物体探索

2013年6月5日 (水) 19:25時点におけるTomokouekita (トーク | 投稿記録)による版

英語名:object exploration

 動物は環境を自発的に探索することにより、環境内にある物体そのものの情報や複数の物体の配置に関する知識を獲得し、環境の変化を察知することができる。物体探索行動に関わる物体の認知や空間および環境の認知は、異なる神経基盤によって支えられていることが、損傷研究や薬理学的研究から明らかになっている。

物体探索とは

 動物が環境を探索する時、目新しい物体に対しては時間をかけて探索を行い、すでに探索が行われ馴染んだ物体には探索量が減少する。しかし、馴染んだ物体であっても、物体間の位置関係が変化した場合や、物体の置かれた環境が変化した場合に探索行動が増加する。このように物体探索行動は、環境内に生じた新たな変化に対して、動物が自発的に接近する行動であり、動物のもつ新奇な事象に対する嗜好性(novelty preference)[1]好奇心(curiosity)[2]が動機づけとなっている。

 物体や物体の位置、物体の置かれた環境を実験的に操作し、探索行動に及ぼす局所的脳破壊や薬物投与の効果を調べることにより、物体の認知、位置の認知、および環境の認知に関わる脳領域を明らかにすることができる。

物体探索課題

 この課題は、主として物体そのものの認知や位置および環境の認知を測定するために使用される。物体探索課題では、実験アリーナに複数の物体を配置し、これを動物に探索させる。実験場面や物体への馴染みが生じた後に、物体や物体の配置および環境を変化させ、これらの変化に対して、探索行動が増加するかを検討する。この課題は、食餌制限による動機づけの操作や、課題のルールに関する先行訓練が必要でなく、簡便な行動課題として広く使用されている。

物体探索行動の定義

物体探索についての操作的定義は研究者によって多少の違いがある。多くの場合、動物の吻部が物体に接触している状態[3]、および物体から1cm以内[4]または2cm以内[5]にある状態と定義される。物体の上に登る行動や、物体の周囲を回る行動は物体探索とみなさない。動物が物体にどのように触っているかを分析することは必要ないが、一貫して適応できる簡便な操作的定義をしておくことが重要である[6]

物体探索行動に影響する要因

物体の変化

 
図1.物体認知を調べる課題

 動物に二つの同じ物体を探索させた後、ひとつの物体を新しい物体に置き換えると、正常な動物は新奇物体を優先して長時間探索する[5][7]

 Ennaceur & Delacour (1988)[5] は45 cm x 65cmで高さ45 cmの壁のある実験アリーナに、2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた(見本段階)。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度、動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた(テスト段階)。一方は遅延前に提示した物体と同じ物体(馴染物体)で、他方は異なる物体(新奇物体)である(図1)。新奇物体の探索時間が馴染物体の探索時間より長ければ、動物が以前に探索した物体を認知したと結論できる。

 物体認知(弁別)には、物体の形、材質、匂い、色、明るさなど物体のもつ様々な特徴が手掛となりうる。ただし、ラットやマウスの視細胞の97%は暗所で機能する桿体細胞であるため、色の知覚に限界があることを考慮する必要がある。この他、物体認知に触覚が使用されることもある。一方の物体の表面に凸凹があり、他方の物体の表面が滑らかであれば、触覚が物体認知の有効な手掛りとなるだろう。[8]

 脳損傷や薬物投与によって馴染物体と新奇物体の探索時間に違いが見られなくなった場合、物体認知の障害が生じていると解釈できる。また、遅延時間に依存して障害が生じる場合には、作業記憶障害が生じている可能性を検討すべきである。

 この課題は課題のルールに関する学習が必要でないため、参照記憶障害の可能性は除外できるだろう。

位置の変化

 
図2.位置(場所)認知を調べる課題
 
図3.場所認知と物体認知の複合課題
([9]をもとに作成)

 あらかじめ探索させた複数の物体の配置を変化させると、正常な動物では配置の変化した物体に対して探索行動が増加する[7]

