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{{box|text=
英:consciousness 独:Bewusstsein 仏:conscience
 意識の問題は人間存在の根本問題である。自分が死んだら自分が経験しているこの世界はどうなるのか、という疑問は、古くから多くの人々が考えてきた問題だ。他人の意識の問題も同じように大きな問題である。他人はどのように世界を感じ、経験しているのか。考えや感情のように外部から観察しにくい主観的な経験だけでなく、視覚・聴覚などの感覚経験についても、他人の意識経験は、自分が直接経験することができない。自分が感じているこの「赤」と、他人が感じている「赤」が同じ「赤」なのか、について疑いをもつことから意識研究を目指す研究者は多い。
 
{{box|text= 意識の問題は人間存在の根本問題である。自分が死んだら自分が経験しているこの世界はどうなるのか、という疑問は、古くから多くの人々が考えてきた問題だ。他人の意識の問題も同じように大きな問題である。他人はどのように世界を感じ、経験しているのか。考えや感情のように外部から観察しにくい主観的な経験だけでなく、視覚・聴覚などの感覚経験についても、他人の意識経験は、自分が直接経験することができない。自分が感じているこの「赤」と、他人が感じている「赤」が同じ「赤」なのか、について疑いをもつことから意識研究を目指す研究者は多い。


 意識に関する研究は、宗教・哲学・言語学・心理学・脳科学・医学・工学・物理学など、さまざまな分野で進んでおり、学際的な研究も活発である。本項では意識の脳科学研究を中心に解説する。脳科学で扱う「意識」とは、主に、医学的な「意識レベル」、もしくは、実験心理学や哲学で扱う「クオリア」や「意識内容」のことを指す。意識の哲学的解説は<ref name=ref0>'''Van Gulick R'''<br>Consciousness<br>''Stanford Encyclopedia of Philosophy,'' 2014</ref>、医学的解説は<ref name=ref41>'''Laureys, S., Gosseries, O., & Tononi, G.'''<br>The neurology of consciousness (2 ed.). <br>''San Diego: Elsevier''. 2016</ref>を参照。
 意識に関する研究は、宗教・哲学・言語学・心理学・脳科学・医学・工学・物理学など、さまざまな分野で進んでおり、学際的な研究も活発である。本項では意識の脳科学研究を中心に解説する。脳科学で扱う「意識」とは、主に、医学的な「意識レベル」、もしくは、実験心理学や哲学で扱う「クオリア」や「意識内容」のことを指す。意識の哲学的解説は<ref name=ref0>'''Van Gulick R'''<br>Consciousness<br>''Stanford Encyclopedia of Philosophy,'' 2014</ref>、医学的解説は<ref name=ref41>'''Laureys, S., Gosseries, O., & Tononi, G.'''<br>The neurology of consciousness (2 ed.). <br>''San Diego: Elsevier''. 2016</ref>を参照。
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==意識研究の歴史の概観==
==意識研究の歴史の概観==
 洋の東西を問わず、意識・主観性にまつわる問題は、宗教・哲学が様々な角度から論じてきた<ref name=ref0 />。17世紀以降、意識(精神)と脳(物質)の関係性をめぐる問題はmind-body problemと呼ばれ、盛んに議論されてきた。
 洋の東西を問わず、意識・主観性にまつわる問題は、宗教・哲学が様々な角度から論じてきた<ref name=ref0 />。17世紀以降、意識(精神)と[[脳]](物質)の関係性をめぐる問題はmind-body problemと呼ばれ、盛んに議論されてきた。


 19世紀後半から20世紀初頭まで、意識の問題は心理学者ウィリアム・ジェイムスや生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツなどにより盛んに研究された。外部の感覚入力刺激と、それがどのように意識にのぼってくるかの関係性を、自分の経験を注意深く振り返る内省・内観(introspection)をもとに、定量的に調べる精神物理学(psychophysics)が発展したのはこの頃である。
 19世紀後半から20世紀初頭まで、意識の問題は心理学者[[wj:ウィリアム・ジェームズ|ウィリアム・ジェームズ]]や生理学者[[wj:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ]]などにより盛んに研究された。外部の[[感覚]]入力刺激と、それがどのように意識にのぼってくるかの関係性を、自分の経験を注意深く振り返る[[wj:内省|内省]]・[[wj:内観|内観]](introspection)をもとに、定量的に調べる[[精神物理学]](psychophysics)が発展したのはこの頃である。


