「シングルセルRNAシーケンシング」の版間の差分

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===scRNA-seqの現状===
===scRNA-seqの現状===
その後、5’末端側も含めた完全長cDNAを増幅するscRNA-seqのプロトコールが考案された。特に、SMART-seq(Switch mechanism at the 5' End of RNA Templates)<ref><pubmed>22820318</pubmed></ref>およびその改良されたプロトコールであるSMART-seq2<ref><pubmed>24056875</pubmed></ref> <ref><pubmed>24385147</pubmed></ref>の使用例が多い(既に、SMART-seq3という改良プロトコールもある[https://doi.org/10.1101/817924])。また、類似法としてSTRT(single-cell tagged reverse transcription)<ref><pubmed>21543516</pubmed></ref>がある。更に、MARS-seq(Massively parallel single-cell RNA-seq)<ref><pubmed>24531970 </pubmed></ref>、CEL-seq(Cell Expression by Linear amplification and Sequencing)<ref><pubmed>22939981</pubmed></ref>、CEL-seq2<ref><pubmed> 27121950 </pubmed></ref>では、[[T7 RNAポリメラーゼ]]による[[in vitro転写]]を用いることにより、PCRで顕著な増幅バイアスを減少させようとしている。
その後、5’末端側も含めた完全長cDNAを増幅するscRNA-seqのプロトコールが考案された。特に、SMART-seq(Switch mechanism at the 5' End of RNA Templates)<ref><pubmed>22820318</pubmed></ref>およびその改良されたプロトコールであるSMART-seq2<ref><pubmed>24056875</pubmed></ref> <ref><pubmed>24385147</pubmed></ref>の使用例が多い(既に、SMART-seq3という改良プロトコールもある[https://doi.org/10.1101/817924] Single-cell RNA counting at allele and isoform resolution using Smart-seq3
)。また、類似法としてSTRT(single-cell tagged reverse transcription)<ref><pubmed>21543516</pubmed></ref>がある。更に、MARS-seq(Massively parallel single-cell RNA-seq)<ref><pubmed>24531970 </pubmed></ref>、CEL-seq(Cell Expression by Linear amplification and Sequencing)<ref><pubmed>22939981</pubmed></ref>、CEL-seq2<ref><pubmed> 27121950 </pubmed></ref>では、[[T7 RNAポリメラーゼ]]による[[in vitro転写]]を用いることにより、PCRで顕著な増幅バイアスを減少させようとしている。


