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[[image:臨界期.png|thumb|300px|'''図.マウスの視覚経路と眼優位性の臨界期'''<br>網膜鼻側からの軸索(青色)は視交差を通り反対側の外側膝状体に投射する。耳側からの軸索の一部(赤色)は同側に投射し、大脳視覚野の両眼視領域において両眼の情報が統合される。臨界期に片眼を閉じると、閉じた眼からの入力を担う外側膝状体細胞の軸索は退縮し、眼優位性の変化と視力の低下が引き起こされる。]]
[[image:臨界期.png|thumb|250px|'''図.マウスの視覚経路と眼優位性の臨界期'''<br>網膜鼻側からの軸索(青色)は視交差を通り反対側の外側膝状体に投射する。耳側からの軸索の一部(赤色)は同側に投射し、大脳視覚野の両眼視領域において両眼の情報が統合される。臨界期に片眼を閉じると、閉じた眼からの入力を担う外側膝状体細胞の軸索は退縮し、眼優位性の変化と視力の低下が引き起こされる。]]


==イントロダクション==
==イントロダクション==
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 例えば、歌を覚える[[鳥類]](オウム/インコ類、ハチドリ類、鳴禽類)には、歌を覚えるための臨界期がある。鳴禽類のキンカチョウは、孵化後20日から90日頃までに歌を学習し、臨界期に覚えた1つの歌を生涯歌い続けることが知られている。キンカチョウは歌を学習するための特別な回路を持っており、臨界期であれば回路の再編によって歌を覚えなおすことが出来る。歌の学習ができる動物種は[[ヒト]]を含め非常に稀である。ヒトの[[言語]]習得の過程も、キンカチョウの歌学習に似た「感覚学習(聞き覚え)」と「感覚運動学習([[発声学習]])」の段階を踏むことが示唆されている。また、猛禽類のフクロウでは、視覚と聴覚から得られた標的(獲物)の位置情報を一致させるための臨界期が存在する。臨界期のフクロウにプリズムゴーグルをつけ視覚の位置情報を20度以上ずらすと、視覚と聴覚のズレを修正するように聴覚の回路が再構築される。
 例えば、歌を覚える[[鳥類]](オウム/インコ類、ハチドリ類、鳴禽類)には、歌を覚えるための臨界期がある。鳴禽類のキンカチョウは、孵化後20日から90日頃までに歌を学習し、臨界期に覚えた1つの歌を生涯歌い続けることが知られている。キンカチョウは歌を学習するための特別な回路を持っており、臨界期であれば回路の再編によって歌を覚えなおすことが出来る。歌の学習ができる動物種は[[ヒト]]を含め非常に稀である。ヒトの[[言語]]習得の過程も、キンカチョウの歌学習に似た「感覚学習(聞き覚え)」と「感覚運動学習([[発声学習]])」の段階を踏むことが示唆されている。また、猛禽類のフクロウでは、視覚と聴覚から得られた標的(獲物)の位置情報を一致させるための臨界期が存在する。臨界期のフクロウにプリズムゴーグルをつけ視覚の位置情報を20度以上ずらすと、視覚と聴覚のズレを修正するように聴覚の回路が再構築される。
どちらの眼からの入力を多く受けるか(眼優位性)は、臨界期の視覚経験に依存して可塑的に変化する<ref name=ref3 /><ref>’’’NW DAW’’’<br>Visual Development<br>’’Plenum (New York)’’:1995</ref> 。眼優位性可塑性は現在までに神経生理学、神経解剖学、分子生物学などの様々な見地から解析され、臨界期のメカニズムを探求する上で良いモデルとなっている。[[マウス]]からヒトまで、両目で見た情報は[[大脳皮質]]の第一次視覚野で初めて統合され、物の立体的特徴は正確に捉えられる。[[げっ歯類]]では、網膜[[神経節]]細胞からの軸索の多くは反対側の視覚野に伸び、一部が同側の視覚野に投射して両眼視領域を形成する。[[ネコ]]やヒトでは、左右の網膜からの入力は両側の視覚野に投射し、第4層において互いに分離して縞模様を作り、第2/3層において初めて統合される。幼年期(ヒトでは9歳頃まで)に偏った視覚経験を受けると(例えば、片眼に長期間眼帯をすると)、閉じられた眼からの情報よりも開いた眼からの情報を多く受け取るように、神経回路が作り変えられる。その結果、閉じられた眼の入力を中継する外側膝状体細胞の軸索(視床-皮質投射)は、視覚野において著しく萎縮し、閉じられた眼の視力は弱くなる(弱視)。弱視は、就学前までの子どもの2~4%に見られる決して珍しくない疾患である。げっ歯類でも同様に、生後20 - 40日頃に眼優位性の臨界期があり、臨界期に閉じられた眼の視力は弱くなる。マウスからヒトまで、弱視を回復するためには可塑性が高い臨界期のうちに治療を施す必要があり、大人になってからの治療では回復が難しいことが知られている。治療は、良い方の眼にアイパッチを施し、さらに弱視の眼(多くは遠視である)を眼鏡で矯正するという方法が一般的である。一方、子どもの精神的な負担を軽減するために、治療の時間を短くする研究も行われている。弱視の眼で見る機会を増やすよう工夫されたテトリスゲームを行うことで、両眼視のトレーニングを行い、効率的に治療する方法も開発され始めている。
