「血液脳関門」の版間の差分

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== 歴史  ==
== 歴史  ==
[[Image:Tachikawa fig 1.jpg|thumb|350px|'''図1.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)の解剖学的実体''']]
 細菌学者[[wikipedia:Paul Ehrlich|Paul Ehrlich]]は当時流行り始めた生体染色色素に興味を持ち、生きた[[wikipedia:ja:ウサギ|ウサギ]]の血管内に色素を注射したところ、多くの臓器の組織染色に成功したが、中枢神経だけが染色できないことに気付いた。1885年に、この結果を「脳組織は染色色素を吸着する化学成分が欠乏している」と解釈した論文を発表した<ref>'''Ehrlich P.'''<br>Das Sauerstoff-Bedurfnis des Organismus: eine farbenanalytisch Studie<br>''Berlin: Hirschward'':1885</ref>。
 細菌学者[[wikipedia:Paul Ehrlich|Paul Ehrlich]]は当時流行り始めた生体染色色素に興味を持ち、生きた[[wikipedia:ja:ウサギ|ウサギ]]の血管内に色素を注射したところ、多くの臓器の組織染色に成功したが、中枢神経だけが染色できないことに気付いた。1885年に、この結果を「脳組織は染色色素を吸着する化学成分が欠乏している」と解釈した論文を発表した<ref>'''Ehrlich P.'''<br>Das Sauerstoff-Bedurfnis des Organismus: eine farbenanalytisch Studie<br>''Berlin: Hirschward'':1885</ref>。


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== 構造と役割  ==
== 構造と役割  ==
[[Image:Tachikawa fig 1.jpg|thumb|350px|'''図1.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)の解剖学的実体''']]
[[Image:tachikawa_fig2.jpg|thumb|500px|'''図2.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における物質輸送システム'''<br>SLCトランスポーター, Solute carrierファミリートランスポーター ; ABCトランスポーター, ATP-binding cassetteトランスポーター]]  
[[Image:tachikawa_fig2.jpg|thumb|500px|'''図2.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における物質輸送システム'''<br>SLCトランスポーター, Solute carrierファミリートランスポーター ; ABCトランスポーター, ATP-binding cassetteトランスポーター]]  


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===供給輸送系===
===供給輸送系===
 BBB供給輸送系の最も重要な役割の一つは、エネルギー源となる[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]や[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]及びタンパク質や神経伝達物質の原料となる[[wikipedia:ja:アミノ酸|アミノ酸]]の循環血液から脳への供給である(図3)。[[グルコーストランスポーター 1]] ([[GLUT1]]/[[SLC2A1]])は、促進拡散型のトランスポーターで、脳毛細血管内皮細胞の両側の細胞膜に局在し、循環血液中から脳方向へのグルコースの供給輸送を担う。この他、[[モノカルボン酸トランスポーター]] ([[MCT1]]/[[SLC16A1]]) は、乳酸などの[[wikipedia:ja:ケトン体|ケトン体]]エネルギー源の供給に関与し、[[L型アミノ酸トランスポーター]]([[LAT1]]/[[SLC7A5]])は、[[4F2抗原重鎖]] ([[4F2hc]], [[CD98]]/[[SLC3A2]])とヘテロダイマーを形成して、主に[[wikipedia:ja:チロシン|チロシン]]や[[wikipedia:ja:フェニルアラニン|フェニルアラニン]]などの大型の中性アミノ酸を脳内に供給する役割を果たす。
[[Image:tachikawa_fig3a.jpg|thumb|800px|'''図3.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性物質輸送システム(循環血液から脳への供給輸送)'''<br>]]
[[Image:tachikawa_fig3a.jpg|thumb|800px|'''図3.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性物質輸送システム(循環血液から脳への供給輸送)'''<br>]]


