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===モルヒネの単離まで=== | |||
歴史上、麻薬という言葉は、[[アヘン]]剤のことを指していた。アヘン剤とは、モルヒネ、ヘロイン、[[コデイン]]など、[[wikipedia:ja:ケシ|ケシ]]の実から抽出される[[wikipedia:ja:アルカロイド|アルカロイド]]を合成した薬剤のことである。[[昏迷]]状態を引き起こす中枢抑制薬であり、[[酩酊]]・[[多幸感]]などをもたらす一方、強力な[[依存性]]があり、身体は急速に[[耐性]]を形成する。その依存性の強さから、麻薬の製造や流通は法律で厳しく規制されている。 | 歴史上、麻薬という言葉は、[[アヘン]]剤のことを指していた。アヘン剤とは、モルヒネ、ヘロイン、[[コデイン]]など、[[wikipedia:ja:ケシ|ケシ]]の実から抽出される[[wikipedia:ja:アルカロイド|アルカロイド]]を合成した薬剤のことである。[[昏迷]]状態を引き起こす中枢抑制薬であり、[[酩酊]]・[[多幸感]]などをもたらす一方、強力な[[依存性]]があり、身体は急速に[[耐性]]を形成する。その依存性の強さから、麻薬の製造や流通は法律で厳しく規制されている。 | ||
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[[wikipedia:ja:中国|中国]]では[[wikipedia:ja:後漢|後漢]]末期、[[wikipedia:ja:華佗|華佗]]が医術や薬の処方に詳しく、麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、大麻が成分とされる「[[wikipedia:ja:麻沸散|麻沸散]]」と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行った記載が[[wikipedia:ja:三国志|三国志]]に記載がある。また、[[wikipedia:ja:五石散|五石散]]と言う麻薬が[[wikipedia:ja:三国時代|三国時代]]、あるいは後漢の頃からあったと言われている。さらに「[[wikipedia:ja:本草綱目|本草綱目]]」(1892種の本草([[wikipedia:ja:生薬|生薬]])について薬効などを詳しく記述されている文献)では阿片を主薬とする「一粒金丹」という製剤の記載があり、万能薬として用いられた。日本では、華佗が使ったとされる麻沸散(別名:[[wikipedia:ja:通仙散|通仙散]])による[[wikipedia:ja:全身麻酔|全身麻酔]]下で[[wikipedia:ja:乳癌|乳癌]]摘出手術に成功した。1803年にドイツの薬剤師である[[wikipedia:Friedrich Sertürner|フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゼルチュルネル]]がアヘンからモルヒネの単離にはじめて成功した。 | [[wikipedia:ja:中国|中国]]では[[wikipedia:ja:後漢|後漢]]末期、[[wikipedia:ja:華佗|華佗]]が医術や薬の処方に詳しく、麻酔を最初に発明したのは華佗とされており、大麻が成分とされる「[[wikipedia:ja:麻沸散|麻沸散]]」と呼ばれる麻酔薬を使って腹部切開手術を行った記載が[[wikipedia:ja:三国志|三国志]]に記載がある。また、[[wikipedia:ja:五石散|五石散]]と言う麻薬が[[wikipedia:ja:三国時代|三国時代]]、あるいは後漢の頃からあったと言われている。さらに「[[wikipedia:ja:本草綱目|本草綱目]]」(1892種の本草([[wikipedia:ja:生薬|生薬]])について薬効などを詳しく記述されている文献)では阿片を主薬とする「一粒金丹」という製剤の記載があり、万能薬として用いられた。日本では、華佗が使ったとされる麻沸散(別名:[[wikipedia:ja:通仙散|通仙散]])による[[wikipedia:ja:全身麻酔|全身麻酔]]下で[[wikipedia:ja:乳癌|乳癌]]摘出手術に成功した。1803年にドイツの薬剤師である[[wikipedia:Friedrich Sertürner|フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ゼルチュルネル]]がアヘンからモルヒネの単離にはじめて成功した。 | ||
このように、人類は紀元前より[[オピオイド]]の鎮痛作用や陶酔作用といった効果を知っていたが、その薬理作用の仕組みが理解されるようになったのは最近のことである。研究者達はなぜ植物由来の成分が動物や人間の生体内でこれほど強い効果を引き出すことができるのかという素朴な疑問を持ち続け、それは次第に“モルヒネ感受性受容体の存在”という概念にたどり着いた。1971 | ===オピオイド受容体の発見=== | ||
このように、人類は紀元前より[[オピオイド]]の鎮痛作用や陶酔作用といった効果を知っていたが、その薬理作用の仕組みが理解されるようになったのは最近のことである。研究者達はなぜ植物由来の成分が動物や人間の生体内でこれほど強い効果を引き出すことができるのかという素朴な疑問を持ち続け、それは次第に“モルヒネ感受性受容体の存在”という概念にたどり着いた。1971 年、Goldsteinは[[オピオイド受容体]]の発見の基になる報告をし <ref name="ref1"><pubmed>5288759</pubmed></ref>、1973年にそれぞれ、[[Solomon H. Snyder|Snyder]]とPert<ref name="ref2"><pubmed>4687585</pubmed></ref>、Simon<ref name="ref3"><pubmed>4583407</pubmed></ref>、Terenius<ref name="ref4"><pubmed>4801083</pubmed></ref>の3つのグループからオピオイド受容体の存在が提唱され、広く研究者の間で受け入れられるようになった。1975 年には Hughes と Kosterlitz ら<ref name="ref5"><pubmed>1207728</pubmed></ref>が[[エンケファリン]]を発見し、さらに、1979 年に Goldstein と Tachibanaら<ref name="ref6"><pubmed>230519</pubmed></ref>が[[ダイノルフィン]]を抽出し、生体内に存在するモルヒネ様物質、いわゆる“[[内因性オピオイド]]”が発見された。[[オピオイド受容体]]は [[μ受容体|μ]]、[[δ受容体|δ]] および [[κ受容体|κ]] に大別され、これら3種のオピオイド受容体の研究がもっとも盛んに行われてきた。 | |||
オピオイド受容体遺伝子のクロ−ニングは他の受容体と比べて遅く、1992年になってEvansらとKiefferらのグループがそれぞれ、372個のアミノ酸から成るδ受容体のクロ−ニングに成功した<ref name="ref7"><pubmed>1335167</pubmed></ref> <ref name="ref8"><pubmed>1334555</pubmed></ref>。δ受容体のクロ−ニング後、[[wikipedia:ja:PCR|PCR]] 法によるホモロジ−を利用した研究によってμおよびκ受容体のクロ−ニングの成功が相次いで報告された。μおよびκ受容体は、それぞれ398個と380個のアミノ酸から構成されている。明らかにされたμ-、δ-およびκ-オピオイド受容体間のアミノ酸配列の相同性は全体として約60%と高く、いずれも7回膜貫通型のいわゆる[[Gタンパク質共役型受容体]]である。また、現在までにμ受容体遺伝子においていくつかの[[wikipedia:ja:エクソン|エクソン]]が同定されており、これらの組み合わせの違いから数種類のスプライスバリアントによるμ受容体サブタイプの存在が報告されている。 | |||
== 不正麻薬 == | == 不正麻薬 == |