 Dix & Aggleton(1999)[7]は100 cm x 100cmで高さ46 cmの壁のある実験アリーナに、2つの同じ物体を置き、これをラットに数分間探索させた(見本段階)。一旦、ラットを広場から出して遅延をおき、再度動物を2つの物体のある広場に戻し探索させた(テスト段階)。この時、使用する2つの物体は見本段階と同じものであるが、片方の物体のみ、見本とは異なる位置に配置した(図2)。もし新しい位置に移動した物体への探索行動が増加すれば、物体の位置関係についての認知的処理が行われたとみなすことができる。

 探索行動の変化は物体の配置の変化の仕方によって異なる[10]。例えば、4つの物体を配置して馴致した後、第3セッションで1つの物体の配置を変化させると、配置が変わった物体に対して探索時間が増加した。

 4つの物体の配置を4角形から3角形へと幾何学的に変化させると、配置が変わった物体と変わっていない物体いずれに対しても探索量が増加した。興味深いことに、幾何学的配置を保ったまま、物体間の距離のみが変わった場合には探索時間の増加はみられなかった。また、1つの物体を取り除くと、残った物体への探索量が増加した。

 物体の位置関係の認知と物体そのものの認知やこれらに関わる神経基盤は、物体馴致セッション、空間認識テスト、物体認識テストを含む一連の手続きによって同時に検討することができる(図3)。Save, Poucet, Foreman, & Buhot (1992)[9] は、円形の実験アリーナに5つの異なる物体を配置し、6分間これをラットに探索させた。全ての物体に対して馴染みを形成するため、物体馴致を3セッション繰り返した後、空間認識テストにおいて2個の物体を移動させた。

 統制群と前部頭頂皮質損傷群のラットは配置の変化した物体に対して変化していない物体よりも多く探索行動を示したが、海馬損傷群と後部頭頂皮質損傷群のラットではこのような傾向が見られず、物体の位置関係の認知に失敗した。次の物体認識テストでは、一つの物体を新しい物体に置き換えたところ、全ての群のラットが新しい物体に対して探索行動が増加した。これらの結果は、海馬や後部頭頂皮質が物体の位置関係の認知に関与するが、物体自体の認知には関与しない事を示している。位置関係の認知に選択的な障害は、げっ歯類デグーの海馬破壊[11]やラットNMDA型グルタミン酸受容体の薬理学的阻害[12]によっても生じることが報告されている。

環境の変化

 
図4.環境の認知を調べる課題
[7]をもとに作成)丸は物体A、三角は物体Bを示す。

 あらかじめ探索させた物体を異なる環境で再度探索させると、正常な動物では、環境の変化に応じて物体への探索行動が増加することが報告された[7]。この課題では、セッション1において、相同の二つの物体(A1とA2)を環境Xで探索させ、異なる相同の2つの物体 (B1とB2)を環境Yで探索させる。それぞれの環境で、3分間のセッションを2試行ずつ実施する(見本段階)。

 5分間の遅延後、ペアー物体のうちの一つの環境を入れ換える(テスト段階)。例えば、環境Xに物体A1と物体B1を配置し探索させる(図4)。この時、物体A1は環境一致物体、物体B1は環境不一致物体である。

 セッション2において、見本段階での試行の順序を入れ換えて3分間のセッションを2試行ずつ実施し、テスト段階では環境Yに物体A1と物体B1を配置し探索させる。この時、物体A1は環境不一致物体、物体B1は環境一致物体である。

 このように、それぞれの環境においてテストした結果、正常なラットは、環境一致物体よりも環境不一致物体に対して長い探索行動を示したが、海馬 [13]後嗅領皮質 [14]を破壊された動物は両物体への探索行動に違いがなく、環境と物体の組み合わせの変化に反応を示さないことが報告されている。

実施上の注意点

 動物が実験環境に十分に慣れていない場合、フリーズが起こり、探索行動そのものが生じない可能性がある。したがって、実験前に10分から15分の短時間の環境馴致を数試行行い、動物を実験環境に慣れさせておく必要がある。使用する物体に関して、物体の特徴や複雑さによって探索量が異なることがある。したがって、使用する物体がどのくらい探索を引き起こすかをあらかじめ調べ、あまりにも探索量が多い物体と、あまりにも少ない物体は使用しない方がよい。また、探索中に物体についた匂いなどによって物体を弁別する可能性を排除するため、物体はペアーで準備しておき、一方を見本段階、もう一方はテスト段階で用いるようにする必要がある。