増幅バイアス除去のアプローチとして特に重要なのは、2011年に発表された分子識別子(unique molecular identifiers: UMI)を持つcDNAを増幅させ、NGS後の情報処理を用いる方法である<ref><pubmed>22101854</pubmed></ref>。この方法では逆転写反応の際、ランダムなUMIをcDNA末端に付加した後、増幅反応、NGSを行い、cDNA配列とUMI配列の両方を読む。同一のUMIを持っていれば、逆転写時に同一のcDNA由来とカウントする。UMIをカウントすることで、増幅前のmRNAのコピー数を知ることができる<ref><pubmed>21543516</pubmed></ref><ref><pubmed>24363023</pubmed></ref><ref><pubmed>28192419</pubmed></ref> <ref><pubmed>29474909</pubmed></ref><ref><pubmed> 28818938 </pubmed></ref><ref><pubmed>29545511</pubmed></ref>。2013年には、このような1細胞のシーケンシング技術が、Nature Methods誌のMethod of the Year に選ばれた[https://www.nature.com/collections/mysbdwgfll]。
増幅バイアス除去のアプローチとして特に重要なのは、2011年に発表された分子識別子(unique molecular identifiers: UMI)を持つcDNAを増幅させ、NGS後の情報処理を用いる方法である<ref><pubmed>22101854</pubmed></ref>。この方法では逆転写反応の際、ランダムなUMIをcDNA末端に付加した後、増幅反応、NGSを行い、cDNA配列とUMI配列の両方を読む。同一のUMIを持っていれば、逆転写時に同一のcDNA由来とカウントする。UMIをカウントすることで、増幅前のmRNAのコピー数を知ることができる<ref><pubmed>21543516</pubmed></ref><ref><pubmed>24363023</pubmed></ref><ref><pubmed>28192419</pubmed></ref> <ref><pubmed>29474909</pubmed></ref><ref><pubmed> 28818938 </pubmed></ref><ref><pubmed>29545511</pubmed></ref>。2013年には、このような1細胞のシーケンシング技術が、Nature Methods誌のMethod of the Year に選ばれた[https://www.nature.com/collections/mysbdwgfll]。
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しかしながら、もっとも重要なscRNA-seqの方法論についての進歩は、2015年、Harvard Medical Schoolの独立した2つのグループが、inDrop<ref><pubmed>26000487</pubmed></ref>そしてDrop-seq<ref><pubmed>26000488 </pubmed></ref>という類似した2つの高スループットな方法を開発したことであろう。これらの方法では、[[マイクロ流体力学]] (Microfluidics) 、 UMI(上述)と細胞ごとのCell Barcodeという2種類のDNAバーコーディング、そしてNGSと情報解析を利用している。そして、多く細胞のサンプル調製の自動化と容易さから、1つの細胞あたりに要するコストを大幅に低下させることに成功した(Drop-seqは発表時で、1細胞あたり約5セント)。つまり、細胞1つずつをマイクロ流体力学によるエマルジョン技術を利用した装置に流入させ、その1細胞を1つのDroplet(油中水滴)に自動的に閉じ込める。そのDroplet中には、DropletごとにCell barcode/UMIとしてユニークなDNAバーコードを持つゲルビーズ(Gel Beads in Emulsion, GEMs)が入っており、それを足場に3’末端のみを標的にしたcDNA合成反応を実施することで、同じ細胞に含まれていたmRNAが同じCell barcodeを持つcDNAとして合成され、そのmRNA/cDNAが由来した細胞を識別できるということを利用している(図1)。なお、DropSeqはコストが低いが、細胞の取得率と検出感度が低い弱点がある。inDropはDropSeqより細胞取得率が高く、パラメータを調整することにより、低レベルで発現される遺伝子の検出にも有利であるとされる<ref><pubmed>30472192</pubmed></ref>。
しかしながら、もっとも重要なscRNA-seqの方法論についての進歩は、2015年、Harvard Medical Schoolの独立した2つのグループが、inDrop<ref><pubmed>26000487</pubmed></ref>そしてDrop-seq<ref><pubmed>26000488 </pubmed></ref>という類似した2つの高スループットな方法を開発したことであろう。これらの方法では、[[マイクロ流体力学]] (Microfluidics) 、 UMI(上述)と細胞ごとのCell Barcodeという2種類のDNAバーコーディング、そしてNGSと情報解析を利用している。そして、多く細胞のサンプル調製の自動化と容易さから、1つの細胞あたりに要するコストを大幅に低下させることに成功した(Drop-seqは発表時で、1細胞あたり約5セント)。つまり、細胞1つずつをマイクロ流体力学によるエマルジョン技術を利用した装置に流入させ、その1細胞を1つのDroplet(油中水滴)に自動的に閉じ込める。そのDroplet中には、DropletごとにCell barcode/UMIとしてユニークなDNAバーコードを持つゲルビーズ(Gel Beads in Emulsion, GEMs)が入っており、それを足場に3’末端のみを標的にしたcDNA合成反応を実施することで、同じ細胞に含まれていたmRNAが同じCell barcodeを持つcDNAとして合成され、そのmRNA/cDNAが由来した細胞を識別できるということを利用している(図1)。なお、DropSeqはコストが低いが、細胞の取得率と検出感度が低い弱点がある。inDropはDropSeqより細胞取得率が高く、パラメータを調整することにより、低レベルで発現される遺伝子の検出にも有利であるとされる<ref><pubmed>30472192</pubmed></ref>。
[http://www.youtube.com/watch?v=fHq9ewdYEWM]
[http://www.youtube.com/watch?v=fHq9ewdYEWM]
DropSeqのセットアップはDolomite Bio ([https://www.dolomite-bio.com])、inDropは1 Cellbio社から販売されている[https://1cell-bio.com]。しかし、特に重要なのは10xGenomics社が同様の原理を用いた「Chromium」と命名された機器と試薬のシステムを市販することで、多くの研究者に利用できることになったことである[https://www.10xgenomics.com/jp/]。Svenssonらによる最近のデータベース[https://doi.org/10.1101/742304], [http://www.nxn.se/single-cell-studies/gui]では、scRNA-seqを用いた論文で用いられた方法について調査しているが、この数年、10xGenomics社Chromiumを用いた論文が飛躍的に増加し、scRNA-seqの方法として一般的になりつつあることがわかる(現在、10XGenomics社とBioRad社の間で関連特許をめぐる係争がある。)。このシステムは市販であるので導入が容易であり、DropSeqやinDropに比べ多くの転写産物の高感度検出が可能であるが、ランニングコストは高い<ref><pubmed>30472192</pubmed></ref>
DropSeqのセットアップはDolomite Bio ([https://www.dolomite-bio.com])、inDropは1 Cellbio社から販売されている[https://1cell-bio.com]。しかし、特に重要なのは10x Genomics社が同様の原理を用いた「Chromium」と命名された機器と試薬のシステムを市販することで、多くの研究者に利用できることになったことである[https://www.10xgenomics.com/jp/]。Svenssonらによる最近のデータベース[https://doi.org/10.1101/742304], [http://www.nxn.se/single-cell-studies/gui]では、scRNA-seqを用いた論文で用いられた方法について調査しているが、この数年、10x Genomics社Chromiumを用いた論文が飛躍的に増加し、scRNA-seqの方法として一般的になりつつあることがわかる(現在、10x Genomics社とBioRad社の間で関連特許をめぐる係争がある。)。このシステムは市販であるので導入が容易であり、DropSeqやinDropに比べ多くの転写産物の高感度検出が可能であるが、ランニングコストは高い<ref><pubmed>30472192</pubmed></ref>。なお、3’エンドリード法だけでなく、N末端側に位置する抗体の可変領域などの検出には5’エンドリード法が利用されることがある。
[[ファイル:ScRNAseqFig1.jpg|サムネイル|250px|'''図1.Droplet使用の3’エンドリード法 '''<br>組織から解離させた細胞それぞれを、マイクロ流体力学を利用した装置で、バーコードプライマーが結合したゲルビーズとともにオイルドロップレットに封じ込める(本文参照)]]
[[ファイル:ScRNAseqFig1.jpg|サムネイル|250px|'''図1.Droplet使用の3’エンドリード法 '''<br>組織から解離させた細胞それぞれを、マイクロ流体力学を利用した装置で、バーコードプライマーが結合したゲルビーズとともにオイルドロップレットに封じ込める(本文参照)]]