どちらの眼からの入力を多く受けるか(眼優位性)は、臨界期の視覚経験に依存して可塑的に変化する<ref name=ref3 /><ref>'''NW DAW'''<br>Visual Development<br>''Plenum (New York)'':1995</ref> 。眼優位性可塑性は現在までに神経生理学、神経解剖学、分子生物学などの様々な見地から解析され、臨界期のメカニズムを探求する上で良いモデルとなっている。[[マウス]]からヒトまで、両目で見た情報は[[大脳皮質]]の第一次視覚野で初めて統合され、物の立体的特徴は正確に捉えられる。[[げっ歯類]]では、網膜[[神経節]]細胞からの軸索の多くは反対側の視覚野に伸び、一部が同側の視覚野に投射して両眼視領域を形成する。[[ネコ]]やヒトでは、左右の網膜からの入力は両側の視覚野に投射し、第4層において互いに分離して縞模様を作り、第2/3層において初めて統合される。幼年期(ヒトでは9歳頃まで)に偏った視覚経験を受けると(例えば、片眼に長期間眼帯をすると)、閉じられた眼からの情報よりも開いた眼からの情報を多く受け取るように、神経回路が作り変えられる。その結果、閉じられた眼の入力を中継する外側膝状体細胞の軸索(視床-皮質投射)は、視覚野において著しく萎縮し、閉じられた眼の視力は弱くなる(弱視)。弱視は、就学前までの子どもの2~4%に見られる決して珍しくない疾患である。げっ歯類でも同様に、生後20 - 40日頃に眼優位性の臨界期があり、臨界期に閉じられた眼の視力は弱くなる。マウスからヒトまで、弱視を回復するためには可塑性が高い臨界期のうちに治療を施す必要があり、大人になってからの治療では回復が難しいことが知られている。治療は、良い方の眼にアイパッチを施し、さらに弱視の眼(多くは遠視である)を眼鏡で矯正するという方法が一般的である。一方、子どもの精神的な負担を軽減するために、治療の時間を短くする研究も行われている。弱視の眼で見る機会を増やすよう工夫されたテトリスゲームを行うことで、両眼視のトレーニングを行い、効率的に治療する方法も開発され始めている。


 生後の大脳視覚野には、眼優位性だけでなく、[[方位選択性]](orientation/direction selectivity)の臨界期もある<ref name=ref4 />。ネコの第一次視覚野においては、特定の方位の動きに強く反応する(特定の方位選択性を持つ)細胞が集まり、カラム構造を形成する。視覚野においてそれぞれのカラム構造は方位マップを形成しており、隣りあったカラムは似た方位選択性を見せる。げっ歯類では、方位選択性を持つ細胞がゴマ塩状に分布し、カラム構造を形成することはない。 方位マップも観察されず、似た方位選択性を持つ細胞が視覚野に離れて存在する。方位選択性は経験に依存して形成され、その臨界期は、眼優位性より少し先行する。げっ歯類では、両眼視領域の細胞は両眼からの入力を同時に受けることが多い。そのため、両眼視領域の単一細胞の方位選択性は、臨界期の経験により両眼で統一されることが重要である。
 生後の大脳視覚野には、眼優位性だけでなく、[[方位選択性]](orientation/direction selectivity)の臨界期もある<ref name=ref4 />。ネコの第一次視覚野においては、特定の方位の動きに強く反応する(特定の方位選択性を持つ)細胞が集まり、カラム構造を形成する。視覚野においてそれぞれのカラム構造は方位マップを形成しており、隣りあったカラムは似た方位選択性を見せる。げっ歯類では、方位選択性を持つ細胞がゴマ塩状に分布し、カラム構造を形成することはない。 方位マップも観察されず、似た方位選択性を持つ細胞が視覚野に離れて存在する。方位選択性は経験に依存して形成され、その臨界期は、眼優位性より少し先行する。げっ歯類では、両眼視領域の細胞は両眼からの入力を同時に受けることが多い。そのため、両眼視領域の単一細胞の方位選択性は、臨界期の経験により両眼で統一されることが重要である。
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 臨界期は、大きく2つの時期に分けられる。1つ目は、遺伝子設計図に従い伸展した神経回路が、早期の神経活動により機能的に刈り込まれる臨界期、2つ目は、個体が独自の経験、刺激を継続的に受けることにより、既存の神経回路が再編される臨界期である。前者の神経回路の刈り込みには、回路で使用される神経伝達物質とその受容体のシグナル伝達系の役割が重要である。さらに、出生による[[セロトニン]]量の減少や、C1q補体ファミリーなどの[[免疫]]系因子が軸索の分離や刈り込みに関与することが示唆されている<ref name=ref5 />。
