位置情報
笹井紀明
奈良先端科学技術大学院大学 バイオサイエンス研究科 発生医科学研究室
DOI:10.14931/bsd.7516 原稿受付日:2018年3月1日 原稿完成日:
担当編集委員:大隅 典子(東北大学 大学院医学系研究科 附属創生応用医学研究センター 脳神経科学コアセンター 発生発達神経科学分野)
英語名:positional information
発生生物学における位置情報とは、胚発生期にある前駆細胞が組織内で自身の位置を認識するために細胞外部からもたらされる情報のことをいう。ここでいう「情報」は多くの場合、細胞外因子(分泌因子、細胞接着因子)の種類と濃度を意味する。細胞はこの情報によって、自らの器官内における相対的な位置を知り、どのような役割(機能)を担うのかを判断して分化する。ここでは、細胞外からもたらされるシグナル分子の種類や濃度勾配に対して細胞がどう反応するのかについて、発生期の脊髄神経における背腹軸パターン形成を中心に概説する。
位置情報とは
胚発生期の器官の形態形成(morphogenesis)においては、前駆細胞が器官内で様々な細胞へと分化し、それらが一定のルールに従って配置される。この細胞の配置はどの個体でも同じであり、このことを「パターン形成(pattern formation)」という1,2。器官内の種々の細胞が正確に配置されることは、器官が機能体として固有の機能を発揮するために重要である。器官が正確にパターン化されるためには、各前駆細胞が器官内における自らの相対的位置を認識する必要があるが、それを与えるのが位置情報である。 器官発生の初期には、組織は未分化細胞の塊だが、やがて細胞塊の一部にシグナルの源である細胞群(シグナリングセンター(signalling centre))が出現する3。この領域からは細胞外因子が分泌され、この分泌因子は多くの場合器官内で濃度勾配を形成する。器官内の各細胞(前駆細胞)はこの濃度によって自分が何の細胞に分化するのか(つまりどのような機能を分担するのか)の情報を獲得するのである。
モルフォゲンモデル
1969年、Lewis Wolpertは、シグナリングセンターから分泌された細胞外物質(モルフォゲン(morphogen))が濃度勾配を持って組織内に拡散しており、細胞の分化方向はその濃度に依存して決まるとする組織形成の原理を仮説的に提唱した4-7。モルフォゲンとはギリシャ語で「form giver(形を与えるもの)」という意味であり8、多くの研究から、組織形成に関わる液性因子(分泌タンパク質や化学低分子)のほとんど(FGFやWnt、TGF、ヘッジホッグ(Hedgehog)、レチノイン酸)がモルフォゲンとして働くことがこれまでに示されている9;Yan, 2009 #39。濃度勾配が組織形成を制御するという概念は「モルフォゲンモデル(morphogen model)」と呼ばれ、現在に至るまで組織のパターン形成を分子的に説明する基本概念の1つである。 モルフォゲンにより器官内で多種類の細胞が生じる様子は、しばしば「フランス国旗」で表される4,10。これは、各細胞の分化方向の決定に濃度閾値(threshold)が存在することを前提にしており、濃度によって3つの異なる細胞が生じる様子をフランス国旗の青、白、赤の3色で表したものである(図1A)。このモデルは、濃度勾配を感知した各前駆細胞が、濃度に応じて3種類(実際にはそれ以上)の細胞に分化していく様子を表している。このことは、濃度依存的に発現する遺伝子が存在することを示している。さらに、隣接する領域に発現する遺伝子同士は互いにその発現を抑制する関係にあることも多い。このようにして、細胞外からの情報(濃度勾配)が細胞内制御機構(遺伝子の転写制御ネットワーク)に変換され、異なる種類の細胞(つまり図1Aの赤と白、白と青)の境界が明確になり、結果的に正確なパターン形成が作り上げられる6。 しかし、組織内で形成される濃度勾配は静的ではなく(つまり発生過程のある時期に突然形成され、それが永久に保存されるものではなく)、器官発生の進行と連動して経時的に変化し、維持されるものであるから、各細胞が暴露される濃度も時々刻々と変化し、それにつれて細胞の分化状態も変化しながら徐々にパターン形成が確立されて行く(図1B)。次項では、濃度勾配の形成と細胞の分化状態の変化の関係を記述する。
神経管の背腹軸に沿った領域の細分化とそれを制御するモルフォゲン
モルフォゲンの動的な濃度勾配の変化がよく解析されているのは、脊髄神経管の断面(背腹軸)におけるシグナル分子と領域決定の関係についてである。胚発生期の神経管には背腹軸に沿って多数の神経前駆領域、神経領域が出現する11,12 。(図2A)はその様子を模式的に表したもので、マウス10.5-11.5日胚、ニワトリ4-5日胚の脊髄レベルの神経管の断面を作成するとほぼ同様の様子が観察される。図中のdP1-dP6、p0-p3、pMNの各領域にはそれぞれ特有の性質を持つ神経前駆細胞が配置される。各前駆領域の細胞はさらに分化して、それぞれの前駆領域に対応する機能性の神経細胞(ニューロン)を産出する(dI1-dI6、V0-V3、MN:各神経細胞がもつ性質については13を参照)。 個々の領域を分子レベルで特徴付けることができるのは、領域特異的に発現するホメオボックス型またはbHLH型転写因子が同定されているためである(同定されている転写因子の一部を図2Aに掲載した:詳細については13を参照)。 これらの領域はどの個体でも配置が変わることがないため、「パターン」と呼ばれており、そのパターン決定は、RP(蓋板)やFP(底板)からそれぞれ分泌されるBMP、Wnt、ソニック・ヘッジホッグ(Sonic Hedgehog; Shh)といったモルフォゲンの濃度勾配によっている。つまり、これら各領域の細胞の分化方向はモルフォゲンの種類と濃度という位置情報によって決定されるのであり、その意味で神経管の背腹軸は位置情報を解析する上で良いモデル系である。