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<font size="+1">[http://researchmap.jp/tsukadayuki 塚田 祐基]、[http://researchmap.jp/read0136015 森 郁恵]</font><br>
''名古屋大学 理学(系)研究科(研究院)''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年1月16日 原稿完成日:2013年1月25日 原稿改定日:2018年9月14日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/fujiomurakami 村上 富士夫](大阪大学 大学院生命機能研究科)<br></div>
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学名:''Caenorhabditis elegans''  略名:''C. elegans''  
学名:''Caenorhabditis elegans''  略名:''C. elegans''  


wikipediaの線虫項も参照 [[wikipedia:ja: ''C. elegans'']]
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== 概要 ==
==線虫とは==
神経科学に限らず、モデル生物として広く使われている多細胞生物。成虫の体長は約1mmで、受精から成虫に至るまで全ての細胞系譜が分かっている。
[[ファイル:細胞系譜1.png|サムネイル|右|300px|<b>図1. Caenorhabditis elegansの細胞系譜</b><br>[http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Complete_cell_lineage_of_C_elegans.png Wikipedia]より]]
雌雄同体(hermaphrodite)の神経細胞は302個と全て同定されており、電子顕微鏡の解析により全神経細胞の接続地図が明らかとなっている<ref><pubmed>22462104</pubmed></ref>
 神経科学に限らず、モデル生物として様々な研究分野で広く使われている多細胞生物である。成虫の体長は約1mmで、受精から成虫に至るまで全ての細胞系譜が分かっている(図1)。雌雄同体(hermaphrodite)の神経細胞は302個、雄の神経細胞は385個と全て同定されており、電子顕微鏡の解析によりシナプスやギャップジャンクションの有無を含め、全神経細胞の接続地図が明らかとなっている(シナプスの数は約7000個)<ref name=ref2 />。多細胞生物として初めて全ゲノム配列が解読された種でもある。ゲノム情報、解剖学的な情報、他様々な研究に有用な情報がデータベースに整理されインターネットから簡単に取得できる([[#外部リンク]]参照)。
多細胞生物として初めて全ゲノム配列が解読された種でもある。
ゲノム情報、解剖学的な情報、他様々な研究に有用な情報がデータベースに整理されインターネットから簡単に取得できる。[http://www.wormatlas.org/ Wormatlas(解剖学的データベース)] [http://www.wormbase.org/ Wormbase(主にゲノム情報データベース)]


以下の性質から実験室での取り扱いが簡便である。
 以下の性質から実験室での取り扱いが簡便である。
*寒天上で大腸菌をえさとして簡便に培養ができる。
 
*寒天上で[[wj:大腸菌|大腸菌]]をえさとして簡便に培養ができる。
*ライフサイクルが比較的短く、産まれてから約4日で産卵できるようになる。
*ライフサイクルが比較的短く、産まれてから約4日で産卵できるようになる。
*雌雄同体は自家受精をして産卵するが、雄と雌雄同体の交配も可能。
*雌雄同体は[[wj:自家受精|自家受精]]をして産卵するが、雄と雌雄同体の交配も可能で遺伝学的な操作がしやすい。
*冷凍保存が可能。
*冷凍保存が可能である。
*体が透明で体内の観察がしやすい。特に微分干渉顕微鏡、蛍光顕微鏡との相性がよい。
*体が透明で体内の観察がしやすい。特に[[wj:微分干渉顕微鏡|微分干渉顕微鏡]]、[[wj:蛍光顕微鏡|蛍光顕微鏡]]との相性がよい。


== 神経科学における役割 ==
== 神経科学における役割 ==
非常に単純な神経回路を持ちながらも、化学走性、温度走性などの行動を示し、記憶・学習についての研究が行える。
 全ての神経細胞が同定されており、神経細胞同士の接続関係が完全に分かっている唯一の生物である。この神経地図を利用した神経科学研究を行うことができる。[[緑色蛍光タンパク質]]([[GFP]])を多細胞生物で初めて人工的に発現させた生物であり、そのことが示すように蛍光タンパク質を使った研究と相性がよい。そのため神経発生における研究が行いやすい。
全ての神経細胞が同定されており、神経細胞同士の接続関係が完全に分かっている唯一の生物である。
 
