「D-セリン」の版間の差分

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<font size="+1">[http://researchmap.jp/torunishikawa/ 西川 徹]</font><br>
<font size="+1">[http://researchmap.jp/torunishikawa/ 西川 徹]</font><br>
''昭和医科大学大学院医科薬理学、京都府立医科大学大学院精神機能病態学 ''<br>
''昭和医科大学大学院医科薬理学、京都府立医科大学大学院精神機能病態学 ''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2025年6月18日 原稿完成日:2025年5月27日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2025年6月18日 原稿完成日:2025年8月XX日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/michisukeyuzaki 柚崎 通介](慶應義塾大学 医学部生理学)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/michisukeyuzaki 柚崎 通介](慶應義塾大学 医学部生理学)<br>
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<small>D</small>-2-Amino-3-hydroxypropionic Acid
<small>D</small>-2-Amino-3-hydroxypropionic Acid


{{box|text= <small>D</small>-セリンは、脊椎動物のみならず、環形動物や環形動物にも含有される内在性D体アミノ酸である。哺乳類では、脳優位に存在し、脳においてはNMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)と類似した分布および発達パターンを示す。NMDA受容体の内在性コアゴニストとして作用するとともに、δ型グルタミン酸受容体にも結合し、認知機能、精神・行動等の高次脳機能の発現・制御に重要な役割を果たすと考えられている。<small>D</small>-セリンの合成能を持つセリンラセマーゼおよび分解能をもつ<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素が同定されているほか、貯蔵、細胞外遊離、取り込みなどの代謝過程の研究が進められている。}}
{{box|text= <small>D</small>-セリンは、脊椎動物のみならず、環形動物や環形動物にも含有される内在性<small>D</small>体アミノ酸である。哺乳類では、脳優位に存在し、脳においてはNMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)と類似した分布および発達パターンを示す。NMDA受容体の内在性コアゴニストとして作用するとともに、δ型グルタミン酸受容体にも結合し、認知機能、精神・行動等の高次脳機能の発現・制御に重要な役割を果たすと考えられている。<small>D</small>-セリンの合成能を持つセリンラセマーゼおよび分解能をもつ<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素が同定されているほか、貯蔵、細胞外遊離、取り込みなどの代謝過程の研究が進められている。}}
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig1.png|サムネイル|'''図1. <small>D</small>-セリンの化学構造''']]
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig1.png|サムネイル|'''図1. <small>D</small>-セリンの化学構造''']]
== 発見 ==
== 発見 ==
 <small>D</small>-セリン('''図1''')は遊離型として、ミミズ(環形動物)やカイコ(節足動物)の組織に含まれていることが1960年代から知られていたが、脊椎動物では、アミノ酸はL体で占められるというホモキラリテーが定説となっており、1980年代までは遊離体・結合型(タンパク質の成分)ともに検出されることはなかった<ref name=Corrigan1969><pubmed>5774186</pubmed></ref> [1]。1980年代になり、筆者らが統合失調症の新しい治療法を研究する過程で、遊離型<small>D</small>-セリンが哺乳類の脳に恒常的に高濃度で含まれることを見出し、NMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)の内在性コアゴニストであることを示唆した<ref name=Nishikawa2022>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br>
 <small>D</small>-セリン('''図1''')は遊離型として、ミミズ(環形動物)やカイコ(節足動物)の組織に含まれていることが1960年代から知られていたが、脊椎動物では、アミノ酸は<small>L</small>体で占められるというホモキラリテーが定説となっており、1980年代までは遊離体・結合型(タンパク質の成分)ともに検出されることはなかった<ref name=Corrigan1969><pubmed>5774186</pubmed></ref> [1]。1980年代になり、筆者らが統合失調症の新しい治療法を研究する過程で、遊離型<small>D</small>-セリンが哺乳類の脳に恒常的に高濃度で含まれることを見出し、NMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)の内在性コアゴニストであることを示唆した<ref name=Nishikawa2022>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br>
<small>D</small>-Serine: Basic Aspects with a Focus on Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 495-523, Springer, Cham. [https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_470 DOI]</ref> [2]。
<small>D</small>-Serine: Basic Aspects with a Focus on Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 495-523, Springer, Cham. [https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_470 DOI]</ref> [2]。


