前補足運動野

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松坂 義哉
東北大学 大学院医学系研究科 医科学専攻 生体機能学講座 生体システム生理学分野
DOI:10.14931/bsd.758 原稿受付日:2012年4月26日 原稿完成日:2015年7月7日 一部修正日:2015年10月27日
担当編集委員:田中 啓治(独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)

英語名:presupplementary motor area

英略称:pre-SMA, preSMA

 前補足運動野とは大脳皮質前頭葉のうちBrodmann脳地図6野内側部の前方を占める皮質運動領野である。かつては補足運動野の一部と看做されていたが、その後の研究によって解剖・生理学的性質や機能の違いが明らかになり、現在では6野内側部後方を(狭義の)補足運動野、前方を前補足運動野として区別する。前補足運動野は前頭前野と密接な線維連絡を持ち、補足運動野に比べて高次の運動制御に関わっている事が示唆されている。

歴史的背景

 
図1.サル(左)及びヒト(右)における一次運動野、補足運動野、前補足運動野の位置関係
CA-CP: 前交連及び後交連を通る平面。VCA: 前交連を通りCA-CP面に垂直な直線。

 古典的な定義による補足運動野はBrodmann分類の6野内側部全体を占めると考えられてきた。しかし6野内側部は皮質の層構造の違いから前後二つの領域[1][2]に分けられることが知られており、又1990年代に入って後方領域に加えて前方からも電気刺激によって上肢の運動を惹起できること[3]、及び前方領域には動物が手を伸ばして物を取ろうとするときに特徴的な活動を示すニューロン群が見られること[4]などから6野内側部全体を一つの皮質運動野と看做す考え方に疑義が呈されるようになった。

 こうした経緯を踏まえて、同じ個体(サル)で系統的に6野内側部前方・後方の性質を比較した研究[5]の結果、1) 従来補足運動野と呼ばれていた6野内側部には、前後各一つずつの上肢の運動に関連した領域が存在すること、2) 6野前方部の領域は後方部とは解剖・生理学的な性質が異なること、3) 従来から知られていた補足運動野の性質(体部位再現の存在、電気刺激による運動の誘発、脊髄への投射経路の存在など)は6野内側部後方にのみ当てはまる事、が明らかにされるに及んで6野前方部は前補足運動野と命名され、補足運動野とは異なる領域として確立されるに至った(図1)。なお、前補足運動野の概念は最初に動物実験で確立されたが、現在ではヒトでも6野内側部は前補足運動野と補足運動野に分けられることが明らかにされている[6][7][8]

解剖・生理学的所見

 前補足運動野は6野内側部前方に位置し、補足運動野とは解剖・生理学的に以下の点で区別される。

電気刺激の効果

 前補足運動野のニューロンは上肢の運動に関連して活動し、又この領域からは電気刺激によって上肢の運動を惹起することが出来る。しかし、前補足運動野と補足運動野における誘発運動には以下の点で違いがみられる。第一に前補足運動野における誘発運動には補足運動野に比べてより強い電流を必要とし、しかも刺激の効果は明確でない場合が大部分である。第二に、補足運動野における誘発運動には体部位再現(前方から後方にかけて顔面部、上肢、体幹、下肢の順に運動が誘発される)が存在する一方、前補足運動野の電気刺激により引き起こされる運動は上肢に限られる。そして、前補足運動野の上肢領域は補足運動野の顔の領域よりも前方に位置し、それよりも後方に位置する補足運動野の上肢支配領域とは空間的にも分離している。

感覚応答

 前補足運動野のニューロンは視覚刺激に対して反応する一方、体性感覚刺激には殆ど反応しない。対照的に補足運動野においては体性感覚刺激に対する応答が顕著であり、しかもその受容野は前方から後方にかけて顔、上肢、体幹、下肢の順に配置されている(体部位再現)。その反面、視覚刺激に対する応答性は乏しい。

