「恐れ」の版間の差分

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 恐れは、感情の二次元モデル(快―不快、覚醒度の高―低)<ref name=ref4><pubmed>10353204</pubmed></ref>[4]で表すと、不快で嫌悪性をもち、また、覚醒レベルが高い状態で、恐れを引き起こすものあるいは状況を避けようとする行動を生体に引き起こす誘因となる。
 恐れは、感情の二次元モデル(快―不快、覚醒度の高―低)<ref name=ref4><pubmed>10353204</pubmed></ref>[4]で表すと、不快で嫌悪性をもち、また、覚醒レベルが高い状態で、恐れを引き起こすものあるいは状況を避けようとする行動を生体に引き起こす誘因となる。


 恐れの身体情動反応と主観的感情は、他の情動・感情と同様に<ref name=ref5>'''戸田山和久'''<br>恐怖の哲学<br>''NHK出版新書'' 2016</ref> <ref name=ref6>'''Cornelius R R.'''<br>The science of emotion.<br>''Prentice-Hall, Inc,'' 1996.<br>'''コーネリアス・ランドルフ・ランディ'''<br>感情の科学―心理学は感情をどこまで理解できたか<br>''誠信書房''、1999</ref>[5] [6]、しかるべき中枢神経系の特定の状態である(基本情動説(Darwin説)、感情中枢起源説(Cannon-Bard説))とともに、末梢臓器の反応による修飾を受ける(感情末梢起源説(James-Lange説))。また、状況に対する認知的な評価に依存する側面をもつ(感情認知評価説)<ref name=ref7>'''Lazarus R.'''<br>Stress and emotion: A new synthesis.<br>''New York: Springer Pub. Co.'' 1999. <br>'''リチャード S. ラザルス'''<br>ストレスと情動の心理学―ナラティブ研究の視点から <br>''実務教育出版''、2004</ref>[7]。生じている身体的反応の情報(内受容感覚(内臓感覚))とそのときの状況の評価と身体反応の原因の推論から意思決定が影響され、主観的感情である「恐れ」が形成されるとする考えもある(ソマティック・マーカー説(Damasio説)<ref name=ref8>'''Damasio A.'''<br>The feeling of what happens: body and emotion in the making of consciousness.<br>''Harcourt Brace'', New York. 1999.<br>'''アントニオ・R・ダマシオ'''<br>無意識の脳 自己意識の脳 身体と情動と感情の神秘<br>''講談社'' 2003</ref>[8]、身体的評価仮説(Prinz説)<ref name=ref9>'''Prinz J.'''<br>Gut reactions: A perceptual theory of emotion. <br>''Oxford University Press'', USA. 2006.</ref>[9])。また、恐れは、社会文化的な制約もうける(感情社会構成説)。一方、「恐れ」を含め、様々な感情は概念で形成されたもので、特定の神経回路により生じるというよりは、脳の広範な領域に分布する様々な経験依存性のシステムで生じるもので、共通した普遍的なものではないという考えも提唱されている(構成主義的情動理論<ref>'''Barrett L.F. (2017)'''<br>How emotions are made. Brockman Inc., New York. <br>'''リサ・フェルドマン・バレット (2019).'''<br>情動はこうしてつくられる 紀伊国屋書店</ref>[10])。
