「健忘症候群」の版間の差分

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[[Image:図1Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印).jpg|thumb|280px|<b>図1.Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印)</b><br />A:[[視床前核]], CA:[[固有海馬]], D:[[歯状回]], MB:[[乳頭体]], PM:[[視床背内側核]]。Nolte J. eds. The Human Brain. An introduction to its functional anatomy. Figure 24-20 を改変。]]  
[[Image:図1Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印).jpg|thumb|280px|<b>図1.Papez回路(青・赤矢印)とYakovlev回路(緑矢印)</b><br />A:[[視床前核]], CA:[[固有海馬]], D:[[歯状回]], MB:[[乳頭体]], PM:[[視床背内側核]]。Nolte J. eds. The Human Brain. An introduction to its functional anatomy. Figure 24-20 を改変。]]  


[[Image:図2アセチルコリン神経系の分布.png|thumb|500px|<b>図2.アセチルコリン神経系の分布<br />(佐藤 2012を引用)</b><br />1:[[内側中隔核]](Ch1) 2:[[ブローカ対角帯・背側部]](Ch2) 3:[[ブローカ対角帯・腹側部]](Ch3) 4:[[マイネルト基底核]](Ch4) 5:[[海馬]] 6:[[扁桃体]] 7:[[嗅神経]] 8:[[脳梁]] 9:[[脳弓]] 10:[[帯状回]] 11:[[前頭葉]] 12:[[頭頂葉]] 13:[[後頭葉]]]]  
[[Image:図2アセチルコリン神経系の分布.png|thumb|500px|<b>図2.アセチルコリン神経系の分布<br />(佐藤 2012<ref name=ref5>'''佐藤正之'''<br>レヴィ小体型認知症.河村満編、認知症:神経心理学的アプローチ.<br>中山書店、東京、2012, pp.211-221.</ref>を引用)</b><br />1:[[内側中隔核]](Ch1) 2:[[ブローカ対角帯・背側部]](Ch2) 3:[[ブローカ対角帯・腹側部]](Ch3) 4:[[マイネルト基底核]](Ch4) 5:[[海馬]] 6:[[扁桃体]] 7:[[嗅神経]] 8:[[脳梁]] 9:[[脳弓]] 10:[[帯状回]] 11:[[前頭葉]] 12:[[頭頂葉]] 13:[[後頭葉]]]]  


 [[wikipedia:Broca|Broca]]によるタン氏の報告に代表されるように、神経心理学ではある一人の患者の存在が学問を大きく進展させることがある。記憶についても同様で、二人の患者なかでも[[HM]]の脳損傷とその結果現れた症状により、ヒトの記憶のメカニズムの研究がおおいに進んだ。  
 [[wikipedia:Broca|Broca]]によるタン氏の報告に代表されるように、神経心理学ではある一人の患者の存在が学問を大きく進展させることがある。記憶についても同様で、二人の患者なかでも[[HM]]の脳損傷とその結果現れた症状により、ヒトの記憶のメカニズムの研究がおおいに進んだ。  


 HM(名はヘンリー)は、10歳のころから[[てんかん]]の[[小発作]]が頻発するようになり、16歳からは[[大発作]]へと移行した。神経学的所見は正常。脳波で両側[[側頭葉]]に2~3Hzのspike &amp; wave complexを認めた。薬物治療の効果のない難治性てんかんと診断され、1953年25歳時に両側側頭葉切除術を受けた。その結果、てんかん発作は消失したが重度の記憶障害を呈するようになった。HMは、手術を受けてからの記憶はまったくなく、主治医も担当ナースも毎朝会う時は“初対面の人”であった。新しいものごとについては、7秒間だけ覚えていることができた。手術前1~2年の記憶は曖昧で、2年以上前の記憶は正常に保たれていた。鏡像模写などの新しい技能については、毎日の訓練により上達がみられるが、練習したこと自体は覚えていなかった。HMは、自分が容易に課題をこなしてしまうので「なんでこんなに上手くできるのだ?」と驚いた。後年の脳MRI検査により、両側の側頭葉内側の先端部、[[扁桃体]]、[[嗅内野]]([[海馬傍回]]前部)の大部分、海馬の前半分が切除されていることが明らかになった(Corkin 1997)
 HM(名はヘンリー)は、10歳のころから[[てんかん]]の[[小発作]]が頻発するようになり、16歳からは[[大発作]]へと移行した。神経学的所見は正常。脳波で両側[[側頭葉]]に2~3Hzのspike &amp; wave complexを認めた。薬物治療の効果のない難治性てんかんと診断され、1953年25歳時に両側側頭葉切除術を受けた。その結果、てんかん発作は消失したが重度の記憶障害を呈するようになった。HMは、手術を受けてからの記憶はまったくなく、主治医も担当ナースも毎朝会う時は“初対面の人”であった。新しいものごとについては、7秒間だけ覚えていることができた。手術前1~2年の記憶は曖昧で、2年以上前の記憶は正常に保たれていた。鏡像模写などの新しい技能については、毎日の訓練により上達がみられるが、練習したこと自体は覚えていなかった。HMは、自分が容易に課題をこなしてしまうので「なんでこんなに上手くできるのだ?」と驚いた。後年の脳MRI検査により、両側の側頭葉内側の先端部、[[扁桃体]]、[[嗅内野]]([[海馬傍回]]前部)の大部分、海馬の前半分が切除されていることが明らかになった<ref name=ref2><pubmed>9133414</pubmed></ref>


 HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。
 HMは学用患者として現在も米国の某大学内で居住しており、半世紀を経た現在でも数年に一度、彼に関する論文が発表されている。現在も症状に変化はない。HMに鏡を見せると、映った自分の顔に驚愕する。なぜならHMの記憶に貯えられている自分の顔は、25歳時の顔だからだ。鏡が見ている人の容貌を映すということは知っているので、「この老人は誰だ!いったいどうなっているのだ!」と現在の自分の姿に非常なショックを受ける。しかし、鏡を取り除いて10分もするとHMは、さっきあれほどショックを受けたこと自体を覚えていない。