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:insight 独:Einsicht 類義語:疾病認識、障害認識、病覚、 attitudes about illness、awareness of illness
<div align="right"> 
<font size="+1">[http://researchmap.jp/read0030547 池淵 恵美]</font><br>
''帝京大学 医学部''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2012年1月17日 原稿完成日:2012年2月2日 一部修正日:2014年10月13日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
</div>


(概要を御願い致します。)
英: insight 独: Einsicht


同義語: 疾病認識、障害認識、病覚、attitudes about illness、awareness of illness


== 病識とは ==
{{box|text=「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものが病識である。障害認識と専門家からの認識に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。特にこれは統合失調症で顕著で、診断された者のうち病識の欠如が97% に認められたという報告もある。器質的障害でも、「麻痺があたかもないように振るまったり、麻痺の存在に関心を示さない」現象が観察されている。治療に伴い、ほかの精神症状が改善してもしばしば病識が一緒に改善しないことがあるなど、病識欠如は治療抵抗性であり、予後の悪さとも関連性が高い。病識欠如の成因として認知機能障害を想定することが近年行われるようになっているが、それだけではなく病識は多要因であり、心理的な否認、医学的症状への誤った認知、スティグマを伴う社会的立場への反応なども関与している。したがって病識の障害に対し、個々の症例での丁寧なアセスメントにそって治療的アプローチを組み立てていくことが必要である。}}
 
==病識とは==
 病識の定義としては、[[wikipedia:JA:ヤスパース|Jaspers]]<ref name=ref1>'''Jaspers,K.(内村祐之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>の定義「人が(疾病についての)自己の体験に対し、観察し判断しながら立ち向かうことを疾病意識とし、そのうちの”正しい構えの理想的なもの”が病識とされる」(筆者による要約)や、Lewis<ref>'''Lewis, A.'''<br>The psychopathology of insight<br>''J Medical Phychology:'' 1934, 14:332-348</ref>の定義「自己の中におこった疾病による変化への正確な態度であり、直接知覚できるもの(変化が起こっている)と、二次的なデータに基づくもの(変化があるに違いない)がある」などがよく知られている。林<ref>'''林直樹'''<br>疾病認識の評価<br>''精リハ誌:'' 2001, 5:102-105</ref>はJaspersの定義にそって、患者一般の側から見た疾病認識がまずあり、その一部として病識(精神医学の立場から見た評価)があることを指摘した。Markovaら<ref><pubmed>1617369</pubmed></ref>は、病識はself-knowledge(自己に影響を与える事柄についての知識)の一部であるので、単に精神障害についての知識や罹患したことに関わる事実の知識があるだけでは不十分で、外界および内界からの情報によって自己全体に与える影響が組み立てられるとしている。
 病識の定義としては、[[wikipedia:JA:ヤスパース|Jaspers]]<ref name=ref1>'''Jaspers,K.(内村祐之、西丸四方、島崎敏樹、岡田敬蔵訳)'''<br>精神病理学総論<br>''岩波書店''、東京、1953</ref>の定義「人が(疾病についての)自己の体験に対し、観察し判断しながら立ち向かうことを疾病意識とし、そのうちの”正しい構えの理想的なもの”が病識とされる」(筆者による要約)や、Lewis<ref>'''Lewis, A.'''<br>The psychopathology of insight<br>''J Medical Phychology:'' 1934, 14:332-348</ref>の定義「自己の中におこった疾病による変化への正確な態度であり、直接知覚できるもの(変化が起こっている)と、二次的なデータに基づくもの(変化があるに違いない)がある」などがよく知られている。林<ref>'''林直樹'''<br>疾病認識の評価<br>''精リハ誌:'' 2001, 5:102-105</ref>はJaspersの定義にそって、患者一般の側から見た疾病認識がまずあり、その一部として病識(精神医学の立場から見た評価)があることを指摘した。Markovaら<ref><pubmed>1617369</pubmed></ref>は、病識はself-knowledge(自己に影響を与える事柄についての知識)の一部であるので、単に精神障害についての知識や罹患したことに関わる事実の知識があるだけでは不十分で、外界および内界からの情報によって自己全体に与える影響が組み立てられるとしている。