 NMDA受容体遮断薬が統合失調症と区別し難い精神症状を引き起こすことに基づいて、同受容体の機能低下が推測されている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Uno2019><pubmed>30666759</pubmed></ref> [2,3]。これらの精神症状には、既存の治療薬(抗精神病薬)が効果的な陽性症状だけでなく、改善が困難な陰性症状や認知機能障害が含まれる。そこで、本症の新規治療法を開発するため、NMDA受容体機能を促進する同受容体グリシン調節部位の作動薬('''図2''':グルタミン酸結合部位の作動薬のような高濃度での細胞傷害性がない)として知られていた<small>D</small>-セリンと、その血液脳関門の透過性向上を目的として合成した脂肪酸化合物をラットに投与したところ、いずれもNMDA受容体遮断薬による統合失調症の動物モデルとされる異常行動が抑制された。これらの抑制効果は、NMDA受容体グリシン調節部位の選択的拮抗薬により減弱することや、脂肪酸化合物はグリシン調節部位に結合したなかったことより、脂肪酸とのエステル結合が分解して遊離された<small>D</small>-セリンがグリシン調節部位に作用する可能性が示唆された。その検証を、キラルアミノ酸を分離定量可能な高速液体クロマトグラフィー(HPLC)、gas chromatograph(GC)、gas chromatograph-mass spectrometer(GC-MS)法等で行った結果、上記の脂肪酸化合物を投与していない動物の脳(大脳新皮質)において<small>D</small>-セリンが検出され、germ-freeラットでも濃度が同等であることから、哺乳類の脳に細菌由来ではない内在性<small>D</small>-セリンが存在することがわかった<ref name=Hashimoto1992><pubmed>1730289</pubmed></ref><ref name=Hashimoto1993><pubmed>8419554</pubmed></ref> [4, 5]。
 NMDA受容体遮断薬が統合失調症と区別し難い精神症状を引き起こすことに基づいて、同受容体の機能低下が推測されている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Uno2019><pubmed>30666759</pubmed></ref> [2,3]。これらの精神症状には、既存の治療薬(抗精神病薬)が効果的な陽性症状だけでなく、改善が困難な陰性症状や認知機能障害が含まれる。そこで、本症の新規治療法を開発するため、NMDA受容体機能を促進する同受容体グリシン調節部位の作動薬('''図2''':グルタミン酸結合部位の作動薬のような高濃度での細胞傷害性がない)として知られていた<small>D</small>-セリンと、その血液脳関門の透過性向上を目的として合成した脂肪酸化合物をラットに投与したところ、いずれもNMDA受容体遮断薬による統合失調症の動物モデルとされる異常行動が抑制された。これらの抑制効果は、NMDA受容体グリシン調節部位の選択的拮抗薬により減弱することや、脂肪酸化合物はグリシン調節部位に結合したなかったことより、脂肪酸とのエステル結合が分解して遊離された<small>D</small>-セリンがグリシン調節部位に作用する可能性が示唆された。その検証を、キラルアミノ酸を分離定量可能な高速液体クロマトグラフィー(HPLC)、gas chromatograph(GC)、gas chromatograph-mass spectrometer(GC-MS)法等で行った結果、上記の脂肪酸化合物を投与していない動物の脳(大脳新皮質)において<small>D</small>-セリンが検出され、無菌ラットでも濃度が同等であることから、哺乳類の脳に細菌由来ではない内在性<small>D</small>-セリンが存在することがわかった<ref name=Hashimoto1992><pubmed>1730289</pubmed></ref><ref name=Hashimoto1993><pubmed>8419554</pubmed></ref> [4, 5]。