 20世紀初頭に起きたスキナー(Skinner)らによる行動主義(behaviorism)の台頭により、意識研究は一時的に科学の舞台から姿を消す。行動主義の学者らは、外部から観察できない精神現象は科学研究の俎上には載らず、実験者が制御できる入力刺激と、観察可能な行動の関係性だけを科学研究の対象にするべきであると主張した。
 20世紀初頭に起きた[[wj:バラス・スキナー|スキナー]](Skinner)らによる[[行動主義心理学|行動主義]](behaviorism)の台頭により、意識研究は一時的に科学の舞台から姿を消す。行動主義の学者らは、外部から観察できない精神現象は科学研究の俎上には載らず、実験者が制御できる入力刺激と、観察可能な行動の関係性だけを科学研究の対象にするべきであると主張した。


 1960年以降、認知心理学(cognitive psychology)の登場により、脳をある種の情報処理装置としてモデル化し、外からは直接観測できないような注意・感情・記憶などの精神現象をも研究対象とし、どのような内部プロセスがこれらを支えられているかが研究されるようになった。しかし、その後も数十年の間、意識を科学的に研究する動きは出てこなかった。
 1960年以降、[[認知心理学]](cognitive psychology)の登場により、脳をある種の情報処理装置としてモデル化し、外からは直接観測できないような注意・感情・記憶などの精神現象をも研究対象とし、どのような内部プロセスがこれらを支えられているかが研究されるようになった。しかし、その後も数十年の間、意識を科学的に研究する動きは出てこなかった。


 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、[http://www.consciousness.arizona.edu/ Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of Consciousness)]および[http://www.theassc.org/ Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC)]は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌[http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/ Journal of Consciousness Studies]と[http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/ Consciousness and Cognition]が創刊したのも同時期である<sup>*1</sup>。
 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、[http://www.consciousness.arizona.edu/ Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of Consciousness)]および[http://www.theassc.org/ Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC)]は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌[http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/ Journal of Consciousness Studies]と[http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/ Consciousness and Cognition]が創刊したのも同時期である<sup>*1</sup>。


 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代にクリックとコッホによって提唱された意識研究の枠組みである<ref name=ref35>'''Koch, C.'''<br>The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach 2004<br>(土谷尚嗣 & 金井良太、意識の探求(上/下)岩波書店)<br>CO: ''Roberts and Publishers''.</ref>。この枠組みでは、特にヒトとサルの視覚系に注目して、特定の視覚意識を生み出すのに十分な最小限の神経細胞集団、いわゆる「意識の神経相関(the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については[[意識#意識の神経相関|意識の神経相関]]を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。
 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代に[[wj:フランシス・クリック|クリック]]と[[wj:クリストフ・コッホ|コッホ]]によって提唱された意識研究の枠組みである<ref name=ref35>'''Koch, C.'''<br>The Quest for Consciousness: A Neurobiological Approach 2004<br>(土谷尚嗣 & 金井良太、意識の探求(上/下)岩波書店)<br>CO: ''Roberts and Publishers''.</ref>。この枠組みでは、特に[[ヒト]]と[[サル]]の[[視覚]]系に注目して、特定の[[視覚意識]]を生み出すのに十分な最小限の[[神経細胞]]集団、いわゆる「意識の神経相関(the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については[[意識#意識の神経相関|意識の神経相関]]を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。


 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、注意や作業記憶など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い<ref name=ref2><pubmed>12691765</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>14523382</pubmed></ref> <ref name=ref52><pubmed>8052596</pubmed></ref>。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている<ref name=ref38><pubmed>17129748</pubmed></ref> <ref name=ref59><pubmed>25070269</pubmed></ref>。
 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、[[注意]]や[[作業記憶]]など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い<ref name=ref2><pubmed>12691765</pubmed></ref> <ref name=ref4><pubmed>14523382</pubmed></ref> <ref name=ref52><pubmed>8052596</pubmed></ref>。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている<ref name=ref38><pubmed>17129748</pubmed></ref> <ref name=ref59><pubmed>25070269</pubmed></ref>。


