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担当編集委員:[http://researchmap.jp/read0048432 定藤 規弘](自然科学研究機構生理学研究所 [[大脳皮質]]機能研究系)<br>
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 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of onsciousness)(http://www.consciousness.arizona.edu/)および Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC) (http://www.theassc.org/)は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌Journal of Consciousness Studies (http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/)と Consciousness and Cognition(http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/)が創刊したのも同時期である 。
 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of onsciousness)(http://www.consciousness.arizona.edu/)および Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC) (http://www.theassc.org/)は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌Journal of Consciousness Studies (http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/)と Consciousness and Cognition(http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/)が創刊したのも同時期である 。


 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代にクリックとコッホによって提唱された意識研究の枠組みである(C Koch, 2004)。この枠組みでは、特に[[ヒト]]と[[サル]]の視覚系に注目して、特定の視覚意識を生み出すのに十分な最小限の神経細胞集団、いわゆる「意識の神経相関 (the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については4.3章を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。
 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代にクリックとコッホによって提唱された意識研究の枠組みである(C Koch, 2004)。この枠組みでは、特にヒトとサルの視覚系に注目して、特定の視覚意識を生み出すのに十分な最小限の神経細胞集団、いわゆる「意識の神経相関 (the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については4.3章を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。


 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、注意や作業記憶など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い(B. Baars & Franklin, 2003; Baddeley, 2003; Posner, 1994)。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている(Koch & Tsuchiya, 2007; Soto & Silvanto, 2014)。
 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、注意や作業記憶など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い(B. Baars & Franklin, 2003; Baddeley, 2003; Posner, 1994)。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている(Koch & Tsuchiya, 2007; Soto & Silvanto, 2014)。


 2006年にAdrian Owenらが報告した[[植物]]状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた(Monti et al., 2010; Owen et al., 2006)。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて最小意識状態(Giacino et al., 2002)にあると区別されるようになっている。
 2006年にAdrian Owenらが報告した植物状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた(Monti et al., 2010; Owen et al., 2006)。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて最小意識状態(Giacino et al., 2002)にあると区別されるようになっている。


 2010年以降は深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり(Mnih et al., 2015; Silver et al., 2016)、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、「統合情報理論」(5.2参照)などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。
 2010年以降は深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり(Mnih et al., 2015; Silver et al., 2016)、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、「統合情報理論」(5.2参照)などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。
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 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。
 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。


 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「意識レベル」ないし「覚醒(arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の[[睡眠]]時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、植物状態・昏睡などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。
 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「意識レベル」ないし「覚醒(arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の睡眠時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、植物状態・昏睡などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。


 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「クオリア」や「意識内容」という時の意識である(Kanai & Tsuchiya, 2012)。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・聴覚・[[触覚]]などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、思考や感情など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている(Tim Bayne & Montague, 2011; Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Jackendoff, 1996; N. Tsuchiya & Adolphs, 2007)。
 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「クオリア」や「意識内容」という時の意識である(Kanai & Tsuchiya, 2012)。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・聴覚・触覚などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、思考や感情など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている(Tim Bayne & Montague, 2011; Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Jackendoff, 1996; N. Tsuchiya & Adolphs, 2007)。


 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか(T. Bayne, Hohwy, & Owen, 2016)、については諸説ある(Boly et al., 2013) 。
 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか(T. Bayne, Hohwy, & Owen, 2016)、については諸説ある(Boly et al., 2013) 。
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 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については4.5章を参照。
 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については4.5章を参照。


 「[[自己意識]](self-consciousness/self-[[awareness]])」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる(C. Koch, 2004)。その一方で、自分の[[知覚]]や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる(Damasio, 1999) 。
 「自己意識(self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる(C. Koch, 2004)。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる(Damasio, 1999) 。


