意識

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土谷 尚嗣
Monash University
DOI:10.14931/bsd.7118 原稿受付日:2016年月日 原稿完成日:2016年月日
担当編集委員:定藤 規弘(自然科学研究機構生理学研究所 大脳皮質機能研究系)

 意識の問題は人間存在の根本問題である。自分が死んだら自分が経験しているこの世界はどうなるのか、という疑問は、古くから多くの人々が考えてきた問題だ。他人の意識の問題も同じように大きな問題である。他人はどのように世界を感じ、経験しているのか。考えや感情のように外部から観察しにくい主観的な経験だけでなく、視覚・聴覚などの感覚経験についても、他人の意識経験は、自分が直接経験することができない。自分が感じているこの「赤」と、他人が感じている「赤」が同じ「赤」なのか、について疑いをもつことから意識研究を目指す研究者は多い。

 意識に関する研究は、宗教・哲学・言語学・心理学・脳科学・医学・工学・物理学など、さまざまな分野で進んでおり、学際的な研究も活発である。本項では意識の脳科学研究を中心に解説する。脳科学で扱う「意識」とは、主に、医学的な「意識レベル」、もしくは、実験心理学や哲学で扱う「クオリア」や「意識内容」のことを指す。意識の哲学的解説は<ref name=ref(Van Gulick, 2014)、医学的解説は(Laureys, Gosseries, & Tononi, 2016)を参照。

意識研究の歴史の概観

 洋の東西を問わず、意識・主観性にまつわる問題は、宗教・哲学が様々な角度から論じてきた(Van Gulick, 2014)。17世紀以降、意識(精神)と脳(物質)の関係性をめぐる問題はmind-body problemと呼ばれ、盛んに議論されてきた。

 19世紀後半から20世紀初頭まで、意識の問題は心理学者ウィリアム・ジェイムスや生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツなどにより盛んに研究された。外部の感覚入力刺激と、それがどのように意識にのぼってくるかの関係性を、自分の経験を注意深く振り返る内省・内観(introspection)をもとに、定量的に調べる精神物理学(psychophysics)が発展したのはこの頃である。

 20世紀初頭に起きたスキナー(Skinner) らによる行動主義(behaviorism) の台頭により、意識研究は一時的に科学の舞台から姿を消す。行動主義の学者らは、外部から観察できない精神現象は科学研究の俎上には載らず、実験者が制御できる入力刺激と、観察可能な行動の関係性だけを科学研究の対象にするべきであると主張した。

 1960年以降、認知心理学(cognitive psychology)の登場により、脳をある種の情報処理装置としてモデル化し、外からは直接観測できないような注意・感情・記憶などの精神現象をも研究対象とし、どのような内部プロセスがこれらを支えられているかが研究されるようになった。しかし、その後も数十年の間、意識を科学的に研究する動きは出てこなかった。

 1980年代後半の脳イメージング技術の発達が契機となって、1990年序盤には、著名な脳科学者が意識研究に積極的に参加するようになった。現在でも続く二つの大きな国際意識研究学会、Toward a Science of Consciousness(2016年以降はThe science of onsciousness)(http://www.consciousness.arizona.edu/)および Association for Scientific Study of Consciousness (ASSC) (http://www.theassc.org/)は、この頃に創設された 。意識研究の代表的な専門誌Journal of Consciousness Studies (http://www.imprint.co.uk/product/journal-of-consciousness-studies/)と Consciousness and Cognition(http://www.journals.elsevier.com/consciousness-and-cognition/)が創刊したのも同時期である

 脳科学による意識研究の成立にインパクトが大きかったのは、1990年代にクリックとコッホによって提唱された意識研究の枠組みである(C Koch, 2004)。この枠組みでは、特にヒトサルの視覚系に注目して、特定の視覚意識を生み出すのに十分な最小限の神経細胞集団、いわゆる「意識の神経相関 (the neural correlates of consciousness; NCC)」を同定することが大きな目的とされた。この目的のもとに、数多くの実証的脳科学意識研究が生み出された(NCC研究については4.3章を参照)。これらの研究は、多くの脳科学者に意識が具体的な研究対象となることを確信させ、現在の意識研究の基礎となっている。

 意識そのものの研究は直接できないという考えが支配的であった時代でも、注意や作業記憶など、意識と関係が深いと考えられる心理学的な概念は盛んに研究された。それらの研究の中には、注意や作業記憶の理解が進めば、意識の理解も進むと考えていたものも多い(B. Baars & Franklin, 2003; Baddeley, 2003; Posner, 1994)。現在では、これらの認知機能と意識がそれぞれどのような神経活動により支えられており、どのように関連し合っているのかなどが批判的に精査されている(Koch & Tsuchiya, 2007; Soto & Silvanto, 2014)。

