946</pubmed></ref>。GNW理論<ref name=Dehaene2014><pubmed>24709604</pubmed></ref><ref name=Dehaene1998><pubmed>9826734</pubmed></ref>によれば、脳内の異なるモジュールやネットワークが情報を処理し、その結果が一つのグローバルなワークスペースに送られる。このワークスペースでは、情報が意識化され、他のモジュールやネットワークと共有される。意識にアクセス可能な情報は、ワークスペースにおける競争や共有のプロセスによって選択され、優先的に処理される。脳梁離断によって脳の左右の脳の間の情報の伝達が制限されると、左脳と右脳がそれぞれ独自の情報処理を行うため、その結果として左脳と右脳において異なる意識の内容が生じる可能性がある。 | ||
統合情報処理理論では、意識は情報の統合の度合い(φと呼ばれ、表現される情報の量と情報が統合されている程度によって定義される)が意識のレベルを決定する。さらに、2つのサブシステムの合計φがシステムあたりのφよりも大きい場合にのみ、2つのサブシステムが結合して1つの意識体を形成する。脳梁を除去すると大脳半球間の通信がほぼ完全になくなるため、情報の統合は半球間よりも各半球内で大きくなる。したがって、統合情報理論によれば、分離脳症候群では半球あたりのφが合計φよりも大きくなり、1つの意識ではなく2つの独立した意識システムが出現すると予想される<ref name=Tononi2004><pubmed>15522121</pubmed></ref><ref name=Tononi2005><pubmed>16186019</pubmed></ref>。 | 統合情報処理理論では、意識は情報の統合の度合い(φと呼ばれ、表現される情報の量と情報が統合されている程度によって定義される)が意識のレベルを決定する。さらに、2つのサブシステムの合計φがシステムあたりのφよりも大きい場合にのみ、2つのサブシステムが結合して1つの意識体を形成する。脳梁を除去すると大脳半球間の通信がほぼ完全になくなるため、情報の統合は半球間よりも各半球内で大きくなる。したがって、統合情報理論によれば、分離脳症候群では半球あたりのφが合計φよりも大きくなり、1つの意識ではなく2つの独立した意識システムが出現すると予想される<ref name=Tononi2004><pubmed>15522121</pubmed></ref><ref name=Tononi2005><pubmed>16186019</pubmed></ref>。 |