 2006年にAdrian Owenらが報告した植物状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた<ref name=ref46><pubmed>20130250</pubmed></ref> <ref name=ref50><pubmed>16959998</pubmed></ref>。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて最小意識状態<ref name=ref30><pubmed>   11839831</pubmed></ref>にあると区別されるようになっている。
 2006年にAdrian Owenらが報告した植物状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた<ref name=ref46><pubmed>20130250</pubmed></ref> <ref name=ref50><pubmed>16959998</pubmed></ref>。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて[[最小意識状態]]<ref name=ref30><pubmed>11839831</pubmed></ref>にあると区別されるようになっている。


 2010年以降は深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり<ref name=ref45><pubmed>25719670</pubmed></ref> <ref name=ref57><pubmed>    26819042</pubmed></ref>、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、[[意識#意識の神経相関|「統合情報理論」]]などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。
 2010年以降は[[深層学習]]を使った[[人工知能]](Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり<ref name=ref45><pubmed>25719670</pubmed></ref> <ref name=ref57><pubmed>    26819042</pubmed></ref>、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、[[統合情報理論]]などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。


<sup>*1</sup> 近年、新たに[http://nc.oxfordjournals.org/ Neuroscience of Consciousness]が創始された。
<sup>*1</sup> 近年、新たに[http://nc.oxfordjournals.org/ Neuroscience of Consciousness]が創始された。
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 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。
 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。


 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「意識レベル」ないし「覚醒(arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の睡眠時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、植物状態・昏睡などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。
 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「[[意識レベル]]」ないし「[[覚醒]](arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の睡眠時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、[[植物状態]]・[[昏睡]]などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。


 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「クオリア」や「意識内容」という時の意識である<ref name=ref32><pubmed>22625852</pubmed></ref>。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・聴覚・触覚などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、思考や感情など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている<ref name=ref7>'''Bayne, T., & Montague, M.'''<br>Cognitive phenomenology<br>''Oxford University Press on Demand.'' 2011</ref> <ref name=ref18><pubmed>22795561</pubmed></ref> <ref name=ref31>J'''ackendoff, R'''<br>How Language Helps Us Think. <br>Pragmatics and Cognition, 4, 1-34. 1996</ref> <ref name=ref64><pubmed>17324608</pubmed></ref>。
 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「[[クオリア]]」や「[[意識内容]]」という時の意識である<ref name=ref32><pubmed>22625852</pubmed></ref>。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・[[聴覚]]・[[触覚]]などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、[[思考]]や[[感情]]など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている<ref name=ref7>'''Bayne, T., & Montague, M.'''<br>Cognitive phenomenology<br>''Oxford University Press on Demand.'' 2011</ref> <ref name=ref18><pubmed>22795561</pubmed></ref> <ref name=ref31>J'''ackendoff, R'''<br>How Language Helps Us Think. <br>Pragmatics and Cognition, 4, 1-34. 1996</ref> <ref name=ref64><pubmed>17324608</pubmed></ref>。


 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか<ref name=ref6><pubmed>27101880</pubmed></ref>、については諸説ある<ref name=ref12><pubmed>    24198791</pubmed></ref> <sup>*2</sup>。
 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか<ref name=ref6><pubmed>27101880</pubmed></ref>、については諸説ある<ref name=ref12><pubmed>    24198791</pubmed></ref> <sup>*2</sup>。


 一般に「意識」という日本語は、「注意」「自意識」、「こころ(心)」「魂」という概念を意味することもある。
 一般に「意識」という日本語は、「[[注意]]」「[[自意識]]」、「[[こころ]](心)」「[[魂]]」という概念を意味することもある。


 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については[[意識#意識の神経相関|意識と関連する認知機能]]を参照。
 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については[[意識#意識の神経相関|意識と関連する認知機能]]を参照。