==scRNA-seqの実際==
==scRNA-seqの実際==
ここでは主流になっている10xGenomics社のChromiumを用いた方法とSMART-seq2などを用いた方法に共通する方法の実際について俯瞰する。scRNA-seqの利用には、4つのステップがある(図2)<ref><pubmed>30089861</pubmed></ref>。1)個体や組織を採集し、そこから細胞あるいは細胞核を個別にすること。2)ChromiumやSMART-seq2などによる個々の細胞からのライブラリーの作製とNGS。3)前処理(preprocessing、得られた配列の整理)。4)ダウンストリーム解析(生物学的な情報を得るコンピューター生物学)。これらのうち、2)の段階については、上に記述したように市販の機器や試薬を利用する機会が多くなっているので、そのためのマニュアル等が参考になるはずである。
ここでは主流になっている10x Genomics社のChromiumを用いた方法とSMART-seq2などを用いた方法に共通する方法の実際について俯瞰する。scRNA-seqの利用には、4つのステップがある(図2)<ref><pubmed>30089861</pubmed></ref>。1)個体や組織を採集し、そこから細胞あるいは細胞核を個別にすること。2)ChromiumやSMART-seq2などによる個々の細胞からのライブラリーの作製とNGS。3)前処理(preprocessing、得られた配列の整理)。4)ダウンストリーム解析(生物学的な情報を得るコンピューター生物学)。これらのうち、2)の段階については、上に記述したように市販の機器や試薬を利用する機会が多くなっているので、そのためのマニュアル等が参考になるはずである。
  [[ファイル:ScRNAseqFig2.jpg|サムネイル|250px|'''図2.scRNA-seqの実際のステップ '''<br>細胞の単離、ライブラリ作製とNGS、データの前処理から次元圧縮、ダウンストリーム解析。図の一部は2016 DBCLS TogoTV、あるいはR-studio/Seuratを用いて10xGenomics社のPBMCデータ([https://support.10xgenomics.com/single-cell-gene-expression/datasets]から執筆者が作製。]]
  [[ファイル:ScRNAseqFig2.jpg|サムネイル|250px|'''図2.scRNA-seqの実際のステップ '''<br>細胞の単離、ライブラリ作製とNGS、データの前処理から次元圧縮、ダウンストリーム解析。図の一部は2016 DBCLS TogoTV、あるいはR-studio/Seuratを用いて10x Genomics社のPBMCデータ([https://support.10xgenomics.com/single-cell-gene-expression/datasets]から執筆者が作製。]]


===組織からの細胞、細胞核の分離===
===組織からの細胞、細胞核の分離===
血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって解離することで、生組織から状態の良いバラバラになった細胞を調製する必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ここで、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである<ref><pubmed>27090946</pubmed></ref>。例えば、脳の[[ミクログリア]]の解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった<ref><pubmed>30471926</pubmed></ref>。また、このような現象を抑制するために、酵素処理時に転写阻害剤である[[アクチノマイシン]]で処理したり<ref><pubmed>29024657</pubmed></ref>、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている<ref><pubmed>28851704</pubmed></ref>。また、細胞解離後に、メタノールで固定しscRNA-seqに使用することも可能である<ref><pubmed>28526029</pubmed></ref>。
血液細胞のように浮遊した細胞ではない場合、物理的あるいは酵素処理などによって解離することで、生組織から状態の良いバラバラになった細胞を調製する必要がある。神経系組織の酵素処理には、パパインを用いる方法が広く用いられている。ここで、しばしば問題となるのが、酵素処理のため短時間加温することで、発現量が変化する遺伝子が存在することである<ref><pubmed>27090946</pubmed></ref>。例えば、脳の[[ミクログリア]]の解析には、低温下で組織をホモゲナイズするなどの工夫が必要であった<ref><pubmed>30471926</pubmed></ref>。また、このような現象を抑制するために、酵素処理時に転写阻害剤である[[アクチノマイシン]]で処理したり<ref><pubmed>29024657</pubmed></ref>、ヒマラヤ氷河から得られた細菌Bacillus licheniformisから得られた低温プロテアーゼを用いる方法も報告されている<ref><pubmed>28851704</pubmed></ref>。また、細胞解離後に、メタノールで固定しscRNA-seqに使用することも可能である<ref><pubmed>28526029</pubmed></ref>。


単離した細胞は、そのまま10xGenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体や蛍光タンパク質レポーターなどを用いたFACS、[[パニング]]、MACS(磁気ビーズカラム)などによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の選択的濃縮や除去を行う場合もある。更に、抗体に抗体表示バーコードDNAをカップリングさせるCITE-seq(Cellular Indexing of Transcriptomes and Epitopes by Sequencing) については、下記のマルチモーダルなオミクスの項目で述べる。
単離した細胞は、そのまま10x GenomicsのChromiumのプラットフォームに導入することができるが、抗体や蛍光タンパク質レポーターなどを用いたFACS、[[パニング]]、MACS(磁気ビーズカラム)などによる特定のマーカーを細胞表面などに発現する細胞の選択的濃縮や除去を行う場合もある。更に、抗体に抗体表示バーコードDNAをカップリングさせるCITE-seq(Cellular Indexing of Transcriptomes and Epitopes by Sequencing) については、下記のマルチモーダルなオミクスの項目で述べる。


なお、ヒト組織や希少生物などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、scRNA-seqの変法として、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するsnRNA-seq (single-nucleus RNA-seq)が利用されている。ただ、snRNA-seqでは、FACSなどによる特定細胞集団の同定が困難であることが多く、細胞質を持つ生細胞を利用した場合と同等な結果が必ずしも得られない<ref><pubmed>24248345</pubmed></ref><ref><pubmed>26890679</pubmed></ref>  <ref><pubmed>27471252</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><<ref><pubmed>29220646</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>30586455</pubmed></ref><ref><pubmed>28729663</pubmed></ref><ref><pubmed>31728515</pubmed></ref> [https://doi.org/10.1101/630087]  。snRNA-seqでは、組織をそのまま凍結することから開始するので、上述したscRNA-seqの内在的な問題である酵素処理や加温などを避けることができる。こうしたプロトコールの一部は、protocols.ioのHuman Cell Atlasのグループ[https://www.protocols.io/groups/hca]で公開されている。
なお、ヒト組織や希少生物などから生細胞を得ることは困難なことが多い。この場合、scRNA-seqの変法として、凍結した組織から、各細胞由来の核を調製し、核内のmRNAを分析するsnRNA-seq (single-nucleus RNA-seq)が利用されている。ただ、snRNA-seqでは、FACSなどによる特定細胞集団の同定が困難であることが多く、細胞質を持つ生細胞を利用した場合と同等な結果が必ずしも得られない<ref><pubmed>24248345</pubmed></ref><ref><pubmed>26890679</pubmed></ref>  <ref><pubmed>27471252</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><<ref><pubmed>29220646</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>30586455</pubmed></ref><ref><pubmed>28729663</pubmed></ref><ref><pubmed>31728515</pubmed></ref> [Nature Biotechnology doi: 10.1038/s41587-020-0469-4]  。snRNA-seqでは、組織をそのまま凍結することから開始するので、上述したscRNA-seqの内在的な問題である酵素処理や加温などを避けることができる。こうしたプロトコールの一部は、protocols.ioのHuman Cell Atlasのグループ[https://www.protocols.io/groups/hca]で公開されている。