 BBB供給輸送系の最も重要な役割の一つは、エネルギー源となる[[wikipedia:ja:グルコース|グルコース]]や[[wikipedia:ja:乳酸|乳酸]]及びタンパク質や神経伝達物質の原料となる[[wikipedia:ja:アミノ酸|アミノ酸]]の循環血液から脳への供給である。[[グルコーストランスポーター 1]] ([[GLUT1]]/[[SLC2A1]])は、促進拡散型のトランスポーターで、脳毛細血管内皮細胞の両側の細胞膜に局在し、循環血液中から脳方向へのグルコースの供給輸送を担う。この他、[[モノカルボン酸トランスポーター]] ([[MCT1]]/[[SLC16A1]]) は、乳酸などの[[wikipedia:ja:ケトン体|ケトン体]]エネルギー源の供給に関与し、[[L型アミノ酸トランスポーター]]([[LAT1]]/[[SLC7A5]])は、[[4F2抗原重鎖]] ([[4F2hc]], [[CD98]]/[[SLC3A2]])とヘテロダイマーを形成して、主に[[wikipedia:ja:チロシン|チロシン]]や[[wikipedia:ja:フェニルアラニン|フェニルアラニン]]などの大型の中性アミノ酸を脳内に供給する役割を果たす。この他に、エネルギー貯蔵物質[[wikipedia:ja:クレアチン|クレアチン]]や、浸透圧調節物質[[wikipedia:ja:タウリン|タウリン]]の輸送系などが知られている。インスリン受容体やトランスフェリン受容体は、受容体介在型トランスサイトーシス経路として、ぞれぞれインスリンやトランスフェリンを、循環血液から脳へ供給する役割を担う。近年では、これらの受容体介在型トランスサイトーシス経路を利用して、抗ヒト受容体モノクローナル抗体とタンパク質医薬品とのキメラタンパク質を脳へ効率的にデリバリーする研究が行われている<ref><pubmed> 22929442 </pubmed></ref>。
 この他に、エネルギー貯蔵物質[[wikipedia:ja:クレアチン|クレアチン]]や、浸透圧調節物質[[wikipedia:ja:タウリン|タウリン]]の輸送系などが知られている。インスリン受容体やトランスフェリン受容体は、受容体介在型トランスサイトーシス経路として、ぞれぞれインスリンやトランスフェリンを、循環血液から脳へ供給する役割を担う。
 
 近年では、これらの受容体介在型トランスサイトーシス経路を利用して、抗ヒト受容体モノクローナル抗体とタンパク質医薬品とのキメラタンパク質を脳へ効率的にデリバリーする研究が行われている<ref><pubmed> 22929442 </pubmed></ref>。


===排出輸送系===
===排出輸送系===
[[Image:tachikawa_fig3b.jpg|thumb|800px|'''図4.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性物質輸送システム(脳から循環血液への排出輸送)''']]
[[Image:tachikawa_fig3b.jpg|thumb|800px|'''図4.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性物質輸送システム(脳から循環血液への排出輸送)''']]
 BBB排出輸送系の主要な役割は、脳内で産生される神経伝達物質、メディエーターや代謝物の循環血液中へのくみ出しであり、SLCファミリーである神経伝達物質トランスポーター、[[アミノ酸トランスポーター]]、[[有機アニオントランスポーター]]や、[[ABCトランスポーター]]ファミリーである[[MRP4]]などがそれぞれ関与している(図4)。これらの輸送系は、脳細胞間隙中の神経伝達物質の第二のクリアランス機構や、脳内不要物質の脳内蓄積を防止する機構として、機能している。
[[Image:tachikawa_fig3c.jpg|thumb|right|800px|'''図5.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性ペプチド・タンパク質輸送系''']]
[[Image:tachikawa_fig3c.jpg|thumb|right|800px|'''図5.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における内因性ペプチド・タンパク質輸送系''']]
 
