「記憶痕跡」の版間の差分

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<font size="+1">鈴木章円、[http://researchmap.jp/ohkawa_noriaki 大川 宜昭]、[http://researchmap.jp/nomoto 野本 真順]、[http://researchmap.jp/kaoruinokuchi 井ノ口 馨]</font><br>
<font size="+1">鈴木章円、[http://researchmap.jp/ohkawa_noriaki 大川 宜昭]、[http://researchmap.jp/nomoto 野本 真順]、[http://researchmap.jp/kaoruinokuchi 井ノ口 馨]</font><br>
''富山大学 大学院医学薬学研究部''<br>
''富山大学 大学院医学薬学研究部''<br>
DOI [[XXXX]]/XXXX 原稿受付日:2013年4月24日 原稿完成日:2014年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2013年4月24日 原稿完成日:2014年4月10日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/haruokasai 河西 春郎](東京大学 大学院医学系研究科)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/haruokasai 河西 春郎](東京大学 大学院医学系研究科)<br>
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 [[恐怖記憶]]獲得時に活性化するニューロン群では、[[転写調節因子]]である[[CREB]] ([[cAMP response element-binding protein]])活性が高い。さらに、通常恐怖記憶が成立しにくいCREB欠損マウスの扁桃体ニューロンへのCREB過剰発現が、恐怖記憶獲得を回復させるとともに、記憶想起時にCREB過剰発現ニューロンが選択的に再活性化する<ref name=ref5><pubmed>17446403</pubmed></ref>。これらのことを基にして、Sheena JosselynおよびAlcino Silvaのグループは、CREBを過剰発現したニューロンを特異的に不活性化させた後の記憶変化を見ることで、これらのニューロン集団が記憶想起に必要かどうかを検証した<ref name=ref6><pubmed>19286560</pubmed></ref> <ref name=ref7><pubmed>19783993</pubmed></ref>。
 [[恐怖記憶]]獲得時に活性化するニューロン群では、[[転写調節因子]]である[[CREB]] ([[cAMP response element-binding protein]])活性が高い。さらに、通常恐怖記憶が成立しにくいCREB欠損マウスの扁桃体ニューロンへのCREB過剰発現が、恐怖記憶獲得を回復させるとともに、記憶想起時にCREB過剰発現ニューロンが選択的に再活性化する<ref name=ref5><pubmed>17446403</pubmed></ref>。これらのことを基にして、Sheena JosselynおよびAlcino Silvaのグループは、CREBを過剰発現したニューロンを特異的に不活性化させた後の記憶変化を見ることで、これらのニューロン集団が記憶想起に必要かどうかを検証した<ref name=ref6><pubmed>19286560</pubmed></ref> <ref name=ref7><pubmed>19783993</pubmed></ref>。