 恐れの身体情動反応と主観的感情は、他の情動・感情と同様に<ref name=ref5>'''戸田山和久 (2016).'''<br>恐怖の哲学<br>''NHK出版新書''</ref> <ref name=ref6>'''Cornelius, R. R.'''<br>The science of emotion.<br>''Prentice-Hall, Inc,'' 1996.<br>'''コーネリアス・ランドルフ・ランディ'''<br>感情の科学―心理学は感情をどこまで理解できたか<br>''誠信書房''、1999</ref>[5] [6]、しかるべき中枢神経系の特定の状態である(基本情動説(Darwin説)、感情中枢起源説(Cannon-Bard説))とともに、末梢臓器の反応による修飾を受ける(感情末梢起源説(James-Lange説))。また、状況に対する認知的な評価に依存する側面をもつ(感情認知評価説)<ref name=ref7>'''Lazarus, R.'''<br>Stress and emotion: A new synthesis.<br>''New York: Springer Pub. Co.'' 1999. <br>'''リチャード S. ラザルス'''<br>ストレスと情動の心理学―ナラティブ研究の視点から <br>''実務教育出版''、2004</ref>[7]。生じている身体的反応の情報(内受容感覚(内臓感覚))とそのときの状況の評価と身体反応の原因の推論から意思決定が影響され、主観的感情である「恐れ」が形成されるとする考えもある(ソマティック・マーカー説(Damasio説)<ref name=ref8>'''Damasio, A.'''<br>The feeling of what happens: body and emotion in the making of consciousness.<br>''Harcourt Brace'', New York. 1999.<br>'''アントニオ・R・ダマシオ'''<br>無意識の脳 自己意識の脳 身体と情動と感情の神秘<br>''講談社'' 2003</ref>[8]、身体的評価仮説(Prinz説)<ref name=ref9>'''Prinz, J.'''<br>Gut reactions: A perceptual theory of emotion. <br>''Oxford University Press'', USA. 2006.</ref>[9])。また、恐れは、社会文化的な制約もうける(感情社会構成説)。一方、「恐れ」を含め、様々な感情は概念で形成されたもので、特定の神経回路により生じるというよりは、脳の広範な領域に分布する様々な経験依存性のシステムで生じるもので、共通した普遍的なものではないという考えも提唱されている(構成主義的情動理論<ref>'''Barrett, L.F. (2017)'''<br>How emotions are made. Brockman Inc., New York. <br>'''リサ・フェルドマン・バレット (2019).'''<br>情動はこうしてつくられる 紀伊国屋書店</ref>[10])。


== 誘発する刺激 ==
== 誘発する刺激 ==
 恐怖刺激として、強度が強い感覚刺激(聴覚、視覚、嗅覚刺激)、新奇な刺激、進化の過程でその種にとり生得的な脅威となった刺激、痛み刺激があげられている。これらは基本的には学習を必須としない生得的な危険刺激である。さらに、学習によりこれらの生得的危険刺激がくることを予測させる刺激も恐れを誘発する<ref name=ref10>'''Gray J A.'''<br>The psychology of fear and stress (2nd ed.). <br>Cambridge: ''Cambridge University Press''.1987</ref>[11]。
 恐怖刺激として、強度が強い感覚刺激(聴覚、視覚、嗅覚刺激)、新奇な刺激、進化の過程でその種にとり生得的な脅威となった刺激、痛み刺激があげられている。これらは基本的には学習を必須としない生得的な危険刺激である。さらに、学習によりこれらの生得的危険刺激がくることを予測させる刺激も恐れを誘発する<ref name=ref10>'''Gray, J A.'''<br>The psychology of fear and stress (2nd ed.). <br>Cambridge: ''Cambridge University Press''.1987</ref>[11]。


 「進化の過程でその種にとり生得的な脅威となった刺激」とは、進化の過程でその刺激に対し恐れを抱くことで危険を回避でき生存に有利となった刺激のことをいう。捕食者を表す(予知させる)刺激(匂い、形態、迫ってくる影、発声など)、同種の社会的強者の個体からの攻撃や威嚇の信号(発声、姿勢、表情)あるいは社会的強者が近くにいることを示すもの(匂い、視覚刺激)、同種個体の出す警戒信号(匂い、発声、表情、身振り)、霊長類にとってのヘビの視覚刺激、高所などがある。