 このほかにBBBには、脳内の免疫グロブリンIgGや心房性ナトリウム利尿ペプチドを、循環血液方向へトランスサイトーシスによって排出輸送する輸送機構として、それぞれneonatal Fc receptor (FcRn)<ref><pubmed> 11240028 </pubmed></ref>及びnatriuretic peptide receptor (Npr-C))<ref><pubmed> 20628403 </pubmed></ref>が役割を果たしていることが知られている(図5)。さらに、BBBには、[[アルツハイマー病]]で脳内に蓄積する[[&beta;-アミロイド]](1-40)の排出輸送系が存在する<ref><pubmed> 17908238 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 16926058 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 20367755 </pubmed></ref>。この分子的実体には、P-糖タンパク<ref><pubmed> 16239972 </pubmed></ref>、BCRP<ref><pubmed> 19403814 </pubmed></ref>、[[lipoprotein receptor related protein-1]]([[LRP-1]]) <ref><pubmed> 11120756 </pubmed></ref>など諸説あるが、現時点で結論が出ていない。
 BBB排出輸送系の主要な役割は、脳内で産生される神経伝達物質、メディエーターや代謝物の循環血液中へのくみ出しであり、SLCファミリーである神経伝達物質トランスポーター、[[アミノ酸トランスポーター]]、[[有機アニオントランスポーター]]や、[[ABCトランスポーター]]ファミリーである[[MRP4]]などがそれぞれ関与している。これらの輸送系は、脳細胞間隙中の神経伝達物質の第二のクリアランス機構や、脳内不要物質の脳内蓄積を防止する機構として、機能している。このほかにBBBには、脳内の免疫グロブリンIgGや心房性ナトリウム利尿ペプチドを、循環血液方向へトランスサイトーシスによって排出輸送する輸送機構として、それぞれneonatal Fc receptor (FcRn)<ref><pubmed> 11240028 </pubmed></ref>及びnatriuretic peptide receptor (Npr-C))<ref><pubmed> 20628403 </pubmed></ref>が役割を果たしていることが知られている。さらに、BBBには、[[アルツハイマー病]]で脳内に蓄積する[[&beta;-アミロイド]](1-40)の排出輸送系が存在する<ref><pubmed> 17908238 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 16926058 </pubmed></ref> <ref><pubmed> 20367755 </pubmed></ref>。この分子的実体には、P-糖タンパク<ref><pubmed> 16239972 </pubmed></ref>、BCRP<ref><pubmed> 19403814 </pubmed></ref>、[[lipoprotein receptor related protein-1]]([[LRP-1]]) <ref><pubmed> 11120756 </pubmed></ref>など諸説あるが、現時点で結論が出ていない。


== 薬物の輸送システム  ==
== 薬物の輸送システム  ==
 図6に、主にげっ歯類で明らかにされているBBBにおける薬物の輸送システムをまとめた<ref name="ref1" /> <ref name="ref3" />。
[[Image:tachikawa_fig3d.jpg|thumb|800px|'''図6.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における薬物輸送システム''']]
[[Image:tachikawa_fig3d.jpg|thumb|800px|'''図6.血液脳関門(Blood-brain barrier, BBB)における薬物輸送システム''']]
 図6に、主にげっ歯類で明らかにされているBBBにおける薬物の輸送システムをまとめた<ref name="ref1" /> <ref name="ref3" />。
 脂質二重膜で構成される細胞膜は、脂溶性の物質はBBBを透過しやすいとされる。しかし、脳毛細血管内皮細胞の血液側膜に局在するP-糖タンパクやBCRPは広範な基質認識性を示す。これらの基質となる物質は、内皮細胞内に侵入した際に速やかに細胞外へ排出輸送されるため、循環血液から脳への移行性が著しく制限される。中枢作用薬の開発段階においてP-糖タンパクやBCRPの基質となるか否かは脳移行性を予測する重要な指標となる。
 脂質二重膜で構成される細胞膜は、脂溶性の物質はBBBを透過しやすいとされる。しかし、脳毛細血管内皮細胞の血液側膜に局在するP-糖タンパクやBCRPは広範な基質認識性を示す。これらの基質となる物質は、内皮細胞内に侵入した際に速やかに細胞外へ排出輸送されるため、循環血液から脳への移行性が著しく制限される。中枢作用薬の開発段階においてP-糖タンパクやBCRPの基質となるか否かは脳移行性を予測する重要な指標となる。


