「反応時間」の版間の差分

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同義語:反応潜時
同義語:反応潜時


 反応時間とは、生体に刺激が与えられてからその刺激に対する外的に観察可能な反応が生じるまでの時間である。特に、[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]が何らかの知覚・認知課題を遂行する際の、随意的行動による反応について言う(例えば、ランプが点灯したらすぐボタンを押す)。類義語に潜時(latency)があるが、これは反応時間より広い概念で、ヒト以外の動物の反応や、行動ではなく生理指標として観察される反応についても言う(例えば、[[視覚]]刺激提示から視覚[[誘発電位]]が生じるまでの時間)。
 反応時間とは、生体に刺激が与えられてからその刺激に対する外的に観察可能な反応が生じるまでの時間である。特に、[[wikipedia:ja:ヒト|ヒト]]が何らかの[[知覚]]・[[認知]]課題を遂行する際の、随意的行動による反応について言う(例えば、ランプが点灯したらすぐボタンを押す)。類義語に[[潜時]](latency)があるが、これは反応時間より広い概念で、ヒト以外の動物の反応や、行動ではなく生理指標として観察される反応についても言う(例えば、[[視覚]]刺激提示から視覚[[誘発電位]]が生じるまでの時間)。
ここでは、ヒトの行動実験における反応時間について説明する。
ここでは、ヒトの行動実験における反応時間について説明する。


 反応時間は課題遂行成績(performance)の重要な指標である。反応時間が長いほど、複雑で多くの心的処理を要したと考えられる。ただし、反応時間は刺激の入力から反応の出力までに起こる種々の処理過程を総体として反映する指標である。それら処理過程は少なくとも刺激の[[知覚]]、判断や反応選択、反応の運動実行の3段階に分けられるが、いずれもが反応時間に影響を生じうる。なお、反応時間の平均的な長さだけでなく、ばらつき(標準偏差など)が分析されることもある。
 反応時間は課題遂行成績(performance)の重要な指標である。反応時間が長いほど、複雑で多くの[[心的処理]]を要したと考えられる。ただし、反応時間は刺激の入力から反応の出力までに起こる種々の処理過程を総体として反映する指標である。それら処理過程は少なくとも刺激の[[知覚]]、[[判断]]や[[反応選択]]、[[反応の運動実行]]の3段階に分けられるが、いずれもが反応時間に影響を生じうる。なお、反応時間の平均的な長さだけでなく、ばらつき([[wikipedia:ja:標準偏差|標準偏差]]など)が分析されることもある。


==いろいろな反応時間==
==いろいろな反応時間==
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 一般に反応時間測定では、できるだけ速く反応する課題(speeded task)を用いる。これに対し、好きな時に反応してよい課題の反応時間は自由反応時間(free reaction time)と呼んで区別することがある。また、課題の内容に応じて、次の3種類が区別される。
 一般に反応時間測定では、できるだけ速く反応する課題(speeded task)を用いる。これに対し、好きな時に反応してよい課題の反応時間は自由反応時間(free reaction time)と呼んで区別することがある。また、課題の内容に応じて、次の3種類が区別される。


====単純反応時間(simple reaction time, SRT)<ref>古い文献では簡単反応時間と訳されることがある。</ref>====
====単純反応時間====
Simple reaction time, SRT
 
 古い文献では簡単反応時間と訳されることがある。


 既知の1種の刺激が提示され、それに対して決められた1種の反応をする(単純検出課題)ときの反応時間。例えば、音が聞こえたらできるだけ速くボタンを押す。
 既知の1種の刺激が提示され、それに対して決められた1種の反応をする(単純検出課題)ときの反応時間。例えば、音が聞こえたらできるだけ速くボタンを押す。
下の2種よりも平均的には短く、[[視覚]]ないし[[聴覚]]刺激に対するボタン押しでは150~300ms程度である。
下の2種よりも平均的には短く、[[視覚]]ないし[[聴覚]]刺激に対するボタン押しでは150~300ms程度である。


====選択反応時間(choice reaction time, CRT)====
====選択反応時間====
Choice reaction time, CRT


