「フェロモン受容体」の版間の差分

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 フェロモンとは、「ある個体から分泌され同種他個体において何らかの行動や生理作用を引き起こす化学物質」のことであると定義される。フェロモン受容体は、これらのフェロモン分子を受容するタンパク質である<ref name=Kazushige2009><pubmed>19575682</pubmed></ref>1。哺乳類では一般的にフェロモンは鼻腔下部に存在する鋤鼻神経に発現する鋤鼻受容体(Vomeronasal receptor : VR)によって受容される。VRには1型と2型(V1RとV2R)の2種類が存在する。また一部の揮発性のフェロモンは、嗅神経細胞に発現する嗅覚受容体(OR)によって受容される。V1R、V2R、ORは、全て7回膜貫通型のGタンパク質共役型受容体(GPCR)である。昆虫においては、嗅覚受容体の一部がフェロモンの受容に特化してフェロモン受容体として機能すると報告されている。昆虫のフェロモン受容体は哺乳類のフェロモン受容体とは異なり、7回膜貫通型のリガンド作動性陽イオンチャネルであり、ヘテロ複合体で機能していると考えられている<ref name=Kazushige2009/>1}}
 フェロモンとは、「ある個体から分泌され同種他個体において何らかの行動や生理作用を引き起こす化学物質」のことであると定義される。フェロモン受容体は、これらのフェロモン分子を受容するタンパク質である<ref name=Kazushige2009><pubmed>19575682</pubmed></ref>1。哺乳類では一般的にフェロモンは鼻腔下部に存在する鋤鼻神経に発現する鋤鼻受容体(Vomeronasal receptor : VR)によって受容される。VRには1型と2型(V1RとV2R)の2種類が存在する。また一部の揮発性のフェロモンは、嗅神経細胞に発現する嗅覚受容体(OR)によって受容される。V1R、V2R、ORは、全て7回膜貫通型のGタンパク質共役型受容体(GPCR)である。昆虫においては、嗅覚受容体の一部がフェロモンの受容に特化してフェロモン受容体として機能すると報告されている。昆虫のフェロモン受容体は哺乳類のフェロモン受容体とは異なり、7回膜貫通型のリガンド作動性陽イオンチャネルであり、ヘテロ複合体で機能していると考えられている<ref name=Kazushige2009/>1}}


== 哺乳類におけるフェロモン受容体 ==
== 哺乳類 ==


[[Image:フェロモン受容体図1.png|thumb|right|500px|'''図1. 哺乳類と昆虫におけるフェロモン受容体''' ]]
[[Image:フェロモン受容体図1.png|thumb|right|500px|'''図1. 哺乳類と昆虫におけるフェロモン受容体''' ]]
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[[Image:フェロモン受容体図2.png|thumb|right|400px|'''図2. マウスにおけるフェロモン受容器官と受容体''' ]]
[[Image:フェロモン受容体図2.png|thumb|right|400px|'''図2. マウスにおけるフェロモン受容器官と受容体''' ]]


 陸棲の脊椎動物の多くは、[[主嗅覚系]]と[[鋤鼻系]]([[副嗅覚系]])という2つの嗅覚システムを有している2<ref name=Munger2009><pubmed>18808328</pubmed></ref>。鋤鼻系の機能に関しては、[[げっ歯類]]において[[鋤鼻器]]を切除するとオスの攻撃行動や性行動に異常をきたすことから、[[フェロモン]]を受容する役割を持つとされていた3<ref><pubmed>3032065</pubmed></ref>。一方、主嗅覚系では一般的な匂いが受容されていると考えられていた。しかし最近では主嗅覚系でも揮発性のフェロモンを受容していることが示唆されている<ref><pubmed>17709238</pubmed></ref><ref name=Yoshikawa2013><pubmed>23314914</pubmed></ref><ref name=Lin2005><pubmed>15724148</pubmed></ref>4–6。
 陸棲の脊椎動物の多くは、[[主嗅覚系]]と[[鋤鼻系]]([[副嗅覚系]])という2つの嗅覚システムを有している('''図1'''、'''2''')2<ref name=Munger2009><pubmed>18808328</pubmed></ref>。鋤鼻系の機能に関しては、[[げっ歯類]]において[[鋤鼻器]]を切除するとオスの攻撃行動や性行動に異常をきたすことから、[[フェロモン]]を受容する役割を持つとされていた3<ref><pubmed>3032065</pubmed></ref>。一方、主嗅覚系では一般的な匂いが受容されていると考えられていた。しかし最近では主嗅覚系でも揮発性のフェロモンを受容していることが示唆されている<ref><pubmed>17709238</pubmed></ref><ref name=Yoshikawa2013><pubmed>23314914</pubmed></ref><ref name=Lin2005><pubmed>15724148</pubmed></ref>4–6。