更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、遺伝子発現との関係が想定される[[オープンクロマチン]]領域を[[トランスポゾン]]を用いることで個々の細胞レベルで選択的に検出するsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)<ref><pubmed>26083756</pubmed></ref>, <ref><pubmed>29434377</pubmed></ref><ref><pubmed>25953818</pubmed></ref>, single cell THS-seq (transposome hypersensitive-site) <ref><pubmed>29227469</pubmed></ref>や[[DNAメチル化]]領域を観察する方法も報告されている<ref><pubmed>28798132</pubmed></ref>。
更に、RNAを分析するscRNA-seqではないが、遺伝子発現との関係が想定される[[オープンクロマチン]]領域を[[トランスポゾン]]を用いることで個々の細胞レベルで選択的に検出するsingle cell ATAC-seq (Assay for Transposase-Accessible Chromatin)<ref><pubmed>26083756</pubmed></ref>, <ref><pubmed>29434377</pubmed></ref><ref><pubmed>25953818</pubmed></ref>, single cell THS-seq (transposome hypersensitive-site) <ref><pubmed>29227469</pubmed></ref>や[[DNAメチル化]]領域を観察する方法も報告されている<ref><pubmed>28798132</pubmed></ref>。


===scRNA-seqデータの前処理===
===scRNA-seqデータの前処理===
10x Genomics社のChromium、Illumina社のNGSを利用した場合、Cell Ranger(Linux上で作動)を用いて、各生物種ごとのレファレンス配列リスト([https://www.ncbi.nlm.nih.gov/grc])やEggNOG ([http://eggnogdb.embl.de])などを利用し、細胞とトランスクリプトームの対応マトリックスを作製する。その後のデータの処理についても、10xGenomics社がソフトウェアLoupeを提供している。しかしながら、その後のダウンストリーム解析を考慮して、[[R言語]], [[Python]], MATLABなどのデータ解析のための汎用プログラミング言語やコードで扱えるオブジェクトに変換するのが通常である。ここでは、scRNA-seqデータ解析のために最もよく利用されているR言語を用いたパッケージ「Seurat」<ref><pubmed> 29608179 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 31178118 </pubmed></ref>を中心に紹介したい。なお、Pythonを利用したものでは、ドイツ・ミュンヘンInstitute of Computational Biologyの Fabian Theisらが開発しているScanpyが有名である<ref><pubmed> 29409532</pubmed></ref>。
10x Genomics社のChromium、Illumina社のNGSを利用した場合、Cell Ranger(Linux上で作動)を用いて、各生物種ごとのレファレンス配列リスト([https://www.ncbi.nlm.nih.gov/grc])やEggNOG ([http://eggnogdb.embl.de])などを利用し、細胞とトランスクリプトームの対応マトリックスを作製する。その後のデータの処理についても、10x Genomics社がソフトウェアLoupeを提供している。しかしながら、その後のダウンストリーム解析を考慮して、[[R言語]], [[Python]], MATLABなどのデータ解析のための汎用プログラミング言語やコードで扱えるオブジェクトに変換するのが通常である。ここでは、scRNA-seqデータ解析のために最もよく利用されているR言語を用いたパッケージ「Seurat」<ref><pubmed> 29608179 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 31178118 </pubmed></ref>を中心に紹介したい。なお、Pythonを利用したものでは、ドイツ・ミュンヘンInstitute of Computational Biologyの Fabian Theisらが開発しているScanpyが有名である<ref><pubmed> 29409532</pubmed></ref>。