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[[Image:Tachikawa fig 5.jpg|thumb|600px|'''図8.血液脳関門におけるトランスポーターの輸送活性の再構築'''<br>Kp brain ratioは、P-糖タンパク遺伝子欠損マウスにおける脳対血漿中薬物濃度比(Kp brain)を野生型マウスのKp brainで除した値として定義され、in vivoのBBBのmdr1a輸送活性を表す。<ref name="ref8"/>のデータを基に作成)]]
[[Image:Tachikawa fig 5.jpg|thumb|600px|'''図8.血液脳関門におけるトランスポーターの輸送活性の再構築'''<br>Kp brain ratioは、P-糖タンパク遺伝子欠損マウスにおける脳対血漿中薬物濃度比(Kp brain)を野生型マウスのKp brainで除した値として定義され、in vivoのBBBのmdr1a輸送活性を表す。<ref name="ref8"/>のデータを基に作成)]]


 トランスポーターの輸送活性を構成する個々の要素(分子数、1分子あたりの輸送活性)を''in vitro''実験等で解明し、それらのデータを統合することによって''in vivo''のトランスポーターの輸送活性を解析する手法である。イメージング技術と異なり、ヒトにプローブ化合物を投与することなく、ヒトBBBにおけるトランスポーターの輸送活性を解析することが理論的に可能であり、現在、この実現を目指している。
 トランスポーターの輸送活性を構成する個々の要素(分子数、1分子あたりの輸送活性)を''in vitro''実験等で解明し、それらのデータを統合することによって''in vivo''のトランスポーターの輸送活性を解析する手法である(図8)。イメージング技術と異なり、ヒトにプローブ化合物を投与することなく、ヒトBBBにおけるトランスポーターの輸送活性を解析することが理論的に可能であり、現在、この実現を目指している。
 
 理論的に、全てのトランスポーターに適用可能であり、有用な解析手法として期待されている。 トランスポーターの輸送活性は、トランスポーター1分子あたりの輸送活性と分子数(タンパク質発現量, mol)の積に分解できる(図8)。従って、トランスポーター1分子あたりの輸送活性を''in vitro''実験によって測定し、ヒト死後脳から単離した脳毛細血管におけるトランスポーターのタンパク質発現量と統合することによって、''in vivo''のヒトBBBにおける輸送活性を再構築できる。この考え方を実証するために、マウスP-糖タンパク発現細胞単層膜で測定したP-糖タンパクの輸送活性をそのP-糖タンパク発現量で除することによってP-糖タンパク1分子あたりの輸送活性を算出した。これをマウス脳毛細血管におけるP-糖タンパク発現量と統合することによって、BBBのP-糖タンパク輸送活性を再構築した。その結果、異なる輸送活性を示す全11基質について再構築された輸送活性は実測値と良好に一致した(図8)<ref name="ref8" /> 。


 理論的に、全てのトランスポーターに適用可能であり、有用な解析手法として期待されている。 トランスポーターの輸送活性は、トランスポーター1分子あたりの輸送活性と分子数(タンパク質発現量, mol)の積に分解できる(図8)。従って、トランスポーター1分子あたりの輸送活性を''in vitro''実験によって測定し、ヒト死後脳から単離した脳毛細血管におけるトランスポーターのタンパク質発現量と統合することによって、''in vivo''のヒトBBBにおける輸送活性を再構築できる。この考え方を実証するために、マウスP-糖タンパク発現細胞単層膜で測定したP-糖タンパクの輸送活性をそのP-糖タンパク発現量で除することによってP-糖タンパク1分子あたりの輸送活性を算出した。これをマウス脳毛細血管におけるP-糖タンパク発現量と統合することによって、BBBのP-糖タンパク輸送活性を再構築した。その結果、異なる輸送活性を示す全11基質について再構築された輸送活性は実測値と良好に一致した(図8)<ref name="ref8" /> 。このように、''in vivo''のBBBにおける輸送活性を再構築できることが実験的に証明されている。この再構築の考え方をヒトに適用し、ヒトのトランスポーターの発現培養細胞における1分子輸送活性およびヒト脳毛細血管における発現量を測定することによって、ヒトBBBにおける種々のトランスポーターの輸送活性を解析できるようになると考えられている。  
 このように、''in vivo''のBBBにおける輸送活性を再構築できることが実験的に証明されている。この再構築の考え方をヒトに適用し、ヒトのトランスポーターの発現培養細胞における1分子輸送活性およびヒト脳毛細血管における発現量を測定することによって、ヒトBBBにおける種々のトランスポーターの輸送活性を解析できるようになると考えられている。  


==関連項目==
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