 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の気づき」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。
 こうした諸家の見解をもとに池淵<ref>'''池淵恵美'''<br>「病識」評価<br>''精神医学:'' 2004, 46:806-819</ref>は、「精神障害によってもたらされる何らかの変化の[[気づき]]」つまり主観的な変化の体験の自覚をひろく障害認識と呼び、障害認識についてそれが医学的に妥当であるかどうかを客観的評価したものを病識と呼んだ(図1)。障害認識や病識と専門家の認知に乖離が生ずる時に病識不十分、もしくは病識欠如と評価される。たとえば、「前よりも感情がわかず、喜怒哀楽が薄くなった」と感じるのは障害認識のレベルであり、それを何らかの精神障害に基づく症状として自覚できているかどうか、その正確さによって専門家が病識の程度を判定することになる。本論では上記の意味で「病識」を使っていくが、しかし文献によって「病識」という言葉が指し示す内容は異なることがあるので留意が必要である。


[[ファイル:障害認識と病識.png|thumb|400px|図1 障害認識と病識]]
[[ファイル:障害認識と病識.png|thumb|400px|図1.障害認識と病識]]


 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref name=David_J_Psychiatry1><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。
 障害認識及び病識は、異なる成因からなる多要因の概念であると近年は考えられるようになっている。たとえばDavid<ref name=David_J_Psychiatry><pubmed>2207510</pubmed></ref>,<ref name=David_J_Psychiatry1><pubmed>1422606</pubmed></ref>は病識の概念を二分して、「何らかの疾患に罹患しており、それが精神障害であること」と、「特定の精神的な変化の体験を病的であると認識できる能力」とした。また両概念とも、「あり」「なし」の二分法では記述できないこと、両概念の相互関連性は必ずしも高くないことを示した。そしてこれまでのさまざまな研究における病識欠如の出現率は評価方法と、評価している時期に依存していることを指摘した。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>,<ref name=amador_Am_J_Psychiatry><pubmed>8494061</pubmed></ref>は、病識はひとまとまりの症状群ごとに検討されるべき modality-specificなものであり、障害認識及び病識は少なくとも以下の4次元から成り立っていると主張している。
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# 心理的防衛
# 心理的防衛


 池淵ら<ref>'''池淵恵美、安西信雄、米田衆介ほか'''<br>精神分裂病の病識に影響を与える要員について<br>''日本社会精神医学雑誌:'' 2000, 9:153-162</ref>は、[[ICD-10]]によって統合失調症と診断された31例(社会復帰病棟に入院中の慢性例)を対象に、複数の尺度による評価を試み、3因子(治療遵守と疾病の認識因子、服薬理由の因子、精神症状認識の因子)を抽出した。
 池淵ら<ref>'''池淵恵美、安西信雄、米田衆介ほか'''<br>精神分裂病の病識に影響を与える要員について<br>''日本社会精神医学雑誌:'' 2000, 9:153-162</ref>は、[[ICD-10]]によって統合失調症と診断された31例(社会復帰病棟に入院中の慢性例)を対象に、複数の尺度による評価を試み、3因子(治療遵守と疾病の認識因子、服薬理由の因子、精神症状認識の因子)を抽出した。


== 歴史的背景 ==
== 歴史的背景 ==
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 19世紀に[[wikipedia:JA:クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]]について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もSchizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的な[[wikipedia:JA:コホート研究|コホート調査]]では、[[統合失調症]]と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められたと報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。[[双極性気分障害]]での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。
 19世紀に[[wikipedia:JA:クレペリン|Kraepelin]]が[[早発性痴呆]]について記載したときにすでに、疾患の重症度について自覚されないことが典型的であるとし、Bleuler,E.もSchizophrenienの呼称を定めた時点で、自己の病態の認識に欠けることを指摘している。1973年のWHOによる国際的な[[wikipedia:JA:コホート研究|コホート調査]]では、[[統合失調症]]と診断された者のうち病識の欠如が97% に認められたと報告されるなど、統合失調症の疾病特異的な病態であると認識されてきており、病識のことを述べるときにはまず統合失調症が連想される。[[双極性気分障害]]での報告など、他の精神障害についても病識の問題は見られるが、本文においてはもっとも研究報告が多い統合失調症における病識に的を絞って記載している。


