「電気けいれん療法」の版間の差分

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<font size="+1">野田 隆政</font><br>
<font size="+1">野田 隆政</font><br>
''国立精神・神経医療研究センター''<br>
''国立精神・神経医療研究センター''<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月23日 原稿完成日:2016年月日<br>
DOI:<selfdoi /> 原稿受付日:2016年1月23日 原稿完成日:2017年2月16日<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
担当編集委員:[http://researchmap.jp/tadafumikato 加藤 忠史](独立行政法人理化学研究所 脳科学総合研究センター)<br>
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{{box|text= 1段落程度の抄録をお願いいたします}}
英語名:electroconvulsive therapy 英略称:ECT 独:Elektrokrampftherapie, Elektrokonvulsiontherapie 仏:électroconvulsivothérapie


英語名:electroconvulsive therapy 英略称:ECT 独:Elektrokrampftherapie, Elektrokonvulsiontherapie 仏:électroconvulsivothérapie
{{box|text= 電気けいれん療法は、経皮的に頭部に通電を行い脳に人工的なけいれんを誘発することで治療効果を得る精神神経疾患に用いられる治療法で、特に重症うつ病、薬物治療抵抗性ないし重症躁病、またはカタトニア(緊張病)に高い治療効果を持つ。ECT手技は、従来型ECTから修正型ECTへ、さらはサイン波治療器を用いたECTからパルス波治療器を用いたECTへと発展してきており、その安全性は向上しているものの、現在もその作用機序が未解明であることやわが国でのECT手技の標準化がまだ十分でないことなどの課題があり、作用機序に関する研究や精神科関連学会を中心としたECTの標準化がすすめられている。}}


==歴史==
==歴史==
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 精神症状に対し治療効果のある確実なけいれんを誘発するために、けいれんを惹起する薬剤ではなく電気刺激による脳への通電を用いる方法は、1938年にイタリアの[[wj:ウーゴ・チェルレッティ|Cerletti]]らによりはじめて報告された。彼らは通電することにより動物にけいれんが誘発されることからアイデアを得て、統合失調症患者に対して電気による脳への通電を行うことでけいれんを誘発したところ、10~20回の通電治療の後で精神症状に有効であることを確認し、これにより精神疾患治療としてのECTが見出された<ref name=ref3><pubmed>15432756</pubmed></ref>。
 精神症状に対し治療効果のある確実なけいれんを誘発するために、けいれんを惹起する薬剤ではなく電気刺激による脳への通電を用いる方法は、1938年にイタリアの[[wj:ウーゴ・チェルレッティ|Cerletti]]らによりはじめて報告された。彼らは通電することにより動物にけいれんが誘発されることからアイデアを得て、統合失調症患者に対して電気による脳への通電を行うことでけいれんを誘発したところ、10~20回の通電治療の後で精神症状に有効であることを確認し、これにより精神疾患治療としてのECTが見出された<ref name=ref3><pubmed>15432756</pubmed></ref>。


 このように統合失調症患者に対して、経皮的な脳への電気通電によるけいれん誘発が施行され治療効果を認めたことから、欧米では精神科治療として1940~60年代にかけてECTが広く行われるようになり、同時に[[うつ病]]への治療効果も多く報告されるようになった。
 このように統合失調症患者に対して、経皮的な脳への通電によるけいれん誘発が施行され治療効果を認めたことから、欧米では精神科治療として1940~60年代にかけてECTが広く行われるようになり、同時に[[うつ病]]への治療効果も多く報告されるようになった。


 本邦では、1939年に九州大学の安河内と向笠により統合失調症に対するECTが報告<ref name=ref4>'''安河内五郎、向笠広次'''<br>精神分離症の電撃痙攣療法について<br>''福岡医大誌'' 1939 ;32:1437-1440</ref>されると、薬物療法など精神疾患への確実な治療法がない時代だったこともあり、本邦でも急速にECTが普及していった。
 本邦では、1939年に九州大学の安河内と向笠により統合失調症に対するECTが報告<ref name=ref4>'''安河内五郎、向笠広次'''<br>精神分離症の電撃痙攣療法について<br>''福岡医大誌'' 1939 ;32:1437-1440</ref>されると、薬物療法など精神疾患への確実な治療法がない時代だったこともあり、本邦でも急速にECTが普及していった。


===従来型ECTから修正型電気けいれん療法への発展===
===従来型ECTから修正型ECTへの発展===
 [[麻酔]]や[[筋弛緩薬]]を使用せず施行する従来型ECTでは、施行前に患者に恐怖感を与えることや全身の[[強直間代けいれん]]に伴う骨折、呼吸器系・循環器系の副作用が少なからず起こることが問題であった。
 [[麻酔]]や[[筋弛緩薬]]を使用せず施行する従来型ECTでは、施行前に患者に恐怖感を与えることや全身の[[強直間代けいれん]]に伴う骨折、呼吸器系・循環器系の副作用が少なからず起こることが問題であった。


 施行前の患者の恐怖感に対しては、徐々に[[チオペンタール]]や[[アモバルビタール]]等の[[バルビツール系]]の[[静脈麻酔薬]]が用いられるようになり、またけいれん発作時の骨折事故を減らす工夫として、通電後の脳のけいれん波と同期した体の全身けいれんが起こらないようにするために筋弛緩薬が用いられるようになったことで、静脈麻酔薬と筋弛緩薬を併用する修正型ECT(modified electroconvulsive therapy; 修正型ECT)の基盤が完成した。
 施行前の患者の恐怖感に対しては、徐々に[[チオペンタール]]や[[アモバルビタール]]等の[[バルビツール系]]の[[静脈麻酔薬]]が用いられるようになり、またけいれん発作時の骨折事故を減らす工夫として、通電後の脳のけいれん波と同期した体の全身けいれんが起こらないようにするために筋弛緩薬が用いられるようになったことで、静脈麻酔薬と筋弛緩薬を併用する修正型ECT(modified electroconvulsive therapy; mECT)の基盤が完成した。


 筋弛緩薬については、1940年代には南米の原住民が狩猟に用いていた筋弛緩作用を持つ毒物[[クラーレ]]が使用されていたが<ref name=ref5>'''Bennet AE'''<br>Preventing traumatic complications in convulsive therapy by curare. <br>''JAMA'' 1940 ; 114 :322-324</ref>、作用時間が長いことが問題であったため、1952年HolmbergとThesleffzらが、より安全性の高い[[サクシニルコリン]]の使用を提唱し<ref name=ref6><pubmed>14923897</pubmed></ref>、以後サクシニルコリンが現在まで修正型ECTの代表的な筋弛緩薬として用いられている。
 筋弛緩薬については、1940年代には南米の原住民が狩猟に用いていた筋弛緩作用を持つ毒物[[クラーレ]]が使用されていたが<ref name=ref5>'''Bennet AE'''<br>Preventing traumatic complications in convulsive therapy by curare. <br>''JAMA'' 1940 ; 114 :322-324</ref>、作用時間が長いことが問題であったため、1952年HolmbergとThesleffzらが、より安全性の高い[[サクシニルコリン]]の使用を提唱し<ref name=ref6><pubmed>14923897</pubmed></ref>、以後サクシニルコリンが現在まで修正型ECTの代表的な筋弛緩薬として用いられている。


 本邦でも1958年、[[wj:島薗安雄|島薗]]らにより筋弛緩薬を使用したECTの報告がなされた<ref name=ref7>'''島薗安雄、森温理、徳田良仁'''<br>電撃療法時におけるサクシニルコリン Chlorideの使用経験<br>''脳と神経'' 1958 ; 10 : 183-193</ref>が、その後の安全面を含めた評価や一般化が不十分で、またECT自体が患者に強制的に行う負のイメージが強かったため、この時代の反精神医学の潮流や薬物療法の発展に伴い1970年代には本邦では次第に第一線の治療から後退していった。
 本邦でも1958年、[[wj:島薗安雄|島薗]]らにより筋弛緩薬を使用したECTの報告がなされた<ref name=ref7>'''島薗安雄、森温理、徳田良仁'''<br>電撃療法時におけるSuccinylcholine Chloride (S. C. C.)の使用経験<br>''脳と神経'' 1958 ; 10 : 183-193</ref>が、その後の安全面を含めた評価や一般化が不十分で、またECT自体が患者に強制的に行う負のイメージが強かったため、この時代の反精神医学の潮流や薬物療法の発展に伴い1970年代には本邦では次第に第一線の治療から後退していった。


 しかし、1980年代になると、[[リエゾン精神医学]]の進展に伴い、本邦でも精神科が総合病院の一つの科として位置づけられるようになり、麻酔科医と連携して行う修正型ECTが総合病院や大学病院を中心に普及し、同時に手術に準じた患者や家族への[[インフォームドコンセント]]を行うことが一般的になったことで、ECTの安全性が高まり、従来の負のイメージは徐々に払拭されていった。
 しかし、1980年代になると、[[リエゾン精神医学]]の進展に伴い、本邦でも精神科が総合病院の一つの科として位置づけられるようになり、麻酔科医と連携して行う修正型ECTが総合病院や大学病院を中心に普及し、同時に手術に準じた患者や家族への[[インフォームドコンセント]]を行うことが一般的になったことで、ECTの安全性が高まり、従来の負のイメージは徐々に払拭されていった。
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==作用機序==
==作用機序==
 ECTの作用機序はまだ未解明である。
 ECTの作用機序は未解明であるが、多くの研究が行われている。