 「自己意識(self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる<ref name=ref35 />。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる<ref name=ref21>'''Damasio, A. R.'''<br>The Feeling of What Happens: Body and Emotion in the Making of Consciousness. <br>''New York: Harcourt Brace.'' 1999</ref> <sup>*3</sup>。
 「[[自己意識]](self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる<ref name=ref35 />。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという[[自己再帰]]性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる<ref name=ref21>'''Damasio, A. R.'''<br>The Feeling of What Happens: Body and Emotion in the Making of Consciousness. <br>''New York: Harcourt Brace.'' 1999</ref> <sup>*3</sup>。


 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い<sup>*4</sup>。
 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い<sup>*4</sup>。
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 「魂(soul) 」は、脳が活動を停止しても存在し続ける意識という概念である。脳科学では、活動を停止した脳には意識が無くなるとされる以上、魂の存在は認められない。近年では、魂のようなものの存在を示唆するような現象(幽体離脱、臨死体験等)の神経基盤について多くの事がわかってきている<ref name=ref10><pubmed>14662516</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>23940340</pubmed></ref>。
 「魂(soul) 」は、脳が活動を停止しても存在し続ける意識という概念である。脳科学では、活動を停止した脳には意識が無くなるとされる以上、魂の存在は認められない。近年では、魂のようなものの存在を示唆するような現象(幽体離脱、臨死体験等)の神経基盤について多くの事がわかってきている<ref name=ref10><pubmed>14662516</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>23940340</pubmed></ref>。


 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある<ref name=ref36>'''Koch, C.'''<br>Consciousness: Confessions of a Romantic Reductionist<br>(土谷尚嗣 & 小畑史哉、意識をめぐる冒険、岩波書店)<br>''MIT Press.'' 2012</ref>。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。
 科学的な概念(たとえば、「[[wj:熱|熱]]」「[[wj:惑星|惑星]]」「[[wj:遺伝子|遺伝子]]」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある<ref name=ref36>'''Koch, C.'''<br>Consciousness: Confessions of a Romantic Reductionist<br>(土谷尚嗣 & 小畑史哉、意識をめぐる冒険、岩波書店)<br>''MIT Press.'' 2012</ref>。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。


<sup>*2</sup> 統合情報理論<ref name=ref48><pubmed>24811198</pubmed></ref> <ref name=ref61><pubmed>15522121</pubmed></ref> <ref name=ref63><pubmed>25823865</pubmed></ref>では、意識内容の豊富さがそのまま意識レベルに対応していると考える。
<sup>*2</sup> 統合情報理論<ref name=ref48><pubmed>24811198</pubmed></ref> <ref name=ref61><pubmed>15522121</pubmed></ref> <ref name=ref63><pubmed>25823865</pubmed></ref>では、意識内容の豊富さがそのまま意識レベルに対応していると考える。


<sup>*3</sup> ただし、どこまで自己意識が意識を理解するのに本質的なのかについては様々な議論がある。たとえば、自分は死んでいると主張する「コタール症候群(Cotard's Syndrome)」<ref name=ref17><pubmed>23664000</pubmed></ref> <ref name=ref22>'''Debruyne, H., Portzky, M., Peremans, K., & Audenaert, K.'''<br>Cotard's syndrome. <br>''Mind and Brain'', 2, 67-72. 2011</ref>、自分が動かしているにも関わらず自分の手が誰かに動かされていると感じる「エイリアン・ハンド・シンドローム」<ref name=ref8><pubmed>14967782</pubmed></ref>、そして、経験している意識が自分のものではないと主張する患者<ref name=ref70><pubmed>18815452</pubmed></ref>、などの症例報告もある。これらの報告は、自分の意識経験に関する自己意識が意識経験をえるための必須条件ではないことを示唆する。
<sup>*3</sup> ただし、どこまで自己意識が意識を理解するのに本質的なのかについては様々な議論がある。たとえば、自分は死んでいると主張する「[[コタール症候群]](Cotard's Syndrome)」<ref name=ref17><pubmed>23664000</pubmed></ref> <ref name=ref22>'''Debruyne, H., Portzky, M., Peremans, K., & Audenaert, K.'''<br>Cotard's syndrome. <br>''Mind and Brain'', 2, 67-72. 2011</ref>、自分が動かしているにも関わらず自分の手が誰かに動かされていると感じる「[[エイリアン・ハンド・シンドローム]]」<ref name=ref8><pubmed>14967782</pubmed></ref>、そして、経験している意識が自分のものではないと主張する患者<ref name=ref70><pubmed>18815452</pubmed></ref>、などの症例報告もある。これらの報告は、自分の意識経験に関する自己意識が意識経験をえるための必須条件ではないことを示唆する。