緑色蛍光タンパク質(GFP)を多細胞生物で初めて人工的に発現させた生物であり、そのことが示すように蛍光タンパク質を使った研究と相性がよい。近年はカルシウムセンサーを使った神経活動の測定や、チャネルロドプシンを使った光遺伝学も盛んに利用されている。
 近年は遺伝的にコードされた[[カルシウムセンサー]]を使った神経活動の測定や、[[チャネルロドプシン]]など様々なオプシン遺伝子を使った[[光遺伝学]]も盛んに利用されており、個々の神経細胞の機能や、神経回路としての働きを解明することに役だっている。非常に単純な神経回路を持ちながらも、[[wj:化学走性|化学走性]]、[[wj:温度走性|温度走性]]などの行動を示し、[[記憶]]・[[学習]]についての研究が行える。
 
===神経細胞の特徴===
 全ての神経細胞についての形態、位置、接続関係、細胞系譜などの情報はデータベースに整理されており、インターネットを通して自由に参照することができる。
 
 頭部に神経細胞が密集している部位があり、リング状に神経繊維が束になった神経環([[ナーブリング]])と呼ばれる構造を持つ。ゲノム情報から[[電位依存性ナトリウムチャネル]]を持たないことが示唆されており、[[wj:マウス|マウス]]などの神経細胞と違い、多くの神経細胞では[[スパイク]]様に数ms単位で変化する活動電位は観察されない(ただしこれについては議論がある<ref name=ref3><pubmed>19322241</pubmed></ref>。また嗅覚神経細胞であるAWAでは活動電位が報告されている<ref name=ref4><b>Qiang Liu, Philip B. Kidd, May Dobosiewicz, Cornelia I. Bargmann</b> C. elegans AWA Olfactory Neurons Fire Calcium-Mediated All-or-None Action Potentials. Cell DOI:https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.08.018 2018</ref>)。細胞の大きさが小さく(〜10μm程度)、体表面を覆っている[[wj:キューティクル|キューティクル]]が比較的硬いため、電気生理学的手法はマウスなどと比べると技術的に難しいが、それでもいくつかの研究室で神経細胞に対する電気生理的手法が確立されている。
 
 神経活動の測定においては、透明な体を活かして、蛍光プローブを用いた[[カルシウムイメージング]]などの測定方法が広く利用されている。特定の細胞に選択的に遺伝子発現する[[プロモーター]]を利用することで非侵襲に特定の細胞の活動を計測することができる。他生物では一般的に抑制性を示す[[GABA]]依存性神経細胞で、興奮性を示すものが知られている。
 
===行動===
 分子遺伝学が強力なツールとして使えるため、以下のような特定の行動を引き起こす分子機構について詳細に研究されており、関連する遺伝子や細胞が多く同定されている。
 
*化学走性、温度走性などの特定の刺激に対する誘引、忌避行動、刺激に対する学習、複数刺激に対する情報の統合
*機械的な刺激、(高温などの異常な刺激における)[[痛覚]]による応答行動
*産卵、[[性行動の神経回路|生殖における行動]](特に雄の行動)
 
==研究者コミュニティ==
 線虫を扱う研究者コミュニティは比較的体系立っている。これは1960年代に線虫をモデル生物にしようと提唱した[[wj:シドニー・ブレナー|シドニー・ブレナー]]とその同僚、弟子たちの成功と、研究者間の細かな情報交換を大切にする文化に依る。
 
 現在[[wj:カリフォルニア大学ロサンゼルス校|UCLA]]にて隔年で行われるInternational ''C. elegans'' Meetingでは、神経科学や発生生物学などの分野を問わず世界中の線虫研究者が集まり、1500人規模の大会となっている。
 
 情報交換は学術論文に限らず、上述した詳細なデータベースやオンライン教科書が整備されている。Worm Breeder's Gazetteという冊子は線虫研究者コミュニティの特徴を表している。これは飼育方法や細かな実験のコツなどを共有するための冊子で、学術論文に載る前のデータや、実験方法などが掲載される。しばらく発行を停止していたが、2009年から[http://www.wormbook.org/wbg/ オンライン]で復活した。実験材料の共有として、線虫株の管理センターも整備されている。
 