== 化学的性質 ==
== 化学的性質 ==
 1個のアミノ基と1個のカルボニル基をもつ<small>D</small>-αアミノ酸で、中性アミノ酸に分類される。水溶性。
 1個のアミノ基と1個のカルボニル基をもつ<small>D</small>-αアミノ酸で、中性アミノ酸に分類される。水溶性。
実験に用いるときは、市販の標品が1.5~1%の<small>L</small>-セリンを含んでいることや、<small>D</small>-[<sup>3</sup>H]-セリンは保存中に組織に非特異的な結合を起こす分解物ができることがあるので、それを除くため使用前にイオン交換樹脂で再精製を要することに注意が必要である。
 
 実験に用いるときは、市販の標品が1.5~1%の<small>L</small>-セリンを含んでいることや、<small>D</small>-[<sup>3</sup>H]-セリンは保存中に組織に非特異的な結合を起こす分解物ができることがあるので、それを除くため使用前にイオン交換樹脂で再精製を要することに注意が必要である。


== 生体内分布 ==
== 生体内分布 ==
 ラット、マウス、ヒトなどの哺乳類においては、出生後生涯を通じ不均一で脳優位の体内分布を示す。組織中濃度は脳で高く、末梢組織では低濃度(腎臓、肝臓、脾臓、血液等)、痕跡程度または検出感度未満である<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Hashimoto1995><pubmed>7582120</pubmed></ref> [5, 6]。成熟期の脳内では、前脳部(大脳皮質、線条体、海馬など)で高濃度(0.25~0.35µmol/g tissue)、間脳、中脳などでは中等度〜低濃度、橋―延髄、小脳においては痕跡程度または検出感度未満であるが、出生時には各脳部位間でほぼ均一の濃度(0.1 µmol/g tissue程度)が認められる<ref name=Hashimoto1995 /> [6]。
 ラット、マウス、ヒトなどの哺乳類においては、出生後生涯を通じ不均一で脳優位の体内分布を示す。組織中濃度は脳で高く、末梢組織では低濃度(腎臓、肝臓、脾臓、血液等)、痕跡程度または検出感度未満である<ref name=Hashimoto1993 /><ref name=Hashimoto1995><pubmed>7582120</pubmed></ref> [5, 6]。成熟期の脳内では、前脳部(大脳皮質、線条体、海馬など)で高濃度(0.25~0.35µmol/g tissue)、間脳、中脳などでは中等度〜低濃度、橋―延髄、小脳においては痕跡程度または検出感度未満であるが、出生時には各脳部位間でほぼ均一の濃度(0.1 µmol/g tissue程度)が認められる<ref name=Hashimoto1995 /> [6]。
<small>D</small>-セリンの脳組織中の分布は、NMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)の、グルタミン酸結合部位、グリシン調節部位およびphencyclidine結合部位と強い相関を示す<ref name=Hashimoto1992 /> [4](図2)。また,生後の発達期から成熟期に至る脳内分布の変化は、GRIN2Bの発現分布の変化と類似している<ref name=Watanabe1992><pubmed>1493227</pubmed></ref>[7]。
 
 <small>D</small>-セリンの脳組織中の分布は、NMDA型グルタミン酸受容体(NMDA受容体)の、グルタミン酸結合部位、グリシン調節部位およびフェンサイクリジン結合部位と強い相関を示す<ref name=Hashimoto1992 /> [4]('''図2''')。また,生後の発達期から成熟期に至る脳内分布の変化は、GRIN2Bの発現分布の変化と類似している<ref name=Watanabe1992><pubmed>1493227</pubmed></ref>[7]。