 データ分析に関して、探索行動は、探索開始から1,2分間は強く現れるが、馴化は比較的素早く生じ、探索行動が終了する。探索終了後のデータは実験操作に対してノイズを加えることになり、テストの初期段階で起こっているだろう新奇嗜好性を不明瞭にしてしまう可能性がある。したがって、1分ごとに探索量を調べ、どのように新奇嗜好性が変化するかを確認する必要がある[13]

 新奇物体への嗜好性は、単純に新奇物体と馴染物体の探索量を比較することでも可能であるが、探索量の個体差の問題を除外するために、馴染物体と新奇物体の全探索量に対する新奇物体探索量の割合として示されることが多い。物体馴致セッションにおける探索量とテストにおける馴染物体または新奇物体の探索量の変化量を指標とすることもある。統計的に有意な嗜好性を示しているかどうかについて、ワンサンプルt検定により、群の平均探索率がチャンスレベルよりも有意に異なっているかどうかを調べることができる。ただし、新奇物体への嗜好性が強いということが、認知能力の高さを示しているかどうかは明らかでない[6]

 また、前述のThinus-Blanc et al.(1987)[10]の実験によると、物体の配置の変化の仕方によって、配置が変わった物体だけでなく、配置が変わっていない物体に対しても探索量が増えることがある。したがって、位置関係の認知的処理ができているかどうかの判断は、単純に移動物体と固定物体の比較だけでは不十分であるだろう。

ヒトにおける物体認知の発達

注視時間と探索行動

 ヒトの生後ごく初期における物体認知能力は、対象をどれだけ長く見ているかという注視時間を指標とすることが多い。最もシンプルな手続きは選好注視法である。一対の刺激を提示し、それぞれの刺激を注視する時間に偏りが生じるかを調べる。どちらかの刺激をより長く注視していたならば、二つの刺激を弁別できたとみなされる。別の方法として馴化・脱馴化法があり、これは上述した動物実験のものと同じ実験パラダイムである。すなわち、何らかの刺激を複数回提示し、注視時間が短くなったところで(馴化成立)、新たな刺激を提示する。この時、注視時間の増加(脱馴化)が見られたならば、最初の刺激と後に提示された刺激を弁別できたとみなされる[15]。このような方法によって、まだ言語獲得以前の子どもにおいて物体そのものの認知や物体の空間的特性や物理的特性の認知を測定することができる。探索行動を指標として認知機能を測定した研究もあるが、注視か探索かという指標の違いによって、課題の遂行成績が一致しないことが指摘されてきた。

物体の永続性

 指標が注視時間か探索行動かによる結論の不一致は、永続性の概念についての一連の研究においても議論となった[16] [17]。物体認知発達心理学者であるPiaget(1896年-1980年)は、ヒトの誕生から2年間の期間を感覚運動段階と呼び、この期間に乳幼児は自己の運動と外界に存在する物体との関係を学習していくと考えた。その代表的な認知として物体の永続性(object permanence)が挙げられる。永続性とは物体が見えなくなっても存在し続けることの認知であり、隠された物体の探索行動が生じる場合に永続性が確立されたとみなされる。この物体探索行動は発達とともに段階的に変化していく。誕生から2カ月までは物体が視界から消えても反応しない。4カ月から8カ月の乳児では物体が視界から消えると驚く反応を見せるものの探索行動は生じない。しかし、8カ月から12ケ月の乳児では、布や衝立で隠された物体を積極的に探索するようになる。したがって、物体の永続性の概念の獲得には1年程度を要するのであると考えられた。ところが、注視時間を指標とするBaillargeonの実験「跳ね橋実験」[18]では、物体の永続性の認知そのものは3.5カ月で獲得されることが示された。この実験では、物体とそれに向かって移動する衝立の映像が“ありえる条件”と“ありえない条件”の2条件で提示され、それぞれに対する注視時間が測定された。“ありえる条件”では、衝立が物体にぶつかって止まるのに対して、“ありえない条件”では衝立が物体を通り越して移動を続ける。3.5カ月齢の乳児において“ありえない条件”での注視時間が“ありえる条件”よりも長くなったことから、3.5カ月ですでに物体が存在し続けるという永続性の認知が可能であることを示している。したがって、物体の永続性の認知と消えた物体に対する探索行動の発現の時期は必ずしも対応するわけでない。