<sup>*4</sup> mind という単語は、一般に「こころ・心」と訳されるが、どちらかと言えば「あたま」「頭脳」「精神」を意味する。その意味では、むしろ「理性」に近く、「感情・気持ち」emotion・feelings の意味が強い「こころ」とは対になるような概念である。たとえば、「use your mind」とは「アタマを使え」という意味なのに対して、「あいつにはこころが無い」と言えば「おもいやりが無い」の意味である。「意識と脳の関係性の問題」のことを英語では Mind-body problemと呼ぶ。日本ではこの用語を「心身問題」「心脳問題」と伝統的に訳すことが多いが、これは、「感情」と「身体の反応性」もしくは「脳の活動」の関係をめぐる問題だ、と勘違されることがある。そのため、本エントリーでは一貫してこの訳語は使わない。 
<sup>*4</sup> mind という単語は、一般に「こころ・心」と訳されるが、どちらかと言えば「あたま」「頭脳」「精神」を意味する。その意味では、むしろ「理性」に近く、「感情・気持ち」emotion・feelings の意味が強い「こころ」とは対になるような概念である。たとえば、「use your mind」とは「アタマを使え」という意味なのに対して、「あいつにはこころが無い」と言えば「おもいやりが無い」の意味である。「意識と脳の関係性の問題」のことを英語では Mind-body problemと呼ぶ。日本ではこの用語を「[[心身問題]]」「[[心脳問題]]」と伝統的に訳すことが多いが、これは、「感情」と「身体の反応性」もしくは「脳の活動」の関係をめぐる問題だ、と勘違されることがある。そのため、本エントリーでは一貫してこの訳語は使わない。 


==脳科学研究における意識問題の一般性:意識vs無意識==
==脳科学研究における意識問題の一般性:意識vs無意識==
 意識を脳科学の観点から研究するときに大きな問題となるのは、なぜ、すべての神経細胞処理が意識を生じさせるわけではないのかという問題である。非常に限られた神経細胞のある種の活動だけが直接に意識を引き起こすのは、なぜなのか。意識と無意識の境界線についての脳科学研究は、1990年以降大きく進んだが、これらの問題はまだ解決にはほど遠い。
 意識を脳科学の観点から研究するときに大きな問題となるのは、なぜ、すべての神経細胞処理が意識を生じさせるわけではないのかという問題である。非常に限られた神経細胞のある種の活動だけが直接に意識を引き起こすのは、なぜなのか。意識と[[無意識]]の境界線についての脳科学研究は、1990年以降大きく進んだが、これらの問題はまだ解決にはほど遠い。


 一方で、意識・無意識の境界線の問題は、ほぼ全ての脳科学研究でなんらかの形で共有されている。たとえば、感覚入力、感覚統合、意志決定、運動計画、運動出力、感情、記憶、言語などの脳機能は、意識経験を伴う場合もあれば、伴わない場合もある。したがって、意識・無意識の違いを生み出す神経基盤を明らかにすることは、それぞれの機能を研究している神経科学者にとっても重要な問題だといえる。
 一方で、意識・無意識の境界線の問題は、ほぼ全ての脳科学研究でなんらかの形で共有されている。たとえば、感覚入力、[[感覚統合]]、[[意志決定]]、[[運動計画]]、[[運動出力]]、[[感情]]、[[記憶]]、[[言語]]などの脳機能は、意識経験を伴う場合もあれば、伴わない場合もある。したがって、意識・無意識の違いを生み出す神経基盤を明らかにすることは、それぞれの機能を研究している神経科学者にとっても重要な問題だといえる。


