「錯覚」の版間の差分

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 もう一つ、錯覚に類似した概念に、妄想(delusion)がある。広辞苑第六版によれば、妄想とは「根拠のない主観的な想像や信念。統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない」とあり、「誇大―」「被害―」「関係―」と具体的症例が列挙されている。妄想は認知的錯覚に類似しているが、妄想は病的であって、訂正が容易ではない(非可逆的である)という点が、認知的錯覚とは異なる。
 もう一つ、錯覚に類似した概念に、妄想(delusion)がある。広辞苑第六版によれば、妄想とは「根拠のない主観的な想像や信念。統合失調症などの病的原因によって起こり、事実の経験や論理によっては容易に訂正されることがない」とあり、「誇大―」「被害―」「関係―」と具体的症例が列挙されている。妄想は認知的錯覚に類似しているが、妄想は病的であって、訂正が容易ではない(非可逆的である)という点が、認知的錯覚とは異なる。


 以上のように、錯覚、幻覚、妄想の三者は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語あるいは一般の辞書類では曖昧に用いられる場合がある。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版<ref>小稲義男(編) (1980). 研究社 新英和大辞典 第5版 研究社</ref>によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、錯覚、幻覚、妄想は混同されやすい概念であることがわかる。奇術あるいは手品(magic)がイルージョンと呼ばれることもしばしばであり、奇術と認識されているうちは普通の錯覚の話だが、それが心霊術(spiritualism)として活用されると、イルージョンに超常的な性質が意味づけされることなる。
 以上のように、錯覚、幻覚、妄想の三者は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語あるいは一般の辞書類では曖昧に用いられる場合がある。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版<ref>小稲義男(編) (1980). 研究社 新英和大辞典 第5版 研究社</ref>によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、錯覚、幻覚、妄想は混同されやすい概念であることがわかる。奇術あるいは手品(magic)がイルージョンと呼ばれることもしばしばであり、奇術と認識されているうちは普通の錯覚の話だが、それが心霊術(spiritualism)として活用されると、イルージョンに超常的な性質が意味づけされることなる。[[ファイル:Rotsnakesstrong6b.jpg|thumb|300px|図1 静止画が動いて見える錯視の例。最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視を用いた作品[https://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ 「蛇の回転」(北岡, 2003)]。円盤がひとりでに回転して見える。明るくてコントラストの高い刺激で錯視は強く、中心視で錯視は弱い。]]


 試みに、深層学習の旗手 [https://openai.com/blog/chatgpt/ ChatGPT] に「錯覚とは何か」について聞いてみた。ChatGPTは、2022年11月にOpenAIがリリースした対話に特化したWebサービスである。情報を広く収集しているAIなのだから、より一般的な見解が得られる可能性がある。回答は以下のとおりであった(2023年1月8日に筆者が英語で質問し、英語で回答されたものを日本語に翻訳)。''「錯覚とは、感覚的な体験における誤った認識や誤解のことである。どの感覚にも起こる可能性があるが、最も一般的なのは視覚である。錯覚は、物理的な環境、個人の精神状態、あるいは両者の相互作用など、さまざまな要因によって引き起こされる可能性がある。例えば、目の錯覚は、脳が目から受け取った情報を、実際の物理的な世界のあり方とは異なる方法で解釈したときに起こる。その結果、実際には存在しない形や模様が見えるなど、現実のようでいて現実ではない視覚体験をすることがある。また、聴覚、味覚、触覚などにも錯覚が生じることがある。」'' 上述の英和辞典が錯覚を病的なものと明示的に並列させていたことに比べれば、一見健常的なものとしてまとめている。しかし、「現実のようでいて現実ではない視覚体験」という表現で幻覚を暗示している可能性はある。[[ファイル:Rotsnakesstrong6b.jpg|thumb|300px|図1 静止画が動いて見える錯視の例。最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視を用いた作品[https://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/ 「蛇の回転」(北岡, 2003)]。円盤がひとりでに回転して見える。明るくてコントラストの高い刺激で錯視は強く、中心視で錯視は弱い。]]
 試みに、深層学習の旗手 [https://openai.com/blog/chatgpt/ ChatGPT] に「錯覚とは何か」について聞いてみた。ChatGPTは、2022年11月にOpenAIがリリースした対話に特化したWebサービスである。情報を広く収集しているAIなのだから、より一般的な見解が得られる可能性がある。回答は以下のとおりであった(2023年1月8日に筆者が英語で質問し、英語で回答されたものを日本語に翻訳)。''「錯覚とは、感覚的な体験における誤った認識や誤解のことである。どの感覚にも起こる可能性があるが、最も一般的なのは視覚である。錯覚は、物理的な環境、個人の精神状態、あるいは両者の相互作用など、さまざまな要因によって引き起こされる可能性がある。例えば、目の錯覚は、脳が目から受け取った情報を、実際の物理的な世界のあり方とは異なる方法で解釈したときに起こる。その結果、実際には存在しない形や模様が見えるなど、現実のようでいて現実ではない視覚体験をすることがある。また、聴覚、味覚、触覚などにも錯覚が生じることがある。」'' 上述の英和辞典が錯覚を病的なものと明示的に並列させていたことに比べれば、一見健常的なものとしてまとめている。しかし、「現実のようでいて現実ではない視覚体験」という表現で幻覚を暗示している可能性はある。