 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。
 1990年代になると病識についての操作的基準による量的・多次元的評価尺度が発達し、実証的研究が活発となった。Amadorら<ref name=amador_schizophr_bull><pubmed>2047782</pubmed></ref>やMarkovaら<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>によれば、病識の評価方法は以下の5種類がある。
# 1970年代までは患者の自由な陳述を臨床的に記載する方法で、「あり」「なし」に2分される。
# 1970年代までは患者の自由な陳述を臨床的に記載する方法で、「あり」「なし」に2分される。
# 1980年代に開発され、一定の設問への応答を臨床的に記載する方法で、[[Mental Status Examination]]がその例である。
# 1980年代に開発され、一定の設問への応答を臨床的に記載する方法で、[[Mental Status Examination]]がその例である。
# 1970-80年代に用いられた、患者の自由な陳述を一定の評価基準に基づいて採点する方法。1973年に行われたWHOによる国際研究もこの方法で行われた。
# 1970-80年代に用いられた、患者の自由な陳述を一定の評価基準に基づいて採点する方法。1973年に行われたWHOによる国際研究もこの方法で行われた。
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 歴史的に見れば、英語圏ではMayer-Grossをはじめとして、障害認識ないしは病識は[[力動精神医学]]の視点からは[[防衛機制]]であり、防衛にはいくつかの側面があり、回復とともに変化すると考えられてきた。また障害認識を表明するためには、ある程度の教育や知的能力、自己表現する言語能力、[[情動]]的な耐性などが必要であり、[[幻聴]]などのように単一症状として考えるべきではなく、人格と切り離すことはできないとの見解がある<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>。[[妄想]]を述べる患者がそれにしたがった行動はとらないなど、なんらかの乖離が現実にしばしば見られるところにも、防衛機制の存在を指摘する考え方が行われてきた。
 歴史的に見れば、英語圏ではMayer-Grossをはじめとして、障害認識ないしは病識は[[力動精神医学]]の視点からは[[防衛機制]]であり、防衛にはいくつかの側面があり、回復とともに変化すると考えられてきた。また障害認識を表明するためには、ある程度の教育や知的能力、自己表現する言語能力、[[情動]]的な耐性などが必要であり、[[幻聴]]などのように単一症状として考えるべきではなく、人格と切り離すことはできないとの見解がある<ref name=Markova_comprehensive><pubmed>7497711</pubmed></ref>。[[妄想]]を述べる患者がそれにしたがった行動はとらないなど、なんらかの乖離が現実にしばしば見られるところにも、防衛機制の存在を指摘する考え方が行われてきた。


=== 精神障害についての体験・学習モデル ===
=== 精神障害についての体験・学習モデル ===
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=== 多要因・複数成因モデル ===
=== 多要因・複数成因モデル ===


 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度、認識の対象となる症状によって異なり、神経認知機能障害に対する認識のほうが、精神症状に対する認識よりも保たれているとしたが、その逆の報告<ref><pubmed>19840898</pubmed></ref>も見られるなど、まだ一定しない。
 障害認識及び病識はいくつかの要因から成り立っている概念であり、すでに述べてきた複数の成因の相互作用によって形成されるのではないかと考えられる。しかしどのような要因があるのか、またそれぞれの要因についてどのような成因が考えられるのか、さらにはこれらがどのように関連し合っているのかなどについてはまだ十分な研究報告がなく、これからの検討にゆだねられている。Gillenら<ref><pubmed>20851850</pubmed></ref>は31例の統合失調症の患者を調査して、障害認識の程度は、認識の対象となる症状によって異なり、神経認知機能障害に対する認識のほうが、精神症状に対する認識よりも保たれているとしたが、その逆の報告<ref><pubmed>19840898</pubmed></ref>も見られるなど、まだ一定しない。
 


