英語名:child abuse 独:Kindesmißhandlung 仏:abus de l'enfant
児童虐待は、子どもの成長と発達を阻むものである。
児童の人権を侵害しているという点で今一度、子どもの権利条約に立ち返りながら、発達途上の子どもの成長を保証し、環境調整に留意し、安全を提供し、あたりまえの(特別な)保護を与えることの必要性に再度立ち返るべきである。児童虐待を防ぐことの責務を、われわれ国民一人一人が背負っていることを強く自覚する必要がある。そのためここでは日本における現状と取り組みに焦点化して概説している。
日本の現状
子どもは暴力にさらされてきた。不当に扱われることが少なくない。もちろん、成人も暴力にさらされ被害にあう。「児童虐待」が問題なのは、子どもへの加害が家族のなかに生じるという点にある。さまざまな面で大人、特に家族に依存して育つ子どもは、その関係を拒めないし、変更の申し立てもできない。
日本で、最初に子どもの虐待という用語が使用された調査は、厚生省(当時)が1973年に全国の児童相談所を通じて調査した、3歳未満の「子どもの虐待、遺棄、殺害の事件」であろう。このときの結果は、殺害が心中も含めて258件、遺棄139件に比し、虐待26件であった。ここでの虐待は「暴行など身体的危害、あるいは長時間の絶食、拘禁など、生命に危険を及ぼすような行為」としていた。小林美智子らが「Child Abuse研究会」を発足したのが1978年、わが国で池田由子による専門家向けの成書として「児童虐待の病理と臨床」[1]が世に出たのが1979年、国際児童年の刻であった。
しかし、まだ我々はこの分野に関心を高めることなく、その現象を眺めてきた。子どもの虐待に光が当たり始めるのには、1990年まで待つ必要があった。 1990年は、大阪府に日本で最初の民間団体である児童虐待防止協会が設立され、同時期に、大阪のメンバーを中心に、「児童虐待防止制度研究会」が発足した。この年は、厚生労働省が、全国の児童相談所に寄せられた虐待通告件数の統計を取り始めた年でもあり、当時の通告件数は全国の児童相談所で1,101件という数であった。1991年には東京都に子ども虐待防止センターが発足し、以後各地に同様な地域活動組織が設立され、1996年、大阪で全国児童虐待防止研究会が開催され、「日本子どもの虐待防止研究会」として活動し、2005年札幌での学術大会から「日本子ども虐待防止学会」と名称が変更された。91年に1,101件であった件数は爆発的に増加し、2010年度の速報値は55,152件(震災があり宮城県、福島県、仙台市を除いた数値)と上昇の一途である。
図1は、厚生労働省のHPにある添付資料である[2]。
日本の法律と定義
わが国は平成12年に児童虐待の防止等に関する法律を施行させ、以後改正を続け、21年4月から施行となった児童虐待の防止等に関する法律によると、児童虐待は下記のように定義されている[3]。
この前提として、法律の目的が第1条にうたわれている。それによると「この法律は、児童虐待が児童の人権を著しく侵害し、その心身の成長及び人格の形成に重大な影響を与えるとともに、我が国における将来の世代の育成にも懸念を及ぼすことにかんがみ、児童に対する虐待の禁止、児童虐待の予防及び早期発見その他の児童虐待の防止に関する国及び地方公共団体の責務、児童虐待を受けた児童の保護及び自立の支援のための措置等を定めることにより、児童虐待の防止等に関する施策を促進し、もって児童の権利利益の擁護に資することを目的」としている。
すなわち児童の権利利益の擁護を人権侵害の立場から国と地方公共団体の責務としたのである。
児童虐待の定義
「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に掲げる行為をいう。
一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。 二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。 三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。 四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。 |