皮質-皮質間投射及び皮質下との線維連絡

 
図2. サルで明らかにされた皮質運動野の皮質-皮質間線維投射
PFC: 前頭前野、pre-SMA: 前補足運動野、SMA: 補足運動野、PMd: 背側運動前野、PMv: 腹側運動前野、CMAr: 吻側帯状皮質運動野、CMAc: 尾側帯状皮質運動野、M1: 一次運動野、PE: 上頭頂皮質、PF: 下頭頂皮質。文献[9]の図3より一部改変。
 
図3. 皮質運動野・視床大脳基底核視床下核との線維連絡
PFC: 前頭前野、pre-SMA: 前補足運動野、SMA: 補足運動野、PMd: 背側運動前野、PMv: 腹側運動前野、CMAd: 背側帯状皮質運動野、CMAv: 腹側帯状皮質運動野、MIr: 一次運動野吻側部、MIc: 一次運動野尾側部、VA, X, VLo, VLm, VLc, VPLo: 視床亜核。文献[9]の図4より一部改変。

 前補足運動野と補足運動野は皮質-皮質間投射のパターンが大きく異なる[10](図2)。

 前補足運動野には前頭前野背外側部(Brodmannの46野)から密な直接入力があり、その他にも8b野、及び前頭眼窩野11野12野からも入力を受け取っている。対照的に補足運動野と前頭前野との線維連絡は乏しい。他の皮質運動野との線維連絡も前補足運動野と補足運動野は異なる。先ずどちらの領野にも背側運動前野(PMd)及び腹側運動前野(PMv)からの入力があるが、前補足運動野への入力はPMd, PMvの吻側部からの入力が主であるのに対して、補足運動野へはPMd, PMvの尾側部からの入力が優勢である。帯状皮質運動野からの入力も両領野は異なり、前補足運動野は吻側帯状皮質運動野(CMAr)と、補足運動野は尾側帯状皮質運動野(CMAc)とそれぞれ双方向性に結合している [10][11]一次運動野との関係では、補足運動野は一次運動野と密な双方向性の線維連絡を持つ一方、前補足運動野は一次運動野とは線維連絡を持たない。頭頂葉との関係についてみると、前補足運動野、補足運動野はそれぞれ下、上頭頂連合野(それぞれBrodmann分類の7a野, 5野)からの入力を受ける。

 皮質下との線維連絡にも両領野間に明らかな違いが見られる(図3)。前補足運動野、補足運動野への視床からの入力はそれぞれ前腹側核小細胞部(VApc)、外側腹側核吻側部(VLo核)が主な入力源である[12]線条体に対しては補足運動野が被殻に投射するのに対して、前補足運動野は被殻と尾状核の中間部に投射する他、視床下核に対しても前補足運動野が視床下核背側部に投射する一方、補足運動野はそれよりも腹側側に投射する[13]。又、脊髄に対しては補足運動野からは脊髄への直接投射があるのに対し、前補足運動野からは脊髄への投射は僅かである。

 上記の入出力パターンの違いは多くの場合絶対的なものではない。即ち前補足運動野・補足運動野と入出力関係を持つ領域は完全には分離しておらず、ある程度の重なりが見られる。しかしその中で最も顕著な違いは前頭前野、一次運動野・脊髄との関係で、前頭前野は前補足運動野に投射するのに対して、補足運動野には投射しない[10]。また補足運動野は一次運動野・脊髄に直接投射しているのに対して、前補足運動野からは電気刺激による運動の誘発のしにくさから予想されるように、一次運動野への投射はなく[5][10]、脊髄への投射は極めて乏しい[14]

機能

 前補足運動野の機能については、かつて補足運動野の一部とされていた経緯から、新しい分類による補足運動野と対比して論じられることが多い。従来補足運動野の破壊症状として考えられていた症例には前補足運動野や帯状皮質運動野の損傷を伴うケースも含まれていると考えられ、これまでの内側領野損傷に伴う高次運動障害の症例報告については見直しが必要である。現在までの研究によって、前補足運動野は隣接する補足運動野よりも随意運動制御において高度な側面に関わっている事が明らかにされている[7]。ここではそのうち代表的なものについて触れる。