 錯覚は、対象についての知識と一致しない知覚(あるいは認知)である。ということは、錯覚は、対象からの刺激によって脳内あるいは心に生成した知覚というだけのものではない。その対象についての「客観的」な知識を事前あるいは事後に持っていて、その知識とその知覚を照合する過程が錯覚の成立に必須である。すなわち、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視という現象がある(図1)。ある観察者が図1を見て円盤が回転して見えた時、この画像は静止画ではなく動画であると認識すれば、その観察者にとっては知覚された錯視的運動は錯視ではなく、リアルなものである。この画像が「本当は静止画である」という知識と知覚の不一致を認識して初めて錯視なのである。この錯視的運動が知覚されない観察者にとっては、この図はただの静止画であって錯視画像ではないことは言うまでもないが、それは知覚と知識が一致しているからである。ちなみに、この錯視画像を観察中に運動視を司ると考えられる大脳皮質の領域(hMT+)が活性化される証拠がある。
 錯覚は、対象についての知識と一致しない知覚(あるいは認知)である。ということは、錯覚は、対象からの刺激によって脳内あるいは心に生成した知覚というだけのものではない。その対象についての「客観的」な知識を事前あるいは事後に持っていて、その知識とその知覚を照合する過程が錯覚の成立に必須である。すなわち、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視という現象がある(図1)。ある観察者が図1を見て円盤が回転して見えた時、この画像は静止画ではなく動画であると認識すれば、その観察者にとっては知覚された錯視的運動は錯視ではなく、リアルなものである。この画像が「本当は静止画である」という知識と知覚の不一致を認識して初めて錯視なのである。この錯視的運動が知覚されない観察者にとっては、この図はただの静止画であって錯視画像ではないことは言うまでもないが、それは知覚と知識が一致しているからである。ちなみに、この錯視画像を観察中に運動視を司ると考えられる大脳皮質の領域(hMT+)が活性化される証拠がある。[[ファイル:Muller-Lyerillusion.jpg|サムネイル|図2 ミュラー=リヤー錯視<ref>Müller-Lyer, F. C. (1889). Optische Urteilstauschungen. Archiv für Anatomie und Physiologie, Physiologische Abteilung, 2, 263-270.</ref>。上下の水平線分の長さは物理的には等しいが、斜線が内向きの上の線分より斜線が外向きの下の線分の方が長く見える。]]