 また、意識・無意識の問題は、人以外のモデル動物を用いた研究においても重要な意味をもつ。現在、サル・ネズミ・ハエなどのモデル動物に対して侵襲的な手法(神経細胞の記録、遺伝子操作など)を用いた実験研究が盛んに行われているが、もしネズミやハエには意識的な痛みの感覚がなかったとしたら、こうした研究の意味は違ったものになってくるだろう<sup>*5</sup>。
 また、意識・無意識の問題は、人以外の[[モデル動物]]を用いた研究においても重要な意味をもつ。現在、サル・[[ネズミ]]・[[ハエ]]などのモデル動物に対して侵襲的な手法(神経細胞の記録、遺伝子操作など)を用いた実験研究が盛んに行われているが、もしネズミやハエには意識的な痛みの感覚がなかったとしたら、こうした研究の意味は違ったものになってくるだろう<sup>*5</sup>。


 他方で、意識研究には他の脳機能研究と決定的に異なる側面もある。その一つは、意識研究に機能主義の考え方を適用することの難しさである。機能主義的な脳研究は、脳機能を実現するメカニズムを解明し、それをコンピューターやロボットなどにおいて再現することを目的とし、外部から観察することのできない、意識の主観的な側面(意識の内容、クオリア)を研究対象に含まない<sup>*6</sup>。
 他方で、意識研究には他の脳機能研究と決定的に異なる側面もある。その一つは、意識研究に機能主義の考え方を適用することの難しさである。機能主義的な脳研究は、脳機能を実現するメカニズムを解明し、それをコンピューターやロボットなどにおいて再現することを目的とし、外部から観察することのできない、意識の主観的な側面(意識の内容、クオリア)を研究対象に含まない<sup>*6</sup>。
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===意識レベルの変化===
===意識レベルの変化===
 重度の脳損傷による昏睡状態や植物状態、夢を見ていない深い睡眠状態や全身麻酔状態においては、意識レベルが低下し、意識が経験されない。もしくはその時には意識があったとしても、後でどのような意識経験をしていたかが報告できない。しかし、これらの無意識状態であっても、さまざまな指標で脳活動レベルを測ると、意識のある覚醒時に比べて、ゼロとみなせるほどに活動レベルが下がるわけではない。また、外部からの入力に対しても非常に活発な反応が見られる。なぜ、これらの無意識状態における神経活動は高い意識レベルを支えることができないのだろうか。後述する「統合情報理論」では、脳内情報処理が統合されていない事が意識の喪失につながっているのだ、と説明される<ref name=ref43>'''Massimini, M., & Tononi, G.'''<br> Nulla Di Piu Grande<br>2015<br>(花本知子、意識はいつ生まれるのかーー脳の謎に挑む統合情報理論、''亜紀書房'')</ref>。
 重度の[[脳損傷]]による昏睡状態や植物状態、夢を見ていない深い睡眠状態や全身麻酔状態においては、意識レベルが低下し、意識が経験されない。もしくはその時には意識があったとしても、後でどのような意識経験をしていたかが報告できない。しかし、これらの無意識状態であっても、さまざまな指標で脳活動レベルを測ると、意識のある覚醒時に比べて、ゼロとみなせるほどに活動レベルが下がるわけではない。また、外部からの入力に対しても非常に活発な反応が見られる。なぜ、これらの無意識状態における神経活動は高い意識レベルを支えることができないのだろうか。後述する「統合情報理論」では、脳内情報処理が統合されていない事が意識の喪失につながっているのだ、と説明される<ref name=ref43>'''Massimini, M., & Tononi, G.'''<br> Nulla Di Piu Grande<br>2015<br>(花本知子、意識はいつ生まれるのかーー脳の謎に挑む統合情報理論、''亜紀書房'')</ref>。


