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== 遠心性コピーと随伴発射の機能的役割 == | == 遠心性コピーと随伴発射の機能的役割 == | ||
種々の感覚器官を通して入力される感覚信号の変化は、環境が変化したために生じる場合だけでなく、自分自身の行なった運動の結果として生じる場合があるが、生体はどちらの原因によって感覚信号の変化が引き起こされたかを区別する能力を有している。例えば、視野内にある物体が動けば、我々はその物体が動いたという知覚を得るが、我々が自分自身で視線を動かした場合、物体位置が網膜上で変化したにもかかわらず、物体が動いたという知覚は生じない。von | 種々の感覚器官を通して入力される感覚信号の変化は、環境が変化したために生じる場合だけでなく、自分自身の行なった運動の結果として生じる場合があるが、生体はどちらの原因によって感覚信号の変化が引き起こされたかを区別する能力を有している。例えば、視野内にある物体が動けば、我々はその物体が動いたという知覚を得るが、我々が自分自身で視線を動かした場合、物体位置が網膜上で変化したにもかかわらず、物体が動いたという知覚は生じない。von HolstとMittelstaedt<ref name=ref4>'''von Holst EV and Mittelstaedt H'''<br>The reafference principle. <br>''Naturwissenschaften, 37, 464–467 '':1950</ref>は、遠心性である運動指令信号のコピー(遠心性コピー: efference copy)が感覚情報処理系に送られることによって、自己運動の結果として生ずる感覚信号成分が消去あるいは補正されると考えた。Sperry<ref name=ref5><pubmed>14794830</pubmed></ref>は随伴発射(corollary discharge)という言葉を用いて、感覚情報処理に影響を与える自身の運動に関連した信号を表現した。概念的には遠心性コピーと随伴発射は同様の信号を意味しているが、遠心性コピーは運動ニューロンから筋に向けた運動指令信号の実際のコピーの意を持ち、随伴発射は運動実行系の高次、低次のレベルあるいは運動ニューロンに由来する信号を幅広く表現する<ref name=ref3><pubmed> 18641666 </pubmed></ref>。今日では、運動実行系の階層的情報処理の様々な段階から、感覚情報処理系の階層の様々な階層に向けて運動関連信号が送られていると考えられている。また、線虫、コオロギ、ザリガニ、弱電気魚、コウモリ、サル等様々な動物種において、このような神経機構が備わっていることが知られている<ref name=ref3 /> <ref><pubmed> 18848626 </pubmed></ref>。以下にサルの例について説明する。 | ||
== サッケード眼球運動と視野安定性 == | == サッケード眼球運動と視野安定性 == | ||
[[網膜]] | [[網膜]]に映った外界の像は、眼球運動に伴って大きく動く。しかしながら、日常生活において我々は頻繁に視線を動かしているにもかかわらず、安定した視覚世界を知覚している。このような視野安定性は、網膜から入力された視覚像を眼球の動きと逆方向に同じ大きさで変位させることによって、すなわち眼球運動による位置変化を相殺することによって実現されていると考えられている<ref>'''von Helmholtz H'''<br>Helmholtz’s treatise on physiological optics<br>''Optical Society of America (New York)'':1925</ref><ref name=ref4 /><ref name=ref5 />。相殺には、眼球の運動位置信号が重要となるが、脳内で考えられる信号源として2つの候補が考えられる。1つは[[wikipedia:ja:眼筋|眼筋]]に存在する[[伸張受容器]]からの[[固有感覚]](proprioception)であり、もう1つは眼球運動系への運動指令信号を眼球の位置変化信号として感覚系に戻す信号[[随伴発射]]である。 | ||