New York UniversityのRahul Satija研究室が開発しているSeuratは、scRNA-seqデータ解析のために広く利用されているRパッケージであり、2020年4月現在、その最新バージョンはSeurat 3.1.4である。論文の正式発表前から、サポート情報提供やコード修正なども頻繁に行っており、Satija研究室のウェッブサイト( [http://satijalab.org/Seurat])、Github([https://github.com/satijalab/Seurat])、更にTwitterアカウント(@satijalab)などで最新情報を得ることできる。
New York UniversityのRahul Satija研究室が開発しているSeuratは、scRNA-seqデータ解析のために広く利用されているRパッケージであり、2020年4月現在、その最新バージョンはSeurat 3.1.4である。論文の正式発表前から、サポート情報提供やコード修正なども頻繁に行っており、Satija研究室のウェッブサイト( [http://satijalab.org/Seurat])、Github([https://github.com/satijalab/Seurat])、更にTwitterアカウント(@satijalab)などで最新情報を得ることできる。
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実験的なノイズとは別に生物学的に意味のある遺伝子発現の変動には、位置情報、[[細胞周期]]、[[概日リズム]]、発現変動が大きい破裂型プロモーターの作動などの理由で変動が見られるものもある<ref><pubmed> 31217225 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26000846</pubmed></ref>。特に、刺激・薬剤処理やさまざまな病態の進行や治療に伴う細胞の変化、発生途上の細胞系譜や細胞分化といった細胞の遷移状態の解析([[偽時系列解析]]Pseudo-time analysis )には、scRNA-seqデータを用いることが効果的である<ref><pubmed>29576429</pubmed></ref><ref><pubmed>28813177</pubmed></ref><ref><pubmed>29565398</pubmed></ref>。これらの分析のためには[[軌道推定]](Trajectory inference)の解析手法が用いられる。しばしば用いられるMonocle3 <ref><pubmed>30787437</pubmed></ref>など、多くのコードを収集しているGithubのサイトがある [https://github.com/dynverse/dynmethods][https://github.com/agitter/single-cell-pseudotime]。RNA velocityといった転写産物のスプライシングの状態から細胞の分化状態を推定する方法もある<ref><pubmed>30089906</pubmed></ref>。しかし、これらの方法は、あくまで発生途上の[[細胞系譜]]や細胞分化の推定に過ぎない。細胞系譜を更に確実に観察しつつ、scRNA-seqを行うことで、細胞タイプの系統関係を調べる方法として、CRISPR-Cas9を用いた[[ゲノム編集]]による記録法を導入したscGESTALT<ref><pubmed>29608178</pubmed></ref>、ScarTrace<ref><pubmed>29590089</pubmed></ref> 、LINNAEUS<ref><pubmed>29644996</pubmed></ref>がある。
実験的なノイズとは別に生物学的に意味のある遺伝子発現の変動には、位置情報、[[細胞周期]]、[[概日リズム]]、発現変動が大きい破裂型プロモーターの作動などの理由で変動が見られるものもある<ref><pubmed> 31217225 </pubmed></ref><ref><pubmed> 26000846</pubmed></ref>。特に、刺激・薬剤処理やさまざまな病態の進行や治療に伴う細胞の変化、発生途上の細胞系譜や細胞分化といった細胞の遷移状態の解析([[偽時系列解析]]Pseudo-time analysis )には、scRNA-seqデータを用いることが効果的である<ref><pubmed>29576429</pubmed></ref><ref><pubmed>28813177</pubmed></ref><ref><pubmed>29565398</pubmed></ref>。これらの分析のためには[[軌道推定]](Trajectory inference)の解析手法が用いられる。しばしば用いられるMonocle3 <ref><pubmed>30787437</pubmed></ref>など、多くのコードを収集しているGithubのサイトがある [https://github.com/dynverse/dynmethods][https://github.com/agitter/single-cell-pseudotime]。RNA velocityといった転写産物のスプライシングの状態から細胞の分化状態を推定する方法もある<ref><pubmed>30089906</pubmed></ref>。しかし、これらの方法は、あくまで発生途上の[[細胞系譜]]や細胞分化の推定に過ぎない。細胞系譜を更に確実に観察しつつ、scRNA-seqを行うことで、細胞タイプの系統関係を調べる方法として、CRISPR-Cas9を用いた[[ゲノム編集]]による記録法を導入したscGESTALT<ref><pubmed>29608178</pubmed></ref>、ScarTrace<ref><pubmed>29590089</pubmed></ref> 、LINNAEUS<ref><pubmed>29644996</pubmed></ref>がある。


また細胞分化や変動に伴う特徴的な遺伝子発現をscRNA-seqで観察することは、遺伝子制御ネットワーク(例、SCENIC<ref><pubmed>28991892</pubmed></ref>, [https://github.com/aertslab/SCENIC])や[[代謝経路]]や[[シグナル伝達系]]のための[[パスウェイ解析]](例、Metascape<ref><pubmed>30944313</pubmed></ref>, [http://metascape.org])を理解するシステム生物学的な研究として有用である。更に、scRNA-seqで得られた結果をもとに、細胞間相互作用の理解を深めるのを目的とするCellPhoneDB<ref><pubmed>32103204</pubmed></ref>[https://github.com/Teichlab/cellphonedb]、NicheNet<ref><pubmed>3181926</pubmed></ref>, SVCA<ref><pubmed>31577949</pubmed></ref>がある。
また細胞分化や変動に伴う特徴的な遺伝子発現をscRNA-seqで観察することは、遺伝子制御ネットワーク(例、SCENIC<ref><pubmed>28991892</pubmed></ref>, [https://github.com/aertslab/SCENIC])や[[代謝経路]]や[[シグナル伝達系]]のための[[パスウェイ解析]](例、Metascape<ref><pubmed>30944313</pubmed></ref>, [http://metascape.org])を理解するシステム生物学的な研究として有用である。更に、scRNA-seqで得られた結果をもとに、細胞間相互作用の理解を深めるのを目的とするCellPhoneDB<ref><pubmed>32103204</pubmed></ref>[https://github.com/Teichlab/cellphonedb]、NicheNet<ref><pubmed>3181926</pubmed></ref>, SVCA<ref><pubmed>31577949</pubmed></ref>がある。Perturb-seq<ref><pubmed>27984732</pubmed></ref> やその変法<ref><pubmed> 32231336</pubmed></ref>は、CRISPRライブラリーによるゲノム編集を施した細胞をscRNA-seqで解析することで、遺伝子機能や遺伝子間の相互作用の理解を可能にしている。
 


