藤田一郎(https://researchmap.jp/ichirofujita) Osaka University
英:binocular stereopsis 独:binokulare Stereoskopie 仏:stéréoosie binoculaire
両眼立体視とは、両目を使うことで奥行きや立体構造を感じる視覚能力を指す。片目でも世界はかなりの程度、立体的に見えるが、両目を使うことで片目では得られない奥行きを明白に感じる。すなわち、個々の物体には前後方向に厚みがあり、容積を占め、前後に位置する物体と物体の間には距離があることを実感する。また、物体を構成する面の境界、傾斜、曲率を感じることで、その立体構造を正確に知ることができる。この知覚は、左右の網膜に投影された対象像のわずかなずれ(両眼視差)を脳が利用することで作り出され、日常の多様な局面で役に立っている。ただし、両眼立体視の鋭さには大きな個人差があり、人口の数%の人は両眼立体視ができない。両眼視差の検出は一次視覚野でなされ、背側視覚経路、腹側視覚経路の多くの大脳皮質領野がさらに処理を行い、両眼立体視のさまざまな機能的側面の実現に寄与している。
両眼立体視とは
両眼視差と両眼立体視
ヒトの二つの目は左右におよそ6―7センチ離れており、異なる角度で世界を眺めている。両目で何かを注視すると、注視点は左右の網膜の中心窩に投影される。この時、注視対象と同じ距離にある別の視覚対象(小さな別物体、あるいは物体の局所輪郭や模様の一点)は、左右の網膜で中心窩から同じ方向に同じ距離だけずれて投影される。したがって、その像の中心窩からの距離は左右の目で同じであり、左右の網膜における投影像の位置の差(両眼視差:binocular disparity)は0である(図1A)。しかし、視覚対象が注視点より手前あるいは奥側にある場合には、その像のずれは左右の目で異なり、両眼視差が生じる。視覚対象が手前にあるときに生じる両眼視差は交差視差(crossed disparity)、奥側にあるときに生じる両眼視差は非交差視差(uncrossed disparity)と呼ばれる(図1B,C)。両眼視差の符号(すなわち交差視差であるか非交差視差であるか)と大きさは、視覚対象が注視点より、どれだけ手前にあるか、あるいはどれだけ奥にあるかによって、幾何学的に決まる。脳はこの関係を利用し、両眼視差の大きさと符号を検出して視覚対象への距離を推定し、奥行きや立体構造の知覚を可能にしている。この能力が両眼立体視(binocular stereopsis)である。
絶対視差と相対視差
先に定義した両眼視差は、注視点と視覚対象の比較で定義されており、より厳密には絶対視差(absolute disparity)と呼ばれる。視野内に複数の視覚対象がある時には、個々の視覚対象に絶対視差が決まり、その間の差は相対視差(relative disparity)と呼ばれる(図2)。相対視差は二つの視覚対象の間の相対的な奥行きを伝える手がかりであり、輻輳角の変化に依存せずにほぼ一定である。ヒトの相対視差に対する感度は絶対視差に対する感度に比べて10倍鋭く、奥行き位置や世界の立体構造を知覚するときには相対視差に大きく頼っている[1](Westheimer, 1979)。相対視差を利用することで鋭敏に奥行きを弁別する能力は細かい両眼立体視(fine stereopsis)と呼ばれ、一方、相対視差が利用できない状況での奥行き知覚は粗い両眼立体視(coarse stereopsis)と呼ばれる[2](Wilcox & Allision, 2009)。
両眼立体視と単眼立体視
両目で見る世界は片目で見る世界とは質的に異なる立体感を持つが、片目で見る世界もかなりの程度に立体的である。それは、一つの網膜に映る外界の像が、視覚対象物の距離や奥行き関係を知る視覚手がかりを含み、脳がそれを利用しているからである。この能力は単眼立体視と呼ばれ、片目の網膜像に内在する奥行き視覚情報は単眼奥行き手がかりと呼ばれる[3](Vishwanath & Hibbard, 2013)(表)。
単眼奥行き手がかりには、遠近法手がかり(大きさ遠近、線遠近、大気遠近、色彩遠近)、陰影、ハイライト、テクスチャー勾配、遮蔽、焦点ぼけ、大きさ、運動視差などが含まれる。運動視差を除き、これらの単眼奥行き手がかりは静止した像(例えば絵画)にも含まれ、まとめて絵画的手がかりと呼ばれる。また、左右眼の輻輳角や眼球内の水晶体の調節に関する生理学的信号も奥行きの知覚に貢献する。
単眼奥行き手がかり(Monocular depth cues)
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両眼奥行き手がかり(Binocular depth cues)
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生理学的手がかり(Physiological cues)
