「補足眼野」の版間の差分

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 補足眼野は1987年にSchlagらによってサルの脳において命名された<ref name=ref6><pubmed>3559671</pubmed></ref>。しかし、既にその約半世紀以上も前に、脳外科医のPenfieldはヒトの手術中に補足運動野を電気刺激し、その前方部から眼球運動が誘発されることを報告していた<ref name=ref7>'''Penfield, W. & Welch, K.'''<br>The supplementary motor area in the cerebral cortex of man.<br>Transactions of the American Neurological Association 74, 179-184 (1949)</ref> <ref name=ref8><pubmed>14867993</pubmed></ref>。また、BrinkmanとPorterも、眼球運動に伴って活動する細胞をサルの補足運動野の吻側部に見出していた<ref name=ref9><pubmed>107282</pubmed></ref>。Schlagらは微小電気刺激法と単一神経細胞記録法を用いた系統的実験を行い、比較的低い強度(50μA以下)の電気刺激で急速眼球運動(サッケード、saccade)が誘発され、サッケード関連活動を示す神経細胞が多数存在する領域を同定し、補足眼野と命名した<ref name=ref6 /> <ref name=ref10><pubmed>3987850</pubmed></ref>。「Evidence for a supplementary eye field」というタイトルで発表されたその論文には、前頭眼野とは異なる補足眼野の生理学的特徴として、(1) 電気刺激で誘発されるサッケードの潜時が前頭眼野よりも長い、(2) 誘発されるサッケードがしばしば特定の空間部位に収束する(goal-directedあるいはconverging)、(3) 神経活動の上昇が自発サッケードの開始に長く先行する、などが記載されている。
 補足眼野は1987年にSchlagらによってサルの脳において命名された<ref name=ref6><pubmed>3559671</pubmed></ref>。しかし、既にその約半世紀以上も前に、脳外科医のPenfieldはヒトの手術中に補足運動野を電気刺激し、その前方部から眼球運動が誘発されることを報告していた<ref name=ref7>'''Penfield, W. & Welch, K.'''<br>The supplementary motor area in the cerebral cortex of man.<br>Transactions of the American Neurological Association 74, 179-184 (1949)</ref> <ref name=ref8><pubmed>14867993</pubmed></ref>。また、BrinkmanとPorterも、眼球運動に伴って活動する細胞をサルの補足運動野の吻側部に見出していた<ref name=ref9><pubmed>107282</pubmed></ref>。Schlagらは微小電気刺激法と単一神経細胞記録法を用いた系統的実験を行い、比較的低い強度(50μA以下)の電気刺激で急速眼球運動(サッケード、saccade)が誘発され、サッケード関連活動を示す神経細胞が多数存在する領域を同定し、補足眼野と命名した<ref name=ref6 /> <ref name=ref10><pubmed>3987850</pubmed></ref>。「Evidence for a supplementary eye field」というタイトルで発表されたその論文には、前頭眼野とは異なる補足眼野の生理学的特徴として、(1) 電気刺激で誘発されるサッケードの潜時が前頭眼野よりも長い、(2) 誘発されるサッケードがしばしば特定の空間部位に収束する(goal-directedあるいはconverging)、(3) 神経活動の上昇が自発サッケードの開始に長く先行する、などが記載されている。


 補足眼野は、大脳皮質の眼球運動野である前頭眼野や外側頭頂間野(LIP野)との解剖学的結合に加え、前頭連合野との結合が豊富である<ref name=ref11><pubmed>19189718</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>7683486</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>7540675</pubmed></ref> <ref name=ref14><pubmed></pubmed></ref>。また、線条体、視床、上丘、脳幹諸核など、皮質下の視覚・眼球運動関連領野との結合が強い<ref name=ref11 /> <ref name=ref15><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed></pubmed></ref>。補足眼野は、MST野、STSの多感覚領域、LIP野からの入力をうけるが、前頭眼野と比べると、その他の視覚前野からの入力は乏しい<ref name=ref11 /> <ref name=ref13 />。特に、いわゆる腹側視覚系はほとんど補足眼野に入力しないようである<ref name=ref13 />。一方、運動前野や補足運動野との結合は補足眼野の方が豊富である<ref name=ref11 />。
 補足眼野は、大脳皮質の眼球運動野である前頭眼野や外側頭頂間野(LIP野)との解剖学的結合に加え、前頭連合野との結合が豊富である<ref name=ref11><pubmed>19189718</pubmed></ref> <ref name=ref12><pubmed>7683486</pubmed></ref> <ref name=ref13><pubmed>7540675</pubmed></ref> <ref name=ref14><pubmed>15992955</pubmed></ref>。また、線条体、視床、上丘、脳幹諸核など、皮質下の視覚・眼球運動関連領野との結合が強い<ref name=ref11 /> <ref name=ref15><pubmed>2463179</pubmed></ref> <ref name=ref16><pubmed>2273101</pubmed></ref> <ref name=ref17><pubmed>1869632</pubmed></ref>。補足眼野は、MST野、STSの多感覚領域、LIP野からの入力をうけるが、前頭眼野と比べると、その他の視覚前野からの入力は乏しい<ref name=ref11 /> <ref name=ref13 />。特に、いわゆる腹側視覚系はほとんど補足眼野に入力しないようである<ref name=ref13 />。一方、運動前野や補足運動野との結合は補足眼野の方が豊富である<ref name=ref11 />。