 2006年にAdrian Owenらが報告した植物状態の患者における意識研究は、意識の臨床研究に大きなインパクトを与えた(Monti et al., 2010; Owen et al., 2006)。重度の脳障害から回復したにも関わらず、医師・看護師の要請に答えて体を意志的に動かすことが全くできない患者は、意識のない植物状態患者と判定されることが多い。しかし、Owenらは、こうした患者の中には、意志の力で脳活動をコントロールし、外部とコミュニケーションできる能力を持っている患者がいることを示した。現在では、そのような患者は、植物状態とは区別されて最小意識状態(Giacino et al., 2002)にあると区別されるようになっている。

 2010年以降は深層学習を使った人工知能(Artificial Intelligence, AI)技術の発展が著しくなり(Mnih et al., 2015; Silver et al., 2016)、AIは意識をもちうるのか、という問題も社会問題として考えられるようになってきた。これまでは、人工的なネットワークに意識が宿る可能性は、哲学の主題でしかなかったが、「統合情報理論」(5.2参照)などの理論的意識研究がすすめば、科学的検証も可能になるかもしれない。

意識の脳科学的な定義・関連用語との関係性

 脳科学で扱う場合、「意識」という語は、主に二つの意味で使われる。

 一つ目の意味は、医学の世界で使われる「意識レベル」ないし「覚醒(arousal)」のいう時の意識である。意識レベルは、起きて頭が冴えている時に最も高く、眠くなり頭がぼんやりしている時には低くなり、夢を見ていない間の睡眠時、深い麻酔をかけられた状態ではより低くなる。脳に障害を受け、植物状態・昏睡などにおちいると、さらに意識レベルは低くなり、簡単には意識レベルが正常状態に戻ることはない。死んでしまうと意識レベルはゼロになる。

 二つ目の意味は、心理学などが扱ってきた「クオリア」や「意識内容」という時の意識である(Kanai & Tsuchiya, 2012)。ある程度以上の意識レベルがある時には、ある瞬間に我々が経験する意識の内容は、視覚・聴覚・触覚などの鮮烈な感覚からなる。意識の内容には、思考や感情など、感覚ではないものも含まれるのか、意識の内容は注意によって規定されるのか、などについては、哲学・心理学・脳科学の観点からの研究・議論が続いている(Tim Bayne & Montague, 2011; Cohen, Cavanagh, Chun, & Nakayama, 2012; Jackendoff, 1996; N. Tsuchiya & Adolphs, 2007)。

 意識レベルと意識内容は、概念として区別したほうが、「意識」という言葉を脳研究で使う際に、混乱がなくなる。ただし、意識レベルの高さと意識内容の豊富さが解離することがありうるのか、そもそも、意識レベルという概念自体に正当性があるのか(T. Bayne, Hohwy, & Owen, 2016)、については諸説ある(Boly et al., 2013) 。

 一般に「意識」という日本語は、「注意」「自意識」、「こころ(心)」「魂」という概念を意味することもある。

 たとえば、「背筋を『意識』してトレーニングを行う」などといった場合は、「背筋に『注意を向けて』」という意味で意識という語が使われている。「注意」と「意識」の関係性については4.5章を参照。

 「自己意識(self-consciousness/self-awareness)」 は脳科学の文脈では意識内容の一種として捉えられる(C. Koch, 2004)。その一方で、自分の知覚や思考や感情を意識することができるという自己再帰性や、自分の経験が自分の経験であるとわかること、すべての意識経験は何らかの主体による経験であること、などが意識の本質であると考える研究者もいる(Damasio, 1999) 。

 「こころ」は、日本語特有の概念であり、英語で「こころ」にうまく対応するような言葉はない。上で述べた「意識の内容」という意味で使われつつも、特に「感情」、「気持ち」、「おもいやり」を意味することが多い 。

 「魂(soul) 」は、脳が活動を停止しても存在し続ける意識という概念である。脳科学では、活動を停止した脳には意識が無くなるとされる以上、魂の存在は認められない。近年では、魂のようなものの存在を示唆するような現象(幽体離脱、臨死体験等)の神経基盤について多くの事がわかってきている(Blanke, Landis, Spinelli, & Seeck, 2004; Borjigin et al., 2013)。

 科学的な概念(たとえば、「熱」「惑星」「遺伝子」など)と科学的研究のあいだには、研究が進むにつれて概念の定義がより洗練され、それによって研究がさらに進む、というプロセスがある(Koch, 2012)。意識の厳密な定義も、意識の科学的研究の進展とともにえられるだろう。