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英語名:viral vector 独:Viraler Vektor 仏:vecteur viral
英語名:viral vector 独:Viraler Vektor 仏:vecteur viral


{{box|text= イントロとは別に一段落程度の抄録をお願い致します。}}
{{box|text= 細胞に吸着したウイルスは、自らのゲノムを細胞内に送り込み、細胞がもつ転写翻訳機構を利用してゲノムを複製し増殖する。遺伝子操作により、複製および増殖能を欠損させたウイルス(増殖力欠損株)や、複製・増殖能の一部を保持したウイルスに外来遺伝子を組み込み、効率的に目的の遺伝子を細胞へ導入し発現させる能力を利用したものをウイルスベクターという。細胞への遺伝子導入効率は、エレクトロポレーションやリン酸カルシウム法などの物理化学的な導入法よりはるかに優れており、遺伝子導入が困難な生体ニューロンへの遺伝子発現実験や遺伝子治療に広く使用されている。}}


==ウイルスベクターとは==
==イントロダクション==
 細胞に吸着したウイルスは、自らのゲノムを細胞内に送り込み、細胞がもつ転写翻訳機構を利用してゲノムを複製し増殖する。遺伝子操作により、複製および増殖能を欠損させたウイルス(増殖力欠損株)や、複製・増殖能の一部を保持したウイルスに外来遺伝子を組み込み、効率的に目的の遺伝子を細胞へ導入し発現させる能力を利用したものをウイルスベクターという。細胞への遺伝子導入効率は、エレクトロポレーションやリン酸カルシウム法などの物理化学的な導入法よりはるかに優れており、遺伝子導入が困難な生体ニューロンへの遺伝子発現実験や遺伝子治療に広く使用されている。
 ウイルスベクターを用いると、培養細胞や生体に効率的に外来遺伝子を導入することができるため、1970年代ごろから開発がはじまり、90年代には先天性酵素欠損に対する遺伝子治療用ベクターとしてアデノウイルスベクターが世界中で使用されるようになった。1999年にアデノウイルスベクターの大量投与による患者死亡が報告され、また2000年代になり、レトロウイルスベクターを用いた先天性免疫不全症に対する遺伝子治療後に白血病が発症したことで、ウイルスベクターを用いた遺伝子治療は停滞期に入った。しかし2008年以降、レンチウイルスベクターやアデノ随伴ウイルスベクターを用いた単一遺伝子疾患に対する遺伝子治療の成功例が相次ぎ、遺伝子治療研究と臨床応用が再興期に入った。時期を同じくして発見され、大きく進展したゲノム編集技術における遺伝子導入用ツールとしてウイルスベクターが爆発的に使われるようになり、近年、基礎研究はもちろん、トランスレーショナルリサーチ、遺伝子治療におけるウイルスベクターの重要性は飛躍的に高まっている。


== 作製の概要 ==
== 作製の概要 ==
 複製等に関与する非構造タンパク質をコードしている領域および、[[カプシド]]などの構造タンパク質をコードしている領域を欠損し、代わりに目的の遺伝子を挿入したウイルス[[プラスミド]]と、非構造タンパク質と構造タンパク質を供給するプラスミド(さらにウイルスによっては別に必要となる遺伝子を供給するプラスミド)を、[[HEK293細胞]]や[[NIH3T3細胞]]などの[[培養細胞]]に同時に導入し、細胞内でウイルス粒子を産生させる。産生されたウイルスはウイルスプラスミドに組み込んだ目的遺伝子をもつが、非構造タンパク質および構造タンパク質をコードする遺伝子を欠損するため、細胞に吸着・侵入して目的の遺伝子を発現するが、複製・増殖能はない。
 複製等に関与する非構造タンパク質をコードしている領域および、[[カプシド]]などの構造タンパク質をコードしている領域を欠損し、代わりに目的の遺伝子を挿入したウイルス[[プラスミド]]と、非構造タンパク質と構造タンパク質を供給するプラスミド(さらにウイルスによっては別に必要となる遺伝子を供給するプラスミド)を、[[HEK293細胞]]や[[NIH3T3細胞]]などの[[培養細胞]]に同時に導入し、細胞内でウイルス粒子を産生させる。産生されたウイルスはウイルスプラスミドに組み込んだ目的遺伝子をもつが、(一部の腫瘍治療用ウイルスを除き)非構造タンパク質および構造タンパク質をコードする遺伝子を欠損するため、細胞に吸着・侵入して目的の遺伝子を発現するが、複製・増殖能はない。