 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い 。
 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い 。
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 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある(Koch, 2012)。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。
 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある(Koch, 2012)。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。
==脳科学研究における意識問題の一般性:意識vs無意識==
 意識を脳科学の観点から研究するときに大きな問題となるのは、なぜ、すべての神経細胞処理が意識を生じさせるわけではないのかという問題である。非常に限られた神経細胞のある種の活動だけが直接に意識を引き起こすのは、なぜなのか。意識と無意識の境界線についての脳科学研究は、1990年以降大きく進んだが、これらの問題はまだ解決にはほど遠い。
 一方で、意識・無意識の境界線の問題は、ほぼ全ての脳科学研究でなんらかの形で共有されている。たとえば、感覚入力、感覚統合、意志決定、運動計画、運動出力、感情、記憶、言語などの脳機能は、意識経験を伴う場合もあれば、伴わない場合もある。したがって、意識・無意識の違いを生み出す神経基盤を明らかにすることは、それぞれの機能を研究している神経科学者にとっても重要な問題だといえる。
 また、意識・無意識の問題は、人以外のモデル動物を用いた研究においても重要な意味をもつ。現在、サル・ネズミ・ハエなどのモデル動物に対して侵襲的な手法(神経細胞の記録、遺伝子操作など)を用いた実験研究が盛んに行われているが、もしネズミやハエには意識的な痛みの感覚がなかったとしたら、こうした研究の意味は違ったものになってくるだろう 。
 他方で、意識研究には他の脳機能研究と決定的に異なる側面もある。その一つは、意識研究に機能主義の考え方を適用することの難しさである。機能主義的な脳研究は、脳機能を実現するメカニズムを解明し、それをコンピューターやロボットなどにおいて再現することを目的とし、外部から観察することのできない、意識の主観的な側面(意識の内容、クオリア)を研究対象に含まない 。
 しかし、そうだとすると、機能主義的な脳科学は、わたしたちの脳とわたしたちと完全に同じように振舞うが意識経験の全くない「哲学的ゾンビ」を区別できないことになる(Chalmers, 1996)。このように、どのように研究するのかという点で重大な哲学的な問題が残るところが、意識研究と他の脳機能研究との大きな違いだろう。
==実践的な意識の脳研究==
 本章では、現在までにわかっている意識と脳の関係性についての膨大な知見をごく簡単にまとめる。詳細は(Boly et al., 2013; S. Dehaene & Changeux, 2011; C Koch, 2004; Koch, Massimini, Boly, & Tononi, 2016)を参照。意識を説明する理論(後述)は、これら全ての実証研究からの知見と整合しなければならない。
===意識レベルの変化===
 重度の脳損傷による昏睡状態や植物状態、夢を見ていない深い睡眠状態や全身麻酔状態においては、意識レベルが低下し、意識が経験されない。もしくはその時には意識があったとしても、後でどのような意識経験をしていたかが報告できない。しかし、これらの無意識状態であっても、さまざまな指標で脳活動レベルを測ると、意識のある覚醒時に比べて、ゼロとみなせるほどに活動レベルが下がるわけではない。また、外部からの入力に対しても非常に活発な反応が見られる。なぜ、これらの無意識状態における神経活動は高い意識レベルを支えることができないのだろうか。後述する「統合情報理論」では、脳内情報処理が統合されていない事が意識の喪失につながっているのだ、と説明される(Massimini & Tononi, 2015)。
===臨床研究からの知見===
 意識と脳の関係性を考える上で、一番基本となり、かつ最も示唆に富むのが臨床研究だ。特に重要なのは、障害を受けた脳部位が非常に限定されていて、かつ、その障害による意識の変化が特異的であるような症例報告である(Ramachandran & Blakeslee, 2011)。近年では、そのような患者における、詳細な精神物理実験、脳イメージング研究なども行なわれている。また、神経細胞レベルで症状のメカニズムを明らかにするために、サルなどのモデル動物における限定的な脳損傷研究も盛んに行われている(Yoshida, Takaura, Kato, Ikeda, & Isa, 2008)。
 視覚意識と脳の関連性を考える上で特に重要なのは「盲視(blindsight)」、各種の「視覚失認(visual agnosia)」「半側無視(hemi-spatial neglect)」だ。また、「分離脳(split brain)」の研究は視覚意識だけでなく、意識全般を語る上でも重要である。
 盲視とは、第一次視覚野に障害を受けた患者が、回復後に視覚意識を失い、何も見えていないと報告するにも関わらず、強制的に視覚課題を行わされると、ランダムに答えた時よりも圧倒的に高い正答率で答えることができる、という症例である(Weiskrantz, 1996)。眼球の網膜から始まる視覚入力は、少なくとも10以上の経路を経て脳に到着することがわかっている(Milner & Goodale, 1995)。意識に関係すると考えられる経路は、網膜から視床(ししょう)を通って第一次視覚野に投射する経路であり、盲視はこの経路が損傷することによって起こると考えられている。