視野安定性を維持するためには、どちらの経路がより重要なのであろうか?眼筋を麻痺させているときに眼を随意的に動かそうとすると(運動指令は出力されるが、眼は実際には動かない)、眼を動かそうとした方向に外界が動いて見える<ref><pubmed>1258394</pubmed></ref>。また、瞼(まぶた)の上から眼球を指で押して受動的に動かすと、外界が動いて知覚される。さらに、固有感覚信号が皮質に伝達されるにはある程度の時間遅れ(80 ms)が存在するため<ref><pubmed>17396123</pubmed></ref>、サッケードのような[[急速性眼球運動]]における視野安定性を説明することが難しい。これらの結果は、固有感覚よりも随伴発射から得られる眼球位置情報の方が視野安定性により強く貢献していることを示唆する。近年、[[wikipedia:ja:霊長類|霊長類]]において視野安定性に貢献する随伴発射の伝達経路の一つが初めて同定され<ref name=ref2><pubmed>12029137</pubmed></ref>、これらの現象の基盤となる神経機構の解明が進んでいる<ref><pubmed>21242138</pubmed></ref>。 | 視野安定性を維持するためには、どちらの経路がより重要なのであろうか?眼筋を麻痺させているときに眼を随意的に動かそうとすると(運動指令は出力されるが、眼は実際には動かない)、眼を動かそうとした方向に外界が動いて見える<ref><pubmed>1258394</pubmed></ref>。また、瞼(まぶた)の上から眼球を指で押して受動的に動かすと、外界が動いて知覚される。さらに、固有感覚信号が皮質に伝達されるにはある程度の時間遅れ(80 ms)が存在するため<ref><pubmed>17396123</pubmed></ref>、サッケードのような[[急速性眼球運動]]における視野安定性を説明することが難しい。これらの結果は、固有感覚よりも随伴発射から得られる眼球位置情報の方が視野安定性により強く貢献していることを示唆する。近年、[[wikipedia:ja:霊長類|霊長類]]において視野安定性に貢献する随伴発射の伝達経路の一つが初めて同定され<ref name=ref2><pubmed>12029137</pubmed></ref>、これらの現象の基盤となる神経機構の解明が進んでいる<ref><pubmed>21242138</pubmed></ref>。 | ||
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われわれは動く対象物を見るために滑らかに眼を動かしてそれを追跡する([[追跡眼球運動]])。その時、追跡対象以外の静止物に由来する背景の網膜像は眼の動きと反対の方向に流れるように動くが、われわれはその動きを外界の動きとは感じない。この視知覚は、眼球運動によって起こる網膜像の動きの信号が網膜外に由来する信号によって補正されることによると考えられている。ヒトにおいては、この機能に両側の高次視覚野が関わることが知られている<ref><pubmed>9349816</pubmed></ref>。 | われわれは動く対象物を見るために滑らかに眼を動かしてそれを追跡する([[追跡眼球運動]])。その時、追跡対象以外の静止物に由来する背景の網膜像は眼の動きと反対の方向に流れるように動くが、われわれはその動きを外界の動きとは感じない。この視知覚は、眼球運動によって起こる網膜像の動きの信号が網膜外に由来する信号によって補正されることによると考えられている。ヒトにおいては、この機能に両側の高次視覚野が関わることが知られている<ref><pubmed>9349816</pubmed></ref>。 | ||
Sakataらは実際の対象物の動きと眼の運動による網膜像の動きを区別するニューロンをサルの[[下頭頂小葉]]で発見している<ref><pubmed>4024464</pubmed></ref>。それらのニューロンでは、サルが画面中心の注視点を[[固視]]している間に受容野内でスリット刺激を動かすと強い反応が得られるが、同じ網膜上の動きを追跡眼球運動で作り出した時には反応が見られない。この現象は、網膜像の動きに対する反応が随意的な眼球運動に関係する信号によって抑制されたためと考えられている。実際の動きと眼の動きによって引き起こされた動きを区別するニューロンや外界の実際の動きをコードするニューロンが[[MST]]野([[ | Sakataらは実際の対象物の動きと眼の運動による網膜像の動きを区別するニューロンをサルの[[下頭頂小葉]]で発見している<ref><pubmed>4024464</pubmed></ref>。それらのニューロンでは、サルが画面中心の注視点を[[固視]]している間に受容野内でスリット刺激を動かすと強い反応が得られるが、同じ網膜上の動きを追跡眼球運動で作り出した時には反応が見られない。この現象は、網膜像の動きに対する反応が随意的な眼球運動に関係する信号によって抑制されたためと考えられている。実際の動きと眼の動きによって引き起こされた動きを区別するニューロンや外界の実際の動きをコードするニューロンが[[MST]]野([[medial superior temporal area]])にもあることが報告されている<ref><pubmed>1761094</pubmed></ref><ref><pubmed>17329625</pubmed></ref><ref><pubmed>21273314</pubmed></ref>。追跡眼球運動中の運動視知覚においても、運動指令信号の遠心性コピーあるいは随伴発射の寄与によることが示唆されているが、その信号の由来や到達経路の解明は今後の課題である。 | ||