== 代謝 ==
== 代謝 ==
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 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じたシナプス小胞の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、脱分極刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外カルシウムの除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 /> [19]。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref> [21,22]。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、AMPA型グルタミン酸受容体<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref> [23]、P2X7プリン受容体―pannexin複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref> [24]、GABA<sub>A</sub>受容体<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref> [25]等の関与が報告されている。
 細胞外<small>D</small>-セリンの放出の分子細胞機構については結論が得られていないが、神経活動に応じたシナプス小胞の開口によって放出される神経伝達物質とは異なると推測されている。すなわち、in vivoの実験系では、細胞外液中<small>D</small>-セリン濃度は、脱分極刺激により低下し、神経伝導遮断や細胞外カルシウムの除去を行っても減少しない<ref name=Hashimoto1995b /> [20]。さらに、in vitroの条件下では<small>D</small>-セリンのシナプス小胞に含まれる物質の放出阻害薬の影響を受けない<ref name=Kartvelishvily2006 /> [19]。これらに対して、グリアの活動を抑制する薬剤で減少する<ref name=Kanematsu2006><pubmed>16736231</pubmed></ref><ref name=Henneberger2010><pubmed>20075918</pubmed></ref> [21,22]。これらの所見は、細胞外の<small>D</small>-セリンの放出にはニューロンおよびグリアの双方の活動が影響することを示唆しているが、放出細胞は未同定である。細胞外液中の<small>D</small>-セリン濃度の調節については、AMPA型グルタミン酸受容体<ref name=Ishiwata2008><pubmed>23298512</pubmed></ref> [23]、P2X7プリン受容体―pannexin複合体<ref name=Pan2015><pubmed>25630251</pubmed></ref> [24]、GABA<sub>A</sub>受容体<ref name=Umino2017><pubmed>28824371</pubmed></ref> [25]等の関与が報告されている。
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig2.png|サムネイル|'''図2. GluN1/GluN2型NMDA受容体'''<br>Gly, Glu, SRR, DAO, Poly, PCP]]
[[ファイル:Nishikawa D-Ser Fig2.png|サムネイル|'''図2. GluN1/GluN2型NMDA受容体'''<br>Gly:グリシン調節部位、Glu:グルタミン酸結合部位、SRR:セリンラセマーゼ、DAO:<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素、Poly:ポリアミン結合部位、PCP:フェンサイクリジン]]
=== 受容体結合 ===
=== 受容体結合 ===
 グルタミン酸受容体のうち、NMDA受容体(GluN1/GluN2型('''図2''')およびGluN1/GluN3型)に結合する<ref name=Danysz1998><pubmed>9860805</pubmed></ref><ref name=Matsui1995><pubmed>7790891</pubmed></ref><ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [26,27,28]、またδ受容体GluD1およびGluD2にも結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> [29](生理機能参照)。
 グルタミン酸受容体のうち、NMDA受容体(GluN1/GluN2型('''図2''')およびGluN1/GluN3型)に結合する<ref name=Danysz1998><pubmed>9860805</pubmed></ref><ref name=Matsui1995><pubmed>7790891</pubmed></ref><ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [26,27,28]、またδ受容体GluD1およびGluD2にも結合する<ref name=Naur2007><pubmed>17715062</pubmed></ref> [29](生理機能参照)。
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==== GluN1/GluN3型NMDA受容体 ====
==== GluN1/GluN3型NMDA受容体 ====
 GluN1・GluN3サブユニットから成るNMDA受容体は、グルタミン酸には応答せずグリシンや<small>D</small>-セリン単独で活性化される興奮性グリシン受容体(eGlyR)を構成することが報告された<ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [28]。本受容体は、ミエリンに存在するだけでなく<ref name=Pina-Crespo2010><pubmed>20739572</pubmed></ref> [42]、大脳皮質・手綱核・扁桃体において内在性グリシンが持続的に神経細胞を脱分極させることによってその興奮性を調節すると考えられている<ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。セリンラセマーゼ欠損マウスでは、このような持続性脱分極が影響を受けないことから、<small>D</small>-セリンの生理的役割についてはさらに検討が必要である<ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。一方、<small>D</small>-セリンはeGlyRの弱い部分アゴニストとして作用し、グリシンにより前活性化されたeGlyRを抑制する <ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。
 GluN1、GluN3サブユニットから成るNMDA受容体は、グルタミン酸には応答せずグリシンや<small>D</small>-セリン単独で活性化される興奮性グリシン受容体(eGlyR)を構成することが報告された<ref name=Chatterton2002><pubmed>11823786</pubmed></ref> [28]。本受容体は、ミエリンに存在するだけでなく<ref name=Pina-Crespo2010><pubmed>20739572</pubmed></ref> [42]、大脳皮質・手綱核・扁桃体において内在性グリシンが持続的に神経細胞を脱分極させることによってその興奮性を調節すると考えられている<ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。セリンラセマーゼ欠損マウスでは、このような持続性脱分極が影響を受けないことから、<small>D</small>-セリンの生理的役割についてはさらに検討が必要である<ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。一方、<small>D</small>-セリンはeGlyRの弱い部分アゴニストとして作用し、グリシンにより前活性化されたeGlyRを抑制する <ref name=Bossi2022><pubmed>35700736</pubmed></ref> [43]。