 既知の複数の刺激のいずれかが提示され、刺激に応じて決められた複数の反応のいずれかを行う(n肢強制選択課題; n-alternative forced choice task, nAFC task)ときの反応時間。例えば、緑光か赤光が提示され、緑なら右、赤なら左のボタンをできるだけ速く押す(2肢強制選択課題; 2AFC task)。
 既知の複数の刺激のいずれかが提示され、刺激に応じて決められた複数の反応のいずれかを行う(n肢強制選択課題; n-alternative forced choice task, nAFC task)ときの反応時間。例えば、緑光か赤光が提示され、緑なら右、赤なら左のボタンをできるだけ速く押す(2肢強制選択課題; 2AFC task)。


====Go/No-Go反応時間(Go/No-Go reaction time)====
====ゴー・ノーゴー反応時間====
Go/No-Go reaction time


 [[弁別反応時間]](discriminative reaction time)とも。既知の複数の刺激のいずれかが提示され、そのうち特定の刺激の場合のみ、決められた1種の反応をするときの反応時間。例えば、緑光か赤光が提示され、緑ならボタンを押し、赤なら何もしない。つまり、反応するかしないか(Go/No-Go)を判断する。
 [[弁別反応時間]](discriminative reaction time)とも。既知の複数の刺激のいずれかが提示され、そのうち特定の刺激の場合のみ、決められた1種の反応をするときの反応時間。例えば、緑光か赤光が提示され、緑ならボタンを押し、赤なら何もしない。つまり、反応するかしないか(ゴー・ノーゴー)を判断する。


==初期の研究==
==初期の研究==
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 直接の契機は、1849~1850年に[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルムホルツ]]が[[wikipedia:ja:カエル|カエル]][[運動神経]]伝達速度を毎秒24.6~35.4mと測定したことだった
 直接の契機は、1849~1850年に[[wikipedia:ja:ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ|ヘルムホルツ]]が[[wikipedia:ja:カエル|カエル]][[運動神経]]伝達速度を毎秒24.6~35.4mと測定したことだった
<ref>'''K M Olesko, F L Holmes'''<br>Experiment, quantification, and discovery: Helmholtz's early physiological researches, 1843-50.<br>
<ref>'''K M Olesko, F L Holmes'''<br>Experiment, quantification, and discovery: Helmholtz's early physiological researches, 1843-50.<br>
In David Cahan (ed), Hermann von Helmholtz and the foundations of nineteenth-century science.<br>''Berkeley: University of California Press'': 1993, pp. 50-108.</ref><ref><pubmed>12122806</pubmed></ref><ref>実際には、[[活動電位]]の伝達速度は[[髄鞘]]の有無や神経線維の太さによって大きく異なる。
In David Cahan (ed), Hermann von Helmholtz and the foundations of nineteenth-century science.<br>''Berkeley: University of California Press'': 1993, pp. 50-108.</ref><ref><pubmed>12122806</pubmed></ref><ref>実際には、[[活動電位]]の伝達速度は[[髄鞘]]の有無や[[神経線維]]の太さによって大きく異なる。
ヒトの場合、遅いものでは毎秒0.5~2m、速いものでは最大毎秒75mに達する。</ref>。私たちは日常的には、自分が意図した瞬間に体が動き、心的処理は「瞬時に」完了すると思っている。これに反して神経の働きは意外に遅く、十分測定可能な程度の速さでしかなかったのである。
ヒトの場合、遅いものでは毎秒0.5~2m、速いものでは最大毎秒75mに達する。</ref>。私たちは日常的には、自分が意図した瞬間に体が動き、心的処理は「瞬時に」完了すると思っている。これに反して神経の働きは意外に遅く、十分測定可能な程度の速さでしかなかったのである。