===臨床研究からの知見===
===臨床研究からの知見===
 意識と脳の関係性を考える上で、一番基本となり、かつ最も示唆に富むのが臨床研究だ。特に重要なのは、障害を受けた脳部位が非常に限定されていて、かつ、その障害による意識の変化が特異的であるような症例報告である<ref name=ref54>R'''amachandran, V., & Blakeslee, S.'''<br>Phantoms in the brain.<br>2011<br>山下篤子、脳のなかの幽霊、角川書店</ref>。近年では、そのような患者における、詳細な精神物理実験、脳イメージング研究なども行なわれている。また、神経細胞レベルで症状のメカニズムを明らかにするために、サルなどのモデル動物における限定的な脳損傷研究も盛んに行われている<ref name=ref69><pubmed>    18923028</pubmed></ref>。
 意識と脳の関係性を考える上で、一番基本となり、かつ最も示唆に富むのが臨床研究だ。特に重要なのは、障害を受けた脳部位が非常に限定されていて、かつ、その障害による意識の変化が特異的であるような症例報告である<ref name=ref54>R'''amachandran, V., & Blakeslee, S.'''<br>Phantoms in the brain.<br>2011<br>山下篤子、脳のなかの幽霊、角川書店</ref>。近年では、そのような患者における、詳細な精神物理実験、脳イメージング研究なども行なわれている。また、神経細胞レベルで症状のメカニズムを明らかにするために、サルなどのモデル動物における限定的な脳損傷研究も盛んに行われている<ref name=ref69><pubmed>    18923028</pubmed></ref>。


 視覚意識と脳の関連性を考える上で特に重要なのは「盲視(blindsight)」、各種の「視覚失認(visual agnosia)」「半側無視(hemi-spatial neglect)」だ。また、「分離脳(split brain)」の研究は視覚意識だけでなく、意識全般を語る上でも重要である。
 視覚意識と脳の関連性を考える上で特に重要なのは「[[盲視]](blindsight)」、各種の「[[視覚失認]](visual agnosia)」「[[半側無視]](hemi-spatial neglect)」だ。また、「[[分離脳]](split brain)」の研究は視覚意識だけでなく、意識全般を語る上でも重要である。


 盲視とは、第一次視覚野に障害を受けた患者が、回復後に視覚意識を失い、何も見えていないと報告するにも関わらず、強制的に視覚課題を行わされると、ランダムに答えた時よりも圧倒的に高い正答率で答えることができる、という症例である<ref name=ref68><pubmed>8725963</pubmed></ref>。眼球の網膜から始まる視覚入力は、少なくとも10以上の経路を経て脳に到着することがわかっている<ref name=ref44>'''Milner, D. A., & Goodale, M. A.'''<br>The visual brain in action.<br>''Oxford: Oxford University Press.'' 1995</ref>。意識に関係すると考えられる経路は、網膜から視床(ししょう)を通って第一次視覚野に投射する経路であり、盲視はこの経路が損傷することによって起こると考えられている。
==== 盲視 ====
 [[第一次視覚野]]に障害を受けた患者が、回復後に視覚意識を失い、何も見えていないと報告するにも関わらず、強制的に視覚課題を行わされると、ランダムに答えた時よりも圧倒的に高い正答率で答えることができる、という症例である<ref name=ref68><pubmed>8725963</pubmed></ref>。[[眼球]]の網膜から始まる視覚入力は、少なくとも10以上の経路を経て脳に到着することがわかっている<ref name=ref44>'''Milner, D. A., & Goodale, M. A.'''<br>The visual brain in action.<br>''Oxford: Oxford University Press.'' 1995</ref>。意識に関係すると考えられる経路は、網膜から視床(ししょう)を通って第一次視覚野に投射する経路であり、盲視はこの経路が損傷することによって起こると考えられている。


 失認とは、意識内容の一部が脳損傷によって失われる症状のことである。意識研究において特に重要な失認の症例は、損傷部位と失われた意識内容の両方が非常に限定的な場合である。色覚、運動視、顔知覚の意識内容などは、限定的な損傷で特異的に失われることがわかっている<ref name=ref35 /> <ref name=ref54 />。
 失認とは、意識内容の一部が脳損傷によって失われる症状のことである。意識研究において特に重要な失認の症例は、損傷部位と失われた意識内容の両方が非常に限定的な場合である。色覚、運動視、顔知覚の意識内容などは、限定的な損傷で特異的に失われることがわかっている<ref name=ref35 /> <ref name=ref54 />。