 「進化の過程でその種にとり生得的な脅威となった刺激」とは、進化の過程でその刺激に対し恐れを抱くことで危険を回避でき生存に有利となった刺激のことをいう。捕食者を表す(予知させる)刺激(匂い、形態、迫ってくる影、発声など)、同種の社会的強者の個体からの攻撃や威嚇の信号(発声、姿勢、表情)あるいは社会的強者が近くにいることを示すもの(匂い、視覚刺激)、同種個体の出す警戒信号(匂い、発声、表情、身振り)、霊長類にとってのヘビの視覚刺激、高所などがある。
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 このように恐れに対する反応は、闘争や逃走に備えるための身体反応で覚醒レベルの上昇を反映し、恐れに選択的というよりは非選択的なものが多い。
 このように恐れに対する反応は、闘争や逃走に備えるための身体反応で覚醒レベルの上昇を反映し、恐れに選択的というよりは非選択的なものが多い。


 一方、恐れに特有の身体反応があるという主張もある。文化、人種によらずヒトは、恐れのとき、眉毛を中央に寄せて上げ、上眼瞼をひき上げ下眼瞼を緊張させ眼を大きく見開き、唇を水平方向に引き延ばすという共通した恐怖表情を示す<ref name=ref15>'''Ekman P.'''<br>Emotions revealed: understanding faces and feelings.<br>''Phoenix'' (an Imprint of The Orion Publishing Group Ltd), 2004<br>'''ポール・エクマン(菅 靖彦 訳)'''<br>顔は口ほどに嘘をつく<br>''河出書房新社''、2006</ref>[15]。また、この表情を見て、その表情をしているヒトが恐れていることをヒトは理解できる。自律神経系には、交感神経系の亢進の症状(心拍数増加、皮膚蒼白、立毛、散瞳、体温上昇(褐色脂肪活性化))とともに、末梢血管抵抗の低下<ref name=ref16><pubmed>20371374</pubmed></ref>[16]、顔面蒼白、冷や汗<ref name=ref17>'''Kreibig S.D. (2014).'''<br>The Autonomic Nervous System and Emotion.<br>''Emotion Review''; ; 6(2):100-112.</ref>[17]といった恐れに特異的なパターンがあると報告されている。恐れを含め基本情動に対応した特異的な身体感覚マップがあるという報告もある<ref name=ref18><pubmed> 24379370 </pubmed></ref>。さらに、身体反応は条件恐怖刺激では体温上昇・心拍数増加が生じ、天敵臭では体温低下、心拍数低下が生じるというように、用いる恐怖刺激により身体反応が異なることも示されている<ref name=ref19><pubmed> 17989651 </pubmed></ref>[19]。
 一方、恐れに特有の身体反応があるという主張もある。文化、人種によらずヒトは、恐れのとき、眉毛を中央に寄せて上げ、上眼瞼をひき上げ下眼瞼を緊張させ眼を大きく見開き、唇を水平方向に引き延ばすという共通した恐怖表情を示す<ref name=ref15>'''Ekman, P.'''<br>Emotions revealed: understanding faces and feelings.<br>''Phoenix'' (an Imprint of The Orion Publishing Group Ltd), 2004<br>'''ポール・エクマン(菅 靖彦 訳) (2006).'''<br>顔は口ほどに嘘をつく<br>''河出書房新社''</ref>[15]。また、この表情を見て、その表情をしているヒトが恐れていることをヒトは理解できる。自律神経系には、交感神経系の亢進の症状(心拍数増加、皮膚蒼白、立毛、散瞳、体温上昇(褐色脂肪活性化))とともに、末梢血管抵抗の低下<ref name=ref16><pubmed>20371374</pubmed></ref>[16]、顔面蒼白、冷や汗<ref name=ref17>'''Kreibig, S.D. (2014).'''<br>The Autonomic Nervous System and Emotion.<br>''Emotion Review''. 6(2):100-112.</ref>[17]といった恐れに特異的なパターンがあると報告されている。恐れを含め基本情動に対応した特異的な身体感覚マップがあるという報告もある<ref name=ref18><pubmed> 24379370 </pubmed></ref>。さらに、身体反応は条件恐怖刺激では体温上昇・心拍数増加が生じ、天敵臭では体温低下、心拍数低下が生じるというように、用いる恐怖刺激により身体反応が異なることも示されている<ref name=ref19><pubmed> 17989651 </pubmed></ref>[19]。