==== δ受容体リガンド ====
==== δ受容体リガンド ====
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# 組織中の<small>D</small>-セリン濃度の変化は認められず<ref name=Kumashiro1995><pubmed>7552268</pubmed></ref><ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref> [50, 51]
# 組織中の<small>D</small>-セリン濃度の変化は認められず<ref name=Kumashiro1995><pubmed>7552268</pubmed></ref><ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref> [50, 51]
# セリンラセマーゼ発現量の変化は研究者間で一致しないが<ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref><ref name=Steffek2006><pubmed>16837850</pubmed></ref> [51,52]
# セリンラセマーゼ発現量の変化は研究者間で一致しないが<ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref><ref name=Steffek2006><pubmed>16837850</pubmed></ref> [51,52]
# D-アミノ酸酸化酵素発現が増加<ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref><ref name=Madeira2008><pubmed>18378121</pubmed></ref><ref name=Habl2009><pubmed>19823762</pubmed></ref><ref name=Ono2009><pubmed>19685198</pubmed></ref> [51, 53, 54, 55]
# <small>D</small>-アミノ酸酸化酵素発現が増加<ref name=Bendikov2007><pubmed>17156977</pubmed></ref><ref name=Madeira2008><pubmed>18378121</pubmed></ref><ref name=Habl2009><pubmed>19823762</pubmed></ref><ref name=Ono2009><pubmed>19685198</pubmed></ref> [51, 53, 54, 55]
# <small>D</small>-セリンが結合するNMDA受容体グリシン調節部位の増加<ref name=Ishimaru1994><pubmed>7909453</pubmed></ref> [56]
# <small>D</small>-セリンが結合するNMDA受容体グリシン調節部位の増加<ref name=Ishimaru1994><pubmed>7909453</pubmed></ref> [56]


は、細胞外<small>D</small>-セリンシグナルの減少に繋がる所見として注目される。
は、細胞外<small>D</small>-セリンシグナルの減少に繋がる所見として注目される。


 <small>D</small>-セリンは、統合失調症様症状を引き起こすNMDA受容体遮断薬を投与した動物の異常行動(統合失調症の薬理学的モデル)<ref name=Contreras1990><pubmed>2109276</pubmed></ref><ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [57, 58]や、統合失調症患者において既存の治療薬が奏功しない陰性症状や陽性症状を改善すること<ref name=Tsai2008a><pubmed>9836012</pubmed></ref> [59]が報告されている。これらの効果は、別のNMDA受容体グリシン調節部位作動薬のD-アラニンにも認められるのに対して<ref name=Ishimaru1994><pubmed>7909453</pubmed></ref><ref name=Tsai2008b><pubmed>16154544</pubmed></ref> [56, 60]、動物実験で、同調節部位には作用しないL体のセリンやアラニンにはないことや<ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [58]、同調節部位の拮抗薬で阻害されること<ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [58]が確認されている。以上の結果から、グリシン調節部位を刺激する薬物や、内在性<small>D</small>-セリンシグナルを増強する薬物が、既存薬よりも治療スペクトラムの広い新しい合失調症治療薬の治療薬として開発が進められている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Nishikawa2022b>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br> D-Serine in the Treatment of Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 1963–1976, Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_391</ref> [2, 61]。
 <small>D</small>-セリンは、統合失調症様症状を引き起こすNMDA受容体遮断薬を投与した動物の異常行動(統合失調症の薬理学的モデル)<ref name=Contreras1990><pubmed>2109276</pubmed></ref><ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [57, 58]や、統合失調症患者において既存の治療薬が奏功しない陰性症状や陽性症状を改善すること<ref name=Tsai2008a><pubmed>9836012</pubmed></ref> [59]が報告されている。これらの効果は、別のNMDA受容体グリシン調節部位作動薬の<small>D</small>-アラニンにも認められるのに対して<ref name=Ishimaru1994><pubmed>7909453</pubmed></ref><ref name=Tsai2008b><pubmed>16154544</pubmed></ref> [56, 60]、動物実験で、同調節部位には作用しないL体のセリンやアラニンにはないことや<ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [58]、同調節部位の拮抗薬で阻害されること<ref name=Tanii1994><pubmed>8014848</pubmed></ref> [58]が確認されている。以上の結果から、グリシン調節部位を刺激する薬物や、内在性<small>D</small>-セリンシグナルを増強する薬物が、既存薬よりも治療スペクトラムの広い新しい合失調症治療薬の治療薬として開発が進められている<ref name=Nishikawa2022 /> <ref name=Nishikawa2022b>'''Nishikawa, T., Umino, A., Umino, M. (2022).'''<br> <small>D</small>-Serine in the Treatment of Psychosis. In: Riederer, P., Laux, G., Nagatsu, T., Le, W., Riederer, C. (eds) NeuroPsychopharmacotherapy. pp 1963–1976, Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-62059-2_391</ref> [2, 61]。


