林 直樹
帝京大学医学部精神神経科学教室
DOI:10.14931/bsd.7110 原稿受付日:2016年5月2日 原稿完成日:2016年月日
担当編集委員:加藤 忠史(国立研究開発法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)
英語名:borderline personality disorder 英略語:BPD
歴史的概観
境界性パーソナリティ障害は、現在の精神科臨床において一般的な精神障害であり、特に思春期・青年期患者の診療や、物質使用障害や自殺未遂・自傷行為が問題になる精神科救急で扱われることの多いものである。しかしその疾病概念は、繰り返し大きな変革が行われてきたという歴史がある。それは、現在でもまだ十分定まっておらず、それを理解するためには、歴史的背景を知る必要がある。
BPD概念の歴史には、精神科疾病論と精神療法の議論の二つの流れが認められる。その概念の起源は、疾病論的な概念である境界例(borderline case)であり、それは、Kraepelin Eの提唱した早発性痴呆(統合失調症の前身)の概念によって精神科疾病論が刷新された1900年代において、統合失調症と近縁だが、そうとまで確定できない患者を指すものであった。
同時にこの境界例は、早くから精神療法における問題となっていた。彼らは、強い苦悩・苦悩を訴えて治療を求めるので、精神療法の好適な対象のように見えるけれども、実は治療上の問題をしばしば起こすという特徴があった。このような患者に対する精神療法が重ねられた結果、1970年代より米国を中心として境界例をパーソナリティ障害として位置づける理解が一般化し、さらにそれは、1980年の米国精神医学会の診断と統計のためのマニュアル第三版(DSM-III)において、パーソナリティ障害として位置づけられることに結実した。ただしそこでは、境界例が統合失調症と症状論的に近縁と位置付けられる患者が統合失調型パーソナリティ障害に、そして対人関係・感情の不安定さを主徴とする患者がBPDとに二分されることとされた。
BPDの疾病論的位置づけについての議論は、その後も活発に続けられている。BPDをパーソナリティ障害というより感情コントロールの障害と見るべきとか、寛解と増悪を繰り返す経過から通常の精神障害の1つと捉えるべき[1]といった主張がなされている。このことより、後にDSM-5の代替診断モデルの提示に見られるように、BPDの概念は現在も変化しつつあるものと考えられる。
臨床的特徴
精神症状と診断
現行のDSM-5[2]では、DSM-III以来の記述が大枠で踏襲されている。そこでは、パーソナリティ障害の特徴が、患者の内的体験および行動の持続的パターンの偏りが広い機能領域に及んでいること(つまり、特定の領域が決定的に障害されているのではないこと)、そのパターンが個人的および社会的状況の幅広い範囲に見られること、そして長期間持続しており、その始まりが青年期もしくは成人期早期までに認められることなどが基本的なものだとされている。BPDの診断基準項目(比較的疾患特異的な精神症状)は9項目あり、そのうちの5が満たされるなら、BPDの診断を考慮することになる。BPDの基本的精神症状は、その診断基準9項目の因子分析から、対人関係の障害(対人関係が不安定で自己同一性が不確定)、行動コントロールの障害(衝動的行動が多いこと)、感情コントロールの障害(感情不安定で怒りが強いこと)の3種に分類されるという見解が示されている。さらにDSM-5[2]において代替モデルとして提案された診断基準では、BPDが否定的感情 (negative affectivity: 不安や感情不安定が著しいこと)、対抗(antagonism: 対人関係で摩擦が多いこと)、脱抑制(disinhibition: 衝動行為が発生しやすいこと)といった病的パーソナリティ傾向が特徴であるとされる。ここでは、この病的パーソナリティ傾向の構成が、先に紹介したBPD診断基準項目の分類とほぼ相応していることが確認される。
疫学
DSM-5では、一般人口における疫学調査で明らかにされたBPDの有病率の中央値は1.6 %であると記述されている[2]。さらに、プライマリーケアでの有病率は、3~6 %、精神科外来での有病率は、約10%であるとされる。しかしこのBPDの有病率は、研究ごとに差が大きいことに注意が必要である。例えば、約35000人を2回にわたって面接した大規模な疫学研究(NESARC)で算出された生涯有病率は5.9%というごく高い値であった[3]。
病因論・病態論
生物学的要因
BPDの臨床遺伝学的研究では、家族にうつ病、反社会性パーソナリティ障害、薬物依存が多いことが繰り返し報告されている[2] [4]。しかし、これらの疾患とBPDとの遺伝的関連は、現在でもまだ確認されていない[4]。しかし双生児研究などからBPDの特性の一部が遺伝的に決定されていることが知られている[4]。