 他の情動と同様、恐れの感情は、認知、記憶に影響を与える。恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対して注意が向かなくなる(注意制限効果)。また、恐れの感情があると、未来に対する予測がより悲観的になること<ref name=ref20><pubmed>11474720</pubmed></ref>[20]、 仲間との友好的な関係を形成維持したいという親和動機が強まり仲間と一緒にいることを選択することが示されている。
 他の情動と同様、恐れの感情は、認知、記憶に影響を与える。恐れを惹起する刺激があると、注意がその刺激に集中し(注意集中効果)、その周辺に対して注意が向かなくなる(注意制限効果)。また、恐れの感情があると、未来に対する予測がより悲観的になること<ref name=ref20><pubmed>11474720</pubmed></ref>[20]、 仲間との友好的な関係を形成維持したいという親和動機が強まり仲間と一緒にいることを選択することが示されている。
 恐れに対する反応は、基本的には、脅威となる刺激や状況から、生体を防衛・維持する機能があると考えられる。
 恐れに対する反応は、基本的には、脅威となる刺激や状況から、生体を防衛・維持する機能があると考えられる。
神経機構
 
 恐れの神経機構については、恐怖反応を担う機構が恐怖条件づけ学習を使用した研究により明らかにされつつある<ref name=ref21>'''Davis M. (2000).'''<br>The role of the amygdala in conditioned and unconditioned fear and anxiety. pp213-288 In The Amygdala (ed Aggleton JP), Oxford.</ref><ref name=ref22><pubmed>19693004</pubmed></ref><ref name=ref23><pubmed>24501122</pubmed></ref><ref name=ref24>'''LeDoux, J.E. (1996)'''<br>
== 神経機構 ==
The emotional brain: the mysterious underpinnings of emotional life. Brockman, Inc.<br>'''ジョゼフ・ルドゥー (2003).'''<br>エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学 東京大学出版会</ref><ref name=ref25><pubmed>26552417</pubmed></ref><ref name=ref26><pubmed>25991441</pubmed></ref><ref name=ref27><pubmed>25908496</pubmed></ref><ref name=ref28><pubmed>25592533</pubmed></ref>[21-28]。その結果、恐怖条件づけ反応の獲得、保持、表出において扁桃体の重要性が示されている。とくに、外側扁桃体、基底扁桃体、扁桃体中心核の関与が考えられている。様々な感覚情報は扁桃体に入力しており、外側扁桃体と扁桃体中心核においてシナプスの可塑的変化が生じる。また、恐怖条件づけ反応の表出には扁桃体中心核からの投射が重要であることが示唆されている。恐怖条件づけ刺激に対するすくみ行動と鎮痛は扁桃体中心核から腹外側中心灰白質への投射が担い、血圧上昇反応は扁桃体中心核から外側視床下部への投射が伝達し、驚愕反応の亢進は扁桃体中心核から橋網様体(pontine reticular formationのnucleus reticular pontis caudalis)への投射の関与が示唆されている。一方、神経内分泌系の反応には、内側扁桃体-延髄弧束路核ノルアドレナリン/PrRP産生ニューロン-視床下部経路の重要性が示唆されている<ref name=ref29><pubmed>24877622</pubmed></ref>[29]。危険を能動的に回避する行動の場合、扁桃体中心核からの投射は必須ではなく基底扁桃体から側坐核への投射が重要であることが示唆されている<ref name=ref30><pubmed>25716846</pubmed></ref>[30]。