 前頭眼野や上丘(superior colliculus)を電気刺激すると一定のベクトル成分をもつサッケード(constant-vector saccades)が誘発されるのに対し、補足眼野の電気刺激ではconstant-vector saccades以外に、特定の空間部位へ収束するサッケード(goal-directed saccadesあるいはconverging saccades)が誘発される<ref name=ref6 />。誘発サッケードの方向性に関する2領域間の機能的差異については異論もあるが<ref name=ref18><pubmed></pubmed></ref>、その後の研究によっても、補足眼野内の刺激部位に応じてconstant-vector saccadesやgoal-directed saccadesが誘発されることが確認された<ref name=ref19><pubmed></pubmed></ref>。これらの電気刺激結果は、補足眼野細胞が網膜中心座標に加え、非網膜中心座標(頭部・身体・外界中心座標の総称)を使ってサッケードをコードしていることを示唆する。頭部の運動に自由度をもたせて行った電気刺激実験の結果によれば、補足眼野で用いられる座標系は頭部中心座標が主体であった<ref name=ref20><pubmed></pubmed></ref>。一方、Olsonらは補足眼野の細胞活動を解析し、同部のサッケードのコーディングが、標的となる視物体を中心とした座標系object-centered coordinateで行われることを発見した<ref name=ref21><pubmed></pubmed></ref>。Olsonらの最新の研究結果は、補足眼野の基準座標系が細胞によって異なることを示唆している<ref name=ref22><pubmed></pubmed></ref>。
 前頭眼野や上丘(superior colliculus)を電気刺激すると一定のベクトル成分をもつサッケード(constant-vector saccades)が誘発されるのに対し、補足眼野の電気刺激ではconstant-vector saccades以外に、特定の空間部位へ収束するサッケード(goal-directed saccadesあるいはconverging saccades)が誘発される<ref name=ref6 />。誘発サッケードの方向性に関する2領域間の機能的差異については異論もあるが<ref name=ref18><pubmed>8385196</pubmed></ref>、その後の研究によっても、補足眼野内の刺激部位に応じてconstant-vector saccadesやgoal-directed saccadesが誘発されることが確認された<ref name=ref19><pubmed>16162836</pubmed></ref>。これらの電気刺激結果は、補足眼野細胞が網膜中心座標に加え、非網膜中心座標(頭部・身体・外界中心座標の総称)を使ってサッケードをコードしていることを示唆する。頭部の運動に自由度をもたせて行った電気刺激実験の結果によれば、補足眼野で用いられる座標系は頭部中心座標が主体であった<ref name=ref20><pubmed>15603747</pubmed></ref>。一方、Olsonらは補足眼野の細胞活動を解析し、同部のサッケードのコーディングが、標的となる視物体を中心とした座標系object-centered coordinateで行われることを発見した<ref name=ref21><pubmed>7638625</pubmed></ref>。Olsonらの最新の研究結果は、補足眼野の基準座標系が細胞によって異なることを示唆している<ref name=ref22><pubmed>17329630</pubmed></ref>。