 まず、Josselynらは、CREBを過剰発現したニューロンを不活性化させるため、“[[iDTR]] (inducible diphtheria toxin receptor)マウス”と名付けられた[[トランスジェニックマウス]]の扁桃体に[[wikipedia:ja:単純ヘルペスウィルス|単純ヘルペスウィルス]]([[wikipedia:ja:単純ヘルペスウイルス|herpes simplex virus]]: HSV)ベクターによりCREB-creを発現し、[[cre]]活性により[[loxP]]で挟まれたSTOP配列を抜き出すことでCREBが過剰発現したニューロン内にDTR(ジフテリア毒素受容体)を発現させた。その後、[[wikipedia:ja:ジフテリア毒素|ジフテリア毒素]]を投与することで細胞死を誘導し、CREBを過剰発現したニューロン群の選択的除去を行った(図3B)<ref name=ref6 />。同様に、Silvaらは、HSVによりCREBと[[AlstR]]([[アラトスタチン受容体]])を注入し、両者をニューロンに発現させた。そして、アラトスタチンを投与することで、CREBを発現する神経細胞を不活性化させた(図3C)<ref name=ref7 />。どちらの場合においても、ジフテリア毒素またはアラトスタチン投与により扁桃体依存的な恐怖記憶の想起が阻害された。これらにより、恐怖記憶の発現時に活性化される扁桃体ニューロン群(セルアセンブリ)が、記憶痕跡に重要な役割を担っていることが示唆された。
 まず、Josselynらは、CREBを過剰発現したニューロンを不活性化させるため、“[[iDTR]] (inducible diphtheria toxin receptor)マウス”と名づけられた[[トランスジェニックマウス]]の扁桃体に[[wikipedia:ja:単純ヘルペスウィルス|単純ヘルペスウィルス]]([[wikipedia:ja:単純ヘルペスウイルス|herpes simplex virus]]: HSV)ベクターによりCREB-creを発現し、[[cre]]活性により[[loxP]]で挟まれたSTOP配列を抜き出すことでCREBが過剰発現したニューロン内にDTR(ジフテリア毒素受容体)を発現させた。その後、[[wikipedia:ja:ジフテリア毒素|ジフテリア毒素]]を投与することで細胞死を誘導し、CREBを過剰発現したニューロン群の選択的除去を行った(図3B)<ref name=ref6 />。同様に、Silvaらは、HSVによりCREBと[[AlstR]]([[アラトスタチン受容体]])を注入し、両者をニューロンに発現させた。そして、アラトスタチンを投与することで、CREBを発現する神経細胞を不活性化させた(図3C)<ref name=ref7 />。どちらの場合においても、ジフテリア毒素またはアラトスタチン投与により扁桃体依存的な恐怖記憶の想起が阻害された。これらにより、恐怖記憶の発現時に活性化される扁桃体ニューロン群(セルアセンブリ)が、記憶痕跡に重要な役割を担っていることが示唆された。


===仮説から物理的実体へ===
===仮説から物理的実体へ===
 2012年、[[wikipedia:ja:利根川進|利根川進]]のグループは、[[オプトジェネティックス]]([[光遺伝学]])法を用いて、特定のニューロン群の活性を制御することで記憶痕跡の物理的存在を示した<ref name=ref8><pubmed>22441246</pubmed></ref> (図4)。彼らはまず[[海馬]]の[[歯状回]]のニューロンが活性化状態になると[[チャネルロドプシン]](ChR)を発現するトランスジェニックマウスを作製した。光照射するとチャネル[[ロドプシン]]のチャネルが開き、[[wikipedia:ja:カチオン|カチオン]]を細胞内に流入させる。光照射という人為的な操作でニューロンを[[脱分極]](活動)させることができる。彼らは、[[マウス]]に[[恐怖条件付け]]を行って恐怖記憶を形成させた時に活性化したニューロン群特異的にチャネルロドプシンを発現させた。次にマウスをまったく別の環境に暴露し、光照射によりチャネルロドプシンを発現しているニューロン群のみを選択的に活性化すると、マウスが恐怖を感じた時に示す、すくみ行動(フリージング)を引き起こさせることができることを発見した。すなわち、人為的な操作によって恐怖記憶を想起させることに成功し、記憶が学習時に活性化した特定のニューロン群(セルアセンブリ)に割り付けられて符号化されていることが示された。
 2012年、[[wikipedia:ja:利根川進|利根川進]]のグループは、[[オプトジェネティックス]]([[光遺伝学]])法を用いて、特定のニューロン群の活性を制御することで記憶痕跡の物理的存在を示した<ref name=ref8><pubmed>22441246</pubmed></ref> (図4)。彼らはまず[[海馬]]の[[歯状回]]のニューロンが活性化状態になると[[チャネルロドプシン]](ChR)を発現するトランスジェニックマウスを作製した。光照射するとチャネル[[ロドプシン]]のチャネルが開き、[[wikipedia:ja:カチオン|カチオン]]を細胞内に流入させる。光照射という人為的な操作でニューロンを[[脱分極]](活動)させることができる。彼らは、[[マウス]]に[[恐怖条件づけ]]を行って恐怖記憶を形成させた時に活性化したニューロン群特異的にチャネルロドプシンを発現させた。次にマウスをまったく別の環境に暴露し、光照射によりチャネルロドプシンを発現しているニューロン群のみを選択的に活性化すると、マウスが恐怖を感じた時に示す、すくみ行動(フリージング)を引き起こさせることができることを発見した。すなわち、人為的な操作によって恐怖記憶を想起させることに成功し、記憶が学習時に活性化した特定のニューロン群(セルアセンブリ)に割りづけられて符号化されていることが示された。