 恐れの神経機構については、恐怖反応を担う機構が恐怖条件づけ学習を使用した研究により明らかにされつつある<ref name=ref21>'''Davis M. (2000).'''<br>The role of the amygdala in conditioned and unconditioned fear and anxiety. pp213-288 In The Amygdala (ed Aggleton JP), Oxford.</ref><ref name=ref22><pubmed>19693004</pubmed></ref><ref name=ref23><pubmed>24501122</pubmed></ref><ref name=ref24>'''LeDoux, J.E. (1996)'''<br>The emotional brain: the mysterious underpinnings of emotional life. Brockman, Inc.<br>'''ジョゼフ・ルドゥー (2003).'''<br>エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学 東京大学出版会</ref><ref name=ref25><pubmed>26552417</pubmed></ref><ref name=ref26><pubmed>25991441</pubmed></ref><ref name=ref27><pubmed>25908496</pubmed></ref><ref name=ref28><pubmed>25592533</pubmed></ref>[21-28]。その結果、恐怖条件づけ反応の獲得、保持、表出において扁桃体の重要性が示されている。とくに、外側扁桃体、基底扁桃体、扁桃体中心核の関与が考えられている。様々な感覚情報は扁桃体に入力しており、外側扁桃体と扁桃体中心核においてシナプスの可塑的変化が生じる。また、恐怖条件づけ反応の表出には扁桃体中心核からの投射が重要であることが示唆されている。恐怖条件づけ刺激に対するすくみ行動と鎮痛は扁桃体中心核から腹外側中心灰白質への投射が担い、血圧上昇反応は扁桃体中心核から外側視床下部への投射が伝達し、驚愕反応の亢進は扁桃体中心核から橋網様体(pontine reticular formationのnucleus reticular pontis caudalis)への投射の関与が示唆されている。一方、神経内分泌系の反応には、内側扁桃体-延髄弧束路核ノルアドレナリン/PrRP産生ニューロン-視床下部経路の重要性が示唆されている<ref name=ref29><pubmed>24877622</pubmed></ref>[29]。危険を能動的に回避する行動の場合、扁桃体中心核からの投射は必須ではなく基底扁桃体から側坐核への投射が重要であることが示唆されている<ref name=ref30><pubmed>25716846</pubmed></ref>[30]。


 条件刺激を環境刺激(実験箱)とした場合には、その環境を記憶するために空間情報の記憶の座である海馬が扁桃体と共に必須であることが示されている。
 条件刺激を環境刺激(実験箱)とした場合には、その環境を記憶するために空間情報の記憶の座である海馬が扁桃体と共に必須であることが示されている。
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 生得的な恐怖刺激(天敵の匂い、視覚的な刺激)による恐怖反応にも扁桃体が関与していることが示されている。この場合、用いる刺激により異なる経路で恐怖反応を誘発していることが指摘されている<ref name=ref31><pubmed>22365542</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>22850830</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>26113723</pubmed></ref>[31-33] 。
 生得的な恐怖刺激(天敵の匂い、視覚的な刺激)による恐怖反応にも扁桃体が関与していることが示されている。この場合、用いる刺激により異なる経路で恐怖反応を誘発していることが指摘されている<ref name=ref31><pubmed>22365542</pubmed></ref> <ref name=ref32><pubmed>22850830</pubmed></ref> <ref name=ref33><pubmed>26113723</pubmed></ref>[31-33] 。
 ヒトにおいても「恐れ」の情報処理に、扁桃体が重要であることが指摘されている[34, 35]。恐怖刺激を含め情動を惹起させる刺激を加えると扁桃体が活性化され[36] [37]、扁桃体を刺激すると恐れを含めた情動が喚起される[38]。