 失認とは、意識内容の一部が脳損傷によって失われる症状のことである。意識研究において特に重要な失認の症例は、損傷部位と失われた意識内容の両方が非常に限定的な場合である。色覚、運動視、顔知覚の意識内容などは、限定的な損傷で特異的に失われることがわかっている(C Koch, 2004; Ramachandran & Blakeslee, 2011)。
 半側無視(はんそくむし)は、右脳半球の損傷によって引き起こされる症状であり、左側の空間が意識にのぼらなくなる。半側無視の患者は、食事の時にテーブルの右側にあるものだけを食べたり、化粧を顔の右半分だけ行ったりする。半側無視は、頭頂葉損傷によるものが顕著だが、側頭葉や前頭葉の損傷により引き起こされる場合もある。眼球や眼球から脳への経路が損傷されることによって生じる左視野の喪失とは異なり、半側無視では、左視野の意識経験が永久に失われるわけではなく、左右両方の視野で競合する視覚入力があった時に、左視野にある物体が意識にのぼらなくなる。右頭頂葉が空間注意を制御している部位であることなどから、半側無視は注意と意識の関係性を理解する上で鍵となる症例だと考えられている(Corbetta & Shulman, 2011; Driver & Mattingley, 1998)
 分離脳(ぶんりのう)は、左右の脳半球をつなぐ脳梁(のうりょう)を切断する手術を受けた患者の脳のことを指す。脳内には他にも左右の脳半球をつなぐ経路があるため、すべての脳内処理が左右の脳で独立になるわけではない。分離脳手術後は、左脳が言語的には優位になるため、左脳で処理される右視野の入力や右手の感覚や行動計画などが、患者から言語によって報告される。しかし、言語以外をつかった報告(ボタン押しや絵を描くなど)による、様々な心理学的テストなどの結果を総合すると、右脳半球も左脳と同程度、タスクによってはそれ以上の処理能力を持っていることもわかっている。そのため、右脳半球は、言語は持たないが左脳の意識とは独立の意識を経験を生み出している状態にある、と考えられる(Gazzaniga, 2005)。
===意識の神経相関===
[[image:意識1.png|thum350px|'''図1.NCC 研究に使われる多義図形の例'''<br>a.ネッカーの立方体<br>b.ルビンの壷<br>c.両眼視野闘争((Blake & Logothetis, 2002)より改変)]]
[[image:意識2.png|thum350px|'''図2.Logothetis らによるサルでの両眼視野闘争実験'''<br>a)効果的な訓練を受けることでサルは両眼視野闘争中の経験をレバー押しによって報告できるようになる。(Blake & Logothetis, 2002)。<br>b)両眼視野闘争中のサルの脳から記録したニューロン活動が、初期視覚野(V1/V2)ではほとんど意識内容の報告と相関しないのに対し、V4/MT(V5)、さらにTPO/TEm/TEaなどの高次視覚野では意識報告との相関が高まる。(Logothetis, 1998)。]]
 本項では、1990年以降に盛んになってきた「意識の神経相関(NCC, the neural correlates of consciousness)」について短く触れる。詳細は(S. Dehaene, 2015; C Koch, 2004; Koch et al., 2016)を参照。
 NCCは、クリックとコッホによって1990年代以降広められた概念で、ある特定の意識内容を経験するのに十分な最小限の(minimally sufficient)神経細胞集団の活動、と定義される(C Koch, 2004)。この定義によると、十分に高い意識レベルを維持するためのメカニズムは入らない。それらのメカニズムは、意識の「生成条件(enabling factor)」として区別される(C Koch, 2004)。NCCが、人工的な電気刺激等の方法により直接に変更されると、ある特定の意識内容が失われたり、逆に、特定の意識内容が生みだされたりする。たとえば、視覚野を電気刺激すると、何もない場所に光の点が見えたり、見ている顔が変化するなどの意識知覚が生じたりする(Parvizi et al., 2012; Selimbeyoglu & Parvizi, 2010)。
 NCC研究の目的は、経験する意識の内容と相関して変化するような神経活動を特定することである。外部からの感覚入力が一定であるにも関わらず、主観的な意識経験の内容が明らかに変化するような場合(視覚イリュージョン、想起、夢、幻覚など)では、経験される意識の内容と相関して変化する神経活動はNCCだけのはずである。
 ルビンの壷などの多義図形や、両眼視野闘争などを使うと (図1) (Kim & Blake, 2005)は、視覚入力が一定であるにも関わらず、意識にのぼってくる視覚経験が連続的に変化させることが可能になる。そのような状況で、被験者に意識内容を報告してもらい、その被験者の報告と相関するような神経活動を特定するのが、最も一般的なNCC研究である。
 このような手法は、人間を対象に様々な脳イメージング技術をつかって行うのが最も一般的であるが(Tong, Meng, & Blake, 2006)、サルなどのモデル動物でも実験を行うことができる。ドイツのLogothetis らは1980年代以降、両眼視野闘争や関連する視覚イリュージョン中に、サルに彼らの経験を報告させる訓練に成功し、そのような視覚経験中の神経活動記録に成功している。(図2)。