 このように、多くのニューロンの中から、一部のニューロン群が各記憶イベントに対応し活性化することで記憶痕跡が形成される(アンサンブル・コーディング)ことが示される一方で、どのようにしてこれらのニューロン群が選択されたのかについては、不明の点が多い。扁桃体の多くのニューロンが感覚入力を受け得るにもかかわらず、一部のニューロンのみが恐怖記憶獲得に依存した質的変化を示す。前述したように、恐怖記憶獲得に関わるニューロン群の選択性とCREB活性は正相関する<ref name=ref5 />。CREBを過剰発現したニューロンでは、興奮性や、記憶獲得時のシナプス伝達効率の変化率が大きいことが報告されている<ref name=ref7 />。これらのことは、学習時にCREB活性が高いニューロンが選択的にその記憶に関するセルアセンブリに取り込まれることを示唆している。
 このように、多くのニューロンの中から、一部のニューロン群が各記憶イベントに対応し活性化することで記憶痕跡が形成される(アンサンブル・コーディング)ことが示される一方で、どのようにしてこれらのニューロン群が選択されたのかについては、不明の点が多い。扁桃体の多くのニューロンが感覚入力を受け得るにもかかわらず、一部のニューロンのみが恐怖記憶獲得に依存した質的変化を示す。前述したように、恐怖記憶獲得に関わるニューロン群の選択性とCREB活性は正相関する<ref name=ref5 />。CREBを過剰発現したニューロンでは、興奮性や、記憶獲得時のシナプス伝達効率の変化率が大きいことが報告されている<ref name=ref7 />。これらのことは、学習時にCREB活性が高いニューロンが選択的にその記憶に関するセルアセンブリに取り込まれることを示唆している。
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 記憶痕跡の形成には、シナプス可塑性が重要な役割を果たしていると考えられている。外界から情報(刺激)を得たときに、脳内ではさまざまな組み合わせのニューロンが活動する。同期活動したニューロン間のシナプスではシナプス伝達効率の上昇現象である長期増強(long-term potentiation; LTP,図5)が起きていると考えられている。
 記憶痕跡の形成には、シナプス可塑性が重要な役割を果たしていると考えられている。外界から情報(刺激)を得たときに、脳内ではさまざまな組み合わせのニューロンが活動する。同期活動したニューロン間のシナプスではシナプス伝達効率の上昇現象である長期増強(long-term potentiation; LTP,図5)が起きていると考えられている。


