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担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br> | 担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)<br>*:責任著者 | ||
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利他的行動は、動物においても様々な場面で見られる。代表的なものには、親が子を守る行動などがある。一方、動物とヒトとの最も大きな違いには,ヒトにおける広範な協力関係を含んだ社会の形成が指摘されており、ここではヒトの持つ向社会的な互恵行動が,社会を形成した要因だと考えられている<ref name=ref3>'''Herbert Gintis, Samuel Bowles, Robert Boyd, Ernst Fehr'''<br>Explaining Altruistic Behavior in Humans.<br>''Evolution and Human Behavior''; 2003; 24: 153-172.</ref>。この様な互恵行動の中でも“利他的な罰”は、ヒトの協力的な行動の進化の過程において、重要な役割を果たしてきたと考えられている<ref name=ref1 />。利他的な罰とは、社会生活を営む上で非協力的な行動をするものに対して、協力的な者が、自己犠牲を払って罰を与える行動のことであり、広範な社会の規範(ルール)を維持するための行動として捉えられている。この様な行動は、集団内の裏切りを抑制する効果があると考えられている。つまり相互協力関係を維持するような社会規範は、罰によって支えられているという考えが、近年の[[wikipedia:ja:人類学|人類学]]・[[wikipedia:ja:社会学|社会学]]の見解のようである。この様なヒト特有の利他的行動が進化した経緯の研究は、[[wikipedia:ja:進化生物学|進化生物学]]などで精力的に行われている。ここでは、特に利他的な罰の神経メカニズムについて、近年の脳科学で得られた知見を解説する。 | |||
ヒトが利他的な罰を行う背後にある心理学的メカニズムを理解するために、これまで、この行動を探求してきた人類学や社会学に加え、近年では[[神経経済学]]においても、研究が精力的に進められている<ref name=ref2 />。利他的な罰は、罰を行使することで自分には直接的なメリットがないにも関わらず 規範逸脱者に対して罰を行使することが、“利他的”としてとらえられている。では、なぜヒトは直接的な利益がないにも関わらず(例えば. 将来的に得られる見返りや、周囲の者からよい評判を獲得するなど)、自分の犠牲をはらってまで規範逸脱者を罰するのだろうか?これには、どうやら直接的な利益は得られない代わりに規範逸脱者に対する罰行動そのものから“満足感”が得られるためではないか、という説がある。de Querveinらの行った[[positron emission tomography]] ([[PET]])を用いた研究では、信頼を裏切った者に対して罰行動を行う際の脳活動を調べた結果、 裏切った者に対して罰行動の強度が、背側[[線条体]]の活動レベルと正の相関をした事が報告されている<ref name=ref1 />。背側線条体は、満足感を生み出す[[報酬系]]の神経回路の一部とされている。脳内の報酬が関わる領域には、腹側線条体、[[側坐核]]、[[島皮質]]そして、[[眼窩前頭皮質]]の特定の部位を含む[[ドーパミン]]回路の活動が関与している。いわゆる“報酬センター”とドーパミンの放射が行われる皮質下中脳領域は、ある出来事をどの位良い事か、或いは報酬として感じるかの評価に関わる重要な部分であり、この部位の神経活動は、明確で原始的な報酬(例えば食べ物や薬物)、そして抽象的・副次的な報酬の両方に主要な役割を果たすとされている<ref name=ref4><pubmed>15582382</pubmed></ref>。 | |||
利他的な罰は、直接的な利益を得られないにも関わらず犠牲を払ってでも非協力者を罰する為、非合理的な行動であると捉えられており、この様な行動の背後にある[[意思決定]]には、認知バイアズや社会的選好が関与していると考えられている。経済ゲームを用いた利他的な罰の神経基盤を調べる研究では、被験者が、対戦相手を罰するという直接的なもの以外にも、2者関係を超えた状況での意思決定を検討する枠組みとして被験者が、第3者として、ある2人のゲームのやり取りを観察し、一方の対戦者の行為に対して、罰を与えるかを考える[[third-party punishment]] ([[TPP]])などを含め<ref name=ref5><pubmed>23689015</pubmed></ref>、様々な条件を設定した手法が用いられている。TPPでは、ゲームのやり取りをしている2者の帰属集団を、被験者自身の集団と別であるという設定をする事で、異なる集団への偏見、帰属集団への愛着によってモジュレートされた意思決定における神経基盤も研究のターゲットとしている。このため、これらの研究は、[[wikipedia:ja:経済学|経済学]]や人類学の枠組みを超え、政治や異文化交流における、ヒトの行動を説明しうるものとして大きな注目を集めている。 | |||
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2015年11月4日 (水) 09:37時点における最新版
鄭 志誠、*高橋 英彦
京都大学大学院 医学研究科
DOI:10.14931/bsd.5897 原稿受付日:2015年5月26日 原稿完成日:2015年11月3日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)
*:責任著者
英語名:altruistic punishment 独:altruistische Bestrafung 仏:punition altruiste
