「内部モデル」の版間の差分
細編集の要約なし |
Hiroshiimamizu (トーク | 投稿記録) 細編集の要約なし |
||
(3人の利用者による、間の8版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
英: internal model | |||
外部世界の仕組みを脳の内部で模倣・シミュレーションする神経機構である.ヒトや動物は,複雑な筋骨格系で構成される身体を,速く正確に制御できる.これは,脳の内部に,運動司令と身体の動きの関係を定量的に対応づけるモデル(信号変換器)が存在し,運動が実行される前に結果を予測したり,望ましい運動を実現するための運動司令を予め計算することを可能にしているからと考えられている.このようなモデルは,身体の延長として機能する物体や道具の入出力特性も含まれる.また,言語や思考などさまざまな認知機能に関与する可能性も指摘されている. | |||
==内部モデルとは== | ==内部モデルとは== | ||
ヒトを含むさまざまな動物は,外部世界でこれから起こる現象を素早く予測し,情報処理の効率を高め,外界の変化に対して適切な対応をとることができる.未来の予測を瞬時に行えるのは,経験を通して,外界の仕組みを反映する「モデル」を,脳内に獲得しているからと考えられる.外部世界の仕組みを脳内で模倣・シミュレーションする神経機構のことを内部モデルと言う. | |||
==運動制御における内部モデル== | ==運動制御における内部モデル== | ||
脳科学で内部モデルという言葉が広まったのは,ヒトの運動制御に関する1990年代の研究からであると考えられる.目標物に手を伸ばすときの手先の軌道は,始点と終点を結ぶほぼ直線の軌道で,加速度は滑らかに変化する<ref><pubmed>7262217</pubmed></ref>.従来の研究では,筋肉自体のバネのような性質からこのような特徴が生じると考えられていた.しかし,運動中の腕には,慣性力・遠心力・コリオリ力などの力がかかり,筋肉の性質のみで上記のような軌道を実現するためには,筋肉の剛性をかなり高くしないと実現できない.だが,実際に運動中の腕の剛性を計測すると,従来考えられていたよりも遙かに低い剛性であることが解った<ref><pubmed> 8600521</pubmed></ref>.この結果から,脳は,運動中に刻々と変化する慣性力やコリオリ力などの動力学的な要因を予測して,必要最小限の力で制御していることが示唆された.ほぼ同時期に,脳による予測的な運動制御を示す研究が多く報告された.例えば,手先が見えない状態で運動したときの手先位置の予測誤差が,脳内にカルマンフィルターモデルが存在すると仮定したときの結果と良く合うこと<ref><pubmed>7569931</pubmed></ref>,ヒトは物体を指で摘んで上下させるときに,慣性力など物体にかかる力(負荷力)を正確に予測して,指の力(把持力)を調節していることなどである<ref><pubmed>9006993</pubmed></ref>.これらの研究は,定量的な予測を可能にする神経機構の名称として「内部モデル」を用いた. | |||
==順モデルと逆モデル== | ==順モデルと逆モデル== | ||
内部モデルには,順モデルと逆モデルが存在すると考えられる.脳から筋肉に送信された運動司令の遠心性コピーから運動結果(感覚フィードバック)を予測するのが順モデル<ref><pubmed>12662535</pubmed></ref>,望ましい運動結果から,それを実現するための運動司令を計算するのが逆モデルと言われている<ref><pubmed>3676355</pubmed></ref>. | |||
==外界の操作対象物の内部モデル== | ==外界の操作対象物の内部モデル== | ||
ヒトは身体の延長として,さまざまな物体や道具を操作できる.身体と同様に,道具などの外界の対象物の内部モデルを獲得することで,早く正確な操作が可能になると考えられる<ref><pubmed>10646603</pubmed></ref><ref><pubmed>12163543</pubmed></ref>.例えば,使い慣れたコンピュータマウスであれば,画面上のカーソルをある場所に移動させたいと思ったときに,どの方向にどれくらい移動させればよいか,過去の経験の蓄積に基づいて予測することができる. | |||
==知覚・認知における内部モデルの機能== | |||
視覚など感覚情報における変化が,自分の運動によるものか,他者の運動にものかを区別することは,外界の恒常性を保ち,天敵や外敵から身を守るため重要である.順モデルは自分の運動による感覚フィードバックを予測するので,感覚入力から順モデルの予測を差し引けば,外界の変化を正確に知ることできる.自分で自分をくすぐってもくすぐったくないのは,くすぐるための運動司令の遠心性コピーから,くすぐられる感覚を予測し,引き算しているためと考えられている.統合失調症の陽性症状で見られる幻聴は,このような予測や引き算のメカニズムに障害があり,自分自身の「つぶやき」や内語を自己に帰属できないために,他人の声のように感じられている可能性が指摘されている. | |||
== | |||
<references/> | <references/> |
2012年5月1日 (火) 22:36時点における版
英: internal model
外部世界の仕組みを脳の内部で模倣・シミュレーションする神経機構である.ヒトや動物は,複雑な筋骨格系で構成される身体を,速く正確に制御できる.これは,脳の内部に,運動司令と身体の動きの関係を定量的に対応づけるモデル(信号変換器)が存在し,運動が実行される前に結果を予測したり,望ましい運動を実現するための運動司令を予め計算することを可能にしているからと考えられている.このようなモデルは,身体の延長として機能する物体や道具の入出力特性も含まれる.また,言語や思考などさまざまな認知機能に関与する可能性も指摘されている.