 ヒト以外の動物にも錯視が見えるという報告はある。それによって、ヒトが錯視図形を見て知覚するような「知覚の歪み」が動物にもあるらしい、ということはわかる。しかし、それが動物にとって錯視であるかどうかは疑わしい。たとえばヒトは錯視をおもしろがるが、動物は特段錯視をおもしろがるようには見えない。もちろん、動物が錯視をおもしろがらないからと言って、それが動物が錯視を錯覚として認識していないことの証拠にはならない。しかしながら、「動物にも錯視は見えるか」という問いはヒトと動物の連続性があることを期待して発せられているので、ヒトが錯視をおもしろがるなら動物もおもしろがるはずであるのにそうでないことの説明は必要である。
 ヒト以外の動物にも錯視が見えるという報告はある。それによって、ヒトが錯視図形を見て知覚するような「知覚の歪み」が動物にもあるらしい、ということはわかる。しかし、それが動物にとって錯視であるかどうかは疑わしい。たとえばヒトは錯視をおもしろがるが、動物は特段錯視をおもしろがるようには見えない。もちろん、動物が錯視をおもしろがらないからと言って、それが動物が錯視を錯覚として認識していないことの証拠にはならない。しかしながら、「動物にも錯視は見えるか」という問いはヒトと動物の連続性があることを期待して発せられているので、ヒトが錯視をおもしろがるなら動物もおもしろがるはずであるのにそうでないことの説明は必要である。[[ファイル:Veincolorillusion04L.jpg|サムネイル|図3 静脈の錯視。静脈は青く(あるいは緑っぽく)見えるが、1点を見れば彩度の低い(灰色に近い)黄色から赤の色相の色である。]]
[[ファイル:Muller-Lyerillusion.jpg|サムネイル|図2 ミュラー=リヤー錯視<ref>Müller-Lyer, F. C. (1889). Optische Urteilstauschungen. Archiv für Anatomie und Physiologie, Physiologische Abteilung, 2, 263-270.</ref>。上下の水平線分の長さは物理的には等しいが、斜線が内向きの上の線分より斜線が外向きの下の線分の方が長く見える。]]