==scRNA-seqの神経科学研究への適用==
==scRNA-seqの神経科学研究への適用==
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===神経系へのscRNA-seqの適用===
===神経系へのscRNA-seqの適用===
[[大脳皮質]]には、[[錐体細胞]]や[[非錐体細胞]]などの神経細胞や様々なグリア細胞などが見られ、古くから神経細胞タイプの識別が行われてきた。初期のscRNA-seq技術でも、マウス皮質の小規模な細胞数を分類した研究で、これまで知られていた主要な細胞タイプとは違うタイプが見つかりその有効性が示された<ref><pubmed>25700174</pubmed></ref>。その後のDroplet使用の3’エンドリード法を利用した多数の細胞数の解析で、更に多数の神経細胞のタイプが見つかっている<ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>30096299</pubmed></ref><ref><pubmed>30096314</pubmed></ref><ref><pubmed>30382198</pubmed></ref><ref><pubmed>29320739</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref>。特に、GABA作動性介在神経細胞タイプの多様性とその発生<ref><pubmed>28942923</pubmed></ref><ref><pubmed>28134272</pubmed></ref><ref><pubmed>29472441</pubmed></ref><ref><pubmed>29513653</pubmed></ref>についての情報は重要であろう。また、初期の発生過程<ref><pubmed>26940868</pubmed></ref><ref><pubmed>30485812</pubmed></ref><pubmed>31073041</pubmed></ref><ref><pubmed>30635555</pubmed></ref><ref><pubmed>30625322</pubmed></ref>、老化<ref><pubmed>31551601</pubmed></ref><の理解が、scRNA-Seq技術を利用することで進んでいる。更に、[[神経活動]]によって変化するトランスクリプトームの変化も細胞ごとに調査され興味深い<ref><pubmed>29230054</pubmed></ref> 。 ヒトを含めた霊長類の大脳についても発達段階を含めてscRNA-seqが適用されてきている<ref><pubmed>26060301</pubmed></ref><ref><pubmed>27339989</pubmed></ref><ref><pubmed>29539641</pubmed></ref><ref><pubmed>29217575</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>29227469</pubmed></ref><ref><pubmed>31303374</pubmed></ref><ref><pubmed>29867213</pubmed></ref><ref><pubmed>31435019</pubmed></ref>[https://doi.org/10.1101/709501。ヒトや霊長類に特徴的とされる[[島]]のvon Economo神経細胞(紡錘細胞)のような希少な神経細胞のscRNA-seqにも成功している<ref><pubmed>32127543</pubmed></ref>。
[[大脳皮質]]には、[[錐体細胞]]や[[非錐体細胞]]などの神経細胞や様々なグリア細胞などが見られ、古くから神経細胞タイプの識別が行われてきた。初期のscRNA-seq技術でも、マウス皮質の小規模な細胞数を分類した研究で、これまで知られていた主要な細胞タイプとは違うタイプが見つかりその有効性が示された<ref><pubmed>25700174</pubmed></ref>。その後のDroplet使用の3’エンドリード法を利用した多数の細胞数の解析で、更に多数の神経細胞のタイプが見つかっている<ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>30096299</pubmed></ref><ref><pubmed>30096314</pubmed></ref><ref><pubmed>30382198</pubmed></ref><ref><pubmed>29320739</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref>。特に、GABA作動性介在神経細胞タイプの多様性とその発生<ref><pubmed>28942923</pubmed></ref><ref><pubmed>28134272</pubmed></ref><ref><pubmed>29472441</pubmed></ref><ref><pubmed>29513653</pubmed></ref>についての情報は重要であろう。また、初期の発生過程<ref><pubmed>26940868</pubmed></ref><ref><pubmed>30485812</pubmed></ref><pubmed>31073041</pubmed></ref><ref><pubmed>30635555</pubmed></ref><ref><pubmed>30625322</pubmed></ref>、老化<ref><pubmed>31551601</pubmed></ref><の理解が、scRNA-Seq技術を利用することで進んでいる。更に、[[神経活動]]によって変化するトランスクリプトームの変化も細胞ごとに調査され興味深い<ref><pubmed>29230054</pubmed></ref> 。 ヒトを含めた霊長類の大脳についても発達段階を含めてscRNA-seqが適用されてきている<ref><pubmed>26060301</pubmed></ref><ref><pubmed>27339989</pubmed></ref><ref><pubmed>29539641</pubmed></ref><ref><pubmed>29217575</pubmed></ref><ref><pubmed>28846088</pubmed></ref><ref><pubmed>29227469</pubmed></ref><ref><pubmed>31303374</pubmed></ref><ref><pubmed>29867213</pubmed></ref><ref><pubmed>31435019</pubmed></ref><ref><pubmed>32424074</pubmed></ref> [https://doi.org/10.1101/709501。ヒトや霊長類に特徴的とされる[[島]]のvon Economo神経細胞(紡錘細胞)のような希少な神経細胞のscRNA-seqにも成功している<ref><pubmed>32127543</pubmed></ref>。