 ECTに関する[[脳画像研究]]では、[[単一光子放射断層撮影法]]([[single photon emission tomography]])、[[ポジトロン断層法]]([[positron emission tomography]])、[[磁気共鳴画像]]([[magnetic resonance imaging]])、[[磁気共鳴分光法]]([[magnetic resonance spectroscopy]])、[[定量脳波]]([[quantitative electroencephalography]])などによる多くの研究が行われている。 
 ECTに関する[[脳画像研究]]では、[[単一光子放射断層撮影法]]([[single photon emission tomography]])、[[ポジトロン断層法]]([[positron emission tomography]])、[[磁気共鳴画像]]([[magnetic resonance imaging]])、[[磁気共鳴分光法]]([[magnetic resonance spectroscopy]])、[[定量脳波]]([[quantitative electroencephalography]])などによる多くの研究が行われている。 
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 脳画像研究の知見からは、従来通電によるけいれん発作時は脳血流や脳代謝が増加し、発作後の数日間は逆にそれらが抑制されるなど、ECTによるけいれん発作の前後に脳血流や脳代謝の変化が起きることが知られていた。
 脳画像研究の知見からは、従来通電によるけいれん発作時は脳血流や脳代謝が増加し、発作後の数日間は逆にそれらが抑制されるなど、ECTによるけいれん発作の前後に脳血流や脳代謝の変化が起きることが知られていた。


 ECTは、臨床的に治療回数を重ねるごとに、多くの患者にけいれん持続時間の減少やけいれん[[閾値]]の上昇(必要刺激用量の増大)を認めるようになる。これらの事象からECTは抗けいれん作用による抑制性の特徴を持つと考えられている。近年の磁気共鳴分光法を用いた研究ではECT後に[[&gamma;-aminobutyric acid]]([[GABA]])の増加が示されており<ref name=ref13><pubmed>16137698</pubmed></ref>、ECTの持つ抑制性の特徴の背景として、脳内GABA輸送の増加と[[受容体]]刺激の増加が関係している可能性が指摘されている。
 ECTは、臨床的に治療回数を重ねるごとに、多くの患者にけいれん持続時間の減少やけいれん[[閾値]]の上昇(必要刺激用量の増大)を認めるようになる。これらの事象は、けいれんが起きることによって、抑制性神経伝達が促進されるためであると考えられる。近年の磁気共鳴分光法を用いた研究では、ECT後に[[&gamma;-aminobutyric acid]]([[GABA]])の増加が示されており<ref name=ref13><pubmed>16137698</pubmed></ref>、ECTの持つ抑制性神経伝達促進の背景として、脳内GABA輸送の増加と[[受容体]]刺激の増加が関係している可能性が指摘されている。


 また、従来は抗うつ効果との関連から、ECTが神経伝達物質やその受容体へ与える影響や[[細胞内情報伝達系]]に与える影響が注目され、[[モノアミン]]、[[コルチゾール]]、[[副腎皮質刺激ホルモン]]、[[コルチコトロピン放出因子]]、[[甲状腺刺激ホルモン]]、[[プロラクチン]]、[[オキシトシン]]、[[バソプレッシン]]、[[デヒドロエピアンドロステロン硫酸エステル]]、[[腫瘍壊死因子α]] ([[tumor necrosis factor α]], [[TNFα]])等の生体内物質のECTによる変化が注目されてきた。
 また、従来は抗うつ効果との関連から、ECTが神経伝達物質やその受容体へ与える影響や[[細胞内情報伝達系]]に与える影響が注目され、[[モノアミン]]、[[コルチゾール]]、[[副腎皮質刺激ホルモン]]、[[コルチコトロピン放出因子]]、[[甲状腺刺激ホルモン]]、[[プロラクチン]]、[[オキシトシン]]、[[バソプレッシン]]、[[デヒドロエピアンドロステロン硫酸エステル]]、[[腫瘍壊死因子α]] ([[tumor necrosis factor α]], [[TNFα]])等の生体内物質のECTによる変化が注目されてきた。


 近年では、ECT後の血液中[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain-derived neurotrophic factor]], [[BDNF]])の増加が報告され<ref name=ref14><pubmed> 17474805</pubmed></ref>、ECTが神経細胞の[[可塑性]]、再生、維持に関わる[[神経栄養因子]]を強化し、[[海馬]]、[[扁桃体]]を主体とする内側[[側頭葉]]を中心とした神経栄養効果を持つ可能性が指摘されるようになった<ref name=ref15><pubmed>18580563</pubmed></ref>。うつ病患者では[[メタ解析]]でもECT治療後のBDNFの増加が確認されており<ref name=ref16><pubmed>27552533</pubmed></ref>、BDNF増加と[[HAM-D]]総得点減少が相関している報告も存在する。また[[霊長類]]を対象にした[[動物実験]]では、ECTにより海馬での[[神経新生]]が促進されたことが報告されている<ref name=ref17><pubmed>17475797</pubmed></ref>。
 近年では、ECT後の血液中[[脳由来神経栄養因子]] ([[brain-derived neurotrophic factor]], [[BDNF]])の増加が報告され<ref name=ref14><pubmed> 17474805</pubmed></ref>、ECTが神経細胞の[[可塑性]]、再生、維持に関わる[[神経栄養因子]]を強化し、[[海馬]]を主体とする内側[[側頭葉]]を中心として神経栄養効果を持つ可能性が指摘されるようになった<ref name=ref15><pubmed>18580563</pubmed></ref>。うつ病患者では[[メタ解析]]でもECT治療後のBDNFの増加が確認されており<ref name=ref16><pubmed>27552533</pubmed></ref>、BDNF増加と[[HAM-D]]総得点減少が相関するという報告もある。また[[霊長類]]を対象にした[[動物実験]]では、ECTにより海馬での[[神経新生]]が促進されたことが報告されている<ref name=ref17><pubmed>17475797</pubmed></ref>。


 これらを踏まえた仮説としては、ECTが脳の異常な機能的結合を一度リセットして、病態に関連する脳領域で新しい健康的な機能的結合の生成を促進することで治療の有効性を発揮している<ref name=ref18><pubmed>24810774</pubmed></ref>という仮説が提示されており、その機序としてはECTの前頭葉を主体とする抗けいれん作用による抑制性の影響<ref name=ref19><pubmed>9773356
 これらを踏まえた仮説としては、ECTが脳の異常な機能的結合を一度リセットして、病態に関連する脳領域で新しい健康的な機能的結合の生成を促進することで治療の有効性を発揮している<ref name=ref18><pubmed>24810774</pubmed></ref>という仮説が提示されており、その機序としてはECTの前頭葉を主体とする抗けいれん作用による抑制性神経伝達の促進<ref name=ref19><pubmed>9773356</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>24381234</pubmed></ref>、内側側頭葉・海馬を主体とした神経栄養効果を介した細胞新生や神経回路成長促進への影響、及びその複合的要因<ref name=ref18 /> <ref name=ref19 /> <ref name=ref20><pubmed>24800687</pubmed></ref>が示唆されている。
[PubMed - indexe</pubmed></ref> <ref name=ref21><pubmed>24381234</pubmed></ref>、内側側頭葉・海馬を主体とした神経栄養効果を介した細胞新生や神経回路成長促進への影響、及びその複合的要因<ref name=ref18 /> <ref name=ref19 /> <ref name=ref20><pubmed>24800687</pubmed></ref>が示唆されている。