== 種類 ==
== 種類 ==
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{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+ 表1.ベクターとして利用される代表的なウイルス
|+ 表1.ベクターとして利用される代表的なウイルス
! 種類 !! アデノウイルス !! シンドビスウイルス、セムリキ森林ウイルス !! レトロウイルス !! レンチウイルス !! 狂犬病ウイルス !! センダイウイルス !! アデノ随伴ウイルス
! 種類 !! アデノウイルス !! シンドビスウイルス、セムリキ森林ウイルス !! 単純ヘルペスウィルス !!レトロウイルス !! レンチウイルス !! 狂犬病ウイルス !! センダイウイルス !! アデノ随伴ウイルス
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| 分類 || アデノウイルス科、マストアデノウイルス属 || トガウイルス科、アフファウイルス属 || レトロウイルス科、オンコウイルス亜科 || レトロウイルス科、レンチウイルス亜科 || ラブドウイルス科、リッサウイルス属 || パラミクソウイルス科、レスピロウイルス属(マウスパラインフルエンザ1型ウイルス) || パルボウイルス科、ディペンドウイルス属
| 分類 || アデノウイルス科、マストアデノウイルス属 || トガウイルス科、アフファウイルス属 || ヘルペスウイルス科、アルファヘルペスウイルス亜科、シンプレックスウイルス属 || レトロウイルス科、オンコウイルス亜科、ヘルペスウイルス科、アルファヘルペスウイルス亜科、シンプレックスウイルス属 || レトロウイルス科、レンチウイルス亜科 || ラブドウイルス科、リッサウイルス属 || パラミクソウイルス科、レスピロウイルス属(マウスパラインフルエンザ1型ウイルス) || パルボウイルス科、ディペンドウイルス属
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| 疾患 || カゼ症候群 || 関節炎、発疹、発熱 || マウス白血病 || AIDS || 狂犬病 || マウス肺炎 || 病原性なし
| 疾患 || カゼ症候群 || 関節炎、発疹、発熱 || 口内炎、角膜炎、脳炎 || マウス白血病 || AIDS || 狂犬病 || マウス肺炎 || 病原性なし
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| 核酸 || 2本鎖DNA || 1本鎖RNA +鎖 || 1本鎖RNA +鎖 || 1本鎖RNA +鎖 || 1本鎖RNA -鎖 || 1本鎖RNA -鎖 || 1本鎖DNA
| 核酸 || 2本鎖DNA || 1本鎖RNA +鎖 || 2本鎖DNA || 1本鎖RNA +鎖 || 1本鎖RNA +鎖 || 1本鎖RNA -鎖 || 1本鎖RNA -鎖 || 1本鎖DNA
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| 形態 || 正20面体カプシド || 正20面体カプシド || 正20面体 || 正20面体 || 円筒形 || 多形らせんヌクレオカプシド || 正20面体カプシド
| 形態 || 正20面体カプシド || 正20面体カプシド || 正20面体カプシド || 正20面体 || 正20面体 || 円筒形 || 多形らせんヌクレオカプシド || 正20面体カプシド
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| 大きさ(nm) || 70-90 || 約70 || 80-100 || 80-100 || 180(長)、75(径) || 150-250  || 18-26
| 大きさ(nm) || 70-90 || 約70 || 100-150 || 80-100 || 80-100 || 180(長)、75(径) || 150-250  || 18-26
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| エンベロープ || なし || colspan="5" style="text-align:center;" |あり ||  なし
| エンベロープ || colspan="3" style="text-align:center;" |なし || colspan="2" style="text-align:center;" |あり ||  colspan="2" style="text-align:center;" |なし || あり(ベクターでは「なし」)*
|}
|}
* 野生型アデノ随伴ウイルスでは''Rep''依存的に宿主細胞の第19番染色体への組込みが起こるが、ベクターでは''Rep''遺伝子を欠損するため組込みはほぼ起こらない。