 本項では主に哺乳類のモデル生物である[[マウス]]におけるフェロモン受容体(鋤鼻受容体:V1R・V2R、嗅覚受容体:OR)について概説する。
 本項では主に哺乳類のモデル生物である[[マウス]]におけるフェロモン受容体(鋤鼻受容体:V1R・V2R、嗅覚受容体:OR)について概説する。


 鋤鼻神経細胞にはV1RとV2Rという2種類の鋤鼻受容体が発現している。V1Rは低分子のフェロモンを、V2Rはタンパク質あるいはペプチド性のフェロモンなどを主に受容する。主嗅覚系において嗅神経細胞に発現するORは、一般的な匂い分子に加え、揮発性のフェロモンも受容する。
 鋤鼻神経細胞には[[V1R]]と[[V2R]]という2種類の鋤鼻受容体が発現している('''図1''')。V1Rは低分子のフェロモンを、V2Rはタンパク質あるいはペプチド性のフェロモンなどを主に受容する。主嗅覚系において嗅神経細胞に発現するORは、一般的な匂い分子に加え、揮発性のフェロモンも受容する。


=== 鋤鼻受容体 V1R ===
=== 鋤鼻受容体 V1R ===
==== 発見の経緯 ====
==== 発見の経緯 ====
 嗅覚受容体遺伝子候補同定から4年後の1995年に、DulacとAxelは、ラットの鋤鼻神経からフェロモン受容体遺伝子候補(後にV1Rと呼ばれる鋤鼻受容体)のクローニングに成功した7<ref name=Dulac1995><pubmed>7585937</pubmed></ref>。最初は鋤鼻器に発現する嗅覚受容体相同遺伝子の単離を試みたが失敗に終わった。次に戦略を変更し、鋤鼻器特異的に発現する受容体を、単一の鋤鼻神経からディファレンシャルスクリーニング法によってスクリーニングしたところ、V1R遺伝子群が得られた。
 嗅覚受容体遺伝子候補同定から4年後の1995年に、DulacとAxelは、ラットの鋤鼻神経からフェロモン受容体遺伝子候補(後にV1Rと呼ばれる鋤鼻受容体)のクローニングに成功した7<ref name=Dulac1995><pubmed>7585937</pubmed></ref>。最初は鋤鼻器に発現する嗅覚受容体相同遺伝子の単離を試みたが失敗に終わった。次に戦略を変更し、鋤鼻器特異的に発現する受容体を、単一の鋤鼻神経から[[ディファレンシャルスクリーニング法]]によってスクリーニングしたところ、V1R遺伝子群が得られた。
 
 V1Rは有力なフェロモン受容体候補であったが、in vitroでの機能的発現が困難であったためフェロモン受容機能はなかなか実証されなかった。2000年にZufallらのグループは、マウス鋤鼻上皮の上層に局在する鋤鼻神経細胞が複数種類の揮発性フェロモンに電気的応答をすることを示し、V1Rの関与が示唆された<ref><pubmed>10866200</pubmed></ref>8。そして2002年にマウス尿中に含まれる揮発性フェロモンである[[2-heptanone]]がV1R遺伝子フェミリーの一つであるV1R2bによって特異的に受容されることが示され、V1R遺伝子がフェロモン受容体をコードしていることが証明された9<ref name=Boschat2002><pubmed>12436115</pubmed></ref>。
 V1Rは有力なフェロモン受容体候補であったが、in vitroでの機能的発現が困難であったためフェロモン受容機能はなかなか実証されなかった。2000年にZufallらのグループは、マウス鋤鼻上皮の上層に局在する鋤鼻神経細胞が複数種類の揮発性フェロモンに電気的応答をすることを示し、V1Rの関与が示唆された<ref><pubmed>10866200</pubmed></ref>8。そして2002年にマウス尿中に含まれる揮発性フェロモンである[[2-heptanone]]がV1R遺伝子フェミリーの一つであるV1R2bによって特異的に受容されることが示され、V1R遺伝子がフェロモン受容体をコードしていることが証明された9<ref name=Boschat2002><pubmed>12436115</pubmed></ref>。