 ヒトにおいても「恐れ」の情報処理に、扁桃体が重要であることが指摘されている<ref name=ref34><pubmed>25847686</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>25851307</pubmed></ref>。恐怖刺激を含め情動を惹起させる刺激を加えると扁桃体が活性化され<ref name=ref36><pubmed>18076995</pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed>24982200</pubmed></ref>、扁桃体を刺激すると恐れを含めた情動が喚起される<ref name=ref38><pubmed>16880223</pubmed></ref>。また、後述するように両側扁桃体が破壊されると恐れの認知が障害される<ref name=ref39><pubmed>7990957</pubmed></ref><ref name=ref40><pubmed>21167712</pubmed></ref>[39] [40] 。
 ヒトにおいても「恐れ」の情報処理に、扁桃体が重要であることが指摘されている<ref name=ref34><pubmed>25847686</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>25851307</pubmed></ref>。恐怖刺激を含め情動を惹起させる刺激を加えると扁桃体が活性化され<ref name=ref36><pubmed>18076995</pubmed></ref> <ref name=ref37><pubmed>24982200</pubmed></ref>、扁桃体を刺激すると恐れを含めた情動が喚起される<ref name=ref38><pubmed>16880223</pubmed></ref>。また、後述するように両側扁桃体が破壊されると恐れの認知が障害される<ref name=ref39><pubmed>7990957</pubmed></ref><ref name=ref40><pubmed>21167712</pubmed></ref>[39] [40] 。
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 マカクザルの扁桃体と海馬を含む側頭葉の切除術で生じる症状から、扁桃体・海馬・側頭葉障害で恐怖・怒りの消失、性欲亢進、食行動の変化、視覚失認、口唇傾向、視覚性注意転導性の亢進を示す症例はクリューバ―・ビューシー症候群 Klüver-Bucy syndromeと呼ばれている。これらの症状のうち恐怖怒りの消失は扁桃体の障害により生じると考えられている。また、常染色体劣性遺伝疾患のUrbach-Wiethe病(extracellular matrix protein ECM1遺伝子欠損)はリポイド蛋白質症により全身の皮膚・粘膜に硝子様物質の沈着が見られる。この疾患で両側の扁桃体が石灰化し損傷される場合がある。扁桃体損傷患者では、嫌悪刺激を用いた条件付け学習ができず、恐怖の表情を示している顔貌を認識できなくなり、脅威となる顔(怒りの顔)の検出にも障害が生じる<ref name=ref41><pubmed> 25282058 </pubmed></ref>[41]と報告されている。また、健常人には恐怖を予期させるような刺激をうけても、たとえそれが生命を脅やかすような危険な状況を思い出せるような刺激であっても、恐怖の感情が誘発されない。また、恐怖体験をしても予期的な恐怖感は生じない。しかし、恐怖の感情が完全に消失しているわけではないらしい。二酸化炭素吸入によりパニック発作が引き起こされ、主観的な恐怖を感じる<ref name=ref42><pubmed>23377128</pubmed></ref>[42]。また、姿勢や音声による恐怖を認識できると報告されている。さらに、患者によっては恐怖の表情を認識できるという報告もある<ref name=ref43><pubmed> 22218285</pubmed></ref>[43]。動物実験の結果と合わせて、扁桃体は恐怖刺激を検出し身体に防御生存反応を表出することに必須で、また恐怖学習にも必要であるが主観的な恐怖感情には必ずしも必須ではないと考えられる。主観的感情には、おかれた環境からの外受容感覚入力、状況の認知的判断、身体の恐怖反応の内受容感覚を含め複数のシステムが関わっており、扁桃体のほか、前頭前野、帯状回、島皮質、皮質下構造(視床下部、中心灰白質など)といった広範囲の脳部位の関与が考えられている<ref name=ref44><pubmed> 34789745 </pubmed></ref>[44]が、さらに検証が必要である。今後、他の情動と共に、認知的なレベルと身体的なレベルとを統合した神経基盤に基づく理解が進んでいくことが望まれる。