*現在[[wj:ミネソタ大学|ミネソタ大学]]にある[http://www.cbs.umn.edu/cgc ''C. elegans'' genetic center] (CGC)は登録された変異体を保管、配布しており、このセンターに問い合わせることで、論文で発表された変異体を手に入れることができる。
*日本の[[wj:ナショナルバイオリソースプロジェクト|ナショナルバイオリソースプロジェクト]]では線虫変異体を逆遺伝学的に収集・保存・提供している。CGCと並びこのサービスも世界中で非常に多く利用されている。


==外部リンク==
*[http://www.wormatlas.org/ Wormatlas(解剖学的データベース)]
*[http://www.wormbase.org/ Wormbase(主にゲノム情報データベース)]
*[http://www.wormbook.org/ Wormbook(オンライン線虫教科書)]
*[http://www.wormbook.org/wbg/ Worm Breeder's Gazette]
*[http://www.cbs.umn.edu/cgc ''C. elegans'' genetic center]


==文献、外部リンク==
==参考文献==
<references/>
<references/>

2018年9月14日 (金) 23:11時点における最新版

塚田 祐基森 郁恵
名古屋大学 理学(系)研究科(研究院)
DOI:10.14931/bsd.1044 原稿受付日:2012年1月16日 原稿完成日:2013年1月25日 原稿改定日:2018年9月14日

担当編集委員:村上 富士夫(大阪大学 大学院生命機能研究科)


Caenorhabditis elegans
C. elegans 成虫
Scientific classification
Kingdom: Animalia
Phylum: Nematoda
Class: Secernentea
Order: Rhabditida
Family: Rhabditidae
Genus: Caenorhabditis
Species: C. elegans
Binomial name
Caenorhabditis elegans
Maupas, 1900[1]

学名:Caenorhabditis elegans 略名:C. elegans

 モデル生物として様々な研究分野で広く使われている多細胞生物である。成虫の体長は約1mmで、受精から成虫に至るまで全ての細胞系譜が分かっている。雌雄同体(hermaphrodite)の神経細胞は302個、雄の神経細胞は385個と全て同定されており、電子顕微鏡の解析によりシナプスギャップジャンクションの有無を含め、全神経細胞の接続地図が明らかとなっている(シナプスの数は約7000個)[2]。多細胞生物として初めて全ゲノム配列が解読された種でもある。

線虫とは

図1. Caenorhabditis elegansの細胞系譜
Wikipediaより

 神経科学に限らず、モデル生物として様々な研究分野で広く使われている多細胞生物である。成虫の体長は約1mmで、受精から成虫に至るまで全ての細胞系譜が分かっている(図1)。雌雄同体(hermaphrodite)の神経細胞は302個、雄の神経細胞は385個と全て同定されており、電子顕微鏡の解析によりシナプスやギャップジャンクションの有無を含め、全神経細胞の接続地図が明らかとなっている(シナプスの数は約7000個)[2]。多細胞生物として初めて全ゲノム配列が解読された種でもある。ゲノム情報、解剖学的な情報、他様々な研究に有用な情報がデータベースに整理されインターネットから簡単に取得できる(#外部リンク参照)。

 以下の性質から実験室での取り扱いが簡便である。

  • 寒天上で大腸菌をえさとして簡便に培養ができる。
  • ライフサイクルが比較的短く、産まれてから約4日で産卵できるようになる。
  • 雌雄同体は自家受精をして産卵するが、雄と雌雄同体の交配も可能で遺伝学的な操作がしやすい。
  • 冷凍保存が可能である。
  • 体が透明で体内の観察がしやすい。特に微分干渉顕微鏡蛍光顕微鏡との相性がよい。

神経科学における役割

 全ての神経細胞が同定されており、神経細胞同士の接続関係が完全に分かっている唯一の生物である。この神経地図を利用した神経科学研究を行うことができる。緑色蛍光タンパク質GFP)を多細胞生物で初めて人工的に発現させた生物であり、そのことが示すように蛍光タンパク質を使った研究と相性がよい。そのため神経発生における研究が行いやすい。