利他的な罰は、向社会的な行動の一つであり、社会的な集団生活を営む上で社会規範を破る様な不公正な者に対して、自らのコスト(犠牲)を払ってまで罰を与えるという負の互恵行動を指す[1]。近年では、人類学、社会学、心理学に加え、神経経済学においても、研究が進められている[2]。
利他的行動は、動物においても様々な場面で見られる。代表的なものには、親が子を守る行動などがある。一方、動物とヒトとの最も大きな違いには,ヒトにおける広範な協力関係を含んだ社会の形成が指摘されており、ここではヒトの持つ向社会的な互恵行動が,社会を形成した要因だと考えられている[3]。この様な互恵行動の中でも“利他的な罰”は、ヒトの協力的な行動の進化の過程において、重要な役割を果たしてきたと考えられている[1]。利他的な罰とは、社会生活を営む上で非協力的な行動をするものに対して、協力的な者が、自己犠牲を払って罰を与える行動のことであり、広範な社会の規範(ルール)を維持するための行動として捉えられている。この様な行動は、集団内の裏切りを抑制する効果があると考えられている。つまり相互協力関係を維持するような社会規範は、罰によって支えられているという考えが、近年の人類学・社会学の見解のようである。この様なヒト特有の利他的行動が進化した経緯の研究は、進化生物学などで精力的に行われている。ここでは、特に利他的な罰の神経メカニズムについて、近年の脳科学で得られた知見を解説する。
ヒトが利他的な罰を行う背後にある心理学的メカニズムを理解するために、これまで、この行動を探求してきた人類学や社会学に加え、近年では神経経済学においても、研究が精力的に進められている[2]。利他的な罰は、罰を行使することで自分には直接的なメリットがないにも関わらず 規範逸脱者に対して罰を行使することが、“利他的”としてとらえられている。では、なぜヒトは直接的な利益がないにも関わらず(例えば. 将来的に得られる見返りや、周囲の者からよい評判を獲得するなど)、自分の犠牲をはらってまで規範逸脱者を罰するのだろうか?これには、どうやら直接的な利益は得られない代わりに規範逸脱者に対する罰行動そのものから“満足感”が得られるためではないか、という説がある。de Querveinらの行ったpositron emission tomography (PET)を用いた研究では、信頼を裏切った者に対して罰行動を行う際の脳活動を調べた結果、 裏切った者に対して罰行動の強度が、背側線条体の活動レベルと正の相関をした事が報告されている[1]。背側線条体は、満足感を生み出す報酬系の神経回路の一部とされている。脳内の報酬が関わる領域には、腹側線条体、側坐核、島皮質そして、眼窩前頭皮質の特定の部位を含むドーパミン回路の活動が関与している。いわゆる“報酬センター”とドーパミンの放射が行われる皮質下中脳領域は、ある出来事をどの位良い事か、或いは報酬として感じるかの評価に関わる重要な部分であり、この部位の神経活動は、明確で原始的な報酬(例えば食べ物や薬物)、そして抽象的・副次的な報酬の両方に主要な役割を果たすとされている[4]。
利他的な罰は、直接的な利益を得られないにも関わらず犠牲を払ってでも非協力者を罰する為、非合理的な行動であると捉えられており、この様な行動の背後にある意思決定には、認知バイアズや社会的選好が関与していると考えられている。経済ゲームを用いた利他的な罰の神経基盤を調べる研究では、被験者が、対戦相手を罰するという直接的なもの以外にも、2者関係を超えた状況での意思決定を検討する枠組みとして被験者が、第3者として、ある2人のゲームのやり取りを観察し、一方の対戦者の行為に対して、罰を与えるかを考えるthird-party punishment (TPP)などを含め[5]、様々な条件を設定した手法が用いられている。TPPでは、ゲームのやり取りをしている2者の帰属集団を、被験者自身の集団と別であるという設定をする事で、異なる集団への偏見、帰属集団への愛着によってモジュレートされた意思決定における神経基盤も研究のターゲットとしている。このため、これらの研究は、経済学や人類学の枠組みを超え、政治や異文化交流における、ヒトの行動を説明しうるものとして大きな注目を集めている。
関連項目
参考文献
- ↑ 1.0 1.1 1.2
de Quervain, D.J., Fischbacher, U., Treyer, V., Schellhammer, M., Schnyder, U., Buck, A., & Fehr, E. (2004).
The neural basis of altruistic punishment. Science (New York, N.Y.), 305(5688), 1254-8. [PubMed:15333831] [WorldCat] [DOI] - ↑ 2.0 2.1
Fehr, E., & Fischbacher, U. (2003).
The nature of human altruism. Nature, 425(6960), 785-91. [PubMed:14574401] [WorldCat] [DOI] - ↑ Herbert Gintis, Samuel Bowles, Robert Boyd, Ernst Fehr
Explaining Altruistic Behavior in Humans.
Evolution and Human Behavior; 2003; 24: 153-172. - ↑
O'Doherty, J.P. (2004).
Reward representations and reward-related learning in the human brain: insights from neuroimaging. Current opinion in neurobiology, 14(6), 769-76. [PubMed:15582382] [WorldCat] [DOI] - ↑
Baumgartner, T., Schiller, B., Hill, C., & Knoch, D. (2013).
Impartiality in humans is predicted by brain structure of dorsomedial prefrontal cortex. NeuroImage, 81, 317-324. [PubMed:23689015] [WorldCat] [DOI]