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様々な奥行き手がかりは、異なった距離範囲で働き、互いに補完し合う[5](Cutting & Vishton, 1995)。例えば、遠い山並みの個々の山の奥行き関係は、遮蔽(手前の山の輪郭は見え、遠い山の輪郭は見えない)や色彩遠近(遠い山は青味がかって見える)で知ることができるが、遠すぎるために両眼視差を使うことができない。一方、数百メートル以内の距離範囲では両眼視差は最も鋭敏で定量的な奥行き手がかりであり[6][7](Palmisano, Gillam, Govan, Allison,& Harris, 2010; Read, 2021)、多様な局面で役割を果たしている。例として、精密な手動作[8][9][10](Servos, Goodale, & Jakobson, 1992; Watt & Bradshaw, 2000; Syrimi & Ali, 2015)、環境内での移動[11][12](Godbar, 1987; Bonnen, Matthis, Gibaldi, Banks, Levi, & Hayhole, 2019)、大きさの知覚の恒常性[13](Tanaka & Fujita, 2015)、鏡面反射に基づく物体の構造や光沢の理解[14](Blake & Bülthoff, 1990)、 物体の輪郭の明確な知覚[15](Ponce & Born, 2008)、反射的輻輳開散運動[16](Masson, Busettini, &Miles, 1997)がある。
研究の歴史的背景
両眼視差が立体知覚(奥行きの知覚)を生み出すことは、イギリスの科学者チャールズ・ホィートストン(Charles Wheatstone、1802-1875)が証明した[17][18](Wheatstone, 1838; Wade & Ono, 2012)。彼は二枚の鏡を90°の角度で貼り合わせ、右の鏡を右目で見て右パネルの図が見えるようにし、左の鏡を左目で見ることで左パネルの図が見えるように配置した(図3、ハプロスコープ)。左右の図は、形や位置がわずかに異なっており、その違いが、図形の頂点や辺に両眼視差を生み出す。ホィートストンは、ハプロスコープを通して眺めると、紙に描かれた図形が立体的に感じられることを示した。
1960年代になり、ベラ・ユレシュ(Béla Julesz, 1928-2003)は、ランダムなドットパターンを左右の目に提示し、左右の目の間でドットパターンに位置ずれをつけておくと、立体知覚が生じることを見出した[19](Julesz, 1960)。この実験は、片目像に絵画的手がかりが一切なくても、左右の目が受け止めるドットの間の位置ずれ、すなわち両眼視差に基づいて脳が奥行きを算出する機構を持つことを確立した。
個人差と発達
全人口の数%(最新データでは7%)が、両眼立体視ができない立体視盲と推定されている[20](Chopin, Bavelier, & Levi, 2019)。立体視盲の多くは白内障、斜視、不同視、弱視などに起因するが、両目とも良い視力を持ち両眼融合もできていながら、両眼立体視ができない人もいる。また、両眼立体視が可能でも、どのくらい小さな両眼視差を感じることができるか(立体視力)は人により大きく異なる[21][22][23][24](Coutant, & Westheimer, 1993; Zaroff, Knutelska, & Frumkes. 2003; Hess, To, Zhou, Wang, & Cooperstock, 2015; Oishi, Takemura, Aoki, Fujita, & Amano, 2018)。両眼立体視の不全は、日常作業(車の運転、階段の登り降り、切符を自動改札スロットに入れる操作)、精密な手仕事(外科医による手術)、スポーツ(野球のボールを打つこと、バスケットボールをネットに投げ入れること)に影響を及ぼす。
ヒトにおける両眼立体視は、生後16週ごろに急速に発達し、その後ゆっくりと変化して、10歳ごろに成人レベルに達する[25](Birch, Gwiazda, & Held, 1982)。両眼立体視の発達には、幼児期に左右の目が均等な視覚入力を受けることが大事であり、白内障、斜視、不同視、弱視などの眼科的問題、または眼帯装着などによって、視覚入力の左右眼間バランスが崩れると阻害される[26](Levi, Knill, & Bavelier, 2015)。この不均衡視覚入力の発達阻害効果は幼児期の一時期のみに限られ、成人が眼帯を装着しても問題は起こらない。また、立体視盲の成人が、斜視矯正手術や白内障手術を受け、左右の目が均等に入力を持つようになっても、多くの場合、両眼立体視を獲得することは難しい(ただし、獲得例も報告されている。[27][28] Ding & Levi, 2011; バリー, 2010)。このように、両眼立体視を可能にする神経回路の形成には臨界期(感受性期)がある。
動物における両眼立体視
両眼立体視の能力は、ヒト以外にも、哺乳類(サル、ネコ、ウマ、ヒツジ)、鳥類(フクロウ、ハヤブサ)、両生類(ヒキガエル)、昆虫(カマキリ、トンボ、アブ)、頭足類(イカ)が持っており、動物の進化の過程で数回に渡って独立に進化したと考えられる[29][30](Pettigrew, 1986; Read, 2021; Nityananda & Read, 2017)。二つの目を持つ動物種のほとんどが両眼視野(左右の目で見る視野の重複)を多かれ少なかれ持つが、これらの動物種のうち、どのくらいの種が両眼立体視を行うかは不明である。