[[海馬]]<ref><pubmed>29241552</pubmed></ref><ref><pubmed>29912866</pubmed></ref><ref><pubmed>29335606</pubmed></ref><ref><pubmed>31942070</pubmed></ref>では、これまでの研究で記載されてきた神経細胞のタイプの存在が確認され、更に新規のタイプが見つかった。中枢神経系では、その他、[[外側膝状体]]<ref><pubmed>29343640</pubmed></ref>、[[大脳基底核]](足底核)<ref><pubmed>28384468</pubmed></ref> 、[[視床下部]]<ref><pubmed>28166221</pubmed></ref><ref><pubmed>28355573</pubmed></ref>  <ref><pubmed>27991900</pubmed></ref><ref><pubmed>30385464</pubmed></ref>  <ref><pubmed>31249056</pubmed></ref><ref><pubmed>30858605</pubmed></ref>、[[線条体]]<ref><pubmed>27425622</pubmed></ref><ref><pubmed>30134177</pubmed></ref><ref><pubmed>31875543</pubmed></ref>、[[中脳]]<ref><pubmed>27716510</pubmed></ref><ref><pubmed>29499164</pubmed></ref>  <ref><pubmed>30718509</pubmed></ref> 、[[手綱]]<ref><pubmed>29576475</pubmed></ref>、発生中の[[間脳]]<ref><pubmed>30872278</pubmed></ref> 、さらに[[小脳]]<ref><pubmed>30220501</pubmed></ref><ref><pubmed>30735127</pubmed></ref><ref><pubmed>30690467</pubmed></ref>などの結果が得られている。マウスの小脳においては、分子層にこれまでの星状細胞、バスケット細胞というカテゴリーとは違った2種類の神経細胞があることが示唆されている[https://doi.org/10.1101/2020.03.04.976407]。
[[海馬]]<ref><pubmed>29241552</pubmed></ref><ref><pubmed>29912866</pubmed></ref><ref><pubmed>29335606</pubmed></ref><ref><pubmed>31942070</pubmed></ref>では、これまでの研究で記載されてきた神経細胞のタイプの存在が確認され、更に新規のタイプが見つかった。中枢神経系では、その他、[[外側膝状体]]<ref><pubmed>29343640</pubmed></ref>、[[大脳基底核]](足底核)<ref><pubmed>28384468</pubmed></ref> 、[[視床下部]]<ref><pubmed>28166221</pubmed></ref><ref><pubmed>28355573</pubmed></ref>  <ref><pubmed>27991900</pubmed></ref><ref><pubmed>30385464</pubmed></ref>  <ref><pubmed>31249056</pubmed></ref><ref><pubmed>30858605</pubmed></ref>、[[線条体]]<ref><pubmed>27425622</pubmed></ref><ref><pubmed>30134177</pubmed></ref><ref><pubmed>31875543</pubmed></ref>、[[中脳]]<ref><pubmed>27716510</pubmed></ref><ref><pubmed>29499164</pubmed></ref>  <ref><pubmed>30718509</pubmed></ref> 、[[手綱]]<ref><pubmed>29576475</pubmed></ref>、発生中の[[間脳]]<ref><pubmed>30872278</pubmed></ref> 、さらに[[小脳]]<ref><pubmed>30220501</pubmed></ref><ref><pubmed>30735127</pubmed></ref><ref><pubmed>30690467</pubmed></ref>などの結果が得られている。マウスの小脳においては、分子層にこれまでの星状細胞、バスケット細胞というカテゴリーとは違った2種類の神経細胞があることが示唆されている[https://doi.org/10.1101/2020.03.04.976407]。
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===疾患===
===疾患===
NGSを用いることで、どんな生物種にも適用可能なscRNA-seqは、既に多様な生物の神経系の細胞の理解、更には種間の相同性や差異の研究に利用されており、神経系の進化を細胞レベルで考察するのに有用であろう(例、センチュウ<ref><pubmed> 28818938 </pubmed></ref>、ショウジョウバエ  <ref><pubmed>29909982</pubmed></ref><ref><pubmed>29149607</pubmed></ref><ref><pubmed>30703584</pubmed></ref><ref><pubmed>29909983</pubmed></ref>、カタユウレイボヤCiona intestinalis <ref><pubmed>30069052</pubmed></ref><ref><pubmed>30228204</pubmed></ref>、ゼブラフィッシュ<ref><pubmed>31018142</pubmed></ref><ref><pubmed>30929901</pubmed></ref>、アカミミガメTrachemys scripta elegans、トカゲPogona vitticeps, pv<ref><pubmed>29724907</pubmed></ref>、ニワトリ[A]、霊長類<ref><pubmed>30730291</pubmed></ref><ref><pubmed>31619793</pubmed></ref>[https://doi.org/10.1101/2020.03.31.016972])。ただ、遺伝子やトランスクリプトームの研究が進んでいる生物種では比較的容易であるが、遺伝子のアノテーションが十分でない生物種を用いる場合、scRNA-seqのデータ解析は困難を伴うので、NCBIのTaxonomy[https://www.ncbi.nlm.nih.gov/taxonomy]やEggNOG [http://eggnogdb.embl.de] <ref><pubmed>30418610</pubmed></ref>などを利用する。また種を超えた細胞タイプの相同性の理解には様々な工夫が必要である<ref><pubmed>31552245</pubmed></ref><ref><pubmed>30712875</pubmed></ref>
scRNA-seqは、疾患の理解にも有用である。筋萎縮性側索硬化症<ref><pubmed>30948552</pubmed></ref>、多発性硬化症<ref><pubmed>30747918</pubmed></ref><ref><pubmed>30420755</pubmed></ref><ref><pubmed>32313246</pubmed></ref>
、アルツハイマー病やそのモデル動物<ref><pubmed>31042697</pubmed></ref><ref><pubmed>31399126</pubmed></ref><ref><pubmed>29020624</pubmed></ref>
[https://doi.org/10.1101/628347]<ref><pubmed>28602351</pubmed></ref><ref><pubmed>32341542</pubmed></ref>、統合失調症<ref><pubmed>29785013</pubmed></ref>、自閉症やレット症候<ref><pubmed>31097668</pubmed></ref><ref><pubmed>30455458</pubmed></ref>
、シャルコー・マリー・トゥース病<ref><pubmed>29888333</pubmed></ref>、ダウン症[https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2020.01.01.892398v1]、パーキンソン病<ref><pubmed>30503143</pubmed></ref>、がん<ref><pubmed>31327527</pubmed></ref><ref><pubmed>28360267</pubmed></ref>などに適用されている。
 