 このようにECTの有効性における作用機序について、いくつかの仮説は提示されているものの、現在までECTの明確な作用機序は明らかにされていない。
 このようにECTの有効性における作用機序について、いくつかの仮説は提示されているものの、現在までECTの明確な作用機序は明らかにされていない。
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 米国精神医学会によるECTの適応<ref name=ref8 />は比較的幅広く、本邦においても2013年に日本精神神経学会ECT検討委員会および日本総合病院精神医学会ECT委員会によりまとめられ本橋らにより報告された「ECTの推奨事項改定版」<ref name=ref22>'''本橋伸高、粟田主一、一瀬邦弘ほか'''<br>電気けいれん療法(ECT)推奨事項 改訂版<br>''精神神経学雑誌'' 115: 586-600, 2013. </ref>においても比較的幅広い適応となる診断と状況が記載されているが、[[wj:英国国立医療技術評価機構|英国国立医療技術評価機構]]([[wj:英国国立医療技術評価機構|The National Institute of Health and Clinical Excellence]], NICE)ガイドラインでは、ECTは重症うつ病、薬物治療抵抗性ないし重症[[躁病]]、または[[カタトニア]]([[緊張病]])のみに用いられるべきであり、うつ病の予防のための長期治療や統合失調症の一般管理には用いられるべきではないとしている<ref name=ref23>'''NICE'''<br>Guidance on the use of electroconvulsive therapy<br>Technology appraisal guidance [TA59]<br>Published date: 26 April 2003 Last updated: 01 October 2009</ref>。
 米国精神医学会によるECTの適応<ref name=ref8 />は比較的幅広く、本邦においても2013年に日本精神神経学会ECT検討委員会および日本総合病院精神医学会ECT委員会によりまとめられ本橋らにより報告された「ECTの推奨事項改定版」<ref name=ref22>'''本橋伸高、粟田主一、一瀬邦弘ほか'''<br>電気けいれん療法(ECT)推奨事項 改訂版<br>''精神神経学雑誌'' 115: 586-600, 2013. </ref>においても比較的幅広い適応となる診断と状況が記載されているが、[[wj:英国国立医療技術評価機構|英国国立医療技術評価機構]]([[wj:英国国立医療技術評価機構|The National Institute of Health and Clinical Excellence]], NICE)ガイドラインでは、ECTは重症うつ病、薬物治療抵抗性ないし重症[[躁病]]、または[[カタトニア]]([[緊張病]])のみに用いられるべきであり、うつ病の予防のための長期治療や統合失調症の一般管理には用いられるべきではないとしている<ref name=ref23>'''NICE'''<br>Guidance on the use of electroconvulsive therapy<br>Technology appraisal guidance [TA59]<br>Published date: 26 April 2003 Last updated: 01 October 2009</ref>。


 また、まだ十分なエビデンスは確立しておらず研究的な一面が存在するものの、難治性[[強迫性障害]]、治療抵抗性で緊急性を要す[[パーキンソン病]]、身体疾患による精神障害、治療抵抗性[[悪性症候群]]、[[慢性疼痛]]の治療にも臨床的に用いられることがあり有効性を認めることがある。
 また、まだ十分なエビデンスは確立しておらず研究的な一面が存在するものの、難治性[[強迫性障害]]、治療抵抗性で緊急性を要する[[パーキンソン病]]、身体疾患による精神障害、治療抵抗性[[悪性症候群]]、[[慢性疼痛]]の治療にも臨床的に用いられることがあり有効性を認めることがある。


 臨床的には、適応となる診断とその症状特性や重症度などの状態像からECTの適応を判断することになる。
 臨床的には、適応となる診断とその症状特性や重症度などの状態像からECTの適応を判断することになる。


 たとえば、うつ病はECTの主要な適応となる疾患であるが、軽症であれば基本的にECTが選択されることはない。ECTの一次的適応が考慮される状態として、食事摂取困難や[[拒食]]による低栄養・脱水が進行し生命にかかわる可能性がある場合、[[自殺]]企図など患者に生命の危険の差し迫った重篤な症状が存在し迅速な症状改善を要する場合など、[[抗うつ薬]]が効いてくるまでの時間的余裕がない場合にはECTの優先順位は高くなりECTは切り札的な治療として一次的に実施されることがある。また、薬物療法のリスクや催奇形性が問題となる妊娠、薬物忍容性の乏しい高齢者、薬物療法の副作用や身体合併症などから他の治療よりECTのほうが高い安全性があると個別に判断される場合もECTが考慮される場合がある。
 たとえば、うつ病はECTの主要な適応となる疾患であるが、軽症であれば基本的にECTが選択されることはない。ECTの一次的適応が考慮される状態として、食事摂取困難や[[拒食]]による低栄養・脱水が進行し生命にかかわる可能性がある場合、[[自殺]]企図など患者に生命の危険の差し迫った重篤な症状が存在し迅速な症状改善を要する場合など、[[抗うつ薬]]が効いてくるまでの時間的余裕がない場合にはECTの優先順位は高くなりECTは切り札的な治療として一次的に実施されることがある。また、薬物療法のリスクや催奇形性が問題となる妊娠、薬物忍容性の乏しい高齢者、薬物療法の副作用や身体合併症などから他の治療よりECTのほうが高い安全性があると個別に判断される場合もECTが考慮されることがある。


 米国精神医学会によるECTの二次的な適応<ref name=ref8 />としては、薬物療法への強い治療抵抗性があり遷延している場合、薬物治療の忍容性が低く十分な薬物療法が行えずECTの忍容性が優れる場合、薬物治療中の精神症状や身体状態の悪化により迅速で確実な治療反応が必要な場合などが挙げられており、薬物治療抵抗性または不忍容のうつ病、躁病、統合失調症でもECTの適応が検討されることがある。
 米国精神医学会によるECTの二次的な適応<ref name=ref8 />としては、薬物療法への強い治療抵抗性があり遷延している場合、薬物治療の忍容性が低く十分な薬物療法が行えずECTの忍容性が優れる場合、薬物治療中の精神症状や身体状態の悪化により迅速で確実な治療反応が必要な場合などが挙げられており、薬物治療抵抗性または不忍容のうつ病、躁病、統合失調症でもECTの適応が検討されることがある。
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* 最近起きた[[脳梗塞]]
* 最近起きた[[脳梗塞]]
* 重度の[[wj:慢性閉塞性肺疾患|慢性閉塞性肺疾患]]、[[wj:喘息|喘息]]、[[wj:肺炎|肺炎]]のような呼吸器系疾患
* 重度の[[wj:慢性閉塞性肺疾患|慢性閉塞性肺疾患]]、[[wj:喘息|喘息]]、[[wj:肺炎|肺炎]]のような呼吸器系疾患
* 米国麻酔学会水準4または5と評価される状態(ECTにより脳出血後まもない患者では再出血の危険性がある、発作による[[交感神経系]]の活性化による血圧上昇、頻脈により最近起きた心筋梗塞患者では[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]]や[[wj:心破裂|心破裂]]の危険性がある、修正型ECTは麻酔下において治療が行われるため麻酔危険度を設定する必要がある)
* 米国麻酔学会水準4または5と評価される状態(ECTにより脳出血後まもない患者では再出血の危険性がある、発作による[[交感神経系]]の活性化に伴う血圧上昇、頻脈により最近起きた心筋梗塞患者では[[wj:心室性不整脈|心室性不整脈]]や[[wj:心破裂|心破裂]]の危険性がある、修正型ECTは麻酔下において治療が行われるため麻酔危険度を設定する必要がある)


が挙げられている。
が挙げられている。
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 近年は精神科領域でもevidence-based medicineの観点から、各国で精神科治療アルゴリズムが作成され、治療抵抗性うつ病や重症うつ病へのECTの治療的位置付けが明確化されてきている。
 近年は精神科領域でもevidence-based medicineの観点から、各国で精神科治療アルゴリズムが作成され、治療抵抗性うつ病や重症うつ病へのECTの治療的位置付けが明確化されてきている。


 うつ病に対するECTの効果のメタ解析では、[[プラセボ]]、模擬ECT、[[経頭蓋磁気刺激]]([[transcranial magnetic stimulation]]: [[TMS]])、抗うつ薬のいずれにもECTの有効性が勝っていることが示されている<ref name=ref24><pubmed>3882006</pubmed></ref> <ref name=ref25><pubmed>15087991</pubmed></ref> <ref name=ref26><pubmed>12642045 </pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed>25143831</pubmed></ref>。
 うつ病に対するECTの効果のメタ解析では、[[プラセボ]]、模擬ECT、[[経頭蓋磁気刺激]]([[transcranial magnetic stimulation]]: [[TMS]])、抗うつ薬のいずれと比較しても、ECTの有効性が勝っていることが示されている<ref name=ref24><pubmed>3882006</pubmed></ref> <ref name=ref25><pubmed>15087991</pubmed></ref> <ref name=ref26><pubmed>12642045 </pubmed></ref> <ref name=ref27><pubmed>25143831</pubmed></ref>。


 各抗うつ薬との比較では、ECTと[[三環形抗うつ薬]]([[tricyclic antidepressant]]s : TCA)や[[モノアミン酸化酵素阻害剤]] ([[monoamine oxidase inhibitor]]s, [[MAOI]])を比較した研究でTCAやMAOIよりECTの有効性が高いことが示されている。新規抗うつ薬とECTを比較した研究はまだ少ないが、Folkertsらによる治療抵抗性うつ病患者を対象としたECTと新規抗うつ薬の[[パロキセチン]]を比較した研究では、ECT群で59%、パロキセチン群で29% のうつ状態の改善を認め、ECT群でより高い反応率(71%でHAM-D総得点の50%減少)を認めている<ref name=ref28><pubmed>9395150</pubmed></ref>。
 各抗うつ薬との比較では、ECTと[[三環系抗うつ薬]]([[tricyclic antidepressant]]s : TCA)や[[モノアミン酸化酵素阻害剤]] ([[monoamine oxidase inhibitor]]s, [[MAOI]])を比較した研究でTCAやMAOIよりECTの有効性が高いことが示されている。新規抗うつ薬とECTを比較した研究はまだ少ないが、Folkertsらによる治療抵抗性うつ病患者を対象としたECTと新規抗うつ薬の[[パロキセチン]]を比較した研究では、ECT群で59%、パロキセチン群で29% のうつ状態の改善を認め、ECT群でより高い反応率(71%でHAM-D総得点の50%減少)を認めている<ref name=ref28><pubmed>9395150</pubmed></ref>。