 臨界期は、大きく2つの時期に分けられる。1つ目は、遺伝子設計図に従い伸展した神経回路が、早期の神経活動により機能的に刈り込まれる臨界期、2つ目は、個体が独自の経験、刺激を継続的に受けることにより、既存の神経回路が再編される臨界期である。前者の神経回路の刈り込みには、回路で使用される神経伝達物質とその受容体のシグナル伝達系の役割が重要である。さらに、出生による[[セロトニン]]量の減少や、C1q補体ファミリーなどの[[免疫]]系因子が軸索の分離や刈り込みに関与することが示唆されている<ref name=ref5 />。


 後者の臨界期には、眼優位性可塑性の研究から、回路で使用される神経伝達物質/受容体や片眼遮蔽により活性化される因子(tPAなど)に加え、興奮-抑制[[バランス]]が重要であることが分かってきている。未熟な脳では[[興奮性]]活動が相対的に強いが、抑制機能が発達して自発発火が抑えられ、視覚入力による発火が顕著になると眼優位性の臨界期が活性化される。[[抑制性]]介在ニューロンのなかでも、Parvalbumin陽性細胞の機能発達が臨界期を制御する鍵と考えられる<ref><pubmed>19907494</pubmed></ref>。臨界期の可塑性の高まりは、興奮-抑制バランスが入力に応じて柔軟に変化する時期に見られ、特に、優位な入力をより多く受け取るように抑制機能が作用する。さらに、興奮-抑制性バランスが固定化されると、臨界期が終わると推測される<ref><pubmed>23975100</pubmed></ref>。Parvalbumin陽性細胞の機能発達に関与する分子([[GAD65]]、BDNF、Otx2、NARP)を欠損したマウスでは、臨界期が誘導されない<ref name=ref4 /><ref name=ref9<pubmed>18692473</pubmed></ref><ref><pubmed>23889936</pubmed></ref>。また細胞形態や抑制機能の固定化に関与する分子(Nogo受容体、コンドロイチン硫酸プロテオグリカン、Lynx1)を欠損したマウスでは、臨界期が終わらないことが示唆されている<ref><pubmed>21068299</pubmed></ref>。一方で、方位選択性の臨界期には、抑制性介在ニューロンの発達よりもむしろ[[興奮性シナプス]]の可塑性が重要である。GAD65やOtx2の欠損マウスでは方位選択性が正常に形成されるのに対し、NR2A(GluRε1)や[[PSD95]]の欠損マウスでは、眼優位性可塑性の異常よりも、方位選択性の形成不全のほうが顕著に見られる<ref name=ref4 /><ref name=ref9/>。ほぼ同時期に同じ視覚野において見られる臨界期でも、回路によって可塑性のメカニズムは異なることが示唆される。
 後者の臨界期には、眼優位性可塑性の研究から、回路で使用される神経伝達物質/受容体や片眼遮蔽により活性化される因子(tPAなど)に加え、興奮-抑制[[バランス]]が重要であることが分かってきている。未熟な脳では[[興奮性]]活動が相対的に強いが、抑制機能が発達して自発発火が抑えられ、視覚入力による発火が顕著になると眼優位性の臨界期が活性化される。[[抑制性]]介在ニューロンのなかでも、Parvalbumin陽性細胞の機能発達が臨界期を制御する鍵と考えられる<ref><pubmed>19907494</pubmed></ref>。臨界期の可塑性の高まりは、興奮-抑制バランスが入力に応じて柔軟に変化する時期に見られ、特に、優位な入力をより多く受け取るように抑制機能が作用する。さらに、興奮-抑制性バランスが固定化されると、臨界期が終わると推測される<ref><pubmed>23975100</pubmed></ref>。Parvalbumin陽性細胞の機能発達に関与する分子([[GAD65]]、BDNF、Otx2、NARP)を欠損したマウスでは、臨界期が誘導されない<ref name=ref4 /><ref name=ref9><pubmed>18692473</pubmed></ref><ref><pubmed>23889936</pubmed></ref>。また細胞形態や抑制機能の固定化に関与する分子(Nogo受容体、コンドロイチン硫酸プロテオグリカン、Lynx1)を欠損したマウスでは、臨界期が終わらないことが示唆されている<ref><pubmed>21068299</pubmed></ref>。一方で、方位選択性の臨界期には、抑制性介在ニューロンの発達よりもむしろ[[興奮性シナプス]]の可塑性が重要である。GAD65やOtx2の欠損マウスでは方位選択性が正常に形成されるのに対し、NR2A(GluRε1)や[[PSD95]]の欠損マウスでは、眼優位性可塑性の異常よりも、方位選択性の形成不全のほうが顕著に見られる<ref name=ref4 /><ref name=ref9/>。ほぼ同時期に同じ視覚野において見られる臨界期でも、回路によって可塑性のメカニズムは異なることが示唆される。


==参考文献==
==参考文献==
<references/>
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