==scRNA-seqの展望==
==scRNA-seqの展望==
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===空間トランスクリプトミクス===
===空間トランスクリプトミクス===
多数の細胞を扱うscRNA-seqの弱点は、組織から細胞や細胞核を解離する必要があるので、その細胞が存在していた解剖学的あるいは空間的な位置の情報を消去してしまうということである。組織切片におけるタンパク質などの分布は免疫組織化学、mRNAの分布はin situ hybridizationで検出することができるが、数多くのmRNAの分布を情報処理技術と組み合わせ一気に同定する方法がscRNA-seqと同様に開発されてきている。Slide-seq<ref><pubmed>30923225</pubmed></ref>、osmFISH<ref><pubmed>30377364</pubmed></ref>、STARmap (spatially-resolved transcript amplicon readout mapping), <ref><pubmed>29930089</pubmed></ref>、seqFISH  <ref><pubmed>27764670</pubmed></ref>、pciSeq(probabilistic cell typing by in situ sequencing)[ https://doi.org/10.1101/431957]、更に10xGenomics社が市販するVisiumなどがある。現状では、大きな組織の空間トランスクリプトミクスは、空間解像度が細胞レベルにいたっておらず、技術普及の観点からも課題が多い。しかし、そのデータを解析するためのアルゴリズム<ref><pubmed>29553578</pubmed></ref><ref><pubmed>29553579</pubmed></ref>[https://doi.org/10.1101/757096][ https://doi.org/10.1101/701680]や、更にMerFish  <ref><pubmed>25858977</pubmed></ref>、corrFISH  <ref><pubmed>27271198</pubmed></ref>のように、subcellularレベルで多数のmRNAを検出する方法が開発されてきており、scRNA-seqと組み合わせることで、その弱点を補う空間トランスクリプトミクスにも利用され始め<ref><pubmed>30385464</pubmed></ref>、今後の発展が期待される。
多数の細胞を扱うscRNA-seqの弱点は、組織から細胞や細胞核を解離する必要があるので、その細胞が存在していた解剖学的あるいは空間的な位置の情報を消去してしまうということである。組織切片におけるタンパク質などの分布は免疫組織化学、mRNAの分布はin situ hybridizationで検出することができるが、数多くのmRNAの分布を情報処理技術と組み合わせ一気に同定する方法がscRNA-seqと同様に開発されてきている。Slide-seq<ref><pubmed>30923225</pubmed></ref>、osmFISH<ref><pubmed>30377364</pubmed></ref>、STARmap (spatially-resolved transcript amplicon readout mapping), <ref><pubmed>29930089</pubmed></ref>、seqFISH  <ref><pubmed>27764670</pubmed></ref>、pciSeq(probabilistic cell typing by in situ sequencing)、DSP(Digital Spatial Profiling) <ref><pubmed>32393914</pubmed></ref>、Expansion sequencing(http://doi.org/10.1101/2020.05.13.094268)
[ https://doi.org/10.1101/431957]、更に10x Genomics社が市販するVisiumなどがある。現状では、大きな組織の空間トランスクリプトミクスは、空間解像度が細胞レベルにいたっておらず、技術普及の観点からも課題が多い。しかし、そのデータを解析するためのアルゴリズム<ref><pubmed>29553578</pubmed></ref><ref><pubmed>29553579</pubmed></ref><ref><pubmed>32350282</pubmed></ref> [https://doi.org/10.1101/757096][ https://doi.org/10.1101/701680]や、更にMerFish  <ref><pubmed>25858977</pubmed></ref>、corrFISH  <ref><pubmed>27271198</pubmed></ref>のように、subcellularレベルで多数のmRNAを検出する方法が開発されてきており、scRNA-seqと組み合わせることで、その弱点を補う空間トランスクリプトミクスにも利用され始め<ref><pubmed>30385464</pubmed></ref>、今後の発展が期待される。


===マルチモーダルなシングルセルオミクス===
===マルチモーダルなシングルセルオミクス===
同一の細胞からscRNA-seqの情報だけでなく、ゲノム配列、ATAC-seqなどによるエピゲノム解析、少数のタンパク質、あるいはプロテオームなどを、同時に記録するマルチモーダルなオミクスが注目されている<ref><pubmed>31907462</pubmed></ref><ref><pubmed>30696980</pubmed></ref>。2019年には、Nature Methodsの「Methods of the Year」に選ばれており、現状については、その特集号などを参考にされたい。
同一の細胞からscRNA-seqの情報だけでなく、ゲノム配列、ATAC-seqなどによるエピゲノム解析、少数のタンパク質、あるいはプロテオームなどを、同時に記録するマルチモーダルなオミクスが注目されている<ref><pubmed>31907462</pubmed></ref><ref><pubmed>30696980</pubmed></ref>。2019年には、Nature Methodsの「Methods of the Year」に選ばれており、現状については、その特集号などを参考にされたい。


マルチモーダルなシングルセルオミクスとして、神経科学分野で注目されるのは、scRNA-seqをパッチクランプによる電気生理学的情報と組み合わせたPatch-seq<ref><pubmed>26689544</pubmed></ref> <ref><pubmed>26689543</pubmed></ref>である。また、細胞表面分子に対する抗体にDNAを付加することで、マーカーを発現する細胞のトランスクリプトームを観察するCITE-seq<ref><pubmed>28759029</pubmed></ref>、 REAP-seq<ref><pubmed>28854175</pubmed></ref>は既知の細胞マーカーの発現とscRNA-seqが同時に観察できるマルチモーダルなオミクスである。 また、BARseq (barcoded anatomy resolved by sequencing) <ref><pubmed>31626774</pubmed></ref>のような方法は、コネクトーム(神経細胞の結合性)と遺伝子発現を記録できるオミクスの新たな方向として興味深い。
マルチモーダルなシングルセルオミクスとして、神経科学分野で注目されるのは、scRNA-seqをパッチクランプによる電気生理学的情報と組み合わせたPatch-seq<ref><pubmed>26689544</pubmed></ref> <ref><pubmed>26689543</pubmed></ref>である。また、細胞表面分子に対する抗体にDNAを付加することで、マーカーを発現する細胞のトランスクリプトームを観察するCITE-seq<ref><pubmed>28759029</pubmed></ref>、 REAP-seq<ref><pubmed>28854175</pubmed></ref>は既知の細胞マーカーの発現とscRNA-seqが同時に観察できるマルチモーダルなオミクスである。また、BARseq (barcoded anatomy resolved by sequencing) <ref><pubmed>31626774</pubmed></ref>[https://doi.org/10.1101/378760
]のような方法は、コネクトーム(神経細胞の結合性)と遺伝子発現を記録できるオミクスの新たな方向として興味深い。https://doi.org/10.1101/378760
 
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[ゲノムワイド関連解析 ]]
*[[ゲノムワイド関連解析 ]]