 薬物治療抵抗性うつ病に対しての有効性も確立しており<ref name=ref29><pubmed>426143</pubmed></ref> <ref name=ref30><pubmed>15555704</pubmed></ref> <ref name=ref31><pubmed>15232331</pubmed></ref>、抑うつ症状の改善に加えてECTが社会機能やQOLも改善させる<ref name=ref32><pubmed>27668944</pubmed></ref>ことが報告されている。また、一般に抗うつ薬に対して治療反応の乏しい精神病像を伴う重症うつ病への有効性も報告されている<ref name=ref33><pubmed>1562861</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>7790678</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>8879718</pubmed></ref>。
 薬物治療抵抗性うつ病に対しての有効性も確立しており<ref name=ref29><pubmed>426143</pubmed></ref> <ref name=ref30><pubmed>15555704</pubmed></ref> <ref name=ref31><pubmed>15232331</pubmed></ref>、抑うつ症状の改善に加えてECTが社会機能やQOLも改善させる<ref name=ref32><pubmed>27668944</pubmed></ref>ことが報告されている。また、一般に抗うつ薬に対して治療反応の乏しい精神病像を伴う重症うつ病への有効性も報告されている<ref name=ref33><pubmed>1562861</pubmed></ref> <ref name=ref34><pubmed>7790678</pubmed></ref> <ref name=ref35><pubmed>8879718</pubmed></ref>。
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 ECTは[[単極性うつ病]]、[[双極性うつ病]]の双方のうつ状態に有効であり、その寛解率はともにほぼ同等で約50%と報告されている<ref name=ref36><pubmed>22420590</pubmed></ref>。Keitnerらのメタ解析<ref name=ref37><pubmed>17017828</pubmed></ref>では、うつ病へのECTの反応率は53~80%、寛解率は27~56%と推定されている。ECTの施行方法が報告によって異なるため、有効性や有害事象に施行方法による差異が出やすく、有効率にばらつきが出ている<ref name=ref38><pubmed>17989386</pubmed></ref>ことが指摘されている。
 ECTは[[単極性うつ病]]、[[双極性うつ病]]の双方のうつ状態に有効であり、その寛解率はともにほぼ同等で約50%と報告されている<ref name=ref36><pubmed>22420590</pubmed></ref>。Keitnerらのメタ解析<ref name=ref37><pubmed>17017828</pubmed></ref>では、うつ病へのECTの反応率は53~80%、寛解率は27~56%と推定されている。ECTの施行方法が報告によって異なるため、有効性や有害事象に施行方法による差異が出やすく、有効率にばらつきが出ている<ref name=ref38><pubmed>17989386</pubmed></ref>ことが指摘されている。


 このようにECTは気分障害のうつ状態に対し高い有効性を持つが、同時に双極性障害の躁状態への有効性も知られている。躁状態への比較対照研究は少ないものの、ECTの抗躁効果は確立しており、Mckherjeeらは過去50年間にECTを施行された約600例の急性躁病患者の転機を調査し、約80%が著明改善または完全寛解したことを報告しており<ref name=ref39><pubmed>8296883</pubmed></ref>、躁鬱混合状態への有効性も報告されている<ref name=ref40><pubmed>10735329</pubmed></ref>。ECTが抗躁効果を示すためにはうつ状態より時間がかかり両側性でうつ病より多い治療回数が必要とされている<ref name=ref43>'''Grunze H, Erfurth A, Schafer M et al'''<br>Elektrokonvulsiontherapie in der Behandlung der schweren Manie<br>Kasuistik und Wissensstand. Nervenarzt, 70 : 662-667, 1999</ref>。
 このようにECTは気分障害のうつ状態に対し高い有効性を持つが、同時に双極性障害の躁状態への有効性も知られている。躁状態への比較対照研究は少ないものの、ECTの抗躁効果は確立しており、Mckherjeeらは過去50年間にECTを施行された約600例の急性躁病患者の転機を調査し、約80%が著明改善または完全寛解したことを報告しており<ref name=ref39><pubmed>8296883</pubmed></ref>、躁鬱混合状態への有効性も報告されている<ref name=ref40><pubmed>10735329</pubmed></ref>。ECTが抗躁効果を示すためにはうつ状態より時間がかかり両側性でうつ病より多い治療回数が必要とされている<ref name=ref43>'''Grunze H, Erfurth A, Schafer M et al'''<br>Elektrokonvulsiontherapie in der Behandlung der schweren Manie: Kasuistik und Wissensstand<br>''Nervenarzt'', 70 : 662-667, 1999</ref>。


 重症躁病や薬物治療抵抗性の遷延性躁状態ではECTの適応がある<ref name=ref41><pubmed>23773266</pubmed></ref> <ref name=ref42><pubmed>22986995</pubmed></ref>が、躁状態では意識障害、頭部外傷、[[wj:HIV|HIV]]感染等の器質疾患のECT前の鑑別に十分な注意を要する。躁状態に対して施行する問題点としては、患者本人からの同意が得にくいこと<ref name=ref44><pubmed>7694934</pubmed></ref>、覚醒状態でECT施行室に搬送することが困難であることが挙げられる。
 重症躁病や薬物治療抵抗性の遷延性躁状態ではECTの適応がある<ref name=ref41><pubmed>23773266</pubmed></ref> <ref name=ref42><pubmed>22986995</pubmed></ref>が、躁状態では意識障害、頭部外傷、[[wj:HIV|HIV]]感染等の器質疾患のECT前の鑑別に十分な注意を要する。躁状態に対して施行する問題点としては、患者本人からの同意が得られにくいこと<ref name=ref44><pubmed>7694934</pubmed></ref>、覚醒状態でECT施行室に搬送することが困難であることが挙げられる。


 またECTはカタトニアへの高い効果も知られている。カタトニアを呈する疾患として、統合失調症の緊張病型がよく知られるが、カタトニアは様々な疾患で起きうる症候群であり、躁状態やうつ状態、[[抗NMDA受容体抗体脳炎]]などの器質性精神疾患<ref name=ref45><pubmed>19884605</pubmed></ref>、[[自閉症スペクトラム障害]]<ref name=ref48><pubmed>24643578 </pubmed></ref>などでも起こりうる。カタトニアの[[ロラゼパム]]での寛解率は80~100%と高いため<ref name=ref45 />、通常のカタトニアではロラゼパム等の[[ベンゾジアゼピン系]]薬剤が優先して使用され、治療抵抗性の場合にECTが検討されるが、生命に危険の強い悪性緊張病ではECTは一時的治療選択になりうる<ref name=ref46><pubmed>25538636</pubmed></ref>。5つの研究でのECTでのカタトニアの寛解率は82~96%と報告されており<ref name=ref45 />、統合失調症、気分障害、[[統合失調感情障害]]、[[器質性精神障害]]を含む28例のカタトニアにECT<ref name=ref47><pubmed>8126312</pubmed></ref>を行った研究では、93%が緊張病症状消失がみられ、特に気分障害におけるカタトニアの寛解率は96%と高かったと報告されている。自閉症スペクトラム障害に伴うカタトニア<ref name=ref48 />や抗NMDA受容体抗体脳炎に伴うカタトニアへのECTの有効性の知見の蓄積はまだ乏しい。
 またECTはカタトニアへの高い効果も知られている。カタトニアを呈する疾患として、統合失調症の緊張病型がよく知られるが、カタトニアは様々な疾患で起きうる症候群であり、躁状態やうつ状態、[[抗NMDA受容体抗体脳炎]]などの器質性精神疾患<ref name=ref45><pubmed>19884605</pubmed></ref>、[[自閉症スペクトラム障害]]<ref name=ref48><pubmed>24643578 </pubmed></ref>などでも起こりうる。カタトニアの[[ロラゼパム]]での寛解率は80~100%と高いため<ref name=ref45 />、通常のカタトニアではロラゼパム等の[[ベンゾジアゼピン系]]薬剤が優先して使用され、治療抵抗性の場合にECTが検討されるが、生命に危険の高い悪性緊張病ではECTは一時的治療選択になりうる<ref name=ref46><pubmed>25538636</pubmed></ref>。5つの研究でのECTにおけるカタトニアの寛解率は82~96%と報告されており<ref name=ref45 />、統合失調症、気分障害、[[統合失調感情障害]]、[[器質性精神障害]]を含む28例のカタトニアにECT<ref name=ref47><pubmed>8126312</pubmed></ref>を行った研究では、93%が緊張病症状消失がみられ、特に気分障害におけるカタトニアの寛解率は96%と高かったと報告されている。自閉症スペクトラム障害に伴うカタトニア<ref name=ref48 />や抗NMDA受容体抗体脳炎に伴うカタトニアへのECTの有効性の知見の蓄積はまだ乏しい。


