「快・不快」の版間の差分

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 [[心理学]]では、快・不快は行動を理解するための最も基本的な心的属性の1つと定義されており、快をもたらす刺激には接近するが、不快をもたらす刺激からは遠ざかろうとする。たとえば、お腹が減っているときには食べ物を欲し(欲求が生じる)、食べ物を得るための行動(接近行動)を動機づける。そして、食べ物の摂取により欲求は満たされるが、このときに快の情動を経験する。一方、不快な情動には恐怖や不安がある。恐怖は何らかの刺激(不快刺激)に対して防御反応を示した場合の内的な状態と仮定される。一方、不安は、その情動を引き起こす対象が漠然としている場合の内的状態と定義される。
 [[心理学]]では、快・不快は行動を理解するための最も基本的な心的属性の1つと定義されており、快をもたらす刺激には接近するが、不快をもたらす刺激からは遠ざかろうとする。たとえば、お腹が減っているときには食べ物を欲し(欲求が生じる)、食べ物を得るための行動(接近行動)を動機づける。そして、食べ物の摂取により欲求は満たされるが、このときに快の情動を経験する。一方、不快な情動には恐怖や不安がある。恐怖は何らかの刺激(不快刺激)に対して防御反応を示した場合の内的な状態と仮定される。一方、不安は、その情動を引き起こす対象が漠然としている場合の内的状態と定義される。


 接近行動に重要な役割を果たしている快刺激は、快情動と動機づけに密接に関係する。[[内側前脳束]]を中心とした脳部位への電気刺激は強い[[報酬]]であると考えられているが、“欲すること(動機づけ)”と“快いこと(快情動)”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。しかし、“欲すること”と“快いこと”を司る機構が別々に脳内に存在し、それらの機構が生理的均衡状態を維持するために相互に作用するという観点から、それらの脳部位への自己刺激(intracranial self-stimulation: ICSS)実験で生じる複雑な現象が説明された。また、[[ドーパミン]]系の神経細胞を選択的に破壊した研究により、“欲すること”が障害されても“快いこと”かどうかを弁別できることが示唆されている。また、快・不快刺激は行動の変容に重要な役割を果たしている。[[オペラント条件づけ]]は行動に対する快・不快刺激の出現・消失の関係性に関する手続きである。この関係性は、行動した結果、強化子(快もしくは不快刺激)が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きから構成される。
 接近行動に重要な役割を果たしている快刺激は、快情動と動機づけに密接に関係する。[[内側前脳束]]を中心とした脳部位への電気刺激は強い[[報酬]]であると考えられているが、“欲すること(動機づけ)”と“快いこと(快情動)”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。しかし、“欲すること”と“快いこと”を司る機構が別々に脳内に存在し、それらの機構が生理的均衡状態を維持するために相互に作用するという観点から、それらの脳部位への自己刺激(intracranial self-stimulation: ICSS)実験で生じる複雑な現象が説明された。また、[[ドーパミン]]系の神経細胞を選択的に破壊した研究により、“欲すること”が障害されても“快いこと”かどうかを弁別できることが示唆されている。また、快・不快刺激は行動の変容に重要な役割を果たしている。[[オペラント条件づけ]](operant conditioning)は行動に対する快・不快刺激の出現・消失の関係性に関する手続きである。この関係性は、行動した結果、強化子(快もしくは不快刺激)が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きから構成される。
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== 快感情と動機づけ行動の違い ==
== 快感情と動機づけ行動の違い ==
 心理学において、快をもたらす刺激や不快な状態を解消するような刺激に対して行動が生じることを[[誘因動機づけ]]と定義している。言い換えると、これらの刺激を“欲すること”が“誘因に対して動機づけられている状態”である。通常、何かを“欲すること”は快情動(“快いこと”)と関連していると考えられる。[[wikipedia:James Olds|Olds]]が発見した中隔核<ref name=ref1><pubmed>13233369</pubmed></ref>や内側前脳束を中心とした脳部位<ref name=ref2><pubmed>13332128</pubmed></ref>への電気刺激は強い報酬であることが示され、それらの脳部位への自己刺激実験(intracranial self-stimulation: ICSS)では、刺激をもたらす行動を持続させることが示された。このことから、それらの脳部位を「[[快感中枢]]」と呼び、脳内刺激そのものが快いために欲されると考えられてきた。このように、“欲すること”と“快いこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。
 心理学において、快をもたらす刺激や不快な状態を解消するような刺激に対して行動が生じることを[[誘因動機づけ]]と定義している。言い換えると、これらの刺激を“欲すること”が“誘因に対して動機づけられている状態”である。通常、何かを“欲すること”は快情動(“快いこと”)と関連していると考えられる。[[wikipedia:James Olds|Olds]]が発見した中隔核<ref name=ref1><pubmed>13233369</pubmed></ref>や内側前脳束を中心とした脳部位<ref name=ref2><pubmed>13332128</pubmed></ref>への電気刺激は強い報酬であることが示され、それらの脳部位へのICSS実験では、刺激をもたらす行動を持続させることが示された。このことから、それらの脳部位を「[[快感中枢]]」と呼び、脳内刺激そのものが快いために欲されると考えられてきた。このように、“欲すること”と“快いこと”は報酬という考えの中で、長い間区別されてこなかった。