 マカクザルの扁桃体と海馬を含む側頭葉の切除術で生じる症状から、扁桃体・海馬・側頭葉障害で恐怖・怒りの消失、性欲亢進、食行動の変化、視覚失認、口唇傾向、視覚性注意転導性の亢進を示す症例はクリューバ―・ビューシー症候群 Klüver-Bucy syndromeと呼ばれている。これらの症状のうち恐怖怒りの消失は扁桃体の障害により生じると考えられている。また、常染色体劣性遺伝疾患のUrbach-Wiethe病(extracellular matrix protein ECM1遺伝子欠損)はリポイド蛋白質症により全身の皮膚・粘膜に硝子様物質の沈着が見られる。この疾患で両側の扁桃体が石灰化し損傷される場合がある。扁桃体損傷患者では、嫌悪刺激を用いた条件付け学習ができず、恐怖の表情を示している顔貌を認識できなくなり、脅威となる顔(怒りの顔)の検出にも障害が生じる<ref name=ref41><pubmed> 25282058 </pubmed></ref>[41]と報告されている。また、健常人には恐怖を予期させるような刺激をうけても、たとえそれが生命を脅やかすような危険な状況を思い出せるような刺激であっても、恐怖の感情が誘発されない。また、恐怖体験をしても予期的な恐怖感は生じない。しかし、恐怖の感情が完全に消失しているわけではないらしい。二酸化炭素吸入によりパニック発作が引き起こされ、主観的な恐怖を感じる<ref name=ref42><pubmed>23377128</pubmed></ref>[42]。また、姿勢や音声による恐怖を認識できると報告されている。さらに、患者によっては恐怖の表情を認識できるという報告もある<ref name=ref43><pubmed> 22218285</pubmed></ref>[43]。動物実験の結果と合わせて、扁桃体は恐怖刺激を検出し身体に防御生存反応を表出することに必須で、また恐怖学習にも必要であるが主観的な恐怖感情には必ずしも必須ではないと考えられる。主観的感情には、おかれた環境からの外受容感覚入力、状況の認知的判断、身体の恐怖反応の内受容感覚を含め複数のシステムが関わっており、扁桃体のほか、前頭前野、帯状回、島皮質、皮質下構造(視床下部、中心灰白質など)といった広範囲の脳部位の関与が考えられている<ref name=ref44><pubmed> 34789745 </pubmed></ref>[44]が、さらに検証が必要である。今後、他の情動と共に、認知的なレベルと身体的なレベルとを統合した神経基盤に基づく理解が進んでいくことが望まれる。


臨床的意義
== 臨床的意義 ==
 恐怖・不安反応が亢進することで不安性障害が生じうる。通常、危険ではないような特定の対象(例えば広場、対人、あるいは先端などの個別刺激・状況)に対し不合理に恐怖を感じる場合がある。これは恐怖症(phobia)あるいは恐怖症性不安障害(広場恐怖、社交恐怖、特定の恐怖症)と呼ばれている。また、生命を脅かされるような強い急性ストレスを体験すると、その苦痛な記憶が容易に想起され不安恐怖症状が出現することがあり、心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder, PTSD)と呼ばれている。PTSDは前頭前野・帯状回・扁桃体・海馬の機能異常があり<ref name=ref45><pubmed> 34545196 </pubmed></ref>[45]、恐怖記憶の消去障害があると想定されている。
 恐怖・不安反応が亢進することで不安性障害が生じうる。通常、危険ではないような特定の対象(例えば広場、対人、あるいは先端などの個別刺激・状況)に対し不合理に恐怖を感じる場合がある。これは恐怖症(phobia)あるいは恐怖症性不安障害(広場恐怖、社交恐怖、特定の恐怖症)と呼ばれている。また、生命を脅かされるような強い急性ストレスを体験すると、その苦痛な記憶が容易に想起され不安恐怖症状が出現することがあり、心的外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder, PTSD)と呼ばれている。PTSDは前頭前野・帯状回・扁桃体・海馬の機能異常があり<ref name=ref45><pubmed> 34545196 </pubmed></ref>[45]、恐怖記憶の消去障害があると想定されている。