虐待の分類
定義にあるように児童虐待とは
- 外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行:身体虐待
- わいせつな行為:性的虐待
- 放置、監護の怠り:ネグレクト
- 心理的外傷を与える:心理的虐待
の4つをその代表とする。
これに加えて、特殊な虐待形態として - 代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchausen syndrome by proxy):養育者が健康な子どもに故意の行為(口を塞ぐ、毒物を飲ませる、過量に薬物を使用するなど)から作り出した虚偽の症状を訴え、病院を転々と変えながら不必要な検査、手術、治療、入院を繰り返して、子どもの正常な発達、健康、生育を妨げる行為
- 乳児揺さぶられ症候群(Shaken baby syndrome):乳幼児を暴力的に揺さぶり、その後に外傷(多くは頭蓋内出血、硬膜下出血、頸部の損傷など)が生じる
- ネグレクトによる成長障害(愛情遮断性小人症):年齢不相応の低身長、低体重
- 出生前虐待 (Prenatal Abuse ) :妊娠中の女性が、麻薬・覚醒剤の濫用、喫煙、アルコールの」大量摂取などによって胎児の健康を害する行為
- 親子心中、棄児、置去児
といったものが上げられる。
要因
虐待の起こる要因については、これまで親・子ども側や家族・地域を視野に入れた視点で、子どもの特徴、子育ての技能、社会状況、愛着の弱さなどといった複合的かつ脆弱な要因が関連していると考えることができる。加えて家族を構成する文化や伝統、価値観や社会文化的背景が大きく関与していると考えられる。
虐待問題に向き合うときに無視できない絶対的事実は、強者が弱者を力で支配しているということである。弱者は、本来社会・文化により保護され、成長し強者となる。そのとき、かつての弱者が今の弱者にむけるまなざしは、育ちを信じる保護的寛容さであるべきである。しかし、実際には、弱者を支配しようとする強者自らもまた、より強い者たちによって支配されているという事実がある。
虐待行為は、こうした「育ち(護り)・育てられる(護られる)」という成長過程の絶え間ない連鎖の崩壊を作り出している。
子どもへの影響
虐待行為が真に看過出来ない点は、それを受ける子どもたちにさまざまな育ちの躓きが創り出されてしまうことである。
虐待やネグレクトを受け続けた子どもたちには、様々な状態が認められる。
身体面の特徴について列挙すると、低身長・低体重・成長障害、皮膚外傷、骨折・脱臼・骨端破壊、火傷、頭部外傷、内臓損傷、脊椎損傷・麻痺、網膜剥離などの眼症状、栄養障害・飢餓、けいれん・てんかん、下痢・嘔吐・消化不良、循環障害、凍傷、歯牙脱落・舌損傷、そして死亡である。
行動面の特徴としては、過食・盗食・異食・食欲不振といった食事に関した課題がもっともよく認められる。さらに学童期中頃から認められる便尿失禁、あるいは常同運動や自傷行為、時に緘黙傾向も認められる。また虚言や盗み・万引き、いやがらせ、集団不適応、火遊び・放火、いじめ、器物破損・暴力といった行為障害様言動も顕著である。生活場面では、だらしなさが目立ち、特に女児では性的逸脱行動や繰り返す自傷行為や自殺企図 が認められる。
精神面の特徴としては、運動・情緒・言語発達の遅れが顕著で、生来性の発達障害との鑑別に苦慮することになる。ほかに抑うつ、無表情、無気力、不眠、神経過敏や気分易変を認め、結果的に学習不振に至ることもある。低年齢では、おちつきがない、人との距離感がとれない、大人の顔色をうかがうといった行動も目立つ。精神症状としては、薬物依存、性的行動化(売春)、抑うつ状態、希死念慮、不安障害、対人恐怖、転換・乖離症状、心因性疼痛、チックなどが認められる。