 電気刺激で誘発されるサッケードに関する上記の議論は、補足眼野で用いられる運動の基準座標と関連付けられたものであったが、それら以外にも補足眼野の電気刺激はサッケードの遂行やプランニングに対して顕著な効果をもたらす。サッケードの準備期間中で、GO信号が与えられる直前に電気刺激を行うと、生成すべきサッケードが刺激部位とは反対側へ向う場合にはその運動の反応時間が短縮する<ref name=ref23><pubmed></pubmed></ref>。対照的に、GO信号の直後に加えた電気刺激では両側性にサッケードが抑制され(ただし同側優位のことが多い)、反応時間が延長する。これらの効果は補足眼野近傍に存在する前補足運動野への電気刺激効果と酷似しているが<ref name=ref24><pubmed></pubmed></ref>、得られる効果の空間選択性は補足眼野の方が高い<ref name=ref25><pubmed></pubmed></ref>。連続して提示される2つの視覚刺激の順序を記憶し、それに従って連続したサッケードを行うよう要求された課題では、記憶期間中に加えた電気刺激によって課題成績が悪化した<ref name=ref26><pubmed></pubmed></ref>。さらに、サッケードの指令撤回課題(saccade countermanding task)遂行中に補足眼野を電気刺激すると、サッケードの生成を中止すべき試行において成績が向上した<ref name=ref27><pubmed></pubmed></ref>。これは既に述べた電気刺激の反応時間遅延効果による可能性も考えられるが、同じ部位を同じパラメーターで電気刺激しても、視覚誘導性サッケード課題では反応時間の延長は認められなかった<ref name=ref27 />。
 電気刺激で誘発されるサッケードに関する上記の議論は、補足眼野で用いられる運動の基準座標と関連付けられたものであったが、それら以外にも補足眼野の電気刺激はサッケードの遂行やプランニングに対して顕著な効果をもたらす。サッケードの準備期間中で、GO信号が与えられる直前に電気刺激を行うと、生成すべきサッケードが刺激部位とは反対側へ向う場合にはその運動の反応時間が短縮する<ref name=ref23><pubmed>8741764</pubmed></ref>。対照的に、GO信号の直後に加えた電気刺激では両側性にサッケードが抑制され(ただし同側優位のことが多い)、反応時間が延長する。これらの効果は補足眼野近傍に存在する前補足運動野への電気刺激効果と酷似しているが<ref name=ref24><pubmed>15703225</pubmed></ref>、得られる効果の空間選択性は補足眼野の方が高い<ref name=ref25><pubmed></pubmed></ref>。連続して提示される2つの視覚刺激の順序を記憶し、それに従って連続したサッケードを行うよう要求された課題では、記憶期間中に加えた電気刺激によって課題成績が悪化した<ref name=ref26><pubmed></pubmed></ref>。さらに、サッケードの指令撤回課題(saccade countermanding task)遂行中に補足眼野を電気刺激すると、サッケードの生成を中止すべき試行において成績が向上した<ref name=ref27><pubmed></pubmed></ref>。これは既に述べた電気刺激の反応時間遅延効果による可能性も考えられるが、同じ部位を同じパラメーターで電気刺激しても、視覚誘導性サッケード課題では反応時間の延長は認められなかった<ref name=ref27 />。


 補足眼野はサッケード制御の多様な側面に関与する。特に、視物体とサッケード方向の連合学習<ref name=ref28><pubmed></pubmed></ref>、アンチサッケード(視物体とは反対方向へ向うサッケード)の生成<ref name=ref29><pubmed></pubmed></ref>、コンフリクト(複数の運動プログラムが拮抗している状態)の検出<ref name=ref30><pubmed></pubmed></ref>(ただし、サッケード関連活動の修飾という形をとることが多い<ref name=ref31><pubmed></pubmed></ref>)、サッケード遂行後に受け取る報酬や報酬予測誤差の表現<ref name=ref30 /> <ref name=ref32><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed></pubmed></ref>、サッケードの順序制御<ref name=ref35><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref38><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed></pubmed></ref>、数百msオーダーの待機時間経過処理<ref name=ref39 />, <ref name=ref40><pubmed></pubmed></ref>、手と眼の協調運動制御<ref name=ref41><pubmed></pubmed></ref>、報酬に基づくサッケード方向の選択過程<ref name=ref42><pubmed></pubmed></ref>への関与が重要である。補足眼野の細胞応答は前頭眼野のそれよりもかなり状況依存的である。このような補足眼野の広範囲に及ぶ機能を一元的に説明する機能仮説は、現在までのところ提唱されていない。
 補足眼野はサッケード制御の多様な側面に関与する。特に、視物体とサッケード方向の連合学習<ref name=ref28><pubmed></pubmed></ref>、アンチサッケード(視物体とは反対方向へ向うサッケード)の生成<ref name=ref29><pubmed></pubmed></ref>、コンフリクト(複数の運動プログラムが拮抗している状態)の検出<ref name=ref30><pubmed></pubmed></ref>(ただし、サッケード関連活動の修飾という形をとることが多い<ref name=ref31><pubmed></pubmed></ref>)、サッケード遂行後に受け取る報酬や報酬予測誤差の表現<ref name=ref30 /> <ref name=ref32><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed></pubmed></ref>、サッケードの順序制御<ref name=ref35><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref36><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref38><pubmed></pubmed></ref> <ref name=ref39><pubmed></pubmed></ref>、数百msオーダーの待機時間経過処理<ref name=ref39 />, <ref name=ref40><pubmed></pubmed></ref>、手と眼の協調運動制御<ref name=ref41><pubmed></pubmed></ref>、報酬に基づくサッケード方向の選択過程<ref name=ref42><pubmed></pubmed></ref>への関与が重要である。補足眼野の細胞応答は前頭眼野のそれよりもかなり状況依存的である。このような補足眼野の広範囲に及ぶ機能を一元的に説明する機能仮説は、現在までのところ提唱されていない。