探索エラー

 物体探索行動が開始された後も、しばしば探索エラーが生じる。Piagetは9月齢前後の乳児では、物体が目の前で衝立Aから衝立Bの後ろに移動しても、衝立Aの後ろを探し続ける「A-not-Bエラー」が生じることを指摘した。Diamondによるサルの前頭皮質損傷や研究やヒトの前頭皮質損傷患者を対象とした一連の研究により、「A-not-Bエラー」は前頭前野の未成熟によると考えられている。  物体の特性を知覚レベルでは認識しているにもかかわらず、実際の探索行動が成功しない例は落下する物体の探索行動にも見られる。選好注視法を用いた実験では、物体が障害物によって妨げられている軌跡上を通過しないという固体性(solidity)の概念は、生後3,4カ月で獲得されることが確認されている。しかし、落下する物体を探索させる課題では2歳児でも探索エラーが多く見られた。この探索エラーは、固執傾向というよりむしろ、物体と障害物との空間的位置の表象を形成することの困難さや障害物に対する注意の欠如により生じると考えられている[19]

神経基盤

 物体探索行動は環境内に生じた新たな変化によって引き起こされる行動であり、新奇な事象それ自体が行動を引き起こす、いわば報酬の役割をもつ。神経細胞レベルでも、新奇刺激が報酬系すなわちドーパミンニューロンの活動を引き起こすことが報告されている[20]。新奇刺激のインパクトによって反応の強度や持続性は異なるが、刺激が繰り返し提示されると、その活動は鎮静化していく。ドーパミンニューロンの障害によるおこるパーキンソン病の患者では新奇探索傾向が減少し、危険回避傾向が増加する[21]。同様の行動傾向が、ドーパミンD4受容体ノックアウトマウスにおいても報告されている[22]

 物体の視覚的な情報処理については、Mishkinらによって、二つの処理系提唱された。物体の空間的情報は一次視覚野から背側に向かう経路「where patyway」で処理され、物体認知は腹側に向かう経路「whatpathway」で処理される[23] 。これまで、物体探索行動を指標として測定された物体認知の神経基盤としては、海馬が物体の空間的情報処理に関与するが、物体認知そのものには重要でないという一致した見解が得られてきた。しかし、物体自体の認知に関わる脳領域について、物体探索課題では積極的な結果が得られていない。

 一方、物体認知記憶を測定する遅延非見本合わせ課題(delayed nonmatching to sample, DNMS)を用いた損傷研究により、嗅皮質(rhinal cortex)が物体認知に重要であると考えられている。この課題は、ある刺激を前に見たかどうかについての物体認知記憶を測定するために使用される。見本試行において、テーブル上に見本物体が短時間提示され、遅延時間後の選択試行では、見本物体と同じ物体が新奇物体とともに提示される。動物が新奇物体を選択すると報酬が与えられる。 この課題を用いた初期の実験[24]では、マカクザルの海馬と扁桃体を含む側頭葉内側部の損傷の効果が検討された。見本試行と選択試行の遅延時間が10秒以内である場合、この課題の遂行に損傷の影響はなかったが、それよりも長い遅延時間が挿入されると、その時間依存的に課題の正答率が低くなった。後に同研究者によって損傷の精度を高めて追試が行われた結果、この障害は海馬や扁桃体単独の損傷では生じず、むしろそれらの近辺領域にある嗅皮質の損傷が障害を引き起こしたことが明らかになった[25]。したがって、物体認知記憶には海馬や扁桃体ではなく嗅皮質が重要な役割を担うと考えられる。

関連項目

参考文献

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(執筆者:上北朋子 イラスト:奥村紗音美 担当編集委員:入來篤史)