子どもたちの心理的傾向として強調しておくべき点は、対人関係の問題として認められる人との関連性の学びの不在や、虐待する者へのしがみつきといったトラウマ性の体験による結びつきが強く認められる、施設などでは、この体験を再現しようと再三挑発的言動を繰り返し、虐待的人間関係の再現を執拗に試みることが認められる。
一方で、情動や感覚の調整障害として、見捨てられ体験、行動で示す激しい怒りや感情(パニック)、自傷行為などもある。基本的に共通している点は、悪いのはいつも自分といった悪い自己イメージや否定的予測である。
なお、性的虐待を受けた子どもたちの心理は、不本意な性的快感や秘密の共有を強いられるため非常に複雑な心理状態に置かれる。
いずれにしても被虐待経験は、心的外傷体験となり、長期的後遺症として、「人は暴力による支配で関係を作る」「理不尽ではあっても、支配者には抵抗できない」などの生きる上でのさまざまな誤学習と孤独・孤立感を作り出す。
虐待が生み出す最大の、そして究極の影響力は、この安全保障のなさを学習し体験することで、それが日々の生活のベースラインとなってしまうことである。
対応
虐待問題はほとんどが密室で行われており、目撃することは非常に稀であろう。上記のような行動特性に気をつけて、常に子どもは被害にあう可能性を持つという視点を忘れないことである。
対応は、重症度と緊急性を判断して、親と子どもへの対応を検討し、他職種での役割分担から長期的支援と予防的対応が求められる。
生命的危機や問題の拡大が予測されるときは、迅速な対応が求められる。医療的に入院しての保護か、福祉・保健的な保護(児童相談所への一時保護など)か、あるいは通院、通所での支援かを検討することになる。
親への対応としては、親自身が、かつて虐待経験を持つ、子どもと関わる以前の未解決な課題を抱えている、生活上の不安が大きい、配偶者からの暴力に晒されているなど、さまざまな課題を持っている場合がある。単純に子どもを被害者、虐待する者を加害者と二分化せずに、虐待する者の心情を汲み取り、養育姿勢を全面否定せず、虐待という迷路から脱出したいのは、子どもだけではないということを信じて、共によい方向を見据える努力をする必要がある。
子どもへの対応では、常に日常の「安心感」が提供されるような配慮が必要であろう。結論を急がず、急速な改善を求めず、「日々の環境に包まれる心地よさ」の恢復を期待したい。そのためには、狭義の治療ではなく、生活全般のさまざまな場面で生じる他者へのささやかな配慮、気配り、目配り、そっとした声かけなどである。「治療場面」だけが、非日常的に心地よい状況を作り出してしまうのは、治療的に失敗と見て良いだろう。日常生活全体が在る意味治療的要素に満ちているともいえる。
しかし、子どもたちの挑発、挑戦はある時期際限なく繰り返される。この時大人が、強くたくましい姿を見せるのではなく、例えていえば凛として生き続ける姿を見せることが大切であろう。少なくともこれまで虐待をしてきた大人とは違う部分を明確に示す必要がある。問題と呼べる行為がどのようなものであっても、子どもたちの心底には、(いつか)大人たちに認めてもらいたいという願いがあるはずである。見返りを急がず、手応えのなさはこうした子どもたちの宿命と信じ、長い時間をかける覚悟が求められる。
言うは易く行うは難し、であることを克服するために、種々の関係機関との連携、ネットワークが求められる。個々人の力量に頼るだけでなく、互いに支えあう仲間作りが支援する側にも求められる。そこに生まれた「他者の力」への信頼感を、子どもたちや親へ提供することを、最終的な目標に置きたい。われわれは皆支えあって生きることが許される存在である。
関連項目
参考文献
- ↑ 池田由子
児童虐待の病理と臨床
金剛出版, 1979 - ↑ 厚生労働省 子ども虐待による死亡事例等の検証結果(第7次報告概要)及び児童虐待相談対応件数等
- ↑ 児童虐待に関する法令・指針等一覧
児童虐待における参考図書は非常に多岐にわたり、さらに職種や立場によってもその関心の力点が異なる。個々に当たっていただければ幸いである。
(執筆者:田中康雄 担当編集者:加藤忠史)