内部モデルとは
ヒトを含むさまざまな動物は,外部世界でこれから起こる現象を素早く予測し,情報処理の効率を高め,外界の変化に対して適切な対応をとることができる.未来の予測を瞬時に行えるのは,経験を通して,外界の仕組みを反映する「モデル」を,脳内に獲得しているからと考えられる.外部世界の仕組みを脳内で模倣・シミュレーションする神経機構のことを内部モデルと言う.
運動制御における内部モデル
脳科学で内部モデルという言葉が広まったのは,ヒトの運動制御に関する1990年代の研究からであると考えられる.目標物に手を伸ばすときの手先の軌道は,始点と終点を結ぶほぼ直線の軌道で,加速度は滑らかに変化する[1].従来の研究では,筋肉自体のバネのような性質からこのような特徴が生じると考えられていた.しかし,運動中の腕には,慣性力・遠心力・コリオリ力などの力がかかり,筋肉の性質のみで上記のような軌道を実現するためには,筋肉の剛性をかなり高くしないと実現できない.だが,実際に運動中の腕の剛性を計測すると,従来考えられていたよりも遙かに低い剛性であることが解った[2].この結果から,脳は,運動中に刻々と変化する慣性力やコリオリ力などの動力学的な要因を予測して,必要最小限の力で制御していることが示唆された.ほぼ同時期に,脳による予測的な運動制御を示す研究が多く報告された.例えば,手先が見えない状態で運動したときの手先位置の予測誤差が,脳内にカルマンフィルターモデルが存在すると仮定したときの結果と良く合うこと[3],ヒトは物体を指で摘んで上下させるときに,慣性力など物体にかかる力(負荷力)を正確に予測して,指の力(把持力)を調節していることなどである[4].これらの研究は,定量的な予測を可能にする神経機構の名称として「内部モデル」を用いた.
順モデルと逆モデル
内部モデルには,順モデルと逆モデルが存在すると考えられる.脳から筋肉に送信された運動司令の遠心性コピーから運動結果(感覚フィードバック)を予測するのが順モデル[5],望ましい運動結果から,それを実現するための運動司令を計算するのが逆モデルと言われている[6].
外界の操作対象物の内部モデル
ヒトは身体の延長として,さまざまな物体や道具を操作できる.身体と同様に,道具などの外界の対象物の内部モデルを獲得することで,早く正確な操作が可能になると考えられる[7][8].例えば,使い慣れたコンピュータマウスであれば,画面上のカーソルをある場所に移動させたいと思ったときに,どの方向にどれくらい移動させればよいか,過去の経験の蓄積に基づいて予測することができる.
知覚・認知における内部モデルの機能
視覚など感覚情報における変化が,自分の運動によるものか,他者の運動にものかを区別することは,外界の恒常性を保ち,天敵や外敵から身を守るため重要である.順モデルは自分の運動による感覚フィードバックを予測するので,感覚入力から順モデルの予測を差し引けば,外界の変化を正確に知ることできる.自分で自分をくすぐってもくすぐったくないのは,くすぐるための運動司令の遠心性コピーから,くすぐられる感覚を予測し,引き算しているためと考えられている.統合失調症の陽性症状で見られる幻聴は,このような予測や引き算のメカニズムに障害があり,自分自身の「つぶやき」や内語を自己に帰属できないために,他人の声のように感じられている可能性が指摘されている.
- ↑
Morasso, P. (1981).
Spatial control of arm movements. Experimental brain research, 42(2), 223-7. [PubMed:7262217] [WorldCat] [DOI] - ↑
Gomi, H., & Kawato (1996).
Equilibrium-point control hypothesis examined by measured arm stiffness during multijoint movement. Science (New York, N.Y.), 272(5258), 117-20. [PubMed:8600521] [WorldCat] [DOI] - ↑
Wolpert, D.M., Ghahramani, Z., & Jordan, M.I. (1995).
An internal model for sensorimotor integration. Science (New York, N.Y.), 269(5232), 1880-2. [PubMed:7569931] [WorldCat] [DOI] - ↑
Flanagan, J.R., & Wing, A.M. (1997).
The role of internal models in motion planning and control: evidence from grip force adjustments during movements of hand-held loads. The Journal of neuroscience : the official journal of the Society for Neuroscience, 17(4), 1519-28. [PubMed:9006993] [WorldCat] - ↑
Wolpert, D.M., & Miall, R.C. (1996).
Forward Models for Physiological Motor Control. Neural networks : the official journal of the International Neural Network Society, 9(8), 1265-1279. [PubMed:12662535] [WorldCat] - ↑
Kawato, M., Furukawa, K., & Suzuki, R. (1987).
A hierarchical neural-network model for control and learning of voluntary movement. Biological cybernetics, 57(3), 169-85. [PubMed:3676355] [WorldCat] [DOI] - ↑
Imamizu, H., Miyauchi, S., Tamada, T., Sasaki, Y., Takino, R., Pütz, B., ..., & Kawato, M. (2000).
Human cerebellar activity reflecting an acquired internal model of a new tool. Nature, 403(6766), 192-5. [PubMed:10646603] [WorldCat] [DOI] - ↑
Mehta, B., & Schaal, S. (2002).
Forward models in visuomotor control. Journal of neurophysiology, 88(2), 942-53. [PubMed:12163543] [WorldCat] [DOI]