==== 遺伝子の特徴と受容体の構造 ====
==== 遺伝子の特徴と受容体の構造 ====
 V1Rは7回膜貫通型[[Gタンパク質共役型受容体]](GPCR)である。V1R遺伝子はマウスにおいて191個から成る多重遺伝子ファミリーを形成していて、配列中にイントロンを含まない7,10<ref name=Dulac1995/><ref><pubmed>19952141</pubmed></ref>。鋤鼻上皮において上層側の1つの鋤鼻神経細胞には1種類のV1Rがモノアレルに発現している<ref><pubmed>17611603</pubmed></ref>11。マウスと[[ラット]]という比較的近縁な種間でもV1R遺伝子のレパートリーが大きく異なることから、V1Rの進化は比較的早く、種特異的なフェロモン受容を可能にしていることが予想される<ref><pubmed>15790682</pubmed></ref>12。V1RはN末端の細胞外領域が比較的短く、ORと同じクラスAのGPCRに属するが、V1R遺伝子とOR遺伝子の間のホモロジーはほとんどない。
 V1Rは7回膜貫通型[[Gタンパク質共役型受容体]]([[GPCR]])である。
 
 V1R遺伝子はマウスにおいて191個から成る多重遺伝子ファミリーを形成していて、配列中に[[イントロン]]を含まない7,10<ref name=Dulac1995/><ref><pubmed>19952141</pubmed></ref>。鋤鼻上皮において上層側の鋤鼻神経細胞には1つの細胞につき1種類のV1Rがモノアレルに発現している<ref><pubmed>17611603</pubmed></ref>11。マウスと[[ラット]]という比較的近縁な種間でもV1R遺伝子のレパートリーが大きく異なることから、V1Rの進化は比較的早く、種特異的なフェロモン受容を可能にしていることが予想される<ref><pubmed>15790682</pubmed></ref>12。V1RはN末端の細胞外領域が比較的短く、ORと同じクラスAのGPCRに属するが、V1R遺伝子とOR遺伝子の間のホモロジーはほとんどない。


==== シグナル伝達 ====
==== シグナル伝達 ====
 V1Rを介したフェロモンの受容メカニズムとして、以下のようなシグナル伝達機構が考えられている2<ref name=Munger2009/>。フェロモン分子がV1Rに結合するとGαi2を含む三量体Gタンパク質が活性化される。それに伴い遊離したGβ2γ2サブユニットがホスホリパーゼCβ2(PLCβ2)を活性化する。PLCβ2はホスファチジルイノシトール二リン酸を加水分解してジアシルグリセロール(DAG)とイノシトール三リン酸(PI3)を産生する。この下流として2種類のシグナル伝達機構が考えられている。1つ目はDAGがTRPC2チャネルに結合することでチャネルが開口してNa<sup>+</sup>やCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入して脱分極が引き起される経路である<ref><pubmed>14642279</pubmed></ref>13。もう一つはDAGがDAGリパーゼによって加水分解されアラキドン酸が産生し、アラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルに結合することでCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入することで脱分極が引き起こされる経路である<ref><pubmed>12351717</pubmed></ref><ref><pubmed>20147653</pubmed></ref>14,15。このような細胞内シグナル伝達を経て、V1Rが受け取ったフェロモン情報は電気信号へと変換される。
 V1Rを介したフェロモンの受容メカニズムとして、以下のようなシグナル伝達機構が考えられている2<ref name=Munger2009/>
 
 フェロモン分子がV1Rに結合すると[[Gαi2]]を含む[[三量体Gタンパク質]]が活性化される。それに伴い遊離した[[Gβ2γ2]]サブユニットが[[ホスホリパーゼCβ2]]([[PLCβ2]])を活性化する。PLCβ2は[[ホスファチジルイノシトール二リン酸]]を加水分解して'''ジアシルグリセロール'''([[DAG]])と[[イノシトール三リン酸]]([[PI3]])を産生する。
 