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 では、知覚や判断はどれくらいの速さなのだろうか。ヒトでの反応時間研究の嚆矢はオランダの[[wikipedia:Franciscus_Donders|ドンデルス]]らによる1860年代の実験<ref name=deJaager1865>'''J J de Jaager'''<br>Reaction time and mental processes.<br>In J Brozek, M S Sibinga (eds.), Origins of psychometry.<br>
 では、知覚や判断はどれくらいの速さなのだろうか。ヒトでの反応時間研究の嚆矢はオランダの[[wikipedia:Franciscus_Donders|ドンデルス]]らによる1860年代の実験<ref name=deJaager1865>'''J J de Jaager'''<br>Reaction time and mental processes.<br>In J Brozek, M S Sibinga (eds.), Origins of psychometry.<br>
''Nieuwkoop: B. de Graaf'': 1970, pp. 33-73.</ref><ref name=Donders1868><pubmed>5811531</pubmed></ref>とされる。彼らは、反応時間のうち本当に心的処理(mental process)に要した時間を測ろうとした。例えば、緑光に対して右、赤光に対して左のボタンを押す課題で、反応時間が仮に300msだとしても、色弁別の心的処理に300msかかるとは言えない。そのうち相応の部分は、[[網膜]]から脳への伝達時間や脳から手の筋肉への伝達時間のはずだからである。
''Nieuwkoop: B. de Graaf'': 1970, pp. 33-73.</ref><ref name=Donders1868><pubmed>5811531</pubmed></ref>とされる。彼らは、反応時間のうち本当に心的処理(mental process)に要した時間を測ろうとした。例えば、緑光に対して右、赤光に対して左のボタンを押す課題で、反応時間が仮に300msだとしても、色弁別の心的処理に300msかかるとは言えない。そのうち相応の部分は、[[網膜]]から[[脳]]への伝達時間や脳から手の筋肉への伝達時間のはずだからである。


 ドンデルスらは、減算法(subtraction method)と呼ばれる方法でこの問題に取り組んだ。音声を聞いたらできるだけ速く発声して反応するという課題を使い、以下の反応時間を測定した。
 ドンデルスらは、減算法(subtraction method)と呼ばれる方法でこの問題に取り組んだ。音声を聞いたらできるだけ速く発声して反応するという課題を使い、以下の反応時間を測定した。
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 結果は、順に平均201ms、284ms、237msとなった<ref name=Donders1868 />。選択反応時間から単純反応時間を引いた差83msは、刺激の弁別と反応の選択の心的処理に要した時間と考えられる。選択反応時間から弁別反応時間を引いた差47msは、反応の選択の心的処理に要した時間と考えられる(弁別課題では反応の選択は必要ないが、刺激の弁別は必要である)。このように条件間の減算で心的処理に要する時間を推定するのが減算法である。
 結果は、順に平均201ms、284ms、237msとなった<ref name=Donders1868 />。選択反応時間から単純反応時間を引いた差83msは、刺激の弁別と反応の選択の心的処理に要した時間と考えられる。選択反応時間から弁別反応時間を引いた差47msは、反応の選択の心的処理に要した時間と考えられる(弁別課題では反応の選択は必要ないが、刺激の弁別は必要である)。このように条件間の減算で心的処理に要する時間を推定するのが減算法である。


しかし、この試みはうまくいかなかった。反応時間に影響を与える要因が多すぎるのである。個人差も大きい。何より、知覚や認知といった心的処理を構成要素の単純な加算で考えることに限界があった。今日よく知られているように神経系の情報処理は高度に並列的である。また、用いた課題がどんな心的処理を含むのかについては解釈に幅がある。例えば弁別反応時間には、刺激の弁別だけでなく、反応するかしないか(Go/No-Go)という反応選択処理が含まれているとも考えられる。このため、反応時間の差の絶対的な値に意味を見出すのは難しい。
 しかし、この試みはうまくいかなかった。反応時間に影響を与える要因が多すぎるのである。個人差も大きい。何より、知覚や認知といった心的処理を構成要素の単純な加算で考えることに限界があった。今日よく知られているように神経系の情報処理は高度に並列的である。また、用いた課題がどんな心的処理を含むのかについては解釈に幅がある。例えば弁別反応時間には、刺激の弁別だけでなく、反応するかしないか(Go/No-Go)という反応選択処理が含まれているとも考えられる。このため、反応時間の差の絶対的な値に意味を見出すのは難しい。