2016年5月10日 (火) 17:17時点における版

土谷 尚嗣
Monash University
DOI:10.14931/bsd.7118 原稿受付日:2016年月日 原稿完成日:2016年月日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)

{{box|text=  意識の問題は人間存在の根本問題である。自分が死んだら自分が経験しているこの世界はどうなるのか、という疑問は、古くから多くの人々が考えてきた問題だ。他人の意識の問題も同じように大きな問題である。他人はどのように世界を感じ、経験しているのか。考えや感情のように外部から観察しにくい主観的な経験だけでなく、視覚・聴覚などの感覚経験についても、他人の意識経験は、自分が直接経験することができない。自分が感じているこの「赤」と、他人が感じている「赤」が同じ「赤」なのか、について疑いをもつことから意識研究を目指す研究者は多い。

 意識に関する研究は、宗教・哲学・言語学・心理学・脳科学・医学・工学・物理学など、さまざまな分野で進んでおり、学際的な研究も活発である。本項では意識の脳科学研究を中心に解説する。脳科学で扱う「意識」とは、主に、医学的な「意識レベル」、もしくは、実験心理学や哲学で扱う「クオリア」や「意識内容」のことを指す。意識の哲学的解説は<ref name=ref(Van Gulick, 2014)、医学的解説は(Laureys, Gosseries, & Tononi, 2016)を参照。 }}

意識研究の歴史の概観

 洋の東西を問わず、意識・主観性にまつわる問題は、宗教・哲学が様々な角度から論じてきた(Van Gulick, 2014)。17世紀以降、意識(精神)と脳(物質)の関係性をめぐる問題はmind-body problemと呼ばれ、盛んに議論されてきた。

 19世紀後半から20世紀初頭まで、意識の問題は心理学者ウィリアム・ジェイムスや生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツなどにより盛んに研究された。外部の感覚入力刺激と、それがどのように意識にのぼってくるかの関係性を、自分の経験を注意深く振り返る内省・内観(introspection)をもとに、定量的に調べる精神物理学(psychophysics)が発展したのはこの頃である。

 20世紀初頭に起きたスキナー(Skinner) らによる行動主義(behaviorism) の台頭により、意識研究は一時的に科学の舞台から姿を消す。行動主義の学者らは、外部から観察できない精神現象は科学研究の俎上には載らず、実験者が制御できる入力刺激と、観察可能な行動の関係性だけを科学研究の対象にするべきであると主張した。

 1960年以降、認知心理学(cognitive psychology)の登場により、脳をある種の情報処理装置としてモデル化し、外からは直接観測できないような注意・感情・記憶などの精神現象をも研究対象とし、どのような内部プロセスがこれらを支えられているかが研究されるようになった。しかし、その後も数十年の間、意識を科学的に研究する動きは出てこなかった。