運動の準備

 前補足運動野は補足運動野に比べて運動の準備段階から活動するニューロンを高い割合で含む[5][15]。但し、こうした神経活動は脳の他の領域でも数多く発見されており、前補足運動野に特有のものではない。

ルーチン化した行動の切り替え

 習慣化・ルーチン化した動作は半ば無意識のうちに自動的に実行される。例えば年が明けて間もない頃、日付を書こうとして何気なく去年の年を書いてしまうといった経験は誰にでもあろう。それに対して、状況の変化に応じて適切な動作を選択・実行するためには、状況がどのように変化したかという認知、変化した状況においてどのような行動が適切かという判断、その結果選んだ行動の実行というより意識的な一連のプロセスを必要とする(例.海外で運転する際に右側通行に切り換えるなど)。 前補足運動野や吻側帯状皮質運動野はこうした柔軟な行動の切り替えに深く関わっており、これらの領域からは動物がルーチン化した運動を行っているときには活動せず、運動を切り替える時に限って活動するニューロンが発見されている[16][17][18][19]。一方こうしたニューロンは補足運動野、尾側帯状皮質運動野では乏しく一次運動野では見つかっていない。前述のように前補足運動野は前頭前野から豊富な入力を受け取っているが、前頭前野の破壊によって状況の変化に適応できない硬直した行動パターンが生じることが明らかにされており、適応行動にこれらの領域からなるネットワークが関与していると見られる[20]

手続き学習

Procedural learning

 日常生活において我々は多数の動作からなる複雑な動作を、個々の要素的動作を特に意識することも無く半ば無意識のうちに実行している(例、書字、タイピング等)。多くの場合これらの複雑な連続動作は生得的に備わっているものではなく、繰り返し実行する事によって獲得したスキル、つまり手続き記憶の一種である。前補足運動野は手続き学習のうち、連続動作の新規学習に関わっていると考えられている。こうした見方を裏付ける根拠として連続動作の学習初期に前補足運動野の血流量が増大すること[21][22][23][24]、前補足運動野のニューロンは新しい運動シークエンスを与えられた時に活動が増強する一方、動物が動作の実行に習熟するに従って活動が減弱すること[18]、および連続動作学習初期にはムシモール(GABAA受容体作動薬)注入による前補足運動野の機能ブロックによって動作の順序を間違え易くなる一方、既に習熟した動作の実行には影響を及ぼさないこと[25]等が挙げられる。これらの所見は補足運動野には当てはまらず、両領野間の機能局在が見られる。

動作の時間的順序のコントロール

 複数の動作を適切な順序で実行すること(例.カップ麺の蓋を開けて"から"湯を注ぐなど)は日常生活の中で重要な役割を占めるが、前補足運動野は補足運動野と共に順序動作の実行にも関与していることがニューロン記録や障害実験の結果から明らかになっている[26]。但し順序動作の遂行に関わる両領野のニューロン活動には質的な違いが見られる。前補足運動野のニューロンは、現在実行している要素動作が一連の動作の中の何番目かという順序自体に関する情報をコードする傾向がある。その一方で、動作の種類には殆ど選択性がない(例.動作を実行する順序がA→B→CでもC→A→Bでも二番目の動作実行時に活動する)。それに対して補足運動野のニューロンは連続する二つの要素動作の組み合わせ(例.A→B)に選択的な活動を示す。又、その活動性はその前後の動作に影響されない(例.動作を実行する順序がA→B→CでもC→A→BでもA→Bの間に活動する)。

その他

 動作のタイミングコントロール[27][28]や自他の行為及びその結果の区別[29]などが新たに前補足運動野の役割として注目されている。

関連項目

参考文献

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