神経機構
脳による両眼視差の処理メカニズムは、主にサルを対象にした行動学研究および単一細胞活動記録や局所電気刺激法を用いた生理学的研究により調べられている[31][32][33](Parker, 2007; Roe, Chelazzi, Connor, Conway, Fujita, Gallant, Lu, & Vanduffel, 2012; Rosenberg, Thompson, Doudlar, Chang, 2023)。一方、ヒトにおいては、心理学的手法および脳機能イメージング(主に、機能的磁気共鳴画像法)により探究されている[34](Welchman, 2016)。以下、両眼立体視の神経機構について、まず動物実験研究から明らかになったことを記し、続いて、ヒトに関する知見を述べる。
V1野における両眼視差の検出
左右の目からの情報の単一神経細胞への収斂は大脳皮質一次視覚野(V1野)で初めて起こり、V1野の多くの神経細胞が両眼視差に感受性を持つ[37][38][39](Barlow, Blakemore, & Pettigrew, 1967; Pettigrew, Nikara, & Bishop, 1968; Poggio, Motter, Squatrito, & Trotter, 1985)。どの奥行き範囲の両眼視差に反応するかは神経細胞により異なり、慣習的に、特定の狭い奥行き範囲にだけ反応する神経細胞(TN、 T0、TF)、注視点より近い奥行きに反応する神経細胞(NE)、注視点より遠い奥行きに反応する神経細胞(FA)、注視面にある刺激で抑制される神経細胞(TI)の6タイプに分類される(図4:Poggio, Motter, Squatrito, & Trotter, 1985)[39]。
V1野における両眼視差の検出は、両目からの情報が一つの神経細胞に集まる際に、受容野の位置や構造がわずかに異なる神経細胞からの入力が統合されることで実現する。そのメカニズムは視差エネルギーモデルで説明できる[40](Ohzawa, DeAngelis, & Freeman, 1991)。視差エネルギーモデルの神経回路が行なっている計算の内容は、受容野内の左右網膜像間の相互相関の算出である(両眼相関計算)。
V1野以後の両眼視差情報処理
両眼視差の情報はV1野の後、頭頂連合野に向かう背側視覚経路、側頭連合野に向かう腹側視覚経路(脳科学辞典「視覚経路」参照)の両方の多くの領野で処理される(図5、6)。これらの領野で行われている情報処理の内容が明らかになりつつある。
V1野が検出する両眼視差は絶対視差である[41](Cumming & Parker, 1999)。その後、腹側視覚経路をV2野、 V4野、下側頭葉皮質(IT野)へと進むに連れて、相対視差の情報へと徐々に変換される[42][43][44][45](Shimojo, Paradiso, & Fujita, 2001; Thomas, Cumming, & Parker, 2002; Umeda, Tanabe, & Fujita, 2007; Janssen, Vogels, & Orban, 1999)。相対視差の分布(視差勾配)は物体面の3次元構造を規定するが、IT野の神経細胞は、凸面、凹面、S字面といった特定の面の構造に、絶対距離によらずに反応する[46](Janssen, Vogels, & Orban, 2000)。さらに、IT細胞の中には特定の3D物体に対して選択的に反応するものもある[47](Yamane, Carlson, Bowman, Wang, & Connor, 2008)。また、相対視差は細かい奥行き知覚に必須の情報であり、V4野とIT野の神経細胞の活動は細かい奥行き知覚の実現に寄与している[48][49](Uka, Tanabe, Watanabe, & Fujita, 2005; Shiozaki, Tanabe, Doi, & Fujita, 2012)。さらに、V4野には、両眼視差情報と網膜像の大きさの情報を統合することで物体の大きさを算出する細胞が存在し、大きさの恒常性のメカニズムの一端を担っている[13](Tanaka & Fujita, 2015)(図7)。
一方、背側視覚経路のMT野は絶対視差の情報を伝えている[50] (Uka & DeAngelis, 2006)。相対視差の情報を持たないMT野は粗い奥行き知覚に関与する[50](Uka & DeAngelis, 2006)。MT野から入力を受けるMST野は両眼視差情報に基づいて反射性輻輳開散運動を制御している[16](Masson, Busettini, & Miles, 1997)。背側視覚経路の上位領域であるCIP野には、視差勾配に基づく平面の傾きに反応する細胞があり[51][52](Taira, Tsutsui, Jiang, Yara, & Sakata, 2000; Rosenberg, Cowan, & Angelaki, 2013)、またAIP野には曲面に反応する細胞が存在する[53](Theys, Srivastava, van Loon, Goffin, & Janssen, 2012)。CIP細胞の中には、遠近法手がかり[54](Tsutsui, Jiang, Yara, Sakata, & Taira, 2001)やテクスチャー手がかりで規定される面の傾きに感受性も持つものがあり、しかも視差勾配にも感受性を有する[55][56](Tsutsui, Jiang, Yara, Sakata, & Taira, 2002; Rosenberg, & Angelaki, 2014)。これらの細胞は、両眼視差と単眼奥行き手がかりを統合し、視覚手がかりの種類によらない面の傾きの情報表現を作り出している(図7)。