=== 興奮毒性 ===
=== 興奮毒性 ===
 セリンラセマーゼ欠損マウスの大脳皮質では、NMDAやAβ1-42による神経細胞死が著明に抑制され、<small>D</small>-セリン濃度が10%程度まで減少するのに対して、グリシン、L-セリンおよびL-グルタミン酸は変化しない<ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref> [40]。これらの結果から、アルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症をはじめとする神経変性疾患や、脳血管障害における神経細胞傷害に、<small>D</small>-セリンが関与する可能性が注目されている。
 セリンラセマーゼ欠損マウスの大脳皮質では、NMDAやAβ1-42による神経細胞死が著明に抑制され、<small>D</small>-セリン濃度が10%程度まで減少するのに対して、グリシン、L-セリンおよびL-グルタミン酸は変化しない<ref name=Inoue2008><pubmed>19118183</pubmed></ref> [40]。これらの結果から、アルツハイマー病、筋萎縮性側索硬化症をはじめとする神経変性疾患や、脳血管障害における神経細胞傷害に、<small>D</small>-セリンが関与する可能性が注目されている。
=== 腎障害 ===
=== 腎障害 ===
 末梢の<small>D</small>-セリンに関しては、腎臓における生理的・病態生理学的な意義の解析が進んでいる<ref name=Nakade2019>'''中出 祐介,岩田 恭宜,和田 隆志(2019).'''<br><small>D</small>-セリンと腎臓病 生化学, 91(3),349‒354. PDF: https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2019.910349/data/index.html></ref> [62]。腎臓には<small>D</small>-セリン、セリンラセマーゼ、D-アミノ酸酸化酵素および中性アミノ酸トランスポーター等が存在し、尿中にはL体より高い濃度の<small>D</small>-セリンが検出されることから腎排泄機能への関与が示唆されている。腎障害患者では血液中<small>D</small>-セリンの上昇が認められ、腎機能のマーカーとしての可能性が検討されている。  
 末梢の<small>D</small>-セリンに関しては、腎臓における生理的・病態生理学的な意義の解析が進んでいる<ref name=Nakade2019>'''中出 祐介,岩田 恭宜,和田 隆志(2019).'''<br><small>D</small>-セリンと腎臓病 生化学, 91(3),349‒354. PDF: https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2019.910349/data/index.html></ref> [62]。腎臓には<small>D</small>-セリン、セリンラセマーゼ、<small>D</small>-アミノ酸酸化酵素および中性アミノ酸トランスポーター等が存在し、尿中にはL体より高い濃度の<small>D</small>-セリンが検出されることから腎排泄機能への関与が示唆されている。腎障害患者では血液中<small>D</small>-セリンの上昇が認められ、腎機能のマーカーとしての可能性が検討されている。  


== 関連項目 ==
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