 統合失調症では前述のように緊張病症状を伴うものには著効することが多く、また精神運動興奮や昏迷を伴う場合も興奮や意思発動性低下が改善・軽減することが多い。一部のアルゴリズムには薬物治療抵抗性統合失調症の治療として、ECTが位置づけられるようになっているが、慢性的な幻覚妄想や陰性症状および認知機能低下には効果が乏しいことが多い。
 統合失調症では前述のように緊張病症状を伴うものには著効することが多く、また精神運動興奮や昏迷を伴う場合も興奮や意思発動性低下が改善・軽減することが多い。一部のアルゴリズムには薬物治療抵抗性統合失調症の治療として、ECTが位置づけられるようになっているが、慢性的な幻覚妄想や陰性症状および認知機能低下には効果が乏しいことが多い。
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 一方、ECTについて、Folkertsらは、治療抵抗性うつ病患者でECTとparoxetineの効果発現の早さについて比較検討し、ECT群ではパロキセチン群と比較し、治療1週間後よりうつ状態の有意な改善を認めている<ref name=ref28 />。
 一方、ECTについて、Folkertsらは、治療抵抗性うつ病患者でECTとparoxetineの効果発現の早さについて比較検討し、ECT群ではパロキセチン群と比較し、治療1週間後よりうつ状態の有意な改善を認めている<ref name=ref28 />。


 またHusainらはうつ病の患者に対し週3回のECTを施行し反応や寛解のスピードを検討したところ、54%が1週目3回目のセッションまでに治療反応がみられ、2週間目6回目のセッションまでに34%が寛解し3-4週目の10回目のセッションまでに65%が寛解したことを示している<ref name=ref50><pubmed>15119910</pubmed></ref>。
 またHusainらはうつ病の患者に対し週3回のECTを施行し反応や寛解のスピードを検討したところ、54%が1週目3回目のセッションまでに治療反応がみられ、2週目6回目のセッションまでに34%が寛解し3-4週目10回目のセッションまでに65%が寛解したことを示している<ref name=ref50><pubmed>15119910</pubmed></ref>。


 国立精神神経センター病院うつストレスケア病棟に入院し、週2回の両側性修正型ECTを行った31名のうつ病患者での、うつ病評価尺度平均得点のECT回数による経時的な改善を('''図1''')に示す。
 国立精神神経センター病院うつストレスケア病棟に入院し、週2回の両側性修正型ECTを行った31名のうつ病患者での、うつ病評価尺度平均得点のECT回数による経時的な改善を('''図1''')に示す。
   
   
 このようにECTは早期の症状改善効果を持ち、早急な抗うつ効果が必要とされる症例に有用であり、特に、深刻な[[自殺|自殺念慮]]があり自殺が切迫している状態の早期改善を要する場合<ref name=ref51><pubmed>15863801</pubmed></ref>、精神症状から食事摂取が困難で栄養の維持が困難な場合、全身状態が悪化してきており早期の症状改善を要す場合等には、薬物療法より効果発現や寛解に至るまでが早いECTが選択されうる。ECTの迅速で高い治療効果は、医療経済の観点からも費用対効果比が高いことも示されている<ref name=ref52><pubmed>15774232</pubmed></ref>。さらに、近年は麻酔として[[ケタミン]]麻酔を用い、ECTの効果発現をさらに加速させる試みも行われている<ref name=ref53><pubmed>19935085</pubmed></ref>。
 このようにECTは早期の症状改善効果を持ち、早急な抗うつ効果が必要とされる症例に有用であり、特に、深刻な[[自殺|自殺念慮]]があり自殺が切迫している状態の早期改善を要する場合<ref name=ref51><pubmed>15863801</pubmed></ref>、精神症状から食事摂取が困難で栄養の維持が困難な場合、全身状態が悪化してきており早期の症状改善を要す場合等には、薬物療法より効果発現や寛解に至るまでが早いECTが選択されうる。ECTの迅速で高い治療効果は、医療経済の観点からも費用対効果比が高いことも示されている<ref name=ref52><pubmed>15774232</pubmed></ref>。さらに、近年は麻酔として、低用量で抗うつ作用が報告されている[[ケタミン]]を用いることによって、ECTの効果発現をさらに加速させる試みも行われている<ref name=ref53><pubmed>19935085</pubmed></ref>。


===効果の長期的維持に関する限界、維持薬物療法と維持ECT===
===効果の長期的維持に関する限界、維持薬物療法と維持ECT===
 ECTは高い急性期効果を示す一方で、継続療法を行わない場合は高い再燃率を示すことが知られている。
 ECTは高い急性期効果を示す一方で、継続療法を行わない場合は高い再燃率を示すことが知られている。
 
 
 ECT後6ヶ月の間にうつ病の3分の1から約半数が再発し<ref name=ref54><pubmed>26529118</pubmed></ref> <ref name=ref55><pubmed>22016123</pubmed></ref>、1年以内の最燃率は30~60%と報告されており<ref name=ref56><pubmed>10735328</pubmed></ref>、ECTによる急性期症状改善後にも、その後の再燃・再発を予防する維持薬物療法により再燃・再発率を減少させる必要がある<ref name=ref57><pubmed>11255384</pubmed></ref>。ECT後再発のリスクファクターとしては、薬物治療への抵抗性や、精神病症状の合併、[[double depression]]などが報告されている<ref name=ref56 />が、再燃予測因子は明確にはなっていない。
 ECT後6ヶ月の間にうつ病の3分の1から約半数が再発し<ref name=ref54><pubmed>26529118</pubmed></ref> <ref name=ref55><pubmed>22016123</pubmed></ref>、1年以内の再燃率は30~60%と報告されており<ref name=ref56><pubmed>10735328</pubmed></ref>、ECTによる急性期症状改善後にも、その後の再燃・再発を予防する維持薬物療法により再燃・再発率を減少させる必要がある<ref name=ref57><pubmed>11255384</pubmed></ref>。ECT後再発のリスクファクターとしては、薬物治療への抵抗性や、精神病症状の合併、[[double depression]](気分変調症にうつ病が重なること)などが報告されている<ref name=ref56 />が、再燃予測因子は明確にはなっていない。


 うつ病におけるECT後の再燃予防には、一般的に抗うつ薬や[[リチウム]]などの[[気分安定薬]]による維持療法が行われる。維持薬物療法の種類によって再燃予防効果に差異があるかは明確になっていないが、うつ病ではいくつかの薬剤の優越性を示す研究が報告されている。
 うつ病におけるECT後の再燃予防には、一般的に抗うつ薬や[[リチウム]]などの[[気分安定薬]]による維持療法が行われる。維持薬物療法の種類によって再燃予防効果に差異があるかは明確になっていないが、うつ病ではいくつかの薬剤の優越性を示す研究が報告されている。
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 LauritzenらはECT後の維持療法としてプラセボと[[イミプラミン]] 、パロキセチンを比較し、6ヵ月以内の再燃はプラセボ群65%に対し、イミプラミン群30%、パロキセチン群10%で、維持療法の薬剤により差を認めたことを報告している<ref name=ref58><pubmed>8911559</pubmed></ref>。
 LauritzenらはECT後の維持療法としてプラセボと[[イミプラミン]] 、パロキセチンを比較し、6ヵ月以内の再燃はプラセボ群65%に対し、イミプラミン群30%、パロキセチン群10%で、維持療法の薬剤により差を認めたことを報告している<ref name=ref58><pubmed>8911559</pubmed></ref>。


 ECT施行前に効果を認めなかった薬剤は維持療法としての効果も乏しいという報告<ref name=ref56 />がある一方で、van den Broekらは、三環系抗うつ剤やリチウム、モノアミン酸化酵素阻害剤などの薬剤に治療抵抗性の患者に対しECT施行後の維持療法としてイミプラミンを使用したRCTを行ったところ、24週後にプラセボ群は80%が再発したのに対して、imipramine群は18%で有意に再発率が低かったと報告しており<ref name=ref59><pubmed>16566622</pubmed></ref>、ECTにより従前の治療抵抗性が改善する可能性も示されている。またSackeimらは、ECT施行後6ヶ月後にプラセボ群では84%が再発したのに対して、[[ノルトリプチリン]]群は60%、ノルトリプチリンとリチウム併用群が39%と有意に低く、抗うつ薬の単剤投与よりリチウムの併用が維持療法として有効であったことを報告している<ref name=ref57 />。
 ECT施行前に効果を認めなかった薬剤は維持療法としての効果も乏しいという報告<ref name=ref56 />がある一方で、van den Broekらは、三環系抗うつ剤やリチウム、モノアミン酸化酵素阻害剤などの薬剤に治療抵抗性のある患者に対しECT施行後の維持療法としてイミプラミンを使用したRCTを行ったところ、24週後にプラセボ群は80%が再発したのに対して、imipramine群は18%で有意に再発率が低かったと報告しており<ref name=ref59><pubmed>16566622</pubmed></ref>、ECTにより従前の治療抵抗性が改善する可能性も示されている。またSackeimらは、ECT施行後6ヶ月後にプラセボ群では84%が再発したのに対して、[[ノルトリプチリン]]群は60%、ノルトリプチリンとリチウム併用群が39%と有意に低く、抗うつ薬の単剤投与よりリチウムの併用が維持療法として有効であったことを報告している<ref name=ref57 />。