{| class="wikitable"
{| class="wikitable"
|+ 表2.遺伝子導入に使用される代表的なウイルスベクターの性質
! 由来 !! アデノウイルス !! シンドビスウイルス !! センダイウイルス !! レトロウイルス !! レンチウイルス !! アデノ随伴ウイルス
! 由来 !! アデノウイルス !! シンドビスウイルス !! センダイウイルス !! レトロウイルス !! レンチウイルス !! アデノ随伴ウイルス
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| 物理的封じ込め || colspan="5" style="text-align:center;" | P2 || P1(普通の実験室)
| 物理的封じ込め || colspan="5" style="text-align:center;" | P2 || P1(普通の実験室)
|-
|-
| 搭載可能 || 8~30 kb || || 4.5 kb || 8 kb || 8 kb || 4.7 kb
| 搭載可能DNAサイズ* || 8~30 kb || 11.7kb || 4.5 kb || 8 kb || 8 kb || 4.7 kb
|}
|}
* パッケージングに必要な配列やプロモーター、ポリアデニレーションシグナル等を含む。
=== アデノウイルスベクター ===
=== アデノウイルスベクター ===
 小児に感冒を引き起こす[[ヒト]][[アデノウイルス]] 5型が主に利用されている。ウイルス[[ゲノム]]([[DNA]])は核移行するがホストゲノムに組み込まれずに[[転写]]・[[翻訳]]される。アデノウイルスの増殖にはE1AとE1B領域が必須であるが、これらを発現させたい外来遺伝子と置換し、さらに増殖には不必要なE3領域も欠損させている<ref>'''斎藤 泉'''<br>次世代アデノウイルスベクターの開発状況と展望<br>ウイルス: 47:231-8:1997 doi 10.2222/jsv.47.231</ref>。パッケージングされる部分を残して全て外来遺伝子に置換したウイルスプラスミドを、E1AとE1Bを持続発現しているHEK293細胞に導入することでウイルス粒子が産生され、細胞外に放出される。産生されたウイルス粒子はE1A遺伝子機能をもたないので複製できず非増殖型である。
 小児に感冒を引き起こす[[ヒト]][[アデノウイルス]] 5型が主に利用されている。ウイルス[[ゲノム]]([[DNA]])は核移行するがホストゲノムに組み込まれずに[[転写]]・[[翻訳]]される。アデノウイルスの増殖にはE1AとE1B領域が必須であるが、これらを発現させたい外来遺伝子と置換し、さらに増殖には不必要なE3領域も欠損させている<ref>'''斎藤 泉'''<br>次世代アデノウイルスベクターの開発状況と展望<br>ウイルス: 47:231-8:1997 doi 10.2222/jsv.47.231</ref>。パッケージングされる部分を残して全て外来遺伝子に置換したウイルスプラスミドを、E1AとE1Bを持続発現しているHEK293細胞に導入することでウイルス粒子が産生され、細胞外に放出される。産生されたウイルス粒子はE1A遺伝子機能をもたないので複製できず非増殖型である。