 近年は遺伝的にコードされたカルシウムセンサーを使った神経活動の測定や、チャネルロドプシンなど様々なオプシン遺伝子を使った光遺伝学も盛んに利用されており、個々の神経細胞の機能や、神経回路としての働きを解明することに役だっている。非常に単純な神経回路を持ちながらも、化学走性温度走性などの行動を示し、記憶学習についての研究が行える。

神経細胞の特徴

 全ての神経細胞についての形態、位置、接続関係、細胞系譜などの情報はデータベースに整理されており、インターネットを通して自由に参照することができる。

 頭部に神経細胞が密集している部位があり、リング状に神経繊維が束になった神経環(ナーブリング)と呼ばれる構造を持つ。ゲノム情報から電位依存性ナトリウムチャネルを持たないことが示唆されており、マウスなどの神経細胞と違い、多くの神経細胞ではスパイク様に数ms単位で変化する活動電位は観察されない(ただしこれについては議論がある[3]。また嗅覚神経細胞であるAWAでは活動電位が報告されている[4])。細胞の大きさが小さく(〜10μm程度)、体表面を覆っているキューティクルが比較的硬いため、電気生理学的手法はマウスなどと比べると技術的に難しいが、それでもいくつかの研究室で神経細胞に対する電気生理的手法が確立されている。

 神経活動の測定においては、透明な体を活かして、蛍光プローブを用いたカルシウムイメージングなどの測定方法が広く利用されている。特定の細胞に選択的に遺伝子発現するプロモーターを利用することで非侵襲に特定の細胞の活動を計測することができる。他生物では一般的に抑制性を示すGABA依存性神経細胞で、興奮性を示すものが知られている。

行動

 分子遺伝学が強力なツールとして使えるため、以下のような特定の行動を引き起こす分子機構について詳細に研究されており、関連する遺伝子や細胞が多く同定されている。

  • 化学走性、温度走性などの特定の刺激に対する誘引、忌避行動、刺激に対する学習、複数刺激に対する情報の統合
  • 機械的な刺激、(高温などの異常な刺激における)痛覚による応答行動
  • 産卵、生殖における行動(特に雄の行動)

研究者コミュニティ

 線虫を扱う研究者コミュニティは比較的体系立っている。これは1960年代に線虫をモデル生物にしようと提唱したシドニー・ブレナーとその同僚、弟子たちの成功と、研究者間の細かな情報交換を大切にする文化に依る。

 現在UCLAにて隔年で行われるInternational C. elegans Meetingでは、神経科学や発生生物学などの分野を問わず世界中の線虫研究者が集まり、1500人規模の大会となっている。

 情報交換は学術論文に限らず、上述した詳細なデータベースやオンライン教科書が整備されている。Worm Breeder's Gazetteという冊子は線虫研究者コミュニティの特徴を表している。これは飼育方法や細かな実験のコツなどを共有するための冊子で、学術論文に載る前のデータや、実験方法などが掲載される。しばらく発行を停止していたが、2009年からオンラインで復活した。実験材料の共有として、線虫株の管理センターも整備されている。

外部リンク

参考文献

  1. Maupas, Émile
    Modes et formes de reproduction des nematodes.
    Archives de Zoologie Expérimentale et Générale: 1900, 8; 463-624
  2. 2.0 2.1 White, J.G., Southgate, E., Thomson, J.N., & Brenner, S. (1986).
    The structure of the nervous system of the nematode Caenorhabditis elegans. Philosophical transactions of the Royal Society of London. Series B, Biological sciences, 314(1165), 1-340. [PubMed:22462104] [WorldCat] [DOI]
  3. Lockery, S.R., & Goodman, M.B. (2009).
    The quest for action potentials in C. elegans neurons hits a plateau. Nature neuroscience, 12(4), 377-8. [PubMed:19322241] [PMC] [WorldCat] [DOI]
  4. Qiang Liu, Philip B. Kidd, May Dobosiewicz, Cornelia I. Bargmann C. elegans AWA Olfactory Neurons Fire Calcium-Mediated All-or-None Action Potentials. Cell DOI:https://doi.org/10.1016/j.cell.2018.08.018 2018