 また、ECTにより急性期症状が寛解した後の維持療法として、安全にECTを行うことができる環境がある場合に限って、薬物療法に加えて、もしくは単独で、継続した低頻度のECTが行われることがある。
 また、ECTにより急性期症状が寛解した後の維持療法として、安全にECTを行うことができる環境がある場合に限って、薬物療法に加えて、もしくは単独で、間隔を空けつつ、継続してECTが行われることがある。


 一般的に、症状寛解に達してから再燃予防を目的に実施される6ヶ月以内の治療は継続ECT(continuation ECT)、再発予防を目的に行われる6ヶ月以上にわたる治療は維持ECT(maintenance ECT)と呼ばれる。
 一般的に、症状寛解に達してから再燃予防を目的に実施される6ヶ月以内の治療は継続ECT(continuation ECT)、再発予防を目的に行われる6ヶ月以上にわたる治療は維持ECT(maintenance ECT)と呼ばれる。


 継続・維持ECTの目的は、定期的な低頻度のECTを行うことで症状の寛解状態を保つことであり、ECTの治療反応性が良く、薬物療法や認知行動療法などの心理社会的治療に抵抗性または不耐性から再燃・再発を繰り返す症例に適している。
 継続・維持ECTの目的は、定期的な低頻度のECTを行うことで症状の寛解状態を保つことであり、ECTの治療反応性が良く、薬物療法や認知行動療法などの心理社会的治療に抵抗性または忍容性が低いために再燃・再発を繰り返す症例に適している。


 維持ECTは、症状寛解後、最初は1週間に1回からはじめ、4回行ったところで症状が再燃しなければ、徐々に4週間に1回まで間隔を広げていく方法<ref name=ref60>'''Kellner CH, Pritchett JT, Beale MD et al''' <br>Handbook of ECT. <br>''American Psychiatric Press'', Washington DC, 1997</ref>が良く用いられており、初めの1ヶ月は週に1回、次の1~2ヶ月は2週に1回、それ以後は月に1回で継続する<ref name=ref61><pubmed>17146008</pubmed></ref> <ref name=ref62><pubmed>18515694</pubmed></ref>。継続・維持ECTでの治療中に再燃・再発の兆候がみられた場合は、維持ECTの予定を早めることで対応が可能である。
 維持ECTは、症状寛解後、最初は1週間に1回からはじめ、4回行ったところで症状が再燃しなければ、徐々に4週間に1回まで間隔を広げていく方法<ref name=ref60>'''Kellner CH, Pritchett JT, Beale MD et al''' <br>Handbook of ECT. <br>''American Psychiatric Press'', Washington DC, 1997</ref>が良く用いられており、初めの1ヶ月は週に1回、次の1~2ヶ月は2週に1回、それ以後は月に1回で継続する<ref name=ref61><pubmed>17146008</pubmed></ref> <ref name=ref62><pubmed>18515694</pubmed></ref>。継続・維持ECTでの治療中に再燃・再発の兆候がみられた場合は、維持ECTの予定を早めることで対応が可能である。
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 この発作誘発の実施方法により、ECTの効果は影響を受ける。ECTの効果に影響を与える主要な実施方法での因子としては、刺激強度(最大刺激の何%で刺激するか)、電極配置部位(両側性か右片側性か)、治療波の波形(サイン波かパルス波か)がある。
 この発作誘発の実施方法により、ECTの効果は影響を受ける。ECTの効果に影響を与える主要な実施方法での因子としては、刺激強度(最大刺激の何%で刺激するか)、電極配置部位(両側性か右片側性か)、治療波の波形(サイン波かパルス波か)がある。


 刺激強度は高いほど効果があるが、副作用である[[認知障害]]を起こす確率は高くなる<ref name=ref66><pubmed>12642045 </pubmed></ref>。
 刺激強度は高いほど効果があるが、副作用である[[認知機能障害]]を起こす確率は高くなる<ref name=ref66><pubmed>12642045 </pubmed></ref>。


 初回治療の刺激強度の設定方法には、半年齢法(加齢により発作閾値が上昇するため例えば60歳であれば30%など年齢の半分程度の電気量で初回の通電を行う)と閾値滴定法(徐々に刺激強度を上げてけいれん閾値を決定してからさらに刺激強度を上げて通電する)がある。発作閾値は、サイマトロンでは最大用量の100%に対して何%の設定にするかで定義される脳波上の全般けいれんを起こすための最小限の電気用量であるが、臨床的効果のある発作を起こすためには両側性では閾値の1.5~2.5倍、右片側性ではより高い閾値の2.5~6倍が必要である。本邦では、発作閾値の滴定は行わず半年齢法による刺激強度で開始し、発作波の質や治療効果、治療継続に伴うけいれん閾値の上昇を鑑みて漸次調整していくことが多い。
 初回治療の刺激強度の設定方法には、半年齢法(加齢により発作閾値が上昇するため例えば60歳であれば30%など年齢の半分程度の電気量で初回の通電を行う)と閾値滴定法(徐々に刺激強度を上げてけいれん閾値を決定してからさらに刺激強度を上げて通電する)がある。発作閾値は、サイマトロンでは最大用量の100%に対して何%の設定にするかで定義される脳波上の全般けいれんを起こすための最小限の電気用量であるが、臨床的効果のある発作を起こすためには両側性では閾値の1.5~2.5倍、右片側性ではより高い閾値の2.5~6倍が必要である。本邦では、発作閾値の滴定は行わず半年齢法による刺激強度で開始し、発作波の質や治療効果、治療継続に伴うけいれん閾値の上昇を鑑みて漸次調整していくことが多い。
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===心血管系合併症===
===心血管系合併症===
 通電中と通電直後には、通電による[[迷走神経]]の直接刺激から[[副交感神経]]が優位なり、発作中は[[交感神経]]が、発作終了後には再び副交感神経優位となる。通電直後の副交感神経優位状態では[[wj:徐脈|徐脈]]、[[wj:洞停止|洞停止]]、血圧低下が、発作中の交感神経優位状態では[[wj:頻脈|頻脈]]・[[wj:高血圧|高血圧]]が、発作終了後には再び徐脈や[[wj:不整脈|不整脈]]が一過性に出現しやすい。このような短時間の内に急激に生じる生理学的変化に対して、ECT中は麻酔科医による呼吸循環モニターと全身管理が必要になる。また、ECT中の徐脈性不整脈、血圧低下、口腔内分泌の増大などの副交感神経反応を抑制するためには、[[抗コリン薬]]である[[硫酸アトロピン]]の麻酔導入直前の静脈内投与が有用なことがある。高血圧症合併症のある患者では朝の降圧剤を服用し、必要に応じてジルチアゼム、ニカルジピン等の[[カルシウム拮抗薬]]をECT直前か直後に静注し管理する。特に従来からの心血管系合併症を持つ患者では死亡例も報告されおり、十分な管理が必要である。
 通電中と通電直後には、通電による[[迷走神経]]の直接刺激から[[副交感神経]]が優位となり、発作中は[[交感神経]]が、発作終了後には再び副交感神経優位となる。通電直後の副交感神経優位状態では[[wj:徐脈|徐脈]]、[[wj:洞停止|洞停止]]、血圧低下が、発作中の交感神経優位状態では[[wj:頻脈|頻脈]]・[[wj:高血圧|高血圧]]が、発作終了後には再び徐脈や[[wj:不整脈|不整脈]]が一過性に出現しやすい。このような短時間の内に急激に生じる生理学的変化に対して、ECT中は麻酔科医による呼吸循環モニターと全身管理が必要になる。また、ECT中の徐脈性不整脈、血圧低下、口腔内分泌の増大などの副交感神経反応を抑制するためには、[[抗コリン薬]]である[[硫酸アトロピン]]の麻酔導入直前の静脈内投与が有用なことがある。高血圧症合併症のある患者では朝の降圧剤を服用し、必要に応じて[[ジルチアゼム]]、[[ニカルジピン]]等の[[カルシウム拮抗薬]]をECT直前か直後に静注し管理する。特に従来からの心血管系合併症を持つ患者では死亡例も報告されており、十分な管理が必要である。


===認知機能障害===
===認知機能障害===
 ECTの副作用として出現する認知機能障害には[[発作後錯乱]]、[[発作間せん妄]]、健忘がある<ref name=ref79>'''Beyer JL, Weiner RD, Glenn MD'''<br>Electroconvulsive therapy. A programmed test 2 nd, <br>''American Psychiatric Press'', Washington DC, 1998</ref>。
 ECTの副作用として出現する認知機能障害には[[発作後錯乱]]、[[発作間せん妄]]、健忘がある<ref name=ref79>'''Beyer JL, Weiner RD, Glenn MD'''<br>Electroconvulsive therapy. A programmed test 2 nd, <br>''American Psychiatric Press'', Washington DC, 1998</ref>。