 この下流として2種類のシグナル伝達機構が考えられている。1つ目はDAGが[[TRPC2チャネル]]に結合することでチャネルが開口してNa<sup>+</sup>やCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入して脱分極が引き起される経路である<ref><pubmed>14642279</pubmed></ref>13。もう一つはDAGが[[DAGリパーゼ]]によって加水分解され[[アラキドン酸]]が産生し、アラキドン酸がCa<sup>2+</sup>感受性チャネルに結合することでCa<sup>2+</sup>が細胞内に流入することで脱分極が引き起こされる経路である<ref><pubmed>12351717</pubmed></ref><ref><pubmed>20147653</pubmed></ref>14,15。このような細胞内シグナル伝達を経て、V1Rが受け取ったフェロモン情報は電気信号へと変換される。
 V1Rを発現する鋤鼻神経細胞は一次中枢である[[副嗅球]]の口吻側に投射しており、副嗅球でシナプスを介して二次神経に信号が伝わる。二次神経は、[[扁桃体内側核]]や[[分界上床核]]へと軸索を伸ばし、その後、[[視床下部]]などの高次脳領域へ情報が伝達されていく<ref name=Dulac2006><pubmed>16953793</pubmed></ref>16。
 V1Rを発現する鋤鼻神経細胞は一次中枢である[[副嗅球]]の口吻側に投射しており、副嗅球でシナプスを介して二次神経に信号が伝わる。二次神経は、[[扁桃体内側核]]や[[分界上床核]]へと軸索を伸ばし、その後、[[視床下部]]などの高次脳領域へ情報が伝達されていく<ref name=Dulac2006><pubmed>16953793</pubmed></ref>16。


==== 機能 ====
==== 機能 ====
 V1Rは低分子の揮発性フェロモンや、ステロイドなどの[[不揮発性]]フェロモンを受容する。揮発性フェロモン受容の例として、オスとメス両方のマウスの尿中に含まれる2-heptanoneはV1Rb2によって受容され、メスの発情期を延長させる<ref name=Boschat2002/>9。ステロイド受容の例として、発情期のメスマウスの尿中に含まれる[[エストロゲン]]硫化物は、V1rj2とV1rj3に受容される<ref name=Haga2014><pubmed>25073926</pubmed></ref>17。エストロゲン硫化物を塗った卵巣除去メスに対しては、オスはマウント行動を示さない。一方、非発情期のメス尿とエストロゲン硫化物を同時に塗った場合は、オスのマウントが促進される。これらのことから、オスはメス特異的なシグナルと発情状態を示すシグナルを同時に受容した場合に性行動が促進されることが示唆される<ref name=Haga2014/>17。
 V1Rは低分子の揮発性フェロモンや、[[ステロイド]]などの[[不揮発性]]フェロモンを受容する。
 
 揮発性フェロモン受容の例として、オスとメス両方のマウスの尿中に含まれる2-ヘプタノンは[[V1Rb2]]によって受容され、メスの[[発情期]]を延長させる<ref name=Boschat2002/>9。
 
 ステロイド受容の例として、発情期のメスマウスの尿中に含まれる[[エストロゲン]]硫化物は、[[V1rj2]]と'''V1rj'''3に受容される<ref name=Haga2014><pubmed>25073926</pubmed></ref>17。エストロゲン硫化物を塗った卵巣除去メスに対しては、オスはマウント行動を示さない。一方、非発情期のメス尿とエストロゲン硫化物を同時に塗った場合は、オスのマウントが促進される。これらのことから、オスはメス特異的なシグナルと発情状態を示すシグナルを同時に受容した場合に性行動が促進されることが示唆される<ref name=Haga2014/>17。


 Puntaらは、2つのV1Rクレードを含む16種類のV1R遺伝子群を欠損させたマウスを作製したところ、このマウスでは母親の攻撃行動やオスの性行動が消失することを見出した。これらの行動を引き起こすのに必要なフェロモン受容体が、欠損した16種のV1R遺伝子群に含まれていると考えられる<ref><pubmed>12214233</pubmed></ref>18。
 Puntaらは、2つのV1Rクレードを含む16種類のV1R遺伝子群を欠損させたマウスを作製したところ、このマウスでは母親の攻撃行動やオスの性行動が消失することを見出した。これらの行動を引き起こすのに必要なフェロモン受容体が、欠損した16種のV1R遺伝子群に含まれていると考えられる<ref><pubmed>12214233</pubmed></ref>18。


 Isogaiらは、マウスにおいて、初期応答遺伝子Egr1を鋤鼻神経活動の指標とし、同種および他種生物由来の様々な刺激に対する鋤鼻神経応答プロファイルを作成した。その結果、V1Rは同種だけでなく異種生物由来のシグナル([[カイロモン]])も受容することが示されている<ref name=Isogai2011><pubmed>21937988</pubmed></ref>19。
 Isogaiらは、マウスにおいて、初期応答遺伝子[[Egr1]]を鋤鼻神経活動の指標とし、同種および他種生物由来の様々な刺激に対する鋤鼻神経応答プロファイルを作成した。その結果、V1Rは同種だけでなく異種生物由来のシグナル([[カイロモン]])も受容することが示されている<ref name=Isogai2011><pubmed>21937988</pubmed></ref>19。


=== 鋤鼻受容体 V2R ===
=== 鋤鼻受容体 V2R ===