 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of onsciousness)(http://www.consciousness.arizona.edu/)および Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC) (http://www.theassc.org/)は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌Journal of Consciousness Studies (http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/)と Consciousness and Cognition(http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/)が創刊したのも同時期である

 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代にクリックとコッホによって提唱された意識研究の枠組みである(C Koch, 2004)。この枠組みでは、特にヒトとサルの視覚系に注目して、特定の視覚意識を生み出すのに十分な最小限の神経細胞集団、いわゆる「意識の神経相関 (the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については4.3章を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。

 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、注意や作業記憶など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い(B. Baars & Franklin, 2003; Baddeley, 2003; Posner, 1994)。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている(Koch & Tsuchiya, 2007; Soto & Silvanto, 2014)。

 2006年にAdrian Owenらが報告した植物状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた(Monti et al., 2010; Owen et al., 2006)。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて最小意識状態(Giacino et al., 2002)にあると区別されるようになっている。

 2010年以降は深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり(Mnih et al., 2015; Silver et al., 2016)、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、「統合情報理論」(5.2参照)などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。

意識の脳科学的な定義・関連用語との関係性

 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。

 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「意識レベル」ないし「覚醒(arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の睡眠時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、植物状態・昏睡などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。

 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「クオリア」や「意識内容」という時の意識である(Kanai & Tsuchiya, 2012)。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・聴覚・触覚などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、思考や感情など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている(Tim Bayne & Montague, 2011; Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Jackendoff, 1996; N. Tsuchiya & Adolphs, 2007)。

 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか(T. Bayne, Hohwy, & Owen, 2016)、については諸説ある(Boly et al., 2013) 。

 一般に「意識」という日本語は、「注意」「自意識」、「こころ(心)」「魂」という概念を意味することもある。

 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については4.5章を参照。

 「自己意識(self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる(C. Koch, 2004)。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる(Damasio, 1999) 。

 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い 。

 「魂(soul) 」は、脳が活動を停止しても存在し続ける意識という概念である。脳科学では、活動を停止した脳には意識が無くなるとされる以上、魂の存在は認められない。近年では、魂のようなものの存在を示唆するような現象(幽体離脱、臨死体験等)の神経基盤について多くの事がわかってきている(Blanke, Landis, Spinelli, & Seeck, 2004; Borjigin et al., 2013)。

 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある(Koch, 2012)。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。

脳科学研究における意識問題の一般性:意識vs無意識

 意識を脳科学の観点から研究するときに大きな問題となるのは、なぜ、すべての神経細胞処理が意識を生じさせるわけではないのかという問題である。非常に限られた神経細胞のある種の活動だけが直接に意識を引き起こすのは、なぜなのか。意識と無意識の境界線についての脳科学研究は、1990年以降大きく進んだが、これらの問題はまだ解決にはほど遠い。

 一方で、意識・無意識の境界線の問題は、ほぼ全ての脳科学研究でなんらかの形で共有されている。たとえば、感覚入力、感覚統合、意志決定、運動計画、運動出力、感情、記憶、言語などの脳機能は、意識経験を伴う場合もあれば、伴わない場合もある。したがって、意識・無意識の違いを生み出す神経基盤を明らかにすることは、それぞれの機能を研究している神経科学者にとっても重要な問題だといえる。

 また、意識・無意識の問題は、人以外のモデル動物を用いた研究においても重要な意味をもつ。現在、サル・ネズミ・ハエなどのモデル動物に対して侵襲的な手法(神経細胞の記録、遺伝子操作など)を用いた実験研究が盛んに行われているが、もしネズミやハエには意識的な痛みの感覚がなかったとしたら、こうした研究の意味は違ったものになってくるだろう 。

 他方で、意識研究には他の脳機能研究と決定的に異なる側面もある。その一つは、意識研究に機能主義の考え方を適用することの難しさである。機能主義的な脳研究は、脳機能を実現するメカニズムを解明し、それをコンピューターやロボットなどにおいて再現することを目的とし、外部から観察することのできない、意識の主観的な側面(意識の内容、クオリア)を研究対象に含まない 。