両眼対応問題
両眼視差の正しい算出には、右目に映る像のどの部分が左目に映る像のどの部分に対応するのかを決める必要がある(両眼対応問題;[19][57]Julesz, 1960; Marr & Poggio, 1976)。私たちをとりまく世界は似た視覚特徴を数多く含むことから、これは容易な問題ではない。両目における像の間で無数に可能な局所的な対応の中から、視野全体にわたる首尾一貫した対応(大域対応)を見出し、両眼視差の分布を正しく推定することが、視覚系には求められている。この計算過程は、V1野細胞の両眼相関に対する反応のうち、偽の両眼対応を伝える反応を排除し、真に両眼対応に対する反応のみを残すことで行われる[58][59](Doi, & Fujita, 2014; Fujita, & Doi, 2016)。
この両眼相関表現から両眼対応表現への変換は、腹側視覚経路のV2野またはV4野でなされている[60][61][62](Tanabe, Umeda, & Fujita, 2004; Abdolrahmani, Doi, Shiozaki, & Fujita, 2016; Chen, Lu, Tanigawa, & Roe, 2017)。一方、背側視覚経路のMT野やMST野では、両眼対応問題の解決は進んでおらず、両眼相関と両眼対応の中間の表現になっている[63][64][65](Takemura, Inoue, Kawano, Quaia, & Miles, 2001; Krug, Cumming, & Parker, 2004; Yoshioka, Doi, Abdolrahmani, & Fujita, 2021)。高次視覚領野では、腹側経路のIT野でも背側経路のAIP野でも、単一細胞レベルで、両眼対応問題を解決した情報を伝える[66][53](Janssen, Vogels, Liu, & Orban, 2003; Theys, Srivastava, van Loon, Goffin, & Janssen, 2012)(図7)。
ヒトにおける両眼立体視の神経機構
ヒトにおいても、頭頂葉、側頭葉の多くの領域が両眼視差の処理に関与している[34](Welchman, 2016)。背側視覚経路の活動が絶対視差に強く依存し、腹側視覚経路は絶対視差と相対視差の両方の影響を受ける[67](Neri, Bridge, & Heeger, 2004)、二つの経路を低次から高次の領域へと進むに連れて、徐々に両眼相関表現から両眼対応表現への変換が起きる[68][69](Bridge, & Parker, 2007; Preston, Kourtzi, & Welchman, 2008)など、サルでの知見と一致する点も多いが、異なる点もある。ヒトでは、V3A野が両眼視差に対して非常に強く、かつ、視差の大きさに感受性の高い反応を示すのはその一例である[69](Preston, Kourtzi, & Welchman, 2008)。また、ヒトにおける両眼視差処理には右半球優位性が認められる[70][71][72](Carmon, & Bechtoldt, 1969; Benton, & Hécaen, 1970; Nishida, Hayashi, Iwami, Kimura, Kani, Ito, Shiino, & Suzuki, 2001)。さらに、V2野では両眼視差に基づく図地分離に関する処理、V3A野では両眼視差勾配に基づく面の傾き(slant)の算出がなされている[73](Ban, & Welchman, 2015)。
脳損傷による両眼立体視の障害
両眼視差の処理が視覚連合野でも行われていることから、両眼立体視の障害は、成人になってからの脳梗塞、手術による摘出、神経変性などによる視覚連合野の損傷によっても起こる[74](Bridge, 2016)。詳しく調べられた症例では、側頭葉損傷によって、相対視差の弁別のみが損なわれており、絶対視差の弁別は正常であった[75](Read, Phillipson, Serrano-Pedraza, Milner, & Parker, 2010)。頭頂葉の損傷でも両眼立体視が損なわれるが、多くの場合、眼球運動制御に問題が起こった結果として両眼立体視が消失したのか、奥行き知覚の純粋な消失なのかは明らかではない。
関連項目
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