 発作後錯乱([[発作後せん妄]])は、通常ECT麻酔覚醒後数分以内に簡単や従命や会話が可能となるところ、ECT麻酔覚醒時に数分から数時間の[[精神運動性興奮]]や[[失見当識]]を伴う[[錯乱]]状態を示すもので、安心できる声かけや静かな環境でのリカバリーが重要である。発作後錯乱ではリカバリー時の慎重な観察と安全管理を要すが、著しく興奮が強い場合は、静脈麻酔薬の再投与や[[ミダゾラム]]、[[ジアゼパム]]等の[[ベンゾジアゼピン]]の追加投与が必要となる場合がある。
 発作後錯乱([[発作後せん妄]])は、通常ECT麻酔覚醒後数分以内に簡単な従命や会話が可能となるところ、ECT麻酔覚醒時に数分から数時間の[[精神運動性興奮]]や[[失見当識]]を伴う[[錯乱]]状態を示すもので、安心できる声かけや静かな環境でのリカバリーが重要である。発作後錯乱ではリカバリー時の慎重な観察と安全管理を要すが、著しく興奮が強い場合は、静脈麻酔薬の再投与や[[ミダゾラム]]、[[ジアゼパム]]等の[[ベンゾジアゼピン]]の追加投与が必要となる場合がある。


 発作間せん妄は、各ECT治療の間の期間にせん妄状態を呈すものであるが、一般的には治療終了とともに速やかに消失する。ECTの継続が望ましい場合は、治療間隔をあける、刺激用量を下げる、右片側性に変更するなどの対策をとるか、やむを得ない場合は抗精神病薬などによるせん妄治療を行う必要がある。
 発作間せん妄は、各ECT治療の間の期間にせん妄状態を呈すものであるが、一般的には治療終了とともに速やかに消失する。ECTの継続が望ましい場合は、治療間隔をあける、刺激用量を下げる、右片側性に変更するなどの対策をとるか、やむを得ない場合は抗精神病薬などによるせん妄治療を行う必要がある。


 健忘は前向性健忘と逆行性健忘があり、共にECT終了後数日から数週で消失することが多いが、前向性健忘は速やかに回復するのに対し、逆行性健忘は回復に比較的時間がかかることがあり、時にECT治療中や開始直前の記憶は欠けたままのこともある。逆行性健忘は、ECT施行前に全般的な認知機能障害を伴う場合や、ECT施行直後の失見当識の持続時間が長いほど起こりやすいとされる<ref name=ref80><pubmed>7793470</pubmed></ref>。また、[[エピソード記憶]]より[[意味記憶]]のほうが、[[遠隔記憶]]より[[近時記憶]]のほうがが障害されやすい<ref name=ref81><pubmed>10839336</pubmed></ref>ことが知られている。
 健忘は前向性健忘と逆行性健忘があり、共にECT終了後数日から数週で消失することが多いが、前向性健忘は速やかに回復するのに対し、逆行性健忘は回復に比較的時間がかかることがあり、時にECT治療中や開始直前の記憶は欠けたままのこともある。逆行性健忘は、ECT施行前に全般的な認知機能障害を伴う場合や、ECT施行直後の失見当識の持続時間が長いほど起こりやすいとされる<ref name=ref80><pubmed>7793470</pubmed></ref>。また、[[エピソード記憶]]より[[意味記憶]]のほうが、[[遠隔記憶]]より[[近時記憶]]のほうが障害されやすい<ref name=ref81><pubmed>10839336</pubmed></ref>ことが知られている。


 認知機能障害の頻度は、片側性より両側性が、刺激強度が低用量より高用量の方が、パルス波よりサイン波の方が、頻度が高いとされる<ref name=ref26 /> <ref name=ref82><pubmed>3458412</pubmed></ref>。その他、治療回数が多い、治療間隔が短い、患者年齢が高いことは認知機能障害のリスクの増加に関連する。
 認知機能障害の頻度は、片側性より両側性が、刺激強度が低用量より高用量の方が、パルス波よりサイン波の方が、頻度が高いとされる<ref name=ref26 /> <ref name=ref82><pubmed>3458412</pubmed></ref>。その他、治療回数が多い、治療間隔が短い、患者年齢が高いことは認知機能障害のリスクの増加に関連する。
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 認知機能障害が出現した時は、治療の中断、両側性から右片側性への電極配置の変更、治療頻度の引き下げ、治療有効性を損ねない程度の刺激強度の引き下げ、認知障害に関与している併用薬剤の見直し等の対策<ref name=ref8 /> <ref name=ref10 /> <ref name=ref60 />が行われることが望ましい。
 認知機能障害が出現した時は、治療の中断、両側性から右片側性への電極配置の変更、治療頻度の引き下げ、治療有効性を損ねない程度の刺激強度の引き下げ、認知障害に関与している併用薬剤の見直し等の対策<ref name=ref8 /> <ref name=ref10 /> <ref name=ref60 />が行われることが望ましい。


 記憶障害はECT中の低酸素と関係があり、ECT刺激前の十分な酸素化が重要である<ref name=ref83><pubmed>8010381</pubmed></ref>。またケタミン麻酔は神経保護作用を持ち認知機能障害を低減する可能性が示唆されている<ref name=ref84><pubmed>16801824</pubmed></ref> <ref name=ref85><pubmed>18379336</pubmed></ref>。
 記憶障害はECT中の低酸素とも関係があり、ECT刺激前の十分な酸素化が重要である<ref name=ref83><pubmed>8010381</pubmed></ref>。またケタミン麻酔は神経保護作用を持ち認知機能障害を低減する可能性が示唆されている<ref name=ref84><pubmed>16801824</pubmed></ref> <ref name=ref85><pubmed>18379336</pubmed></ref>。


 認知機能障害はECTコース中に生じやすいが、一方でECT終了して約2週間経過すると治療前の水準以上となるという報告<ref name=ref86><pubmed>20673880 </pubmed></ref>があり、うつ病の精神運動抑制による認知機能障害はECTによるうつ症状の改善とともに回復するため、鑑別しなければならない。
 認知機能障害はECT経過中に生じやすいが、一方でECTを終了後約2週間経過した時の認知機能は、治療前よりも改善している、という報告<ref name=ref86><pubmed>20673880 </pubmed></ref>もある。うつ病の精神運動抑制による認知機能障害は、ECTによるうつ症状の改善とともに回復するため、疾患の症状とECTの副作用を鑑別しなければならない。


 副作用としての認知障害を正しく評価するためには、ECT前の認知症などの認知機能障害の合併を把握しておく必要があり、ECT施行前の脳画像評価と認知機能評価が重要である。
 副作用としての認知障害を正しく評価するためには、ECT前の認知症などの認知機能障害の合併を把握しておく必要があり、ECT施行前の脳画像評価と認知機能評価が重要である。


 ECTの反復施行による認知機能障害の進行は否定的に考えられており<ref name=ref87><pubmed> 9229039</pubmed></ref>、MRIやCTを用いたECTによる脳構造への障害についてのメタ解析では、脳構造への障害は示されていない<ref name=ref83 />。
 ECTの反復施行により認知機能障害が進行するのかという懸念があったが、現在では否定的と考えられており<ref name=ref87><pubmed> 9229039</pubmed></ref>、MRIやCTを用いたECTによる脳構造への障害についてのメタ解析でも、脳構造への障害は示されていない<ref name=ref83 />。


 またサイン波治療器で100回以上の両側性修正型ECTを受けた8名の患者とECTとECTを受けたことのない患者の比較研究では、認知機能に有意な差はなかった報告されている<ref name=ref88><pubmed> 2053635</pubmed></ref>。
 またサイン波治療器で100回以上の両側性修正型ECTを受けた8名の患者とECTとECTを受けたことのない患者の比較研究では、認知機能に有意な差はなかったと報告されている<ref name=ref88><pubmed> 2053635</pubmed></ref>。


===その他の合併症===
===その他の合併症===
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 リチウムに関しては、APAガイドライン<ref name=ref8 />はリチウムとECTは併用しないように推奨している。安全にリチウムとECTを併用できるという報告も存在するため明確な禁忌ではないが、ECTとの併用でサクシニルコリンの作用延長による遷延性無呼吸の可能性が指摘され、ECT後の認知機能障害やせん妄の増加、遷延性発作や[[セロトニン症候群]]などの発生が報告されていることからECT前に中止し、ECTクール終了後必要であれば再開することが望ましい。[[抗てんかん薬]]やベンゾジアゼピン系薬剤は、ECTとの併用禁忌ではないが抗けいれん作用によりけいれんを生じにくくし発作不発や不適切な脳波上のけいれんを招きやすくするためECT前に漸減中止することが望ましい。
 リチウムに関しては、APAガイドライン<ref name=ref8 />はリチウムとECTは併用しないように推奨している。安全にリチウムとECTを併用できるという報告も存在するため明確な禁忌ではないが、ECTとの併用でサクシニルコリンの作用延長による遷延性無呼吸の可能性が指摘され、ECT後の認知機能障害やせん妄の増加、遷延性発作や[[セロトニン症候群]]などの発生が報告されていることからECT前に中止し、ECTクール終了後必要であれば再開することが望ましい。[[抗てんかん薬]]やベンゾジアゼピン系薬剤は、ECTとの併用禁忌ではないが抗けいれん作用によりけいれんを生じにくくし発作不発や不適切な脳波上のけいれんを招きやすくするためECT前に漸減中止することが望ましい。