 LTPはニューロン間の信号の受け渡しの場であるシナプスで観察される経験依存的な神経可塑性の代表例であり、ニューロンにおける[[AMPA型グルタミン酸受容体|α-アミノ-3-ヒドロキシ-5-メチル-4-イソオキサゾールプロピオン酸型グルタミン酸受容体]](AMPA型受容体)の新規タンパク質合成依存的な発現量の上昇を伴う<ref><pubmed>9716131</pubmed></ref>。実際に、げっ歯類を用いた[[恐怖音条件付け学習]]の際に外側扁桃体のニューロンにおいて学習依存的に機能的なAMPA型受容体がシナプスへ組み込まれ、このAMPA型受容体の組み込みを阻害すると[[LTP]]だけでなく恐怖記憶の獲得および保持が阻害される<ref><pubmed>15746389</pubmed></ref>。加えて、LTPおよび記憶の保持はともに新規タンパク質合成が必要である<ref><pubmed>3401749</pubmed></ref> <ref><pubmed>2874497</pubmed></ref>。さらに、記憶形成時に実際にLTPが観察されたことから、LTPは記憶のシナプスレベルでの素過程であると考えられている。
 LTPはニューロン間の信号の受け渡しの場であるシナプスで観察される経験依存的な神経可塑性の代表例であり、ニューロンにおける[[AMPA型グルタミン酸受容体|α-アミノ-3-ヒドロキシ-5-メチル-4-イソオキサゾールプロピオン酸型グルタミン酸受容体]](AMPA型受容体)の新規タンパク質合成依存的な発現量の上昇を伴う<ref><pubmed>9716131</pubmed></ref>。実際に、げっ歯類を用いた[[恐怖音条件づけ]]学習の際に外側扁桃体のニューロンにおいて学習依存的に機能的なAMPA型受容体がシナプスへ組み込まれ、このAMPA型受容体の組み込みを阻害すると[[LTP]]だけでなく恐怖記憶の獲得および保持が阻害される<ref><pubmed>15746389</pubmed></ref>。加えて、LTPおよび記憶の保持はともに新規タンパク質合成が必要である<ref><pubmed>3401749</pubmed></ref> <ref><pubmed>2874497</pubmed></ref>。さらに、記憶形成時に実際にLTPが観察されたことから、LTPは記憶のシナプスレベルでの素過程であると考えられている。


 これらのことより、学習時に活動したニューロン同士は強いシナプス結合で結ばれた回路を形成しており、ニューロン間のシナプスにおいて生じる神経可塑的変化(シナプス可塑性)がシナプスレベルでの記憶痕跡となりうること、さらに、記憶が経験依存的に活動したニューロン間でのシナプス可塑性を介して脳内に保存されることが示唆された。このようにしてシナプス伝達が増強したニューロンセットが活動することにより記憶の想起が行われる(図1)。
 これらのことより、学習時に活動したニューロン同士は強いシナプス結合で結ばれた回路を形成しており、ニューロン間のシナプスにおいて生じる神経可塑的変化(シナプス可塑性)がシナプスレベルでの記憶痕跡となりうること、さらに、記憶が経験依存的に活動したニューロン間でのシナプス可塑性を介して脳内に保存されることが示唆された。このようにしてシナプス伝達が増強したニューロンセットが活動することにより記憶の想起が行われる(図1)。


==神経細胞集成体のプレプレイ==
==神経細胞集成体のプレプレイ==
 利根川らは2010年に、海馬ニューロン群の時間的発火順序が、実際の空間体験以前の休息時または[[睡眠]]時に先行し観察されることを報告した<ref name=ref9><pubmed>21179088</pubmed></ref>。この現象は、[[予演]]([[preplay]])と名付けられ、休息中ないし睡眠中の脳内では、さまざまな海馬ニューロン集団を時間的順列にあらかじめ組織化しており、類似した新しい空間的体験が将来起こった際の符号化に役立っていることを示唆している。これらの報告は、アンサンブル・コーディングにおける記憶痕跡ニューロン群の選択機構を知るためのヒントを与えるものであるが、どのニューロン群が次なる記憶痕跡となるかを予測できるようになるには、今後、さらなる多くの角度からの研究が必要である。
 利根川らは2010年に、海馬ニューロン群の時間的発火順序が、実際の空間体験以前の休息時または[[睡眠]]時に先行し観察されることを報告した<ref name=ref9><pubmed>21179088</pubmed></ref>。この現象は、[[予演]]([[preplay]])と名づけられ、休息中ないし睡眠中の脳内では、さまざまな海馬ニューロン集団を時間的順列にあらかじめ組織化しており、類似した新しい空間的体験が将来起こった際の符号化に役立っていることを示唆している。これらの報告は、アンサンブル・コーディングにおける記憶痕跡ニューロン群の選択機構を知るためのヒントを与えるものであるが、どのニューロン群が次なる記憶痕跡となるかを予測できるようになるには、今後、さらなる多くの角度からの研究が必要である。


==将来展望==
==将来展望==

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