 しかし、そうだとすると、機能主義的な脳科学は、わたしたちの脳とわたしたちと完全に同じように振舞うが意識経験の全くない「哲学的ゾンビ」を区別できないことになる(Chalmers, 1996)。このように、どのように研究するのかという点で重大な哲学的な問題が残るところが、意識研究と他の脳機能研究との大きな違いだろう。

実践的な意識の脳研究

 本章では、現在までにわかっている意識と脳の関係性についての膨大な知見をごく簡単にまとめる。詳細は(Boly et al., 2013; S. Dehaene & Changeux, 2011; C Koch, 2004; Koch, Massimini, Boly, & Tononi, 2016)を参照。意識を説明する理論(後述)は、これら全ての実証研究からの知見と整合しなければならない。

意識レベルの変化

 重度の脳損傷による昏睡状態や植物状態、夢を見ていない深い睡眠状態や全身麻酔状態においては、意識レベルが低下し、意識が経験されない。もしくはその時には意識があったとしても、後でどのような意識経験をしていたかが報告できない。しかし、これらの無意識状態であっても、さまざまな指標で脳活動レベルを測ると、意識のある覚醒時に比べて、ゼロとみなせるほどに活動レベルが下がるわけではない。また、外部からの入力に対しても非常に活発な反応が見られる。なぜ、これらの無意識状態における神経活動は高い意識レベルを支えることができないのだろうか。後述する「統合情報理論」では、脳内情報処理が統合されていない事が意識の喪失につながっているのだ、と説明される(Massimini & Tononi, 2015)。

臨床研究からの知見

 意識と脳の関係性を考える上で、一番基本となり、かつ最も示唆に富むのが臨床研究だ。特に重要なのは、障害を受けた脳部位が非常に限定されていて、かつ、その障害による意識の変化が特異的であるような症例報告である(Ramachandran & Blakeslee, 2011)。近年では、そのような患者における、詳細な精神物理実験、脳イメージング研究なども行なわれている。また、神経細胞レベルで症状のメカニズムを明らかにするために、サルなどのモデル動物における限定的な脳損傷研究も盛んに行われている(Yoshida, Takaura, Kato, Ikeda, & Isa, 2008)。

 視覚意識と脳の関連性を考える上で特に重要なのは「盲視(blindsight)」、各種の「視覚失認(visual agnosia)」「半側無視(hemi-spatial neglect)」だ。また、「分離脳(split brain)」の研究は視覚意識だけでなく、意識全般を語る上でも重要である。

 盲視とは、第一次視覚野に障害を受けた患者が、回復後に視覚意識を失い、何も見えていないと報告するにも関わらず、強制的に視覚課題を行わされると、ランダムに答えた時よりも圧倒的に高い正答率で答えることができる、という症例である(Weiskrantz, 1996)。眼球の網膜から始まる視覚入力は、少なくとも10以上の経路を経て脳に到着することがわかっている(Milner & Goodale, 1995)。意識に関係すると考えられる経路は、網膜から視床(ししょう)を通って第一次視覚野に投射する経路であり、盲視はこの経路が損傷することによって起こると考えられている。

 失認とは、意識内容の一部が脳損傷によって失われる症状のことである。意識研究において特に重要な失認の症例は、損傷部位と失われた意識内容の両方が非常に限定的な場合である。色覚、運動視、顔知覚の意識内容などは、限定的な損傷で特異的に失われることがわかっている(C Koch, 2004; Ramachandran & Blakeslee, 2011)。

 半側無視(はんそくむし)は、右脳半球の損傷によって引き起こされる症状であり、左側の空間が意識にのぼらなくなる。半側無視の患者は、食事の時にテーブルの右側にあるものだけを食べたり、化粧を顔の右半分だけ行ったりする。半側無視は、頭頂葉損傷によるものが顕著だが、側頭葉や前頭葉の損傷により引き起こされる場合もある。眼球や眼球から脳への経路が損傷されることによって生じる左視野の喪失とは異なり、半側無視では、左視野の意識経験が永久に失われるわけではなく、左右両方の視野で競合する視覚入力があった時に、左視野にある物体が意識にのぼらなくなる。右頭頂葉が空間注意を制御している部位であることなどから、半側無視は注意と意識の関係性を理解する上で鍵となる症例だと考えられている(Corbetta & Shulman, 2011; Driver & Mattingley, 1998)