 また嘔吐による誤嚥や窒息を予防するため、ECT治療開始の少なくとも6時間前からの固形物の中止、少量の水と必要な薬物以外の2時間前からの中止が推奨<ref name=ref22 />されており、例えば午前中施行する場合は前日夜から、午後に施行する場合は当日朝からの絶食とするなどの処置の徹底が必要がある。当日朝薬は[[wj:降圧剤|降圧剤]]など必要最小限に留め、必要に応じて施行前に胃酸の誤嚥を防止のため[[wj:H2ブロッカー|H2ブロッカー]]などの[[wj:制酸剤|制酸剤]]内服等を行う。
 また嘔吐による誤嚥や窒息を予防するため、ECT治療開始の少なくとも6時間前からの固形物の中止、少量の水と必要な薬物以外の2時間前からの中止が推奨<ref name=ref22 />されており、例えば午前中施行する場合は前日夜から、午後に施行する場合は当日朝からの絶食とするなどの処置の徹底が必要である。当日朝薬は[[wj:降圧剤|降圧剤]]など必要最小限に留め、必要に応じて施行前に胃酸の誤嚥防止のため[[wj:H2ブロッカー|H2ブロッカー]]などの[[wj:制酸剤|制酸剤]]内服等を行う。


===パスル波治療器での修正型ECTの手順===
===パスル波治療器での修正型ECTの手順===
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 運動性のけいれんと脳波上のけいれん('''写真3''')を確認し、けいれんの持続時間と波形の適切性を確認する。運動性のけいれんは、筋弛緩作用のため軽微かほぼ認めないこともあるが、片下肢にターニケットを巻いて実施することで筋電図上のけいれんを計測することができる。
 運動性のけいれんと脳波上のけいれん('''写真3''')を確認し、けいれんの持続時間と波形の適切性を確認する。運動性のけいれんは、筋弛緩作用のため軽微かほぼ認めないこともあるが、片下肢にターニケットを巻いて実施することで筋電図上のけいれんを計測することができる。


 通電後は、麻酔科医は十分なマスク換気での酸素投与の継続とともに、交感神経、副交感反応による脈拍や血圧変化等の全身反応に対し必要な処置を行う。
 通電後は、麻酔科医は十分なマスク換気での酸素投与の継続とともに、交感神経、副交感神経反応による脈拍や血圧変化等の全身反応に対し必要な処置を行う。


 筋弛緩薬と静脈麻酔薬の効果が消失し、自発呼吸再開後、十分な酸素投与を継続し、バイタルサインの正常化、簡単な会話など意識レベルの回復を確認したのち、ECT回復室にストレッチャーで移動する。意識レベルやバイタルサインが安定していることを確認した後に医師や看護師が付き添い酸素投与を継続しながら病棟に戻る。
 筋弛緩薬と静脈麻酔薬の効果が消失し、自発呼吸再開後、十分な酸素投与を継続し、バイタルサインの正常化、簡単な会話など意識レベルの回復を確認したのち、ECT回復室にストレッチャーで移動する。意識レベルやバイタルサインが安定していることを確認した後に医師や看護師が付き添い酸素投与を継続しながら病棟に戻る。
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 また、本邦でも松本昭夫の手記「精神病棟の二十年」<ref name=ref100>'''松本昭夫'''<br>精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史<br>''新潮文庫'', 2001 ISBN 4062646897</ref>に、1960年代の精神病院の無麻酔でのサイン波治療器でのECTの様子が描写されている。
 また、本邦でも松本昭夫の手記「精神病棟の二十年」<ref name=ref100>'''松本昭夫'''<br>精神病棟の二十年―付・分裂病の治癒史<br>''新潮文庫'', 2001 ISBN 4062646897</ref>に、1960年代の精神病院の無麻酔でのサイン波治療器でのECTの様子が描写されている。


 現在は、米国APAをはじめ各国の精神科学会や多くの精神科医が、「適切な適応の患者に十分なインフォームドコンセントを行い、トレーニングされた精神科医が適切な方法で行うECTはエビデンスに基づく治療である」と考えているが、未だ様々な領域でECTへの反対意見を持つ人は少なからずおり、一部の精神科医はECTに反対する立場をとる場合がある。
 現在は、米国APAをはじめ各国の精神科学会や多くの精神科医が、「適切な適応の患者に十分なインフォームドコンセントを行い、トレーニングされた精神科医が適切な方法で行うECTはエビデンスに基づく治療である」と考えている。未だ様々な領域でECTへの反対意見を持つ人は少なからずおり、一部の精神科医もECTに対して否定的な態度を示す場合があるが、治療ガイドラインに位置づけられている重要な治療法であることから、状況に応じて治療の一選択肢として患者に提示することは医師として必要であろう。


 ECTは従来型ECTから修正型ECTへ、そしてパルス波治療器を用いたECTへと発展してきており、現在のECTは、静脈麻酔薬の使用、筋弛緩薬の使用、ECT中の十分な酸素化と呼吸循環モニターの使用が標準的になってきている。しかし、本邦での課題として、修正型ECTおよびパルス波治療器の普及がまだ不十分であることがあげられる。
 ECTは従来型ECTから修正型ECTへ、そしてパルス波治療器を用いたECTへと発展してきており、現在のECTは、静脈麻酔薬の使用、筋弛緩薬の使用、ECT中の十分な酸素化と呼吸循環モニターの使用が標準的になってきている。しかし、本邦での課題として、修正型ECTおよびパルス波治療器の普及がまだ不十分であることがあげられる。
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 治療器に関しては、パルス波治療器のみを使用している施設は24%で、パルス波とサイン波治療器の双方を使用している施設は20.8%、サイン波治療器のみを使用している施設は51%だった。
 治療器に関しては、パルス波治療器のみを使用している施設は24%で、パルス波とサイン波治療器の双方を使用している施設は20.8%、サイン波治療器のみを使用している施設は51%だった。


 修正型ECTは麻酔科医の配置や手術室に準じた施設が必要となるために限られた医療機関でしか行えない治療であり、地域の精神病院と麻酔科医の配置が可能な総合病院との医療連携の強化の必要性が指摘されている<ref name=ref92 />。
 修正型ECTは麻酔科医の配置や手術室に準じた施設が必要となるために限られた医療機関でしか行えない治療であり、地域の精神病院と麻酔科医の配置が可能な総合病院との医療連携強化の必要性が指摘されている<ref name=ref92 />。


 これらの調査からは、修正型ECTが行われる割合やパルス波治療器が用いられる割合は年々増加しているものの、本邦での普及はまだ不十分であると言わざるを得ず、ECTの標準化は以前からの大きな課題であったことから各関連学会がECT講習会を定期的に開催し均てん化が行われている。
 これらの調査からは、修正型ECTが行われる割合やパルス波治療器が用いられる割合は年々増加しているものの、本邦での普及はまだ不十分であると言わざるを得ず、ECTの標準化は以前からの大きな課題であったことから各関連学会がECT講習会を定期的に開催し均てん化が行われている。
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 研究面におけるECTにおける最大の課題は先述したECTの作用機序である。ECT前後での[[脳画像研究]]、生体内物質の変化、遺伝子発現の変化など、作用機序について世界各国で研究がされているが、未だ作用機序は未解明のままである。ECTの作用機序を解明することは、うつ病の本質的な病態の解明につながる可能性もあり非常に重要な課題である。
 研究面におけるECTにおける最大の課題は先述したECTの作用機序である。ECT前後での[[脳画像研究]]、生体内物質の変化、遺伝子発現の変化など、作用機序について世界各国で研究がされているが、未だ作用機序は未解明のままである。ECTの作用機序を解明することは、うつ病の本質的な病態の解明につながる可能性もあり非常に重要な課題である。


 ECTのアクセシビリティの課題としては、ECT治療は現在のところ入院治療による管理が必要であり、継続・維持ECT施行の際もその都度入院管理が必要となるため、アクセスビリティが良いとは言えず、今後アクセシビリティの高い外来ECTを行うことが特に安全面において可能であるかという検討が求められる。
 ECTのアクセシビリティの課題としては、ECTは現在のところ入院治療による管理が必要であり、継続・維持ECT施行の際もその都度入院管理が必要となるため、アクセシビリティが良いとは言えず、今後アクセシビリティの高い外来ECTを行うことが特に安全面において可能であるかという検討が求められる。


 ECTの発展形として直接的に電気を用いないけいれん療法も提案されてきている。磁気によってけいれんを誘発し認知機能障害がより少ないとされる[[磁気けいれん療法]]([[magnetic seizure therapy]]: MST)や焦点を絞った通電が可能となる[[focal electrically administered seizure therapy]](FEAST)などが開発され研究段階にある。
 ECTの発展形として直接的に電気を用いないけいれん療法も提案されてきている。磁気によってけいれんを誘発し認知機能障害がより少ないとされる[[磁気けいれん療法]]([[magnetic seizure therapy]]: MST)や焦点を絞った通電が可能となる[[focal electrically administered seizure therapy]](FEAST)などが開発され研究段階にある。

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