「錯覚」の版間の差分

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 以上のように、錯覚、幻覚、妄想は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語あるいは一般の辞書類では曖昧に用いられる場合がある。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、英語の"illusion"の説明ではあるが、錯覚、幻覚、妄想は類縁の概念であることがわかる。
 以上のように、錯覚、幻覚、妄想は学問的には明確に区別できるものであるが、日常用語あるいは一般の辞書類では曖昧に用いられる場合がある。たとえば、研究社 新英和大辞典 第5版によれば、"illusion"は「1 幻覚、幻影、幻(cf. hallucination) 2 幻想、妄想、迷想、迷い、誤解(delusion) 3 〘心理〙錯覚:an optical~ 錯視」となっていて、英語の"illusion"の説明ではあるが、錯覚、幻覚、妄想は類縁の概念であることがわかる。


 錯覚は知覚と知識が一致しない場合の知覚であるから、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視(図1)[[ファイル:Rotsnakesstrong6b.jpg|thumb|300px|'''図1 静止画が動いて見える錯視の例。<br>最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視を用いた作品「蛇の回転」(北岡, 2013)。円盤がひとりでに回転して見える。明るくてコントラストの高い刺激で錯視は強く、中心視で錯視は弱い。''']]を観察しても、その画像は動画であると認識していれば、その観察者にとっては錯視(視知覚性の錯覚)ではない。つまり、錯覚は知覚でありながら、その定義が観察者の知識に左右されるという点で、客観性が低く感じられる概念である。ところが、多くの観察者が一致して比較的一定の範囲の知覚を錯覚と呼ぶことと、錯覚を研究することで知覚や認知のメカニズムが明らかになるかもしれないという期待から、心理学においてはその初期(19世紀後半)より錯覚を研究の対象としてきた。
 
(以下、修正予定)
 錯覚は知覚と知識が一致しない場合の知覚であるから、同じ刺激で同じ知覚が得られたとしても、ある人にとっては錯覚であり、別の人には普通の知覚であることがある。たとえば、静止画が動いて見える錯視(図1)[[ファイル:Rotsnakesstrong6b.jpg|thumb|300px|'''図1 静止画が動いて見える錯視の例。最適化型フレーザー・ウィルコックス錯視を用いた作品「蛇の回転」(北岡, 2013)。円盤がひとりでに回転して見える。明るくてコントラストの高い刺激で錯視は強く、中心視で錯視は弱い。''']]を観察しても、その画像は動画であると認識していれば、その観察者にとっては錯視(視知覚性の錯覚)ではない。つまり、錯覚は知覚でありながら、その定義が観察者の知識に左右されるという点で、客観性が低く感じられる概念である。ところが、多くの観察者が一致して比較的一定の範囲の知覚を錯覚と呼ぶことと、錯覚を研究することで知覚や認知のメカニズムが明らかになるかもしれないという期待から、心理学においてはその初期(19世紀後半)より錯覚を研究の対象としてきた。
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