BPDの生物学的病因については、すでに多くの研究知見が集積されている[5]。 BPDの衝動性の亢進と serotonin 系の低下などの神経生化学的所見との関連は早くから指摘されてきた。また、感情体験の特徴についての実験的研究では、BPD患者が複雑な感情に対処できず、感情への認識が乏しく否定的な感情に対して過敏に反応する傾向のあること、自傷行為が痛覚域値の上昇と関連していることなどが報告されている。また、患者においてストレス反応に関わる視床下部-下垂体-副腎系の機能低下などが報告されている。画像研究などによる神経生理学的知見としては、BPD患者における恐怖感などの陰性感情に関わる扁桃体の機能の過剰反応が注目されている[5]。
養育環境の要因、社会文化的要因
BPD患者では、発達過程・養育環境の問題によって、安定した対人関係の形成が困難になっていることが想定されている。例えば、患者は、自分の養育者の態度を、愛情が不足している、過保護で支配的、放任的などと捉えていることが報告されている。また、BPD患者には、不安定な母親との愛着パターンと関連する特徴が多く見られることから、愛着に問題があると考えられている[1]。
BPD患者の養育期に性的もしくは身体的虐待が高い頻度でみられることは、多くの報告によって実証されている。例えば、Johnsonら[6]の20年間の前方視的研究では、虐待などの不遇体験があるとBPDを早期成人期に発症する確率が著明に増加することが報告されている。
社会文化的状況もBPDの発病に関わる要因だと考えられている[1]。BPDの増加は、伝統的な生活様式の衰退、価値観や志向性の多様化、混乱といった現代的な社会変化と関連づけられて論じられることがある。
以上のようにBPDの病因論では、生物学的要因と、社会文化的要因を含む養育環境要因が組み合わさって発症に至るという見解が一般的である。
治療・予後
心理社会的治療・精神療法
先にBPD概念の歴史で見たように、精神療法の議論は、この概念の発展に大きく貢献した。現在でもさまざまな心理社会的治療、精神療法が活発に行われている。さらに、1990年代から特定の病理に焦点を絞った、マニュアル化された治療アプローチに対して対照比較研究(RCT)が行われるようになり、精神療法の研究が活性化している。そこでは、弁証法的行動療法(Dialectic behavior therapy:DBT)を始めとする精神療法に高い効果があることが報告されている。しかしこれまでのRCT研究の結果は、互いに相反する部分が少なからずあり、まだ決定的なものではない[7]。
薬物療法
BPDの薬物療法研究のメタアナリシスでは、抗うつ薬と気分調整薬が感情不安定と怒りに有効であるが、衝動性と攻撃性、対人関係の不安定さ、自殺傾向への効果が有意ではないこと、抗精神病薬は、衝動性、攻撃性、全般的機能、対人関係を改善させることが確認されている[8]。
経過・予後
従来から多くの患者が長期経過の中でBPDと診断されなくなることが報告されている[1]。1980~90年代の研究では、BPD患者が約15年の経過の中で依然としてBPDと診断される率は25-44%に留まっていた。同時にそこでは、精神症状や問題行動の減少、社会機能の改善が見られることが確認されている。Zanariniら[9]は、入院患者の経過研究において10年間で88%がBPDと診断されなくなっており、社会機能の回復も確かであったと報告している。彼らの退院後16年の経過報告[10]では、2年以上の寛解、回復(GAS>60となること)をそれぞれ99%、60%が経験するけれども、2年以上の寛解の後に36%が再発する、2年以上の回復の後に44%が回復の状態を喪うことが明らかにされた。
ただし、このように従来の研究においてBPDの回復可能性が確認されつつあるものの、BPD患者の自殺は、長期経過中に自殺率8~10%にも及ぶとされており、これには十分な警戒が必要である[11]。
まとめ
BPDは、感情や対人関係の不安定さ、衝動的行動パターンを主徴とするパーソナリティ障害であり、精神科臨床で見られる頻度の高いものである。その病因論では、生物学的要因や養育環境の要因などさまざまな発病要因の関与が想定されている。その治療では、さまざまな精神療法や薬物療法が組み合わせられて用いられており、治療の実績が確認されつつある。すなわち、現在これは、治療によって改善・回復が十分に期待できる精神障害であると考えられる。しかしそこには、依然として疾病論的に不確定の部分が残されており、さらに多数の精神障害が併存する性質があることなどから、BPDの診断・治療を定式化して普及させることが容易でないと考えられる。特にわが国では、その診断が一般的になっておらず、治療技法も十分普及していない状態にある。今後とも議論を積み重ねて、わが国に適合した対策を考案し、導入することが要請されている[12]。
参考文献
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