 とは言え、心的処理の速さへの関心は今なお続いている(近年では、特に物理的時間と心的時間のずれの問題として多くの研究者の興味を引いている
 とは言え、心的処理の速さへの関心は今なお続いている(近年では、特に物理的時間と心的時間のずれの問題として多くの研究者の興味を引いている
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 さて、選択肢数が同じでも、出現確率の低い刺激に対する反応は遅い
 さて、選択肢数が同じでも、出現確率の低い刺激に対する反応は遅い
<ref name=Hyman1953><pubmed>13052851</pubmed></ref>
<ref name=Hyman1953><pubmed>13052851</pubmed></ref>
<ref name=MillerPachella1973>
<ref name=MillerPachella1973>'''J O Miller, R G Pachella'''<br>Locus of the stimulus probability effect.<br>''J Exp Psychol'': 1973, 101; 227-231
'''J O Miller, R G Pachella'''<br>
Locus of the stimulus probability effect.<br>
''J Exp Psychol'': 1973, 101; 227-231
</ref>
</ref>
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&nbsp;&nbsp; <math>RT = a + b \log \left( \frac{1}{p} \right) \, </math>
&nbsp;&nbsp; <math>RT = a + b \log \left( \frac{1}{p} \right) \, </math>


 これをHick-Hymanの法則と言う。処理すべき情報量が多いほど反応に時間がかかるのである。
 これを[[Hick-Hymanの法則]]と言う。処理すべき情報量が多いほど反応に時間がかかるのである。
Hickの法則は、全選択肢が等確率( <math>p = 1/n</math> )のケースに相当する。
[[Hickの法則]]は、全選択肢が等確率( <math>p = 1/n</math> )のケースに相当する。


===先行期間 ===
===先行期間 ===
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 反応が速い時には、中枢神経系でも情報処理が速く進行した可能性がある。
 反応が速い時には、中枢神経系でも情報処理が速く進行した可能性がある。
そこで、反応時間と神経活動の生理指標との関連性が、主に[[脳波]](EEG)のような時間解像度の高い方法で検討されてきた。
そこで、反応時間と神経活動の生理指標との関連性が、主に[[脳波]](EEG)のような時間解像度の高い方法で検討されてきた。
例えば視覚刺激の単純検出課題では、反応時間が長かった試行の視覚誘発電位は、反応時間が短かった試行に比べて、潜時が長く、また振幅も小さい
例えば視覚刺激の単純検出課題では、反応時間が長かった試行の[[視覚誘発電位]]は、反応時間が短かった試行に比べて、潜時が長く、また振幅も小さい
<ref><pubmed>4160389</pubmed></ref>
<ref><pubmed>4160389</pubmed></ref>
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 [[wikipedia:ja:算術平均|算術平均]]のかわりに、よく[[wikipedia:ja:中央値|中央値]]が用いられる。外れ値の除外(cutoff)および変数変換も有効である<ref name=Ratcliff1993 />。変数変換には、[[wikipedia:ja:対数変換|対数変換]]や[[wikipedia:ja:逆数変換|逆数変換]]が用いられる(図2)。反応時間の逆数は反応速度の指標とみなすことができる。
 [[wikipedia:ja:算術平均|算術平均]]のかわりに、よく[[wikipedia:ja:中央値|中央値]]が用いられる。外れ値の除外(cutoff)および変数変換も有効である<ref name=Ratcliff1993 />。変数変換には、[[wikipedia:ja:対数変換|対数変換]]や[[wikipedia:ja:逆数変換|逆数変換]]が用いられる(図2)。反応時間の逆数は反応速度の指標とみなすことができる。


 外れ値は一定の基準に基づいて除外する。算術平均からの一定距離を基準とする(例えば、平均±3[[wikipedia:ja:標準偏差|標準偏差]]を超えたら除外)のは、分布の非対称性を考えれば妥当ではない。適切な変数変換の後に行うべきである。上限と下限を一律に定めて除外する方法もある。単純反応時間は平均150~300ms程度なので、これを極端に下回る反応時間は尚早反応、つまりフライングの結果である可能性が高い。そこで、100ないし150ms程度を下限とし、それ以下は外れ値と見なす。
 外れ値は一定の基準に基づいて除外する。算術平均からの一定距離を基準とする(例えば、平均±3標準偏差を超えたら除外)のは、分布の非対称性を考えれば妥当ではない。適切な変数変換の後に行うべきである。上限と下限を一律に定めて除外する方法もある。単純反応時間は平均150~300ms程度なので、これを極端に下回る反応時間は尚早反応、つまりフライングの結果である可能性が高い。そこで、100ないし150ms程度を下限とし、それ以下は外れ値と見なす。
上限の基準はしばしば恣意的だが、概して除外されるデータが全体の数%以下になる程度に決められるようである。
上限の基準はしばしば恣意的だが、概して除外されるデータが全体の数%以下になる程度に決められるようである。