 脳科学辞典は、脳科学分野で研究活動を行っている、または行おうとしている学生と研究者を主に想定し、自分の専門分野から離れた分野の知らない用語の内容をインターネット上で簡単に調べられることを目的としている。本稿の執筆者は錯視の研究者であり、錯視のレビューということであればもう少し具体的に書くこともできたかもしれないが、錯覚といういう広いスタンスの解説ということで、説明が抽象的となってしまった嫌いがある。それならば、少し抽象度を下げて、錯視について調べたい学生と研究者を想定して、彼らに薦めるのに最適な文献を考えてみたい。ところが、実は錯視の指し示す範囲でもまだ広すぎて、選定は容易ではない。2017年に刊行された"The Oxford compendium of visual illusions"という分厚い錯視の専門書<ref>Shapiro, A. G. & Todorović, D. (Eds.) (2017). The Oxford compendium of visual illusions. Oxford University Press.</ref>があり、世界中の錯視あるいは視覚の研究者が著した書籍であるから、この本を薦めておけばよいものの、初学者が簡単に錯視を概観するという目的に照らせば、量的に多すぎる。数十年前であれば、Robinsonの錯視のレビュー本<ref>Robinson, J. O. (1972/1998). The psychology of visual illusion. Mineola, NY: Dover.</ref>を紹介すれば、手頃な分量であったこともあり、錯視のことを知るにはそれで十分であったが、今となっては同書は錯視の入門書というよりは、錯視研究史の重要書籍という位置づけである。そこで、ここでは「錯視の科学ハンドブック」<ref>後藤倬男・田中平八(編) (2005). 錯視の科学ハンドブック 東京大学出版会</ref>と「錯視入門」<ref>北岡明佳 (2010). 錯視入門 朝倉書店</ref>を、錯視の入門書として挙げておく。認知的錯覚の入門書としては、「錯覚の科学」<sup>[3]</sup>がある。同じタイトル名に翻訳された"The invisible gorilla"<ref>Chabris, C. F. & Simons, D. J. (2010). The invisible gorilla: And other ways our intuitions deceive us. HarperCollins. (日本語訳: クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ(著)、木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋)</ref>も参考になる。しかし、それらだけでは認知的錯覚を広くカバーできていないので、認知心理学や行動経済学の書籍にも当たって頂きたい。なお、物理的錯覚のまとまった入門書となると、執筆者は寡聞にして推薦に足るものを持ち合わせていない。
 脳科学辞典は、脳科学分野で研究活動を行っている、または行おうとしている学生と研究者を主に想定し、自分の専門分野から離れた分野の知らない用語の内容をインターネット上で簡単に調べられることを目的としている。本稿の執筆者は錯視の研究者であり、錯視のレビューということであればもう少し具体的に書くこともできたかもしれないが、錯覚といういう広いスタンスの解説ということで、説明が抽象的となってしまった嫌いがある。それならば、少し抽象度を下げて、錯視について調べたい学生と研究者を想定して、彼らに薦めるのに最適な文献を考えてみたい。ところが、実は錯視の指し示す範囲でもまだ広すぎて、選定は容易ではない。2017年に刊行された"The Oxford compendium of visual illusions"という分厚い錯視の専門書<ref>Shapiro, A. G. & Todorović, D. (Eds.) (2017). The Oxford compendium of visual illusions. Oxford University Press.</ref>があり、世界中の錯視あるいは視覚の研究者が著した書籍であるから、この本を薦めておけばよいものの、初学者が簡単に錯視を概観するという目的に照らせば、量的に多すぎる。数十年前であれば、Robinsonの錯視のレビュー本<ref>Robinson, J. O. (1972/1998). The psychology of visual illusion. Mineola, NY: Dover.</ref>を紹介すれば、手頃な分量であったこともあり、錯視のことを知るにはそれで十分であったが、今となっては同書は錯視の入門書というよりは、錯視研究史の重要書籍という位置づけである。そこで、ここでは「錯視の科学ハンドブック」<ref>後藤倬男・田中平八(編) (2005). 錯視の科学ハンドブック 東京大学出版会</ref>と「錯視入門」<ref>北岡明佳 (2010). 錯視入門 朝倉書店</ref>を、錯視の入門書として挙げておく。認知的錯覚の入門書としては、「錯覚の科学」<sup>[3]</sup>がある。同じタイトル名に翻訳された"The invisible gorilla"<ref>Chabris, C. F. & Simons, D. J. (2010). The invisible gorilla: And other ways our intuitions deceive us. HarperCollins. (日本語訳: クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ(著)、木村博江(訳) (2011). 錯覚の科学 文藝春秋)</ref>も参考になる。しかし、それらだけでは認知的錯覚を広くカバーできていないので、認知心理学や行動経済学の書籍にも当たって頂きたい。なお、物理的錯覚のまとまった入門書となると、執筆者は寡聞にして推薦に足るものを持ち合わせていない。
[[ファイル:Veincolorillusion04L.jpg|サムネイル|図3 静脈は青く(あるいは緑っぽく)見えるが、1点を見れば彩度の低い(灰色に近い)黄色から赤の色相の色である。]]


 最後に、本項目を読んだ方がすぐにでも蘊蓄として活用できるよう、身近な錯視の例をいくつか挙げる。最もよく知られた錯視は、おそらくミュラー=リヤー錯視(Müller-Lyer illusion)(図2)である。少ない線分で描画できる強力な大きさの錯視である。錯視画像の多くはそのような人工的なものであるが、自然に観察できるものもある。例としては、出たばかりの月が大きく見える月の錯視<ref>ヘレン・ロス、コーネリス・プラグ(著)、東山篤規(訳) (2014). 月の錯視 なぜ大きく見えるのか 勁草書房</ref>(天体錯視とも言う)がある。手足には、静脈が青く見える錯視が認められる(図3)。空にかかる虹の色も、条件によっては色の錯視となっている。
 最後に、本項目を読んだ方がすぐにでも蘊蓄として活用できるよう、身近な錯視の例をいくつか挙げる。最もよく知られた錯視は、おそらくミュラー=リヤー錯視(Müller-Lyer illusion)(図2)である。少ない線分で描画できる強力な大きさの錯視である。錯視画像の多くは人工的なものであるが、自然に観察できるものもある。例としては、出たばかりの月が大きく見える月の錯視<ref>ヘレン・ロス、コーネリス・プラグ(著)、東山篤規(訳) (2014). 月の錯視 なぜ大きく見えるのか 勁草書房</ref>(天体錯視とも言う)がある。手足には、静脈が青く見える錯視が認められる(図3)。空にかかる虹の色も、条件によっては色の錯視となっている。
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