Jeffressモデル

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Jeffressモデル

執筆者: 芦田 剛 所属: オルデンブルク大学 神経科学部

英語名: Jeffress model

 左右1対の耳を持つ動物においては、両耳に届く音波の時間差が、音の発生源の水平方向を知る手がかりとなる。この時間差を検知するための脳内の仕組みについて、心理学者Lloyd Jeffressが提案した仮説をJeffressモデルという。後の研究によって、鳥類では、Jeffressが提唱した仕組みに類似した方式で音の時間差が脳内処理されていることが判明した。一方、哺乳類を用いた実験研究ではJeffressの提案とは相容れない結果が多く報告されている。

背景と歴史

 音を聞いてその発生源の方向を認知することを音源定位という。ヒトなど左右に1つずつ耳を持つ動物では、両耳に届く音波のタイミングの差が音源定位の手がかりの1つとなる。これを「両耳間時差」(interaural time difference: ITD)という。2 kHz程度までの低周波音について、両耳間時差が音源定位に重要な役割を果たすことは20世紀初頭から知られていたが[1][2]、両耳間時差がどのような脳内機構によって検出・処理されているかは長らく不明であった。

 この問題に対し、アメリカの音響心理学者Lloyd Jeffressは、1948年の論文[3]において「遅延線と同時性検出器による場所コード」という仮説を提示した(詳細は次節以下)。この仮説は後の理論研究の土台となり、音響心理学の実験結果を説明・再現するさまざまなモデルが作られるようになった[4][5]。その一方で、Jeffressが提唱したような神経回路が実際に脳内に存在するのかという問題は、Jeffressの死後になってようやく、CarrとKonishiによるメンフクロウの実験研究において肯定的に解決された[6][7]

両耳間時差

音の発生源が頭から見てどの方向にあるかによって、音が耳に届く時間が異なる。例えば音源が正面にある場合(図1上)には、左右の鼓膜に音が同時に届くので両耳間時差はゼロとなる。音源が頭の右方にある場合(図1下)は、音はまず右耳に届き、少し遅れて左耳に届く。この時間差は、主に頭の大きさ・形状と音速で決まり、ヒトの場合は最大で700マイクロ秒程度である。音響心理学の実験によると、ヒトは最小で10マイクロ秒程度の時間差を識別できることが知られている[8]

+++<図1をここに挿入>+++

モデルの構成

Jeffressモデルでは、数十~数百マイクロ秒の時間差を脳内で補償するような「遅延線(delay line)」と呼ばれる機構を想定する。遅延線の先には「同時性検出器(coincidence detector)」と呼ばれる素子が列になって並んでおり、左右の耳から入った音の情報を受け取るようになっている(図1)。遅延線に沿った伝達距離に応じて、それぞれの検出器に異なるタイミングで音の情報が届く。左右の遅延線からの入力タイミングが揃ったときに検出器の出力は大きくなり、入力の時間差が大きくなるに従って出力は減少する。

例えば音源が正面にある場合は、左右からの遅延線における伝達の遅れが等しくなる場所(図1上の中央の紫丸で示された同時性検出器)で、両側からの入力の同期が生じ、出力が最大となる。音源が別の場所にあるときは、別の位置にある検出器で入力の同期が生じる。もし音源が頭の右側にあるならば(図1下)、音波が右耳に早く届いた分だけ、右耳からの信号は遅延線を長く進み、結果的に太い矢印の位置で左右の入力タイミングが一致して、そこで検出器の出力が最大となる。

このような仕組みによって、「外部にある音源の位置(に対応する両耳間時差)」を「遅延線に沿って並んだ同時性検出器のうち出力最大となるものの位置」に対応づけるというのがJeffressモデルの骨子である。秒速1メートルの伝達速度を仮定すれば、1ミリメートルの遅延線で最大1ミリ秒の両耳間時差が補償でき、これは脳内でも実現可能なサイズだろうとJeffressは想定した<ref=jefffress />。

Jeffressモデルの3要素

Jeffressモデルを構成する中心的な要素として、次の3項目が挙げられる[9][10]。神経組織との対応も合わせて記す。

(1) 同時性検出(coincidence detection): 両耳からの入力の同期の度合いに応じて出力を変える検出素子が存在すること。脳内においては、左右からのシナプス入力のタイミングに応じて活動電位の発生頻度を変える神経細胞がこれに当たる。 (2) 内部遅延(internal delay): 両耳に届いた音の情報が脳内で伝わる際に、左右それぞれの経路で適切な時間遅延が生じること。遅延線に沿った位置に応じて、両耳間時差が補償される。遅延の主因として、長い軸索を活動電位が伝達する時間をJeffressは想定していたが、実際には蝸牛やシナプスでの遅延もこれに含まれうる。 (3) 両耳間時差の脳内位置表現(topographic representation): 遅延線に沿って配置された同時性検出器のうち出力最大になるものの位置が、両耳間時差によって定まること。脳内においては、「同時性検出器の出力最大」とは、「当該神経細胞の活動電位発生頻度が最大」になることに対応する。

この3つの要素によって、「音源の方向」を「脳内にある高出力細胞の位置」に変換する仕組みをJeffressモデルと呼ぶ。このような細胞の位置による脳内情報表現は、場所マップ(place map)や場所コード(place code)とも呼ばれる。