 しかし、“欲すること”と“快いこと”は区別されるものであるという考え方が一般的になりつつある。たとえば、空腹状態の時にバナナを食べるという状況を考えたとき、快情動は誘因刺激であるバナナを食べているときに経験されるものであり、食べることを欲しているときに経験される情動ではない。
 しかし、“欲すること”と“快いこと”は区別されるものであるという考え方が一般的になりつつある。たとえば、空腹状態の時にバナナを食べるという状況を考えたとき、快情動は誘因刺激であるバナナを食べているときに経験されるものであり、食べることを欲しているときに経験される情動ではない。
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[[Image:快不快1.png|thumb|300px|'''図1. 行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容の組み合わせ'''(<ref>'''Mazur, J.E.'''<br> Leaninig and Behavior. 5th ed. <br>New Jersey.: Prentice Hall (2002)</ref>を改変)]]
[[Image:快不快1.png|thumb|300px|'''図1. 行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容の組み合わせ'''(<ref>'''Mazur, J.E.'''<br> Leaninig and Behavior. 5th ed. <br>New Jersey.: Prentice Hall (2002)</ref>を改変)]]


 快刺激の動機づけの機能は行動変容に重要な役割を果たしている。たとえば、空腹状態にある時に、ある行動を行うと食物を得ることができた場合、その行動の生起頻度が上昇する。この手続きを正の強化といい、食物などの刺激を強化子という。[[wikipedia:ja:バラス・スキナー|Skinner]]は強化を通じてある行動が強められる手続きをオペラント条件づけ(operant conditioning)という用語を使用したが、この正の強化は行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容を組み合わせた4つの手続きのうちの1つにすぎない。図1は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きを示したものである。負の強化は、ある行動を行うと不快な刺激が消失した場合、その行動の生起頻度が上昇するという手続きである。日常的な例としては、歯痛で苦しい状態にある時に、鎮痛薬を服用し痛みが治まったときに該当する。すなわち、歯痛による不快な状態を薬の服用行動によってなくすことができたので、今後歯痛による不快な状態になったときに鎮痛薬の服用行動が生起する頻度が増加する。正の強化では快をもたらす刺激の出現が含まれ、負の強化では不快をもたらす刺激の消失が含まれるが、いずれにおいても行動の生起頻度を高めることが示されてきた。
 快刺激の動機づけの機能は行動変容に重要な役割を果たしている。たとえば、空腹状態にある時に、ある行動を行うと食物を得ることができた場合、その行動の生起頻度が上昇する。この手続きを正の強化といい、食物などの刺激を強化子という。[[wikipedia:ja:バラス・スキナー|Skinner]]は強化を通じてある行動が強められる手続きをオペラント条件づけという用語を使用したが、この正の強化は行動した結果生じる強化子の随伴性と行動変容を組み合わせた4つの手続きのうちの1つにすぎない。図1は、行動した結果、強化子が出現するのか消失(あるいは省略)するのかによってその行動が増加もしくは減少するという4つの手続きを示したものである。負の強化は、ある行動を行うと不快な刺激が消失した場合、その行動の生起頻度が上昇するという手続きである。日常的な例としては、歯痛で苦しい状態にある時に、鎮痛薬を服用し痛みが治まったときに該当する。すなわち、歯痛による不快な状態を薬の服用行動によってなくすことができたので、今後歯痛による不快な状態になったときに鎮痛薬の服用行動が生起する頻度が増加する。正の強化では快をもたらす刺激の出現が含まれ、負の強化では不快をもたらす刺激の消失が含まれるが、いずれにおいても行動の生起頻度を高めることが示されてきた。


 一方、罰はある行動を行うと不快な刺激が出現した場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。日常的な例としては、スピード違反をすると違反切符が送られてくるなどが該当する。負の罰は、ある行動を行うと快な刺激が消失したり、与えられずに省略されたりした場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。たとえば、アイスホッケーの試合において、反則を犯すとその選手はペナルティボックスに入り、一定の時間プレイすることができないというのが該当する。また、夜遅くまで友人と遊んでいて門限を破り、晩ご飯を親から食べさせてもらえなかったという例は、晩ご飯という快刺激が与えられずに省略された例に該当する。
 一方、罰はある行動を行うと不快な刺激が出現した場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。日常的な例としては、スピード違反をすると違反切符が送られてくるなどが該当する。負の罰は、ある行動を行うと快な刺激が消失したり、与えられずに省略されたりした場合、その行動の生起頻度が減少するという手続きである。たとえば、アイスホッケーの試合において、反則を犯すとその選手はペナルティボックスに入り、一定の時間プレイすることができないというのが該当する。また、夜遅くまで友人と遊んでいて門限を破り、晩ご飯を親から食べさせてもらえなかったという例は、晩ご飯という快刺激が与えられずに省略された例に該当する。