 分離脳(ぶんりのう)は、左右の脳半球をつなぐ脳梁(のうりょう)を切断する手術を受けた患者の脳のことを指す。脳内には他にも左右の脳半球をつなぐ経路があるため、すべての脳内処理が左右の脳で独立になるわけではない。分離脳手術後は、左脳が言語的には優位になるため、左脳で処理される右視野の入力や右手の感覚や行動計画などが、患者から言語によって報告される。しかし、言語以外をつかった報告(ボタン押しや絵を描くなど)による、様々な心理学的テストなどの結果を総合すると、右脳半球も左脳と同程度、タスクによってはそれ以上の処理能力を持っていることもわかっている。そのため、右脳半球は、言語は持たないが左脳の意識とは独立の意識を経験を生み出している状態にある、と考えられる(Gazzaniga, 2005)。

意識の神経相関

図1.NCC 研究に使われる多義図形の例 a.ネッカーの立方体 b.ルビンの壷 c.両眼視野闘争((Blake & Logothetis, 2002)より改変)

図2.Logothetis らによるサルでの両眼視野闘争実験 a)効果的な訓練を受けることでサルは両眼視野闘争中の経験をレバー押しによって報告できるようになる。(Blake & Logothetis, 2002)。 b)両眼視野闘争中のサルの脳から記録したニューロン活動が、初期視覚野(V1/V2)ではほとんど意識内容の報告と相関しないのに対し、V4/MT(V5)、さらにTPO/TEm/TEaなどの高次視覚野では意識報告との相関が高まる。(Logothetis, 1998)。

 本項では、1990年以降に盛んになってきた「意識の神経相関(NCC, the neural correlates of consciousness)」について短く触れる。詳細は(S. Dehaene, 2015; C Koch, 2004; Koch et al., 2016)を参照。

 NCCは、クリックとコッホによって1990年代以降広められた概念で、ある特定の意識内容を経験するのに十分な最小限の(minimally sufficient)神経細胞集団の活動、と定義される(C Koch, 2004)。この定義によると、十分に高い意識レベルを維持するためのメカニズムは入らない。それらのメカニズムは、意識の「生成条件(enabling factor)」として区別される(C Koch, 2004)。NCCが、人工的な電気刺激等の方法により直接に変更されると、ある特定の意識内容が失われたり、逆に、特定の意識内容が生みだされたりする。たとえば、視覚野を電気刺激すると、何もない場所に光の点が見えたり、見ている顔が変化するなどの意識知覚が生じたりする(Parvizi et al., 2012; Selimbeyoglu & Parvizi, 2010)。

 NCC研究の目的は、経験する意識の内容と相関して変化するような神経活動を特定することである。外部からの感覚入力が一定であるにも関わらず、主観的な意識経験の内容が明らかに変化するような場合(視覚イリュージョン、想起、夢、幻覚など)では、経験される意識の内容と相関して変化する神経活動はNCCだけのはずである。

 ルビンの壷などの多義図形や、両眼視野闘争などを使うと (図1) (Kim & Blake, 2005)は、視覚入力が一定であるにも関わらず、意識にのぼってくる視覚経験が連続的に変化させることが可能になる。そのような状況で、被験者に意識内容を報告してもらい、その被験者の報告と相関するような神経活動を特定するのが、最も一般的なNCC研究である。

 このような手法は、人間を対象に様々な脳イメージング技術をつかって行うのが最も一般的であるが(Tong, Meng, & Blake, 2006)、サルなどのモデル動物でも実験を行うことができる。ドイツのLogothetis らは1980年代以降、両眼視野闘争や関連する視覚イリュージョン中に、サルに彼らの経験を報告させる訓練に成功し、そのような視覚経験中の神経活動記録に成功している。(図2)。