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 ITR間の[[Rep]]、[[Cap]]の2つの遺伝子を取り除き、そのスペースにプロモーターと目的の遺伝子を挿入したベクタープラスミドを作製する('''図2''')。Rep、Cap(ウイルス複製やカプシド形成に必要なタンパク質)は別のプラスミドで供給する。またアデノウイルスのヘルパー作用としてE1A、E1B、E2A、VA、E4遺伝子が必要となるが、このうちE1AとE1BはHEK293細胞(E1AとE1Bでトランスフォームしている)から、残りのE2A、E4、VAはヘルパープラスミドとして供給する。これら3つのプラスミドでHEK293細胞をトランスフェクションすると、Rep、Cap遺伝子はもたずITR間の外来遺伝子のみをもつウイルス粒子が産生される。粒子は核内に存在するため細胞を凍結融解し、[[wj:塩化セシウム|塩化セシウム]]を用いた密度勾配超遠心法を用いて精製する。
 ITR間の[[Rep]]、[[Cap]]の2つの遺伝子を取り除き、そのスペースにプロモーターと目的の遺伝子を挿入したベクタープラスミドを作製する('''図2''')。Rep、Cap(ウイルス複製やカプシド形成に必要なタンパク質)は別のプラスミドで供給する。またアデノウイルスのヘルパー作用としてE1A、E1B、E2A、VA、E4遺伝子が必要となるが、このうちE1AとE1BはHEK293細胞(E1AとE1Bでトランスフォームしている)から、残りのE2A、E4、VAはヘルパープラスミドとして供給する。これら3つのプラスミドでHEK293細胞をトランスフェクションすると、Rep、Cap遺伝子はもたずITR間の外来遺伝子のみをもつウイルス粒子が産生される。粒子は核内に存在するため細胞を凍結融解し、[[wj:塩化セシウム|塩化セシウム]]を用いた密度勾配超遠心法を用いて精製する。
=== 単純ヘルペスウイルスベクター ===
 単純ヘルペスウイルス(HSV)1型は宿主細胞に対する毒性が強く、病原性に関与するウイルス遺伝子の研究が進んでいることから、ウイルス療法(oncolytic virus therapy)として腫瘍の治療に用いられている。腫瘍治療用ウイルスは増殖型ウイルスであり腫瘍内で複製能を保持しているが、正常組織では病原性が最小限に抑えられるように遺伝子操作が加えられている。腫瘍細胞に感染したウイルスは細胞内で増殖し、感染細胞は死滅する。増殖したウイルスは周囲に散らばり、周囲の腫瘍細胞に感染、細胞死誘導を繰り返す。HSVは任意の遺伝子を搭載するベクターとして利用することも可能で、癌治療に効果のある外来遺伝子を発現させることで治療効果を増強することができる。
 非増殖型HSVベクターも開発されている。70以上あるHSV遺伝子の発現はカスケード状に制御されていることが知られているが、最初に発現する5つのα遺伝子のうちα4とα27遺伝子産物がウイルス増殖に必須である<ref><pubmed>10774195 </pubmed></ref>。またウイルスゲノムが宿主細胞の核内に入るにはいくつかの最初期遺伝子の発現が不可欠である。α4、α22、α27遺伝子を欠損させたベクター(α4とα27遺伝子を発現する細胞でのみ増殖可能)や、核移行に必須な最初期遺伝子を欠損させた非増殖型HSVベクターが開発されている<ref name=Glorioso2009><pubmed>15487938 </pubmed></ref><ref><pubmed>10023438 </pubmed></ref>。HSVは皮膚感染後に知覚神経終末から侵入し、逆行性軸索輸送を経て後根神経節に運ばれ潜伏する。潜伏中のHSVはLAT(Latency associated transcript)と呼ばれる転写物を恒常的に発現する。この性質を利用し、LATプロモーター制御下で侵害受容性神経伝達を修飾する分子を発現する非増殖型HSVベクターを後根神経節に持続感染させ、慢性痛を軽減させる遺伝子治療研究がなされている<ref name=Glorioso2009/>。


==参考文献==
==参考文献==
<references/>
<references/>

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