+++<図2をここに挿入>+++

実験的検証

 Jeffressモデルに相当する神経回路が実際の脳内に存在するのかどうかという問題は、さまざまな動物で調べられてきた<ref=ashida10>。メンフクロウbarn owl)を用いた神経解剖学実験および神経生理学実験では、聴性脳幹(auditory brainstem:脳深部に位置する脳幹のうち聴覚に関連する部分)の層状核(nucleus laminaris: NL)と呼ばれる部位で、遅延線と同時性検出器による音源の場所コードが見つかった<ref=carr88><ref=carr90>(図2上)。メンフクロウの脳幹において、大細胞核(nucleus magnocellularis: NM)と呼ばれる部位から投射された軸索を伝わる活動電位は、層状核における細胞の位置によって到達時間が体系的に変化する(図2左下)。層状核細胞は、左右の大細胞核からの入力の同期の度合いに応じて活動電位の発生頻度が変化する[11]。この仕組みにより、両耳間時差に対応する音源の位置がフクロウ層状核の活動頻度の高い細胞の位置へと変換される[12](図2右下)。層状核の出力は中脳下丘へと送られ、数段階の処理を経て、音源の方向の脳内表現である「聴覚空間マップ(auditory space map)」が得られる<ref=ashida15><doi> 10.1250/ast.36.275 </doi></ref>。

 これまでの研究では、メンフクロウのほか、ニワトリ引用エラー: <ref> タグに対応する </ref> タグが不足していますといった鳥類や、鳥類と近縁のワニ[13]において、Jeffressモデルと整合的な神経回路が脳幹で発見されている。Jeffressによる当初の提案<ref=jeffress />では、伝達経路の長さの差によって遅延の度合いが異なると想定されていたが、実際には、軸索の太さやランヴィエ絞輪の間隔など、複数の要因によって伝達速度が精密に調整されていることが分かっている [14][10]

 鳥類と異なり、哺乳類での事情はやや複雑である。哺乳類の聴性脳幹では、上オリーブ複合体(superior olivary complex)に含まれる内側上オリーブ核(medial superior olive: MSO)において、両耳間時差に依存して活動電位の発生頻度を変える細胞が存在することが知られていた[15]。しかし、その土台となる神経回路がJeffressモデルの3要素を満たすかどうかは不明であった。その後、ネコを使ったMSOからの電気生理記録では、同時性検出と場所コードを支持する結果が得られ[16]、また解剖学的には遅延線を示唆する結果が報告された[17][18]

一方で、スナネズミの神経活動を記録した電気生理学実験では、MSOでの同時性検出は支持されたものの、場所コードは見られなかった[19][20]。これらの研究では、自然な状況で経験されうる両耳間時差を超えた大きな時間差に対して、活動電位発生頻度が最大となるようなMSO細胞が多く発見された。これはむしろ場所コードを否定する証拠として認識されている。このように、Jeffressモデルがどの程度当てはまるのか、哺乳類の種によって異なった結果が得られている。ヒトの脳内において、両耳間時差がどのような仕組みで検出・知覚されているのかについては、まだよく分かっていない。

名称および用語

Hodgkin-HuxleyモデルRallのケーブルモデルのような数理モデルとは異なり、Jeffressモデル自体は音源定位に関する定量的な説明を与えるものではない。その点でJeffressモデルはむしろ、「仮説」や「枠組み」といったものに近い。実際、文献によってはJeffress hypothesis(ジェフレス仮説)やJeffress scheme(ジェフレススキーム)という語が用いられることがある。

 また、同じ概念に対し、各研究分野・各研究者の習慣に基づいて、異なった用語・訳語が使われることがある。例えば、interaural time difference の訳としては、「両耳間時差」のほか、「両聴耳間時差」という語も用いられる。coincidence detector は「同時性検出器」以外に、「同期検出器」「同時検出器」「一致検出器」などと訳される。また、delay line(遅延線)は、delay circuit(遅延回路)と呼ばれることがある。

参考文献

  1. <doi> 10.1080/14786448208627205 </doi>
  2. <doi> 10.1080/14786440709463595 </doi>
  3. <pubmed> 18904764 </pubmed>
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    In: Handbook of Perception: 1978, Academic Press: New York.
  5. HS Colburn
    Computational Models of Binaural Processing.
    In: Handbook of Auditory Research, Vol 6: Auditory Computation: 1996
    Hawkins H.L., McMullen T.A., Popper A.N., Fay R.R. (eds). Springer, New York, NY. doi:10.1007/978-1-4612-4070-9_8
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図1.Jeffressモデルの模式図 脳内の同時性検出器は、左右の遅延線からの入力のタイミングが揃ったときに最も出力が大きくなる。左右の耳に届く音波の時間差が、遅延線を通る脳内信号の時間差と合致する位置で入力の同期が起こるので、音源の位置に応じて遅延線のどこで同期が生じるかが決まる。例えば、音源が正面にある場合(上図)と音源が右方にある場合(下図)で、同期を生じる位置が異なることになる。このようにして外界の音源の位置(赤~青のグラデーションで表示)が、出力が最大となる同時性検出器の脳内位置(赤丸~青丸)へと対応づけられる。




図2.メンフクロウにおける両耳間時差検出機構の模式図 (上)メンフクロウの脳幹における両耳間時差検出回路。左耳からの入力経路を橙色矢印で、右耳からの入力経路を青色矢印で示す。聴神経は同側の大細胞核へと投射し、大細胞核は左右の層状核へと投射する。(左下)層状核における大細胞核の軸索投射様式。同側および対側からの軸索が遅延線をなし、層状核内の細胞に位置に応じて入力のタイミングが定まる。(右下)層状核細胞の活動電位発生頻度。活動電位発生頻度が最大となる両耳間時差(右下図のA~Dのピーク位置)が、層状核内の細胞の位置(左下図のA~D)によって定まる。