== 治療 ==
== 治療 ==


 近年はさまざまな社会的資源が整備されてきているが、病識が不十分な場合にはこうしたせっかくの資源も利用に至らず、結果として社会的孤立の道を歩むことになる。治療面でも、McEvoyら<ref><pubmed>2564330</pubmed></ref>が指摘するように、ほかの精神症状が改善してもしばしば病識が一緒に改善しないことがあり、病識欠如は予後の悪さと関連性が高く、いわば治療抵抗性である。
 近年はさまざまな社会的資源が整備されてきているが、病識が不十分な場合にはこうしたせっかくの資源も利用に至らず、結果として社会的孤立の道を歩むことになる。治療面でも、McEvoyら<ref><pubmed>2564330</pubmed></ref>が指摘するように、ほかの精神症状が改善してもしばしば病識が一緒に改善しないことがあるなど、病識欠如は治療抵抗性であり、予後の悪さとも関連性が高い。


 病識は多要因であり、成因も複数であることが考えられるため、個々の症例での丁寧なアセスメントにそって治療的アプローチを組み立てていくことが必要であろう。そのために治療効果についての実証的な研究には工夫が求められる。
 病識は多要因であり、成因も複数であることが考えられるため、個々の症例での丁寧なアセスメントにそって治療的アプローチを組み立てていくことが必要であろう。そのために治療効果についての実証的な研究には工夫が求められる。


 薬物療法では[[クロザピン]]で病識が改善したとの報告<ref><pubmed>10482343</pubmed></ref>が見られるものの、まだ十分に検討されていない。
 薬物療法では[[抗精神病薬#第2世代|クロザピン]]で病識が改善したとの報告<ref><pubmed>10482343</pubmed></ref>が見られるものの、まだ十分に検討されていない。


 治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永<ref name=Yasunaga_seishinkagakuchuryougaku>'''安永浩'''<br>いわゆる病識から"姿勢"覚へ<br>''精神科学治療学:'' 1988, 3:43-50</ref>は、病覚ないしは病識を[[姿勢覚]]になぞらえ、内部図式の知覚であり、[[運動感覚]]的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。
 治療関係の中で不安や挫折感を受け止めつつ、病気によって起こってきた変化や病感を一緒に確認し、障害認識そして病識へと高めていく個人精神療法のアプローチは重要である。安永<ref name=Yasunaga_seishinkagakuchuryougaku>'''安永浩'''<br>いわゆる病識から"姿勢"覚へ<br>''精神科学治療学:'' 1988, 3:43-50</ref>は、病覚ないしは病識を[[姿勢覚]]になぞらえ、内部図式の知覚であり、[[運動感覚]]的なもの、運用感覚であるとし、細部を知覚することはむしろ必要がなく、かんどころ、いわば関節部分が抑えられればよい、と述べた。そして以下のような精神療法の提言を行っている。「(病覚ないし病識の)認識の対象は外にあるものではない。自分のみのうち、精神身体空間の内部にある何者かである」「そのアナロジー(類推)として、「身のこなし」の感覚がやりやすい」と述べている。
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 Rommeら<ref><pubmed> 2749184 </pubmed></ref>,<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Empowering people who hear voicesHearing voices.<br>''G. Haddock,P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders.:'' 1996, pp137-150</ref>は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。
 Rommeら<ref><pubmed> 2749184 </pubmed></ref>,<ref>'''Romme, M.A.J., Escher,A.D.M.A.C.'''<br>Empowering people who hear voicesHearing voices.<br>''G. Haddock,P.D.Slade eds. Cognitive-Behavioural Interventions with Psychotic Disorders.:'' 1996, pp137-150</ref>は人々(患者とは限らない)の「幻聴とのつきあい方」を調査し、34%が「幻聴とうまくつきあえている」と答えていたが、これらの人の多くは幻聴を病気としてのサインではなく、その人の人生の中で必然的に生じた個性の一部としてとらえ、共存していこうとする見方をとっていた。社会のスティグマがないところでは、障害認識や病識はより形成されやすいと彼らは考えている。したがって社会のスティグマを減らす努力が求められているし、精神障害の程度にかかわらず仲間に受け入れられ、精神病体験も共感をもって受け止められる体験の中で、自身の体験を受容し対処していく中で、障害認識・病識ははぐくまれると考えられる。


== 引用文献 ==
== 参考文献 ==


<references/>
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(執筆者:池淵恵美 担当編集委員:加藤忠史)

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